2016年06月04日 (土) | Edit |
前回取り上げさせていただいた海老原さんの新著は「そんじょそこらのマネジメント解説書よりも現実に即したもの」でしたが、それでは「そんじょそこらのマネジメント解説書」はどんなものかというと、「日本型雇用だからモチベーションが維持できる」という海老原さんのご指摘とは真逆のタイトルの本があって、内容を見てみると日本型雇用慣行についてのよくある思い違いを前提にして論じていました。

日本企業は労働法によって厳しく規制されており、社員の解雇は非常に困難である。

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日本企業の社員は、なぜこんなにもモチベーションが低いのか?
著者:Rochelle Kopp
定価:本体1680円(税別)
発行日:2015/1/23
ISBN:9784844373957
ページ数:304ページ
サイズ:四六判(mm)
発行:クロスメディア・パブリッシング
発売:インプレス


※ 位置はKindle版の表示によるため、端末の表示方法によって異なります。

もうおなじみの思い違いですが、日本の実定法としての労働契約法には極めて限定的な解雇権濫用法理が規定されているのみであって、いわゆる正規労働者の解雇が難しいのは、使用者側に一方的な超勤命令やら異動やらの強大な人事権が与えられていることとの均衡を確保する必要があるからですね。そうした労使間の「バーター」が存在しないジョブ型雇用においては、労働者の解雇はそのスキルとジョブとの関係で行われるわけでして、本書でもそのような事例が紹介されています。

 更にネットフリックスでは、過去に優秀な業績を上げていても、現在組織が必要としているスキルを社員が持っていない場合、その社員を解雇することも必要であるとしている。パティ・マッコードはネットフリックスの簿記係であったローラを例に挙げて、この状況を説明している。彼女は「頭脳明晰で勤勉で創造性のある」人材で、映画のレンタル数を正確に把握するシステムを考案し、会社の初期成長に非常に貢献した。しかし2002年の上場後、公開企業として「公認会計士など正規の資格を持ち経験豊富な会計の専門家が必要となった」が、ローラはコミュニティカレッジの準学士しか持ち合わせていなかった。並外れた勤務意欲と社内での業績に加えて昔から好かれていた彼女ではあったが、仕事が必要とするスキルを持ち合わせていなかったのだ。「応急措置として彼女に新しい職務を与える」ことも話し合われたが、それでは会社の信念に相違があるように思われた。そこでマッコードはローラを呼んで状況を説明し、「彼女の素晴らしい貢献に対して、素晴らしい解雇手当で報いる」ことを伝えた。

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※ 以下、強調は引用者による。

いやまあ、見事な「会社都合による解雇」であって、ジョブそのものが不要となれば、そのスキルで対応できるジョブに対応して雇用されている労働者は解雇されるわけでして、正当な手当を支払って解雇するという手続きはまさに正当な解雇です。ところが、もしこのローラがメンバーシップに対応して雇用されいてる労働者であれば、一方的に超勤命令ができ、異動も命令できるような強大な人事権を持つ使用者側に「応急措置として彼女に新しい職務を与える」義務が生じます。これが整理解雇の4要件でいう解雇回避努力義務でして、日本の解雇規制がジョブ型雇用に比べて厳格であるのはこの点においてであって、実定法の解雇規定ではありませんね。

本書は日本企業の社員(もちろん労働者の意です)の「エンゲージメント」が欧米に比較して低いことを取り上げて、その「エンゲージメント」を高める方策を提言しているのですが、日本型雇用慣行に関するこのような思い違いが前提となっているため、個々に見ればそれなりに有効そうな提言もあるものの、トータルではそんな虫のいい話はないよなあとしか思えない仕上がりになっています。

その「エンゲージメント」というのは、本書によると、

 社員のエンゲージメントとは、社員の企業に対する関与の度合いと、仕事に対する感情的なつながりを表現するものである。社員のエンゲージメントは、社員が組織とその目標に対して抱いている感情的なコミットメントである。
 これは「活力、献身、没頭などに特徴付けられる、仕事に関連するポジティブで充実した精神状態」と表現することができ、エンゲージメントの高い社員は「仕事にエネルギッシュで効果的なつながり」を持っている。エンゲージメントの高い社員は、より深いレベルで仕事に関心を持ち、仕事への関与のレベルが高く、仕事に対してポジティブな感情を抱いている。もちろん職場の環境、給与、福利厚生などに対する社員の満足度も含まれるが、それ以上の、仕事に対して社員が感じている包括的な情熱というレベルにまで焦点をあてているのが、エンゲージメントの特徴である。

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とのことですが、これに対して、「複数の外資系企業の日本法人で人事部長を務めてきた経験豊かな日本人の友人」から「日本人の調査への回答の仕方は他国人と違うことを把握していないと意味がないから」と指摘されたそうです。本書ではその理由について、

 しかし、面白いことに、この友人の経験は社会科学の分野で立証された現象に基づいている。日本人は「肯定的感情表現の抑制」と呼ばれる行動を取る傾向が強い。子供の頃から日本人は、他人と上手く付き合っていくには、自慢話をしたり物事が自分にとっていかに順調に進んでいるかを吹聴しないようにと教育されてきている。これが先天的特性のようになり、非常にポジティブな感情を自分自身に帰することに違和感を感じるようになる。従って、社員のエンゲージメントに関する調査など、自分に関するポジティブな記述にあふれた質問に回答する際、他の文化圏の人々と比較して日本人は、自分自身を低く評価する傾向がある。

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としているのですが、それはあまりに一面的な評価だろうと思います。文化の違いが影響している可能性は否定しませんが、労働者と使用者の労働契約において、両者の明確な合意の上で特定の職務にアサインされているジョブ型雇用と、そもそも労働者と使用者の労働契約を規定する法律が制定されて10年程度で、労使の合意の核となるものは白紙の石板のみしかなく、(正規)労働者として採用された後は使用者側の命令でどんな職務にもアサインされうる日本のメンバーシップ型雇用では、その職務についての満足度が異なるのは当然でしょう。

なんなら、メンバーシップ型雇用で現に仕事をしている(正規)労働者のうち、自らの希望する職務に就いている割合なんて一握りであって、「銀行に入って地域経済を活性化させるぞ」と思っていたら為替の担当になったり、「商社に入ってグローバルに日本技術を展開するぞ」と思っていたら国内の食材の担当になったりというのが、メンバーシップ型雇用では大半ではないかと思います。さらに、ある程度の規模の企業組織を運営するために間接部門を置く必要があり、日本の学生の中に「会社に入って人事労務を担当するぞ」とか「経理部門で企業会計の精査を極めるぞ」と意気込んで入社する人はごくわずかでしょうけれども、実際にはそれらの間接部門が企業経営の根幹を握っている場面も多くあります。日本型雇用慣行における人事異動は、労働者側にとって「住めば都」というか「働けば都」となり、それらの部門に精通して「背番号」を背負っていくことが期待されていることも多く、結果的にそう思えるようになる前の(正規)労働者にとっては、希望する職務に就いた一握りを除いて、「エンゲージメント」の評価は低くなるものと思われます。

で、その人事異動について本書では、

人事部が社員に仕事を割り当てるプロセスは、全くのブラックボックスであると言ってよい。大抵の場合、割当の理由は不明瞭で、個人の興味、願望、才能、家庭の事情が考慮されることは殆どない。偶然興味がある仕事を割り当てられることもあるが、それは決して保証されているものではない。企業に命じられた仕事を、何であっても喜んで引き受ける態度が不可欠とされ、就職の時点でもそれが期待されている。

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というのもあまりに大雑把な批判ですね。「「異動」が会社内部の手続きとなるのは、定年退職とセットになった新卒一括採用のため、定年退職で空いたポストに順次「昇進」させながら、上から末端までの中間のポストに空きを作らなければならないという物理的な必然性があるから」であって、退職者と新採用の間に無数に発生する空きポストに玉突きで人事を割り振っていくのがすなわち「人事異動」です。日本型雇用慣行の運用の中では、大多数の「普通」の職員は空いたポストにある程度機械的に割り当てざるをえないわけでして、そうした「普通」の職員にとってはどこに飛ばされるかわからないという印象になるのもある程度やむを得ない面はあります。とはいっても、一定の「有望」な職員は上層部が意図を持って引き上げていくので、「全くのブラックボックス」というのは言い過ぎですね。

でまあ、こうした職能資格給制度に裏打ちされたメンバーシップ雇用では、雇用慣行を見直すということは給与を含む社内の「資格」を見直すということに他ならないわけで、労働者側も使用者側もそれを受け入れる覚悟はほとんどないのが現状でしょう。という意味では、本書で

 多数の発展途上国が電話サービスの普及を試みるにあたって、従来の有線電話システムのインフラが存在していないことから、その段階を飛び越えていきなり最新の技術を導入することを行っている。この劣等で効率が悪く割高なシステムを飛び越えて最先端技術を利用することを「リープフロッギング」という。
 日本企業は、人事管理の仕方に関してまさにこのリープフロッギングを必要としているのかもしれない。「典型的」な欧米の企業を模倣するより、最先端を行く例から学んだ要素を取り入れることは、一考に値する。

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と指摘される点は大いに賛同します。メンバーシップ型とジョブ型のいいとこ取りをうまく着地させることが、当面の課題なのではないかと思うところです。

2016年05月29日 (日) | Edit |
年度の切替時期で積ん読も貯まりに貯まっているところですが、海老原さんの新著が発行されたとのことで早速拝読してみました。この新著では、海老原さんがリクルートで薫陶を受けられた故大沢武志著『心理学的経営』を基に、前著で取り上げられていた「個」のマネジメントと「組織」のマネジメントのうち、前者に的を絞ってより具体的なマネジメントの実践について解説されています。

ということで、前著で基礎理論として強調されていた「2W2R」を実態に即してどのように実践すべきかという指南書になっていまして、説明内容そのものは前著とほぼ同じですが、新著では2Rのうち「range」についてのさらに充実した説明が加えられています。私自身、前著を読んで以来、自分の仕事でも「2W2R」を常に意識しながら仕事をしてきたつもりでしたが、なかなかさじ加減が難しいのが「三つのギリギリ」とこの「range」でした。

もしかすると同じような感想を持つ方が多かったのかもしれませんが、本書ではこの「三つのギリギリ」と「range」を関連づけて説明されていて、ようやく腑に落ちた感があります。

 ここまでお読みになった読者の方だと、新たな機会を与えるということなので、「三つのギリギリ」を頭に浮かべる人が多いでしょう。
 その定理にしたがうと、二つのことが減点対象にあげられそうです。
①いきなり新規事業開発は無理だろう。これでは「活かし場」がない。
②社長は「だめなら戻ってこい」と話している。これだと「逃げ場」が残っている。
 しかし、この指摘はどちらも間違いです。実は「三つのギリギリ」の理解を深めるために、あえてひっかけ問題として意地悪な作りにしました。
p.118
即効マネジメント ─部下をコントロールする黄金原則即効マネジメント ─部下をコントロールする黄金原則
海老原 嗣生 著

シリーズ:ちくま新書
定価:本体760円+税
Cコード:0234
整理番号:1188
刊行日: 2016/05/09
※発売日は地域・書店によって
前後する場合があります
判型:新書判
ページ数:208
ISBN:978-4-480-06892-7
JANコード:9784480068927Ω

この部分の前までは比較的発展途上の段階にいる部下をいかに育成するかという設問だったのが、ここではエースと呼ばれる部下に対する社長の指示をどのように評価するかという設問になっています。この場合の適切な指示方法については本書を手にとってご確認いただきたいのですが、私自身が「三つのギリギリ」と「range」の間で悩んでいた理由についても本書にヒントがありました。

風土に反する指示は、迷惑でしかない

 上司がきちんと四隅を示して「自由に遊べ」とRangeを作ったとしても、部下がそれを実行できないことがあります。その場合も、部下だけに責任があるわけではありません。それは、上司が常日頃から「自由に遊べる」風土を作っていないからそうなってしまうことが多いのです。
 上司が「責任は自分がすべて持つ」「尻は拭く」とこういう言葉を連発しても、普段それと逆の行動を取っていた場合、部下は信用しません。
 以下のようなマネジメントをしていたら、「自由」「自律」など部下に期待できないのです。
・失敗すると厳しく怒る。
・従来は安全策を唱え、事なかれ主義だった。
・責任は、部下本人に押し付ける。
・意見や発案に対して、前向きに受け止めない。
 こんな風土では、誰も自由な挑戦などできませんね。そう、風土・土壌を無視して、いきなりきれい事を言われたりしても、部下にとってそれは迷惑でしかないのです。

海老原『同』pp.131-132

…こういわれてしまうと、私自身の力不足を反省すると同時に我々の業界ではなかなか難しいなとも思います。もちろん、私自身は私の力の及ぶ範囲で「自由に遊べる」環境を作りたいと思っていますが、それだけではどうにもならない部分があるのも現実ですね。特に、地方自治体の首長選挙では「民間感覚」をもったカリスマ的リーダーがトップダウンで政策を決めるという主張をする候補が強い傾向があります。往々にしてそういう方々は任期途中とか道半ばで退任されることも多く、「責任は自分がすべて持つ」「尻は拭く」なんていう職員よりも、そうしたトップのイエスマンによって上層部が固められることも多いように見受けます。

まあそれはそれとして、本書がそんじょそこらのマネジメント解説書よりも現実に即したものとなっているのは、故大沢武志氏の理論が優れていることはもちろん、海老原さんが日本型雇用慣行の実態を的確に踏まえて説明を展開していることも大きく寄与しています。本書では第5章でその経緯が説明されているのですが、端的に言えば、日本型雇用慣行が「白地の石板」を従業員に与えるのみで職務が無限定であるために、「2W2R」を実践できるという優位性があるということになります。そして、そのようなメリットの反面には、「女性」「学生」向けに非正規雇用という低賃金労働の区分が設けられ、それが今や正規労働者になれない「男性」をも取り込みつつある現実があるわけで、この点もきちんと指摘されています。

「誰もがエリートを夢見る社会」の裏側

 さて、この話の続きを書く前に、日本型の働き方の問題点も、公平に書いておきます。欧州(それ以外の多数の国でも)では、誰もが階段を上がることができません。ところが日本はそれができる。
 なぜ、こんなことが可能なのでしょうか。
 その答こそ、日本型の悪い点とも言えます。
 それは、「正社員」のワクから外れた人たちに、そのしわ寄せが大きく行く構造になっているのです。
 日本でも働く人の3割以上が非正規社員です。彼らの給料はどうでしょう。(略)これでみると、パートタイマーはフルタイム非正規よりもはるかに年収が安く(年収換算で50万円の差がつく)、どんなにがんばっても欧州の無資格労働者ゾーンにも達しません。
 しかもです。欧州の労働者は、年間1400時間程度の労働時間でこの年収を手に入れているのです。対して、日本の非正規労働者は(フルタイム換算なので)年間1900時間を超える労働をして、この年収です。時給レベルで考えると、日本の非正規社員のそれが極端に低いことがわかるでしょう。
 さらに言うと、こうした待遇の悪い非正規、なかでも特に時給の低いパートタイマーの大部分を「女性」が占めています。勤続して階段を上り続けなければならない社会だから、産休や育休で階段から外れる「女性」たちが、正社員から押し出され、非正規パートタイマーとなっていく。
 正社員で働く限り「誰もが階段を上がれる」裏には、こうした問題があるのも事実です。

海老原『同』pp.153-154

本書ではこの部分だけがトーンが違っていて少し違和感を感じないではないのですが、逆にいえば海老原さんだからこそ、この短いセンテンスで日本型雇用の問題点を見事に描き出すことができたといえましょう。そしてそれは、海老原さんの従来からの主張である「入口は日本型、途中から欧米型、という接ぎ木型の接地」への布石ともなっているというのは、少々裏読みしすぎでしょうか。

いずれにしても、このマネジメントを実践する上司が増えていって、Rangeがうまく作用する風土・土壌を持つ組織が広がっていくためにも、本書が多くの方に読まれることを期待しております。

2016年05月07日 (土) | Edit |
前回エントリとは違いますが、こちらの件についてもわかったようなわからないようなコメントがありましたので、簡単にメモしておきます。

信用失墜行為 停職中に旅行でカニ食べ投稿、懲戒免職に(毎日新聞2016年5月2日 21時22分(最終更新 5月2日 22時34分)

岐阜・池田町の30歳女性主事 フェイスブックに

 停職期間中に不適切な内容をフェイスブックに投稿したとして、岐阜県池田町は2日、同町民生部住民課の女性主事(30)を地方公務員法(信用失墜行為の禁止)違反に当たるとして懲戒免職にした。免職処分について、田口貴弘総務部長は「反省すべき停職期間中に町の信頼を損なう行為をした責任を重くとらえた。反省の様子もみられず妥当な処分」と話している。

