2016年11月15日 (火) | Edit |
また浜田宏一先生の華麗な掌返しが炸裂していますね。

アベノミクス4年 減税含む財政拡大必要 内閣官房参与 浜田宏一氏(2016/11/15付)

 ――デフレ脱却に金融政策だけでは不十分だったということですか。

 「私がかつて『デフレは(通貨供給量の少なさに起因する)マネタリーな現象だ』と主張していたのは事実で、学者として以前言っていたことと考えが変わったことは認めなければならない」

 「(著名投資家の)ジョージ・ソロス氏の番頭格の人からクリストファー・シムズ米プリンストン大教授が8月のジャクソンホール会議で発表した論文を紹介され、目からウロコが落ちた。金利がゼロに近くては量的緩和は効かなくなるし、マイナス金利を深掘りすると金融機関のバランスシートを損ねる。今後は減税も含めた財政の拡大が必要だ。もちろん、ただ歳出を増やすのではなく何に使うかは考えないといけない」


まあ、こう頻繁に掌返しをされる浜田宏一先生に対して心ある方々の呆れた感嘆の声が上げられていますが、私としても厭債害債さんとjura03さんのご指摘に付け加えることは特にありません。
浜田センせぇー・・・(厭債害債(或は余は如何にして投機を愛したか) 2016/11/15 08:46)
扇動のための不当表示としての「リフレ派」 part152(今日の雑談 2016-11-15)

…というところで終わってしまうのもなんですので、himaginaryさんのところで取り上げられている指摘について考えてみます。

クリス・ディローが、トランプの人格が大統領職においてそれほど問題にならない可能性の理由として以下の3つを挙げている。

  • 人々はそもそも無知で偏見を持っているが、大統領は人々の代表であることが望ましい。
  • チェック・アンド・バランスというものが存在する。大統領ができることには憲法の制約があるのみならず、望むならば大統領は最高の助言が得られる。強力な支援ネットワークによって、人格の欠点の影響を和らげることが可能。
  • 人格よりは政策が問題。もしトランプがインフラに投資し、税体系を簡素化する一方で、保護主義や移民制限に関する公約を希薄化するならば、完全なカタストロフとはならないかもしれない。

大統領の人格が問題にならない時(himaginaryの日記 2016-11-11)
※ 以下、強調は引用者による。


前回エントリで取り上げたようなトランプ氏に対する支持は、「素人崇拝」が高じて、素人の意見を素人として発言する候補者に支持が集まったという面もあると思いますが、アメリカにはそれでも政策決定とその執行が円滑に進むような制度を作り上げてきたという自負があるのかもしれません。

翻って日本の政策決定過程を見ると、「猖獗を極めたカイカク病」を支えたのもまた「経済学的な正しさ」であって、そこにはチェックアンドバランスなどが機能する余地はないように思われます。「財政的な措置をしなくてすむように医療費を削減するための「経済学的に正しい」処方箋は、治療に高額の医療費を要するような疾病に罹患した患者には治療しないこと」というのは、こちらの本で指摘されている研究結果ですが、本書冒頭の青木昌彦先生の推薦文に続くこの序文がアツいんですよね。

 過去30年間、社会保障支出、医療支出の水準が一貫して主要先進諸国の中で最低レベルである日本の水準を、さらに公的部門の役割を縮小する「小さな政府」を目指すことで、先進国クラブと呼ばれる経済協力開発機構(OECD)加盟30カ国中最低レベルまで、ないし発展途上国レベルまで引き下げることを目指すと仮に日本社会が決めたとします。この場合、「どのようにして政府の財政負担を減らすか」という手段についても、「理念」抜きには語れません。政府の財政負担削減を至上の課題にすれば、多くの予防医療を「やめる」ことが有効な一案です。なぜなら、多くの予防医療を「やめる」ことで病気にかかり早死にすると、総医療費は節約できることを諸外国の厳密な医療経済研究が示唆しているためです(5章参照)。さらに、早死にした人々には年金を支給しなくてもよいので、財政負担を一層軽減できます。筆者は個人としての理念からこの案に反対ですが、読者の皆さんの賛否はいかがでしょうか。
 3つ目の提言は、日本の政策の形成・執行の各過程で評価を行うチェックアンドバランス機構を強化しなければ、改革は一度限りの打ち上げ花火で終わってしまうということです。日本での通説とは逆に、筆者の目には「米国の医療制度改革は非常に『慎重』であるのに対し、日本の改革は非常に『大胆』」と映ります。米国を含めた多くの先進諸国は、「政策は謝る可能性が高い」ことを前提に、制度改革には、「大失敗」を未然に予防するため幾重にもチェックアンドバランス機構を組み込んでいます。それに比べ、日本では欧米におけるようなチェックアンドバランス機構がきわめて貧弱です。(中略)このような政策上の失敗にブレーキを踏めるインフラを整備しない限り、3章で紹介する政策提言・評価のための経済学理論・実証分析手法も、日本では単なる絵に描いた餅に過ぎません。言い換えれば、政策の方向性・進捗状況すら判断できないままブレーキ・安全装置を外せば、とりあえず速度だけは上がることに嬉々とする類の大胆な改革が繰り返されるおそれがあります。
 4つ目の提言は、公的皆保険制度の役割を堅持した枠内で可能な改革案(5章参照)を実施することです。なぜなら、5章6節で詳解するように、ハーバード大学のシャオ教授によれば、すでに日本の現行制度は、コスト抑制にきわめて有効で、不変性の高い2つのタイプの政策を組み込んでいるからです。また、シャオ教授は、世界各地で失敗を繰り返した政策の例として、「患者の窓口負担増」「医療機関への診療報酬の一律引き下げ」「医療保険制度における民間企業の役割拡大」「医療機関への民間営利企業の参入」を挙げています
 根拠の曖昧な通説を、厳密なデータ分析の結果に基づいて覆すことは、筆者には知的興奮であり、ある種の快感でした。この体験を多くの人と共有したいという執筆の動機に、一人でも多くの読者が共感してくれることを願っています。
pp.006-008

