2016年10月17日 (月) | Edit |
長谷川豊氏の暴言については、すでにいろいろなところで指摘され尽くしていますし、本人も仕事を失うなどしてそれなりに社会的制裁を受けているようですが、かといって、この行為を長谷川氏の個人的な資質に限定する論調には疑問を感じるところです。

というのも、社会保障費が増大する中での財政的な措置については散々批判的だった方々までもが、長谷川氏の煽動的な物言いに反応して「弱者切り捨てだ」とか「財源問題に還元する緊縮主義者め」などと吹き上がっているのを拝見すると、「どの口でそれを言うか」といいたくもなるわけです。

以前から気になっていたことですが、拙ブログでも「経済学的に正しい」ことの無意味さを指摘してきたところではあるものの、最近になってこの言葉をしたり顔でおっしゃる方々にも、「経済学的に正しい」ことへ盲信されている方が散見されますね。ネオリベ、リベサヨを批判するその口で、「経済学的に正しい」ことを根拠として「消費税率引き上げを支持するなんて売国奴の財務省マインドめ!」という批判を飽きもせずに繰り返していますし、拙ブログでも、消費増税引き上げが「経済学的に正しくない」として実施できないために、それを財源とする再分配政策が貧弱なままであることを指摘すると、「再分配だけに財源問題を求める緊縮脳のデフレ派め」と罵倒されるところです。いやまあ「経済学的に正しい」という言葉を使うかどうかは別として、「経済学的に正しい」かどうかで二分するような議論を拝見していると、権丈先生のこの言葉の重みを改めて感じます。

そして口にするのも憚られることなのであるが、かつて世界を東西の真っ二つに分けて、今につづく人類同士のいがみ合いの思想的基盤を与えたのも、やはり経済学だったのである。

勿凝学問20 ノーベル経済学賞と学問としての経済学、そしてノーベルが思いを込めた平和賞(2004年10月26日脱稿)(Kenjoh Seminar Home Page)


話を長谷川氏の暴言に戻せば、社会保障関連の財政的な措置のための消費税率引き上げが「経済学的に正しくない」というのならば、財政的な措置をしなくてすむように医療費を削減するための「経済学的に正しい」処方箋は、治療に高額の医療費を要するような疾病に罹患した患者には治療しないことですので、消費税率引き上げに反対する方が長谷川氏の暴言を批判するのは筋が通らなさそうです。もしかすると医療費を削減するのではなく、国債の日銀引受で無税国家で社会保障拡充で「経済学的に正しい」ということかもしれませんが、まあ結局「経済学的に正しい」ことが正義であることには変わりないということなのでしょう。

長谷川氏の件は別としても、


なるほど、政府の緊縮志向を国民が理解しているから人々は政府支出に恒久性を信じないという理屈のようですが、政府支出の動向を逐一チェックして政府支出の恒久性を検証しながら自分の行動を決定するような「代表的個人」なる御仁は、この世の中にどれだけいるのでしょうかね。もちろん、代表的個人なんて経済学の理論を構築するうえでの仮定でしかないのですが、まさか「経済学の理論の通りにならない現実の方がおかしい」とまでは言わないにしても、「経済学的に正しい」ことに疑念を挟まない方々は、「経済学の理論の通りにやれば解決できる問題を、利権に絡め取られた政治家と既得権益に固執する財務省を筆頭とする官僚が間違った政策ばかりやるからうまくいかない」とおっしゃる傾向があるように見受けます。

まあ、「利権に絡め取られた政治家」とか「既得権益に固執する財務省を筆頭とする官僚」という「仮定」が正しいかどうかは疑問なしとしませんが、もしそれが「現実」だと考えるのであれば、その「現実」を「仮定」した理論を構築する方がよっぽど「現実的な」理論になるでしょうし、そもそもその「仮定」を所与のものとすることの妥当性にも考慮が必要でしょう。

そして、ここもクルーグマンは慎重に筆を運んでいますが、一般的な経済理論では賃金格差を是正することは需要と供給を歪ませて失敗するとしながらも、実際にはそうではなかったと強調しているわけです。

これは大変重要な指摘でして、一般的な経済理論に合わせるのではなく、その経済理論の前提となる制度や慣行を変えることによって望ましい結果をもたらすことの方が、一般的な経済理論に振り回される政策談義よりはるかに社会的に有意義だろうと思うところでして、「要は、失業しても死なずにすむ社会にすればいいってことですよ。そう考えるほうが、結果的により多くの命を救えるのではありませんか」というまっつぁんの言葉には改めて深く頷くところですね。

クルーグマンの変節(2014年11月24日 (月))


「消費税率引き上げは経済学的には緊縮財政である」というのも、消費税率引き上げによる税収増を政府支出に充てないことを「仮定」した議論(増収分を政府支出に充てるか公債費の償還に充てるかはファンジビリティの問題により財政上明確に区分することは不可能ですが)でして、その「仮定」について見方を変えてみることも必要ではないかと。


「緊縮財政」という言葉は、それを用いて議論する方によってさまざまな意味を持たされていますが、マクロ経済学的には「財政支出の削減」と「増税」はどちらも「緊縮財政」であるというのが「正しい」のでしょう。では「緊縮ではない財政」とは何かを考えると、「経済学的に正しい」という議論の「仮定」の貧弱さがよくわかります。まあおそらく最大公約数として「対前年度比で政府支出の額が増えること」が「緊縮ではない財政」を指すように思いますが、次のような項目はどのように整理されるのでしょうか。
  • その「政府支出」は名目か。またその支出先の所得効果はどのように評価するか。
  • その「政府支出」には特別会計、特に支払履歴に給付権が貼り付いた社会保険も含むか。
  • その「政府支出」は補正予算を含むか。
  • その「額が増える」場合には対GDP比率の上昇も含むか。
  • その「額が増える」場合には税収が減る場合を含むか。
  • その「額が増える」場合には、税収を超過した「政府支出」を含むか。
といった辺りは、特にどマクロな議論ではあまり意識されていないようですね。

でまあ、上記で並べたうちの最後の点を「政府支出の額が増える」場合に含むとすれば、毎年30兆円を超える国債を発行して政府支出の財源を確保している日本は、他のどの国よりも「緊縮ではない財政」であるということができます。平成28年度の一般会計(当初)でいえば、たったの58兆円程度の税収でもって、73兆円の政府支出だけでなく23兆円を超える公債費を計上して、34兆円を超える新規国債を発行しているわけですから、世界一の大盤振る舞いともいっても良さそうなものです。

いやもちろん、私もOECDの統計で30か国中下から10番目(2014年)の日本が「緊縮ではない財政」というつもりはありませんが、税収に対する政府支出でいえば、他の国に比べてかなり「無理」をしていることは明らかだろうと思います。そして、不況下にあって短期的に「無理」をして財政を支えるというならまだしも、「リフレ派の隠れ蓑も取っ払った増税忌避な方々は「国債の日銀引受でオールオッケー」という誠にシンプルなディシプリンで無税国家への道をひた走って」いる様子を拝見すると、この国の増税忌避の根強さを痛感します。それはおそらく、戦前から連綿と続く(政治家や役人の総体として)の政府不信企業を通じた所得保障裏打ちされていますので、そうした意識を変えることは難しいと思いますが、その「無理」が現在の再分配政策の行き詰まりをもたらし、将来の経済成長の果実を過去の債務償還に食い尽くされることがないことを祈るばかりです。

2016年06月25日 (土) | Edit |
前回エントリでちらっと触れた伝左衛門先生のtweetがtogetterでまとめられていましたので、こちらに貼っておきます。

伝左衛門 @yumiharizuki12 2016-06-06 03:16:38
リフレ派の本質は、日本の茶会運動。敵は今のところ消費税で、消費税率をゼロにすればすべて良くなると思ってる人たち、ということでよいだろう。
ですよね。消費税を廃止すれば日本経済は回復するんですよねw

伝左衛門 @yumiharizuki12 2016-06-06 03:23:56
日銀が国債をすべて買い取り、名目金利をゼロに抑え込むことが出来れば、自然利子率がプラスとして、フィッシャー方程式から、自然利子率分のデフレが発生する。経済が消費税率ゼロで活性化すれば、デフレでもプラスの名目成長は可能。つまり、元々、インフレかデフレかはどうでもよかったのですw

伝左衛門 @yumiharizuki12 2016-06-06 03:26:38
@myfavoritescene リフレ派が、財政政策で何か具体的提案を、バラバラでなくやってる印象がないんですがw
要するに「税金減らせ、社会保険料減らせ」しか聞こえて来ないのでw

伝左衛門 @yumiharizuki12 2016-06-06 03:33:28
@myfavoritescene だからマネタイズはどうぞやってくださいw
何でもいいから財政政策やれには、あまり賛成しません。内容によります。社会保障充実なら賛成しますが。
クルーグマンを信用するのそろそろやめようという心境です。

「東京財団モデルに不満のある人は、、、」(togetter)
※ 以下、太字下線の強調は引用者による。

その他の細かい部分には思うところもありますが、まあ概ね賛同いたします。一部のリフレ派と呼ばれる方々やその主張を賛同・支持されている(た)方々は、総需要不足こそを最大の問題点と認識し、その原因を消費税率引き上げに代表される重税によって、あるいは構造改革による規制緩和によって、可処分所得が減少したことに求める点でのみ一致しているのであって、その原因さえ克服できればインフレだろうがデフレだろうが実際は関係ないように見受けます。実質の購買力の低下こそが悪なわけですから、それが増税によるものであってもインフレによるものであっても、忌避すべきであることには変わりありませんよねえ。

でまあ、総需要という言葉で連想される支出が個人の耐久消費財とか食費とかになるのは、通常の生活をしている方々にとっては致し方のないことだろうとは思うのですが、人は病気にもなるし不慮の事故で障害が残ることもあるし先天的に重い障害を持って生まれてくる場合もあります。一般的な社会人が決まった日時・時間帯に就労している現代にあっては、親に代わって(の保育を補完して)社会が子供の出産から就学までの保育を確保する必要がありますし、その子供が就労するまでには親はもちろん社会が学習の機会を提供することによって稼得能力のある社会人として成長させなければなりません。さらに、稼得能力が衰えてしまった(を得ることができない)高齢者や障害者にはその生活を保障するために公的な支援が必要となる場合もあります。

これらの財・サービスへの需要も当然総需要に含まれるわけでして、その需要が供給側の未整備や不足によって制限されるようなことがあれば、それも総需要不足の大きな原因となります。その公的支援の供給を第一義的に支えるものが税収であることからすれば、税収を確保して供給体制を整備することが総需要不足の解消につながると考えるのがスジと思われるのですが、いやまあ茶会運動の方にこの理屈が通じるはずはありませんね。

ついでに、上記の引用部分で伝左衛門先生が「クルーグマンを信用するのそろそろやめようという心境です」とおっしゃるように、拙ブログでも「国際経済学者であるクルーグマンは「アメリカン・ケインジアン」な主張から「ソーシャル」な主張まで幅広く論じているのですが、それぞれのモードに限ればそれなりに整合性があるものの、トータルで見るとあちこちで齟齬を来しているように見受けます。特に日本では、どマクロな「「アメリカン・ケインジアン」のしかも金融政策に偏った主張をしてきたために、かえって「ソーシャル」な政策についての日本における理解を妨げてしまったのではないかと思うところ」でして、クルーグマンの言説を見るときには、アメリカ国民向けのアメリカ的「ソーシャル」モードなのか、他国向けのアメリカン・ケインジアン的な「リベラル」モードなのかを十分に吟味する必要があると思います。

まあ拙ブログでもこの読み方を習得するまでにかなりの時間を要しましたし、通常はこちらのブログ主さんのように、

最低賃金制の有害性としてクルーグマンが挙げる具体例はこんな感じ。

  • ファストフードの店長が従業員をクビにして、自分の息子を代わりに使った。(タダで、という意味でしょう)
  • 最低賃金を上げると職が少なくなるので、職探しが長期化する。
  • 非合法な仕事がはびこる。
  • 政府の検査官に賄賂を贈る。
  • 若年労働者の失業が発生する。
  • 一定以上の事業所に最低賃金規制がかかるため、規制を避けるために零細企業が増加する。(非効率になるでしょうね)
こんな感じ。
ほかの教科書と本質的に同じですわ。
読んでみて思ったのは、日本にはクルーグマンのファンが数多いて、クルーグマンによる最低賃金上げの政治的言説を信じ込んで飛びついていたりするので、「きっとクルーグマンの本しか読んでいないからなんだろう」と考えていましたが、私は間違っていましたね。
彼らはクルーグマンの教科書すら読んでいません。
クルーグマンは日本では芸能人と看做した方が良いのでしょう。

「2015-11-28 クルーグマンの教科書も認める最低賃金の有害性」(Maddercloud)

と教科書を読んで理解しようとされるだろうと思います。この『ミクロ経済学』でクルーグマンは、「政府の役人はしばしば下限価格規制の帰結に関する警告を無視するが,その理由は供給と需要のモデルが彼らの関係する市場を満足に記述していないと信じているからか,あるいはもっとありうるのは,彼らがそのモデルを理解していないからだ(p.112)」と最低賃金で規制する政府(役人)を批判していますし、リフレ派と呼ばれる方々の領袖とエースによる岩田・飯田(2006)で「政策当局が経済学の分析を無視することによって、社会に不必要な負担をもたらしている例」とおっしゃるのも、こうした世界標準の経済学の考え方(棒)に則ったものでしょう。

ところで、クルーグマンの『マクロ経済学』にも最低賃金の項がありまして、

 一般的に,拘束力を持つ最低賃金は構造的失業をもたらすものだ.だったらなぜ政府は最低賃金を課すのだろう,と思うかもしれないね.その合理的根拠は,最低賃金は働く人々が最低限の快適な生活様式を維持するだけの所得を得る助けになる,というものだ.だがこれには代価がある.もっとも低い賃金で働いてもいいと思っている労働者たちから仕事の機会を奪うことになるのだ.図15-2は,労働の買い手より売り手のほうが多いだけでなく,最低賃金で働く労働者数(QD)は,最低賃金がなかった場合に働く労働者数(QE)より少ないことを示している.
 ここで注意しておくべきことがある.図15-2で示したように,高い最低賃金が雇用削減効果を持つことには経済学者の間で広い合意があるが,それがアメリカで最低賃金がどう作用するかを示すふさわしい説明かどうかには若干の疑問があるということだ.(中略)だがほとんどの経済学者が,最低賃金を十分に高くすれば構造的失業が生じるということに同意している.
pp.431-432

クルーグマン マクロ経済学クルーグマン マクロ経済学

クルーグマン,P.著/ウェルス,R.著/大山 道広訳/石橋 孝次訳/塩澤 修平訳/白井 義昌訳/大東 一郎訳/玉田 康成訳/蓬田 守弘訳

ISBN:9784492313978
旧ISBN:4492313974
サイズ:B5判 並製 664頁 C3033
発行日:2009年03月20日

※ 太字強調は原文。


汎用性を最優先すべき教科書において自らの見解を書かないのはそれはそれで公正な姿勢だとは思いますが、それによって「教科書嫁」厨を喜ばせるだけになってしまっては教科書の汎用性よりも重大な問題を孕むものと思われます。とはいえクルーグマンは、『マクロ経済学』で「十分に」と絶妙な留保をつけている通り、

Until the Card-Krueger study, most economists, myself included, assumed that raising the minimum wage would have a clear negative effect on employment. But they found, if anything, a positive effect. Their result has since been confirmed using data from many episodes. There’s just no evidence that raising the minimum wage costs jobs, at least when the starting point is as low as it is in modern America.

Liberals and Wages Paul Krugman JULY 17, 2015

「少なくとも現代のアメリカくらいに低い最低賃金からスタートするなら、最低賃金の引き上げがジョブと引き換えになる(失われる)証拠はない」と言い切っていますね。岩田・飯田(2006)のようなおっちょこちょいを巧妙に避けているところこそが「世界標準」ではないかと思うところでして、maddercloudさんの言葉をお借りすればそれがクルーグマンが一流の芸人たる所以でしょう。

真面目にいえば、最低賃金を引き上げることによって労働市場に影響が出るのは、そもそもの賃金水準が最低賃金の網にかかるくらいに低いような低所得国であって、日本やアメリカのような先進国では『ミクロ経済学』のような極端な例は生じないという趣旨で『マクロ経済学』の説明を理解すべきだろうと思います。事ほど左様に経済学の理論やモデルというのは制度などの前提条件で結論が変わるものでして、高橋是清とか石橋湛山とか引き合いに出して現代の日本にそのまま当てはめようとするおっちょこちょいな方々も多いようですが、まあそういうことですね。

(追記)
ぶくまいただいたのですが、

API クルーグマンのモデルも東京財団のモデルと同じく、非現実的だしね。
リンク 2016/06/25

経済学のモデルっていうのは非現実的でもいいからベンチマークを提供するという程度のものではないかと思うところでして、飯田先生もお気軽なライフハックの思考法をオススメされていますね。

 大変便利な「その他」ですが、一つだけ気をつけて欲しいことがあります。それは、重要な項目を「その他」に入れないことです。自分が考えたいと思っている項目を「その他」にいれて、関心度の低い項目とごちゃまぜにしてしまうと、せっかく問題を整理しようとしているのに、意味がなくなってしまいます。まずは、今自分が考えたいことをしっかりと羅列したのちに、「その他」を使うようにしてください。
 余談ですが、本書で登場する思考に関する例が非現実的だと感じるとすれば、その理由の一つは、あなたの興味において重要なものが、本書にとっての「その他」に入ってしまっているからだと考えられます。しかし、あなたと私が一心同体でない以上、これは避けることができない事態です。
p.66

思考の「型」を身につけよう
人生の最適解を導くヒント
飯田 泰之
ISBN:9784022734808
定価:821円(税込)
発売日:2012年12月13日
新書判並製 232ページ 新書380

(略)
そりゃまあ、当面は困らない範囲なら深淵に見える問題をいったん脇においてもいいでしょうけれども、特にマクロの政策はあらゆる利害関係を調整しなければ実施できません。飯田先生が提唱される「思考の型」では、そのいったん脇に置いておいた問題について、現在の経済学が有効な政策を導くことはできないことを自ら示しているものと思います。

「陰謀論とレッテル貼り以外の道(2013年06月15日 (土))」

お気軽ライフハックですべての問題が解決するならそれはそれで素晴らしいだろうと思いますが、「モデルに現実性がない」という批判をされる方の経済学に対する考え方はなかなかに理解しがたいものがあります。

まあ以前は「売文家」を自認されていた飯田先生のライフハックはともかく、経済学におけるモデルの位置づけはマクロ経済学を専門とされている研究者の評価を参照するのが吉かと。

3. 将来の消費税率を変更した時に、経済成長率が影響を受けないことが、「非現実的」だと批判する人もいるらしいが、この仮定は中立的だという意味でリーズナブルだと思う。消費税率(あるいは一般的に経済政策)を変えた時に経済の動きがどのように変わるかということを考え出すと、どうしてもモデルの結果が恣意的になるので、経済政策が経済のパフォーマンスに影響を及ぼさないという仮定をきちんと明示した上で使う限り、この仮定でいいと思う。

4. 例えば、himaginaryさんがこのエントリで、消費税が引き上げられた時に経済成長率が下がる方が「現実的」(ブログのエントリのタイトルでは「もっともらしい」といっている)だと主張して、そのような要素を加えたモデルを考察しているが、こんなもん、現実的でもなんてもない、(もっともらしく見せた)恣意的な議論の好例である。消費税(あるいはVAT)が高い国は経済成長率が長期的に低いというような証拠は見たことがない(あったら教えて欲しい)。いわゆる(経済の構造が比較的似通っている)「先進国」の歴史を見ると、消費税の税率は国ごとに異なっているし、税率も時とともに変化しているけれども、経済成長率が消費税率と強く相関しているような話は聞いたことがない。(長期的な経済成長率が外生の)普通のモデルで考えても、消費税率を上げるとGDPの(成長率ではなく)「レベル」が下がることは考えられるけれども、その効果は一時的であり、成長率は長期的には元の外生的に設定されたものに戻るだけである。日本のデータにおいてこのようなモデルのインプリケーションが正しいかどうかは、期間が短い上に様々な要素をコントロールしなければならないので、良くわからないというのが正直なところだが、消費税率を上げると必ず経済が(長期的に)停滞するような証拠も乏しいと思う。

「Random Thoughts on a Model by Tokyo Foundation (Sunday, June 05, 2016)」(unrepresentative agent)

中立なモデルを「非現実的だ」と批判される方には、「あなたの興味において重要なものが、本書にとっての「その他」に入ってしまっているからだと考えられます。しかし、あなたと私が一心同体でない以上、これは避けることができない事態です」という飯田先生のライフハックをオヌヌメいたします。

2016年06月21日 (火) | Edit |
まあ自分でもよくわかっていない戯れごとだと思うのですが、需要が不足してデフレになっているというのは理屈としては理解できるものの、そういう事態が引き起こされている理由の説明がいろいろありすぎてなんでもありじゃね?とも思うわけです。総需要が不足しているのはバブル崩壊後に企業の人件費(労働分配率)が低下しているからとか、そのために所得が減ってデフレスパイラルに陥っているとか、さらにデフレで流動性(貨幣)選好が強くなっていて貯蓄に回って消費が減っているとか、政府の緊縮財政によって総需要が減らされているとか。

でまあ、ティンバーゲンなのかマンデルなのかわかりませんが、その定理によればそれぞれに政策が割り当てられるのではないかと思うところ、一部のリフレ派と呼ばれる方々にかかると「金融緩和(利下げ)汁! 減税汁! 財政出動汁! 国債発行汁!」が不動の4点セットになっているようにお見受けします。

浅学非才な実務屋である私にとって、インフレというのは、個々の財・サービスへの需要が高まって異時点間で価格が上昇するというミクロの価格決定過程をアグリゲイトしたものというイメージが強くあります。アベノミクスというか黒田バズーカ砲が発動されて既に3年以上が経過した現時点では、貨幣供給(政府紙幣なのか国債発行で非不胎化なのかわかりませんが)で2%のマイルドインフレを達成するという政策手段の有効性に全幅の信頼を置くわけにもいきません。

というところで、インフレは金融政策でしか達成できないのかと考えてみると、上述の通りミクロでの需要の高まりによる価格上昇のアグリゲーションであるならば、増税でもインフレーションと同じ状態になるように思います。財政出動汁!という方がそれほどまでに財政出動を求めるのなら、その財政によって供給コストが賄われる公共サービスの需要が高まっているはずですから、それに伴って公共サービスの価格としての税率が上がりそうなものです。

なんてことをいえば、ミクロの価格上昇とマクロのインフレの違いもわかっていないというどマクロなご批判をいただきそうですが、消費税なんてのはミクロどころではなくマクロな価格上昇ですし、これまでの税率引き上げ時に将来の増税を予定して駆け込み需要が生じる事実からしても、現状が流動性選好が強まっているという状態であるならば、少なくとも増税までに消費を拡大する効果はあるといえるでしょう。