 町によると、元主事は勤務時間外に名古屋市で接客の仕事に従事し、300万円程度の報酬を得たとして昨年11月、停職6カ月の懲戒処分を受けた。その直後、自身のフェイスブックに旅行先で食べたカニの写真や「ママ友と海鮮ざんまい」とのコメントを投稿。住民から町に「停職中なのに不謹慎」との批判が寄せられた。

 上司が注意したが、元主事は今年3月、旅行先の奈良県で食事した時の様子をフェイスブックに投稿。肉や野菜の写真とともに「食べ過ぎて撃沈。動けない。誰か助けて」とコメントしていた。【渡辺隆文】


この報道だけでは懲戒免職に至った詳しい経緯まではわかりませんが、これに対する反応の一つがこちらです。

ええと、「公務員の「停職」って本来の勤務時間中は自宅にいなきゃいけなくて外出するにも上司の許可がいるっていう厳しい処分」というのは、私のそこそこ長い公務員生活でも聞いたことがないですね。そもそも、懲戒処分というのは「使用者が従業員の企業秩序違反行為に対して課す制裁罰」であって、企業秩序の範囲を超える労働者の自由についてまで、使用者が制限することは原則としてできません。こうした労働問題について疑問があるときは、JIL-PT(独立行政法人労働政策研究・研修機構)の解説を確認するのが確実です。

〈懲戒処分とは〉

法的には対等な契約関係である使用者と労働者の関係において、なぜ使用者が(企業秩序を乱したとはいえ)労働者に制裁としての罰を課すことができるのか、理論的には問題となります。判例は、使用者は企業秩序定立権の一環として当然に懲戒権を有すると考える立場のようですが(前掲 関西電力事件)、現在の学説の立場は、懲戒処分が通常の人事権の行使等とは異なる特別の制裁罰である以上、契約上の特別の根拠が必要であり、労働契約上の根拠に基づいてその限りで懲戒権を有すると考える立場が支配的であるといってよいでしょう(懲戒処分が適法か否かに関する具体的な判断枠組みについては、本節のQ13を参照してください)。

「Q12 懲戒とは何ですか。(独立行政法人労働政策研究・研修機構)」

いやまあカイカク派が執拗に廃止を主張していたJIL-PTはかくも役に立つわけですが、それはともかく、「法的には対等な契約関係である使用者と労働者の関係において、なぜ使用者が(企業秩序を乱したとはいえ)労働者に制裁としての罰を課すことができるのか」が常に問題となるような懲戒処分で、憲法で基本的人権として保障されている「人身の自由」まで拘束できるわけではありません。ちょっと古いですが、人事労務担当の実務者が参考にしている『労政時報』に掲載された解説も確認してみましょう。

2.自宅謹慎(待機)を命じることの可否

 以上のご説明は、「出勤停止」、つまり会社における「就労を禁止」する処分についてのものですが、さらに「自宅謹慎(待機)」、つまり「外出を禁止」することまで命じることができるのでしょうか。

(1)懲戒処分としての出勤停止の場合
 懲戒処分として出勤停止を命じる場合に、さらに自宅謹慎も命じることは、基本的人権である「人身の自由」(憲法18条)を奪うことになる以上、いくら懲戒処分といえども、認められないと考えます。
 したがって、懲戒処分として出勤停止を命じる場合に、さらに自宅謹慎も命じることはできないと解されます。
 ご質問のケースでは、出勤停止中に知り合いのところへアルバイトに行っている事実が判明したとのことですが、この点については、兼職禁止等の就業規則違反があれば、別途、懲戒処分を行うことで対処すべきでしょう。

(2)業務命令としての出勤停止の場合
 これに対して、業務命令として出勤停止を命じる場合には、さらに自宅謹慎ないし待機を命じることは、相当な理由が存在する限り、認められると解されます。  相当な理由としては、前述の裁判例で指摘されているように、事故発生、不正行為の再発、証拠隠滅のおそれなどが存在する場合が挙げられます。その他にも、裁判例では、取引先と直接接触するセールスマンが、仕事上関わりがあったデモンストレーターの女性と不倫関係に陥ったことが原因で、会社の信用が失墜した場合につき、そのままセールス活動を続けさせることは業務上適当でない等の理由から、自宅待機命令(2年間)は相当な理由があるとしたものがあります(ネッスル事件[東京高判平2・11・28労民41-6-980][原審は静岡地判平2・3・23判時1350-147、判タ731-150、労判567-47等])。また、降格処分を確定するための調査・審議のため(1か月間)及び飲酒による肝機能障害の療養・禁酒のため(その後の3か月間)の自宅待機命令は人事権の濫用には当たらないとしたものがあります(星電社事件[神戸地判平3・3・14労判584-61])。

「出勤停止は自宅謹慎まで義務付けることができるか?」(弁護士 小林 昌弘(ロア・ユナイテッド法律事務所)2001.09.05)

この解説にある通り、企業秩序違反という事実が確認されてその制裁として行われる懲戒処分ではなく、業務命令としての出勤停止の場合であれば、企業秩序を確保するために必要と認められる範囲において自宅謹慎を命じることは可能ですが、報道された件は懲戒処分としての停職ですので、これも該当しません。

ちなみに、長期不在となる際に届け出を義務づけている自治体もあるので、上記のTwitter主はこれと混同している可能性もありますが、その際も上司の許可までを要するものではありません。

(長期不在時の届出)
第8条 職員は、傷病のため勤務に従事できない期間が10日以上に及ぶときは、医師の診断書を添えて、上司に状況を報告しなければならない。
2 職員は、私事旅行等により長期間住居を離れる場合は、その間勤務先からの連絡に対応できるよう努めなければならない。

