2020年05月24日 (日) | Edit |
世の中は公務員の定年延長が話題になっていますが、そもそも定年という仕組みがなぜジョブ型で規定されている国家公務員法に適用されなければならないのかという点の議論が必要と思われるところ、まあメンバーシップ型のいんちきネオリベしかいないこの国では、公務員の定年延長が恣意的だの何だのという観点からしか批判されないわけでして、内閣人事局を設置したときの議論を思い起こすと遠い目になってしまいますね。

 しかし、公務員改革の方向性をめぐる経産省と人事院の対立が激しくなっていくと、企画官は徐々に情熱を失っていく。省庁間の縄張り争いを「戦争」と表現し、最後には「私には公務員の相応しい人事制度とはどのようなものなのかついに分からなかった。しかし、もう時間が尽きてしまった」という言葉で回顧録を締めくくる。
 「これからどんなことが起こるのか、背筋が凍るような思いがした」。回顧録を読んだある民間職員は振り返った。
p.97

民党と公務員制度改革
(2013/07/17)
塙 和也


※ 以下、強調は引用者による。

(略)
世の中の利害当事者の立場を代弁するのが国家公務員ではあるのですが、その国家公務員自身が利害当事者となる公務員制度改革について、公務員なら当事者だから何でも言えるということではありません。業界なら業界団体が、消費者なら消費者団体が、民間の労働なら労働団体(労働組合)がそれぞれの立場を取りまとめるという過程が必要なのと同様に、国家公務員という労働者の利害をとりまとめるのは国家公務員の労働組合であるべきでしょう。そこに割って入ったのが、法律によって設置された事務局でもなく労働組合でもない一省庁の「裏部隊」であったら、その政策提案なるものが何を目指しているのか不審に思うのは当然のことだろうと思います。そういうことを平然とやってのける経産省の作法の悪さには辟易とするところですが、まあ集団的労使関係の再構築が課題とすらされないようなこの国の状況では、むしろ「民間感覚のカイカク!」を気取る経産省のやり方の方が好意を持って受け止められるのでしょう。引用部で事務局の対立を生んだとされる古賀氏が、一時メディアでもてはやされていた状況がそれを物語っていると思います。

でまあ、本書で記述されているような状況を踏まえると、真に必要な改革を阻んでいるのは人事院をはじめとする複雑怪奇に入り組んだ公務員の人事制度であることは言を俟たないと思うのですが、この点においても重要なのは、この国の集団的労使関係の再構築と並行して公務員の労働基本権を回復させることにあるはずです。人事院の言い分の不自然さは本書で指摘されているとおりであるとして、そうであればこそ、人事院の設置根拠となっている公務員の労働基本権の制約を取っ払うことが人事院の息の根を止めるクリティカルな方法です。そこには手をつけずに「カイカク」ばかり叫んでいるから実現すべきことも実現できないのではないかと思うところです。

一括採用の幻想(2014年02月23日 (日))

官僚の人事に政治家が関与すべきという風潮に乗った経済産業省の「裏部隊」によって、公務員の人事制度はどうあるべきかという議論を深めることもなく設置された内閣人事局が喝采をもって賞賛される一方で、職能資格給制度の終着点である定年という一点において政府の関与はけしからんという「民意」が政府を動かしているというのが、ずぶずぶのメンバーシップ型の日本型雇用慣行が広く浸透したこの国の現状ということなのでしょう。

前々回エントリでも、

一点目はジョブと定数を連動させることとし、単に前年度比いくら減ったと一喜一憂するような定数管理をやめるということですし、二点目はジョブに従事するための専門職型公務員の導入ということで、前回エントリの付記2で引用したhamachan先生のご指摘を具現化したものといえます。まあまっとうな考えができればそうなるわけですが、個人的にはもう一点付け加える必要があると考えています。

つまり、これまでの繰り返しになりますが、

日本の現場では長らく「全体最適」がマジックワードとなっていて、「それぞれが自分の担当に閉じこもってしまう部分最適ではダメだ。全体最適を目指すべきだ!」といえば、何か言った気になることができる風潮があります。おそらくそこには、専門的な見地は局所的な視点に陥りがちだから、全体を俯瞰して判断しなければならないという、それ自体は誠にもっともな理屈があるのでしょうけれども、その裏には「職能資格を積み重ねた上司の判断に従う」という日本型雇用への信頼があるものと思われます。しかしそれは、専門性を軽視し、「全体最適」なる合理主義にお墨付きを与え、「合理主義自体が深いところで持つ志向が、グロテスクに拡大された」全体主義体制に容易に通じてしまうという危険性を孕むものと思われます。

「全体最適」なる合理主義(2020年02月27日 (木))

というように、組織規範としての職務遂行能力を身につけ、組織内政治に長けて職能資格給制度を昇進していった上司は、「専門性を軽視し、「全体最適」なる合理主義にお墨付きを与え、「合理主義自体が深いところで持つ志向が、グロテスクに拡大された」全体主義体制に容易に通じてしまうという危険性を孕」んでいるわけでして、専門性を持ちながらジェネラリストよりも賃金水準が低い職員のいうことを素直に聞き入れるとは限りません。というより、そうした組織規範に則った意思決定が是とされる風潮が変わらなければ結局、役所という組織の公共サービスの質が向上することはないでしょう。

ジョブ型でサービスが回り始める(2020年05月05日 (火))

と指摘しておりましたが、公的サービス(検察庁人事は公的サービスの中でも高い専門性と刑法の適用という特殊性があるものの)の質をどのように確保して実効性のある行政を確保するかという観点からいえば、定年で有無を言わせず退職させることの是非を問うことが前提ではないかと考えます。そして、年功的に運用される職能資格給制度において組織を維持するためには、職務無限定で新卒を一括採用し、アサインするために上位の職を順番に空けて…、という玉突きにより、全職員を対象に人事異動する仕組みが必要であり、定年はその終着点となりますので、定年の是非はメンバーシップ型の職務無限定の新卒一括採用や人事異動の是非とも直結します。

もちろん、そうしたずぶずぶのメンバーシップ型の人事制度が当然とされる風潮が日本型雇用慣行の堅牢さを物語ってはいるのですが、日本の労働組合やその支持を受ける日本型リベラル政党が、ことあるごとに「戦時体制」を引き合いに出して政府を批判する一方で、戦時体制の賃金制度を継承している職能資格給制度を金科玉条の如く護持しようとするのはどのように理解したらよいのか、不思議に思いますね。

(1) 生活給思想と賃金統制

 明治期の流動的な労働市場では、勤続年数に応じた年功賃金制など存在しなかった。日露戦争や第一次大戦後、子飼い職工たちを中心とする雇用システムが確立するとともに、長期勤続を前提に一企業の中で未熟練の仕事から熟練の仕事に移行していくという仕組みが形成され、それに対応する形で定期昇給制が導入された。これが年功賃金制、年功序列制の出発点となる。しかし、これは大企業の基幹工にのみ適用された仕組みで、臨時工や請負業者が送り込む組夫はそこから排除されていたし、多くの中小企業も労働移動が頻繁な流動的な労働市場で、年功的ではなかった。
 1930年代には、政府の中から、賃金制度を合理化して、職務給に一本化すべきだという思想が出てきたが、日中戦争から太平洋戦争へと進む中で、賃金制度は全く逆の方向、すなわち全員画一的な年齢給の方向に向かった。
 生活給思想を最初にまとまった形で提唱したのは、呉海軍工廠の伍堂卓雄である。1922年に彼が発表した論文は、従来の賃金が労働力の需給関係によって決まり、生活費の要素が考慮されなかったことを、労働者の思想悪化(=共産主義化)の原因として批判し、年齢とともに賃金が上昇する仕組みが望ましいとしている。…この生活給思想が、戦時期に賃金統制の形で現実のものとなる。
pp.626-627

(2) 電産型賃金体系とその批判

 賃金制度は、戦時中の皇国勤労観に基づく政策方向が、戦後急進的な労働運動によってほとんどそのまま受け継がれていった典型的な領域である。
(略)
 このように、当時占領軍や国際労働運動の勧告は年功賃金制を痛烈に批判していたのだが、労働側は戦時中の賃金制度を捨てるどころか、むしろそれをより強化する方向で闘い、年功賃金制度が普及していった。これに対して、政府や経営側は「仕事の量および質を正確に反映した」職務給制度の導入を訴えていた。実際、1948年の国家公務員法では、この考え方に基づいて職階制が導入されているが、これは実際には骨抜きになった。
p.628