あるいはインフレ予想があれば流動性選好が緩和されて貯蓄から消費に回ってデマンドプルのインフレになるが、増税はコストプッシュ型だから、たとえインフレと同じ効果があるとしてもけしからん!という方もいらっしゃるかもしれません。その主張の適否はわかりませんが、増税がコストプッシュだというなら確かに上述したような公共サービスに対する需要の高まりによるデマンドプルなんてものはありえないのかもしれません。

さらには、企業は収益を上げなければ人件費を賄えないが、政府は中央銀行に紙幣を刷らせることによってシニョリッジ益を得ることができるので、紙幣を刷ることによっていくらでも公共サービスの財源を賄えるという主張もよくありますね。特にデフレ下では日銀の国債引受で利子負担もなく国債を発行できるので、積極的に国債発行して財政出動汁!という主張も聞かれるところですが、ではOECDでトップクラスの公債費残高をたった20年程度で積み上げてきたこの国で、デフレを解消することもできず、「現金給付・公共サービスの対GDP比がフランスやスウェーデンの6割程度しかない中で、高齢化により高齢者向け支出(年金)がその約半分を占める」状況にあるのはなぜなんでしょうね。というか、政府の歳入としての国民負担率がOECDでも下位グループに位置するこの国で、経済成長で税収が増えたところで貧弱な公共サービスが飛躍的に伸びるはずなどないのですが、それも国債で賄えばいいとおっしゃるならば、リフレーション政策が奏功してマイルドなインフレになった後の国債発行の可能性は持続するとお考えなのでしょうか。

まあそう考える方がいらっしゃるのも気持ちはわからないではありませんが、いやそれにしても賃上げしないから所得が増えず、そのため消費が伸びないのでデフレになるという主張があるかと思えば、デフレこそが悪であってまず貨幣現象であるデフレを解消するために金融緩和汁!という主張もあり、それらを主張される方が口を揃えて増税なんてしたら可処分所得が減少して景気を後退させてしまうからけしからんので財政出動汁!と主張されているようです。私のような凡庸な頭ではなかなか整合性がとれませんねえ。

伝左衛門先生のTwitterがいつのまにか鍵垢になってしまったので直接引用はできませんが、拙ブログでも一部のリフレ派と呼ばれる方々は結局「増税忌避の隠れ蓑としてのリフレ派」だったのだろうと考えております。権丈先生が「構造改革の名の下に、社会保障を抑制しては国民の不安を煽り、彼らの消費を萎縮させておいて、内需主導の成長など起こるはずがない」と指摘される通り、増税忌避によって小さな政府を目指す方向性へ着実に歩を進めているのがこの国の現状であるにもかかわらず、その財源を確保するためであろうが何だろうが増税だけはまかり成らんという強固な信念に支えられた方々が一部のリフレ派と呼ばれる方々ですね。

一部のリフレ派と呼ばれる方々に賛同されていた方の多くはだいぶ雲散霧消したようですが、増税忌避だけは堅持されている方も見受けられるところでして、もはやリフレ派という隠れ蓑を取り払って単なる増税忌避派というのが実態に合っていそうです。増税忌避こそが経済学的に正しいという強固な信念に支えられた彼らにとって、私のような増税容認派は財務省に取り込まれた陰謀脳だから度し難いとして、軽蔑の対象でしかありません。来月の参院選挙では「連合するなら共産党が主張する消費税率引き下げ(廃止)の一択」かと思っていましたが、さすがにそこまでではないものの、すでに2度目の引き上げ延期は既定路線になっていますし、すばらしき経済学的思考の成果ですね!!!(棒)

2016年02月28日 (日) | Edit |
すでに一部では批判されているのではないかと思うのですが、先週のNHKの朝のニュースで18歳選挙権特集が組まれていて、これは経済学方面の方々の過敏な反応が予想されますのでメモしておきます。

授業は、岡さんたちが考えた架空の2人の候補者の演説から始まります。
この日のテーマは、消費税増税か減税か。

架空の候補者(増税派)
「増税した上で社会保障サービスの向上を目指します。
また、多額の借金の返済にもあてていきます。」

架空の候補者(減税派)
「減税することで皆さまの負担を減らします。
増税されると、低所得者の方々の負担がより一層かかってしまいます。」

生徒たちは訴えを聞いて、どちらかに投票します。
授業のメインは、投票後の話し合いです。
岡さんは、国の借金返済について問いかけました。

山梨学院大学 岡勇太さん
「ひとつ考えてほしいのは、『1年間で2兆円返せます』と言っていた。
1,000兆円の借金を2兆円、毎年返済しますというのは、何年単純計算でかかると思う?」

高校生
「確かに思った、2兆円しかって…。」

岡さんは、候補者が訴える政策のメリットとデメリットを考えてほしいと伝えました。

2016年2月16日(火) シリーズ“18歳選挙権” 同世代が伝える“政治”とは

メリットとデメリットという言い方になるのはやむを得ないと思うのですが、メリットが増税派の「借金の返済にもあてていきます」という部分にフォーカスした形になっていて、経済学方面の方々からは「政府の借金は国内債であって借金じゃない」とか「増税による景気への悪影響こそデメリットだ」という懇切丁寧な反論がありそうです。

でまあ、この特集の主役である18歳(はもちろん、議論を誘導している大学生)というと現在世代の社会保障費のために積み上げられた公債を返還するための公債費を負担する世代でして、そのことを我がこととして考えることは決して間違ったことではないと思うのですが、経済学的な思考方法をお持ちの方々にとっては許されざるべき議論の誘導なのでしょう。さらにいえば、世代間対立を煽る方々と経済学方面の方々が重なることもよくある話ではありますが、たとえば年金の受給と負担が世代間で不公平であるため負担ばかり強いられているという「現在の現役世代」の方は、「将来の現役世代」の有権者の負担となる公債費(の元となる財源)で社会保障費などのフローの公共サービスの恩恵を享受している現実を踏まえ、「将来の現役世代」からの世代間対立攻撃を自ら率先して受けるお覚悟があるとお見受けします。いやまあいつもながら見事なブーメランですね。

