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2019年05月03日 (金) | Edit |
元号が変わっておとといのメーデーと本日の憲法記念日ということで、毎年恒例の集団的労使関係論となりますが、前回エントリでご紹介した『HRmics vol.32』では、hamachan先生の連載「原典回帰」で藤林敬三著『労使関係と労使協議制』が取り上げられています。もちろん私のような浅学非才の徒は藤林敬三といわれてもピンとこないわけですが、本文によると「戦前から活躍した労働経済学者ですが、戦後は神奈川県地労委、そして長らく中労委の委員を務め、最後は中労委会長として1962年に亡くなり、その遺稿をまとめたのが本書です」とのこと。つまり、集団的労使関係の紛争処理機関である労働委員会で、労使紛争華やかなりし時代において調整や不当労働行為事件の審査に尽力された経歴の持ち主であり、集団的労使関係論を論ずるに相応しい人物といえるでしょう。

hamachan先生が紹介されているのは本書のエッセンスではありますが、その半世紀以上前の高度成長期まっただ中の論説と思えないほどに現在の労使関係を描出する内容となっていて、その慧眼に感服せざるを得ません。その藤林の基本的な視点は「労使関係は本来二元的関係である」というものでして、本書の記述から引用すると、

私のいう第一次関係というのは、いいかえれば経営対従業員関係を意味し、第二次関係というのは経営対組合関係を意味している。そしてこの第一次関係と第二次関係をさらに別の見方からすれば、第一次関係すなわち経営対従業員関係は、元来が労使の親和、友好、協力の関係である。これに対して第二次関係すなわち経営対組合関係は、もともと賃金ならびに労働諸条件、すなわち団体交渉の中心的な事項を対象としている。これらの労働諸条件の維持・改善を中心にして考えれば、労使は明らかにここで利害が対立している。したがって労使の利害対立、ときには労使が相争う関係がここで考えられなければならない。このように第一次関係、第二次関係を区別してみると、この二つの関係は性格上まったく相異なるものであるといわなければならない。(8頁)

藤林『労使関係と労使協議制』1963年(HRmics vol.32)p.32
※ 以下、強調は引用者による。

労使が親和的な第一次関係と利害が対立する第二次関係が労使関係の本来の姿であり、特に企業内組合が主体となった日本の職場はまったく異なるそれら二つの性格のうち、第一次関係に傾きがちというのが藤林の洞察であって、それが第二組合の発生を誘発するというメカニズムを解き明かします。このメカニズムはやや込み入っておりまして、経営対組合関係である第二次関係については、企業外部のナショナルセンターを頂点とする上部団体の指導(オルグ)によって強化されますが、そこでは第一次関係に傾いている企業内組合の姿勢が否定され、妥協を許さない教条的な姿勢に傾斜することとなります。その傾斜が強まった結果として、上部団体に導かれて第二次関係を志向する教条的・闘争的組合と、もともとの第一次関係を志向する(藤林は「里心」と表現しています)労使協調的組合に分裂することになるというわけです。

実は、拙ブログでは「第二組合が第一次関係を志向したために、企業内で組合が分裂してしまった」という書き方をしておりましたが、

というわけで、労働組合を保護するはずの労働組合法や労働委員会が、労働組合を分断化させてしまってその交渉力を弱体化させているというのが、日本の集団的労使関係の特徴となります。本来であれば、弱体化された労働組合の側からそのような制度を改正するよう求めるべきですが、労働組合側はそうしませんでした。なぜなら、そのような分断化された労働組合を認めなければ、現存している少数組合が存在できなくなるからです。そのような交渉力の弱体化と引き替えに、自らの組織を維持することを正当化する労働組合側の論理が、「交渉権の人権的把握」だったわけです。
(略)
というわけで、「交渉権の人権的把握」によって少数組合の存在を正当化したのは確かに労働組合であって、その意味では自業自得ではありますが、それを認めてきたのは労組法だったり労働委員会という行政委員会制度でした。そしてそれは、「少数組合を保護せよ!」という日本の左派陣営特有の主張によってもたらされた帰結でもあったわけで、労働組合だけの自業自得というよりは、戦後の日本の労働史観とでもいうものがあまりに労使対立路線と個別の組合保護に偏重していたことの結果だったように思います

