2018年04月07日 (土) | Edit |
相変わらず更新が滞りがちのまま新年度を迎えたところですが、例年通り役所というのは年度末と年度初めに仕事が集中するもので、3月中旬から5月のGW明けまでは連日の超勤と休日出勤に追われる日々が続くことになります。まあ役所といっても、いわゆる事業をもっている部署にその傾向が顕著でして、そういった仕事が比較的少ない部署や霞ヶ関のようなところはいつも通り年中忙しいわけですが。

という日々を送っている中で国会では公文書の管理が問題になっているようでして、ことの是非でいえばもちろん由々しき事態だろうと思います。とはいえ、個々の事案についての評価は別として、公文書というのは例えば課とか係という組織単位で作成して管理するものであるところ、人件費削減の声に押されたそうした組織に公文書管理の担当者を割り当てる余裕は当然ありません。さらにいえば経費削減のため天井が低く空調も後付けのような古式ゆかしい建物で仕事をしている者としては、意思決定資料であるところの公文書を定期的に破棄しなければ建物に入ることすらできなくなるような状況で、ではあるべき公文書管理とは一体何だろうなと思わないでもありません。

というよりむしろ、現場の感覚からいえば、公文書管理は余計な仕事とみなされていて、そのための人件費や施設建設の費用は「行政のムダ」として削減されてきたのではないかというのが正直な思いですね。その点は牧原先生がこちらの記事で指摘される通りだろうと思います。

だが、公文書を研究してきた行政研究者としては、こうした状況に強い違和感がある。忘れることができないのは、政府の研究会の一員としてフランスの公文書館へのヒアリングに行ったときのことである。「科学的な文書管理が重要だという主張だけでは、各省を説得することはできない。各省が説得されるとすれば、そうした文書管理こそ各省にとって利益になるという言い方だ」というプラグマティックな発言であった。

つまり、公文書における記録保存の正当性だけでなく、その利益を各省の側に了解されてこそ、公文書管理制度が成り立つというのである。しばしば、欧米では公文書は文化遺産とされているといった主張が日本でなされているが、それはあくまでも行政の現場の執務と折り合いがつくからこそ成立するものなのである。

「牧原 出:東京大学教授 「廃棄した」は通用しない 森友公文書改ざん問題 全面保存を前提とせよ(03/31号, 2018)」(週刊東洋経済Plus)

有料記事のため冒頭しか見られないんですが、公文書管理が適切に管理されてシステム化されていれば、当然その公文書を日常的に使用する行政の現場でこそ、必要な情報が必要なときに取り出すことができるというメリットがあるわけですから、公文書管理に反発する役人は多くはないでしょう。まあ誰がその担当になるかでは評価が分かれるかもしれませんが。


牧原先生が指摘されるフランスの担当者の発言を日本の役人が言おうものなら、「身内のお手盛りでラクをしようとしやがって」とか「公文書管理なんて普通の業務なんだからヒトもカネもかけずにやれ」という声がマスコミを中心に巻き起こるんでしょうねえ。

このような人員体制やシステムを度外視した職員任せの業務改善については、12年ほど前に岐阜県の不正資金問題に関連して書いたことともつながっていますね。

しかし、2は制度上の運用の問題なので少なくとも制度上の改正は可能だろうが、1を根絶することは制度上も実務上もそう簡単ではない。1の内訳については12ページ以降の「費消内容」にまとめてあるが、「(2)職員の費消」は問題外として、「(1)業務に関連した費消(通常の予算では支出しにくいもの)」は、その標題のとおり通常の手続きでは支出しにくいか、緊急を要するのに支出に時間がかかりすぎるパターンがいくつか列挙されている。たとえば、(1)の10、11、12、18といった施設の細かい修繕費や、紙が足りなくなったり会議で使う封筒が足りなくなったりしたときの補充、さらには研究機関で必要になる研究資材や参考文献のような、事前に予測できない経費を予算化することに根元的な困難さがあるのである。組織別にみたときこの傾向がはっきりするが、学校や農業試験研究所のような小規模な組織において、所管の施設を持ちつつ研究したり会議を開催するとなるとどうしても不確定要素が大きくなるにもかかわらず、予算規模は組織に比例して小さくなるので、十分なバッファを確保することができない。その予算上のバッファの代替機能を裏金に負わせることになるのである。

ところが、この報告書での「第9 再発防止に向けての提言」ではそういった制度面に踏み込んだ記述が一切ない。かろうじて「4 内部チェック機能の強化・充実」という項があるが、あくまで平成13年9月の「会計事務改革に関する基本的な方針」を前提とした審査・確認体制の強化、検査体制の強化といった会計事務のチェック機能と監査業務の充実という程度にとどまる。つまりここでいっているのは、制度の不備は職員個人の心がけや自助努力で防ぎなさいという責任転嫁である。すなわち、再び裏金問題が発生したときに組織としての責任が回避できるのである。困ったもんだな。

裏金問題とはいうものの(2006年09月09日 (土))


まあ拙ブログでは同じようなことばかり繰り返しているところですので、ネタには事欠かないところでして、こんなのもありますね。

前回エントリで取り上げたようなトランプ氏に対する支持は、「素人崇拝」が高じて、素人の意見を素人として発言する候補者に支持が集まったという面もあると思いますが、アメリカにはそれでも政策決定とその執行が円滑に進むような制度を作り上げてきたという自負があるのかもしれません。

翻って日本の政策決定過程を見ると、「猖獗を極めたカイカク病」を支えたのもまた「経済学的な正しさ」であって、そこにはチェックアンドバランスなどが機能する余地はないように思われます。「財政的な措置をしなくてすむように医療費を削減するための「経済学的に正しい」処方箋は、治療に高額の医療費を要するような疾病に罹患した患者には治療しないこと」というのは、こちらの本で指摘されている研究結果ですが、本書冒頭の青木昌彦先生の推薦文に続くこの序文がアツいんですよね。

 3つ目の提言は、日本の政策の形成・執行の各過程で評価を行うチェックアンドバランス機構を強化しなければ、改革は一度限りの打ち上げ花火で終わってしまうということです。日本での通説とは逆に、筆者の目には「米国の医療制度改革は非常に『慎重』であるのに対し、日本の改革は非常に『大胆』」と映ります。米国を含めた多くの先進諸国は、「政策は誤る可能性が高い」ことを前提に、制度改革には、「大失敗」を未然に予防するため幾重にもチェックアンドバランス機構を組み込んでいます。それに比べ、日本では欧米におけるようなチェックアンドバランス機構がきわめて貧弱です。(中略)このような政策上の失敗にブレーキを踏めるインフラを整備しない限り、3章で紹介する政策提言・評価のための経済学理論・実証分析手法も、日本では単なる絵に描いた餅に過ぎません。言い換えれば、政策の方向性・進捗状況すら判断できないままブレーキ・安全装置を外せば、とりあえず速度だけは上がることに嬉々とする類の大胆な改革が繰り返されるおそれがあります。

pp.006-008

「改革」のための医療経済学
ニューヨーク州ロチェスター大学助教授 兪炳匡 著
定価 : 2,052円(本体1,900円+税)
発行 : 2006年08月
在庫 : 在庫なし(申込不可)
サイズ : 四六判 264頁
ISBN-10 : 4-8404-1759-8
ISBN-13 : 978-4-8404-1759-4
商品コード : T560090



認知的不協和の行き着く先(2016年11月15日 (火))

役人の政策形成能力に対する疑念が深まっているのには、今回問題となっているような公文書管理の問題ももちろんあるとは思いますが、そもそもこの国の政策形成過程は、「政策の方向性・進捗状況すら判断できないままブレーキ・安全装置を外せば、とりあえず速度だけは上がることに嬉々とする類の大胆な改革が繰り返される」状況にあるわけでして、その背景には上記のような「制度の不備は職員個人の心がけや自助努力で防ぎなさいという責任転嫁」をよしとする組織の体質があると思われます。まあこれは、役人に限らず日本型雇用慣行で意思決定を行う日本の組織に特徴的なことなのかもしれませんが。
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