2019年05月05日 (日) | Edit |
ここ数か月、アメリカの民主党候補者が支持したとして脚光を浴びているらしいMMTにつきましては、拙ブログでは2年半ほど前にその信奉者の方々と議論をさせていただいておりまして、相変わらず私の疑問に回答を示してくれるような議論は寡聞にして見当たらないところですね。

ところで望月夜さんは、さらに政府支出を増額してその分を新規国債で賄えばよいという立場かと見受けますが、その新規国債で賄うべき政府支出の額はどのくらいになるとお考えなのかは不明です。「政府債務の償還は因習である」とまでおっしゃるのであれば、政府支出は青天井として問題なさそうですので、各省庁なり自治体で選良の皆様が要求する事業にはすべて財源を用意して実施するというのも一つの考え方かと思います。なんというか、インフルエンス活動の全面解禁につながりそうですが、「しかし、実務というのは批判されたからといってすぐには変えられない(インフルエンス活動による効用が低い)から実務なのであって、消費者の批判に応えるためだけの実務なんてものには政策実現性(フィージビリティ)がそもそも担保されてはいません」ので、望月夜さんがお考えの「具体的実務的形態」の謎は深まるばかりという印象です。

「経済学方面の通常運転(2016年11月20日 (日))」


MMTを信奉される方々からは「インフレを指標とするので政府支出は青天井ではない」とのご指摘がありそうですが、インフレを指標とするから青天井としないということは、いつかは政府支出を絞るか増税によって「貨幣を消滅」させることが必要となるのでしょうけれども、ではそれらの財政政策のうちどれが望ましくて、どれが避けるべきものかをどうやって判断するのかについてはほとんど関心がないようです。

この点は琉牛牛 (@ryuryukyu)さんがケルトンの議論からまとめられているように、



手続き(ロジ)は示されているものの、その中身(サブ)を決める政策過程がすっぽり抜け落ちている言説が堂々と披瀝されると、投資といわれるものに財政支出しさえすればオールオッケーという主張に見えてしまうのですが、まあ経済学方面にありがちな議論ではありますね。

拙ブログでのケインズの理解は権丈先生の説明を参考にさせていただいているところですが、権丈先生が「ケインズが線型の消費関数なんか定義するから、消費は所得で決まってしまい、需給ギャップを調整するのは投資しかないという妙な理屈がまかり通るようになってしまった」と指摘される理路については、度々引用させていただいる次などが参考になります。

ケインズの理解でいえば、権丈先生はケインズの思想に至るまでの社会的・歴史的背景を吟味しながら議論されているので、その点を「信用」して参考にさせていただいているところでして、ケインズが投資と消費の関係をどのように考えていたのかについての権丈先生のご指摘を引用させていただきます。

We established in chapter 8 that employment can only increase pari passu investment unless there is a change in the propensity to consume.
(間宮訳「第8章でわれわれは、消費性向に変化がないとしたら、雇用の増加はただ投資の増加にともなってのみ起こりうることを確認した」)


僕は、「これなんだよなぁ。ケインズが線型の消費関数なんか定義するから、消費は所得で決まってしまい、需給ギャップを調整するのは投資しかないという妙な理屈がまかり通るようになってしまったんだよなぁ・・・」
彼「なるほど、そういうわけかぁ・・・」
と、ふたりで、投資の限界効率表なんてのは、あれは期待の話で、消費量が変われば期待としての限界効率表も動くに決まっているじゃないか、などなどと、iPad そっちので、『一般理論』の話で盛り上がる。

Consumption――to repeat the obvious――is the sole end and object of all economic activity.
(間宮訳「消費は、わかり切ったことを繰り返すなら、あらゆる経済活動の唯一の目的であり、目標である」)


この消費こそが、いま不足しているのである。
ところが、世の中の多くのひとは、ケインズが投資の話に論点を集中するために仮定した世界にとらわれてしまい、需給ギャップは投資で埋めると考えるばかりで、他の箇所ではケインズも結構論じている消費性向を高めていく政策には考えが及ばない。だから、需要不足があるんだから投資を増やさなければとばかり考える彼らと、現下の需要不足は主に消費が不足しているからと診る僕の話はかみ合わない――と言うよりも、彼らは間違い続けているように見える。

「勿凝学問 313 足りないのは、投資か消費か? 誤解の源はケインズの言葉だろうな(2010年6月8日 慶應義塾大学 商学部 教授 権丈善一)」


(略)

ここで,サムエルソンの経済学で学んだ多くの人たちは,なぜ,ポール・デヴィッドソンは,サムエルソンを「ケインズが賃金と物価の硬直性が失業の原因であるような,伝統的な古典派の一般均衡モデルを提示していると思い込んでいたのである」と批判しているのかと思うかもしれない。
その理由は,ケインズは,貨幣を保蔵 (hoarding)したいという欲求がある社会,すなわち流動性選好理論が成り立つ貨幣経済 (monetary economy)を 前提に置けば,伸縮的賃金であっても硬直的賃金であっても失業は起こりうると考えていたからである。このことは,ケインズの次の言葉が端的に示している。

喩えて言えば,失業が深刻になるのは人々が月を欲するからである。欲求の対象 (貨幣)が生産しえぬものであり,その需要が容易には尽きせぬものであるとき,人々が雇用の口をみつけるのは不可能である。
Keynes(1936)/間 宮陽介訳 (2008)『 一般理論』上巻331頁


これは,将来,すなわち歴史的な時間の流れの中での「不確実性」に備えて価値保蔵手段としての貨幣に対する選好,他にも諸々の理由により貨幣を保蔵したい という欲求すなわち「金銭欲」が尽きず「物欲」に優る場合には失業が起こると言っているのである。ケインズの論の中では,失業発生の原因として硬直的賃金という条件は重要ではない。

権丈善一「社会保障—— サムエルソンと係わる経済学の系譜序説の経済学系統図と彼のケインズ理解をめぐって——」(三田商学研究 第55巻 第5号 2012年12月)



ということで、ケインズの理論は「好みに合わない」として、その提示する理論を勝手に読み替えていたわけです。サミュエルソンの『経済学』の教科書で学んだ経済学徒(クルーグマンもその一人のようですが)には、そのようなサミュエルソンの理解だけではなく、勝手に読み替えるという作法まで伝わってしまったということでしょうか。

さて、ここまでが私が望月夜さんと議論を共有できないと考える一つ目の理由です。長々と引用しましたが、消費性向を高める政策が必要とされるときに、直接的に消費を増やす政府支出の財源として、安定的に税収を確保すべきと個人的に考えています。これに対して、望月夜さん(が信奉するMMTやそれに類似する学派?)は、消費とトレードオフの関係にある貯蓄を増やすために投資としての国債を増発するべきと指摘されていらっしゃると見受けます。マクロではそういえる面もあることは否定しませんが、具体的に誰の貯蓄が増えて誰の消費が増えるのか、その調整はどのように実施するのかが不明であるためお伺いしたものの回答はなく、その過程で政府支出によって賄われる利払いを含めると迂遠で高コストな財政支出ではないかという私の指摘にも特に回答はないため、議論を共有することが難しいと判断するに至ったという次第です。
(略)

(2017.1.8追記)
年を越えて引っ張るのもなんですが、このエントリのきっかけとなったお二人のコメント(http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-711.html#comment)を拝見していると、公共政策についての議論の難しさを改めて認識いたします。公共政策は繊細な議論ですので危険ではありますが、あえて模式化してみると、再分配や雇用・労働の制度に関する問題をAとして、Aの制度にまつわる問題をどのように解決すべきかという議論をしているのが拙ブログのスタンスでして、そのための財源の制度に関する問題をBとすると、本エントリで書いたような制度の裏付け(交渉と取り決めによるフロー支出はフロー財源で賄うという原則)を踏まえつつ、Bについては増税の必要性があると考えています(その理由は本エントリや上記エントリの参照先をご笑覧ください)。

というところで、Bについて異論をお持ちの方から、Cという考え方があるとか不正確とかいろいろなコメントをいただきまして、ではそのCの考え方なり私の記述の不正確さを正すなりによって、Aの問題についてどのような制度的解決が構想されるかについてお考えをお伺いしたところ、「急に「公共政策はどうあるべきか」という全く別の議論を持ってきて」とか「私は広い視野など持ち合わせておりません」という回答しかいただけないのが現実ですね。

私はBの議論に特化してその是非を論じているわけではありませんので、Aの問題が解決なり改善するのであれば、Bに関して増税にこだわるものではありません。そもそも増税が景気後退させることまで否定していませんし(中里先生がおっしゃるナローパスが重要だと考えています)、増税と現物給付との差引においていかに安定的に社会全体の消費を確保するかという経路が制度によって担保されることが重要と考えています。つまり、現状において制度による裏付けが弱いAとBの紐付けをいかに強化するかという点が私の関心なのですが、世の中にはBさえ何とかなればAは自動的に改善するとお考えの方がいらっしゃって、もしかするとそっちの方が多数派だというのが実態なのでしょう。