「改革」のための医療経済学
ニューヨーク州ロチェスター大学助教授 兪 炳匡 著
定価 : 2,052円(本体1,900円+税)
発行 : 2006年08月
在庫 : 在庫なし(申込不可)
サイズ : 四六判 264頁
ISBN-10 : 4-8404-1759-8
ISBN-13 : 978-4-8404-1759-4
商品コード : T560090



上記のインタビュー記事で満面の笑みを浮かべる浜田宏一先生(いつの写真かわかりませんが)や、

で、この後は『(4)物価の基調的な動き』という小見出しがあるのですが、これは毎度おなじみ展望レポートで示されている盛大な屁理屈なのでどうでもよくて、しかしまあ2年で2%行かなかった場合の説明責任をこれで取ってるつもりなのかよというか、今にして思えばいわゆる岩田-翁論争の時にこの置物を叩き潰さないで妙な裁定をして有耶無耶にしやがった植田和男先生の責任も重いわとか思う訳で是非ご見解を賜りたいものであります。

では講演テキストの引用の最後に就任記者会見からのお言葉でも入れておきましょう。

『先程申し上げた「中期的」とは、大体2 年ぐらいであり、2%は2 年ぐらいで達成しなければいけないということです。2 年経って、2%がまだ達成できない、2%近くになってもまだ達成できていない場合には、まず果たすべきは説明責任だと思います。ただ、その説明責任を自分で果たせないということ、単なる自分のミスジャッジだったということであれば、最高の責任の取り方は、やはり辞任だと思っています。まずは説明責任を果たせるかどうかが基本だと思います。』(2013年3月21日の就任記者会見より)

岩田規久男副総裁 2015/05/28「札幌金懇ではまさかの「2%に達しない理由」の言い訳が登場とか見苦しいにも程がある」


と華々しくデビューされてから早3年半が経過する岩田規久男副総裁の健在ぶりを拝見するに、日本の政策の形成・執行の各過程で評価を行うチェックアンドバランス機構の強化は急務だなと思わざるを得ませんね。

いやもちろん、制度としてチェックアンドバランス機構を強化することも重要なのですが、こうした事態に遭って、浜田宏一先生やら岩田規久男副総裁を熱烈に支持していた一部のリフレ派と呼ばれる方々や、リフレ派の隠れ蓑を取り払った増税忌避な方々にとっては、その認知的不協和を改善してくれる新たな理論が待ち望まれるところですね。それがMMTなのか内生的貨幣供給システム論なのかよくわかりませんが、その行き着く先が無税国家であることは間違いなさそうです。

2016年10月30日 (日) | Edit |
数か月前の「「経済学的に正しい」ことへの絶対的信頼感」というエントリで引用したtweet主から新たにtweetがあって、追記しましたのでお知らせします。ついでに、これも以前読んだ本からこのように様々な「経済学的な正しさ」が群雄割拠する現状についてメモしておきます。

 大半のエコノミストの喧伝に反して、経済学には新古典学派の1種類しかないわけではない。本章では少なくとも9つの学派を紹介する。
 これら学派は不倶戴天の敵どうしというわけではない。むしろ互いの境はえてして漠然としている。経済学を概念化し説明する上ではさまざまな方法があること、いずれの学派も優位性を主張したり唯一の真理を自称できないことがわかればいいのだ。


ケンブリッジ式 経済学ユーザーズガイド

ハジュン・チャン著/酒井 泰介訳
ISBN:9784492314609
旧ISBN:4492314601
サイズ:四六判 並製 472頁 C3033
発行日:2015年05月22日


※ 以下、太字下線強調は引用者による。文中の注釈は省略。


いあまあ身も蓋もない指摘ですが、「経済学的な正しさ」というのは「ある考え方に基づいたときの推論」程度に考えるのが吉といえそうです。

で、新古典主義派についてこれも身も蓋もない指摘がされています。

 新古典主義の自由放任主義的結論がさらに強化されたのは、20世紀前半に重要な理論的進歩がみられたことによる。それは社会改善を客観視できるようにする理論だった。ヴィルフレード・パレート(1948~1923年)は、すべての主観的個人を尊重し、他の人を不幸にすることなく一部の人をより幸福にできたときのみが社会改善といえると唱えた。「公益」の名のもとにいかなる個人も犠牲になるべきではないということである。これはパレート基準として知られる考えで、今日の新古典主義経済学における社会改善をめぐるあらゆる判断の基礎となるものである。残念ながら、現実の世の中では、誰かを不幸にしない変更などないに等しい。だからパレート基準現状維持、すなわち自由放任主義にしがみつくうえで格好のレシピとなった。この考えを採用することで、新古典主義学派は強く保守性を帯びた
チャン『同』p.115
※ 太字強調は原文。

 新古典主義派は現状維持に傾きすぎである。個人の選択を分析するうえで、底流となる社会構造——金や権力の配分——を所与のものとして受け入れている。そのためこの学派では、社会を根本から変革せずに行える選択だけを見ている。例えば「リベラル派」のポール・クルーグマンを含む多くの新古典主義エコノミストでさえ、貧酷の低賃金工場の職を否定すべきではない、その代わりはまったく職がないことかもしれないのだから、と主張する。そのとおりだが、それは底流となる社会経済学的構造を疑わないからだ。ひとたびそんな構造自体を変える気になれば、こうした低賃金職の代りはいくらでも考えられる。労働者の権利を強化する労働法、工場への安価な労働力の供給を減らす土地改革、熟練職を創出する産業政策などを導入すれば、労働者にとっての選択肢は低賃金職か失業かではなく、低賃金職か高賃金職かになるのだ。
 新古典主義派では交換と消費に注目するあまり、経済の大きな——そして他の多くの学派によれば最も重要な——部分を占める生産を無視してしまう。この欠点について、制度学派エコノミストのロナルド・コースは、1991年のノーベル経済学賞受賞講演で、新古典主義経済学は「森のはずれで木の実とイチゴを交換する孤独な個人たち」の分析のみに好適な理論と切り捨てている
チャン『同』p.119