日本の労働法政策
定価: 3,889円+税
2018年10月30日刊行 A5判 1,074頁
濱口桂一郎[著]
ISBN978-4-538-41164-4

「戦前の日本軍が暴走したために戦争へ突き進んだ」というのはほぼ共通認識といっていいと思うのですが、その軍隊組織の人事制度を頑なに受け継いで、労働者の思想悪化(=共産主義化)を阻止する意図を持って提唱された生活給思想を護持しているのが日本的リベラルの方々なんですよね。

 これまで述べてきたように、職能資格制度は、軍隊の制度と似ていた。そして、この報告書(引用注:1969年の日経連『能力主義管理—その理論と実践』)を書いた大企業の人事担当者たちも、それに自覚的だった。巻末付録の匿名座談会で、彼らは以下のように話し合っている。

C われわれの職能資格制度、私は旧陸・海軍の階級制というのはまさにそれじゃなかったかと思うんです。少尉、中尉、大尉という階級は職能的でしたよ。

(略)
 だが、彼らは、重要な点を見落としていた。彼らが軍隊にいた時期は、戦争で軍の組織が急膨張し、そのうえ将校や士官が大量に戦死していた。そのためポストの空きが多く、有能と認められた者は昇進が早かった。彼らが述べている「10年たってまだ中尉の人ももう少佐の人もいた」「同じ少尉でも中隊長もいるし、大隊長もいた」という事態は、戦時期の例外現象にすぎなかったのである。
pp.486−487

製品名 日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学
著者名 著:小熊 英二
発売日 2019年07月17日
価格 定価 : 本体1,300円(税別)
ISBN 978-4-06-515429-8
通巻番号 2528
判型 新書
ページ数 608ページ
シリーズ 講談社現代新書

『能力主義管理』はいうまでもなく日本型雇用の1960年代の到達点ですが、その中において、軍隊組織との類似性が当事者によってはっきりと語られていたわけですね。そしてそれは、戦前の軍隊組織の例外的な時期と高度経済成長の終焉が間近に迫った1960年代後半という時期の時代的背景との類似性でもあったわけで、その後両者がたどった道も類似しているといえそうです。

日本の労働者が理解した戦後民主主義(2019年09月29日 (日))

戦時体制を批判する方々は「新しい生活様式」にも異を唱えているようなのですが、

 ぼくは以前から「日常」とか「生活」という全く政治的に見えないことばが一番、政治的に厄介だよという話をよくしてきた。それは近衛新体制の時代、これらのことばが「戦時下」用語として機能した歴史があるからだ。だからぼくは今も、コロナ騒動を「非戦時」や「戦争」という比喩で語ることの危うさについても、一人ぶつぶつと呟いているわけだが、それは「戦争」という比喩が「戦時下」のことばや思考が社会に侵入することに人を無神経にさせるからだ。例えばコロナへの医療対応を「コロナとの戦争」と比喩した瞬間、そこには「前線」と「銃後」のような構図が成立し、「#医療関係者にエールを」と呼びかけるのは正しいことなのかもしれないが、そこに「兵隊さんありがとう」に似た不穏な響きをぼくは感じてしまう。

 と、このように書き始めれば、何でも戦争に結びつけいかがなものかと言う、サヨクのいつもの手口だろうと反発する人々も少なからずいるだろう。しかし、このような「非常時」の「日常」、「銃後」の「生活」を政治が言い出すとき、碌なことにはならない。そのことはやはり歴史を振り返れば明らかなのだ。

大塚 英志「ていねいな暮らし」の戦時下起源と「女文字」の男たち(2020年5月22日更新)」(webちくま)

現状において、「「非常時」の「日常」、「銃後」の「生活」」であった賃金統制が生活給思想を現実のものとし、戦後の労働運動がそれを保持し、労使の合意により職能資格給制度として「日常化」しているわけでして、それを批判するサヨクがいらっしゃるのであれば、それはそれで一貫した考え方だと思います。まあソーシャルに欠ける日本的リベラルとしてのサヨクの方々は、その存在そのものが一貫性を欠いているわけでして、それもまた日本型雇用慣行の堅牢さを支えているのでしょうけれども。
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