2019年08月18日 (日) | Edit |
前回エントリの中で書いたところ、長くなったので別エントリとします。

ついでに、公益事業での勤務経験と経営経験をお持ちの方が、「正しいストライキのやり方について」を解説されているのですが、

サラリーマンが会社に対して自分たちの意見を言うためには、まずは労働組合があることが前提になるのです。

そして、通常、団体交渉に於いて自分たちの要求は「要求書」にまとめられていますが、その要求書を作るためには各職場で「職場集会」というものを何度か繰り返しながら、内容を練り上げていきます。

そして、最終的に要求書が出来上がると、その要求書に対して「スト権投票」を行います。

これはその組合の内部規定に基づき、例えば全組合員の3分の2以上の賛成等により可決されるもので、要求書に対してスト権投票が可決されることを「スト権の確立」と言います。

組合の代表者である委員長以下三役は、団体交渉で要求を提出するときに「スト権が確立している」旨を会社側に伝えます。この要求書の内容が認められなければ自分たちはストライキも辞さないという決意を団体交渉の席上で会社側に伝えるのです。

この要求書の提出により、会社側に従業員が考えていることが伝わります。そして、その内容が個人的な要求ではなく、労働者の総意であることも理解することになります。

「正しいストライキのやり方について」(鳥塚亮 | 元いすみ鉄道社長、NPO法人おいしいローカル線を作る会理事長 8/18(日) 9:45)

という部分は、日本の労働組合の手続きとして標準的なものだろうと思うのですが、

次に労働組合が行なうことは、その要求書と確立したスト権を届け出ることになります。

まず厚生労働省へ行き、スト権が確立している要求書を提出します。

これを「スト権ファイル」と言います。

スト権がファイルされると官報に掲載されます。

(略)

次に組合代表は労働委員会に赴きます。

労働委員会というのは国が所管する中央労働委員会〈中労委)と各都道府県の労働委員会というのがありますが、会社の規模によって、例えば事業所が2か所以上の都道府県に存在する場合は国が所管する中労委へ出向くことになります。

労働委員会では、組合代表は要求書の内容、要求書作成の経緯、会社の状況などを説明します。

そして、その説明と要求書の内容を見て、要求が妥当なものかを判断します。

「正しいストライキのやり方について」(鳥塚亮 | 元いすみ鉄道社長、NPO法人おいしいローカル線を作る会理事長 8/18(日) 9:45)

というのは、一部に大きな誤りが含まれてしますので、一応指摘しておきます。

まず、直前の引用部の前半で厚労省と中労委に届出を提出しているのは、労働関係調整法37条に定める争議行為の予告通知を指していますが、はてブでも指摘されている通り、これは同法8条1項に規定する公益事業にのみ適用されます。

争議行為の予告通知について
(1) 概要
 公益事業(*1)に係わる事業で関係当事者(*2)が争議行為(*3)を行うには、少なくとも10日前までに、労働委員会と厚生労働大臣又は都道府県知事に通知する必要があります。
 予告なしに争議行為を行った場合は、その争議行為の実行について責任のある者は処罰の対象となります。

(略)

(*1)  [公益事業]
 労働関係調整法が規定する公益事業は以下の事業です。
イ  運輸事業(*5)
ロ  郵便又は電気通信事業
ハ  水道、電気又はガス供給事業
ニ  医療又は公衆衛生事業

「争議行為の予告通知について」(中央労働委員会)

ということで、争議行為の予告通知を解説した部分は、ブリティッシュエアウエイズ旅客運航部長と労働組合書記長、元いすみ鉄道社長としての経歴を持つ鳥塚氏にとっては義務だったのでしょうけれども、本件はサービスエリアの飲食・小売業ですので、該当しません。

さらに、直前の引用部の最後の「労働委員会では、…、要求が妥当なものかを判断します」は明らかな間違いです。労組法、労調法とも、労使自治の原則に従い、他の法令に規定するものを除いて何を団体交渉事項とするかは自由としており、予告通知の内容をもって要求が妥当かどうかを労働委員会があらかじめ判断することはありえません。もしかすると、労働委員会の職員が届出に記載された交渉事項の確認をした際に、手続き的な観点で「これでストライキをやるのは無理ですよ。」とか、「この要求書の内容なら、社会の同意も得られますよ。」と雑談したのかもしれませんが、労使交渉に関与する趣旨であるなら労使自治への介入となり認められるべきではありません(すべての事業が対象となる争議行為発生届については追記をご覧ください)。

他の法令に違反する事項はその所管機関がその法令に基づいて処理することになるわけでして、

まあ、労働条件に関することを団体交渉事項とすることができますので、労使双方の合意があれば労基法違反の是正を団交事項とすることはできなくもありません。しかし、これに対して使用者側が交渉を拒否するなど労働基本権を侵害する行為を行ったとして労働委員会に不当労働行為の救済申し立てをする場合には、労基法違反の是正は救済を申し立てる内容からは除かれます。つまり、上記の法律に基づく紛争解決の腑分けによって、労基法違反は労基署で、法違反を除く民事上の紛争は不当労働行為の救済申し立ての内容として労働委員会で処理されることになるわけです。

Unfair Labor Practice(2014年08月31日 (日))


というわけで、この後も鳥塚氏の解説を僭越ながら採点してみますと、

ストライキというと通常は鉄道会社やバス会社、航空会社などの輸送機関が大きなニュースになります。それは社会に与える影響が大きいからですが、高速道路のサービスエリアもまったく同じで、社会に与える影響は大変大きなものがあります。