と思っていたら、先にこっちが話題になったようです。
http://soradamari.tumblr.com/post/139966117752/highlandvalley-%E9%9B%AA%E4%B9%8B%E4%B8%9E%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%AFtwitter%E3%82%92%E4%BD%BF%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99
記事の写真がそのままアップされていて、発言している高校生の氏名(実名かはわかりませんが)が見えるので直接引用はしませんが、引用された方ご自身は「面白い」というだけでどのような評価かよくわからないものの、それに対するコメントにいろいろな考え方が透けて見えて面白いですね。
  • 新聞も未だに国の「借金」なんて書いてるんで、女子高生(本当にそうかどうか疑わしいが)ならこういうトンチンカンな疑問持ってもしょうがないでしょうな。借りてるのは政府、貸してるのは国民。どちらかと言えば女子高生は債権者側。
  • 色々突っ込みどころだらけだけど特に「総理大臣で1000兆円を自由に使えたら」にひっかかったなあ。総理大臣は自由に予算を使えると高校になっても思ってるのはどうかと思う。
  • この子が借金してほしいとは頼んでないけど、親世代が政府にアレやれコレやれって頼んだ結果の政府の借金だからね
  • 15歳にもなってこの認識だとちょっと痛い子だし勉強してないんだなあって。
    そもそも政府には通貨発行権があるから民間人の感覚で考えられないって何で周囲の大人が教えないんだろう。

ということで、いろんな観点から論じることができるのが政府債務というものであることがよくわかるコメントになっていますが、どうやら私が上記で想像したようなお覚悟をお持ちの方はあまり多くなさそうです。

でまあ、この様々な観点からのコメントそれ自体が政府債務が多様な機能を持つことを示しているわけでして、まさに群盲象を撫でる(Wikipedia:群盲象を評す)状況にあります。せっかくなので、私もその一人になってみますと、日本国憲法では83条で「国の財産を処理する権限は、国会の議決に基づいて、これを行使しなければならない」という財政民主主義が規定され、84条で「あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする」という租税法定主義が規定されています。そのほか85条で「国費を支出し、又は国が債務を負担するには、国会の議決に基くことを必要とする」、86条では「内閣は、毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない」と規定し、87条では予備費についても規定があります。ということで憲法上の規定からすると、国費の支出や予算の議決は国会の議決を必要とするので、総理大臣が自由に使うものではないという二つ目のコメントは正しい指摘と言えましょう。まあ高校の政治・経済で憲法は習うと思いますので、高校生の発言として「痛い」とまでいえるかはわかりませんが、もう少し勉強が必要とはいえそうです。

このように財政民主主義と租税法定主義が規定されているという状況をよくみてみますと、国家の財源確保手段たる租税については、「代表なくして課税なし」という政治思想や財産権への国家の恣意的な介入を防ぐ見地からも国会の議決を要する法律によって規定されるのに対し、86条で予算についての国会の議決があれば、支出については85条で「国会の議決に基づくことを要する」のみで、個別の事業の実施やそれに伴う一個一個の物品購入まで、個別に国会の議決を得る必要はありません。この状況を見て、ある方は「支出にだけ大きな裁量が認められているから国が無駄遣いしてけしからん」というかもしれませんし、ある方は「総理大臣になれば自由に予算を使える」と考えるかもしれません(後者の立場から女子高生の発言を「このレトリックにはあまりこだわらない方がいいと思います」と擁護してくれる大人がいるかもしれません)。

確かに、財源確保は法律でがっちり規定する代わりに、支出(を要する事業の執行)については内閣(とその補佐機関である役所や公務員)にその実務をまかせているわけでして、一見自由に支出しているように見えるかもしれませんが、その執行の現場にいるものとしては、歳入制約に縛られて歳出を編成することが難しいというのが実態と言えます(もちろん投資的経費についての公債発行は財政法で認められています)。つまり、いくら行政需要が大きくなって支出の増加が見込まれても、法律が変わらなければ財源を確保することができず、したがって(支出の増加を伴う)行政需要に対応できないのが現実です。87条には予備費の規定もありますが、その予備費にも財源が必要ですので、結局行政需要の増加に対応するための財源が租税によって確保できなければ、租税以外での財源を確保しなければなりません。となると、公債発行により財源調達することになるわけでして、上記の三つ目のコメントの「親世代が政府にアレやれコレやれって頼んだ結果の政府の借金」というのは、その理由として正しい指摘と言えるでしょう。

さて、公債発行で財源調達する場合、自国内の国民(とか投資機関)が貯蓄等の投資と公債を比較して公債を選択する余地があるうちは国内債でそれを賄うことができますので、上記の一つ目のコメントはこの考え方に基づいたものと思われます(四つ目のコメントについては…他人のふんどしで恐縮ですがドラめもんさんのこちらの解説をどうぞ)。しかし、事業執行の現場にいるものとしてはそれはあまりに一面的な評価と感じるところでして、公債を発行するとその元利払いのための公債費を歳出予算に計上しなければなりません。債務残高が増えれば元利払いは当然増えますが、歳入は租税法律主義で相変わらず制約されていますので、元利払いのための借入(借換)をしても、歳出予算に占める公債費比率は租税による歳入確保ができなければどんどん上昇していきます。ということは、その公債により確保した財源がたとえば「現在の現役世代」を支援する社会保障費に充てられ、それによって「将来の現役世代」に還元されるとしても、「将来の現役世代」はそのための経費とされた公債費も引き続き負担しなければならないということになります。

