2008年04月20日 (日) | Edit |
以前録画しておきながら見る気を失っていた『朝まで生テレビ』(3月28日深夜に放送)という地方分権教の番組ですが、HDDの空きもなくなってきたのでざっと流し見してみました。

相川 俊英(ジャーナリスト)
浅尾 慶一郎(民主党・参議院議員)
浅野 史郎(前宮城県知事、慶応大学教授)
猪瀬 直樹(東京都副知事、作家)
片山 さつき(自民党・衆議院議員)
片山 虎之助(前参議院自民党幹事長)
佐々木 恵美子(北海道議会議員)
神野 直彦(東京大学大学院教授)
根本 良一(前福島県矢祭町町長)
東国原 英夫(宮崎県知事、「せんたく」幹事)
松沢 成文(神奈川県知事、「せんたく」幹事)
▼ 3月「激論!地方分権が日本を救う?!」(朝まで生テレビ



まずは、いつものように冒頭のそもそも論から田原総一郎が突っ込んでいた中で、地方分権推進の国会決議が細川内閣時だったことに話が及んだんだけど、誰が言い出したか?と問い続ける田原総一郎に神野センセイはしどろもどろ。虎退治されたはずの片山元総務大臣が
「政府側じゃなかったよなあ・・・」
と助け船を出したにもかかわらず、神野センセイときたら、
「いや、あれは国民的な動きですね。これは結局何かというと、今までのように国が全部画一的な公共サービスを決めてというのでは、ゆとりと豊かさを実感できない」
だってさ。
すかさず、田原総一郎から
「地方じゃなくて国に任せた方がラクにできるんじゃないの?」
とナイスなツッコミ。これに対して、神野センセイは
「住民、国民にとってムダなサービスが出てくる。ムダというのは、地域の生活に合った公共サービスが出て行かないということ」
と、またも「ムダ=悪」論で反論されてましたが、だから、誰にとって「ムダ」が問題で、地方に権限を与えたらその「ムダ」とされる歳出を削減することが可能なのか、さらに削減したとしてその「ムダ」で禄を食んでいた人の生活をどうするかってのが問題なんでしょ? 「ムダ」とされた公共事業を削減したら地方への所得再分配が滞ったために、地方経済はますます停滞して、「ムダ」がなくなってラクになるはずの地方財政が税収不足でアップアップしてるのが、それを端的に示しているんですけど。

現場主義とかいうことをおっしゃる方々なんだから、地方自治の現場をもう少し虚心坦懐に見たら、地方議会も地方自治体もそんな状況じゃないことは明らかなわけで、国の規制がどーのこーのいう前に、知事とか市町村長とか地方議員とか地方自治体の職員がそういった「所得の再分配」(これは税と給付をひっくるめたもの)に関してまともな政策を作る方が先なはず。ただし、開放経済である地方自治体の財政で「所得の再分配」を行えば、「福祉の磁石」が働いて人口構成が歪んでしまうというジレンマがあるから、国の行う所得再分配に決定的に依存せざるを得ない。ここを理解しなければ地方分権なんて語ることはできないんだけど、地方分権教のみなさんにとってそれは邪教の教えなんだろうね。

とはいいながら、その直後に地方分権の論理的破綻を実演される地方分権教のみなさんはなかなかお茶目といえなくもない。

まず、「合併しない町」として有名になった根本前矢祭町長が、田原総一郎に「なぜ総務大臣に喧嘩を売って合併しないのか」と問われて、
「総務省が合併しなさいといったわけでもないし、合併に反対したわけでもなく、矢祭町は合併しないと決めたというだけで、いち町長が総務大臣に喧嘩を売れるわけがない」
といった回答をします。もちろん、そこで田原総一郎は「地方分権は国と喧嘩しないと意味がないんじゃないか」と正しいツッコミ。

根本前町長は、地方分権は地方に対する規制緩和といったおこぼれをもらうことじゃなくて、地方が自ら決めることが重要で、市町村合併をすると創意工夫ができなくなるとおっしゃりたかったようですが、ここでも田原総一郎から「(地方分権のための)市町村合併したら創意工夫ができないってどういうこと?」とさらに正しいツッコミ。

市町村合併については、片山元総務大臣が「経済財政諮問会議において、市町村が中心となった地方分権を進めるために、受け皿になる市町村を合併する必要があるとされたから」とうまく経済財政諮問会議に責任転嫁してフォローしたつもりが、浅野前宮城県知事が
「市町村合併でよくなったものと悪くなったものがある」
とあっさり認めてしまうという見事なオウンゴールを決めてくれました。
地方分権すると生活がよくなるっていってたのアンタじゃねーの!? と俺も突っ込んでおきます。浅野前知事は「国が補助金などのパターナリズムで余計なことをやったからおかしくなっている」なんていってたけど、おそらくその余計なことをやらなかったら外部性の内部化ができなくなって、もっとひどいことになる分野も出ていたはず。いやはや、地方分権教の教義には外部性とか共有地の悲劇とかの言葉はないんでしょうなあ。

その後は夕張問題をネタに観光とか人件費をやり玉に挙げているけど、まあそれは市職員の雇用問題に誰も手をつけなかったことによる補助金獲得行動の歪みでしょうから、それは夕張市役所の問題でもあるけど、地方公務員法の問題であったり補助金行政の問題でもあって、中央集権とか地方分権とは全く違う意味で、それは日本という国全体の法律執行に影響される部分が大きい。手っ取り早くいえば地方分権で片付く問題ではないということ。

根本前町長はここで夕張市の自己責任論をぶちかましてくれますが、猪瀬直樹といい、戦中、全共闘世代は自己責任論がお好きなようで、自らの世代が経験した経済復興や石油ショックの克服が僥倖であった可能性などみじんもお考えではないらしい。バブル崩壊による景気の低迷も自己責任だし、その時期の景気対策も自己責任であって、それで財政が悪化したのは自己責任だと合併しない町長さんがおっしゃるということは、やっぱり自己責任を持たせる地方分権などではなんの解決にもならないことの証明だと思われますが、そんな解釈も自己責任ですかそうですか。

次は、東国原宮崎県知事を自称「選挙好き」の浅野前宮城県知事やら松沢神奈川県知事らがお手盛りでヨイショする展開にゲンナリ。松沢知事は多選禁止を自慢してたけど、この人材不足の日本でマトモな知事の多選まで一律で禁止したら、もっとマトモじゃない知事が増えてしまいそう。

神野センセイは相変わらず田原総一郎のツッコミにしどろもどろ。○系の神野センセイはもしかするとマトモな金融論を勉強されていない可能性もあるけど、だからといって田原総一郎に「学者生命にかけてがんばって!」といわれても新銀行東京について聞かれて答えられないというのは、本当に何も知らないか、東京都の税調で深く関わりすぎて何も言えないのか、いずれにしても学者生命が終わったと俺は見なしておく。というより、神野センセイとか金子勝センセイが「経済学者」を名乗って○系で地方財政の現場をかき乱すのはやめていただきたいと切に願っている俺としては、神野センセイが「経済学者」の看板を下ろすことに全面的に賛成します。新しい肩書きまではしらないけど。

お次は三位一体の改革についてまたも不毛な議論を繰り広げる地方分権教の方々。奨励的補助金ではなく義務的補助金の補助率引き下げばっかりでけしからん!と息巻いていらっしゃるけど、もともと限られた財源を重要度の高いところへ優先して配分しようというのが補助金であって、その優先する場所を決めるのが補助金の申請と交付という手続きである以上、その手続きをやめろというのは薄く広く財源を配分しろということにほかならない。それを求めたのは地方自治体だったくせに、そういう当たり前の結果が気にくわないって批判するのは虫がいいというか、ただのアホじゃね? と軽くいなして終わる話です。

あと、国と地方のどっちがプライマリーバランスで改善しているかという議論が不毛なのは、国の予算を決定する前段として、地方財政対策でもって国と地方の借金の負担割合を決めているからであって、現状として負担割合が国の方に偏っているから国と地方で比べたときに地方の方が改善しているに過ぎない。極端な話、国がもう国債発行で面倒見切れないよといって地方負担の割合を大きくしたら、あっという間に地方のプライマリーバランスは悪化する。実際問題として、地方自治体の信用力とか地方債の償還計画上その辺をいじりにくいという事情があって地方負担分が少なくなっているわけで、そこを逆手にとって「地方の方が豊かだよ」とかいう財務省の煽りにまんまと引っかかっている地方分権教の方々も哀れではあります。

浅野史郎という方は厚生省で障害者福祉に携わっているうちに脳内が左派思想に染まってしまったらしく、弱者が救われればその他がどうなっても知ったこっちゃないということを正義のオブラートで包んで発言してしまう。この場合の弱者は地方で、弱者以外の強者は東京とかの大都市なんだけど、
「宮城県の住民が払った税金は宮城県のために使うというのが民主主義の基本であり、地方分権は民主主義の先進国家になるための絶対条件だ」
って本気ですか? 民主主義の基本とまでおっしゃるなら東京都の住民がそれを主張してもいいんですな。大都市の財源を地方に配分する仕組みである地方交付税の根幹を否定されるとはなかなか大胆なご提案です。

税の話になったとき、片山さつき氏が「地方分権のためには、地方議会が歳出だけじゃなく歳入についても議論できなければダメだ」という非常にポイントを突いた発言をしたんだけど、松沢知事は「4年かけて議論して森林環境保全税を導入し、40億円の歳入を確保した」とまたも自慢話。金融政策をもたない地方自治体が税収を増やすというのは、住民から地方自治体への財政移転によって住民の予算制約を悪化させ、少なくとも課税による死加重を発生させるわけで、それ以上の便益がなければおいそれとやるわけにはいかない。その辺の算段もなくいきなり税金を導入しますってのは、政治上ももちろん難しいだろうし実効性の面でもかなり問題があると思われるんだが。

道路特定財源も話題になっていたけど、民主党の政争の具となっていて何の原理原則論もない状況では、地方分権教はなりふり構わず財源を獲得に行くのみです。あっぱれ。

道州制の議論もありましたが、神野センセイが「道州制にすることによって医療や雇用などの関心の高い問題が解決されるかを示すことが大事」と発言してからの地方分権教の方々のグダグダ具合は見物でした。田原総一郎もしびれを切らして「滋賀県に来た観光客はみんな京都に泊まるし、道州制にしたって地方は活性化しないだろう」ともっともなことを発言して、誰も政策的に反論できない有様。

と、ここへ来て根本前町長が地方分権教に反旗を翻します。いわく、
「道州制は多民族国家の統治の仕組みであって、(アイヌは別との注釈付きで)単一民族の日本には合わない」
「道州制にして生活がよくなると思っている国民は一人もいない」
とのこと。自己責任論がここで地方分権教の矛盾をあぶり出した形になったわけですが、結局は道州制にしたって国と地方を合わせた国家の責任が何ら軽減されないのであれば、道州制で分散された責任をより身近に負う覚悟が必要になるんだよね。地方分権教はあたかもそれが民主主義の理想像のような言い方をするけど、それってだいぶ窮屈な生活でしょ。道州間で競争するなんてのも、企業誘致のための租税競争とか外部旅行者への租税輸出みたいな責任転嫁につながる可能性が高いし、それを防ぐための制度的なコストを考えれば道州制が安くて質のよい公共サービスを提供する蓋然性なんてものはない。

最後の雑談で猪瀬直樹が「霞ヶ関に任せてたら日本が沈没する」とかいってましたが、地方に任せればその速度は速まりそうな予感を感じさせられた3時間でした。

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