このように社会に公的なサービスを提供する会社というのはそれなりの使命があるわけで、そこで働く従業員というのはその使命をきちんと理解している必要があります。

は、前述の通り本件は公益事業に該当しないので誤り。

朝、職場に誰も出勤せず、営業を開始することができない状態を作り出すことを予告なく行うことで会社に対して実力行使に出たわけですから、労働争議の方法としては認められるべきことではありません。

これはストライキではなく「職場放棄」「サボタージュ」と呼べるものです。

したがって、今回の行為は社会的に認められるものではないということになります。

は、労働組合が決議したものでない限りにおいて「労組法上の救済を得られない」というのであれば正しいのですが、労働組合が決議したものであるならこの指摘は当たりませんし、そもそも鳥塚氏が「社会的に認められるものではない」という場合の「社会」がどういうものか、ちょっと怪しいですね。

と思って読み進めると、

では、なぜ、こういう職場放棄が起きるのかという問題ですが、ひと言でいうと労働者が法律を知らないことが原因です。

ストライキを実施する場合の手順がわからないのです。

では、なぜ労働者が法律を知らないかというと、その理由は「世の中が豊かになったから」だと考えます。

(略)

このようにして労働組合は弱体化していきました。

折からバブル崩壊、湾岸戦争、リーマンショックなど不景気要素が続き、労働者が置かれている労働環境はどんどん厳しくなっていきました。

賃金が上がらないばかりではなく、過労死や自殺なども社会問題になってきました。

もし、会社の中で労働組合がきちんと機能していたら防げたかもしれないような事象がたくさん見られるようになりました。

でも、労働者は自分たちではどうして良いのかわからない。これが今の時代です。

この(略)とした部分の前後のつながりが、「世の中が豊かになったから」といいながら、「労働者が置かれている労働環境はどんどん厳しくなって」、「労働者は自分たちではどうして良いのかわからない」というのは、いかにも辻褄が合いませんね。拙ブログでも集団的労使関係の再構築は何度も取り上げていますので、参考までにリストアップしておきます。

自らの交渉力を低下させる労働組合(2009年06月14日 (日))
紛争になってからではもう遅い(2009年10月15日 (木))
個別労働関係紛争を狙う労働組合(2009年11月13日 (金))
集団的労使関係の未来とは(2011年10月10日 (月))
つまみ食いをすることは許されません(2016年06月19日 (日))
企業内組合の里心(2019年05月03日 (金))

(追記)
本件は争議行為の予告通知には該当しませんが、労調法9条の規定により、全ての事業において争議行為が発生したときは、その当事者は、直ちにその旨を労働委員会又は都道府県知事に届け出なければならないとされています。この場合においては10日前という制限がないので、スト権確立の時点ではなく実際に争議行為が発生した後(「直ちに」なので時間的即時性は強くなりますが)に経過等を届け出ることになります。なお、争議行為の予告通知は罰則がありますが、争議行為発生届は罰則はありません。
参考:争議行為発生届について(中央労働委員会)

2019年08月18日 (日) | Edit |
たしか労働法の先生のものと記憶しておりますが、「労働者でも使用者でもなく労使関係の味方」という言葉に賛同する者としては大変興味深い事案が発生していたようで、さすがのhamachan先生が早速取り上げられています。


https://news.livedoor.com/article/detail/16931924/

お盆真っ最中に大騒動だ! 帰省中のマイカーで混雑する東北自動車道。その上り線にある「佐野サービスエリア(SA)」(栃木県佐野市)のレストランなどが14日、運営会社の従業員たちによる“ストライキ”で営業休止となった。現場には「社長の経営方針にはついていけません」「解雇された部長と支配人の復職と、経営陣の退陣を求めます」との貼り紙が残されていた。佐野ラーメンを提供する人気SAで、この時期は一年でも特に人が訪れる書き入れ時のはず。いったい何が起きたというのか――。

この記事、タイトルは「お盆に!東北自動車道・佐野SAスト内情 運営会社社長の悪評」なんですが、記事中の「ストライキ」に引用符がつけられているように、厳密な意味での労働組合法及び労働関係調整法上の労働争議に当たるかどうかは疑問があります。というのも、この貼り紙には「ケイセイフーズ従業員一同」の名で、「従業員と取引先のみなさんの総意です」とあります。

・・・従業員らで片付け作業に入り、14日未明にSAを閉鎖。従業員らは「おなかが痛いので休む」という名目で14日の出勤を取りやめた。参加人数は40~50人。当面の目標は「部長の不当解雇撤回」だという。・・・


従業員による集団的行動であることは間違いないのですが、労働組合を結成しているわけではないし、「おなかが痛いので休む」のでは、争議団ですらない。

中身は立派な、というか昔はよく見られた集団的労働紛争そのものなのですが、それが労働争議という形をとらない、取りにくい、という点に今日の日本社会の姿が凝縮されているのかもしれませんね。

(略)

そういえば、朝の連続テレビ小説「なつぞら」でも、モデルの奥山玲子さんは東映動画労働組合で活躍していますが、テレビでは「労働組合じゃない、個人の総意」になっていました。現実には集団的性質の労働問題は山のようにあるのに、それを受け止める集団的労使関係システムが完全に動きがとれなくなり、個別労働関係の集合としてしか現れてこなくなっている現代に、かつての労働運動華やかなりし時代を描こうとすると、こういうずれが生じてしまうのでしょうか。

(追記)

