2016年05月07日 (土) | Edit |
前回エントリとは違いますが、こちらの件についてもわかったようなわからないようなコメントがありましたので、簡単にメモしておきます。

信用失墜行為 停職中に旅行でカニ食べ投稿、懲戒免職に(毎日新聞2016年5月2日 21時22分(最終更新 5月2日 22時34分)

岐阜・池田町の30歳女性主事 フェイスブックに

 停職期間中に不適切な内容をフェイスブックに投稿したとして、岐阜県池田町は2日、同町民生部住民課の女性主事(30)を地方公務員法(信用失墜行為の禁止)違反に当たるとして懲戒免職にした。免職処分について、田口貴弘総務部長は「反省すべき停職期間中に町の信頼を損なう行為をした責任を重くとらえた。反省の様子もみられず妥当な処分」と話している。

 町によると、元主事は勤務時間外に名古屋市で接客の仕事に従事し、300万円程度の報酬を得たとして昨年11月、停職6カ月の懲戒処分を受けた。その直後、自身のフェイスブックに旅行先で食べたカニの写真や「ママ友と海鮮ざんまい」とのコメントを投稿。住民から町に「停職中なのに不謹慎」との批判が寄せられた。

 上司が注意したが、元主事は今年3月、旅行先の奈良県で食事した時の様子をフェイスブックに投稿。肉や野菜の写真とともに「食べ過ぎて撃沈。動けない。誰か助けて」とコメントしていた。【渡辺隆文】


この報道だけでは懲戒免職に至った詳しい経緯まではわかりませんが、これに対する反応の一つがこちらです。

ええと、「公務員の「停職」って本来の勤務時間中は自宅にいなきゃいけなくて外出するにも上司の許可がいるっていう厳しい処分」というのは、私のそこそこ長い公務員生活でも聞いたことがないですね。そもそも、懲戒処分というのは「使用者が従業員の企業秩序違反行為に対して課す制裁罰」であって、企業秩序の範囲を超える労働者の自由についてまで、使用者が制限することは原則としてできません。こうした労働問題について疑問があるときは、JIL-PT(独立行政法人労働政策研究・研修機構)の解説を確認するのが確実です。

〈懲戒処分とは〉

法的には対等な契約関係である使用者と労働者の関係において、なぜ使用者が(企業秩序を乱したとはいえ)労働者に制裁としての罰を課すことができるのか、理論的には問題となります。判例は、使用者は企業秩序定立権の一環として当然に懲戒権を有すると考える立場のようですが(前掲 関西電力事件)、現在の学説の立場は、懲戒処分が通常の人事権の行使等とは異なる特別の制裁罰である以上、契約上の特別の根拠が必要であり、労働契約上の根拠に基づいてその限りで懲戒権を有すると考える立場が支配的であるといってよいでしょう(懲戒処分が適法か否かに関する具体的な判断枠組みについては、本節のQ13を参照してください)。

「Q12 懲戒とは何ですか。(独立行政法人労働政策研究・研修機構)」

いやまあカイカク派が執拗に廃止を主張していたJIL-PTはかくも役に立つわけですが、それはともかく、「法的には対等な契約関係である使用者と労働者の関係において、なぜ使用者が(企業秩序を乱したとはいえ)労働者に制裁としての罰を課すことができるのか」が常に問題となるような懲戒処分で、憲法で基本的人権として保障されている「人身の自由」まで拘束できるわけではありません。ちょっと古いですが、人事労務担当の実務者が参考にしている『労政時報』に掲載された解説も確認してみましょう。

2.自宅謹慎(待機)を命じることの可否

 以上のご説明は、「出勤停止」、つまり会社における「就労を禁止」する処分についてのものですが、さらに「自宅謹慎(待機)」、つまり「外出を禁止」することまで命じることができるのでしょうか。

(1)懲戒処分としての出勤停止の場合
 懲戒処分として出勤停止を命じる場合に、さらに自宅謹慎も命じることは、基本的人権である「人身の自由」(憲法18条)を奪うことになる以上、いくら懲戒処分といえども、認められないと考えます。
 したがって、懲戒処分として出勤停止を命じる場合に、さらに自宅謹慎も命じることはできないと解されます。
 ご質問のケースでは、出勤停止中に知り合いのところへアルバイトに行っている事実が判明したとのことですが、この点については、兼職禁止等の就業規則違反があれば、別途、懲戒処分を行うことで対処すべきでしょう。

(2)業務命令としての出勤停止の場合
 これに対して、業務命令として出勤停止を命じる場合には、さらに自宅謹慎ないし待機を命じることは、相当な理由が存在する限り、認められると解されます。  相当な理由としては、前述の裁判例で指摘されているように、事故発生、不正行為の再発、証拠隠滅のおそれなどが存在する場合が挙げられます。その他にも、裁判例では、取引先と直接接触するセールスマンが、仕事上関わりがあったデモンストレーターの女性と不倫関係に陥ったことが原因で、会社の信用が失墜した場合につき、そのままセールス活動を続けさせることは業務上適当でない等の理由から、自宅待機命令(2年間)は相当な理由があるとしたものがあります(ネッスル事件[東京高判平2・11・28労民41-6-980][原審は静岡地判平2・3・23判時1350-147、判タ731-150、労判567-47等])。また、降格処分を確定するための調査・審議のため(1か月間)及び飲酒による肝機能障害の療養・禁酒のため(その後の3か月間)の自宅待機命令は人事権の濫用には当たらないとしたものがあります(星電社事件[神戸地判平3・3・14労判584-61])。

「出勤停止は自宅謹慎まで義務付けることができるか?」(弁護士 小林 昌弘(ロア・ユナイテッド法律事務所)2001.09.05)

この解説にある通り、企業秩序違反という事実が確認されてその制裁として行われる懲戒処分ではなく、業務命令としての出勤停止の場合であれば、企業秩序を確保するために必要と認められる範囲において自宅謹慎を命じることは可能ですが、報道された件は懲戒処分としての停職ですので、これも該当しません。

ちなみに、長期不在となる際に届け出を義務づけている自治体もあるので、上記のTwitter主はこれと混同している可能性もありますが、その際も上司の許可までを要するものではありません。

(長期不在時の届出)
第8条 職員は、傷病のため勤務に従事できない期間が10日以上に及ぶときは、医師の診断書を添えて、上司に状況を報告しなければならない。
2 職員は、私事旅行等により長期間住居を離れる場合は、その間勤務先からの連絡に対応できるよう努めなければならない。

○横浜市職員服務規程(平成21年3月25日達第3号 庁中一般)


ということで、停職処分中の私的な行為が企業秩序(人事院規則では「職場内秩序」としていますが)に違反する行為とされるのかは、慎重に判断される必要があります。今回の懲戒処分については、記事で「信用失墜行為」と見出しがつけられていますが、では、日々激務に追われている公務員が数年ぶりにまとまった休みが取れて旅行に行った先で「かにを食べた」とSNSにアップした場合も、この件と同じように処分されるのかは難しいところでしょう。

と考えてみると、この元職員は、今回の処分の直接の理由となったSNS以外にもいろいろと企業秩序に違反する(と認められる)行為を行っていたのかもしれません。その辺の事情が報道ではよく分からないのでなんともいえないのですが、そもそも停職処分の理由となった営利企業の兼業禁止違反というのも、「公務員だから」と一概にいえる問題ではないんですよね。

地方公務員法と国家公務員法はいろいろと違うのですが、地方自治体の実務の現場では基本的に人事院規則を参照していますので、懲戒の指針についての人事院規則の運用通知を確認してみましょう。

懲戒処分の指針について
(平成12年3月31日職職―68)
(人事院事務総長発)

懲戒処分の指針

第1 基本事項
本指針は、代表的な事例を選び、それぞれにおける標準的な懲戒処分の種類を掲げたものである。
具体的な処分量定の決定に当たっては、
① 非違行為の動機、態様及び結果はどのようなものであったか
② 故意又は過失の度合いはどの程度であったか
③ 非違行為を行った職員の職責はどのようなものであったか、その職責は非違行為との関係でどのように評価すべきか
④ 他の職員及び社会に与える影響はどのようなものであるか
⑤ 過去に非違行為を行っているか
等のほか、適宜、日頃の勤務態度や非違行為後の対応等も含め総合的に考慮の上判断するものとする。
個別の事案の内容によっては、標準例に掲げる処分の種類以外とすることもあり得るところである。例えば、標準例に掲げる処分の種類より重いものとすることが考えられる場合として、
① 非違行為の動機若しくは態様が極めて悪質であるとき又は非違行為の結果が極めて重大であるとき
② 非違行為を行った職員が管理又は監督の地位にあるなどその職責が特に高いとき
③ 非違行為の公務内外に及ぼす影響が特に大きいとき
④ 過去に類似の非違行為を行ったことを理由として懲戒処分を受けたことがあるとき
⑤ 処分の対象となり得る複数の異なる非違行為を行っていたとき
ある。また、例えば、標準例に掲げる処分の種類より軽いものとすることが考えられる場合として、
① 職員が自らの非違行為が発覚する前に自主的に申し出たとき
② 非違行為を行うに至った経緯その他の情状に特に酌量すべきものがあると認められるとき
がある。
なお、標準例に掲げられていない非違行為についても、懲戒処分の対象となり得るものであり、これらについては標準例に掲げる取扱いを参考としつつ判断する。

第2 標準例
1 一般服務関係
(略)
(10) 兼業の承認等を得る手続のけ怠
営利企業の役員等の職を兼ね、若しくは自ら営利企業を営むことの承認を得る手続又は報酬を得て、営利企業以外の事業の団体の役員等を兼ね、その他事業若しくは事務に従事することの許可を得る手続を怠り、これらの兼業を行った職員は、減給又は戒告とする。


件の公務員は、報道によると「勤務時間外に名古屋市で接客の仕事に従事」とのことですので、「兼業の承認等を得る手続きのけ怠」による減給は又は戒告にとどまらず(そのけ怠があったかどうかは不明ですが)、その兼業の内容に応じたものとして停職6か月というかなり重い処分としたように思われます。「標準例に掲げる処分の種類より重いものとすることが考えられる場合」に該当するということかもしれませんが、であれば、SNSの信用失墜行為は最後のピースだったのでしょう。

個人的には、SNSという職場内秩序に直接関係のない私的行為を最後のピースとして処分することは、懲戒処分の目的と限界からすると大いに疑問を感じます。この点では、マンマークさんと同じく

 正直、停職期間中の行為として「ママ友と海鮮ざんまい」がはしゃぎ過ぎかとも思うし、不謹慎だと言われればそうかとも思いますが、それが免職に値する行為だったかというと、それもどうかなと思います。

 だから、私の内面のどこかから、この職員に向けた「裁判しろ、裁判で争え!」という声が湧き上がってきています。
 これは、決して焚き付けているわけじゃなく、停職中の行動範囲と内容の基準をどこに置くのか、一自治体という組織から離れた中立的な立場の判断を聞いてみたいからです。
 
 もっとも、これについては過去に判例があって、それを私が知らないだけ、ということも十分に考えられますが…。

「停職について。(2016-05-04)」(市役所職員の生活と意見)


司法がどのように線を引くのかに大変興味がありますが、そこまで発展する問題なのかは、「能力」に着目した長期雇用を前提とする日本的雇用慣行では難しそうですね。

ちなみに、JIL-PTでは

(54)【服務規律・懲戒制度等】私生活上の非違行為

1 ポイント

(1)職務遂行に関係のない職場外の労働者の行為であっても、その行為が企業の円滑な運営に支障をきたすおそれがある場合や会社の社会的評価に重大な悪影響を与えるような場合には、その行為を理由とした懲戒処分が許される。
(2)労働者の不名誉な行為が会社の体面を著しく汚したというためには、必ずしも具体的な業務阻害の結果や取引上の不利益の発生を必要とするものではないが、労働者の行為の性質、情状のほか、会社の事業の種類・態様・規模、会社の経済界に占める地位、経営方針及びその従業員の会社における地位・職種等諸般の事情から総合的に判断して、労働者の行為により会社の社会的評価に及ぼす悪影響が相当重大であると客観的に評価される場合でなければならない。