自らの交渉力を低下させる労働組合(2009年06月14日 (日))
※強調は引用時。

この部分はむしろ、もともと第一次関係を志向する企業内組合が、ナショナルセンターや上部団体によるオルグによって先鋭化して第二次関係に傾いたものの、これに反発して第二組合が結成され、もともとの第一次関係が企業内組合の主流派となり、先鋭化した第二次関係を志向する組合が少数派となったというのが真相というところですね。もちろんこれは全体的な傾向をまとめたものであって、個々の企業や業界では逆に第二次関係が主流派となっているところもある(医療関係とか私学関係とか)ので、すべてがこれに当てはまるわけではありませんが、現在の日本の労使関係の描出として、藤林の指摘は首がもげるほど首肯するところです。

藤林の論説の詳細はぜひリンク先の本文をご覧いただきたいのですが、藤林の半世紀前の見通しとhamachan先生の指摘は、この国の労働組合関係者が熟読玩味する必要があると思います。

…なにしろ、そのいうところの雰囲気闘争、ムード闘争に満ち満ちていたころとはうって変わって、現在の日本は争議行動を伴う争議件数が1年間で68件という世界的に見ても超争議レスな労働社会になってしまっているからです。
 ところがさにあらず。藤林が労働委員会で連日争議の斡旋・調停に汗をかいていたころと、争議がほぼ完全に姿を消した今日とは、同じ企業内組合と経営の関係が違う現れ方をしているという意味で、実はコインの表と裏の関係にあるのです。
(略)
「…およそこのような労使関係へのクレッグ的な見解を論理を十分に味わうことも知らないままで、労使協議制をいちだんを大きく植え付けようとすることは、企業内組合をさらにhome unionismにいっそう転落せしめ、組合を去勢してしまうことにほかならないのではないだろうか。したがって、労使協議制の確立が労使関係の近代化あるいは民主主義化の方向を拒否するのではなく、むしろこれを前提とするか、あるいは少なくともこれと並行して推し進められるべきものであるとするならば、われわれの場合に今日まず考慮すべきことは、労使協議制の確立ではなく、労使関係の近代化であり、民主主義化である。言葉をかえていえば、企業内労組の存在を企業の内深く押しこめるのではなく、反対にそれを企業の外に向けしめることである。」(210〜211頁)

濱口桂一郎「原典回帰 第11回 藤林敬三著『労使関係と労使協議制』」(HRmics vol.32)p.42

「クレッグ的な見解」は引用部のみでは示されていないので推測ですが、企業内組合が労使協議制に特化していくと労使関係の近代化や民主主義化と逆行するという指摘だろうと思います。「働き方改革」が政治イシューになるというのは、上記エントリを書いていた10年前にはなかなか想像しがたい事態ではありますが、いつまで経っても集団的労使関係が政治イシューとなることはないところでして、日本の労使関係が前近代的な状態に据え置かれたままで「働き方改革」が実効性あるものとなるのかは甚だ疑問ですね。

なお、細かい指摘で大変恐縮ですが、上記のhamachan先生の記事のp.43に用語解説がありまして、労働委員会の説明で「都道府県が設置する地方労働委員会」という記載になっているのですが、地方自治法の改正により2005年から「都道府県労働委員会」となっております。それ以前は「ちろうい」という呼び名で一括できたので「地方」と付けたくなるところですが、いまは「とろうい」とか「けんろうい」とか呼び分けなければならなくて面倒ではありますね。ついでに、p.44の海老原さんの指摘で第一次関係と第二次関係が入れ替わっているように思うのですが、イギリスとドイツの制度に関連させた説明ではそのような分類になるのでしょうか。
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