普通のマスコミが報道してくれないので、スポーツ紙情報に頼らざるを得ず、どこまでが正しい情報なのかよくわからないのですが、上記記事では労働組合を結成して労働争議を行っているのではなさそうだという前提で書いたのですが、別ソースによると、ちゃんと労働組合を結成しているようでもあります。

https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/201908160001131.html

運営会社の従業員のストライキにより、14日未明から営業がストップしていた、東北道・佐野サービスエリア(SA=栃木県佐野市)上り線のフードコートと売店が、スト発生から2日後の16日、営業を一部再開し、名物「佐野ラーメン」の提供が始まった。
ただ、店頭に立った人員は代替要員だといい、ストを起こした従業員たちは「我々の味ではない」と反発した。経営陣との直接対話も実現せず、団体交渉の可能性も探るなど、事態は長期化の様相を呈している。

・・・また、岸社長がストを起こした従業員と連絡が取れないと語ったことを伝え聞くと、首をかしげ「経営陣にはコンタクトを取っていますが、交渉は出来ていない」と断言。打開の糸口が見えないこと、7月に労働組合を結成したことを踏まえ(1)通常の職場環境の回復(2)ストの発端となった親会社の資金繰りの悪化について、今後の給与の支払いと商品の安定した仕入れに問題はないかを再確認するため、団体交渉を行う方向で弁護士と協議を始めた。また一部の労働団体にも相談を始めたという。


こちらの記事によれば、7月に労働組合を結成しているようです。ただ、団体交渉は要求せずに、いきなりストライキ?/おなかが痛いので休む?に出たようで、正確なところは不明確です。

いずれにしても、マスコミも含めて、集団的労使関係法制について常識が払底してしまっている現代を象徴する事態であることは確かなようではあります。

「「労働争議」ではない集団的労働紛争(2019年8月17日 (土))」(hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳))

いやもう、ほぼ引用してしまって付け加えることは特にないのですが、労働組合法の規定について若干補足すると、労働組合というのは労働者が自由に結成することができ、この労働組合は内部の手続きを経て独自の判断でストライキ(同盟罷業)を開始することができます。この同盟罷業は団体交渉が行き詰まって交渉の妥結が難しい局面にあって、使用者側に譲歩を求めるために行われるものであるため、つまりは労使間の紛争が起こりそうな緊迫した場面で行われることが多いといえます。

このため、労働組合としては、使用者側の不当労働行為に備えて労働委員会への救済申立の準備をしておく必要があり、具体的には不当労働行為の審査を行う労働委員会に、(通常は救済申立と同時に)労働組合の資格審査を申請することとなります。その労働組合の資格は労組法2条と5条2項の各号に要件が定められていて、その中で労働組合の規約において「同盟罷業は、組合員又は組合員の直接無記名投票により選挙された代議員の直接無記名投票の過半数による決定を経なければ開始しないこと」を規定しておくことが求められます。

でもって、hamachan先生が「「おなかが痛いので休む」のでは、争議団ですらない」とおっしゃる「争議団」とは、上記のような労働組合の資格審査を受けない、あるいはそもそもその資格を満たさない労働者の集団も、争議団として団体交渉はできるものの争議権の行使までは認められずには労組法上の保護が与えられず(8.22訂正)、それに対する使用者からの不当労働行為類似の行為があっても、その救済を受けることができません。今回の「スト」が資格を満たす労働組合によらず、争議行為でもないのであれば、その争議団にすら該当しないということですね。

というのも、争議目的で年休を一斉取得すると労働争議とされて有給とはなりません(いわゆる年休の争議目的利用の判例としては林野庁白石営林署事件(最二小判昭48.3.2)などがあります)ので、あくまで年休であるなら争議団にも該当しないことになるからです。とはいえ、hamachan先生が追記で引用されているように、労働組合としての資格を満たして行われた同盟罷業であるならば、なぜわざわざ「おなかが痛いので休む」という名目で休んでいるのかよくわかりません。むしろ争議団にも該当しないなら年休として有給で処理されるかもしれませんが、労働組合でありながらそれを狙ったというのであれば、やや手続きが混乱しているように思われます。

と思いきや、解雇されたという総務部長さんが公開質問状を出したとのことで、もしかすると、この労働組合は資格を満たさないために苦肉の策として年休の一斉取得という手段を選んだのかもしれません。

佐野SAスト社員が公開質問状「融資凍結で経営危機」[2019年8月18日14時17分](日刊スポーツ)

今回、質問状を公開したのは、スト前日の13日午後、岸社長に経営危機について追及、糾弾し解雇された、総務部長の加藤正樹氏。加藤氏は、ケイセイ・フーズが栃木県佐野市に本社を置く片柳建設のグループだとした上で「ケイセイフーズは銀行から片柳建設グループとみなされています。メインバンクから、片柳建設グループ全体に対し、新規融資凍結処分が下されてそろそろ3カ月。借金の返済の滞納も3カ月目」として、ケイセイ・フーズのみならず、片柳建設と一連の関連会社が、借金の返済を滞納していると主張。「この問題が解消しないかぎり、我々従業員だけが戻っても、問題は解決しない可能性がきわめて高いのです」と、佐野SAの労使問題が解消しても、根本的な資金繰りに大きな問題があると指摘した。

この点について、周知の通り労組法2条1号では、

役員、雇入解雇昇進又は異動に関して直接の権限を持つ監督的地位にある労働者、使用者の労働関係についての計画と方針とに関する機密の事項に接し、そのためにその職務上の義務と責任とが当該労働組合の組合員としての誠意と責任とに直接にてヽ いヽ触する監督的地位にある労働者その他使用者の利益を代表する者の参加を許すもの

と規定しており、いわゆる管理職になると労働組合に入れないというのはこの規定が根拠となっているわけですが、総務部長というのは通常人事権を持っているでしょうし、経営にも一部は参画しているでしょうから、解雇された当事者である総務部長が労働組合に加盟すると、労働組合の資格を満たすことができません。となると、交渉権は認められるものの、争議権が認められないために対する不当労働行為への救済が与えられないため(8.22訂正)、年休の一斉取得という手段を執った可能性が考えられます。まあ真相がわからないまま憶測を重ねても詮無いことですので、続報を待ちたいと思います。

(8.22追記)
争議団の争議行為についての記述に誤りがありました。お詫びして訂正いたします(本エントリは見え消し修正済みです)。
本エントリで憶測しておりました総務部長と労働組合の関係について、本人へのインタビュー記事がアップされていました。

ただ、これもなぜ組合名義の声明でなかったのかは疑問が残るところだが、この点について加藤氏は「損害賠償等が発生した場合、私以外に行ってほしくない」ことや、「管理職なので、私が労組に入ると労組法上の労組ではなくなる恐れがあるため、私自身は組合員ではないから」といった理由を上げていた。

「東北道上り線佐野SA「スト」を報じるメディアに抱いた違和感 2/3(2019.08.22)」( ハーバー・ビジネス・オンライン)


ということで、総務部長ご本人は労働組合には加入していないので自主性不備組合ではなく、不当労働行為の救済を受けられる法適合組合のようですが、となるとなおさら「おなかが痛いので休む」というのはよくわかりませんね。

なお、続報となった記事については労弁の嶋﨑量氏が適切に解説されていますので、元記事にどれほどの信憑性があるかはある程度留保しておくほうがよさそうです。



事実を的確に指摘されているtweetのみを引用しましたが、私も一部不正確な書き方をしてしまったことは反省いたします。

なお、全体の主旨としては労働組合に対する意識が薄れていることに違和感を表明している記事に対して、使用者側が主に読むような媒体だからといって間違った部分をことさらにあげつらって攻撃的な批判を被せてくる辺りに労弁らしさを感じるところではありますがまあそれはそれとして、この記事の最後の部分には全面的に同意いたします。

 メディアであれば、営業再開を喜ぶ利用客の声を報じたとしても、その一方で、従業員がこのような行為に踏み切るに至った経緯を報じる必要があるし、この営業再開についても、違法行為ではないとしても、「スト破り」と呼ばれる行為である可能性が高い点などについても、同じくらい時間を割いて報じるべきではないだろうか。一方的に利用客が不便を訴える様子を映しているだけでは、「ストライキは労働者の権利」であることすら忘れ去られてしまう。

 折しも、NHKの朝ドラ『なつぞら』でも、主人公たちが会社と交渉を行う様でも頑なに「組合ではない」ことを強調するかのようなシナリオに、SNSでは疑問の声があがっていた。

 メディアがこうして組合活動をタブー視したり、世間からネガティブな視線を受けるようなものであるように報じる風潮は、結果として労働者の環境を悪くしていくことに繋がってはいないだろうか?

「東北道上り線佐野SA「スト」を報じるメディアに抱いた違和感 3/3(2019.08.22)」( ハーバー・ビジネス・オンライン)



2019年05月03日 (金) | Edit |
元号が変わっておとといのメーデーと本日の憲法記念日ということで、毎年恒例の集団的労使関係論となりますが、前回エントリでご紹介した『HRmics vol.32』では、hamachan先生の連載「原典回帰」で藤林敬三著『労使関係と労使協議制』が取り上げられています。もちろん私のような浅学非才の徒は藤林敬三といわれてもピンとこないわけですが、本文によると「戦前から活躍した労働経済学者ですが、戦後は神奈川県地労委、そして長らく中労委の委員を務め、最後は中労委会長として1962年に亡くなり、その遺稿をまとめたのが本書です」とのこと。つまり、集団的労使関係の紛争処理機関である労働委員会で、労使紛争華やかなりし時代において調整や不当労働行為事件の審査に尽力された経歴の持ち主であり、集団的労使関係論を論ずるに相応しい人物といえるでしょう。

hamachan先生が紹介されているのは本書のエッセンスではありますが、その半世紀以上前の高度成長期まっただ中の論説と思えないほどに現在の労使関係を描出する内容となっていて、その慧眼に感服せざるを得ません。その藤林の基本的な視点は「労使関係は本来二元的関係である」というものでして、本書の記述から引用すると、

私のいう第一次関係というのは、いいかえれば経営対従業員関係を意味し、第二次関係というのは経営対組合関係を意味している。そしてこの第一次関係と第二次関係をさらに別の見方からすれば、第一次関係すなわち経営対従業員関係は、元来が労使の親和、友好、協力の関係である。これに対して第二次関係すなわち経営対組合関係は、もともと賃金ならびに労働諸条件、すなわち団体交渉の中心的な事項を対象としている。これらの労働諸条件の維持・改善を中心にして考えれば、労使は明らかにここで利害が対立している。したがって労使の利害対立、ときには労使が相争う関係がここで考えられなければならない。このように第一次関係、第二次関係を区別してみると、この二つの関係は性格上まったく相異なるものであるといわなければならない。(8頁)

藤林『労使関係と労使協議制』1963年(HRmics vol.32)p.32
※ 以下、強調は引用者による。

労使が親和的な第一次関係と利害が対立する第二次関係が労使関係の本来の姿であり、特に企業内組合が主体となった日本の職場はまったく異なるそれら二つの性格のうち、第一次関係に傾きがちというのが藤林の洞察であって、それが第二組合の発生を誘発するというメカニズムを解き明かします。このメカニズムはやや込み入っておりまして、経営対組合関係である第二次関係については、企業外部のナショナルセンターを頂点とする上部団体の指導(オルグ)によって強化されますが、そこでは第一次関係に傾いている企業内組合の姿勢が否定され、妥協を許さない教条的な姿勢に傾斜することとなります。その傾斜が強まった結果として、上部団体に導かれて第二次関係を志向する教条的・闘争的組合と、もともとの第一次関係を志向する(藤林は「里心」と表現しています)労使協調的組合に分裂することになるというわけです。

実は、拙ブログでは「第二組合が第一次関係を志向したために、企業内で組合が分裂してしまった」という書き方をしておりましたが、

というわけで、労働組合を保護するはずの労働組合法や労働委員会が、労働組合を分断化させてしまってその交渉力を弱体化させているというのが、日本の集団的労使関係の特徴となります。本来であれば、弱体化された労働組合の側からそのような制度を改正するよう求めるべきですが、労働組合側はそうしませんでした。なぜなら、そのような分断化された労働組合を認めなければ、現存している少数組合が存在できなくなるからです。そのような交渉力の弱体化と引き替えに、自らの組織を維持することを正当化する労働組合側の論理が、「交渉権の人権的把握」だったわけです。
(略)
というわけで、「交渉権の人権的把握」によって少数組合の存在を正当化したのは確かに労働組合であって、その意味では自業自得ではありますが、それを認めてきたのは労組法だったり労働委員会という行政委員会制度でした。そしてそれは、「少数組合を保護せよ!」という日本の左派陣営特有の主張によってもたらされた帰結でもあったわけで、労働組合だけの自業自得というよりは、戦後の日本の労働史観とでもいうものがあまりに労使対立路線と個別の組合保護に偏重していたことの結果だったように思います

自らの交渉力を低下させる労働組合(2009年06月14日 (日))
※強調は引用時。

この部分はむしろ、もともと第一次関係を志向する企業内組合が、ナショナルセンターや上部団体によるオルグによって先鋭化して第二次関係に傾いたものの、これに反発して第二組合が結成され、もともとの第一次関係が企業内組合の主流派となり、先鋭化した第二次関係を志向する組合が少数派となったというのが真相というところですね。もちろんこれは全体的な傾向をまとめたものであって、個々の企業や業界では逆に第二次関係が主流派となっているところもある(医療関係とか私学関係とか)ので、すべてがこれに当てはまるわけではありませんが、現在の日本の労使関係の描出として、藤林の指摘は首がもげるほど首肯するところです。

藤林の論説の詳細はぜひリンク先の本文をご覧いただきたいのですが、藤林の半世紀前の見通しとhamachan先生の指摘は、この国の労働組合関係者が熟読玩味する必要があると思います。

…なにしろ、そのいうところの雰囲気闘争、ムード闘争に満ち満ちていたころとはうって変わって、現在の日本は争議行動を伴う争議件数が1年間で68件という世界的に見ても超争議レスな労働社会になってしまっているからです。
 ところがさにあらず。藤林が労働委員会で連日争議の斡旋・調停に汗をかいていたころと、争議がほぼ完全に姿を消した今日とは、同じ企業内組合と経営の関係が違う現れ方をしているという意味で、実はコインの表と裏の関係にあるのです。
(略)
「…およそこのような労使関係へのクレッグ的な見解を論理を十分に味わうことも知らないままで、労使協議制をいちだんを大きく植え付けようとすることは、企業内組合をさらにhome unionismにいっそう転落せしめ、組合を去勢してしまうことにほかならないのではないだろうか。したがって、労使協議制の確立が労使関係の近代化あるいは民主主義化の方向を拒否するのではなく、むしろこれを前提とするか、あるいは少なくともこれと並行して推し進められるべきものであるとするならば、われわれの場合に今日まず考慮すべきことは、労使協議制の確立ではなく、労使関係の近代化であり、民主主義化である。言葉をかえていえば、企業内労組の存在を企業の内深く押しこめるのではなく、反対にそれを企業の外に向けしめることである。」(210〜211頁)

濱口桂一郎「原典回帰 第11回 藤林敬三著『労使関係と労使協議制』」(HRmics vol.32)p.42

「クレッグ的な見解」は引用部のみでは示されていないので推測ですが、企業内組合が労使協議制に特化していくと労使関係の近代化や民主主義化と逆行するという指摘だろうと思います。「働き方改革」が政治イシューになるというのは、上記エントリを書いていた10年前にはなかなか想像しがたい事態ではありますが、いつまで経っても集団的労使関係が政治イシューとなることはないところでして、日本の労使関係が前近代的な状態に据え置かれたままで「働き方改革」が実効性あるものとなるのかは甚だ疑問ですね。

なお、細かい指摘で大変恐縮ですが、上記のhamachan先生の記事のp.43に用語解説がありまして、労働委員会の説明で「都道府県が設置する地方労働委員会」という記載になっているのですが、地方自治法の改正により2005年から「都道府県労働委員会」となっております。それ以前は「ちろうい」という呼び名で一括できたので「地方」と付けたくなるところですが、いまは「とろうい」とか「けんろうい」とか呼び分けなければならなくて面倒ではありますね。ついでに、p.44の海老原さんの指摘で第一次関係と第二次関係が入れ替わっているように思うのですが、イギリスとドイツの制度に関連させた説明ではそのような分類になるのでしょうか。

2019年05月02日 (木) | Edit |
ここしばらくはほぼ月一の更新となっていて4月の更新も飛んでしまい、なかなかブログに手を付けられない状況でしたが、改元10連休の前半で積み残し案件がある程度目処がついたので、こちらも積み残しのネタを書いておきます。

ということで、GW直前に『HRmics vol.32』をご恵投いただきました。いつも場末のブログにお気遣いいただきありがとうございます。今回のテーマは「外国人就労問題、総点検」ということで、昨年改正された出入国管理及び難民認定法(入管法)の制度上の問題やこれまでの技能実習制度の実態が検証されています。本特集でも「けっこう厳しく管理されている技能実習制度」と示されているように、今次の改正以前にも数度の法改正を経て監理団体や企業に対する規制そのものは強化されておりまして、帰国予定の実習生、帰国後の実習生それぞれを対象とした調査において、95%以上が「役に立った」「とても役に立った」と回答していることからもそのことは伺えるだろうと思います。

ただし、法改正の過程で法務省が示した技能実習生が失踪した理由のデータで誤りが判明したように、その制度の中で問題を抱えた技能実習生がいたのも事実ですし、一部でもそのような問題があるならば制度そのものを廃止すべきとの議論も、(議論の仕方としては別ですが)まあそういう心情は理解できないではありません。

一方で、本特集では、女性や高齢者の就業参加がすでにある程度進んでいる現状を示し、これからの新規の就労参加は頭打ちになるので、人手不足解消のために外国人就労が増加せざるを得ないとしているのですが、これもやや一面的な分析ではないかと思うところです。というのは、人手不足はもちろん需要と供給の比較でもって需要が上回っている状態を指しているわけでして、需要そのものが減少していけば少ない供給でもバランスすることになります。人口減少そのものによって需要が減少することもあるでしょうし、劇的にではないにしろ、AIやらRPAやらで業務が効率化することによる需要の減少もあるでしょう。海老原さんご自身も「「AIに雇用が奪われる」といっても、人口が減少していく社会にあってはむしろそれが必要な面もある」という趣旨の指摘をされているところですし。

いやもちろん、ここは細かい分析が必要なところでして、本特集で指摘されているように、賃上げしても求人を満たすことができない企業や、そもそも賃上げする余裕のない企業では外国人就労に頼らなければならない現実があって、それが外国人就労の主な需要者といえるでしょう。というと「そんな賃金しか払えない企業はさっさと廃業しろ」という「正論」が繰り出されるでしょうけれども、そういう企業は農林水産業とか小売・サービス業だったり建設業とか警備だったり、要は経済が成熟化したこの国ではそれほど付加価値を生まない(とみなされる)けれども、新興国では十分に付加価値がある業種であるならば、そのような国から就労者を受け入れて、技能実習を行うという大義名分は(実態はともかくとして)成立するということに留意が必要です。つまり、「一時的労働力としての技能実習」に対して、上記のように就労した外国人が「役に立った」と評価するというように需要と供給が一致するならば、制度そのものは成り立つわけですね。

でまあ入管法もその大義名分を強化する方向で改正されたわけですが、受け入れる日本企業は、「「職務遂行能力」なるものが企業内で機能しなければならないのは、入社する前の段階の教育で「職務」に必要な専門能力を身につけていないことの裏返しであって、それが変わらない限りは「職務遂行能力」に頼らざるを得ないというジレンマ」に陥っているわけでして、技能実習するといいながら、職務無限定であるためにパワハラOJTが主流となっている日本型雇用慣行では、肝心の「技能」のみではなく「職務無限定な働き方」をも身につけてしまうことになります。実際に、上記の技能実習生が失踪した理由の中で、「指導が厳しい」(5%を13%に修正)、「暴力を受けた」(3%を5%に修正)という理由はまさに、パワハラOJTが主流となっている日本企業の実態を示しているものと考えられます。

ということで、その実態は「技能を実習する」という目的に必ずしも合致しない日本型雇用慣行において、外国人技能実習生を受け入れるということは、本来なら日本型雇用慣行に親和的な日本の教育機関を卒業した新卒採用者や中途採用者を代替するということにほかなりません。つまり、改正入管法が「技能を実習する」という大義名分のために使用者側を厳しく規制しているにも関わらず、パワハラOJTでしか技能を実習できないために「指導が厳しい」「暴力を受けた」として失踪する技能実習生が一定程度発生してしまう理由にもなっています。これはちょうど、hamachan先生がワークライフバランスに関して、雇用慣行そのものにおける規制とそれに対する特例をそれぞれ第1次、第2次と分けた議論と重なるように思います。hamachan先生の「Web労政時報」の連載から引用しますと、

濱口桂一郎「第1次ワークライフバランスと第2次ワークライフバランス(2015年11月2日)」

 ものごとを論ずる際にはまず基本に返る必要があります。ある一定時間以上働かせてはならないという労働時間規制は、ワークライフバランスに対してどういう効果を持つでしょうか? いうまでもなく、職場の仕事以外にさまざまな役割を担わなければならない労働者にとっては、プラスの効果を持ちます。労働時間が規制されているがゆえに、例えば子供に朝食をつくってあげてから会社に向かうことができます。家に帰ってから子供に夕食をつくってあげることができます。労働時間の柔軟性(フレクシビリティ)ではなく硬直性(リジディティ)こそがワークライフバランスを保障するのです。これが出発点です。これを「第一次ワークライフバランス」と呼びましょう
(略)
 第二次ワークライフバランスは遜色がないくらい充実しているのに、育休世代が深刻なジレンマに投げ込まれるのはなぜなのか。それはその基盤となるはずの第一次ワークライフバランスが空洞化しているからですね。ヨーロッパでは、育児休業を取っている人や短時間勤務をしている人以外の労働者も、第一次ワークライフバランスは確保されているのが前提です。ところが、日本ではそうではありません。日本型雇用システムの下におけるワークライフ分業では、男性正社員は時間無制限の労働義務を負う代わりに女房子供を養う賃金を生涯にわたって保障されるという等価交換が成立していました。法律上は存在することになっている第一次ワークライフバランスを保障する労働時間規制など、会社にとってだけでなく、男性正社員にとっても大して意味のあるものではなかったのです。生活費に組み込まれた残業代の計算に使う以外には。