ということで、過去の判例が引用されていますが、SNSで私的な旅行について投稿したことが懲戒解雇(免職)に該当するかは、かなり微妙な判断になりそうな気がします。

2016年04月21日 (木) | Edit |
前回エントリに引き続き、地方公務員法の改正内容からメンバーシップ型雇用の堅牢さを確認しておきますが、改めて復習しておきますと、メンバーシップ型の日本型雇用慣行を支えているのは、労働者の「能力」を基準とした職能資格給制度です。労働者の1次分配である賃金がこの賃金体系によって決まることになるため、2次分配、つまり所得の再分配政策である社会保障制度もこれを前提として規定されることになります。巷の(特に経済学方面の方に顕著ですが)社会保障をめぐる議論では、この点についての議論がすっぽり抜けいてるために、空疎な机上論と守旧的な現状維持の不毛な応報が繰り広げられることになるんですよね。

といっても、じゃあ何をもって「能力」というのかというのは永遠の問題でして、日本では労使が現場で試行錯誤しながら交渉して、1960年代までには「経験によって積み重ねられる「資格」を能力として、その「資格」を基準にして給料を決定することにするか」ととりあえず合意したわけです。これが「職能資格給制度」、つまり、「職務遂行能力」で「資格」を決定し、その「資格」に応じて「給料」が支払われる仕組みです(まあ、略さずにつなげていえば「能力・資格・給料支払い制」というところでしょうか)。

この仕組みを労働者側から見ると、「資格」は経験によって積み重ねられるのであり、経験を積めばある程度の「資格」を得て、それに対応した給料をもらえるわけですから、働き続ければ「資格」と給料がセットで上がり続け、それにより生活保障を得ることができます。

一方で使用者側からすると、従業員の年齢構成さえ管理しておけば、賃金原資の見通しを立てることができます。そしてその年齢構成については、新卒一括採用と定年制で入りと出を管理する日本的な手法が確立されており、賃金原資の見通しが悪化すれば、入りと出を調整する(日本的な手法としての中高年のリストラと新採用の抑制)ことが可能になるわけです。ここで注意が必要なのは、使用者側が入りと出を管理するということは、その中間のポストへの「異動」も使用者の裁量に委ねることになるということです。つまり、労働者が得る「資格」は、あくまで働き続けるという条件が満たされる限りにおいて上がっていくものであり、労働者は生活保障のために働き続けなければならず、与えられた「資格」に見合うように職務無限定の異動を受け入れなければならないということになります。

hamachan先生が指摘されているメンバーシップ型の日本型雇用慣行の問題点は、具体的にはこのような制度的裏付けによってもたらされます。職務無限定で異動させることすらできる使用者が、時間を限定する理由などありませんし、賃金原資の管理が面倒になりますから、仕事が増えたときには、労働者を新たに雇用するより、現在雇用している労働者に超過勤務を命じるほうが簡便です。そして労働者にとっても、その対価としての超過勤務手当より、「次の昇任」によってより上の「資格」で報いる方が長期的なメリットがありますし、使用者も賃金原資の管理がしやすくなります。こうして、職務無限定、時間無限定、勤務地無限定の処遇が、むしろ「資格」を得るためのエリートコースとなり、正規労働者が生活保障を万全にしていくわけです。

正規労働者が職務無限定の働き方と引き換えで生活保障を万全にする一方で、上述の通り賃金原資の見通しが悪化すると「資格」が高すぎる中高年はリストラされ、「資格」がまだない新卒者の採用が抑制されますが、もうひとつ大きな問題がありますね。それが非正規労働者の存在です。非正規労働者は、賃金原資の見通しが悪化するだけではなく、賃金原資の見通しが不透明になると、上述のリストラと採用抑制だけでは臨機応変に対応できないため、そのバッファとするための採用区分です。つまり、正規労働者の生活保障は、正規労働者が男性であることを前提として、その家族である主婦パートや学生アルバイトによって主に担われていた非正規労働者のバッファ機能と表裏一体だったわけですね。

いくら賃金原資の管理をするためとはいえ、入りと出のバランスが崩れると組織としての機能が低下するリスクもありますし、労働者の「資格」の前提が働き続けることである以上、その「資格」を使用者側が一方的に破棄することができません(法定の解雇規制ではありません。為念)。そのために、「資格」を与えない非正規労働者をバッファとして確保しておく必要があり、非正規労働者の拡大は、バブル崩壊以降の景気低迷をきっかけとして賃金原資の見通しが不透明となっていることがその理由となるわけです。ここまではいつもの議論ですね。

いったんまとめると、「資格」を基準とする賃金体系である「職能資格給制度」によって、労働者は働き続けなければ生活保障が得られず、職務も時間も勤務地も無限定で働くことになります。そして使用者は一方的に「資格」を奪うことができないために、景気が低迷して賃金原資の見通しが悪化すれば、中高年を高すぎる「資格」を理由としてリストラし、「資格」のない新卒者の採用を抑制し、賃金原資の見通しが不透明になれば「資格」のない非正規労働者を拡大することになります。

ここで「日本型雇用はけしからん! 職務給を導入するべきだ!」という方は、ほとんどいないでしょう。むしろ、職務無限定でもなんでもいいから正規労働者となって生活保障を確保するべきというのが、左右を問わず根強い意見ではないかと思います。だからこそ、税金によって生活保障を確保するのでなく、賃金の範囲での可処分所得を死守するべきという議論が根強くあるわけですし。ところが、その賃金は各社の賃金原資の見通しに左右されるものであって、景気が悪くなれば真っ先にカットされるものである以上、安定性が著しく低いために生活保障としての機能は本来は低いんですよね。

当然、1次配分としての賃金の適正化は必要であって、その機能は労働組合が労使交渉で発揮するものですが、これも実は「職能資格給制度」によって分断されています。つまり、職務給の社会では、交渉する賃金は「職」についての適正な水準ですが、「職能資格給制度」の社会では、会社ごとに様々な「資格」に分断された労働者が労働組合を組織しますので、個々の「職」についての賃金水準ではなく、賃金原資全体の分配が交渉事項になります。これが「ベア」ですね。その影響力を拡大する手法が「春闘方式」だったものの、労使交渉でベアが確保されると、あとは「資格」に応じて個々の労働者に配分されるので、ベアそのものについての個々の労働者の関心は低くなりがちで、組織率は下がっていきます。日本の労働組合法では労働組合の並立が認められていることもあり、労働組合の交渉力は低下する一方です。

