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2018年11月11日 (日) | Edit |
前回エントリで長々と日本型雇用の来し方を書いてみたところですが、ではその来し方を踏まえて行く末を考えてみたのが後半となります。とはいっても、私ごとき素人が制度設計を試みようなどと身の程知らずの野望を抱いているわけではなく、最近話題となっている問題が日本型雇用とどう関係していて、どのような変化が見込まれるかという程度のことですので、ハードルは低く設定願います。

まずは前回のエントリで、

4 長期雇用と「職務遂行能力」

ここで注意が必要なのは、組織の規範とは別に独立しているスキルに習熟した労働者が、積極的に「職能資格」の枠の外に置かれたということです。それは長期に固定化する人件費を抑制したいという使用者側の思惑に応えると同時に、テンポラリーな労働者と常用労働者との代替を防止するというメンバーシップ型労働者(とそれを維持したい日本的左派の方々)側の思惑にも応えるものでした。

しかしこれによって、もともとメンバーシップ型雇用ではその仕事に必要なスキルや技能が軽視されていた傾向が、一気に加速することになります。つまり、職務を遂行するために必要なスキルは、強大な人事権による定期的な人事異動をこなすことにより、その組織における規範を内部化しながら身につけるものであって、専門職が長期に従事することによってスキルそのものを高めても、それは少なくとも「職務遂行能力」としては評価されないということです。


と書いた点について、最近こんなニュースが話題となっていました。

日本「高度なスキル持つ人材確保 最も難しい国」に(2018年11月6日 17時11分 NHK NEWS WEB)

世界33の国と地域を対象にした人材のミスマッチに関する調査で、日本は、IT分野などの高度なスキルを持つ人材を確保するのが最も難しい国だと指摘されました。

この調査は、イギリスの大手人材コンサルティング会社「ヘイズ」が、33の国と地域の政府統計などをもとに、企業が求めているスキルと実際に仕事を求めている人のミスマッチの度合いを数値化したものです。

それによりますと、求人が過剰な状態を「10」、人手が過剰な状態を「0」、均衡がとれた状態を「5」とした場合、日本は去年より0.1ポイント上昇して最大の「10」となりました。

これは、スペインやルクセンブルクと並んでIT分野などの高度なスキルを持つ人材の確保が最も難しい国であることを示しています。

その理由として、労働人口の減少のほか急速な技術の進化に日本の人材が持つスキルが追いついていないことを挙げ、背景には、横並びの給与など従来型の評価制度や日本の教育内容に問題があるとしています

一方、今回の調査で人材の均衡がとれていたのは香港やインドで、外国から人材の受け入れを進めていることなどが背景にあるとしています。

記者会見したヘイズの日本法人のマーク・ブラジ代表は「日本がやるべきことは必要な人材を育成すること、必要な人材を受け入れること、人材を適応させていくことだ。もし人材の獲得競争に勝ちたいのであれば国際的な課題やルールを理解しなければならない」と指摘しています。

※ 以下、強調は引用者による。


最後の日本法人代表のコメントでは、人材育成や人材の受け入れと適応が指摘されていますが、その後の強調した部分で「国際的な課題やルールを理解しなければならない」という通り、それは日本型雇用のような内部育成によるのではなく、外部(主に公的機関)による職業能力開発の充実と、それを資格として評価して受け入れ、適正に処遇するという使用者側の対応が必要ということです。そこで「資格」として評価されるのはもちろん、日本型雇用慣行で長期雇用によって獲得される「職務遂行能力」に基づく「職能資格」ではなく、例えばイギリスのNational Vocational Qualifications (NVQ)で公的に付与された「Qualification」としての「資格」です。

ただし、国際的なルールとしてはその通りですが、「誰でも階段を上る」日本型雇用が広く浸透している現状において、そのルートに乗っている労働者を一気に廃止することは難しいわけですから、実務上は2本立てのルールを取り入れざるをえないでしょう。つまり、従来通り「青空の見える労務管理」によって「階段を上る」の層を限定する仕組みと、長期的に専門性の高い仕事に従事することを前提として、賃金などの処遇はその業務の難易度等に応じて決定するものの「階段を上らない」層という二つの仕組みを用意しなければならないということになります。

となると、事実上「誰でも階段を上る」仕組みの放棄することになるわけですから、それを労使ともに受け入れられるかがポイントとなります。海老原さんは以前、この2つの仕組みを「接ぎ木」する仕組みを提唱されていました。

と、ここまで考えると、欧米型移入については、日本型の良さを殺さないための配慮が十分に必要となる。それを考えてみよう。
・強大な人事権をある程度は残す。
・若年期には日本型雇用を残す。
これらを両立するための方策として、「ある年代までは日本型、そうして習熟を積んだあとは欧米型」という接ぎ木型が落としどころだと見えてくるはずだ。(人事権についても、若年期は強い人事権と雇用保障、習熟者は自律と流動性、となる)。
つまり、今までの議論は「いきなり欧米型」「フルモデルチェンジ」だったものを、「途中から欧米型」とする。それは日・欧米のいいとこ取りとなるだろう。
pp.38-39

「「RIETI Special Report 日本型雇用の綻びをエグゼンプションで補う試案」(海老原嗣生(株式会社リクルートキャリア・株式会社ニッチモ))」(注:pdfファイルです)


ただし、新著では、『「育休世代」のジレンマ』の著者である中野円佳氏への問いかけの中でこれを修正する必要を指摘されています。


「育休世代」のジレンマ女性活用はなぜ失敗するのか?中野円佳/著
2014年9月17日発売
定価(本体880円+税)
ISBN 978-4-334-03816-8
光文社新書


●どうしても日本人は「誰もが上れる階段」が捨てられない

 私は一時期、35歳くらいまで日本型の「誰もが階段を上る」仕組みを残し、その時点で明らかにもう将来は見えるから、役員や社長に慣れる目がない人たちに、階段から下りてもらって、そこで昇進昇給を止める。その分、ワーク・ライフ・バランスも充実、というコース設計を推奨していました。
(略)
 こんな話を大手企業の人事や組合でよくしたものです。ただ、頷いてもらえることはありませんでした。
 結局、日本では企業も人も、「誰もが上れる階段」を望んでいて、その階段を壊すことは、労使ともに嫌なようです。
 でも、現実社会では、大卒比率がどんどん高まり、「誰もが上れる階段」に女性も多数入ってくる。共働き比率は高止まり、家事育児介護は誰がやるのか、という問題も否応なく迫ってきます。さあ一体、どうするのでしょう。

●階段を緩くして誰もが上る、という第三の道

 その答えが昨今、ようやく見えてきた気がします。
 世界に冠たる電機メーカーや輸送機器メーカーでまるで同じ言葉を聞くのです。
「日本企業は、年次管理が厳しすぎた。そこをもう少し緩くして、幅を持たせようと思っている」と。
 要は今までだと、「この年齢なら、このレベルの仕事、このクラスの職位」という一律感が強かった。中野さんの本に登場するマッチョ女性たちが焦るのも、そうした一律感に苛まれた結果でしょう。
 この同調圧力から少し解放して、途中で休んだり、ゆっくり働いたりしても、最終的には、きちんと階段を上れるようにしようと、大手企業がそんなことを言うのです。
pp.308-309

 さて、最後に中野さんにもう一度聞きます。
「短時間勤務でも、やりがいのある仕事が用意され、評価も平等で、キャリアにも遅れが出ない」ような、育児社員の希望を全てかなえたコースを、やはり会社は作るべきですか?
 それとも、「ライフイベントに即して、キャリアはストップするが、それでもコースアウトはせず、暴風雨の時期が過ぎたら、また上れる」コースを作るべきですか?
 ちなみに、私は断然後者ですね。エリート街道とは縁遠い人生でしたし、同調圧力とも距離を置いて生きてきましたから(笑)。


名著17冊の著者との往復書簡で読み解く 人事の成り立ち 新刊
「誰もが階段を上れる社会」の希望と葛藤
海老原 嗣生 著、荻野 進介 著
出版年月日 2018/10/26
ISBN 9784561227175
判型・ページ数 4-6・360ページ
定価 本体2,315円+税

これは海老原さんから中野さんへの問いかけでもありますが、世のすべての正規労働者への問いかけでもありますね。そしてそれは、正規労働者のみならず、非正規労働者に置き換えられた「階段を上らない」仕事に就いている労働者にも無関係ではありません。「階段を上る」のが正規労働者の要件でなくなれば、正規と非正規の区分はだいぶ曖昧になっていきます。もちろん、「階段を上る」割合が違ったり、その到達点が異なることはあるとしても、「青空の見える労務管理」で「階段を上」り続けるトップ層の正規労働者と、「階段を上る」ことなく専門性を高める労働者の間にグラデーションを持った働き方が可能になることも考えられます。

いや、「考えられます」という悠長なことは言ってられません。海老原さんが指摘されるように、「現実社会では、大卒比率がどんどん高まり、「誰もが上れる階段」に女性も多数入ってくる。共働き比率は高止まり、家事育児介護は誰がやるのか、という問題も否応なく迫ってきます。さあ一体、どうするのでしょう」という現状にあって、いつまで日本型雇用慣行を維持できるのかという問題に向き合わなければなりません。大きくは2本立ての人事労務管理とし、その両者の間にグラデーションを持った働き方を作っていけるのかがこれからの喫緊の課題となるものと考えます。
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コメント
この記事へのコメント
マシナリさん、ご苦労様です。

>外部(主に公的機関)による職業能力開発の充実と、それを資格として評価して受け入れ、適正に処遇するという使用者側の対応が必要ということです。

基本給+資格給(公的資格の再評価)を小零細企業が、今回の働き方改革で求められていることを理解しているとは思えないのです。断念する企業向けに「事業承継」を用意しているのはこご一気にふるい落とすことになるのでしょうね。県の商工労働観光部の方達は「グループ補助金」がそのふるい落しの手法の一つと考えていましたからね。
2018/11/13(火) 19:20:23 | URL | hahnela03 #V76W3knM[ 編集]
> hahnela03さん

お返事が遅くなりまして申し訳ございません。
コメントいただいた趣旨はその通りかと思いますが、

> 断念する企業向けに「事業承継」を用意しているのはこご一気にふるい落とすことになるのでしょうね。

という部分は私はあまり理解しておりませんのであくまで推測ですが、事業承継という代替手段を用意するという制度設計としておきながら、その代替手段すらクリアできなければ廃業もやむなし、あるいは、事業承継という名目で譲渡を促すということなのかもしれません。いずれにせよ、

> 前回エントリでも書きましたが、自助努力できる人はまさに自助努力すればいいのであって、「自助努力しないと支援しない」というのは結果的に自助努力を自己否定することになります。その裏には、「努力しない奴なんかに支援する必要はない」という所得再分配を忌み嫌うネオリベ的な思想があって、だからこそ、生活保護はバッシングされてもグループ補助金はもっとやれという話は受け入れられやすいわけです。自助努力できる人とできない人が目の前にいたら、たとえば、若い男性と杖をついている老婆が階段を上っていたら普通は老婆に手を貸すわけで、自助努力できない人こそが支援を必要としているはずです。
>
> 自助努力を支援するというネオリベ的矛盾
> 2013年01月14日 (月)
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-546.html

というのが現在の行政のスタンスですから、「支援が必要」ということのクリームスキミングの手段として「自助努力」を前提とするという矛盾は、しばらく解消されなさそうですね。
2018/11/23(金) 22:49:06 | URL | マシナリ #-[ 編集]
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