言い方を変えてみましょう。「現在の現役世代」の時代に景気が低迷して経済成長が鈍化したために、それを財政支出によって「短期的」に補うため公債発行により財源調達した場合、その財源が経済成長や景気回復によって「短期的」に償還されるのであれば何も問題はありません。しかし、それが「短期的」に償還されず、「長期的」に行政需要が見込まれる社会保障費などのフローの公共サービスの財源として恒常化され、その元利払いのための公債費が増嵩していくと、租税法律主義に基づく租税政策に変化がない場合、「現在の現役世代」の経済成長はもちろん、「将来の現役世代」の経済成長の結果としての税収増もその公債費の財源として消えていくことになります。「現在の現役世代」はそれも「短期的」な景気回復のためだと割り切ることができるかもしれませんが、「将来の現役世代」がそのツケのために自らの経済成長の恩恵にあずかれないのであれば、声をあげてしかるべきでしょう。「将来の現役世代」がいくら頑張っても、過去の行政需要の財源となった公債費が歳出の大きな割合を占めてしまっているため、それにクラウディングアウトされて自分たちの行政需要に充てることができないわけですから。

経済学方面の方々はよく「国家の借金と家計の借金は違う」とおっしゃいますが、この点でも大きく異なるわけでして、親が借金を返済できなくなってもその親が自己破産してしまえば子供に引き継がれませんし、相続もある程度コントロールできますが、国の借金は世代間で負担を先送りするとその次の世代がそれを逃れる術がありません。また、歳入については租税法定主義により国会で議決する法律で厳格な手続きが定められてGDPに対する規模が固定されている一方で、歳出についてもその根拠となる予算と法律について国会の議決を要し、特に社会保障制度については法定することによって制度的安定性を確保しなければなりません。

久しぶりにボーナスが上がったからといって「よーしパパ来月から田舎の両親に5万円仕送りするぞ」といっても、ご両親は「あんたホントに大丈夫なのかい?」と不安がって貯蓄するでしょうし、「よーしパパこれから毎月保育園児のいる姉の保育料を肩代わりするぞ」といっても、お姉さんは「人のことより自分のことを心配しなさい」といって逆に心配されるでしょうし、何よりご家族が「いつまた給料が減るか分からないのに、いくら世話になったからといって親とか姉さんに金を払い続けるなんてできるわけない」と言われるのが関の山でしょうけれども、最終手段としてパパが勝手に決めて勝手に支出しても家庭内の問題ですみます。しかし、国(や地方自治体)でそれはできない相談でして、公債については「国と家計は違う」と声高に主張する方が、一方では「政府が判断して財政出動すれば景気回復するのにそれをしない政府は云々」とあたかも国と家計の支出を同列に論じるのも、この国の大人の作法なのかもしれません。

(付記)
ちょうど御大のところでも権丈先生の新著を取り上げていたようですが、

 そもそも、少子化に備えて、貯蓄を増強することには矛盾がある。少子化で人手を減らしてしまうと、いくらお金があっても、サービスを増やせなくなる。供給力が伴わなければ、人件費が高騰し、せっかくの貯蓄も価格の上昇で実質的に失われる。このように、お金だけでなく、実体で経済を眺めるのが、権丈教授も強調するアウトプット・セントラルの考え方である。東日本大震災では、巨額の予算を用意して、復興事業を進めようとしたが、人手不足で執行不能に陥った。将来、同様のことが起こり得る。

 さて、今回の権丈教授の御著書では、終始、うなずきながら、あるいは、ニヤリとしながら、読ませていただいたが、一点だけ、意見を異にするところがある。それは、「財政赤字は世代間の不公平になる」という下りである。アウトプット・セントラルの考え方を敷衍すれば、年金積立金の増強が虚しいなら、公的債務の削減もまた同じと言い得る。一般政府で括れば、それらは一つのものである
(略)
 アウトプット・セントラルの考え方を使えば、「世代間の不公平」とは言っても、将来、生産されるものを、今、消費しているわけでないことは、すぐに分かる。それは、タイムマシンでもなければ無理だ。本当に将来を損なう行為は、少子化で人口を減らしたり、労働力を使い切らないままムダにしている「設備投資の乏しさ」であって、財政赤字や政府消費の多寡ではない。巨額の公的債務は、緩やかなインフレの中で徐々に解消するほかない。愚かなのは、財政赤字の抑制を最優先にして、緊縮財政で投資不足を起こすことである。

 考えてみてほしい。公的債務は少ないが、人口減で弱体化した社会と、公的債務の始末に難渋しつつも、生産力は保持している社会と、どちらが良いか。将来において、前者は解決不能だが、後者には、まだ希望がある。「政策は、所詮、力が作るのであって、正しさではない」としても、「正しさ」さえ、出来上がっていないように思う。

「ちょっと気になる社会保障と経済政策(2016年02月28日)」(経済を良くするって、どうすれば)
※ 強調は引用者による。

うーむ、現物給付を中心にするという「アウトプット・セントラル」の考え方は、権丈先生の新著ではニコラス・バー教授の言葉として引用されているのですが、それを敷衍すると年金積立金と公的債務は一般政府で一つに括れるからどちらの増減も問題ないというのは、私のような浅学の実務屋にはなかなか理解が難しいご高説です。いやまあ、「少子化で人手を減らしてしまうと、いくらお金があっても、サービスを増やせなくなる」というのは太田啓之さんの『年金50問50答』でも的確に指摘されていることですので、それはそのとおりだと思うのですが、その帰結が「公的債務は少ないが、人口減で弱体化した社会と、公的債務の始末に難渋しつつも、生産力は保持している社会と、どちらが良いか」という究極の二者択一になるというのは、何がどうしてそうなるのかちょっと理解できません。

そういえば、太陽の寿命は約100億年とされていますが、「最終的に太陽は現在の200倍から800倍にまで巨大化し[51]、膨張した外層は現在の地球軌道近くにまで達すると考えられる」(Wikipedia:太陽)とのことで、地球から見て遠くにあるからいつまでも大丈夫と思っていたら、いつの間にか膨張した太陽の表面が目の前に迫っていたなんてことになるのかもしれません。まあ、そんな先の自然現象に気をもむ必要はないでしょうけれども、公債費が国や地方自治体の財政を硬直化させていくという予想も杞憂に終わればいいですね!(棒)