厳しい指導や、ときには暴力まで容認するパワハラOJTが主流の日本型雇用慣行において、技能実習生の95%以上が「役に立った」と回答するのは一見すると矛盾するように見えますが、裏返せばパワハラOJTにもそれなりの育成機能があるという証左ともいえます。まあだからこそ日本型雇用慣行においてパワハラOJTが主流となっているわけですが、それは同時に技能実習生にも日本型雇用慣行における問題がそのまま当てはまるということです。入管法でいくら大義名分に基づいて第2次の規制を強化しても、日本型雇用慣行の第1次の規制がそのままでは、外国人技能実習生の問題は日本人そのものと同様に解決されないわけでして、それでも外国人技能実習生が日本を選ぶのかは未知数と言えそうです。いやまあそもそも日本人の問題を解決することが先決でしょうけれども。

2019年03月21日 (木) | Edit |
2019年は宇宙世紀0079の一年戦争を舞台にしたファーストガンダムの放映年から40年で、ガンヲタにとってのメモリアルイヤーですが、整理解雇の4要件の高裁判決が出されて40年の節目の年でもあります。

そもそもガンダムが放映された1979年というのは第二次オイルショックのまっただ中で、高度経済成長期末期から日本型雇用慣行が確立された時期でもあって、日本型雇用慣行と「春闘」方式が高インフレによるスタグフレーションの進行を抑え、1980年代の日本経済の一人勝ちを準備していた時期でした。またこの時期は、就業規則不利益変更法理とか解雇権乱用法理とか整理解雇の4要件(東洋酸素事件の東京高裁判決がちょうど1979年ですね)とかの判例法理が確立し、賃金体系では1969年の日経連「能力主義管理−その理論と実践」による職能資格給が広まっていった時期にも重なります。

「やる気のある主役」以外が大事(2012年11月22日 (木) )

「日本の正社員には厳格な解雇規制がある」とかいう一知半解の言説が途絶えることはありませんが、その誤解を招いているのがこの整理解雇の4要件説ですね。まあ、判例法理として確立したということは、すでにそうした権利関係が認められる状態にあったということなので、1979年から整理解雇が厳格化されたということではありません(東洋酸素事件のきっかけとなった解雇は1970年に行われています)が、実質的な規制として社会的に認識されたことは事実でしょう。

で、40年というと高卒で就職した労働者がそろそろ定年を迎え、大卒なら既に定年を過ぎて再雇用されたりするステージに入っているわけですが、それは日本型雇用慣行としてのメンバーシップ型雇用にお墨付きが与えられてから就職した方々でもあります。制度というのは、いったん成立するとその制度自体を維持することが目的化することは避けられないところでして、その中心的役割を果たしているのがパワハラの源泉としてのOJTだろうと考えます。

とはいえ、整理解雇の4要件説が判例法理として確立して40年間、パワハラOJTもそのまま変わっていないかというとそう単純な話ではありません。1年ほど前になりますが、北海道の自治体で(おそらく専門職として選考採用され)学芸員をされている石井淳平さんという方がnoteでその辺に対する違和感を指摘されていました。

公務員は能力を把握されているか

ところで、公務員は全員一定の能力をもつことが前提となっているようです。
建前上は「職階制」なので、職に応じた能力を持てばよいということになっていますが、現実には年齢によって職階が定まるので、ある年齢層にはある一定の能力が求められます。

こうした能力の管理方法が公務員のメンタルヘルスの問題と関係があるように思います。

全員が同じ能力を要求される辛さ

公務員はいわば、全員が100mを11秒で走り、ベンチプレスを90kg持ち上げることが要求されるラグビーチームのようなものです。
両方ともクリアできる選手はすばらしいと思いますが、個人の能力の向上は、本来組織としてコントロールできる性質のものではありません。

しかし、公務員の場合、基本的には同じ能力が求められ、異動した先の職場でも前任者と同じスペックで仕事を行うことが要求されます。

(略)

組織に人間が合わせた末に起こること

結局のところ、組織と個人の関係が、本来あるべき姿から離れていくほど、問題が増えていくのだと思います。
組織の意義は、容易には変えられない個人の能力差を集団でカバーして全方位的な危機対応をやっていこうね、というところにあるはずです。
選手が変われば戦略が変わるということが、組織の本質であるはずです。
しかし、公務職場では組織に人間があわせていく度合いが強く、「チームワーク」ということが、個人のスペックを均一にすることと同義になってしまっているように思います。
その結果、「地頭の良さ」のような単一的かつ改善困難な要素で職員の評価が定まってしまうということになります。

一種の過剰適応を要求されるところに、公務職場では仕事内容の割にメンタルの問題が多く発生する原因があるのではないかと感じています。

それほどつらい仕事とは思えないのに公務員が病んでしまう理由(石井淳平 Mar 2, 2018)

一応指摘させていただくと、地方公務員法の改正までいちいちフォローするような地方公務員もそうそういないと思いますが、地方公務員法における職階制は既に2014年改正で削除されていまして、さらにいえば、建前上は「職務給」であるのに実際の運用は「職能資格給制度」によって年功的に運用されているというのが労働法(ヲチャー)的な説明となりますね。