私自身も「主流派経済学」と呼ばれる経済学のトレーニングを受けた経験がありますので、拙ブログでもパレート最適を基準とする政策について書いたりしているところでして、「保守」を自認するブログ主としてはなるほどというところです。パレート最適基準に縛られている限り、新古典主義経済学が「底流となる社会構造」を所与のものとして考えるのは避けられないのは、冒頭で追記をお知らせしたエントリでも書いたとおりですね。

これに対して、権丈先生が「かつて世界を東西の真っ二つに分けて、今につづく人類同士のいがみ合いの思想的基盤を与えた」と指摘されるもう一方の経済学であるマルクス経済学については、アダム・スミスらによる古典主義では固定的と考えられていた階級を、マルクス経済学では社会を変革する主体になりうるとした点を重視して、このように指摘されます。

 マルクスはまったくちがう考えを持っていた。彼にとって、労働者らは古典主義者が言うような無力な「烏合の衆」ではなく、社会変化に積極的に取り組むエージェントである。マルクスはそれを「資本主義の墓掘り人夫」と呼び、ますます規模と複雑さを増す工場で組織技術と規律を鍛えられているとした。
 だが、マルクスは、労働者が随意に革命を起こし、資本主義を打倒できるとは考えなかった。機が熟す必要があると考えたのだ。それには資本主義が十分に発達し、制度の技術的要件(生産力)と制度的背景(生産関係)の矛盾がつのらなければならない、と。
チャン『同』p.123

 最後に、しかし決して些事ではないことに、マルクスは資本主義の発展過程において技術革新が持つ重要性を真に理解した最初の主要エコノミストで、それを自らの理論の中心に据えていた。
チャン『同』p.125


引用した1点目については、厨先生の『不平等との闘い』ではむしろ「古典派・マルクス的想定」と「新古典派」が対比されていましたが、階級を固定的なものと見るかどうかでは古典派とマルクス経済学は共通ではあっても、その階級が社会を変革するかどうかについての見立てでは異なっていて、それが階級闘争という考えにつながっていくかどうかの分かれ目となるのでしょう。
文春新書
不平等との闘い
ルソーからピケティまで
稲葉振一郎
定価:本体800円+税
発売日:2016年05月20日
ジャンル:ノンフィクション


そして引用した2点目を発展的に引き継いだのがシュンペーターだったわけでして、現代のカイカク派が好んで使う「創造的破壊」の起源が、技術革新が可能にした階級闘争によって社会の変革を想定したマルクスにあるというのもなかなかに示唆的ですね。

という本書のこの流れからすると、新古典主義主義、マルクス経済学ときてシュンペーターが来るかと思いきや、次に「デベロップメンタリストの伝統」なるものが登場します。これは、17世紀の重商主義に典型的な「理論的ではないが実用的で折衷的な要素」を引き継いだ考え方であり、ハーシュマンに代表される開発経済学へとその系譜が続くものと位置づけられています。

 先に指摘したとおり、統制のとれた総合理論を欠くことがデベロップメンタリスト伝統の弱点である。万事を解析できるかのような理論に引き付けられるのは人情である以上、新古典主義派やマルクス主義派のようなより体系的で自信を漂わせている学派に比べて、デベロップメンタリスト伝統は大きく見くびられがちだ。
 この伝統は、政府の積極的な役割を唱える他の学派に比べて、政府の失敗をめぐる議論により脆弱である。また特に広範な政策群を推奨しがちで、ひいては行政能力を濫用しやすい。
 これらの弱みにもかかわらず、デベロップメンタリスト伝統はもっと注目されてよい。その重要な欠点すなわち折衷主義は、むしろ強みになれる。世界の複雑性を考えれば、より折衷的な理論の方がその説明に有用かもしれない。第3章で述べた自由市場政策と社会主義政策を独自に取り合わせたシンガポールでの成功は、その好例である。それ以上に、歴史上で生み出してきた実績は、これが空論ではないことを示している。
チャン『同』p.130



そのデベロップメンタリスト伝統が弱点とされる政府の失敗論についても、容赦のない指摘が繰り広げられています。

 政府の失敗論は、経済あるいは市場の論理が政治に——そして芸術や学問など暮らしのその他の領域にも——優先すべきとするものだ。昨今ではとても広く受け入れられており、ほとんど当たり前になっている論だ。だがそこには深刻な瑕疵がある。
 第一に——エコノミスト以外にとっては当たり前だが多くのエコノミストにとっては受け入れ難いことに——そもそも市場の論理を暮らしの他の面に優先させるべき理由がない。人はパンのためにのみ生きているわけではないのだ。
 さらにこの議論は、何が市場に属し何が政治の領域に属するかをきっぱりと分つ「科学的」な方法があると暗に仮定して成り立っている。例えば、政府の失敗論者は、最低賃金規則や幼稚産業に対する関税保護などを、神聖冒さざる市場の論理に「政治的」論理を押し付けるものという。だがこれらの政策を正当化する経済理論は現に存在する。それなら彼らの実態は、他の経済理論に「政治的」とレッテルを貼って貶め、自分の主張が正当なのだ、これこそ経済理論だとばかりに言いつのっているにすぎない
チャン『同』p.364


