2016年07月09日 (土) | Edit |
もはやリフレ派の隠れ蓑も取っ払った増税忌避な方々は「国債の日銀引受でオールオッケー」という誠にシンプルなディシプリンで無税国家への道をひた走っていらっしゃいますが、その一方で不思議なのが、そうした増税忌避派の中に「グローバリズムに毒されて小さな政府を礼賛する低学歴どもめ」という一見矛盾するような主張をされる方がかなりいらっしゃることです。

いやまあ、彼らに共通するのは増税忌避というよりも強固な私的財産拡大思想ではないかと思われるところでして、それが可処分所得不可侵論ともいうべき増税忌避だったり、景気の公共財としての側面を過大評価して人為的な再分配政策に対する異常な拒否反応につながっているのだろうと思います。というか、「税金は死荷重で社会的損失を生んで名目GDPを減少させる元凶だ」として増税忌避という思考停止に陥りがちな方々の傾向として、極端から極端に走る日本人の特性がよく表れているというべきなのかもしれません。

疑似エリート的な「正社員」になるか、しからずんば何の権利もない非正規しかないぞ、さあ、おまえはどうするんだ、と極端な二者択一を迫る日本の労働社会が、まさに「閉塞感を生んでいる」のではないか、という疑問は、しかしながら何の制約もなしに会社が使える正社員のみが唯一正しい生き方だと信じてやまない人々の脳裏には浮かぶことはないのでしょう。

「日本人の人生は極端な生き方以外ないのか@松本孝行(2013年3月 1日 (金))」(hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳))

「増税による財政再建で人が死ぬか、しからずんば国債の日銀引き受けでシニョリッジ益すれば無税国家にできるぞ、さあ、おまえはどうするんだ、と極端な二者択一を迫る日本の自称経済学クラスタ」が、その同じ口で「政府支出が足りないから財政出動しろ」とおっしゃるわけですから、その帰結は無税国家しかありませんね。

いやまあ、経済学のモデルが依って立つところの前提条件にここまで無自覚になれるのも、経済学的思考の成果なのでしょうけど、こちらのtweetのような理屈が成り立つには、少なくとも将来世代が政府支出の対GDP比を変化させないという条件が満たされる必要があります。つまり、「内国債が膨らむだけなら破綻しないし、効果なくインフレーションにもならないのだから無税国家にすればよい」というのがKFさんのtweetは財政破綻を主張する方への皮肉としての発せられたもののようですが、そのそれぞれがどんなモデルかはともかく、リフレ派と呼ばれる一部の方々トッププライオリティを置くデフレ脱却が達成されたとしても、その他の要件が変わらないのであれば、政府支出の対GDP比は現状のままであるはずでして、教育の無償化だの待機児童の解消だの医療行為に対する診療報酬の引き上げによる医療体制の拡充だのという再分配政策の支出構造は変わらないまま、インフレになるということです。そのようにしてインフレが達成された場合、ドーマー条件ギリギリまで国債の利払いを拡大している以上、将来世代が景気回復に浴することができたとしても、その景気回復による税収増のほとんどは過去に発行した公債の利払いに充てられます。
(2016.10.30 KFさんご自身からのこのtweetについてのtweetがありましたので、記述を一部修正しました。追記にKFさんご自身のを引用しましたので、ご参照ください)

ドーマー条件とかで国債発行しても問題ないとドヤ顔でおっしゃる方も多いのですが、そのドーマー条件ギリギリまで国債を発行するということは、「「将来の現役世代」がいくら頑張っても、過去の行政需要の財源となった公債費が歳出の大きな割合を占めてしまっているため、それにクラウディングアウトされて自分たちの行政需要に充てることができない」ということなのですが、まあこんなことをいってみたところで、「余談ですが、本書で登場する思考に関する例が非現実的だと感じるとすれば、その理由の一つは、あなたの興味において重要なものが、本書にとっての「その他」に入ってしまっているからだと考えられます。しかし、あなたと私が一心同体でない以上、これは避けることができない事態です」と切って捨てるのがリフレ派と呼ばれる一部の方々であって、隠れ蓑としてのリフレ派を取っ払った増税忌避の皆さんであってみれば、馬耳東風となるのも宜なるかな。

結局のところ、極端から極端に走る日本人の特性からすると、経済学的な思考の「型」こそが受け入れやすいのでしょう。どんなに極端な主張をして、「あなたの興味において重要なもの」なんてしらねーよといってしまっても、「経済学的に正しい」とお墨付きが得られますからね。いやもちろん、こうした陥穽の危険性を意識している権丈先生のような研究者もいらっしゃいますし、林貴志先生も

とおっしゃっているのですが、その一方で、

とおっしゃる方もいらっしゃって、頭を抱えざるを得ません。「制度についてのどの情報がある主張のどの部分を崩すか示せるなら」って、経済学のモデルの前提条件となる制度をきちんと踏まえないままでも、他者から指摘されなければ問題ないということにはならないでしょう。もちろん、単に「制度を知らない」というだけで具体的にどの制度のどの部分とモデルが異なるかを指摘しない批判は批判の体をなしていないというのはその通りだと思います。しかし、そうした制度との整合性を確認しないで構築されたモデルに政策的価値はほとんど見いだせません。上記のようなドーマー条件の実際の効果を度外視する議論が「経済学的に正しい」のは、「制度を知らない」ことも多分に影響していると考えられますし、「経済学的に正しい」と同じくらいバカバカしいのは、「制度を知らない」と指摘されても、自らのモデルの前提条件を知らないことに気がつかないことなのではないかと思います。

ついでにいえば、こうした極端な主張をする傾向はフェミニズムとかポリティカル・コレクトネスにも当てはまりそうなところもありますが、その行き過ぎたフェミやらポリコレに対する批判がさらに極端な主張になるところも「経済学的に正しい」ことへの絶対的信頼感のなせる技なのかもしれません。その意味では、行き過ぎたフェミやらポリコレへ極端な批判を繰り広げる方々というのは、「男性正社員が家計を支えているうちは社会保障なんぞ構う必要がないほど生活が保障されるというのが、日本型雇用慣行が有する世界的に特筆すべき優位性」のゆえにこそ存在しうるものといえそうですね。

(追記)
なぜか数ヶ月前のエントリにアクセスが増えていると思ったら、本エントリで引用させていただいた方からこのようなtweetが発せられていました。


この文章のみからは、KFさんがやめてほしいとおっしゃるのが「無税国家論者」として挙げることなのか、「無税国家論者の例」として挙げることなのか読み取れませんが、その直後に


ともtweetされてるので、KFさんご自身は「条件付き消費税増税容認論者」を自認されているものと推察いたします。クルーグマンも同じような主張をされていますが、それに対する私の考えは以前まとめたとおりです。

…クルーグマンのいう「ある時点」がいつなのか、そもそもそんな時点が実際にありうるのか、全く明言していない点で、実際問題としてほぼ「全否定」に近いだろうと考えております。

というのも、「デフレを脱却したら」「景気が回復したら」…こんなエクスキューズでもって、再分配政策としての公共サービスが担う生活保障の機能が、これまで20年にわたって貧弱なままに据え置かれている実態があるからです。いつもの繰り返しの議論ですが、かつては日本型雇用慣行の下での生活保障給や日本型フレクシキュリティ(男性正社員の収入により家庭が介護や保育などの生活サービスの現物給付を担う)がそれを代替していました。そのような役割分担を踏まえれば、バブル崩壊で景気が後退し、日本型雇用慣行が変容して生活保障の機能の縮小を余儀なくされた時点で、政府を通じた再分配政策、特に家庭で負担できなくなった生活サービスの現物給付が拡充されるべきでした。

(略)

で、バブル崩壊後もアジア金融危機、ITバブルの崩壊、リーマンショック、ユーロ危機等々、日本の増税(まあこれまで「増税」といえるような税制改革はなかったんですが)とは関係なく世界的な景気後退が繰り返されている中で、「デフレを脱却したら」「景気が回復したら」といって財源が確保できないまま、日本型雇用慣行下で機能していた生活サービス、特に現役世代向けサービスを政府が現物供給することなく20年が経過しています。その一方で、税収による一般財源にしか財源を頼れない生活サービスは、景気後退のたびによくて現状維持、悪ければカットされる状況が続いています。もちろん、医療や年金などは国民皆保険制度があるので財源としては安定していますが、全体では貧弱な社会保障費の中で現金給付である年金の総額が相対的に大きいために、一部の論者からは世代間の不公平感を煽る格好のネタとされてしまっています。

という状況で、「アベノミクス」といわれる経済政策によって景気が回復してやっと消費税率を挙げて財源を確保できると思ったら、「デフレを脱却したら」「景気が回復したら」といってまた先送りされてしまったわけでして、その決定打となったのがクルーグマンだというのであれば、いかにノーベル記念スウェーデン王立銀行賞受賞者であっても、特に次の点は批判されてしかるべきだろうと。

(略)

といっても、クルーグマン的政策論に影響を受けている方々は「再分配政策がそもそも実現できるわけないと考えている」からこそ一時的な借入による政府支出に望みを託しているともいえそうでして、それはそれでもっと深い問題があるわけですが。

財政政策の実現性(2014年12月10日 (水))


条件付きで増税を容認するのは、いみじくもKFさんご自身が「実には増税しても予算拡大せず財政再建に回されてるわけで、負担だけが増す状況なわけで反対せざる負えない」とおっしゃるように、その条件が達成されないことを所与としているからではないかと思います。条件付き消費税増税容認といいながら、その条件が達成されることを(事実上)否定するのであれば、つまるところ無税国家しかないのではないかと思いますが、KFさんの指摘を踏まえて本エントリを修正いたしました。

2016年07月05日 (火) | Edit |
前回エントリで元カイカク派知事同士の選挙戦にwktkしていたところ、一時は増田氏に自公と民進が相乗りか?という怪情報も流れていましたが、増田氏に対する不安が各方面から示されていまして、まあ拙ブログとしても概ね同意するものが多いものの、元切込隊長ことやまもといちろう氏のこの指摘はさすがにちょっとフェアではないのではないかと思います。

その後、ちっとも地域経済が伸びず、借金増やしてまで使った金に見合った地方税が上がらないので、慌てて「岩手県行財政構造改革プログラム」なるものを策定し、今度は全力でブレーキ踏ん張ったもんだから、そのアクセル踏んでた時代に潤ってた県内の事業者が全部死んで、仕事を失った岩手県からの労働人口が大量に流出、高齢者だけが地元に残って岩手県の産業が壊滅しただけでなく若者もいなくなって過疎化が進んだというのが増田さんの治世の概略であります。

「増田寛也「ほとばしる無能」を都知事候補に担ぐ石原伸晃&自民都連(訂正とお詫びあり)(2016年7月4日 23時49分配信)」(ヤフーニュース個人)

増田氏の知事時代の任期は90年代後半から2000年代半ばまでですが、90年代前半のGATTウルグアイ・ラウンド対策の公共投資と、90年代半ばのバブル崩壊後や2000年前後のITバブル崩壊後の景気対策としての公共投資が相まって、特に後半は「少子高齢化による生活サービスの現物給付需要の自然増が重なり、その穴埋めとして国と地方の債務残高が激増していった(一部は小渕内閣時の財政拡張も寄与していますが)わけ」でして、日本各地で同じような現象が起きていたというのが実態でしょう。

実は以前某所で駄文を書かせていただいた際に、ちょうどのその時期の地方債残高のデータを都道府県別に収集しておりましたので、増田氏の知事時代の任期である1995年度から2007年度の都道府県債の増加率で順位付けしてみましょう(下表の単位は千円です)。
 1995年度2007年度増加率順位
新潟県1,095,680,3392,679,403,989244.5%1
岐阜県614,769,2981,394,568,453226.8%2
茨城県769,975,6381,732,986,693225.1%3
広島県901,336,5061,865,220,318206.9%4
愛媛県465,149,583961,052,999206.6%5
石川県577,915,0811,186,919,871205.4%6
北海道2,791,134,8925,569,652,787199.5%7
埼玉県1,525,164,9383,003,282,744196.9%8
山口県589,429,3341,143,145,855193.9%9
岩手県759,880,5551,470,396,528193.5%10
香川県397,853,313768,502,643193.2%11
島根県531,139,7841,022,978,183192.6%12
京都府721,326,8691,385,228,807192.0%13
鳥取県321,832,461615,993,932191.4%14
青森県685,727,2161,291,322,765188.3%15
徳島県515,231,365968,591,828188.0%16
福岡県1,360,253,3282,556,383,123187.9%17
鹿児島県869,073,6711,625,773,204187.1%18
千葉県1,258,939,6622,340,656,437185.9%19
山梨県486,976,157903,426,838185.5%20
静岡県1,218,023,1412,229,995,946183.1%21
神奈川県1,666,928,8003,047,916,738182.8%22
宮崎県507,412,164919,024,727181.1%23
福井県453,527,467818,483,708180.5%24
奈良県571,563,9601,027,511,809179.8%25
愛知県2,132,365,3533,827,054,096179.5%26
群馬県550,059,995961,081,085174.7%27
和歌山県460,056,838803,318,679174.6%28
滋賀県520,673,400909,003,407174.6%29
佐賀県372,640,129641,629,324172.2%30
秋田県721,200,1341,230,824,222170.7%31
福島県703,183,6941,196,480,741170.2%32
兵庫県2,213,353,0623,754,717,349169.6%33
三重県589,203,401991,812,768168.3%34
栃木県599,275,603997,145,265166.4%35
山形県660,629,3961,095,727,815165.9%36
大分県620,990,713996,966,902160.5%37
長崎県682,611,7961,091,972,825160.0%38
大阪府2,716,200,5994,336,366,398159.6%39
宮城県894,806,4681,392,827,205155.7%40
富山県662,248,2431,010,579,908152.6%41
熊本県898,090,8661,358,719,983151.3%42
岡山県817,406,9191,231,168,225150.6%43
高知県554,949,256787,609,377141.9%44
沖縄県468,360,796658,188,369140.5%45
長野県1,190,962,4831,496,615,858125.7%46
東京都5,814,239,3316,292,585,832108.2%47
総計46,499,753,99779,590,816,558171.2%
なんと、岩手県は堂々の第…! 10位ですね。まあ、全体の増加率が171.2%なので岩手県の193.5%という増加率は確かに高い方になりますが、220%越えで表彰台を独占した新潟県、岐阜県、茨城県に比べればちょっとおとなしめな印象もあります。これとは対照的にほとんど債務残高を増やしていない東京都がダントツの最下位でして、景気対策としての公共投資が都市部ではあまり重きを置かれていないこともありますが、そもそも自主財源でまかなえる東京都の地方交付税の不交付団体としての強さが光りますね。

ところで、やまもといちろう氏の記事で引用されている参議院予算委員会会議議事録で、増田総務大臣(当時)に質問しているのがこちらも異色の元カイカク派知事であられた田中康夫氏でして、GATTウルグアイ・ラウンドが閉幕する1994年度前後からの県債残高を東北6県と長野県で比較してみたグラフがこちら。
zandaka
1998年の長野五輪に向けての債務残高の増え具合が他の追随を許さない状況ではありましたが、まあ確かに田中康夫氏が在任中の2000年度から2006年度まで急激に債務残高を減らしていることが分かります。とはいえ、2000年代に入って他県が軒並み増加率を鈍化させのと歩調を合わせるように、増田氏の任期の終盤にかけても伸びが鈍化している様子もうかがえます。むしろ、増田知事退任後の2007年度から再び岩手県の増加率が上向いていますが、東日本大震災が発生した2013年度以降は、宮城・福島両県が債務残高を増やす一方で岩手県は減らしています。

まあ、このデータをどのように解釈するのかはご覧いただいた皆様にお任せいたしますが、やまもといちろう氏が取り上げているその他の増田氏の「政策」などについてはなおさら、東京都の有権者の皆さんが判断するべきものと思います。特に、前回エントリで取り上げているとおり、2007年の都知事選に立候補した浅野元宮城県知事のような「地元の財源は地元で使うべきという小学生のような論理で民主主義を語る方だったわけで、我々地方在住者にとっては東京都知事にならなくてよかったというべきか、東京都民はスバラシイ知事候補を逃してしま」うのかどうかは、地方在住者としても生暖かく見守りたいと思います。

2016年06月13日 (月) | Edit |
ということで、前回に引き続いて今年の3月に向けて出版された震災関連本の一つですが、こちらは現役の復興庁事務次官(付記:福島復興再生総局事務局長への就任が6/14発表されました)である岡本全勝氏の編著となります。岡本氏については拙ブログでも何度か取り上げさせていただいているところでして(「岡本全勝」でググると上位に拙ブログのエントリが表示されるのは勘弁してほしいのですが)、その岡本氏は震災発生から1週間後に政府に設置された被災者生活支援本部の事務局責任者に任命され、そのまま審議官を経て2016年6月までは事務次官を務められています。被災された地域のために粉骨砕身ご活躍される姿勢には、心から感謝申し上げるとともに改めて敬意を表するところでして、本書ではご自身が陣頭指揮を執ってこられた官民の復旧・復興の取組が体系立てて整理されており、この5年間の動きを把握することができる内容になっています。

