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2018年07月21日 (土) | Edit |
本来業務のデスマーチが一息ついたところで以前のエントリの関連ですが、

公文書というのは例えば課とか係という組織単位で作成して管理するものであるところ、人件費削減の声に押されたそうした組織に公文書管理の担当者を割り当てる余裕は当然ありません。さらにいえば経費削減のため天井が低く空調も後付けのような古式ゆかしい建物で仕事をしている者としては、意思決定資料であるところの公文書を定期的に破棄しなければ建物に入ることすらできなくなるような状況で、ではあるべき公文書管理とは一体何だろうなと思わないでもありません。

というよりむしろ、現場の感覚からいえば、公文書管理は余計な仕事とみなされていて、そのための人件費や施設建設の費用は「行政のムダ」として削減されてきたのではないかというのが正直な思いですね。

制度の不備は職員個人の心がけや自助努力で防ぎなさい(2018年04月07日 (土))

ということを書いていたところ、『市民を雇わない国家』で、日本では他の先進国に比べて格段に早い1960年代から、総定員法によって「小さい政府」に転換していたことを指摘されていた前田健太郎氏が、『現代思想』に論稿を寄せていらっしゃていたようです。

 一般に、先進諸国において「小さな政府」というスローガンが流行したのは、1980年代以降だとされている。公共部門が肥大化し、民間部門を圧迫している。政府の活動範囲を縮小し、経済の活力を取り戻すべきだ。こうしたメッセージに基づく行政改革に乗り出した指導者として、日本ではイギリスのマーガレット・サッチャー、アメリカのロナルド・レーガンなどの名前が挙がることが多い。
 それでは、「小さな政府」の流行にかもかかわらず、諸外国がそれなりの人員を公文書管理に割くことができているのはなぜなのか。その原因の一つは、公務員の数自体が日本よりも多いことになる。歴史的に見れば、どの国でも公務員数は資本主義の発展とともに増加する傾向にあった。1980年代に行政改革の時代が始まると、その傾向は頭打ちになったが、その後も大幅な人員削減は行われず、それ以降の公共部門の規模は概ね維持された。アメリカのように公文書の管理に携わる人員が多い国は、「小さな政府」の時代が始まる前の段階で既に多くの人員を公文書管理のために確保していたと考えられるのである。
 この視点から見た場合、日本は行政改革によって公務員数の増加に歯止めがかかるタイミングがきわめて早い国であった点に特徴がある。元々、日本は欧米諸国に遅れて資本主義の発展を開始した。それにもかかわらず、高度成長期の1969年には総定員法によって国家公務員数が固定され、その後も財政的な理由で定員削減が繰り返されてきた。その結果、日本における国家公務員を含めた公務員数は先進国で最低水準にある。
前田健太郎「「小さな政府」と公文書管理」p.63

 このような文書主義の弊害の多くの部分は、実は民主主義と表裏一体の関係にある。さまざまな政策課題に直面する行政職員は、可能であれば規則に縛られずに柔軟に対応したいと考える。だが、行政職員による最良の行使は、場合によっては権力の濫用として市民からの批判を受け、それによって新たな規則が作られる。だからこそ、行政職員たちは過剰なまでに文書を作り、それを頼りに自らの行動を正当化せざるを得ない。アメリカの行政学者ハーバード・カウフマンがかつて述べたように、民主国家における官僚制の繁文縟礼の根本的な原因は、我々自身なのである。従って、公文書管理を早くから進めてきたアメリカにおいて、官僚制の繁文縟礼に対する不満が著しく強まったことは、ある意味において民主主義の抱える矛盾を示していると言えよう。
前田健太郎「「小さな政府」と公文書管理」p.65

現代思想2018年6月号 特集=公文書とリアル


※ 以下、強調は引用者による。

資本主義が発展する過程では労働者の働きは集約化されるわけでして、労働者が家庭で過ごす時間が減って育児や介護などの家庭機能を維持することが難しくなると、家族機能の社会化が必要となります。というわけで「歴史的に見れば、どの国でも公務員数は資本主義の発展とともに増加する傾向にあった」のはその通りですね。