という意味では、「公務員の場合、基本的には同じ能力が求められ、異動した先の職場でも前任者と同じスペックで仕事を行うことが要求されます」という指摘も、(程度の違いこそあれ)公務員に限った話ではなく、職能資格給制度における職務遂行能力による格付けによる運用が行われている会社組織では、同様に見られる現象ではないかと思います。

さらにこのエントリから半年ほど経って、議会での答弁からメンタルヘルスに対する自治体幹部の考え方が取り上げられています。

役所の職員がメンタルヘルスを病んで退職するケースが増加しているとの認識のもと、町の対策について質問しています。

答弁(副町長)

正直、実際に昔、我々が入ったときには、上司がいて、同じ年代の人たちが課が違っているということで、上司との関係、縦との関係と横との関係でつながっていたわけでございますが、なかなか仕事もそれぞれパソコンが入ってくると、一人ひとりの仕事みたいなことになっておりまして、上司、部下という接点が、仕事で教えてもらうというよりも、個人的なというか、アドバイスはもらえるけれども、その仕事はあなたのこれよ、私のこれよみたいな感じにはなっているなという気はしております。(中略)

副町長さんの答弁は、職員のおかれた状況や過去の働き方との比較についてのべていますが、なかなか適切です。

業務の縦割り化が個人レベルまで進行している点を指摘していることは重要です。コンピューターの導入によってこうした状況が加速したとの認識も説得力があります。

(略)

議員さんは職員のメンタルヘルス対策について尋ねています。飲みニケーションで終わらず、組織的な対応を確認する良い質問です。

答弁(町長)

病んでいる職員がいるということで、病んでいるというのは、もう病気だということですから。私は、町の職員というものは、町民の最大のサービス産業であるこの役場が、町民に対してまともなサービスができないような職員はやめていただきたいと、こういうふうに思っております。(中略)

いきなりすごい答弁です。病気の職員は辞めてほしいと公言しています。いわゆる「ブラック企業」と言われる企業の経営者でも公式記録の残る場でここまで思い切った発言はできないでしょう。

自治体職員のメンタルヘルスと首長の本音(石井淳平 Aug 17, 2018)

ここで副町長答弁で指摘されているうち、「業務の縦割り化が個人レベルまで進行している」のは組織のフラット化による部分が大きく、そのことによってOJTが変容し、日本型雇用のあり方そのものにも影響しているのではないかと考えます。パソコンの導入というのはたまたまバブル崩壊後の組織のフラット化と同時並行で進んだものであって、組織のフラット化によって、副町長答弁にいう「仕事で教えてもらうというよりも、個人的なというか、アドバイスはもらえるけれども、その仕事はあなたのこれよ、私のこれよみたいな感じにはなっている」という状況が生じたと考えるべきでしょう。

管見では、ここに町長答弁のような勘違いが生じる余地があると考えます。つまり、1979年からの40年を、バブル崩壊後に初めて就職氷河期といわれた1997年で前半と後半に分けてみると、前半の整理解雇の4要件説によってメンバーである正社員の解雇規制が判例法理となってからの約20年は、厚い中間管理職層がそれぞれの業務についてそれぞれの部下へのOJTを担っていたわけでして、その当時に若手社員だった現在の幹部職員は、その「前半型OJT」で仕事を覚えたという経験を有します。そうした経験を有する正社員は、「正社員たるものどんな業務でもどんな状況でも正社員としての職責を果たすべきであり、そのために職場の人間関係を壊さないコミュニケーション能力が必要」という正社員像を共有することになります。そりゃまあ、ご自身がそうやって仕事をしてきたわけですから、仕事はそうやってするものだと考えるのもやむを得ないのでしょうけれども、それがずっと続くという保証はありません。

実際に、バブル崩壊後に正社員の範囲を限定するために中間管理職をプレイングマネージャーとして組織をフラット化した後半では、OJTを担っていた厚い中間管理職層が失われました。その結果、中間管理職が担っていた仕事は、関係者との調整から書類作成、チェック、発送に至るまでが個別のパッケージとなり、プレイングマネージャーを含む部員にそれぞれ割り振られることになります。そこでのOJTは、個別のパッケージを前任から後任へ受け継ぐという形になるため、スキルを身につけるというより、パッケージをこなす能力を身につけるための後半型OJTに変容していきます。

となると、中間管理職による前半型OJTを受けた層と、前任者からの受け継ぎである後半型OJTを受けた層では、正社員像とOJTで身につけるスキルの乖離が大きくなっているように思います。つまり、前半型OJTではまさに「白地の石板」(@hamachan先生)がスキルを身につけることが主眼となっていたものの、後半型OJTでは前任の人間関係におけるポジションにフィットして、その業務パッケージをそつなくこなすことが主眼となり、それが「公務職場では組織に人間があわせていく度合いが強く、「チームワーク」ということが、個人のスペックを均一にすることと同義になってしまっている」という状況を生み出しているといえましょう。

という私自身は後半に属しているわけでして、前半を過ごしたであろう上の世代と、同年代以下の世代とを見比べてみると、同年代以下の世代のスキルのバラツキの大きさを感じることがあります。まあ私の周囲の話なのでサンプルサイズも小さしですし、安易な世代論に落とし込むことは避けるべきとは思いますが、フラット化した組織でOJTを受ける層が組織の大半を占め、さらに若年者層が先細っていくと、業務に必要なスキルを身につけられないメンバーによって組織が運営されていくことも想定されます。まあ一部では既にそうなっているようですし、あと10年もすれば全体的な傾向となるでしょうけれども、職能資格給制度によって堅牢さを維持している日本型雇用慣行は、意外な形でその内部から変容を迫られるかもしれませんね。