2019年09月29日 (日) | Edit |
去年、海老原さんと荻野さんの『人事の成り立ち』
名著17冊の著者との往復書簡で読み解く 人事の成り立ち 新刊
「誰もが階段を上れる社会」の希望と葛藤
海老原 嗣生 著、荻野 進介 著
出版年月日 2018/10/26
ISBN 9784561227175
判型・ページ数 4-6・360ページ
定価 本体2,315円+税

で示された「ジャーナリスティックな労働史観」に触発されまして、
労働史観の私的推論(前編)(2018年11月10日 (土))
グラデーションを持った働き方(労働史観の私的推論 後編)(2018年11月11日 (日))
というエントリをアップしたことがありますが、そこで繰り広げた拙論について大変衝撃的な本が出版されていました。

いやもうhamachan先生の「これはいったい何という本だ!と叫んでしまいました」という一言にその衝撃度合いが凝縮されているのですが、

それであれば、それは本書の副題「雇用・教育・福祉の歴史社会学」にぴったりと符合します。しかし、本書の内容はそういうものにもなっていません。なぜなら、小熊さんによれば

・・・ところが、雇用慣行について調べているうちにこれが全体を規定していることが、次第に見えてきた


からです。そこで、

・・・最初に書いた草稿はすべて破棄し、雇用慣行の歴史に比重を置いて、全体を書き直すことになった。


「比重を置いて」、というよりも、これはもはや、日本型雇用システムの形成史に関する、現在の時点の知見の相当部分を包括的に取り入れたほとんど唯一の解説書になっています。小熊さん自身はそういうつもりはなかったようですが、社会政策とか労働研究といった分野の研究者が、細かなモノグラフは書くけれどもこういう骨太の本を書かないものだから、これから長い間、日本型雇用システムの関する定番の本になってしまう可能性が高いように思われます。

小熊英二『日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学』(hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳) 2019年7月13日 (土))


という次第で、昨年書いた拙論で繰り広げた私論について「答え合わせ」するための格好の素材となっていますので、おそらく現時点で一般に入手しうる中でもっとも網羅的な文献として対比させていただきながら、拙論を振り返ってみたいと思います。

1 軍隊組織への「忌避感」

ただし、その「忌避感」のややこしいところは、たとえば「上意下達で暴力がまかり通る軍隊組織はまっぴらごめんだ」と思う人もいれば、「入る時点で階級が分かれていて、昇進する位もあらかじめ決まっているような硬直した軍隊組織はまっぴらごめんだ」という方もいたと推察されるところで、軍隊組織のどこを否定するかという力点によって、新たに形成される制度も変わってきます。上記の例でいえば、前者の忌避感を持つ方より後者の忌避感を持つ方が多いと、「能力に応じて(能力が高まれば)制限なく昇進できる組織とするべきであり、能力を高めるためには上意下達で厳しく部下を指導し、そのために暴力的な指導もやむを得ない」という組織が形成されることになります。

軍隊組織のどこを否定するかということは、言い換えれば軍隊組織のどこを有用と認めるかということですので、特に軍隊組織の当事者であった世代にとって、自分が組織内で果たした役割を全て否定することは忍びなかったということもありそうです。お察しの通り、私はこれがメンバーシップ型雇用を支えるもうひとつの時代背景だろうと考えております。まあ特に当事者の多くが鬼籍に入った現時点においてはこれをアカデミズムの分野で実証しようにもなかなか骨の折れる作業でしょうから、あくまで素人の与太話程度ですが。

労働史観の私的推論(前編)(2018年11月10日 (土))


本書が「アカデミズム」の業績と評価されるかは素人の私にはよくわかりませんが、こういう部分をしっかりと描出しているのが本書のすごみでして、

 これまで述べてきたように、職能資格制度は、軍隊の制度と似ていた。そして、この報告書(引用注:1969年の日経連『能力主義管理—その理論と実践』)を書いた大企業の人事担当者たちも、それに自覚的だった。巻末付録の匿名座談会で、彼らは以下のように話し合っている。

C われわれの職能資格制度、私は旧陸・海軍の階級制というのはまさにそれじゃなかったかと思うんです。少尉、中尉、大尉という階級は職能的でしたよ。
(略)
 だが、彼らは、重要な点を見落としていた。彼らが軍隊にいた時期は、戦争で軍の組織が急膨張し、そのうえ将校や士官が大量に戦死していた。そのためポストの空きが多く、有能と認められた者は昇進が早かった。彼らが述べている「10年たってまだ中尉の人ももう少佐の人もいた」「同じ少尉でも中隊長もいるし、大隊長もいた」という事態は、戦時期の例外現象にすぎなかったのである。
pp.486−487

製品名 日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学
著者名 著:小熊 英二
発売日 2019年07月17日
価格 定価 : 本体1,300円(税別)
ISBN 978-4-06-515429-8
通巻番号 2528
判型 新書
ページ数 608ページ
シリーズ 講談社現代新書


『能力主義管理』はいうまでもなく日本型雇用の1960年代の到達点ですが、その中において、軍隊組織との類似性が当事者によってはっきりと語られていたわけですね。そしてそれは、戦前の軍隊組織の例外的な時期と高度経済成長の終焉が間近に迫った1960年代後半という時期の時代的背景との類似性でもあったわけで、その後両者がたどった道も類似しているといえそうです。

お次は内部昇進についてですが、

2 青空とガラスの天井

ということで、さらに素人の与太話を逞しくしてみますと、終戦直後の高度成長期の前段階において、職工に分かれていた処遇を同一化し、「青空が見える」内部昇進を制度化したのは、それが深刻な身分差別と認識されていたからともいえそうです。つまり、戦後の労働運動の中では、労使ともに戦前の専制的な体制を忌避した結果として「青空が見える」組織が目指されたのではないかと。
(略)
そして高度成長期が終わって日本型雇用慣行が普及したころにはすでに、「青空は見えるが、ガラスの天井が低く、その穴も狭くなっている」状況が始まっていて、バブル崩壊後の『新時代の「日本型経営」』における雇用ボートフォリオはその理論武装であったともいえます。そして「ガラスの天井」が低くなり、かつその穴が狭くなったときに、その狭き門をすり抜けることが許されたのは、スキルに習熟した労働者(専門職型)ではなく、組織の規範を内部化したメンバーとしての男性労働者(高度人材)だったのが実情ですね。

労働史観の私的推論(前編)(2018年11月10日 (土))


本書では、戦後の日本において労働者が求めたのは「社員の平等」だったと指摘しておりまして、「青空の見える労務管理」という言葉に関連して、本書ではこう指摘されています。

 こうして「社員の平等」は、少なくとも形式的には完成した。最初に配属された職務が何であろうと、与えられた職務で経営の期待に応えた者は、選抜されて昇進する。いわば、経営の査定が無差別に適用される意味において、「社員」は平等になったのだ。
 日本鋼管の労務担当であり、のちに取締役になった折井日向は、これを「青空の見える労務管理」と形容した。この言葉は、当時の八幡製鉄のスローガンでもあった。義務教育卒の二等兵であっても、与えられた任務で「能力」を評価されれば、将校になれる制度だという意味である。
p.473

小熊『同』


この折井氏の言葉は、1973年の『労務管理二十年—日本鋼管(株)にみる戦後日本の労務管理』の中で述べられたとのことですので、当時はまだ「青空は見えるが、ガラスの天井が低く、その穴も狭くなっている」状態が深刻に受け止められていなかったのでしょうけれども、すでにその運用の限界は見えていたというべきでしょう。

次は「3 「職能資格」の純化」「4 長期雇用と「職務遂行能力」」「5 「職能資格」と規範の内部化」をまとめていきますが、

5 「職能資格」と規範の内部化

さらに注意が必要なのは、「職能資格」は採用時から連綿と積み重なるものであって、メンバーシップにおける管理職としての適性はその「職能資格」によって裏打ちされるという運用になっていることです。「運用」という言葉を使ったのは、結局「青空の見える労務管理」とは上層部にいたる道を通すだけで、その道を通る資格は労働者が自ら獲得するという建前は堅持しているからです。つまり、制度として道は通すが、そこを通るための「職能資格」を獲得するためには、労働者自らがメンバーとしての規範を身につけなければならないということです。

もちろん「職能資格」が同一組織内でのみ獲得されるものであるため、少なくとも採用時のスタート時点ではすべての正規労働者に等しく与えられますが、それを「長期雇用による経験」によってどこまで積み重ねられるかは正規労働者個々の適性と成果に応じて決まるわけです。しかもその「長期雇用による経験」は強大な人事権として使用者の裁量に任されているわけですから、積み重なる「職能資格」がつまるところジョブローテーションによって獲得される以上、人事異動を含むジョブローテーションによってどれだけ組織の規範を内部化するかが重要になります。平たくいえば、「デキる社員は出世コースを異動する」ということですが、これはメンバーシップ型がトートロジーによって成り立っていることを見事に示した言葉でもあります。

労働史観の私的推論(前編)(2018年11月10日 (土))


「できる社員は出世コースを異動する」というトートロジカルな現象が発生するのは、昇進や昇給の対象となる者を厳選する必要があるからですが、結果的に組織運営自体が自らの組織に忠誠な社員によって占められるという状況に至ることになります。そうなった組織が主要な産業を主導し、その雇用慣行が社会規範化しているのがこの国の現状なのですが、「なぜ日本ではペイジとプリンやジョブズやザッカーバーグやベゾスが出てこないんだ」という声を聞くと、まあそうでしょうなという感想しかありませんね。