岡本氏がそのような要職に任命された理由についてのご自身の分析は、

 「岡本なら、この危機に対処できるだろう」と考えた人がいたのでしょう。(略)この仕事において、これまでの自らの経験を活かすことができた事項を列挙しておきます。
 私は旧自治省に採用され、自治体の現場を何度も経験してきました。(中略)
 政府では、総理大臣秘書官として霞ヶ関全体を見たことで、様々な指示や以来をどの役所にすれば効率よく動くか、見当がつきました。(中略)
 2001年に行われた中央省庁改革を担った、中央省庁等改革推進本部での勤務も、有用でした。そこで全省庁と付き合い、各省と民間からの混成部隊を動かす経験を積むことができました。
p.35
東日本大震災
復興が日本を変える
―行政・企業・NPOの未来のかたち
編著者名 岡本全勝/編著  藤沢 烈、青柳光昌/著
判型 四六判
体裁 単行本
定価(価格) 2,160円(税込み)
本体 2,000円
ISBN 978-4-324-10127-8
図書コード 5108234-00-000
発行年月日 2016年03月11日

※ 以下、強調は引用者による。

とのことで、自治体から霞ヶ関、民間まで一緒に仕事をしてきたという経歴が被災者支援にうってつけだったわけですね。そのような経歴を生かしてご活躍をされている岡本氏の編著になる本書を批判的に取り上げるのは、再び心苦しいものはありますが、霞ヶ関的に言えば、上記引用部で挙げられている1点目より2、3点目の方が評価されていそうな気もします。特に次のような記述を拝見すると、3点目の省庁改革の経験は、岡本氏の行政機構に関する視点に大きな影響を与えたのではないかと推察されます。

 先に1(1)(273ページ)で述べたように、西欧近代国家は、安上がりの政府から出発しましたが、都市化や産業化による社会問題が発生し、19世紀後半に社会問題に取り組む積極国家、サービス国家に転換しました。さらに生存権を保障することが国家の責任となり、20世紀半ばには福祉国家と呼ばれるようになりました。
 福祉国家は、次に「安心国家」に変化しつつあると、私は考えています。教育、衛生、公共インフラ、福祉など、国民の要望をひととおり充実させたら、違った不安と不満が見えてきたのです。それは先ほど述べたように、古典的なリスクが深化したり再発見されたりしたものや、新しく出てきたリスクです。すると政府の主たる任務が、サービスの提供から、安心の提供へと変化しているのです。

岡本ほか『同』pp.290-291

なにやら頭がクラクラしてきましたが、福祉国家が提供するような社会的インフラとしての社会資本とか各種の給付金や医療福祉などの現物サービスはすでに国民の要望を充実させているから、あとは「安心」を保障するのが政府の役割だとおっしゃるわけですね。うーむ、現金給付・公共サービスの対GDP比がフランスやスウェーデンの6割程度しかない中で、高齢化により高齢者向け支出(年金)がその約半分を占める日本で政府の役割が充足しているというのは、日本国民はなんて慎ましやかなんでしょう!

いやもちろん、岡本氏の主張は政府がすべての国民の要望をかなえるわけにはいかないという趣旨であって、そりゃまあそうだろうと思いますが、では(岡本氏の主張によれば国民の要望はすでに充実されているそうなので、もし仮にではありますが)満たされない国民の要望があった場合はどうなるかというと、例のアレが登場します。

 サービス提供がひととおり整備されたので、サービス提供という視点自体が、時代遅れになっています。これは、サービス提供が不充分で、それを充足するにはどうすれば効率的かという問題意識からの発想です。そのために行政自らがサービスを提供するほか、企業や提供者(例えば私立学校や保育園)に補助金を出し、業界団体を指導しました。これは提供者を育てる発想です。
 すでに提供する仕組みをつくり上げたのなら、これからは、サービスの受け手(顧客)である住民や生活者の立場に立って考えるべきです。例えば、提供者に補助金を出すのではなく、サービスの受け手の人に補助金を出して、サービスを選択させる方法が有効になります(バウチャー制度)。医療や介護の保険制度では、受給者が病院や介護書を選び、一定の負担をしてサービスを受けるという仕組みができています。

岡本ほか『同』p.295

政府の事務方トップからこんな言葉が発せられるとは、ミルトン・フリードマンも草葉の陰で泣いて喜んでいそうです。とはいえ、確かに医療や介護では既にそうした制度もあるにはあるのですが、政府の再分配政策としての介護従事者や保育従事者の低賃金が問題となっている現状を踏まえると、バウチャー制度がその解決策になるというのは私のような実務屋にはあまり想像がつきません。そんな実務屋の見ているようなせせこましい世界ではなく、政府の事務方トップには光り輝く未来が見えていらっしゃるのですね。

当然のことながら、本書の著者の皆さんは岡本氏と共通のご認識をお持ちのようでして、岡本氏のパートではありませんが、日本財団ソーシャルイノベーション本部上席チームリーダーの青柳光昌氏のパートでもこのような記述があります。

 「失われた20年」と言われて久しいですが、NPO法が誕生する前後から、社会の状況も大きく変化をしてきています。経済成長の鈍化と超少子化・高齢化の進展による人口減少などにより、政府の財政状況が切迫してきていました。こうした背景から、行政自身で提供する公共サービスを縮小し、小さな政府を目指す方向性になっていきます。そこで具体的に実現したことは、行政が提供するサービスの民間への外部委託です。この民間には、企業だけでなく、当然NPOも含まれています。NPOに予算を提供し、政府よりも効率的にサービスを提供してもらうことで、小さな政府を実現しようというわけです。先述したように、行政組織は機動性・効率性に欠ける傾向があります。そこで、専門性が高く、機動力のあるNPOへの委託が増加してきました。小さな政府を目指すことは、非営利セクターの発展にとっては、一つの転機であったともいえます。ちなみに、この状況は、日本だけではなく、欧米をはじめとして先進国においてはおおむね同じ傾向でした。
 そのような方針を進めていくなかで、社会的なニーズは増大し、NPOの数もそれに従って増加していきました。一方で、行政の財政が逼迫している状況が、中長期的には好転することはありませんでした。そのため、限られた財源の中で、多様化・増大するニーズに、行政やNPOは今後どのように対応していくのかが課題となっています。

岡本ほか『同』pp.215-216

うむむ、さらに頭がクラクラしてきますね。「失われた20年」では確かに「行政が提供するサービスの民間への外部委託」が進められましたが、そこで進められた「効率化」というのは、公的セクターの業務をより低賃金の労働者に担わせることで低賃金労働化することではなかったでしょうかと小一時間問い詰めたくなってきます。

ただ、私自身も、「「小さな政府」で縮小した事業分野に民間事業者を進出させようという思想が透けて見える」と考えていますので、青柳氏のご指摘は素直に現在の日本の現状を言い表したものといえましょう。そして、岡本氏のような考え方が政府内に浸透している事態こそが、この本から読み取るべき最大のメッセージだろうと思います。安定した収入を確保できなければ、将来の固定費となることが予想される人件費や回収に時間のかかる公共投資を削減しようとするのは民間も役所も変わるところはありません。いつもの繰り返しですが「リスクをプールするために、景気が減退しても国民の消費を下支えするように税金を誰のためにどれだけ使うかということが重要」です。まあこういう話をすると増税忌避という思考停止に陥った方々から一斉に批判をいただくわけでして、その状況を骨身に染みて痛感している政府の事務方トップからすれば、「安心国家になれば、あとは民間で自由にやれるからいいでしょ」と言いたくなるのも宜なるかな。

ということで、福祉国家なんて古くさいものは捨て去って、「安心国家」へ転換して「民間に任せれば万事うまくいく」というメッセージに敏感に反応する方もいらっしゃるわけでして、あのイケダハヤト氏が絶賛されていました。

昨日「国・政府は「最低限」何をすべきなのか?」という記事を書いたところ、助けあいジャパンの野田さんから素敵な記事を教えて頂きました。

被災地から見える「町とは何か」 ~NPOなどと連携した地域経営へ~ 岡本全勝・復興庁統括官(2012/08/31 13:11 【47行政ジャーナル】 )

国家の役割は、サービスの提供から安心の保障へ

記事を書かれたのは岡本全勝さん。復興庁統括官を務める官僚の方です。

(略)

今はとにかく何でも「行政・政治頼み」な構図がある気がしますが、政府がプラットフォームとしての側面を強めていけばいくほど、行政は何もしてくれなくなります。Appleに「こんなアプリつくってよ!」と言っても、Appleが相手にしてくれないのと同じです。サービスを提供するのはプラットフォームではなく、基本的にサードパーティのプレーヤーなのです。

こういう時代になると、「行政は何をしているんだ!」的な批判は意味をなさなくなってくるでしょう。行政が行うべきことは変質していきますし、財政事情も考えると、提供サービス自体も減少していくでしょう。「何をしているんだ!」と怒る暇があるぐらいなら、自分で何かをはじめるべき、という当事者性が求められる社会になるということです。

「「政府のプラットフォーム化」と当事者意識(2012年11月12日)」(まだ東京で消耗してるの?)

なるほど、財政事情があるから政府ではなく国民が自ら行動しなければならないよね行動しないような国民のことなんてしらないよ行動してうまく立ちまわった奴が勝者なのにそれもわからずにまだ東京で消耗しているの?プゲラ …と見えてしまうのは私の心が汚れているからですかそうですか。

いやまあそれにしても素晴らしき「小さな政府」礼賛者同士の邂逅でして、実は本書の第4章は、イケダハヤト氏が「素敵な記事」としてリンクしている47ニュースの記事を加筆修正したものとなっていますので、是非リンク先を開いてそのエッセンスをご堪能下さい(47ニュースでは図表がリンク切れになっていますが、イケダハヤト氏のブログに一部再掲されています)。そして、増税忌避が「行政自身で提供する公共サービスを縮小し、小さな政府を目指す方向性」を促進している現状に思いを馳せてていただきたいと思います。

2016年05月14日 (土) | Edit |
議会の質問について一悶着あったようですが、これもまた詳細はよく分からないもの批判する側もポイントを外しているように思います。

神奈川県議会、共産に代表質問させない? 不手際で混乱(2016年5月12日20時22分)

神奈川県議会での「代表質問」をめぐり、共産会派と他会派が激しく対立している。議会での共産議員の不手際に端を発した騒動は「共産は代表質問の辞退を」と主張する他会派と共産との協議が11日から続き、12日夜になっても収拾しない異例の事態となっている。

 「共産は同じような不手際を繰り返している。いじめではなく、あまりに未成熟で我慢の限界だ。(代表質問の制限について)採決すべきだ」。12日未明、県議会での議事の進行などを各会派の代表者で話し合う議会運営委員会(議運)で自民議員が主張。土井隆典議長が再度協議を続けるよう呼びかけ、11日午前に始まった議運の協議は、他の協議事項を挟みながら、12日夜まで断続的に続いた。
(略)
 共産の井坂新哉・県議団長は「請願の賛否間違いは議場で即座に訂正し、影響は最小限に済ませた。ブログについても、謝罪して訂正した。発言に制限がかかる問題とは無関係だ。県民の負託を受けた発言権を制限されるのは納得がいかない」と主張。最大会派の自民議員は「円滑な議会運営のための極めて初歩的なルールすら守れていない」と溝は深まる一方だ。

 収拾がつかない県議会内の「内輪もめ」にある議員からは「これまでに議論に費やした膨大な時間を考えると、情けなくなる」との声も上がる。(岩堀滋)


記事で引用されている共産党の県議団長のコメントでは、議会での質問方法についてはいかなる制限も許されないように見えますが、限られた時間内で内容のある適切な討議をする必要がある以上、議会での発言にある程度の制限は必要です。かといって、いちいち法令で多岐にわたる質問内容や時間まで詳細に制限を規定するわけにはいかず、会派同士の協議やその結果の申し合わせを「先例」としてまとめて議事運営を行うのが通常ですね。自治体業界向けに書籍も販売されています。

注解 地方議会先例集
全2巻
編著者名 地方議会先例研究会/編集
判型 A5
体裁 加除式
定価(価格) 21,600円(税込み)
本体 20,000円
ISBN
図書コード 1111706-00-000


さすがに私の手元にはありませんので、ネットで公開されている国会〈参議院)の規則と先例録を見てみましょう。

第4節 発言

第91条 会議において発言しようとする者は、予めその旨を参事に通告することを要する。但し、やむを得ないときは、この限りでない。
第92条 削除
第93条 討論の通告をする議員は、その通告と共に反対又は賛成の旨を明らかにしなければならない。
第94条 参事は、質疑又は討論の通告については、通告の順序によつて、これを発言表に記載し、議長に報告する。
 議長は、質疑又は討論に当り、発言表により順次に発言者を指名する。
 前項の指名に応じない者は、通告の効力を失う。

参議院規則(昭和22年6月28日議決)

つまり、国会(参議院)での内閣に対する質問などは、事前の通告に基づいて発言表が作成され、議長がこの発言表により指名しなければ勝手に行うことはできません。さらに各質問者の質問時間などについては、議院運営委員会(いわゆる議運)の協定によって決められます。

第7節 発言(pdf)

第五五条の二
第六一条
規第九四条
二五一
質疑又は討論の発言者数、発言の順序及び発言時間は、議院運営委員会において協定する質疑又は討論の発言者数、発言の順序及び発言時間は、議院運営委員会において、各会派の所属議員数を考慮してこれを協定する。会議においては、議長は、この協定に基づいて順次発言を許可するが、協定時間については、これを宣告しないのを例とする。
(一)質疑の場合
(1)国務大臣の演説に対する質疑
発言者の数は、一会派一人乃至三人とし、発言の順序はおおむね大会派順とするのを例とする。ただし、最大会派が与党であるときは、最初の質疑者を野党の最大会派所属議員とする例が多い。質疑時間は、従来の例によれば、一人おおむね十分乃至四十分である。

平成25年版 参議院先例録

最大会派で10~40分ということで、最大会派には40分の質問時間が割り当てられ、所属議員数が少なくなるに従って質問時間が短くなることが先例となっています。これはおそらく、多くの自治体議会でも同じような運営方法となっているものと思われます。

さてこのように各会派が協定によって質問時間を定めたりして円滑な議会運営を行のは、先述の通り、限られた時間内で内容のある適切な討議をする必要があるからですね。という理由からすると、これをもって、「質問を制限するなんてけしからん!」とおっしゃる方はあまりいないと思うのですが、冒頭で引用した共産党の県議団長のコメントは、どうもそのような趣旨で発せられているような印象です。

まあ、あらゆる制度とか慣例というのは、いちいち決めていると時間がいくらあっても足りないし、その都度集まって話し合うのでは非効率この上ないという現実的な要請に対応するものであるわけでして、国会(参議院)で先に引用したような規則や先例録は、限られた時間内で適切な討議を行おうと試行錯誤を繰り広げた先人の工夫の積み重ねの結果です。もちろん、だからといって金科玉条のごとく前例踏襲するものではありませんし、随時見直されているものではあるのですが、では今回の神奈川県議会の件はどのようにとらえるべきでしょうか。

たとえば、冒頭で引用した共産党の県議団長は「県民の負託を受けた発言権を制限されるのは納得がいかない」と主張されているとのことですが、ほかの会派からすれば、共産党の間違いのために貴重な議事の時間が削られ、修正など行う手間がかけられ、結果として他の会派の発言時間が制限される結果となれば、他の会派からすると「共産党のために県民の負託を受けた発言権を制限されるのは納得がいかない」ということになると思われます。記事からは、神奈川県議会で共産党がどのような振る舞いをしてどのような影響があったのか詳細までは分かりませんが、他の会派が一致して制限を協議したということは、それだけ「県民の負託を受けた発言権を制限される」と各会派が考えていたという状況だったのではないかと思います。

まあ、「そんな制限しなくてもいいように、時間なんか関係なく年中議会を開いて好きなだけ討議させるべき」という考え方もあるでしょうけれども、役所の中の人の感覚としては、質問が通告されてから関係部局と調整しながら上司の決裁を得て発言者にレクするという一連の作業を年がら年中やるとなると、通常の住民サービスをする人員と時間は確実に削減されることが予想されるわけで、「国会(議会)対応のために仕事をしているわけではないんだよなあ」というのが率直な感想だろうと思います。というか「議会対応に人員を割かれているので住民サービスを縮小します」なんて話が通るはずもなく、むしろそんなことをいえば議会でつるし上げにあうのは目に見えてます。

いやもちろん、議会に対応する人件費を増額して公務員の人数も増やして、さらに通告が遅くなったり集中したりして超過勤務しなければならなくなったときの超過勤務手当を議員さんが負担していただけるのであれば、そのような体制を組むことも可能かもしれませんが、そんな妄想は悲しくなるのでやめておきます。なにごともバランスが重要ですね。

2016年01月03日 (日) | Edit |
昨年中は多くの方々にコメント、拍手、ぶくま、tweet等々いただきありがとうございました。
本年も引き続きご愛顧のほどよろしくお願いします。

というわけで初詣しておみくじ引いてみました。

【末吉】 (No.34014) モナー神社
願事 : 焦るべからず 人に任すべし
待人 : 過ぎぬ程過ぎて来るべし
失物 : 出るとも遅い
旅立 : 止める方がよい
商売 : 物の価下がる買うは悪し
学問 : 怠ると危うし
争事 : 初めは負ける
転居 : ゆっくりして吉
病気 : 危き様なるも必ず全快す
縁談 : 気短にしては調う所も破れる

9年目のモナー神社詣ででしたが、昨年までの戦績が大吉→吉→吉→吉→大吉→大吉→大吉→大吉と、吉と大吉以外のくじはないかと思いきや、ここに来て末吉です本当にありがとうございました。実は近所の神社で引いたおみくじも末吉でしたので、身の程をわきまえて凶(があるかどうかは分かりませんが)が出なかっただけよしとしましょう。

まあおみくじと実生活とはほとんどかけ離れた状況ではありますが、今年も無事これ名馬を心がけて参りたいと思います。