そして、「行政職員たちは過剰なまでに文書を作り、それを頼りに自らの行動を正当化せざるを得ない」というのは、拙ブログでも

そんな会計検査院とオンブズマンに対する現場の対応としては、規定された手続きに従わなければ違法・不適正とされるわけですから、厳正な手続きを踏んでこれ以上経費を削れませんでしたという根拠となる書類を何枚も用意しなければなりません。さらに、公会計には発生主義という考え方がなく買掛・売掛という処理ができないので、つじつまの合う日付に書類を作り直す作業も常時発生することになります。そうして削られた経費とその処理に要した手間(労働時間、書類作成の経費)の比較こそが、たとえば事業仕分けで判断される必要があるだろうと思うわけですが、実際の事業仕分けは「とにかく経費を削れば、そのために要する労力やら手続き上の資源の浪費は問わない」というスタンスで進められているのは周知のとおり。極端に言えば、1円の経費を削減するためには、時給数千円になる職員が日夜書類作りに追われても構わないということになるんですね(もちろん、定められた手続きをないがしろにしていいという趣旨ではありません。その程度は、あくまで要するコストと得られるベネフィットの比較で決められるべきだと考えます。為念)。

会計検査院とオンブズマンが作る世界(2010年02月22日 (月))

と書いた通りでして、一方では「公務員が多すぎるのは税金のムダづかいだ」という批判と「お役所仕事で融通が利かないから対応が遅い」という批判に挟まれて、公文書管理なんかやってる暇はないというのが役所の実態となっているところです。

というわけで、前田健太郎氏のこの論稿はその通りだなと思うものの、『市民を雇わない国家』については政治学的な分析に偏りすぎていて、公務員の人事労務管理という観点からの分析が希薄にすぎるのではという印象です。

 以上の検討に従えば,日本における公務員の人件費の特徴は,その財政的な統制の難しさにあった.公務員は,身分が保障されているだけではなく,給与も財政当局との交渉とは独立に決まる.それは,自民党政権の「利益配分体系」の外から働く支出拡大の圧力であり,景気と連動するものではあっても,必ずしも長期的に政府の財政規模を拡大させ続けるわけではない.しかし,公務員の給与が民間部門に合わせて設定されるということは,政府が人件費を有効にコントロールできないことを意味していた.こうした性質ゆえに,公務員の人件費は1967年9月に始まる財政硬直化打開運動の標的になったのである.
p.98

市民を雇わない国家
日本が公務員の少ない国へと至った道
前田 健太郎 著
ISBN978-4-13-030160-2発売日:2014年09月26日判型:A5ページ数:328頁

身分保障は雇用保障ではないと何度言えば…、というのはとりあえず措いといて、政治学的な描写としては指摘される通りでしょうけれども、この時期は高度経済成長に対応するため日本型雇用慣行が形成された時期でもありまして、民間では人材確保と給与原資の管理が問題となっていた時期でもあります。そして技術革新に応じた配置転換を円滑に進めるために、年功制を基本とした職能資格給が民間で採用され、民間準拠する人事院勧告を通じて公務員の賃金体系にも影響が現れたというのが実態と言えるでしょう。

特に日本の公務員制度の特徴として、給与制度についてはアメリカの人事委員会制度を参考にしてすべての政府職員を「公務員」としてアメリカ型の職階制を規定する一方で、その運用の理解においてはすべての公務員の雇用を大陸法(ドイツ法)と同じく任用とされるというねじれが生じています。

 公務部門で働く者はすべて公務員であるというのは、戦後アメリカの占領下で導入された考え方である。戦前は、公法上の勤務関係にある官吏と、私法上の雇傭契約関係にある雇員(事務)・傭人(肉体労務)に、身分そのものが分かれていた。これは、現在でもドイツが採用しているやり方である。そもそも、このように国の法制度を公法と私法に二大別し、就労関係も公法上のものと私法上のものにきれいに分けてしまうという発想自体が、明治時代にドイツの行政法に倣って導入されたものである。近年の行政法の教科書を見ればわかるように、このような公法私法二元論自体が、過去数十年にわたって批判の対象になってきた。しかし、こと就労関係については、古典的な二元論的発想がなお牢固として根強い。
 ところが、アメリカ由来の「公務部門で働く者は全員公務員」という発想は、公法と私法を区別しないアングロサクソン型の法システムを前提として産み出され、移植されたものである。公務員であれ民間企業労働者であれ、雇用契約であること自体には何ら変わりはないことを前提に、つまり身分の違いはないことを前提に、公務部門であることから一定の制約を課するというのが、その公務員法制なのである。終戦直後に、日本が占領下で新たに形成した法制度は、間違いなくそのようなアメリカ型の法制であった。それは戦前のドイツ型公法私法二元論に立脚した身分制システムとは断絶したはずであった。
 ところが、戦後制定された実定法が明確に公務員も労働契約で働く者であることを鮮明にしたにもかかわらず、行政法の伝統的な教科書の中に、そしてそれを学生時代に学んだ多くの官僚たちの頭の中に生き続けた公法私法二元論は、アメリカ型公務員概念をドイツ型官吏概念に引きつけて理解させていった。その結果、公務部門で働く者はすべて(ドイツ的、あるいは戦前日本的)官吏であるという世界中どこにもあり得ないような奇妙な事態が生み出されてしまった

濱口桂一郎「非正規公務員問題の原点」『地方公務員月報』2013年12月号


さらに、人事院勧告によって民間の給与体系に準じることとしたために、民間企業で1960年代に普及した日本型雇用慣行としての職能資格給制度が、法に規定された職階制(2016年に廃止されましたが)に代わって適用されることになりました。つまり、GHQはあくまでアメリカ型のジョブ型雇用を国家公務員法・地方公務員法に規定したものの、官公労の労働争議の激化に業を煮やしたマッカーサーが公務員のストを禁止して人事院勧告を導入させたところ、結局ジョブ型雇用によって給与が決まるのではなく、メンバーシップ型雇用によって年功的に給与が決まる仕組みが定着してしまいます。このため、公務員の任用という行政処分における賃金決定は、民間より厳格な年功制に基づくことになり、公務員の年齢構成が高齢化すると自動的に給与原資が増加する仕組みとなっていたわけです。

そして、総定員法が制定された1969年は、民間企業が職能給に舵を切った時期でもありました。

④賃金制度の唱道
 賃金制度の面から見ると、1950年代から1960年代にかけての時期は、使用者側と政府側が同一労働同一賃金制度に基づく職務給を唱道し、これに対して労働側は原則自体は認めつつも、その実施には極めて消極的な姿勢を示していた時期です。
(略)
⑤職能給の確立
 ところが1960年代後半には、事態は全く逆の方向に進んでいきます。一言でいえば、仕事に着目する職務給からヒトに着目する職能給への思想転換です。これをリードしたのは,経営の現場サイドでした。その背景にあったのは、急速な技術革新に対応するための大規模な配置転換です。労働側は失業を回避するために配置転換を受け入れるとともに、それに伴って労働条件が維持されることを要求し、経営側はこれを受け入れていきました。
(略)
 この転換を明確に宣言したのが、1969年の報告書『能力主義—その理論と実践』です。ここでは、「われわれの先達の確立した年功制を高く評価する」と明言し、年功・学歴に基づく画一的人事管理という年功制の欠点は改めるが、企業集団に対する忠誠心、帰属心を培養するという長所は生かさなければならないとし、全従業員を職務遂行能力によって序列化した資格制度を設けて、これにより昇進管理や賃金管理も行っていくべきだと述べています。「能力」を体力、知識、経験、性格、意欲からなるものとして、極めて属人的に捉えている点において、明確にそれまでの職務中心主義を捨てたと見てよいでしょう。
p.111-113

日本の雇用と労働法
濱口桂一郎 著
定価:本体1,000円+税
発売日:2011年09月20日
ISBN:978-4-532-11248-6
並製/新書判/242ページ


それまでは、「国民所得倍増計画」において同一労働同一賃金制度によって生活に要する経費が賄えない分は社会化するという構想があったのですが、

 このほか住宅費用についても詳しく説明していますが、これらを裏返していえば、欧州諸国では公的な制度が支えている子供の養育費、教育費、住宅費などを、日本では賃金でまかなわなければならず、そのために生計費構造に対応した年功賃金制をやめられなくなっているということが窺われます。
 こうしたことは、実は1960年代には政労使ともにほぼ共通の認識でした。それゆえに、ジョブ型社会を目指した1960年代の政府の政策文書では、それにふさわしい社会保障政策が高らかに謳いあげられていたのです。
 例えば、1960年の国民所得倍増計画では、「年功序列型賃金制度の是正を促進し、これによって労働生産性を高めるためには、すべての世帯に一律に児童手当を支給する制度の確立を検討する要があろう」と書かれていますし、1963年の人的能力開発に関する経済審議会答申でも、「中高年齢者は家族をもっているのが通常であり、したがって扶養手当等の関係からその移動が妨げられるという事情もある。児童手当制度が設けられ賃金が児童の数に関係なく支払われるということになれば、この面から中高年齢者の移動が促進されるということにもなろう」とされていました。
p.230
日本の雇用と中高年
濱口 桂一郎 著
シリーズ:ちくま新書
定価:本体780円+税
Cコード:0236
整理番号:1071
刊行日: 2014/05/07
※発売日は地域・書店によって
前後する場合があります
判型:新書判
ページ数:240
ISBN:978-4-480-06773-9
JANコード:9784480067739

