2018年01月08日 (月) | Edit |
前回エントリのようなことを考えていたところでタイミングを図ったかのような訃報に接し、故人の過去の言動を振り返って見るにつけ、この見方はそうそう間違っていないだろうと確信できます。


 指揮を執るなり、星野監督はロッテと「世紀の4対1トレード」で落合博満(60)=敬称略、以下同=を獲得するなど、斬新なチーム改革を断行して独自色を強く打ち出していったのだ。

「超大物・落合でもドン引きしたのが、星野監督による鉄拳制裁でした。もちろん落合自身がやられることはありませんでしたが、第1次政権では、蹴って殴ってと半端なかった」(元ドラ番記者)

 勝負に送り出した投手がマウンドで逃げるようなピッチングをしようものなら、容赦はなかった。

「今や現役最年長投手として別格視されている、山本昌(49)でさえ若手時代には洗礼を受けていました。ひどく打ち込まれて降板すると、ベンチ裏に下がった時を見計らって無言でスーッと星野監督が近づいてきて、パンパンッと左右連打の平手を浴びせかけるというんです。今中慎二(43)なども成長過程ではよくやられていたといいます」(球界関係者)

 とはいえ、投手に手を出す頻度はまだ低かったという。むしろ打たれて“鉄拳指導”の矛先が向けられたのは、リードをしていた当時の正捕手・中村武志(47)が断トツだった。

「独自の理論で、育てるという意味合いがあったのは確かでしょう。それにしても、中村は日々標的となっていた。顔面に付着した血が固まった状態で試合前の練習に出てきたことがありました。そればかりか、顔が変形するほど殴られ、翌日には顔が膨れ上がってしまって、普通にはかぶることもままならなくなったマスクの中に、無理して顔を押し込んだこともあったほどです」(球界関係者)

 こうした体で覚えさせる“闘将式育成法”は当然ながら波紋を呼んだ。時にはチームの編成にまで影響を及ぼすことも‥‥。

「90年、試合中にもかかわらず、星野監督が主砲の大豊泰昭(50)をベンチ裏でボコボコにブン殴ったんです。大豊は無抵抗のまま鼻血をダラダラと流していた。それを大物助っ人として好成績を残していたバンスロー(57)が目撃してしまったんです。彼は2年契約の1年目だったのですが、『こんなチーム、ダメだ』と退団を決意しました」(元ドラ番記者)
星野仙一 スポーツ紙が封印した「鉄拳流血事件」を一挙プレイバック!(1)鉄拳制裁にあの落合もドン引き(アサ芸プラス 2014年10月7日 09:57)

 昨年、野球界の体罰問題がクローズアップされた際、楽天番記者との日常的な「お茶会」で星野監督が口を開いたという。

『育てるという意味の中で、その中には愛情があるのだから殴るのを全部否定するのはいかがなものか』と持論をぶちまけたんです。『やられた相手が自殺なんかするまでやるのは絶対いかんけどな』と付け足してはいましたが、体罰が非難されていた時期だけに“予防線”を張っているようにも聞こえました」(スポーツ紙デスク)

 一方で、スポーツライターはこう解説する。

星野監督は母校・明治大学で師事した、故・島岡監督の熱血指導の流れで自然とやってきたのでしょう。それでも、拳を振るわれてきた選手が恨み言を漏らすようなことは少なかった。というのも、星野監督が手を上げるのは、見込みのある選手ばかりでしたからね。怒っても翌日にはその選手に『おっ、元気か?』と声をかけて、突き放さなかったから、やられたほうも愛情の裏返しだと好意的に捉えることが不文律となっていきました
星野仙一 スポーツ紙が封印した「鉄拳流血事件」を一挙プレイバック!(3)手を上げるのは見込みのある選手(アサ芸プラス 2014年10月9日 09:57)

※太字強調は原文、下線太字強調は引用者による。


わたしなんぞは「やられたほうも愛情の裏返しだと好意的に捉えることが不文律」となる組織は御免被りたいところですが、実際にその暴力の標的となった方々はこんなことをおっしゃっていますね。

星野仙一監督 鉄拳制裁の裏にあった選手への愛情(NEWS ポストセブン 2018.01.06 16:00)

「当時がそういう時代だったということもありますが、星野氏の中日監督時代といえば、“鉄拳制裁”が思い浮かびます。特に中村は何度となく鉄拳を食らっていたし、他の選手も文字通り痛い目に頻繁に遭っています。それなのに、星野監督の悪口を言う選手は聞いたことがない。それどころか、未だに慕っている選手ばかりなんです

 優勝した1988年のシーズン終盤、スクリューボールを武器にチームの救世主となった山本昌広は自著『133キロ快速球』でこう語っている。

〈星野監督は僕を怒って一人前にしてくれた。どれだけ怒っても、最後は使ってくれた(中略)野球選手にとって、これに勝るフォローは存在しないのだ〉

 1年目から起用され、1994年には本塁打王と打点王を獲得した大豊泰昭も自著『大豊』こう記している。

〈星野監督は言ったことを守る人だ。選手を叱っても必ずそのあとにチャンスをくれる〉

 高卒2年目の1990年にローテーション入りし、以降、中日のエースとして活躍した今中慎二も同じことを感じていた。自著の中でこう記している。

〈当時の若い選手が星野監督の厳しい指導についていけたのは、どんなに怒鳴られてもまた試合に出してもらえるという期待感があったから、といえます〉(『中日ドラゴンズ論』より)