2016年02月21日 (日) | Edit |
増税の必要性を指摘すると、往々にして緊縮派とか財政均衡派というご批判をいただくところですが、まあ家計から政府への所得移転で家計の可処分所得が減ることがけしからんという立場を堅持される方からすればそのように反応せざるを得ないのでしょうから、それはやむを得ないのでしょう。

所得再分配の重要性を認識されているのであれば、問題は可処分所得ではなく再分配後の再分配所得になるはずなのですが,特に経済学方面の方は「ドマクロな方々の「税金はビルトインスタビライザーとして景気を悪化させる」という理論と、基礎的ミクロな方々の「死過重を生じさせる課税は非効率だ」という理論」でもって可処分所得を死守しようとされますね。理論としては理解できるものの、それは同時に「再分配を拡充させるべき」とおっしゃる方が深刻な自己矛盾を抱えることになるわけでして、あまりその点は認識されていないように見受けます。

権丈先生の新著から、この辺の整理をしておきますと、

 そう言えば,2015年の経済財政諮問会議(5月19日)「“経済財政一体改革”の実行に向けて(有識者議員提出資料)」の中に,「「経済・財政一体改革」個別改革の目標(1)社会保障(保険料)負担率(対国民所得比)の上昇に歯止めをかけ,実質箇所文書を区の目減りを抑制する」という言葉がありました.当初所得から税金・社会保険料を引いて現金給付を加えたものを「可処分所得」と呼び,可処分所得プラスの現物給付を『所得再分配調査』の中では『再分配所得』と呼んでいます.ですから,可処分所得という指標は,社会保障が行っている「医療,介護,保育などの現物給付」を無視した指標なんですね.そうした可処分所得の目減りを抑制するという話は,なんとなく聞こえはいいのですけれど,要は,ここでみた,社会保障の所得再分配機能を縮小するという話につながることです.

pp,102-103

権丈善一 ちょっと気になる社会保障

※ 以下,強調は引用者による。

つまり可処分所得に現物給付を加えた「再分配所得」の拡充のためには、(言葉の厳密な意味での)再分配に必要な財源を一次分配の給与等の稼得所得から一旦政府に預けて、それにより必要原則に応じて分配するという恒久的な仕組みを構築する必要があります。その財源確保のために増税が必要だと申し上げているところでして、「可処分所得を減らして何が何でも財政均衡を達成しなければならない」というようなことは考えておりません。

いやもちろん、本書で権丈先生も指摘されているように社会保障というのは市場システムのサブシステムですので、一次配分の適正化が大前提ではあります(そのため集団的労使関係による人件費の配分交渉が重要になります)が、それに現物給付による再分配を加えて生活を保障するには、一旦政府に預けるという過程が必ず必要になります。ところが、日本的左派の皆さんには政府に対する徹底的な不信感がありますし、一般の方々にもそれはかなり深く浸透しているとは思いますので、「再分配」というなら政府を利用するのが効率的だというのはなかなか受け入れられる考えではないだろうとは思います。

このような政府に対する不信感が深く浸透しているのにも当然歴史的経緯があるわけでして、雇用とか労働の分野であれば、戦後の荒廃の中で政府が十分な財源を調達できない中で,労働組合の要求によって政府ではなく企業が生活給を支給することが求められ、その見返りとしてメンバーシップ型雇用で全生活を企業に捧げるという働き方が一般的になったのと同じように、戦後の医療政策も政府主導ではなく民間主導で進められた経緯があります。

 西欧や北欧では,病院は国や自治体や宗教団体のような公的なところが主導して整備が進められました.日本でも戦後の占領期職には,病院は公的な形で整備すべきということがGHQの方から言われていましたしかしながら,日本は戦後の窮乏期にあって国民はみんな貧しかったために,税収も極めて少ない状態にありました..それでも医療制度を整備しなければならなかったのですけれど,国も自治体もそんな余裕はありませんでした.そこで民間にお願いして,民間に協力してもらいながら提供体制の整備を進めていくことになりました.民間が診療所から初めて,近隣の病院と競争しながら規模を拡大して病院になっていく.そういう制度でしたから,民間の活力が活かされ,民間であるがゆえに他の国よりも低い医療費ですむようになり,世界的にも高く評価される医療システムを築くことができました.でも,提供体制の主体が民間であったために,医療提供体制の整備に「計画化」というものを導入することは実に難しい状況が生まれてしまったわけです.

権丈『同』pp.146-147

まさに雇用や労働の分野で、民間主導で形成された日本型雇用慣行が機能不全に陥って同時に集団的労使関係が崩壊してしまっている状況で、働き方の改革を進めようとしても民間の労使自治の分野に政策が介入する余地がないというのと同じように、日本の医療政策も民間が主導して整備したがゆえに政府が政策的に強制力を持ち得ない状況にあるわけです。もちろん、権丈先生が指摘されるように日本の医療制度は世界的にもトップクラスの技術水準とサービス提供のシステムを有しているのでその成果を否定する必要はありませんが、制度の見直しが必要な場合にはそれが大きな壁となって立ちはだかるのも事実です。

いやまあこういう事実は公的セクターの外にいる方にはピンとこないでしょうし、「官僚主導で国民のことを考えない政府はけしからん」という強力な信念をお持ちの方には想像の及ばない範囲とは思います。とはいえ、公的セクターで仕事をしているとこうした再分配の拡充もそのための財源確保もままならない目の前の現実に対応しなければならないわけで、そのような現実に対応するために「増税が必要」と申し上げているつもりではあるのですが,まあそんな戯言には「財政均衡脳」というご指摘をいただくのがこの国の現実と認識しなければならないのでしょう。