現実の制度においては、「その他の要件が変わらないのであれば、政府支出の対GDP比は現状のままであるはずでして、教育の無償化だの待機児童の解消だの医療行為に対する診療報酬の引き上げによる医療体制の拡充だのという再分配政策の支出構造は変わらない」わけでして、そのために制度の裏側にある利害関係の当事者による交渉や取り決めを踏まえつつ、どのように政府の支出構造という制度を変えていくかを考える必要があります。その際に決定的に重要になるのは、生産物はストックできないということであって、「「共同体の構成メンバーは連帯して共通の規範を守るべきであり、メンバーの中に苦境に立たされる者がいれば協力して支えなければならない」というsocialな考え方を理解できるか、「効率的な現金給付」で事足りるとする経済学的な議論の問題点を理解できるかというのが、労働政策に裏付けされた現物給付による社会保障や再分配を議論する上で、問われている」のですが、こういう議論が共有される世の中というのはこれまでも、そしてこれからしばらくも期待できそうにありません。himaginaryさんがおっしゃるように「「労働政策や所得再配分政策に関する論争が前面に出てくる」状況を目撃することは贅沢なこと」なんですねえ。

「制度をどのように変えるべきなのか(追記あり)(2016年12月31日 (土))」


長々と再掲しましたが、再掲部分の最後の追記にあるように、財源はその支出先とセットで考える必要があり、そこが繋がっていないと、社会的な限界消費性向を高めることなく、消費にも景気にも好ましくない影響を与える可能性がある財政支出に費消される可能性が高くなります。MMTでも経済学的に正しい理論でも構いませんが、その点を説得的に説明したものを拝見したことがないところでして、冒頭のように嘆息せざるを得ないわけです。

既に1年以上経ちますが、「何回か取り上げていた都知事選が誰得な結果に終わり」まして、その後は都の中央卸売市場の豊洲移転問題で小池都知事が手腕を発揮されていますが、不思議なことに財政政策の重要性を主張される方々にはこれほどの財政政策が支持されていないようです。豊洲移転問題での小池都知事の判断は、まさに通常であればムダと叩かれるような穴を掘って埋めるがごとき財政支出を繰り返しているように見受けるところでして、財政政策の重要性を主張される方々が待ち望んでいた姿ではなかったんでしょうかね。

いやもちろん、私自身は小池都知事の手法が評価されるべきとはこれっぽっちも思っていませんが、財政支出が足りないだなんだと騒ぐ方々が、これだけ露骨に穴を掘って埋めるような施策が実施されているのに、むしろ批判される方が多そうな状況は興味深い現象だなあとは思います。

「税金の使途を取り決める基盤(2017年09月24日 (日))」


再掲部分で権丈先生が指摘されているように「この消費こそが、いま不足しているのである。ところが、世の中の多くのひとは、ケインズが投資の話に論点を集中するために仮定した世界にとらわれてしまい、需給ギャップは投資で埋めると考えるばかりで、他の箇所ではケインズも結構論じている消費性向を高めていく政策には考えが及ばない。」という視点が、財政政策なり再分配の支出拡大に不可欠な視点だろうと考えます。その消費性向を高める政策の実効性を確保し、制度としての運用を確実なものとするためには、給付の権利が貼り付いた保険料とか、ストック効果に見合う公債費とか、その支出に対する財源の性格を明確に位置づける必要があります。というか、それが政策的技術論なのですが、MMTの考え方を援用してインフレになるまでは財政支出を拡大すべきという場合にはその政策過程がすっぽり抜け落ちてしまいます。

>「貯蓄や投資が増えると流動性選好が高まり、その結果として消費が抑制され、消費が抑制されると経済が縮小し…というデフレ・スパイラルが生じても、政府債務は償還する必要がないという立場からは特に関知しない」

単純にこの文面の意味を理解できないのであるが、まず一行目の「貯蓄・投資の増加→流動性選好の高まり」からして、控えめに言って意味不明、率直に言えば支離滅裂である。
ケインジアンの枠組みで言うと、流動性選好とは、流動性に対する投機的所持需要の程度を指すのであり、流動性選好が高まれば金利(流動性を貸与する報酬)が上がり、弱まれば金利が下がるという構造を持っている。そうして決定する金利によって、投資量が決定するというのがケインジアンの枠組みであって、「貯蓄・投資が増えれば流動性選好が高まる」というのは、一体どういう考え方なのか全く理解することができない。

2016/12/29(木) 19:30:08 | URL | 望月夜 #3DzPDrAs[ 編集]