6 組織のフラット化と「職能資格」の深化

…ということで、いま問題となっているのは、短期的な試行錯誤が続いて長期的には業務そのものの質が落ちているのに、なぜ正規労働者は「青空の見える労務管理」が可能なのかということです。裏返していえば、業務の質が落ちても「職務遂行能力」が高まっていると評価されるのは何故なのでしょうか。その一つの要因として、長期雇用で積み重なるとされている「職能資格」がそれとして純化している現状において、メンバーに求められるのは、仕事そのもの質を高めることではなく、組織の規範を内部化して、組織のためなら自分の生活を犠牲にして理不尽なことも厭わないという「職務遂行能力」を持つことであるということが挙げられます。

労働史観の私的推論(前編)(2018年11月10日 (土))

ここは組織のフラット化に絡めて考えていたのですが、そもそもの職能資格給制度が管理職養成を目的としたものではなく「社員の平等」を目的としたものであるなら、組織のフラット化は結果であって原因ではないということになります。「社員の平等」が目的であるからこそ、意思決定の迅速化の名目の基に、表向きは役職を減らしながら遅い昇進に報いるために職能資格は堅持し、その一方で実態として賃金カーブのフラット化と職能資格の純化が進められたというべきかもしれません。

 そして、急激な高学歴化によって起きた現象がもう一つあった。昇進の遅れである。
 アベグレンは1955年の大手製造企業に、この問題も見いだしていた。日本企業では、大卒職員の全員が幹部まで昇進することを前提に、頻繁な人事異動を行っていた。ところが大卒者が増えたうえ、戦時増産のために職員の採用を増やしていた。
 アベグレンは、「これらの要因によって、現在、日本の大企業のほとんどで、工員と事務員の人数に比較して、管理職とスタッフ部門の職員の数が不釣り合いに多くなっている」と指摘した。日本企業は「課長代理や課長補佐」といった不要なポストを大量に作っているが、そうまでしても、「企業の管理職の昇進が大幅に遅れて」いるというのだった。
p.461

小熊『同』

職能資格が経験年数に応じて上がる限りは賃金は上昇していくのが職能資格給制度ですから、課長とか部長という役職が足りないために昇進が遅くなったのなら、職能資格に見合う「役職」をつくり出して対応したわけですね。

そして小熊氏は、その社会をつくったのは、ほかでもない戦後日本の労働者であったことを指摘しています。

 労働氏の研究者たちは、日本で新卒一括採用や「終身雇用」が定着したのは1960年代だと位置づけることが多い。たしかにこうした慣習が、社会の多数派である現場労働者にまで広まったのは60年代になってからである。
 とはいえ日本の民衆は、新卒一括採用や年功賃金、終身雇用などを、戦前の官吏や職員が享受していることを知っていた。彼らは全員が高校に進学し、全員が「社員」となることで、こうした慣行の適用を大幅に拡大した。それが、「日本の労働者が理解した戦後民主主義」だったといえるかもしれない。
p.448

 こうしたルールは、歴史的経緯の蓄積で決まる。歴史的経緯とは、必然によって限定された、偶然の蓄積である。サッカーのルールは、人間の肉体を使ったゲームであるという必然の範囲内で、積み重ねられた偶然が決めている。それがどうしてラグビーのルールと違うのかは、歴史的経緯の創意という以外の説明はできない。
 こうしたルールは、合理的だから導入されたのではない。そもそも何が合理的で、何が効率的かは、ルールができたあとに決まる。ルールが変われば、何が合理的かも変わるのだ。
 それは出来上がった完成形としての「形」ではない。しかしサッカーで手を使えないのは不合理だといっても、歴史的過程を経て定着したルールは参加者の合意なしに変更することはできない。
(略)
 日本の経営者が、経営に都合のよい部分だけをつまみ食いしようとしても、必ず失敗に終わる。なぜなら、それでは労働者の合意を得られないからだ。逆もまたしかりで、労働者が都合のよい部分だけをつまみ食いしようとしても、経営者の合意を得られない。だからといって、長い歴史過程を経て合意に到達した他国の「しくみ」や世界のどこにも存在しない古典経済学の理想郷を、いきなり実現するのはほとんど不可能に近い。
pp.570-571

小熊『同』

日本型雇用の形成は、その現場へ人材を供給する教育や、生活に困窮した場合の社会保障も大いに役割を果たしているのですが、本書はあとがきに記載の通り「雇用慣行について調べているうちにこれが全体を規定している」という観点から記述されていますので、労働者と使用者の交渉の結果として「日本の労働者が理解した戦後民主主義」が実体化したものが日本型雇用ということができそうです。この国の現行制度とは、本書で言う「慣習の束」が具体化したものであって、「日本の労働者が理解した戦後民主主義」が日本型雇用を生み出した以上、日本型雇用が全体を規定するのは当然の帰結ではあります。

いやまあ、日本の構造改革(懐かしい?)とか経済財政をめぐる議論が、日本型雇用を理解しないような「存在しない古典経済学の理想郷」を前提に繰り広げられているのは、それがあまりに常識になってしまって、自らの社会を客観視できない状況を表しているのでしょうね。
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