○横浜市職員服務規程(平成21年3月25日達第3号 庁中一般)


ということで、停職処分中の私的な行為が企業秩序(人事院規則では「職場内秩序」としていますが)に違反する行為とされるのかは、慎重に判断される必要があります。今回の懲戒処分については、記事で「信用失墜行為」と見出しがつけられていますが、では、日々激務に追われている公務員が数年ぶりにまとまった休みが取れて旅行に行った先で「かにを食べた」とSNSにアップした場合も、この件と同じように処分されるのかは難しいところでしょう。

と考えてみると、この元職員は、今回の処分の直接の理由となったSNS以外にもいろいろと企業秩序に違反する(と認められる)行為を行っていたのかもしれません。その辺の事情が報道ではよく分からないのでなんともいえないのですが、そもそも停職処分の理由となった営利企業の兼業禁止違反というのも、「公務員だから」と一概にいえる問題ではないんですよね。

地方公務員法と国家公務員法はいろいろと違うのですが、地方自治体の実務の現場では基本的に人事院規則を参照していますので、懲戒の指針についての人事院規則の運用通知を確認してみましょう。

懲戒処分の指針について
(平成12年3月31日職職―68)
(人事院事務総長発)

懲戒処分の指針

第1 基本事項
本指針は、代表的な事例を選び、それぞれにおける標準的な懲戒処分の種類を掲げたものである。
具体的な処分量定の決定に当たっては、
① 非違行為の動機、態様及び結果はどのようなものであったか
② 故意又は過失の度合いはどの程度であったか
③ 非違行為を行った職員の職責はどのようなものであったか、その職責は非違行為との関係でどのように評価すべきか
④ 他の職員及び社会に与える影響はどのようなものであるか
⑤ 過去に非違行為を行っているか
等のほか、適宜、日頃の勤務態度や非違行為後の対応等も含め総合的に考慮の上判断するものとする。
個別の事案の内容によっては、標準例に掲げる処分の種類以外とすることもあり得るところである。例えば、標準例に掲げる処分の種類より重いものとすることが考えられる場合として、
① 非違行為の動機若しくは態様が極めて悪質であるとき又は非違行為の結果が極めて重大であるとき
② 非違行為を行った職員が管理又は監督の地位にあるなどその職責が特に高いとき
③ 非違行為の公務内外に及ぼす影響が特に大きいとき
④ 過去に類似の非違行為を行ったことを理由として懲戒処分を受けたことがあるとき
⑤ 処分の対象となり得る複数の異なる非違行為を行っていたとき
ある。また、例えば、標準例に掲げる処分の種類より軽いものとすることが考えられる場合として、
① 職員が自らの非違行為が発覚する前に自主的に申し出たとき
② 非違行為を行うに至った経緯その他の情状に特に酌量すべきものがあると認められるとき
がある。
なお、標準例に掲げられていない非違行為についても、懲戒処分の対象となり得るものであり、これらについては標準例に掲げる取扱いを参考としつつ判断する。

第2 標準例
1 一般服務関係
(略)
(10) 兼業の承認等を得る手続のけ怠
営利企業の役員等の職を兼ね、若しくは自ら営利企業を営むことの承認を得る手続又は報酬を得て、営利企業以外の事業の団体の役員等を兼ね、その他事業若しくは事務に従事することの許可を得る手続を怠り、これらの兼業を行った職員は、減給又は戒告とする。


件の公務員は、報道によると「勤務時間外に名古屋市で接客の仕事に従事」とのことですので、「兼業の承認等を得る手続きのけ怠」による減給は又は戒告にとどまらず(そのけ怠があったかどうかは不明ですが)、その兼業の内容に応じたものとして停職6か月というかなり重い処分としたように思われます。「標準例に掲げる処分の種類より重いものとすることが考えられる場合」に該当するということかもしれませんが、であれば、SNSの信用失墜行為は最後のピースだったのでしょう。

個人的には、SNSという職場内秩序に直接関係のない私的行為を最後のピースとして処分することは、懲戒処分の目的と限界からすると大いに疑問を感じます。この点では、マンマークさんと同じく

 正直、停職期間中の行為として「ママ友と海鮮ざんまい」がはしゃぎ過ぎかとも思うし、不謹慎だと言われればそうかとも思いますが、それが免職に値する行為だったかというと、それもどうかなと思います。

 だから、私の内面のどこかから、この職員に向けた「裁判しろ、裁判で争え!」という声が湧き上がってきています。
 これは、決して焚き付けているわけじゃなく、停職中の行動範囲と内容の基準をどこに置くのか、一自治体という組織から離れた中立的な立場の判断を聞いてみたいからです。
 
 もっとも、これについては過去に判例があって、それを私が知らないだけ、ということも十分に考えられますが…。

「停職について。(2016-05-04)」(市役所職員の生活と意見)


司法がどのように線を引くのかに大変興味がありますが、そこまで発展する問題なのかは、「能力」に着目した長期雇用を前提とする日本的雇用慣行では難しそうですね。

ちなみに、JIL-PTでは

(54)【服務規律・懲戒制度等】私生活上の非違行為

1 ポイント

(1)職務遂行に関係のない職場外の労働者の行為であっても、その行為が企業の円滑な運営に支障をきたすおそれがある場合や会社の社会的評価に重大な悪影響を与えるような場合には、その行為を理由とした懲戒処分が許される。
(2)労働者の不名誉な行為が会社の体面を著しく汚したというためには、必ずしも具体的な業務阻害の結果や取引上の不利益の発生を必要とするものではないが、労働者の行為の性質、情状のほか、会社の事業の種類・態様・規模、会社の経済界に占める地位、経営方針及びその従業員の会社における地位・職種等諸般の事情から総合的に判断して、労働者の行為により会社の社会的評価に及ぼす悪影響が相当重大であると客観的に評価される場合でなければならない。


ということで、過去の判例が引用されていますが、SNSで私的な旅行について投稿したことが懲戒解雇(免職)に該当するかは、かなり微妙な判断になりそうな気がします。

2016年04月21日 (木) | Edit |
前回エントリに引き続き、地方公務員法の改正内容からメンバーシップ型雇用の堅牢さを確認しておきますが、改めて復習しておきますと、メンバーシップ型の日本型雇用慣行を支えているのは、労働者の「能力」を基準とした職能資格給制度です。労働者の1次分配である賃金がこの賃金体系によって決まることになるため、2次分配、つまり所得の再分配政策である社会保障制度もこれを前提として規定されることになります。巷の(特に経済学方面の方に顕著ですが)社会保障をめぐる議論では、この点についての議論がすっぽり抜けいてるために、空疎な机上論と守旧的な現状維持の不毛な応報が繰り広げられることになるんですよね。

といっても、じゃあ何をもって「能力」というのかというのは永遠の問題でして、日本では労使が現場で試行錯誤しながら交渉して、1960年代までには「経験によって積み重ねられる「資格」を能力として、その「資格」を基準にして給料を決定することにするか」ととりあえず合意したわけです。これが「職能資格給制度」、つまり、「職務遂行能力」で「資格」を決定し、その「資格」に応じて「給料」が支払われる仕組みです(まあ、略さずにつなげていえば「能力・資格・給料支払い制」というところでしょうか)。

この仕組みを労働者側から見ると、「資格」は経験によって積み重ねられるのであり、経験を積めばある程度の「資格」を得て、それに対応した給料をもらえるわけですから、働き続ければ「資格」と給料がセットで上がり続け、それにより生活保障を得ることができます。

一方で使用者側からすると、従業員の年齢構成さえ管理しておけば、賃金原資の見通しを立てることができます。そしてその年齢構成については、新卒一括採用と定年制で入りと出を管理する日本的な手法が確立されており、賃金原資の見通しが悪化すれば、入りと出を調整する(日本的な手法としての中高年のリストラと新採用の抑制)ことが可能になるわけです。ここで注意が必要なのは、使用者側が入りと出を管理するということは、その中間のポストへの「異動」も使用者の裁量に委ねることになるということです。つまり、労働者が得る「資格」は、あくまで働き続けるという条件が満たされる限りにおいて上がっていくものであり、労働者は生活保障のために働き続けなければならず、与えられた「資格」に見合うように職務無限定の異動を受け入れなければならないということになります。

hamachan先生が指摘されているメンバーシップ型の日本型雇用慣行の問題点は、具体的にはこのような制度的裏付けによってもたらされます。職務無限定で異動させることすらできる使用者が、時間を限定する理由などありませんし、賃金原資の管理が面倒になりますから、仕事が増えたときには、労働者を新たに雇用するより、現在雇用している労働者に超過勤務を命じるほうが簡便です。そして労働者にとっても、その対価としての超過勤務手当より、「次の昇任」によってより上の「資格」で報いる方が長期的なメリットがありますし、使用者も賃金原資の管理がしやすくなります。こうして、職務無限定、時間無限定、勤務地無限定の処遇が、むしろ「資格」を得るためのエリートコースとなり、正規労働者が生活保障を万全にしていくわけです。

正規労働者が職務無限定の働き方と引き換えで生活保障を万全にする一方で、上述の通り賃金原資の見通しが悪化すると「資格」が高すぎる中高年はリストラされ、「資格」がまだない新卒者の採用が抑制されますが、もうひとつ大きな問題がありますね。それが非正規労働者の存在です。非正規労働者は、賃金原資の見通しが悪化するだけではなく、賃金原資の見通しが不透明になると、上述のリストラと採用抑制だけでは臨機応変に対応できないため、そのバッファとするための採用区分です。つまり、正規労働者の生活保障は、正規労働者が男性であることを前提として、その家族である主婦パートや学生アルバイトによって主に担われていた非正規労働者のバッファ機能と表裏一体だったわけですね。

いくら賃金原資の管理をするためとはいえ、入りと出のバランスが崩れると組織としての機能が低下するリスクもありますし、労働者の「資格」の前提が働き続けることである以上、その「資格」を使用者側が一方的に破棄することができません(法定の解雇規制ではありません。為念)。そのために、「資格」を与えない非正規労働者をバッファとして確保しておく必要があり、非正規労働者の拡大は、バブル崩壊以降の景気低迷をきっかけとして賃金原資の見通しが不透明となっていることがその理由となるわけです。ここまではいつもの議論ですね。

いったんまとめると、「資格」を基準とする賃金体系である「職能資格給制度」によって、労働者は働き続けなければ生活保障が得られず、職務も時間も勤務地も無限定で働くことになります。そして使用者は一方的に「資格」を奪うことができないために、景気が低迷して賃金原資の見通しが悪化すれば、中高年を高すぎる「資格」を理由としてリストラし、「資格」のない新卒者の採用を抑制し、賃金原資の見通しが不透明になれば「資格」のない非正規労働者を拡大することになります。

ここで「日本型雇用はけしからん! 職務給を導入するべきだ!」という方は、ほとんどいないでしょう。むしろ、職務無限定でもなんでもいいから正規労働者となって生活保障を確保するべきというのが、左右を問わず根強い意見ではないかと思います。だからこそ、税金によって生活保障を確保するのでなく、賃金の範囲での可処分所得を死守するべきという議論が根強くあるわけですし。ところが、その賃金は各社の賃金原資の見通しに左右されるものであって、景気が悪くなれば真っ先にカットされるものである以上、安定性が著しく低いために生活保障としての機能は本来は低いんですよね。