ここで指摘されているような「経済学者」の皆さんの生態は拙ブログでは何度も指摘しておりましたので、繰り返しになりますが次のエントリなどどうぞ。
おっちょこちょい(追記あり)(2016年06月25日 (土))
歴史の読み違え(2012年05月04日 (金))
マクロとミクロの溝(2009年12月10日 (木))

まあ田舎の下っ端地方公務員ごときが経済学者に楯突くなど畏れ多いとご指摘を受けることも多いのですが、本書の「おわりに」でチャン氏は心強い言葉を記しています。

 プロのエコノミスト(筆者自身も確かにその一人だ)にも反駁を試みるべきだ。経済学に限ったことではないが、真実は専門家の専売特許ではない。第一に、たいていの場合、彼ら自身が合意に達せられない。実にしばしば、彼らは視野が非常に狭く、特定の方向に捻じ曲がっている。専門家の常で、エコノミストもフランス語で言う「デフォルマシオン・プロフェッショナル」すなわち専門バカである。プロのエコノミストではなくても、基本的な経済学の知識と政治的、倫理的、そして経済学的な考えを応用して健全な判断を下せることはいくらでもある。時には、こうした人々の判断の方が、現実に根ざし、視野が広いので、プロのエコノミストに優ることさえある。経済のような重大事をプロに任せ切るわけにはいかない。
 あえて一歩踏み込んで言おう。プロのエコノミスト——そしてその他の専門家——に果敢に論争を挑むことは、民主主義の基本であるべきだ。考えてみてほしい。専門家を盲信すればいいのなら、いったい何のための民主主義か? 半可通ばかりの世の中などゴメンだと思うなら、誰もが経済学を学んで専門家に挑まなければならない。
チャン『同』pp.421-422


まあもちろん、最後の点に関しては民主主義の危うさにも十分配慮が必要だろうとは思うところですが、引用部の前半は諸手を挙げて賛同いたしますので、引き続き節度を持ちながら「プロのエコノミスト」におかしな点があれば指摘していきたいと思います。

2016年10月17日 (月) | Edit |
長谷川豊氏の暴言については、すでにいろいろなところで指摘され尽くしていますし、本人も仕事を失うなどしてそれなりに社会的制裁を受けているようですが、かといって、この行為を長谷川氏の個人的な資質に限定する論調には疑問を感じるところです。

というのも、社会保障費が増大する中での財政的な措置については散々批判的だった方々までもが、長谷川氏の煽動的な物言いに反応して「弱者切り捨てだ」とか「財源問題に還元する緊縮主義者め」などと吹き上がっているのを拝見すると、「どの口でそれを言うか」といいたくもなるわけです。

以前から気になっていたことですが、拙ブログでも「経済学的に正しい」ことの無意味さを指摘してきたところではあるものの、最近になってこの言葉をしたり顔でおっしゃる方々にも、「経済学的に正しい」ことへ盲信されている方が散見されますね。ネオリベ、リベサヨを批判するその口で、「経済学的に正しい」ことを根拠として「消費税率引き上げを支持するなんて売国奴の財務省マインドめ!」という批判を飽きもせずに繰り返していますし、拙ブログでも、消費増税引き上げが「経済学的に正しくない」として実施できないために、それを財源とする再分配政策が貧弱なままであることを指摘すると、「再分配だけに財源問題を求める緊縮脳のデフレ派め」と罵倒されるところです。いやまあ「経済学的に正しい」という言葉を使うかどうかは別として、「経済学的に正しい」かどうかで二分するような議論を拝見していると、権丈先生のこの言葉の重みを改めて感じます。

そして口にするのも憚られることなのであるが、かつて世界を東西の真っ二つに分けて、今につづく人類同士のいがみ合いの思想的基盤を与えたのも、やはり経済学だったのである。

勿凝学問20 ノーベル経済学賞と学問としての経済学、そしてノーベルが思いを込めた平和賞(2004年10月26日脱稿)(Kenjoh Seminar Home Page)


話を長谷川氏の暴言に戻せば、社会保障関連の財政的な措置のための消費税率引き上げが「経済学的に正しくない」というのならば、財政的な措置をしなくてすむように医療費を削減するための「経済学的に正しい」処方箋は、治療に高額の医療費を要するような疾病に罹患した患者には治療しないことですので、消費税率引き上げに反対する方が長谷川氏の暴言を批判するのは筋が通らなさそうです。もしかすると医療費を削減するのではなく、国債の日銀引受で無税国家で社会保障拡充で「経済学的に正しい」ということかもしれませんが、まあ結局「経済学的に正しい」ことが正義であることには変わりないということなのでしょう。

長谷川氏の件は別としても、


なるほど、政府の緊縮志向を国民が理解しているから人々は政府支出に恒久性を信じないという理屈のようですが、政府支出の動向を逐一チェックして政府支出の恒久性を検証しながら自分の行動を決定するような「代表的個人」なる御仁は、この世の中にどれだけいるのでしょうかね。もちろん、代表的個人なんて経済学の理論を構築するうえでの仮定でしかないのですが、まさか「経済学の理論の通りにならない現実の方がおかしい」とまでは言わないにしても、「経済学的に正しい」ことに疑念を挟まない方々は、「経済学の理論の通りにやれば解決できる問題を、利権に絡め取られた政治家と既得権益に固執する財務省を筆頭とする官僚が間違った政策ばかりやるからうまくいかない」とおっしゃる傾向があるように見受けます。

まあ、「利権に絡め取られた政治家」とか「既得権益に固執する財務省を筆頭とする官僚」という「仮定」が正しいかどうかは疑問なしとしませんが、もしそれが「現実」だと考えるのであれば、その「現実」を「仮定」した理論を構築する方がよっぽど「現実的な」理論になるでしょうし、そもそもその「仮定」を所与のものとすることの妥当性にも考慮が必要でしょう。

そして、ここもクルーグマンは慎重に筆を運んでいますが、一般的な経済理論では賃金格差を是正することは需要と供給を歪ませて失敗するとしながらも、実際にはそうではなかったと強調しているわけです。