結局、生活を保障するのは(民間と公務員の別にかかわらず)使用者であって政府ではないという、世界に類のない小さな政府かつメンバーシップ社会が現出することとなったわけですね。という次第で、いまや「可処分所得を確保するために正社員を増やせ!経済成長のために増税なんてけしからん!」などと知った顔して声高に煽る方々が「経済左派」を自称される世の中になってしまったわけでして、市民を雇わない国家どころか、市民の生活を保障しない国家と人手不足でも職能資格がなければ賃上げをしない社会をつくり出したのは一体誰だったんだろうと考えてみるのもまた一興です。
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コメント
この記事へのコメント
>いまや「可処分所得を確保するために正社員を増やせ!経済成長のために増税なんてけしからん!」などと知った顔して声高に煽る方々が「経済左派」を自称される世の中になってしまった

 リフレ派とか言う方達のことですね。
 東日本大震災による復興税を未だに「廃止」しろと言ってます。最近はコストプッシュ・インフレとデマンドプル・インフレをドヤ顔で語ってましたね。
 年功型賃金で全てを企業が負担するコスト・プッシュインフレを当時は選択したわけですけど、それがが進むと一転して、公務員の賃金も含めた抑制に向かうことになりました。
 リフレ派のように単純に「リフレ」と言えれば良いわけではなく、共産党の様に「最低賃金時給1500円」を言えないのは、日本型雇用契約、年功型賃金の呪縛をどのように解呪するかということなのでしょう。

 御指摘のあった、拡張的財政政策(子供の養育費、教育費、住宅費など)での結果である、デマンドプル・インフレは職務給と相性が良いのだと思いますが、消費税を導入し8%に上げるだけで30年以上、マイナンバーは50年以上も時間を費やさざるを得ませんでした。これは日本の税制がどうしても日本型雇用契約と年功型賃金を前提に設計されているからなのでしょうから、雇用と税制を同時に解決しない限り拡張的財政政策(増税を伴う)の理解は進むのは困難なのだと感じます。
 東日本大震災による復興税(リフレ派は廃止を要求)を端緒として、多くの国民に拡張的財政政策(デマンドプル・インフレ)への理解をお願いしたいです。
 それが被災地がお返しできる流れなのかと思ってます。

2018/07/24(火) 18:28:15 | URL | hahnela03 #TVNdHuFs[ 編集]
> hahnela03さん

ご指摘の点は特に異論はないのですが、

>  リフレ派とか言う方達のことですね。

というのはやや狭すぎるのではないかと思います。というのは、拙ブログでは権丈先生の言葉をお借りして「経済学的に正しい」議論を揶揄しているところでして、死過重だのビルトインスタビライザーだのと「経済学的に正しい」議論を振りかざす一部の経済学徒であったり、一般書でその知見を会得した気になっている市井の方々が、そうした議論に加担している現状があるわけです。

「可処分所得と再分配所得(2016年02月21日 (日))」
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-674.html

いやまあ、私自身もその「経済学的に正しい」議論でもって国民ひとり一人の再分配後の所得が確保され、国民全体の限界消費性向が高まり、経済成長に結びつくなら諸手を挙げて賛同するところですが、その経路に疑問があるので、そうした議論を展開されている方々にお伺いしても、華麗にスルーされるというのがこの国の現状のようですね。

「制度をどのように変えるべきなのか(追記あり)(2016年12月31日 (土))」
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-714.html
2018/07/29(日) 21:14:44 | URL | マシナリ #-[ 編集]
マシナリさんへ、ご返事ありがとうございます。

>ビルトインスタビライザー

 経済学徒を自負する方達は勘違いも甚だしく連呼されるので、ブログで付加価値税(消費税)について書かざるを得なかったわけですけど、法人税にはあるが消費税にはないと語るわけです。さらに「私達の税金ガー」という方達が別の口で「ベーシック・インカム」「給付金」を自慢げに語りますが、財源は霞のような話しかしません。

 企業負担であった「諸手当」を国の「給付金」に置換することになりますが、その代償として課税ベース拡大(控除全廃)、給付付き税額控除(増税)などが必要になります。再分配可処分所得を増やすというのは増税派避けられず、拡張的財政政策により財政インフレを伴うことをきちんと説明すべきです。いつまでも「フリーランチはある」と叫ぶ経済学徒には消えて貰わねばなりません。
2018/07/31(火) 13:44:34 | URL | hahnela03 #TVNdHuFs[ 編集]
> hahnela03さん

>  企業負担であった「諸手当」を国の「給付金」に置換することになりますが、その代償として課税ベース拡大(控除全廃)、給付付き税額控除(増税)などが必要になります。

ご指摘の点は、財政政策としての政府支出の拡大を指していらっしゃるものと思いますが、再分配として効果は現金給付よりも現物給付のほうが、その給付の必要性についてのなりすまし(ミミック)が防げる点で有効と考えます。

「財政政策という実務(2012年07月16日 (月))」
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-523.html

実際問題、源泉徴収の仕組みも含めて、使用者が労働者の生活給を保障する仕組みが隅々まで行き渡ったこの国において、現金給付を単純に使用者から国に置き換えることは相当の困難を伴うだろうと思います。スピーナムランドの経験からいっても、公的に支給される現金は容易に賃金に対する引き下げ圧力に転化するわけですから、現状ですら人手不足で賃上げが進まない状況で、手当の減額につながりかねない現金給付は慎重に行うべきかと考えます。

という観点からいうと、再分配強化のために必要となるのは、現金に対する欲求が「月を欲する」ものである以上、現金以外で生活を保障する手段を国民が選好するような変化であるといえましょう。そのような選好の変化は、教科書的なミクロ経済学やマクロ経済学ではなく政治経済学の領域であって、それは経済学徒の方々には思いもよらぬ世界なのでしょうけれども。

>> ここで,サムエルソンの経済学で学んだ多くの人たちは,なぜ,ポール・デヴィッドソンは,サムエルソンを「ケインズが賃金と物価の硬直性が失業の原因であるような,伝統的な古典派の一般均衡モデルを提示していると思い込んでいたのである」と批判しているのかと思うかもしれない。
>> その理由は,ケインズは,貨幣を保蔵 (hoarding)したいという欲求がある社会,すなわち流動性選好理論が成り立つ貨幣経済 (monetary economy)を 前提に置けば,伸縮的賃金であっても硬直的賃金であっても失業は起こりうると考えていたからである。このことは,ケインズの次の言葉が端的に示している。
>> 喩えて言えば,失業が深刻になるのは人々が月を欲するからである。欲求の対象 (貨幣)が生産しえぬものであり,その需要が容易には尽きせぬものであるとき,人々が雇用の口をみつけるのは不可能である。
>> Keynes(1936)/間 宮陽介訳 (2008)『 一般理論』上巻331頁
>>
>> これは,将来,すなわち歴史的な時間の流れの中での「不確実性」に備えて価値保蔵手段としての貨幣に対する選好,他にも諸々の理由により貨幣を保蔵したい という欲求すなわち「金銭欲」が尽きず「物欲」に優る場合には失業が起こると言っているのである。ケインズの論の中では,失業発生の原因として硬直的賃金という条件は重要ではない。
>> 権丈善一「社会保障—— サムエルソンと係わる経済学の系譜序説の経済学系統図と彼のケインズ理解をめぐって——」(三田商学研究 第55巻 第5号 2012年12月)
http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/20130330115410.pdf

「制度をどのように変えるべきなのか(追記あり)(2016年12月31日 (土))」
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-714.html
2018/08/05(日) 22:12:30 | URL | マシナリ #-[ 編集]
素朴な疑問
結局のところ、お金自体が目的であれば問題は解決しないということでしょうか?
(所得が相対的に低い)国民が政府を介してお金(再分配)を得ることや、景気上昇による可処分所得の増大は、それ自体を政府の機能として求めるのは本来の主旨と異なるということでしょうか?
個人的には、所得税なり住民税なりを企業が代行してくれる現行の企業社会制度では、納税者意識も自立したものとはならず、また政府の役割に対する要求や欲求も高まらず、そうであるがゆえに負担軽減と生活保護世帯等に対するバッシング等に目が行くのかなと思います。
思うのですが、刑法にしても、行政の役割にしても、もっと高校くらいで教育しないのかなと。例えば殺人や暴行をすると社会から排除され、最悪死刑で殺されますとか、国家や政府を構成することで公教育や医療費の一人当たり負担が軽減され、全ての国民に等しく教育を受ける権利が現実のものになるとか、しかしそれを支えるためには莫大なお金が必要で、かつ専従者たる公務員を支えるのは大変な困難が。。(個人加盟の地域ユニオンにいると、人口7万人の地元の市役所の機能がどうすれば維持できるのかが不思議で仕方ありません)
公民とかでしてるのかな?
市民ガイダンスみたいな、そういう教育が必要なのかなと思います。
その上で議論しないと、議論にならないような。。
2018/10/03(水) 07:51:23 | URL | 高橋良平 #mQop/nM.[ 編集]
> 高橋良平さん

しばらくデスマーチのため、コメントいただきながら承認が遅れてしまい申し訳ございません。

> 結局のところ、お金自体が目的であれば問題は解決しないということでしょうか?
> (所得が相対的に低い)国民が政府を介してお金(再分配)を得ることや、景気上昇による可処分所得の増大は、それ自体を政府の機能として求めるのは本来の主旨と異なるということでしょうか?

これは問いの立て方の問題でもあるように思います。管見ではありますが、政府による「可処分所得の増大」は手段であって目的ではないはずでして、さらにその手段である「景気上昇」も、それ自体が達成されたかどうかによって政府の機能を測ることはあまり意味はないのではないかと考えます。政府の目的は、必要な財・サービスを市場と政府から適切に得られる社会システムを適切に構築して運用することにあって、そこには「必要な財・サービス」と、それを提供する社会システムに対する価値判断が必須となります。

これを厚生経済学的にいえば社会的厚生関数の増大ということになりますが、アローの不可能性定理によって客観的・科学的な政策解はないことが示されてしまっていますので、これをいわゆる方法論的個人主義に基づく新古典派的な数理モデルでは解は求められないというのが現状です。この辺は先日発行された権丈善一先生の『ちょっと気になる政策思想』で詳細に論じられていますので、後ほどエントリをアップする予定です。

結局、お金を配って可処分所得を増大させたとしても、
> マスグレイブが「それらはまた、個々の受益者が見逃す外部性を生み出す。私的需要に応じて用意される供給は、最善とはならず、公的補完が必要となる。これは、私的購入に補助を与えるかあるいは公的供給によって提供されるように思われる」と指摘するように、再分配された収入で購入すべき財やサービスが、市場で適切に価格調整され、適切な水準や数量で提供されるとは限らないわけですから、市場で提供される財やサービスがそもそも粗悪であったり高額で希少だったりすれば、結局はそれらの方々の収入では適切な財やサービスを購入できず、再分配の目的が達成されない可能性があります
> 「「いままでやられたことのない政策」の分析」2012年07月30日 (月)
> http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-524.html

どのような財・サービスが必要であって、それを提供する社会システムを適切に構築して運用するための担い手の確保・育成をどのように行うかという価値判断のために、高橋さんが指摘されるような公民(徳に現代社会)での知識が必要となると考えます。その点でもスウェーデンの教育は社会民主主義国として充実していると思います。

>> 何故税金を廃止しないか
>> 給料から税金が差し引かれているのを見るとき、多くの人々が「税金さえなければ……と考えます。しかし、税金をなくしたら、社会の大部分が機能しなくなるでしょう。税金で集められたお金は、国やコミューンが行っている事業に支払われます。税金の約半分が、さまざまな社会サービスに支払われます。学校、保育園、道路、裁判所、防衛、医療などです。残りの半分は児童手当て、修学補助金、住宅補助金、国民年金の形で直接国民に戻っていきます。これらの補助金のことを一括して「所得移転」と言います。高い所得のある者から低い所得の者へ、税金という形をとってお金が再分配されるのです。
>
> しかし、OECDでトップクラスの低負担で最も高齢化が進んでいながら中福祉の日本においては、安心ネットの「小ささ」と編み目の「粗さ」を問題にしなければなりません。
>
> いうまでもなく、税金の使途はそうした安全ネットのサイズと密度をどうするかというわれわれの取り決めのことに他なりません。いかに税金を取らないかの議論に明け暮れる経済学クラスタの方々には思いもよらない世界かもしれませんが、安全ネットのサイズと密度をどうするかというわれわれの取り決めには、その財源をいかに確保するかについての取り決めが含まなければ実効性はありません。いくら国債の日銀引受やら何やらで財政を拡大したところで、その使途が豊洲移転延期に伴う維持費に回されてもいいのかというのが、われわれの安全ネットを考える際の出発点となるのではないでしょうか。
> 「税金の使途を取り決める基盤」2017年09月24日 (日)
> http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-733.html
2018/10/07(日) 17:59:04 | URL | マシナリ #-[ 編集]
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