当然、1次配分としての賃金の適正化は必要であって、その機能は労働組合が労使交渉で発揮するものですが、これも実は「職能資格給制度」によって分断されています。つまり、職務給の社会では、交渉する賃金は「職」についての適正な水準ですが、「職能資格給制度」の社会では、会社ごとに様々な「資格」に分断された労働者が労働組合を組織しますので、個々の「職」についての賃金水準ではなく、賃金原資全体の分配が交渉事項になります。これが「ベア」ですね。その影響力を拡大する手法が「春闘方式」だったものの、労使交渉でベアが確保されると、あとは「資格」に応じて個々の労働者に配分されるので、ベアそのものについての個々の労働者の関心は低くなりがちで、組織率は下がっていきます。日本の労働組合法では労働組合の並立が認められていることもあり、労働組合の交渉力は低下する一方です。

そして、社会保障制度はこうした1次配分としての賃金体系を前提として構築されています。この前提に立つ限り、正規労働者が働き続ければ生活保障を確保できるなら、社会保障を拡充する必要はありませんし、可処分所得を減らす増税なんぞ狂気の沙汰でしょう。ただしそれは、日本型雇用慣行における長時間労働やサービス残業、正規と非正規の二極化を容認する議論でもありますので、増税論を執拗に攻撃される方は、日本型雇用慣行の維持を同時に主張していただかないと自家撞着を起こしてしまいますので、くれぐれもご注意ください。いやまあ、所得再分配とか社会保障に関心がない方は構いませんが。

という労働問題の動向にビビッドに「民間準拠」することを旨とする地方公務員法では、今回の改正で「採用」以外の任用方法が定義されることとなりました。この規定がどちらの方向に向いたものなのか、その改正が行われたのは誰の意向を反映したものなのか、ぜひご条文をご確認いただきなら思いを馳せていただければと思います。
(4/24 論旨を明確にするため一部加筆修正しました)
改正後改正前
   第三章 職員に適用される基準

    第二節 任用

 (任用の根本基準)
   第三章 職員に適用される基準

    第二節 任用

 (任用の根本基準)
第十五条 職員の任用は、この法律の定めるところにより、受験成績、人事評価その他の能力の実証に基づいて行わなければならない。
第十五条 職員の任用は、この法律の定めるところにより、受験成績、勤務成績その他の能力の実証に基いて行わなければならない。
 (定義)
第十五条の二 この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。

 (新設)
一 採用 職員以外の者を職員の職に任命すること(臨時的任用を除く。)をいう。
 
二 昇任 職員をその職員が現に任命されている職より上位の職制上の段階に属する職員の職に任命することをいう。
 
三 降任 職員をその職員が現に任命されている職より下位の職制上の段階に属する職員の職に任命することをいう。
 
四 転任 職員をその職員が現に任命されている職以外の職員の職に任命することであつて前二号に定めるものに該当しないものをいう。
 
五 標準職務遂行能力 職制上の段階の標準的な職(職員の職に限る。以下同じ。)の職務を遂行する上で発揮することが求められる能力として任命権者が定めるものをいう。
 
2 前項第五号の標準的な職は、職制上の段階及び職務の種類に応じ、任命権者が定める。
 
3 地方公共団体の長及び議会の議長以外の任命権者は、標準職務遂行能力及び第一項第五号の標準的な職を定めようとするときは、あらかじめ、地方公共団体の長に協議しなければならない。
 

 (任命の方法)
第十七条 職員の職に欠員を生じた場合においては、任命権者は、採用、昇任、降任又は転任のいずれかの方法により、職員を任命することができる。

 (任命の方法)
第十七条 職員の職に欠員を生じた場合においては、任命権者は、採用、昇任、降任又は転任のいずれか一の方法により、職員を任命することができる。
2 人事委員会(競争試験等を行う公平委員会を含む。以下この節において同じ。)を置く地方公共団体においては、人事委員会は、前項の任命の方法のうちのいずれによるべきかについての一般的基準を定めることができる。
2 人事委員会(競争試験等を行う公平委員会を含む。以下この条から第十九条まで、第二十一条及び第二十二条において同じ。)を置く地方公共団体においては、人事委員会は、前項の任命の方法のうちのいずれによるべきかについての一般的基準を定めることができる。
(削る)
3 人事委員会を置く地方公共団体においては、職員の採用及び昇任は、競争試験によるものとする。但し、人事委員会の定める職について人事委員会の承認があつた場合は、選考によることを妨げない。
(削る)
4 人事委員会を置かない地方公共団体においては、職員の採用及び昇任は、競争試験又は選考によるものとする。
(削る)
5 人事委員会(人事委員会を置かない地方公共団体においては、任命権者とする。以下第十八条、第十九条 及び第二十二条第一項において同じ。)は、正式任用になつてある職についていた職員が、職制若しくは定数の改廃又は予算の減少に基く廃職又は過員によりそ の職を離れた後において、再びその職に復する場合における資格要件、任用手続及び任用の際における身分 関し必要な事項を定めることができる。

 (採用の方法)
第十七条の二 人事委員会を置く地方公共団体においては、職員の採用は、競争試験によるものとする。ただし、人事委員会規則(競争試験等を行う公平委員会を 置く地方公共団体においては、公平委員会規則。以下 この節において同じ。)で定める場合には、選考(競 争試験以外の能力の実証に基づく試験をいう。以下同じ。)によることを妨げない。