これは大変重要な指摘でして、一般的な経済理論に合わせるのではなく、その経済理論の前提となる制度や慣行を変えることによって望ましい結果をもたらすことの方が、一般的な経済理論に振り回される政策談義よりはるかに社会的に有意義だろうと思うところでして、「要は、失業しても死なずにすむ社会にすればいいってことですよ。そう考えるほうが、結果的により多くの命を救えるのではありませんか」というまっつぁんの言葉には改めて深く頷くところですね。

クルーグマンの変節(2014年11月24日 (月))


「消費税率引き上げは経済学的には緊縮財政である」というのも、消費税率引き上げによる税収増を政府支出に充てないことを「仮定」した議論(増収分を政府支出に充てるか公債費の償還に充てるかはファンジビリティの問題により財政上明確に区分することは不可能ですが)でして、その「仮定」について見方を変えてみることも必要ではないかと。


「緊縮財政」という言葉は、それを用いて議論する方によってさまざまな意味を持たされていますが、マクロ経済学的には「財政支出の削減」と「増税」はどちらも「緊縮財政」であるというのが「正しい」のでしょう。では「緊縮ではない財政」とは何かを考えると、「経済学的に正しい」という議論の「仮定」の貧弱さがよくわかります。まあおそらく最大公約数として「対前年度比で政府支出の額が増えること」が「緊縮ではない財政」を指すように思いますが、次のような項目はどのように整理されるのでしょうか。
  • その「政府支出」は名目か。またその支出先の所得効果はどのように評価するか。
  • その「政府支出」には特別会計、特に支払履歴に給付権が貼り付いた社会保険も含むか。
  • その「政府支出」は補正予算を含むか。
  • その「額が増える」場合には対GDP比率の上昇も含むか。
  • その「額が増える」場合には税収が減る場合を含むか。
  • その「額が増える」場合には、税収を超過した「政府支出」を含むか。
といった辺りは、特にどマクロな議論ではあまり意識されていないようですね。

でまあ、上記で並べたうちの最後の点を「政府支出の額が増える」場合に含むとすれば、毎年30兆円を超える国債を発行して政府支出の財源を確保している日本は、他のどの国よりも「緊縮ではない財政」であるということができます。平成28年度の一般会計(当初)でいえば、たったの58兆円程度の税収でもって、73兆円の政府支出だけでなく23兆円を超える公債費を計上して、34兆円を超える新規国債を発行しているわけですから、世界一の大盤振る舞いともいっても良さそうなものです。

いやもちろん、私もOECDの統計で30か国中下から10番目(2014年)の日本が「緊縮ではない財政」というつもりはありませんが、税収に対する政府支出でいえば、他の国に比べてかなり「無理」をしていることは明らかだろうと思います。そして、不況下にあって短期的に「無理」をして財政を支えるというならまだしも、「リフレ派の隠れ蓑も取っ払った増税忌避な方々は「国債の日銀引受でオールオッケー」という誠にシンプルなディシプリンで無税国家への道をひた走って」いる様子を拝見すると、この国の増税忌避の根強さを痛感します。それはおそらく、戦前から連綿と続く(政治家や役人の総体として)の政府不信企業を通じた所得保障裏打ちされていますので、そうした意識を変えることは難しいと思いますが、その「無理」が現在の再分配政策の行き詰まりをもたらし、将来の経済成長の果実を過去の債務償還に食い尽くされることがないことを祈るばかりです。

2016年06月25日 (土) | Edit |
前回エントリでちらっと触れた伝左衛門先生のtweetがtogetterでまとめられていましたので、こちらに貼っておきます。

伝左衛門 @yumiharizuki12 2016-06-06 03:16:38
リフレ派の本質は、日本の茶会運動。敵は今のところ消費税で、消費税率をゼロにすればすべて良くなると思ってる人たち、ということでよいだろう。
ですよね。消費税を廃止すれば日本経済は回復するんですよねw

伝左衛門 @yumiharizuki12 2016-06-06 03:23:56
日銀が国債をすべて買い取り、名目金利をゼロに抑え込むことが出来れば、自然利子率がプラスとして、フィッシャー方程式から、自然利子率分のデフレが発生する。経済が消費税率ゼロで活性化すれば、デフレでもプラスの名目成長は可能。つまり、元々、インフレかデフレかはどうでもよかったのですw

伝左衛門 @yumiharizuki12 2016-06-06 03:26:38
@myfavoritescene リフレ派が、財政政策で何か具体的提案を、バラバラでなくやってる印象がないんですがw
要するに「税金減らせ、社会保険料減らせ」しか聞こえて来ないのでw

伝左衛門 @yumiharizuki12 2016-06-06 03:33:28
@myfavoritescene だからマネタイズはどうぞやってくださいw
何でもいいから財政政策やれには、あまり賛成しません。内容によります。社会保障充実なら賛成しますが。
クルーグマンを信用するのそろそろやめようという心境です。

「東京財団モデルに不満のある人は、、、」(togetter)
※ 以下、太字下線の強調は引用者による。

その他の細かい部分には思うところもありますが、まあ概ね賛同いたします。一部のリフレ派と呼ばれる方々やその主張を賛同・支持されている(た)方々は、総需要不足こそを最大の問題点と認識し、その原因を消費税率引き上げに代表される重税によって、あるいは構造改革による規制緩和によって、可処分所得が減少したことに求める点でのみ一致しているのであって、その原因さえ克服できればインフレだろうがデフレだろうが実際は関係ないように見受けます。実質の購買力の低下こそが悪なわけですから、それが増税によるものであってもインフレによるものであっても、忌避すべきであることには変わりありませんよねえ。