>流動性選好

松尾先生の説明も、私の説明も、基本的にはケインズの金利に関する説明「金利とは、貨幣を貸し出すことに対する報酬である」から統一的に理解できる。

貨幣を差し出すことに対して報酬が発生するのは、流動性に選好があるからである。

『ある一定の流動性選好』があるとき、利子率が下がれば(差し出し報酬が下がったということなので)貨幣を投資に差し出す意欲は低下することになる。

また、『流動性選好が高まれば』ある通貨供給量に対する金利には上昇圧力がかかるだろう。(なぜならば、「金利は流動性を差し出すことによって発生する報酬」なのであり。「流動性選好が強まるほど、流動性提出において要求する報酬は大きくなる」からである)

「金利は、貨幣を差し出すことに対する報酬であり、その報酬の要求程度は、流動性選好の強さに依存する」

これが理解できれば、私の「流動性選好」の扱いが、松尾先生とも何も矛盾することはないことがわかるだろう。

2016/12/30(金) 13:49:08 | URL | 望月夜 #3DzPDrAs[ 編集]


まあ、MMTを信奉される方にはそもそも投資を増やせば消費が増えるとお考えの方もいらっしゃいますので、政策過程なんぞ議論する必要性も感じられないのでしょうけれども、個々の企業なり家計において何に対する投資が増えて誰の消費が増えるのかは未だ不明なわけでして、いやまあどう見ても思考実験です。本当にありがとうございました。

というような手続きばかりしている実務屋からすると、「このようには何かしらの貸借関係があって、それを記述する手段として、石、金属、紙、場合によっては商品が用いられ、それが単位として統一されれば通貨になる」というのは、随分と簡略化された前提ですなあと感嘆することしきりです。いやもちろん、賃貸借と消費寄託の契約を金銭面のみに着目して記述するということであればこういう表現も可能でしょうけれども、その簡略化ぶりからは食べ物の入りと出だけに着目した「人間は「管」である」という考え方を思い起こします。

ところで、我々は「我考える、ゆえに我あり」などといい、人間存在の中心は「脳(意識)」であると思っている。しかし、生存にもっとも必要な食べ物の摂取の観点では、脳が意識するのは、せいぜい食べ物が腐っていないかを目や鼻や舌で感じるだけである。食べ物の良し悪しの判断の大半は腸に依っている。この意味でも人間は「管」であるといえる

(略)

確かに我々は「脳」のおかげで、便利な人工物に囲まれた清潔な場所で暮らすようになり寿命も延びた。しかし一方で我々の体の中心にある「管」は、環境の激変についていこうとして四苦八苦している。環境変化についていけず、ときには免疫システムがバランスをくずして、食物アレルギーを引き起こすケースが増えてきた。

生物が生きていくためには、環境と調和していくことが必須であり、人間もまた然りである。しかし、人間の「脳」は、環境に対して実に鈍感である。一方、環境に対してもっとも敏感なのは「管」の方である。今こそ「人間は「管」である」と考えるときかも知れない。 (記:五等星)

引用元: [コラム]人間は「管」である - 自然科学カフェ(2014/11/17 19:20)


「生存に必要な食べ物の摂取の観点」からこうした議論をすることは大いに理解できるものの、上記のような複雑な制度によって成り立つ社会における財政政策や金融政策を考える際に、その社会を構成する人間の行動を金銭面のみから記述することをもって「具体的実務的形態」であるぞという方がいらっしゃるのもまたこの世の習わしですね。

「人々は何かを購入する(2017年08月17日 (木))」



(追記)
MMTの議論について何度か参考にさせていただいているwankonyankoricky (@wankonyankorick)さんは、きちんとこの問題を考えていらっしゃいますね。

まあ昨今のMMTの脚光の浴び方を見ていれば、こうおっしゃる気持ちもわからないではありません。

ただし、wankonyankorickyさんが推してる(というよりMMTで唯一の?)らしき財政政策はJGPのように見受けられるのですが、拙ブログでは失業対策事業の夢魔とか、CFWなど検索していただければ現場の課題はそれなりにまとめたつもりですので、JGPが政策として機能するための政策過程もすっぽり抜け落ちていると評価せざるを得ないわけでして、またまた本エントリの冒頭の嘆息に戻ってしまいますね。
CFWはその枠を越えるべきか(2011年10月12日 (水))
緊急雇用創出事業の出口とは(2011年12月20日 (火))
「ミスマッチ」って何のこと?(2012年08月13日 (月))
緊急雇用創出事業とCFW(2015年02月11日 (水))
スポンサーサイト





コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック