2019年02月10日 (日) | Edit |
一昨年から拙ブログでは日本型雇用慣行におけるパワハラOJTを継続的に取り上げてきたところですが、役所のパワハラ事案で山本一郎氏が典型的なダブスタを披瀝されていました。

 でもですね、全文読むと、市長の真意は「道の狭い角で交通事故があり、女性が亡くなったから、道路の拡幅をしなければならないのに、明石市役所の担当者が7年近く放置してきたので、市長がブチ切れている」のが分かります。ブチ切れて暴言を吐くのはいかんと思いつつ、その目線は「市民の安全のために、役人が働かないことに対する怒り」である以上、これってむしろ素晴らしい市長さんなんじゃないの? 市民の安全のために役所がしっかり動くよう激励してブチ切れてとにかく仕事を進めようという気魄さえ感じるわけですよ。

(略)

 その割には土下座する相手の物件を「きょう火付けてこい。燃やしてしまえ」とか言っているあたり市長の前のめり感もあるわけですが、これ、あくまで市民目線、市民の安全のためにこの拡幅工事が必要だ、用地買収を早く進めなければならないという責任感によって出た言葉だとするならば、むしろ人間臭く、明石市民のために働く市長と言えるんじゃないでしょうか

「明石市長・泉房穂氏の暴言をよく読むと、市民の命を守るための正論である件(1/29(火) 18:12)」
※ 以下、強調は引用者による。


用地交渉における事業の進捗度合いの問題というのは、傍目に見ると時間がかかるように見えるのですが、

そんな利他的な方ばっかりなら用地買収交渉担当が生活保護と徴税と並んで「三大異動したくない部署」になんかなりませんけど。もちろん、地元の方の多くは協力的ですが、新幹線というのは沿線住民にとっては振動やら騒音やら電磁波やらで典型的な迷惑施設なんですよね。さらにいえば、土地は分筆して相続されるものでして、地元に残った本家の人が持っているのは実は元あった土地の数十分の一で、ほかは進学とか就職とか結婚で地元を離れた子息たちの所有になっていたりするので、そういう方々にとってはできるだけ高く売りたい資産でもあります。その用地買収の補償交渉で難航するのは日常茶飯事だということは原田氏には想像できないのでしょう。しかも、日本が第二次世界大戦中に占領したタイとビルマの例を持ち出してもっと早くできるはずって、どこまで用地買収の現場を踏みに(ry

利権陰謀論という結論を書きたくて(2012年07月10日 (火))


という形で、用地交渉を行う対象の筆が細分化されて交渉に時間を要するのはもちろん、用地買収する予算そのものに制約があって複数年で進めざるを得ない場合が通常であるため、進捗を確実に進めるために容易なところから手を付けていって、買収に応じた方々の相場を実績として難しいところの交渉に当たるというような手法がとられることもあります。そうした事情がこの件にもあったかどうかは不明ですが、この前明石市長の発言がそのような事情を汲んだものかは大いに疑問ですね。

ところが、冒頭で引用した山本一郎氏のように、そうした事情を考慮した形成もなく発言そのものを評価するような声が多いんですね。と思いきや、その山本一郎氏がそうした事情を考慮しない方を批判していらっしゃいます。

 頑張っても、できないんだよ。ゴロを落としてしまう、変なところに投げてしまう。みんな、どうやったらちゃんとしたところにボールを投げられるの。コーチからはさんざん「頑張って真面目にやれば投げられるようになる」と言われたが、結局できなかった。どうすればできるようになるのかを教えてくれなかったから、できないまま、少年野球をやめて中学受験に走った私を、少年野球を続けているクラスメートが「あいつはできないから『逃げた』」と教室で煽り、激烈にムカついたので隙を見計らって廊下で後ろから全力ライダーキックして、学校の中で問題になって親と一緒に校長とその子の保護者に謝りに行った、悲しくも香ばしい、秘められた個人の思い出。

感情でも理性でも受け入れられない

 頑張ったつもりなのにできなかったというのは、ない才能と向き合う度量がなければ無理だと思うんですよ。子供のころは、私もできる他の子たちと自分を見比べて、ああ、スポーツの才能がないんだと自信を持てないでいました。いまでこそ、頑張ってもできないことがある、やり方を掴めなければ努力してもできないことは知っています。いろんな経験を積んで、客観的に自分を観られるようになり、やがて大人になって初めて「逆立ちしてもできないことはあるんだ」とか続けていても無理を悟る瞬間というのはあります。

少年野球の練習風景で思い出した「頑張れば、できる」という亡霊のような何か なんだろう、この胸の痛みは - 山本 一郎 2/2

私のような実務屋からすると、世の中に「頑張れば、できる」と言い切れるものがどれだけあるのだろうかと思うところですが、山本一郎氏もご自身の野球経験から「頑張っても、できないんだよ」という思いを強くされたようです。そして「頑張ったつもりなのにできなかったというのは、ない才能と向き合う度量がなければ無理だ」とおっしゃられるように、制度や予算や人員の制約の中で「頑張ったつもりなのにできなかった」ということは日常茶飯事ではないかと思うところ、ことそれが役所の仕事になると、同一人物から「市民の安全のために役所がしっかり動くよう激励してブチ切れてとにかく仕事を進めようという気魄さえ感じる」という言葉が発せられるわけですね。

野球つながりというわけではありませんが、気概があればどんなに相手の人格を否定しようが暴力行為を働こうが問題ないという世界がこの国にはあるようでして、

ところがことはそう簡単ではないのは、上記の記事で球界OBなる方が「それは期待されている選手だけだったし、理不尽ではなかった」とおっしゃるように、パワハラ上司の周囲には「期待しているからパワハラも鉄拳制裁も理不尽ではない」という取り巻きがいるために、パワハラやら鉄拳制裁に抗議の声をあげた方が「大人数」になるとは限らず、むしろパワハラに抗議する方が「理不尽だ」となってしまうことが往々にしてあるからですね。人格否定して罵倒するような暴言を吐いたり、身体に傷害を負わせるような暴力行為を行うことは、いかなる理由においてもそれ自体が理不尽であるはずであって、あくまで契約の範囲内で業務に従事する職場関係においてそうした行為を行う人物は、無条件に「パワハラクソ野郎」と呼ぶに相応しいクソ野郎なわけですが、それを反転させてしまう力が組織にはあるわけです。

やられたほうも愛情の裏返しだと好意的に捉えることが不文律(2018年01月08日 (月))


特にパワハラOJTが職場の当たり前の風景になっている現状では、山本一郎氏のような発言のほうが支持を得やすいということなんでしょうね。
スポンサーサイト


コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック