2008年04月27日 (日) | Edit |
今月の朝まで生テレビはさほど見る気をそぐようなメンツではなかったので、週末の空いた時間でざっと見てみましたが、労働組合ってのはやっぱり左派思想ができないと務まらないものなんだろうか。俺自身は左派思想に全然シンパシーを持ってない普通の労働者なので、団結した途端に左派思想の片棒を担がされるというのに納得ができなくて組合には入っていない。少なくとも近代経済学と呼ばれる学問体系を疑うような大それた知能も(幸いにして?)持ち合わせてないし、実生活上も近代経済学の道具立てには大変お世話になっていると考える俺にとっては、労働組合が近代経済学に挑戦を挑み続ける姿は滑稽を通り越して感動的ですらある。なお、俺が左派思想に全然シンパシーを持ってないというのは、左派的な思想を否定はしないけど、左派の方法論は使い物にならないと考えているという意味。dojin氏の問題意識に近い。

ちょっと話が横にそれるが、私は資源分配に関しては徹底的に左派でありたいと思っている。(本当は「徹底的に左派である」といいたいのだが、資源分配に関して徹底的に左派で「あろう」とすることと、徹底的に左派で「ある」ことの間には、越えられない壁があると感じている。残念ながら、きっと私は徹底的な左派にはなれない。)
左派こそが、財政・税制をきちんと勉強しなければならない。(追記:政府税調最新情報)」(研究メモ


で、一応前回と同様にメンツをコピペしておくと、

世耕 弘成(自民党・参議院議員、参院 議院運営委員会筆頭理事)
山井 和則(民主党・衆議院議員、党ネクスト厚生労働副大臣)
雨宮 処凛(作家、非正規雇用を考えるアソシエーション会員)
奥谷 禮子(ザ・アール代表取締役社長、経済同友会幹事)
河添 誠(首都圏青年ユニオン書記長)
龍井 葉二(連合非正規労働者センター総合局長)
堀 紘一(ドリームインキュベータ会長)
松原 聡(東洋大学教授、経済政策学)
森永 卓郎(独協大学教授、経済アナリスト)
湯浅 誠(反貧困ネットワーク事務局長、NPO法人「もやい」事務局長)
渡邉 正裕(マイニュースジャパン代表、元日経新聞記者)
4月「激論!"新しい貧困"とニッポン」」(朝まで生テレビ


だそうです。
毎回思うけど、朝まで生テレビ芸人とでもいうべき学者ってのはだいたい固定しているようで、その界隈ではある程度役割分担があるんだろうか。今回も松原聡氏とモリタク氏の組み合わせだったわけですが、労働経済学とか労働法の分野からももう少し専門家が出てきていいんじゃなね?とは思います。もちろん、モリタク氏は労働経済もご専門ではあるけど、この方はポジショントークが過ぎる嫌いがあるので、もう少し学術的な方もいていいのではという程度ですが。

で、今回個人的に期待していたのは雨宮処凛がどれだけ貧困を救えと吠えるかという点だったんだけど、『プレカリアート』以上の発言はなかった感じ。むしろ意外なほど冷静に話していたので、もうマスメディアに話すことは話しきったからここで改めて話す必要もないというくらいの余裕さえ感じました。いろんな人と対談しているうちに丸くなったんでしょうか。

それに対して、湯浅誠さんはさすが東大で政治学を修めた方らしく「いつまで待てばいいんですか」とか「国が社会保障で救うべき」という他力本願全開でした。日本の文系学部が生み出すアカデミズムの悪い例の典型だと思いますが、数量的な程度の問題を認識しない(敢えてしようとしないようにすら見える)のは、湯浅氏がご自分が関わっている社会問題について提言しようというなら、恥ずべき態度といわざるを得ない。この点は松原氏も的確に突いてましたが、どの程度の人数の貧困者に対してどの程度の収入があれば、湯浅氏が問題と考える貧困が解消されるのか、そのために必要な財源を、経済全体の活動を阻害しない範囲でどのように徴収し、その配分をどのように決定するのかという点について提言がなければ、ただの「クレクレ厨」に過ぎないんであって、せっかく「もやい」でされている活動に対する理解を得ることはできないだろうに。

世耕議員も議論していたとおり、今以上の給付を行うための財源を税として徴収し、それを貧困層に配分するというのは、法人(企業)や現在貧困でない水準の収入を得ている労働者に対して、その収入の目減りを迫ることでしかない。経済活動に影響を与えないようにしながらそれを行うことは原理的に不可能なわけで、あとはその経済の停滞と貧困層への救済をどうやって比較衡量して優先させるかという問題になる。もちろん、生命の危機に瀕している貧困者があれば即時救済が必要ではあるけど、そのためにも財源が必要なことには変わりはない。湯浅氏は三位一体の改革で生活保護の国庫補助率が引き下げられたことを問題にしていたけど、保護認定率の違いは補助率というより地方自治体の運用とか不正受給率に関わるので、あまり有効な議論ではないはず。というより、湯浅氏が「国と地方の負担割合を変えるだけ」っていうのは、あまりに地方分権教の教えを盲信しすぎて財政を勉強しなさ過ぎな発言に思われるんだけど、そういうところもご自身の説の説得力を削いでいることに気をつけられた方がよいのでは? 具体的には前回書いたとおり。

奨励的補助金ではなく義務的補助金の補助率引き下げばっかりでけしからん!と息巻いていらっしゃるけど、もともと限られた財源を重要度の高いところへ優先して配分しようというのが補助金であって、その優先する場所を決めるのが補助金の申請と交付という手続きである以上、その手続きをやめろというのは薄く広く財源を配分しろということにほかならない。それを求めたのは地方自治体だったくせに、そういう当たり前の結果が気にくわないって批判するのは虫がいいというか、ただのアホじゃね? と軽くいなして終わる話です。
地方分権劇場


あとは、モリタク氏の主張することも数字では確かにそういうデータが出ているとはいえ、それが搾取だというのはあまりに早計でしょう。これも以前書いたとおりですが、こういう議論の何が不毛だって、そうした批判が誰にも届かない(的外れなんだから当然)のに、それを聞いた貧困層の富裕層に対するルサンチマンを一方的に増幅させるということ。実際スタジオに来ていた生活保護を受けているという失業者の方は「いいスーツ着ている人が自分のお金を取られたくないといっているようにしか聞こえない」なんて発言していたし、モリタク氏は本当に暴動を起こす気なんだろうか?

一応補足しておくと、全体的な賃金が下がっているというなら、その原因はデフレによる不況です。株主への配当が増えているとか役員報酬が増えているという批判もありますが、だからそれも不況だからなんですってば。企業ってのは生産性を高めて利潤を最大化することを目的としているわけで、生産性を高める優秀な人材には高い報酬を与えて、そうでない人材にはそれなりに待遇することが費用最小化のためには当然のこと。企業が逃したくないと考える希少価値の高い人材から順番に並べて報酬が与えられていったときに、序列の末端に位置する人材に対する報酬が少なくなって、結果的に高所得者と低所得者の所得格差が大きくなってしまうのは、全体のパイが小さくなっているからです。

株主への配当を増やすのだって、護送船団方式による銀行の間接金融を規制緩和して直接金融に転換しろという方々の意向に添った結果として、不況の中で内部留保を高めて株主配当を増やさないと資金繰りが苦しくなるからですね。

これらの問題も、きちんとアジェンダ設定ができれば(1)タイプの問題として議論ができるわけですが、「経営者が私腹を肥やしている」とかの話になってしまうと(2)タイプの議論しかできなくなってしまうわけで、だから野党はしっかりしてくれといいたくなるわけです。
野党の存在意義



一方の堀紘一氏がいろいろ説明されたことは、まああの年代の経営者がいつも唱える呪文みたいなものなのでいちいち論評しませんが、ああいう現状認識だから日本の経営が行き詰まるんだろうなと。奥谷氏は労務屋さんもご指摘のとおり論外でした。

でまあ、やっぱり気になったことというのは、首都圏青年ユニオンの河添氏や連合の龍井氏のように、労働組合は左派的な主張しかできないのかということ。百歩譲って主張は左派的であっても、その処方箋に少なくとも近代経済学的な理論の裏付けがなければ、それこそ政権交代しようが政策が実現することはないだろう。自分が対処しなければならない社会というのは、自分が思っている理想に基づいて動くべきなのに動かないのではなく、自分の考えとはどうしても相容れない思想で行動する様々な人間によって構成されているという点に少しでも思いが至れば、それを研究対象とする経済学を否定したり嫌悪するのではなく、むしろ積極的に使っていくのがスマートなやり方であることは間違いない。その「スマートさ」すら嫌悪されるのかもしれないけど。

あとは、渡邉氏がデータを元にして、正社員の既得権益保護が労働者への配分を目減りさせ、非正規雇用を増加させている原因となっているとの指摘はもう少し掘り下げてよかったのにと残念。福井・大竹『脱格差社会と雇用法制―法と経済学で考える』(濱口先生がいうところの『脱力本』ですが)の大竹文雄・奥平寛子論文「解雇規制は雇用機会を減らし格差を拡大させる」には賛否あるし、番組中にも示されたOECDの解雇規制ランキングも本当にそうか?とも思わないではありませんが、少なくとも企業内の原資を確保するためには考えなければならないはず。

そもそも、リストラが吹き荒れた時期には中高年のリストラも社会問題になってたし、田原総一郎も指摘したとおり日本の雇用慣行では定年間際にならないと元が取れない給与体系だったわけで、それをやめてしまえというのは難しいだろう。とはいっても、確かに今現在生産性に見合わない給料を得ている定年間際の給与を減らす以外に原資を確保する手段がないのであれば、積極的に議論してよかったのではないかと思う。でもまあ、それを実行したりすると裁判所が「若年期に生産性を下回る給与で働いた労働者の債権を不当に減額することは許されない」とかいうんだろうなあ。解釈論でしか考えない裁判所が経済活動を不当に制限することは許されるんだろうかね。
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