 どんなに厳しくされても、愛情があったからこそ、選手はついてきた。数々の名選手を育てた闘将の死はあまりに早過ぎる。


DV被害者が暴力を受けることで自分の存在意義を確認するという話はよく聞くところですが、それは何も家庭内だけでのことではなく、複数の人数が属する組織ならばどこにでも生じうる現象と捉えるべきなのかもしれません。上記の記事の中では、引退後に「鉄拳制裁」による指導で名をはせている方はいないらしいことが一縷の望みではありますが、結局世代交代の中で社会の構成員が社会の変化に対応していくことに期待するしかなさそうです。

ただし、「鉄拳制裁」をフル活用していた故人の発言の中に、組織を変えるヒントが隠されていますね。

星野監督が「体罰問題」を語る(東スポWeb 2013年02月08日 11時00分)

 大阪・桜宮高バスケ部員自殺に端を発し、柔道日本女子代表監督の辞任騒動など、いま世間では体罰・いじめ問題が大きな論争を呼んでいる。こうした中、楽天・星野仙一監督(66)が一連の騒動以来初めて自身の考えを激白した。かつては「鉄拳制裁」がトレードマークでもあった闘将は今後、厳しい指導ができなくなるであろう状況に“事なかれ主義指導者”が増えることを危惧。いじめ問題についても「すべては幼児教育なんだ」と持論を展開した。

(略)

 春季キャンプのため沖縄・久米島で過ごす星野監督は順調な調整を進める選手たちに目を細める一方、今や社会問題となっている「体罰・いじめ」について自ら口を開くと急に顔をしかめた

 では、この問題をどう考えているのか――。「柔道界のこともよくわからんし、これはオレの考えだよ」と前置きした上で次のように続けた。

『体罰だ! いじめだ!』と言うけど、選手なんかは指導者から言われるうちが花やないか。それだけ親身になってくれているということ。このままじゃ指導者はどんどん“事なかれ主義”になっていくぞ。何かあっても『私は関係ありませ~ん』だよ。ただ、死んだら(選手が自殺を選ぶほど体罰をしたら、その指導者は)負けよ。それはアカン!」

 選手を自殺に追い込むほどの体罰は絶対に起こしてはならない。だがその半面、今回の騒動で指導する側の肩身が狭くなっていくことが予想されるため、問題が起きた場合でもそっぽを向く無責任な指導者が今後増えていくことを懸念しているという。

「鉄拳制裁」でも知られる星野監督だが、特に血気盛んだったと言われる中日時代を知る球界OBも「『おまえの顔の形、変えたろか!』と怒られるんだよ。実際にボコボコになった選手もいた。でも、それは期待されている選手だけだったし、理不尽ではなかった。その後のフォローもちゃんとあったしね」と打ち明ける。現代には“喝”の入れ方もわからない指導者が多いことに、日本一の熱血指導者は寂しい思いを巡らせているようだ。

 さらに話は、いじめ問題にも及んだ。「一番怖いのは、いじめがあったことを生徒にアンケート取って、生徒たちが『いじめを目撃した』と答えていることだよ。なんで止めないんだよ。止めたら、いじめの標的になるから? じゃあ、みんなで一緒に、大人数で止めたらええやないか

(略)

 仮にプロ野球選手になっていなかったら「教師の道を選んでいた」とも語る星野監督。これが「闘将の教育理論」だ。

おそらくこの故人は、パワハラ上司の多くがそうであるように、饒舌で社交的でありながら他者に対する共感が欠如し、きわめて(自分にとって)合理的な論理を駆使するサイコパス傾向が強い方だったのだろうと思いますが、野球の才能があったおかげで教育現場の平穏が保たれたのかもと思うと、プロ野球という職業があってよかったのかもとは思います。それはともかく、ご自身が「選手なんかは指導者から言われるうちが花やないか。それだけ親身になってくれているということ」というその口で、「止めたら、いじめの標的になるから? じゃあ、みんなで一緒に、大人数で止めたらええやないか」とおっしゃるなら、パワハラやら鉄拳制裁があれば、その場にいる大人数で止めたらいいんですよね。どうせパワハラする上司なんて一人でしょうし。

ところがことはそう簡単ではないのは、上記の記事で球界OBなる方が「それは期待されている選手だけだったし、理不尽ではなかった」とおっしゃるように、パワハラ上司の周囲には「期待しているからパワハラも鉄拳制裁も理不尽ではない」という取り巻きがいるために、パワハラやら鉄拳制裁に抗議の声をあげた方が「大人数」になるとは限らず、むしろパワハラに抗議する方が「理不尽だ」となってしまうことが往々にしてあるからですね。人格否定して罵倒するような暴言を吐いたり、身体に傷害を負わせるような暴力行為を行うことは、いかなる理由においてもそれ自体が理不尽であるはずであって、あくまで契約の範囲内で業務に従事する職場関係においてそうした行為を行う人物は、無条件に「パワハラクソ野郎」と呼ぶに相応しいクソ野郎なわけですが、それを反転させてしまう力が組織にはあるわけです。

となると、パワハラクソ野郎に対処するときに一番難しいのは、「期待しているからパワハラも鉄拳制裁も理不尽ではない」という取り巻き連中を「大人数」に取り込むことができるかということになります。そこには、パワハラクソ野郎がかなりの確率でハイパフォーマーとして評価されているために、組織としても切るに切れないという事情があって、「やられたほうも愛情の裏返しだと好意的に捉えることが不文律」となっていくわけです。パワハラクソ野郎が暴言を吐いたり鉄拳制裁するためにクソ野郎であるならば、こちらがその土俵にまんまと乗ることはあまり得策ではありませんが、時と場合によっては自分の身を守るための正当防衛類似の行為として、「大人数」で「やられたほうも愛情の裏返しだと好意的に捉えることが不文律」を放棄して「パワハラクソ野郎」と呼んであげるのも一つの手かもしれませんね。
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