でまあ、総需要という言葉で連想される支出が個人の耐久消費財とか食費とかになるのは、通常の生活をしている方々にとっては致し方のないことだろうとは思うのですが、人は病気にもなるし不慮の事故で障害が残ることもあるし先天的に重い障害を持って生まれてくる場合もあります。一般的な社会人が決まった日時・時間帯に就労している現代にあっては、親に代わって(の保育を補完して)社会が子供の出産から就学までの保育を確保する必要がありますし、その子供が就労するまでには親はもちろん社会が学習の機会を提供することによって稼得能力のある社会人として成長させなければなりません。さらに、稼得能力が衰えてしまった(を得ることができない)高齢者や障害者にはその生活を保障するために公的な支援が必要となる場合もあります。

これらの財・サービスへの需要も当然総需要に含まれるわけでして、その需要が供給側の未整備や不足によって制限されるようなことがあれば、それも総需要不足の大きな原因となります。その公的支援の供給を第一義的に支えるものが税収であることからすれば、税収を確保して供給体制を整備することが総需要不足の解消につながると考えるのがスジと思われるのですが、いやまあ茶会運動の方にこの理屈が通じるはずはありませんね。

ついでに、上記の引用部分で伝左衛門先生が「クルーグマンを信用するのそろそろやめようという心境です」とおっしゃるように、拙ブログでも「国際経済学者であるクルーグマンは「アメリカン・ケインジアン」な主張から「ソーシャル」な主張まで幅広く論じているのですが、それぞれのモードに限ればそれなりに整合性があるものの、トータルで見るとあちこちで齟齬を来しているように見受けます。特に日本では、どマクロな「「アメリカン・ケインジアン」のしかも金融政策に偏った主張をしてきたために、かえって「ソーシャル」な政策についての日本における理解を妨げてしまったのではないかと思うところ」でして、クルーグマンの言説を見るときには、アメリカ国民向けのアメリカ的「ソーシャル」モードなのか、他国向けのアメリカン・ケインジアン的な「リベラル」モードなのかを十分に吟味する必要があると思います。

まあ拙ブログでもこの読み方を習得するまでにかなりの時間を要しましたし、通常はこちらのブログ主さんのように、

最低賃金制の有害性としてクルーグマンが挙げる具体例はこんな感じ。

  • ファストフードの店長が従業員をクビにして、自分の息子を代わりに使った。(タダで、という意味でしょう)
  • 最低賃金を上げると職が少なくなるので、職探しが長期化する。
  • 非合法な仕事がはびこる。
  • 政府の検査官に賄賂を贈る。
  • 若年労働者の失業が発生する。
  • 一定以上の事業所に最低賃金規制がかかるため、規制を避けるために零細企業が増加する。(非効率になるでしょうね)
こんな感じ。
ほかの教科書と本質的に同じですわ。
読んでみて思ったのは、日本にはクルーグマンのファンが数多いて、クルーグマンによる最低賃金上げの政治的言説を信じ込んで飛びついていたりするので、「きっとクルーグマンの本しか読んでいないからなんだろう」と考えていましたが、私は間違っていましたね。
彼らはクルーグマンの教科書すら読んでいません。
クルーグマンは日本では芸能人と看做した方が良いのでしょう。

「2015-11-28 クルーグマンの教科書も認める最低賃金の有害性」(Maddercloud)

と教科書を読んで理解しようとされるだろうと思います。この『ミクロ経済学』でクルーグマンは、「政府の役人はしばしば下限価格規制の帰結に関する警告を無視するが,その理由は供給と需要のモデルが彼らの関係する市場を満足に記述していないと信じているからか,あるいはもっとありうるのは,彼らがそのモデルを理解していないからだ(p.112)」と最低賃金で規制する政府(役人)を批判していますし、リフレ派と呼ばれる方々の領袖とエースによる岩田・飯田(2006)で「政策当局が経済学の分析を無視することによって、社会に不必要な負担をもたらしている例」とおっしゃるのも、こうした世界標準の経済学の考え方(棒)に則ったものでしょう。

ところで、クルーグマンの『マクロ経済学』にも最低賃金の項がありまして、

 一般的に,拘束力を持つ最低賃金は構造的失業をもたらすものだ.だったらなぜ政府は最低賃金を課すのだろう,と思うかもしれないね.その合理的根拠は,最低賃金は働く人々が最低限の快適な生活様式を維持するだけの所得を得る助けになる,というものだ.だがこれには代価がある.もっとも低い賃金で働いてもいいと思っている労働者たちから仕事の機会を奪うことになるのだ.図15-2は,労働の買い手より売り手のほうが多いだけでなく,最低賃金で働く労働者数(QD)は,最低賃金がなかった場合に働く労働者数(QE)より少ないことを示している.
 ここで注意しておくべきことがある.図15-2で示したように,高い最低賃金が雇用削減効果を持つことには経済学者の間で広い合意があるが,それがアメリカで最低賃金がどう作用するかを示すふさわしい説明かどうかには若干の疑問があるということだ.(中略)だがほとんどの経済学者が,最低賃金を十分に高くすれば構造的失業が生じるということに同意している.
pp.431-432

クルーグマン マクロ経済学クルーグマン マクロ経済学

クルーグマン,P.著/ウェルス,R.著/大山 道広訳/石橋 孝次訳/塩澤 修平訳/白井 義昌訳/大東 一郎訳/玉田 康成訳/蓬田 守弘訳

ISBN:9784492313978
旧ISBN:4492313974
サイズ:B5判 並製 664頁 C3033
発行日:2009年03月20日

※ 太字強調は原文。


汎用性を最優先すべき教科書において自らの見解を書かないのはそれはそれで公正な姿勢だとは思いますが、それによって「教科書嫁」厨を喜ばせるだけになってしまっては教科書の汎用性よりも重大な問題を孕むものと思われます。とはいえクルーグマンは、『マクロ経済学』で「十分に」と絶妙な留保をつけている通り、

Until the Card-Krueger study, most economists, myself included, assumed that raising the minimum wage would have a clear negative effect on employment. But they found, if anything, a positive effect. Their result has since been confirmed using data from many episodes. There’s just no evidence that raising the minimum wage costs jobs, at least when the starting point is as low as it is in modern America.

Liberals and Wages Paul Krugman JULY 17, 2015

「少なくとも現代のアメリカくらいに低い最低賃金からスタートするなら、最低賃金の引き上げがジョブと引き換えになる(失われる)証拠はない」と言い切っていますね。岩田・飯田(2006)のようなおっちょこちょいを巧妙に避けているところこそが「世界標準」ではないかと思うところでして、maddercloudさんの言葉をお借りすればそれがクルーグマンが一流の芸人たる所以でしょう。

真面目にいえば、最低賃金を引き上げることによって労働市場に影響が出るのは、そもそもの賃金水準が最低賃金の網にかかるくらいに低いような低所得国であって、日本やアメリカのような先進国では『ミクロ経済学』のような極端な例は生じないという趣旨で『マクロ経済学』の説明を理解すべきだろうと思います。事ほど左様に経済学の理論やモデルというのは制度などの前提条件で結論が変わるものでして、高橋是清とか石橋湛山とか引き合いに出して現代の日本にそのまま当てはめようとするおっちょこちょいな方々も多いようですが、まあそういうことですね。

(追記)
ぶくまいただいたのですが、

API クルーグマンのモデルも東京財団のモデルと同じく、非現実的だしね。
リンク 2016/06/25

経済学のモデルっていうのは非現実的でもいいからベンチマークを提供するという程度のものではないかと思うところでして、飯田先生もお気軽なライフハックの思考法をオススメされていますね。

 大変便利な「その他」ですが、一つだけ気をつけて欲しいことがあります。それは、重要な項目を「その他」に入れないことです。自分が考えたいと思っている項目を「その他」にいれて、関心度の低い項目とごちゃまぜにしてしまうと、せっかく問題を整理しようとしているのに、意味がなくなってしまいます。まずは、今自分が考えたいことをしっかりと羅列したのちに、「その他」を使うようにしてください。
 余談ですが、本書で登場する思考に関する例が非現実的だと感じるとすれば、その理由の一つは、あなたの興味において重要なものが、本書にとっての「その他」に入ってしまっているからだと考えられます。しかし、あなたと私が一心同体でない以上、これは避けることができない事態です。
p.66

思考の「型」を身につけよう
人生の最適解を導くヒント
飯田 泰之
ISBN:9784022734808
定価:821円(税込)
発売日:2012年12月13日
新書判並製 232ページ 新書380

(略)
そりゃまあ、当面は困らない範囲なら深淵に見える問題をいったん脇においてもいいでしょうけれども、特にマクロの政策はあらゆる利害関係を調整しなければ実施できません。飯田先生が提唱される「思考の型」では、そのいったん脇に置いておいた問題について、現在の経済学が有効な政策を導くことはできないことを自ら示しているものと思います。

「陰謀論とレッテル貼り以外の道(2013年06月15日 (土))」

お気軽ライフハックですべての問題が解決するならそれはそれで素晴らしいだろうと思いますが、「モデルに現実性がない」という批判をされる方の経済学に対する考え方はなかなかに理解しがたいものがあります。

まあ以前は「売文家」を自認されていた飯田先生のライフハックはともかく、経済学におけるモデルの位置づけはマクロ経済学を専門とされている研究者の評価を参照するのが吉かと。

3. 将来の消費税率を変更した時に、経済成長率が影響を受けないことが、「非現実的」だと批判する人もいるらしいが、この仮定は中立的だという意味でリーズナブルだと思う。消費税率(あるいは一般的に経済政策)を変えた時に経済の動きがどのように変わるかということを考え出すと、どうしてもモデルの結果が恣意的になるので、経済政策が経済のパフォーマンスに影響を及ぼさないという仮定をきちんと明示した上で使う限り、この仮定でいいと思う。

4. 例えば、himaginaryさんがこのエントリで、消費税が引き上げられた時に経済成長率が下がる方が「現実的」(ブログのエントリのタイトルでは「もっともらしい」といっている)だと主張して、そのような要素を加えたモデルを考察しているが、こんなもん、現実的でもなんてもない、(もっともらしく見せた)恣意的な議論の好例である。消費税(あるいはVAT)が高い国は経済成長率が長期的に低いというような証拠は見たことがない(あったら教えて欲しい)。いわゆる(経済の構造が比較的似通っている)「先進国」の歴史を見ると、消費税の税率は国ごとに異なっているし、税率も時とともに変化しているけれども、経済成長率が消費税率と強く相関しているような話は聞いたことがない。(長期的な経済成長率が外生の)普通のモデルで考えても、消費税率を上げるとGDPの(成長率ではなく)「レベル」が下がることは考えられるけれども、その効果は一時的であり、成長率は長期的には元の外生的に設定されたものに戻るだけである。日本のデータにおいてこのようなモデルのインプリケーションが正しいかどうかは、期間が短い上に様々な要素をコントロールしなければならないので、良くわからないというのが正直なところだが、消費税率を上げると必ず経済が(長期的に)停滞するような証拠も乏しいと思う。

「Random Thoughts on a Model by Tokyo Foundation (Sunday, June 05, 2016)」(unrepresentative agent)

中立なモデルを「非現実的だ」と批判される方には、「あなたの興味において重要なものが、本書にとっての「その他」に入ってしまっているからだと考えられます。しかし、あなたと私が一心同体でない以上、これは避けることができない事態です」という飯田先生のライフハックをオヌヌメいたします。

