2018年11月10日 (土) | Edit |
前回エントリで海老原さんと荻野さんの著書で示されたジャーナリスティックな労働史観を参照するべきと申し上げたところではありますが、僭越ながら少し違った角度から批評させていただきます。今回はクソ長いエントリとなりましたので、結論だけを読みたい方は「8 ここまでのまとめ」をご覧下さい。

1 軍隊組織への「忌避感」


ジャーナリスティックな労働史観は戦前、戦後を通じて日本型雇用慣行が形成された事実的経緯としてはその通りだと思いますが、ではなぜそれが形成されたかというのは、さまざまな要因が考えられます。本書では、

 ではどうして多くの日本企業は、強い人事権を悪用せずに、「誰もが階段を上る」という方向へ昇華させられたのでしょうか。
 それはまず第一に、戦後動乱期に奇跡的な流れの中で、もう戦前のような身分社会に戻るのはこりごりだ、という労使の堅い契りが生まれたからだ、ということを第1章で書いています。
 続いて、この仕組みはなぜ社会に根付いたのか。まだ農林水産業・自営業(家族経営)主体の産業勃興期に、お手本となる伝統企業がそれを導入したこと。そしてそれがあたかも「日本標準」であるかのごとく、世界に喧伝されたことがあります。だから、追随する新参企業が右へ倣えで皆この仕組みを取り入れていくことになりました。
p.28

名著17冊の著者との往復書簡で読み解く 人事の成り立ち 新刊
「誰もが階段を上れる社会」の希望と葛藤
海老原 嗣生 著、荻野 進介 著
出版年月日 2018/10/26
ISBN 9784561227175
判型・ページ数 4-6・360ページ
定価 本体2,315円+税


などの要因が指摘されていますが、管見ではこれに加えて戦前の軍隊的組織への忌避感も強く影響しているのではないかと考えております。

私自身は戦後30年程度経ってから生まれた団塊ジュニアの世代ですので、自分の経験としてこの「忌避感」を有しているわけでないのですが、終戦当時に20代くらいで軍隊組織においても新しく制度を形成するにおいても当事者であった世代と、それを見て育った団塊の世代には、自身の経験として、軍隊組織(に限らず戦前の制度全般)に対する「忌避感」が強く根付いているように思います。日本型雇用を形成したのがこの世代である以上、その「忌避感」の影響を受けていると考えるのが自然ではないかと思うわけです。

ただし、その「忌避感」のややこしいところは、たとえば「上意下達で暴力がまかり通る軍隊組織はまっぴらごめんだ」と思う人もいれば、「入る時点で階級が分かれていて、昇進する位もあらかじめ決まっているような硬直した軍隊組織はまっぴらごめんだ」という方もいたと推察されるところで、軍隊組織のどこを否定するかという力点によって、新たに形成される制度も変わってきます。上記の例でいえば、前者の忌避感を持つ方より後者の忌避感を持つ方が多いと、「能力に応じて(能力が高まれば)制限なく昇進できる組織とするべきであり、能力を高めるためには上意下達で厳しく部下を指導し、そのために暴力的な指導もやむを得ない」という組織が形成されることになります。

軍隊組織のどこを否定するかということは、言い換えれば軍隊組織のどこを有用と認めるかということですので、特に軍隊組織の当事者であった世代にとって、自分が組織内で果たした役割を全て否定することは忍びなかったということもありそうです。お察しの通り、私はこれがメンバーシップ型雇用を支えるもうひとつの時代背景だろうと考えております。まあ特に当事者の多くが鬼籍に入った現時点においてはこれをアカデミズムの分野で実証しようにもなかなか骨の折れる作業でしょうから、あくまで素人の与太話程度ですが。

2 青空とガラスの天井


ということで、さらに素人の与太話を逞しくしてみますと、終戦直後の高度成長期の前段階において、職工に分かれていた処遇を同一化し、「青空が見える」内部昇進を制度化したのは、それが深刻な身分差別と認識されていたからともいえそうです。つまり、戦後の労働運動の中では、労使ともに戦前の専制的な体制を忌避した結果として「青空が見える」組織が目指されたのではないかと。

しかし実際は、「青空が見える」だけで、そこには「ガラスの天井」があったというのが実態でしょう。「ガラスの天井」というと、洋の東西を問わず女性労働者の職務が分離されていることを指すことが多いのですが、(役所という意味ではなくビューロクラシーとしての)官僚型組織が少数の上位層によって意思決定される以上、本書でも引用されている小池和男先生の言葉を借りれば、将棋の駒のように途中まではなだらかに狭まっていって、その先は極端に狭まるのが組織の常です。そこをくぐり抜けることができるのが男性に限られていれば、女性にとって「ガラスの天井」があることになりますし、さらに高学歴の正規労働者という条件が課されると、女性や低学歴の正規労働者と非正規労働者にとって「ガラスの天井」があるということになるわけです。

そして高度成長期が終わって日本型雇用慣行が普及したころにはすでに、「青空は見えるが、ガラスの天井が低く、その穴も狭くなっている」状況が始まっていて、バブル崩壊後の『新時代の「日本型経営」』における雇用ボートフォリオはその理論武装であったともいえます。そして「ガラスの天井」が低くなり、かつその穴が狭くなったときに、その狭き門をすり抜けることが許されたのは、スキルに習熟した労働者(専門職型)ではなく、組織の規範を内部化したメンバーとしての男性労働者(高度人材)だったのが実情ですね。

3 「職能資格」の純化


バブル崩壊後には、長期雇用を前提とする正規労働者の人件費抑制のため、その「ガラスの天井」をさらに低くし、かつさらにその穴を狭くせざるを得なくなります。そのとき、誰をその「ガラスの天井」をくぐり抜けさせるかという問題に対して、「職能資格」のみがその回答となりえたということになります。言い換えれば、戦後の職工同一のものとでの処遇の基準が電産型賃金体系から職能資格給制度へ移行した状況にあっては、労働者間の不平不満を抑えるためには、強大な人事権の下で長期勤続することで格付けされる「職能資格」を基準とせざるを得なかったわけですね。

ところが、そもそも職能資格給制度で「職能資格」が与えられるのは、長期勤続によりその規範を内部化できるメンバーに限られています。結局、そのメンバーのみが「ガラスの天井」をくぐり抜けて「青空の見える労務管理」の恩恵に与るというトートロジーな制度が形成され、「職能資格」がそれとして純化していくことになります。その結果、スキルや技能を磨く専門職や、長期勤続してもその規範を内部化しない(と位置づけられた)比較的単純な事務職がメンバーシップの蚊帳の外に追い出されることになりました。これが、『新時代の「日本型経営」』における雇用ボートフォリオのその後の経過であったといえるのではないかと思います。

4 長期雇用と「職務遂行能力」


ここで注意が必要なのは、組織の規範とは別に独立しているスキルに習熟した労働者が、積極的に「職能資格」の枠の外に置かれたということです。それは長期に固定化する人件費を抑制したいという使用者側の思惑に応えると同時に、テンポラリーな労働者と常用労働者との代替を防止するというメンバーシップ型労働者(とそれを維持したい日本的左派の方々)側の思惑にも応えるものでした。

しかしこれによって、もともとメンバーシップ型雇用ではその仕事に必要なスキルや技能が軽視されていた傾向が、一気に加速することになります。つまり、職務を遂行するために必要なスキルは、強大な人事権による定期的な人事異動をこなすことにより、その組織における規範を内部化しながら身につけるものであって、専門職が長期に従事することによってスキルそのものを高めても、それは少なくとも「職務遂行能力」としては評価されないということです。

言い換えると、メンバーとして長期雇用されて規範を内部化した「職能資格」が最優先されると、スキルそのものよりも「職能資格」の根拠となる「職務遂行能力」が優先されます。そして、長期雇用によって得られるとされる「職務遂行能力」が基準となると、長期雇用の入口段階での選抜(新卒一括採用)を通過した正規(男性)労働者とそれ以外との格差は雇用が長期化するほど広がっていきます。これが新卒一括採用に対する批判がやまない理由でもあります。しかし、だからといって新卒一括採用をやめて中途採用の門戸を広げたところで、「職務遂行能力」を基準とする限り、同じ年齢でも雇用歴の差で「職務遂行能力」に差があるとされ、原則として処遇が縮まることはありません。

5 「職能資格」と規範の内部化


さらに注意が必要なのは、「職能資格」は採用時から連綿と積み重なるものであって、メンバーシップにおける管理職としての適性はその「職能資格」によって裏打ちされるという運用になっていることです。「運用」という言葉を使ったのは、結局「青空の見える労務管理」とは上層部にいたる道を通すだけで、その道を通る資格は労働者が自ら獲得するという建前は堅持しているからです。つまり、制度として道は通すが、そこを通るための「職能資格」を獲得するためには、労働者自らがメンバーとしての規範を身につけなければならないということです。

もちろん「職能資格」が同一組織内でのみ獲得されるものであるため、少なくとも採用時のスタート時点ではすべての正規労働者に等しく与えられますが、それを「長期雇用による経験」によってどこまで積み重ねられるかは正規労働者個々の適性と成果に応じて決まるわけです。しかもその「長期雇用による経験」は強大な人事権として使用者の裁量に任されているわけですから、積み重なる「職能資格」がつまるところジョブローテーションによって獲得される以上、人事異動を含むジョブローテーションによってどれだけ組織の規範を内部化するかが重要になります。平たくいえば、「デキる社員は出世コースを異動する」ということですが、これはメンバーシップ型がトートロジーによって成り立っていることを見事に示した言葉でもあります。

6 組織のフラット化と「職能資格」の深化


特に組織のフラット化が進められた以降の正規労働者は、定期的な人事異動だけではなく、さらに短期で同じ職場内で担当を交代するジョブローテーションで「経験を積ませる」ことが重視され、フラット化した組織内での「職務遂行能力」を高めることが求められています。このため、正規労働者はスキルそのものを習得するよりも、どう行動すれば上司の覚えがめでたくなるか、どう振る舞えばメンバーとして評価されるかという「職務遂行能力」の習得に傾注するようになりました。結果として短期的には試行錯誤ばかり続いてスキルの成熟はないがしろにされ、長期的には業務そのものの質が低下し、さらにそれを埋める手段としてOJTとしてのパワハラが横行しているわけですね。

ということで、いま問題となっているのは、短期的な試行錯誤が続いて長期的には業務そのものの質が落ちているのに、なぜ正規労働者は「青空の見える労務管理」が可能なのかということです。裏返していえば、業務の質が落ちても「職務遂行能力」が高まっていると評価されるのは何故なのでしょうか。その一つの要因として、長期雇用で積み重なるとされている「職能資格」がそれとして純化している現状において、メンバーに求められるのは、仕事そのもの質を高めることではなく、組織の規範を内部化して、組織のためなら自分の生活を犠牲にして理不尽なことも厭わないという「職務遂行能力」を持つことであるということが挙げられます。なおそれは、hamachan先生の言葉をお借りすれば「滅私奉公が報われる労務管理」があって、それが「青空の見える労務管理」と一体だったからこそ可能であったわけですが、これを反故にしながら滅私奉公だけを求めるのがいわゆる「ブラック企業」ということになります。

7 組織の論理を優先する組織


このようにトートロジカルな「職能資格」が深化して、それによって評価される現状においては、定期的な人事異動やジョブローテーションで担当者が入れ替わる度に試行錯誤を繰り返し、「俺の考えた最強のやり方」を担当がそれぞれ編み出して、それがいかに組織に尽くしたかで評価されて「職能資格」が積み重なり、新たな異動先でそれを繰り返す…というサイクルを効率的に回すことが正規労働者に求められています。

というわけで、4月の役所には「担当者が変わるとイチから説明しなければならない」とか「前の担当者がせっかく作った仕組みを新しい担当者がひっくり返してしまった」とかいう苦情がわんさかと寄せられるわけですが、人事異動が「職能資格」を積み重ねるための重要なツールとなっている以上、その仕組みをやめるわけにいきません。それは上記の通り、現在のメンバーシップ型雇用においては、仕事そのものの質よりも組織内部の「職能資格」を優先しているからですね。そもそもの人事評価の基準が組織の論理を優先しているわけですから、組織の外部で多少の問題が発生しようとそれにいちいち関知するわけにもいかず、メンバーシップ型な組織が仕事において自らの組織の論理を優先するのは当然の結果ともいえます。

さて、長々と引っ張りましたが、「仕事そのものの質よりも組織内部の「職能資格」を優先している」といって思い起こす組織はありませんか? そうです、「1 軍隊組織への「忌避感」」に書いた通り、「能力に応じて(能力が高まれば)制限なく昇進できる組織とするべきであり、能力を高めるためには上意下達で厳しく部下を指導し、そのために暴力的な指導もやむを得ない」という組織が形成される」という組織そのものではないでしょうか。

それは確かに、「入る時点で階級が分かれていて、昇進する位もあらかじめ決まっているような硬直した軍隊組織はまっぴらごめんだ」という軍隊組織への忌避感から形成されたものといえるでしょう。しかし、「誰でも階段を上」って「青空が見える労務管理」そのものは軍隊組織への反省に立っているとしても、そのやり方は戦前に叩き込まれた軍隊組織の方式を踏襲しているのではないでしょうか。そして、上意下達の組織内部の規範を維持するあまり、組織外部で問題が生じていても関知せず、事態が悪化していることがわかっていても有効な手が打たれないというのが、軍隊組織が牛耳っていた戦前を思い起こさせるというのは言い過ぎでしょうか。

8 ここまでのまとめ


メンバーシップ型の要諦は「誰でも階段を上る」ことであり、個々の労働者にその資格を付与する仕組みは事実上年功的処遇で運用されていますが、その階段の先がどこまで続いているかで、様相はかなり異なってきます。「青空が見える」けれども、上層部に達するのは首尾よく「職能資格」を積み重ねたごく一部の正規労働者であって、大半の正規労働者はそのスキル如何に関わらず中間層内で昇進が止まるのが現状です。そして、青空へ到達する要件は「職能資格」という規範の内部化であるため、上層部は組織の規範を内部化した正規労働者によって占められいます。

そしてそれは、確かに「青空が見える」という点において軍隊組織とはまったく異なる仕組みですが、組織の論理が優先され、メンバーにそれを叩き込むためには身体的・言語的暴力もやむを得ないという軍隊組織の方式を踏襲した組織となっているのではないかと考えます。やや脱線しますが、そうした軍隊的組織の行動様式は入社前の学生時代の部活動で養われていることが望ましく、だからこそ暴力やしごきがまかり通る「体育会系」が就活において有利とされるわけですね。

いやもちろん、現場の労働者と管理職のスキルは違うのだから、管理職たる上層部が現場のスキルを有する必要はありません。しかし、かといって「職能資格」を有しているからといって必ずしも管理職としてのスキルを身につけているわけでもありませんね。むしろ、メンバーシップ型の管理職とは、組織の論理を部下に叩き込む立場ということもできるかもしれません。つまり、メンバーシップ型の管理職に期待されることは、所管する部署の全ての労働者個々のスキルを伸ばして仕事の質を上げることではなく、正規労働者に組織の論理を叩き込んで将来の管理職候補を育成することであって、そのためには、多少の業務の滞りがあってもやむを得ないと考え、むしろそれを乗り越えた正規労働者の「職能資格」を高く評価するということになります。正規労働者の側も、「職能資格」を取得するためには使用者の強大な人事権に服し、長時間勤務や休日勤務による拘束や多少の身体的・言語的暴力には耐えなければならないと考え、それに同調しない・できない女性正規労働者や非正規労働者をメンバーとして認識しないようになります。

『新時代の「日本型経営」』における雇用ボートフォリオからすでに四半世紀が過ぎようとしている現在、そのようなメンバーが管理職として取り仕切っている組織が多数派となっているのではないかと思います。当然、その労務管理においては「職能資格」がそもそも与えられない非正規労働者は眼中にありません。固定費となる正規労働者の人件費を抑制しながら「誰もが階段を上る」業務以外に従事する正規(常用)労働者を非正規(のテンポラリーな)労働者に転換することで、組織の論理はより一層徹底されることになります。

ということで、ここまでがジャーナリスティックな労働史観について、それが形成されたと私が考える要因です。もう十分に長いのですが、ここから現在起きている問題への対処法を考えてみましたので、別エントリとしたいと思います。
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