そして、社会保障制度はこうした1次配分としての賃金体系を前提として構築されています。この前提に立つ限り、正規労働者が働き続ければ生活保障を確保できるなら、社会保障を拡充する必要はありませんし、可処分所得を減らす増税なんぞ狂気の沙汰でしょう。ただしそれは、日本型雇用慣行における長時間労働やサービス残業、正規と非正規の二極化を容認する議論でもありますので、増税論を執拗に攻撃される方は、日本型雇用慣行の維持を同時に主張していただかないと自家撞着を起こしてしまいますので、くれぐれもご注意ください。いやまあ、所得再分配とか社会保障に関心がない方は構いませんが。

という労働問題の動向にビビッドに「民間準拠」することを旨とする地方公務員法では、今回の改正で「採用」以外の任用方法が定義されることとなりました。この規定がどちらの方向に向いたものなのか、その改正が行われたのは誰の意向を反映したものなのか、ぜひご条文をご確認いただきなら思いを馳せていただければと思います。
(4/24 論旨を明確にするため一部加筆修正しました)
改正後改正前
   第三章 職員に適用される基準

    第二節 任用

 (任用の根本基準)
   第三章 職員に適用される基準

    第二節 任用

 (任用の根本基準)
第十五条 職員の任用は、この法律の定めるところにより、受験成績、人事評価その他の能力の実証に基づいて行わなければならない。
第十五条 職員の任用は、この法律の定めるところにより、受験成績、勤務成績その他の能力の実証に基いて行わなければならない。
 (定義)
第十五条の二 この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。

 (新設)
一 採用 職員以外の者を職員の職に任命すること(臨時的任用を除く。)をいう。
 
二 昇任 職員をその職員が現に任命されている職より上位の職制上の段階に属する職員の職に任命することをいう。
 
三 降任 職員をその職員が現に任命されている職より下位の職制上の段階に属する職員の職に任命することをいう。
 
四 転任 職員をその職員が現に任命されている職以外の職員の職に任命することであつて前二号に定めるものに該当しないものをいう。
 
五 標準職務遂行能力 職制上の段階の標準的な職(職員の職に限る。以下同じ。)の職務を遂行する上で発揮することが求められる能力として任命権者が定めるものをいう。
 
2 前項第五号の標準的な職は、職制上の段階及び職務の種類に応じ、任命権者が定める。
 
3 地方公共団体の長及び議会の議長以外の任命権者は、標準職務遂行能力及び第一項第五号の標準的な職を定めようとするときは、あらかじめ、地方公共団体の長に協議しなければならない。
 

 (任命の方法)
第十七条 職員の職に欠員を生じた場合においては、任命権者は、採用、昇任、降任又は転任のいずれかの方法により、職員を任命することができる。

 (任命の方法)
第十七条 職員の職に欠員を生じた場合においては、任命権者は、採用、昇任、降任又は転任のいずれか一の方法により、職員を任命することができる。
2 人事委員会(競争試験等を行う公平委員会を含む。以下この節において同じ。)を置く地方公共団体においては、人事委員会は、前項の任命の方法のうちのいずれによるべきかについての一般的基準を定めることができる。
2 人事委員会(競争試験等を行う公平委員会を含む。以下この条から第十九条まで、第二十一条及び第二十二条において同じ。)を置く地方公共団体においては、人事委員会は、前項の任命の方法のうちのいずれによるべきかについての一般的基準を定めることができる。
(削る)
3 人事委員会を置く地方公共団体においては、職員の採用及び昇任は、競争試験によるものとする。但し、人事委員会の定める職について人事委員会の承認があつた場合は、選考によることを妨げない。
(削る)
4 人事委員会を置かない地方公共団体においては、職員の採用及び昇任は、競争試験又は選考によるものとする。
(削る)
5 人事委員会(人事委員会を置かない地方公共団体においては、任命権者とする。以下第十八条、第十九条 及び第二十二条第一項において同じ。)は、正式任用になつてある職についていた職員が、職制若しくは定数の改廃又は予算の減少に基く廃職又は過員によりそ の職を離れた後において、再びその職に復する場合における資格要件、任用手続及び任用の際における身分 関し必要な事項を定めることができる。

 (採用の方法)
第十七条の二 人事委員会を置く地方公共団体においては、職員の採用は、競争試験によるものとする。ただし、人事委員会規則(競争試験等を行う公平委員会を 置く地方公共団体においては、公平委員会規則。以下 この節において同じ。)で定める場合には、選考(競 争試験以外の能力の実証に基づく試験をいう。以下同じ。)によることを妨げない。


 (新設)
2 人事委員会を置かない地方公共団体においては、職員の採用は、競争試験又は選考によるものとする。
 
3 人事委員会(人事委員会を置かない地方公共団体においては、任命権者とする。以下この節において「人事委員会等」という。)は、正式任用になつてある職に就いていた職員が、職制若しくは定数の改廃又は予算の減少に基づく廃職又は過員によりその職を離れた 後において、再びその職に復する場合における資格要件、採用手続及び採用の際における身分に関し必要な 事項を定めることができる。
 


2016年04月21日 (木) | Edit |
熊本から大分に広がった地震関連のエントリを挟みましたが、前々回エントリに関連して議論を広げておきます。

前々回エントリで取り上げた職階制の廃止と並んで、任用方法の改正も今回の国家公務員法改正に連なる地方公務員法改正の大きなポイントとなります。これまでは、地方公務員法に任用方法の規定がなく、解説書に採用、昇任、降任、転任それぞれの任用方法について説明がある程度でしたが、改正後の地方公務員法ではそれぞれに定義規定が置かれることになりました。というと、年中行事として3月に従業員の少なくない割合が異動or昇任し、定年を迎えた従業員が退職or再雇用され、4月になると入れ替わりに新卒の新入社員が入社してくるという日本の勤め人には、「その方法の規定が無いとは何事だ」と思う方も多いかもしれません。

この話の前提として、ジョブ型雇用のアメリカ占領下で制定された地方公務員法が任用の種類について規定を置かなかったのは、ジョブ型ではすべての雇用が採用に包含されることがその理由であるということに注意が必要です。これもまた日本型雇用慣行では認識されない点ではあるのですが、雇用の基準が「職」にあるジョブ型においては、ある「職」に労働者を配置するのは、すべて「採用」なんですね。

たとえば、ジョブ型の会社がニューヨーク支店の法人営業課長という「職」に労働者を配置する場合は、その人材が会社内部の従業員か外部の応募者からであるか(もちろん応募者が無業者であるか)は問いません。つまり、ジョブ型である以上、その候補者の適性はあくまで「ジョブ」を基準として判断されるため、内部労働市場と外部労働市場がシームレスとなり、内部の人材と外部の人材は特に区別されることなく配置の可否が判断されることになります。それらはいずれも「雇用」(employment)となるわけでして、これを日本人が見ると、内部の人材であれば「昇進」(promotion)したように見えて、外部の人材であれば「採用」(employment)したように見えるということになります。なお、昇進を意味するpromotionは、使用者側ではなく労働者側の視点であることも示唆的ですね。昇進は社内の手続きとして行われるのではなく、あくまで自分自身を販促(promote)した結果であるという考え方が透けて見えるように思います(まあ昇進した人を三人称でいうときは He is promoted となるようですが)。

これに対して、メンバーシップ型の会社の東京支店の法人営業課長という「職」は会社の内部の人材が「昇進」して就くポストであって、外部からいきなり「管理職」に「採用」するというのは(特別のプロジェクトなどで外部から招聘される場合は除いて)ほとんどありません。こうした「管理職」への「昇進」は、日本のメンバーシップ型雇用においては、会社内部の手続きとなっているからですね。上記の例でいえば、東京支店の法人営業課長には大阪支店の法人営業係長が「昇進」したり、東京支店の会計課長が「横滑り」したりするものであって、これらはすべて「異動」といわれます。外部の労働者が応募しようとしても、そもそも「異動」は外部にはオープンにされていないので、応募すらできません。まあ、最近では特定のポストに「公募制」などの制度を設ける会社もありますが、それもあくまで社内の従業員を対象としたものですし。

これらの「異動」が会社内部の手続きとなるのは、定年退職とセットになった新卒一括採用のため、定年退職で空いたポストに順次「昇進」させながら、上から末端までの中間のポストに空きを作らなければならないという物理的な必然性があるからですが、話はそれにとどまりません。こうした「定期異動」は、従業員を下から順次大きな仕事を担うポストに割り当てることで、「昇進」させるに足る人材の育成(あるいは見極め)を行うものでもあって、それが内部労働市場で人材育成と調達を行う日本型雇用慣行の肝でもあるわけです。逆にいえば、よくわからないけど英語が上手くて評判が高い経営コンサル辺りを外部から「管理職」に登用すると、プロパー従業員からは「横入りのごぼう抜き野郎」((c)松本人志@『遺書』)として忌み嫌われてしまい、結局仕事にならないということになりかねません(まあ、地方公務員の世界では、国やら県やらから「格下の」自治体に「管理職」が出向するというのは日常茶飯事ですが)。

これを日本的感覚でいえば、「内部で人材育成された労働者でないのに、どうして「管理職」になれるのか」というところでしょう。実は、上記の日本型雇用慣行における人材育成の観点からいえば、この感覚には一理あります。つまり、日本社会にメンバーシップ型の雇用慣行が根強く浸透しているため、その会社における「管理職」とはメンバーシップ型雇用を管理するものでなければならず、その管理を担うためには、「管理職」自身がその会社におけるメンバーシップ型雇用を十分に経験して体得している必要があるというわけです。こうしてメンバーシップ型雇用は自ら「管理職」を養成することによって自己を強化し、それを支える職能資格給はますます堅牢になっていくことになります。

端的には、管理職ポストを経て退職した中年男性が再就職しようとしたときに、「管理職の経験があります」と自己PRしたという話は、メンバーシップ型の日本では笑い話になってしまうけれども、ジョブ型の社会では特に違和感を感じられないという点にその違いが表れているといえましょう。

さて、前置きが延々と長くなっていまいましたので、改正地方自治法についてはさらにエントリを改めることにします。

2016年04月10日 (日) | Edit |
新年度が始まってマスコミなどでは電力自由化などが話題になっていますが、この4月から地方公務員の働き方も大きく変わったことは、当の地方公務員にもあまり意識されていないようですね。というのは、平成26年5月に成立した改正地方公務員法がこの平成28年4月1日に施行されておりまして、任用の方法が根本的に変更されていまして、その内容は以前連載させていただいていた「HRMics」の2014年8月発行のvol.19でちょっと詳しく取り上げております。

民間の経験を踏まえた職階制の廃止
 今回の改正によって、職務給原則による職階制を廃止したということで、名実ともに公務員も職能資格給制度が取り入れられることになりました。…といいたいところですが、地方公務員法24条1項の職務給原則についての規定は、今回の改正後もそのまま残っています。職階制を廃止したのに職務給原則は変わらないというのは、どういうことでしょう?
 総務省が作成した地方公務員法改正の資料をみると、「職員がその職務を遂行するに当たり発揮した能力及び挙げた業績を把握した上で行われる人事評価制度を導入」と書いてあります。なるほど、職階制を廃止して人事評価制度を導入するわけですね。
 さらにその資料にはこうあります。「職務給原則を徹底するため、地方公共団体は給与条例で「等級別基準職務表」を定め、等級別に職名ごとの職員数を公表するものとする」…なんとも理解に苦しむ文章ですが、この文面どおりに解釈すると、まず給与を決めてそれに見合う職務を決める「等級別基準職務表」を定めることになります。つまり、職務給原則の徹底といいながら、その実態は、等級別に区切られた職務遂行能力に給与を連動させる職能資格給とし、そこに人事評価を加えるものということになりそうです。
 となると、今回の地方公務員法改正によって「職階制」は廃止されましたが、それは実態上の職能資格給制度を追認しつつ業績連動部分を大きくする趣旨と理解すべきでしょう。
 民間と公務員に共通する日本型雇用は、すでに以前のような厳密な意味での年功序列ではなくなっており、実態との整合性という意味では一歩前進したのかもしれません。しかし、「公務員は親方日の丸で年功序列だから成果主義の導入を!」と意気込んだ結果が日本型雇用だったわけでして、結局のところ、公務員も民間も等しく無限定に働くことが求められる現状には変わりがなさそうです。

「公僕からの反論 公務員は「親方日の丸」でも「年功序列」でもない」HRMics vol.19(2014年8月)p.40
※ 以下、強調は引用者による。


ここで引用している総務省の資料というのはこちらのページに掲載されている概要ファイルです。
概要PDF【196 KB】
実は、この地方公務員法改正は平成19年の国家公務員法改正と連動しておりまして、ほぼ同じ内容となっています。その平成19年の国家公務員法改正は、同年4月の閣議決定の内容を具体化したものとなっています。

2.国家公務員法等の改正
(1)能力・実績主義
①人事管理の原則
 職員の任用、給与その他の人事管理について、職員の採用試験の種類や年次にとらわれてはならないこと、人事評価に基づいて適切に行うことといった基本的な原則を明らかにする。
②能力本位の任用制度の確立
イ 昇任、転任等
 職員の昇任及び転任は、職員の人事評価又はその他の能力実証によるものとする。また、職制上の段階の標準的な官職と、その官職に必要な標準職務遂行能力を明らかにしておき、標準職務遂行能力及び適性を、昇任又は転任の判断基準とする。
ロ 採用昇任等基本方針
 職員の採用、昇任、降任及び転任に関する制度の適切かつ効果的な運用を確保するための基本的な方針(採用昇任等基本方針、閣議決定)を策定する。
③ 新たな人事評価制度の構築
職員の人事評価を「任用、給与、分限その他の人事管理の基礎とするために、職員がその職務を遂行するに当たり発揮した能力及び挙げた業績を把握した上で行われる勤務成績の評価」と定義し、これを公正に行わなければならないこととする。
ロ 職員の執務について、その所轄庁の長は、定期的に人事評価を実施。
ハ 人事評価の基準及び方法に関する事項その他人事評価に関し必要な事項は、人事院の意見を聞いて政令で定める。

「公務員制度改革について」(平成19年4月24日 閣議決定)


さらに、この閣議決定に至る前には、平成13年度(18年度一部改正)の「公務員制度改革大綱」で基本的な考え方が示されています。

(1) 能力等級制度の導入
① 基本的考え方
 新人事制度の基礎となるものとして、職務(官職)を通じて現に発揮している職務遂行能力に応じて職員を等級に格付ける能力等級制度を設け、これを任用、給与及び評価の基準として活用することにより、トータルシステムとしての人事システムを構築する。
 能力等級制度は、上級幹部職員(現行の指定職俸給表の適用を受ける職員に相当する職員をいう。以下同じ。)を除く職員に適用する。

② 具体的措置
ア 能力等級表
 職員一人一人の職務遂行能力の評価及び等級への格付けを適正に行うためには、公務部門の多様な組織や職務の実態を踏まえて等級ごとに職務遂行能力基準(以下「能力基準」という。)を適切に定める必要がある。このため、府省共通の能力等級表を設け、同表において、組織段階ごとに、基本職位、代表職務及び能力基準を定める。
 組織段階は、本府省、地方支分部局等に応じて複数設け、組織段階ごとに典型的な職制段階(課長・企画官、課長補佐、係長、係員など)に応じた複数の基本職位を定めるとともに、基本職位ごとに代表職務(基本職位の前提となった職制の代表的な職名)及び対応する等級を定める

公務員制度改革大綱(平成13年12月25日閣議決定 平成18年6月16日一部改正)


・・・さて、ここまでの改正法とか閣議決定の文書を読んで、違和感を感じる日本人の勤め人はどれだけいらっしゃるでしょうか。もう一度確認しておきますと、国家公務員法も地方公務員法もいずれも「職務給の原則」を掲げています。これに対して、19年の閣議決定では「職制上の段階の標準的な官職と、その官職に必要な標準職務遂行能力を明らか」にするとし、13年の閣議決定では「職務(官職)を通じて現に発揮している職務遂行能力に応じて職員を等級に格付ける能力等級制度を設け」るとしていますね。それでは、職階制を廃止した国家公務員法と地方公務員法の改正は、「職務給の原則」を徹底しているといえるのでしょうか?

まあ、こんな問いには日本の勤め人の皆さんはほとんど関心がないでしょうし、むしろ、この改正は民間では当たり前だと感じる方が多いでしょう。つまり、民間でも公務員でもおよそ日本人が違和感を感じるのは「職務給の原則」のほうであって、上記の閣議決定文書にいうような能力に応じて職制上の官職(ポスト)に処遇する「職能資格給」の説明のほうがしっくりくるのではないかと思います。結局、国家公務員法と地方公務員法の「職務給の原則」が、その言葉とは正反対に「職能資格給」として機能している現状を追認したのが、国家公務員法から地方公務員法に連なる改正の内容ということになります。だからこそ、「職務給の原則」を支える(はずだった)職階制は廃止されなければならず、その代わりに能力に応じて官職を割り当てるための人事評価を規定しなければならなかったわけです。

という次第で、こういうことを書いていても「それのどこが問題なのか」というのが大方の反応だとは思うのですが、実は、平成13年の閣議決定の前の段階の文書では、より「職務給」を指向していたと思われる記述があります。

4 能力・実績に応じた昇進・給与を支える人事評価

【基本的考え方】

 公務員については、組織的な職務遂行が求められること、収益等による明確な評価ができないこと等、民間企業と比べ、業務の性格上人事評価が困難な面があるが、能力・実績主義を徹底した人事を支えるため、各職員の能力・実績を的確に把握しうる客観性・公正性の高い人事評価システムを整備することが必要である。
 現行の人事評価の中心である勤務評定制度については、現に就いている官職における短期的な勤務実績の評価の観点から設計されているものであり、昇進管理・人材配置に用いるべき中長期的視点をも踏まえた能力評価のためには、必ずしも十分なものとは言えない。
 今後は、(1)執務の結果である短期的な勤務実績等の的確な評価、(2)職員がある役職段階や官職に昇任・異動するために必要な能力の基準を満たしているかどうかの中長期的観点を含めた的確な能力評価の双方を一層公正かつ客観的に行うことができるよう、人事評価制度を整備すべきである。
 また、職員の能力を十分に発揮させ、その能力・実績を的確に評価できるよう、個々の職員の職務範囲を明確にするとともに、職員が創意工夫をもって仕事に取り組めるような職務編成としていくことも重要である。  同時に、能力評価の結果を昇進管理のみならず能力開発にも十分活用すべきである。  また、職員の職務に対する意欲を高めるためには、職員個人の自主性に配慮していくことが重要であり、職員の自主性、志向を取り入れる評価制度の構築という観点も重要である。  なお、具体的な改革方策を検討していくに当たっては、専門的な検討の場を設けることが必要である。

「公務員制度改革の基本方向に関する答申」(平成11年3月16日 公務員制度調査会)


この平成11年の段階では「職務範囲を明確にする」として、「職」を基準にするような議論も一部にみられたものの、2年後の平成13年には「職務(官職)を通じて現に発揮している職務遂行能力に応じて職員を等級に格付ける能力等級制度」という「ヒト」を基準とする制度にすり替わってしまうところが、日本型雇用慣行における「職能資格給制度」の堅牢さを物語っていますね。

いやもちろん、雇用・労働の問題にきちんと向き合っている方々にはこうした制度変更の問題点は認識されているところでして、

地方公務員法改正にともなう条例改正では、地方公務員法が本来目標としていた職務(ジョブの種類)職階制を廃止し、職位だけで「職務」を定義して総合的に人事評価するやり方は、職務無限定で働かせる日本の労働慣行を見直して一億総活躍と言っている時代に逆行する改革である、と反対しました。

「3/24 3月定例市議会おわる(2016.03.28)」(きょうも歩く)

黒川さんがこの短文で的確に指摘されている通り、長時間労働やら正規と非正規の格差やらサービス残業やらワークライフバランスやらが叫ばれながらその対策が奏功せず、景気が回復しても企業ごとの賃金交渉には波及しづらく、同一労働同一賃金の実現を難しくしているのが、職務無限定の日本型雇用慣行であり、それを支えているのが職能資格給制度なわけです。結局は国家公務員法も地方公務員法も、現状のまま日本型雇用慣行を追認するようにしか改正されていないわけでして、4月に施行されても誰も気がつかないのは、まあそういうことですね。

2016年01月30日 (土) | Edit |
拙ブログでは、「その財源によって雇用や生活保障を得る人の話」として財源論を取り上げているところでして、毎度長ったらしいエントリが続いておりますが、一定の方々にはその趣旨を理解していただいていることを大変ありがたく思っております。ところが、そうした方々が拙ブログとは正反対のことを書いていると見受けられるブログを支持されているのを拝見すると、どういう基準で拙ブログのエントリをご理解いただいているのか少々不安になります。

たとえばこちらのブログは一貫して消費増税とそれを主導した(とされる)財務省を「緊縮財政をするような無能な集団だ」とdisっていらっしゃるのですが、一方で一部のリフレ派と呼ばれる方々を批判されているためか、その「りふれは」な方々に批判的な方々に支持されているようです。

 教科書の経済学は、緊縮レジームを崇める司祭でしかない。人は利益を最大化すべく行動するから、収益率に従うはずであり、設備投資にリスクがあるにしても、期待値で決まるとする。しかし、人生は限られ、リスクの時間的分散には制約があるため、実際には、大損を避けようと、期待値がプラスでも、あえて機会利益を捨てる行動を取る。こうした本質への洞察が「人は死せるがゆえに不合理」とする本コラムの核心である。(参照:2013/11/3)
(略)
 再分配によって人的資本への投資を増やし、少子化を解決することは、収益期間を無限にして、大きな経済的メリットをもたらす。すなわち、不合理を正す再分配は、コストを賄えるのである。具体策で示そう。本コラムでは、『雪白の翼』で、年金制度を利用することにより、負担増なしに、0~2歳児に月額8万円という大規模な給付ができることを示した。こうしたマジックが可能なのは、乳幼児への給付で、女性が仕事を辞めなくて済むようになり、出生率が向上して、大きな経済効果が生まれるからである。アトキンソンがどんな国でも再分配の中心となるべきだとする児童手当は、日本では容易に拡張できる。

「21世紀の緊縮レジームを超えて」(経済を良くするって、どうすれば 2016年01月02日)
※ 以下、強調は引用者による。


確かに一見すると、「教科書的な経済学」(主流派経済学と同義のようですが)を批判し、社会保障の拡充によって少子化を解消し、経済成長に結びつけるべきという議論を展開している…ように見受けられるのですが、いかんせん、政府に対する徹底的な不信感がその論説の裏側にべったりと張り付いているため、その問題に対して示される処方箋がことごとく政府批判のためにするものなんですね。

上記エントリで引用されているそれぞれのエントリを拝見してみると、

 まずは、損害保険と宝くじである。どちらも、期待値の観点では、払った分より、見返りが随分と少ない「マイナスの商品」である。そうでなければ、胴元も保険業も成り立たない。従って、現在の経済学が想定するような合理的な人は買わないはずで、短期的にはともかく、長期的には衰退し、不合理が解消されなければおかしいことになる。
(略)
 つまり、人生が永遠の者にとっては、宝くじも損害保険も無意味なのだ。逆に言えば、人生が限られていることが期待値に従わない行動に意味を持たせている。好みの問題ではない。多くの人は、若い時に冒険を好み、老いてからは保守的になるが、これは、好みが変わるのではなく、持ち時間が減るためだ。持ち時間がある場合に限り、リスクを分散させられ、期待値に頼れるようになるのである。

「経済思想が変わるとき 5」(経済を良くするって、どうすれば 2013年11月03日)

ふむふむ、宝くじも損害保険も「払った分より、見返りが随分と少ない「マイナスの商品」」で、そうでなければ成り立たないというのはその通りですね。保険というのはいわゆる互助制度として発展してきたものですので、基本的に保険料は安心料として「掛け捨て」するものであって、その点が貯金と大きく異なるというのは、別に経済学の理論をこねくり回す必要がないというのもご指摘のとおりだと思います。

 必要なのは年金数理だ。若者が働き始め、年収300万円をもらうとすると、年間の年金保険料は48万円ほどになる。6年経って結婚する頃には、若い夫婦の累計額は6×2倍の576万円になる。社会保険というのは、払った分は返ってくるのが大原則である。そこが反対給付と無関係に取られる税とは異なる。つまり、この576万円は、請求権という形ではあるが、貯金のようなものだ

 さて、こんな給付をして、年金財政は大丈夫なのか? むろん、何の問題もない。乳幼児給付を行う分だけ、老後の年金給付は減るので、年金財政上は、差し引きゼロの中立になるからだ。年金制度は十分な積立金を持っているので、当面の資金繰りにも困らない。
(略)
 こうして見ると、むしろ、現状の方が、いかにも、おかしいことが分かる。出産か仕事かを迫られ、お金さえあれば、子供の預け先を確保できるのに、自分たちが「貯めて」きたお金でも自由に使うことができない。年金制度にしてみても、子供を産んで働いてもらう方が財政的にプラスなのに、その手立てを許していないのである。
「日本よ、雪白の翼を再び」(経済を良くするって、どうすれば 2010年11月16日)

うーむ、先ほどのエントリの3年前のエントリでは堂々と「請求権という形ではあるが、貯金のようなもの」とおっしゃっていますね。ついでに、このエントリの当時は「財政収支のアンバランスを是正するために、消費税が必要なことは、改めて言うまでもない。問題は、どうやって、上げるかである」とのことでして、この3年間で保険の理解を深めつつ消費増税を批判するに至った理由はよくわかりませんが、とはいえつい最近のエントリで両者を並べて引用しているということは、基本的な認識に大きな変化はなさそうにも思えるところでして、こちらのブログ主さんにとって保険は貯金なのかそうではないのかは、なかなか理解しにくい状況ではあります。

いやもちろん、こちらのブログ主さんのご主張には賛同できるものもあるのですが、どうにも制度の理解というか現状認識が偏っているように見受けられる点が散見されるため、まっとうなご主張も眉唾ものに思われるのです。

 世の中は現金なもので、それまでは、「子供の病気ですぐ休む」などと嫌味を言っていたのに、年金保険料の負担がほとんどないとなったら、「母子家庭のおかあさん大歓迎」である。実際、彼女たちは生活がかかっており、必死に働くから、押しなべて成績は良かった。その場を与えれば、すぐに分かることで、お役所の怠慢で放置され続けた社会保険の「壁」さえなければ、本来の持てる力が解放されるのである。
(略)
 そんな中、「全員正社員」を宣言する企業が現れた。人事担当者は不況時の人員調整を思って反対したが、社長は言い放った。「そん時は、全員が短時間労働で我慢すりゃ、ええやないか。苦楽を共にする、そんな経営がしたかったんや」 創業者でなければ、なかなか言えないセリフだったが、ものごとの本質を衝いていた。社会保険の壁なしに、労働時間が調整できるなら、雇用期間を限定する必要性は薄い。

 こうして、日本から非正規への差別が消えていった。掛け声だけの「同一労働、同一待遇」が、まさか、母子家庭への特例から実現するとは、思いもよらぬ展開だった。差別が消えれば、継続雇用の下で、誰でも育児や介護の休業を取れるようにもなる。柔軟な働き方で生産性が向上し、成長は高まり、財政まで改善した。若年層の待遇が向上すると、結婚も増え、出生率は1.8を望むところまで伸びた。日本の未来を危ぶむ者は、もういない。夢の実現は、案外、手に届くものだったのである。

「非正規の解放、経済の覚醒」(経済を良くするって、どうすれば 2015年11月15日)

個々の御提言はそれなりに筋が通っていると思いますが、こうして物語風にするとご冗談でしょうとしかいえない「フィクション」に仕上がってしまうところに頭を抱えます。厚生年金の適用拡大による年金財政の安定とか正規と非正規の「壁」の解消については諸手を挙げて賛同するのですが、年収による雇用調整というのは労働者側の都合でも生じているので、「年金保険料の負担がほとんどないとなったら、「母子家庭のおかあさん大歓迎」」なんてことはあり得ない想定ですね。もちろん使用者側で非正規を選択するのは、社会保険料負担もさることながら「人事担当者は不況時の人員調整を思って反対」するのであって、要すれば先行きが不透明な経営状況の中で、固定費となる正規労働者の人件費を抑制しなければならないからです。そして正規労働者の人件費が固定費となるのは、日本型雇用慣行によって職務を限定しないで雇用する代わりに正規労働者の雇用を保障しているからであって、「不況時の人員調整」は使用者側にだけ都合がいいから認めなられないという裁判所の判断を元に固定費として計上せざるを得ないわけです。「同一労働、同一待遇」というのも、労働法ウォッチャーには「同一価値労働」でもなく「同一賃金」でもなく「均等待遇」でもなく「均衡処遇」でもなくなかなか奇妙な言葉ではありますが、いずれにせよ日本型雇用慣行でそれが実現されないのも同じように職務が限定されないからであって、社会保険料一つでそれが劇的に変わるとは到底思われません。でもって「柔軟な働き方で生産性が向上」だそうで、母子家庭の母親がつく職業は製造業というより対人サービスが多くなるのではないかと思われるところ、安い賃金で使い倒す労働力が供給されるということですねわかります。まあ「フィクション」なら何でも許されるのでしょう。

まあ拙ブログで再分配論をすると執拗なご批判をいただくのも、そうした議論に嫌悪感をもつ方には受け入れられないからなのだろうと思うのですが、おそらくそうした方と同じような違和感をこのブログ全体にも感じるところです。拙ブログでは再分配論とか集団的労使関係の再構築などを主張する際は、少なくとも「それで何もかもバラ色になる」という夢物語にならないように気をつけております(そう受け取られる可能性は否定できませんが)。という立場からすると、特に直上で引用したような夢物語については、ブログ主ご自身が次のエントリで「団塊の世代が好きな「一点突破、全面展開」というやつ」とおっしゃるように、団塊世代の郷愁を強烈に感じてしまいます。そうした団塊の世代的な政府への嫌悪感が、あらゆる提言を政府批判のためにするものへと矮小化させているのかもしれません。