2016年06月21日 (火) | Edit |
まあ自分でもよくわかっていない戯れごとだと思うのですが、需要が不足してデフレになっているというのは理屈としては理解できるものの、そういう事態が引き起こされている理由の説明がいろいろありすぎてなんでもありじゃね?とも思うわけです。総需要が不足しているのはバブル崩壊後に企業の人件費(労働分配率)が低下しているからとか、そのために所得が減ってデフレスパイラルに陥っているとか、さらにデフレで流動性(貨幣)選好が強くなっていて貯蓄に回って消費が減っているとか、政府の緊縮財政によって総需要が減らされているとか。

でまあ、ティンバーゲンなのかマンデルなのかわかりませんが、その定理によればそれぞれに政策が割り当てられるのではないかと思うところ、一部のリフレ派と呼ばれる方々にかかると「金融緩和(利下げ)汁! 減税汁! 財政出動汁! 国債発行汁!」が不動の4点セットになっているようにお見受けします。

浅学非才な実務屋である私にとって、インフレというのは、個々の財・サービスへの需要が高まって異時点間で価格が上昇するというミクロの価格決定過程をアグリゲイトしたものというイメージが強くあります。アベノミクスというか黒田バズーカ砲が発動されて既に3年以上が経過した現時点では、貨幣供給(政府紙幣なのか国債発行で非不胎化なのかわかりませんが)で2%のマイルドインフレを達成するという政策手段の有効性に全幅の信頼を置くわけにもいきません。

というところで、インフレは金融政策でしか達成できないのかと考えてみると、上述の通りミクロでの需要の高まりによる価格上昇のアグリゲーションであるならば、増税でもインフレーションと同じ状態になるように思います。財政出動汁!という方がそれほどまでに財政出動を求めるのなら、その財政によって供給コストが賄われる公共サービスの需要が高まっているはずですから、それに伴って公共サービスの価格としての税率が上がりそうなものです。

なんてことをいえば、ミクロの価格上昇とマクロのインフレの違いもわかっていないというどマクロなご批判をいただきそうですが、消費税なんてのはミクロどころではなくマクロな価格上昇ですし、これまでの税率引き上げ時に将来の増税を予定して駆け込み需要が生じる事実からしても、現状が流動性選好が強まっているという状態であるならば、少なくとも増税までに消費を拡大する効果はあるといえるでしょう。

あるいはインフレ予想があれば流動性選好が緩和されて貯蓄から消費に回ってデマンドプルのインフレになるが、増税はコストプッシュ型だから、たとえインフレと同じ効果があるとしてもけしからん!という方もいらっしゃるかもしれません。その主張の適否はわかりませんが、増税がコストプッシュだというなら確かに上述したような公共サービスに対する需要の高まりによるデマンドプルなんてものはありえないのかもしれません。

さらには、企業は収益を上げなければ人件費を賄えないが、政府は中央銀行に紙幣を刷らせることによってシニョリッジ益を得ることができるので、紙幣を刷ることによっていくらでも公共サービスの財源を賄えるという主張もよくありますね。特にデフレ下では日銀の国債引受で利子負担もなく国債を発行できるので、積極的に国債発行して財政出動汁!という主張も聞かれるところですが、ではOECDでトップクラスの公債費残高をたった20年程度で積み上げてきたこの国で、デフレを解消することもできず、「現金給付・公共サービスの対GDP比がフランスやスウェーデンの6割程度しかない中で、高齢化により高齢者向け支出(年金)がその約半分を占める」状況にあるのはなぜなんでしょうね。というか、政府の歳入としての国民負担率がOECDでも下位グループに位置するこの国で、経済成長で税収が増えたところで貧弱な公共サービスが飛躍的に伸びるはずなどないのですが、それも国債で賄えばいいとおっしゃるならば、リフレーション政策が奏功してマイルドなインフレになった後の国債発行の可能性は持続するとお考えなのでしょうか。

まあそう考える方がいらっしゃるのも気持ちはわからないではありませんが、いやそれにしても賃上げしないから所得が増えず、そのため消費が伸びないのでデフレになるという主張があるかと思えば、デフレこそが悪であってまず貨幣現象であるデフレを解消するために金融緩和汁!という主張もあり、それらを主張される方が口を揃えて増税なんてしたら可処分所得が減少して景気を後退させてしまうからけしからんので財政出動汁!と主張されているようです。私のような凡庸な頭ではなかなか整合性がとれませんねえ。

伝左衛門先生のTwitterがいつのまにか鍵垢になってしまったので直接引用はできませんが、拙ブログでも一部のリフレ派と呼ばれる方々は結局「増税忌避の隠れ蓑としてのリフレ派」だったのだろうと考えております。権丈先生が「構造改革の名の下に、社会保障を抑制しては国民の不安を煽り、彼らの消費を萎縮させておいて、内需主導の成長など起こるはずがない」と指摘される通り、増税忌避によって小さな政府を目指す方向性へ着実に歩を進めているのがこの国の現状であるにもかかわらず、その財源を確保するためであろうが何だろうが増税だけはまかり成らんという強固な信念に支えられた方々が一部のリフレ派と呼ばれる方々ですね。

一部のリフレ派と呼ばれる方々に賛同されていた方の多くはだいぶ雲散霧消したようですが、増税忌避だけは堅持されている方も見受けられるところでして、もはやリフレ派という隠れ蓑を取り払って単なる増税忌避派というのが実態に合っていそうです。増税忌避こそが経済学的に正しいという強固な信念に支えられた彼らにとって、私のような増税容認派は財務省に取り込まれた陰謀脳だから度し難いとして、軽蔑の対象でしかありません。来月の参院選挙では「連合するなら共産党が主張する消費税率引き下げ(廃止)の一択」かと思っていましたが、さすがにそこまでではないものの、すでに2度目の引き上げ延期は既定路線になっていますし、すばらしき経済学的思考の成果ですね!!!(棒)