 (新設)
2 人事委員会を置かない地方公共団体においては、職員の採用は、競争試験又は選考によるものとする。
 
3 人事委員会(人事委員会を置かない地方公共団体においては、任命権者とする。以下この節において「人事委員会等」という。)は、正式任用になつてある職に就いていた職員が、職制若しくは定数の改廃又は予算の減少に基づく廃職又は過員によりその職を離れた 後において、再びその職に復する場合における資格要件、採用手続及び採用の際における身分に関し必要な 事項を定めることができる。
 


2016年04月21日 (木) | Edit |
熊本から大分に広がった地震関連のエントリを挟みましたが、前々回エントリに関連して議論を広げておきます。

前々回エントリで取り上げた職階制の廃止と並んで、任用方法の改正も今回の国家公務員法改正に連なる地方公務員法改正の大きなポイントとなります。これまでは、地方公務員法に任用方法の規定がなく、解説書に採用、昇任、降任、転任それぞれの任用方法について説明がある程度でしたが、改正後の地方公務員法ではそれぞれに定義規定が置かれることになりました。というと、年中行事として3月に従業員の少なくない割合が異動or昇任し、定年を迎えた従業員が退職or再雇用され、4月になると入れ替わりに新卒の新入社員が入社してくるという日本の勤め人には、「その方法の規定が無いとは何事だ」と思う方も多いかもしれません。

この話の前提として、ジョブ型雇用のアメリカ占領下で制定された地方公務員法が任用の種類について規定を置かなかったのは、ジョブ型ではすべての雇用が採用に包含されることがその理由であるということに注意が必要です。これもまた日本型雇用慣行では認識されない点ではあるのですが、雇用の基準が「職」にあるジョブ型においては、ある「職」に労働者を配置するのは、すべて「採用」なんですね。

たとえば、ジョブ型の会社がニューヨーク支店の法人営業課長という「職」に労働者を配置する場合は、その人材が会社内部の従業員か外部の応募者からであるか(もちろん応募者が無業者であるか)は問いません。つまり、ジョブ型である以上、その候補者の適性はあくまで「ジョブ」を基準として判断されるため、内部労働市場と外部労働市場がシームレスとなり、内部の人材と外部の人材は特に区別されることなく配置の可否が判断されることになります。それらはいずれも「雇用」(employment)となるわけでして、これを日本人が見ると、内部の人材であれば「昇進」(promotion)したように見えて、外部の人材であれば「採用」(employment)したように見えるということになります。なお、昇進を意味するpromotionは、使用者側ではなく労働者側の視点であることも示唆的ですね。昇進は社内の手続きとして行われるのではなく、あくまで自分自身を販促(promote)した結果であるという考え方が透けて見えるように思います(まあ昇進した人を三人称でいうときは He is promoted となるようですが)。

これに対して、メンバーシップ型の会社の東京支店の法人営業課長という「職」は会社の内部の人材が「昇進」して就くポストであって、外部からいきなり「管理職」に「採用」するというのは(特別のプロジェクトなどで外部から招聘される場合は除いて)ほとんどありません。こうした「管理職」への「昇進」は、日本のメンバーシップ型雇用においては、会社内部の手続きとなっているからですね。上記の例でいえば、東京支店の法人営業課長には大阪支店の法人営業係長が「昇進」したり、東京支店の会計課長が「横滑り」したりするものであって、これらはすべて「異動」といわれます。外部の労働者が応募しようとしても、そもそも「異動」は外部にはオープンにされていないので、応募すらできません。まあ、最近では特定のポストに「公募制」などの制度を設ける会社もありますが、それもあくまで社内の従業員を対象としたものですし。

これらの「異動」が会社内部の手続きとなるのは、定年退職とセットになった新卒一括採用のため、定年退職で空いたポストに順次「昇進」させながら、上から末端までの中間のポストに空きを作らなければならないという物理的な必然性があるからですが、話はそれにとどまりません。こうした「定期異動」は、従業員を下から順次大きな仕事を担うポストに割り当てることで、「昇進」させるに足る人材の育成(あるいは見極め)を行うものでもあって、それが内部労働市場で人材育成と調達を行う日本型雇用慣行の肝でもあるわけです。逆にいえば、よくわからないけど英語が上手くて評判が高い経営コンサル辺りを外部から「管理職」に登用すると、プロパー従業員からは「横入りのごぼう抜き野郎」((c)松本人志@『遺書』)として忌み嫌われてしまい、結局仕事にならないということになりかねません(まあ、地方公務員の世界では、国やら県やらから「格下の」自治体に「管理職」が出向するというのは日常茶飯事ですが)。

これを日本的感覚でいえば、「内部で人材育成された労働者でないのに、どうして「管理職」になれるのか」というところでしょう。実は、上記の日本型雇用慣行における人材育成の観点からいえば、この感覚には一理あります。つまり、日本社会にメンバーシップ型の雇用慣行が根強く浸透しているため、その会社における「管理職」とはメンバーシップ型雇用を管理するものでなければならず、その管理を担うためには、「管理職」自身がその会社におけるメンバーシップ型雇用を十分に経験して体得している必要があるというわけです。こうしてメンバーシップ型雇用は自ら「管理職」を養成することによって自己を強化し、それを支える職能資格給はますます堅牢になっていくことになります。

端的には、管理職ポストを経て退職した中年男性が再就職しようとしたときに、「管理職の経験があります」と自己PRしたという話は、メンバーシップ型の日本では笑い話になってしまうけれども、ジョブ型の社会では特に違和感を感じられないという点にその違いが表れているといえましょう。

さて、前置きが延々と長くなっていまいましたので、改正地方自治法についてはさらにエントリを改めることにします。