2017年06月19日 (月) | Edit |
内閣府と文科省による責任の押し付け合いの様相を呈してきた獣医学部開設問題ですが、最近沙汰止みになりつつある大阪の私立小学校開設問題と同様に、「忖度」という言葉が一気にメジャーになっていますね。でまあ、我々地方公務員も国家公務員と同じく、定期的な選挙で選ばれた選良の方々がトップになるという組織で仕事をしていますので、どういうロジックで仕事が進むかというのはある程度共通の認識があるだろうと思います。

国家公務員法
(法令及び上司の命令に従う義務並びに争議行為等の禁止)
第九十八条  職員は、その職務を遂行するについて、法令に従い、且つ、上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない。

地方公務員法
(法令等及び上司の職務上の命令に従う義務)
第三十二条  職員は、その職務を遂行するに当つて、法令、条例、地方公共団体の規則及び地方公共団体の機関の定める規程に従い、且つ、上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない。


国家公務員と地方公務員では法律上の規定が若干異なりますが、地方公務員の場合は「条例、地方公共団体の規則及び地方公共団体の機関の定める規程」が追加されているということですね。特に「規程」というのは事務手続きなどの内部的な決まりごとですので、地方公務員は法令だけではなく細かい事務手続きにも忠実に従う義務があります。さらに「上司の職務上の命令」にも従わなければならないとされていまして、この条文の解説は手っ取り早くwikiで済ませてしまいますと、

法令・条例等及び上司の命令に従う義務

職員は、その職務を遂行するに当って、法令、条例、地方公共団体の規則及び地方公共団体の機関の定める規程に従い、かつ、上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない。(地方公務員法第32条)
ここでいう上司とは、職務の遂行についてその職員を指揮監督する権限を有する者をいう。
職務上の命令
職務上の命令とは、上司から、指揮監督下にある職員に対して発せられる命令をいう。その内容は、職務の執行についての他、職務の執行に関連した合理的な範囲内で必要となる身分上の義務(例えば、制服等の着用や、過度の飲酒を差し控えることなど)を含む。
職務命令が有効に成立するためには、次の要件を満たしている必要がある。
  • 権限ある上司から発せられる命令であること
  • 上司の職務権限内の事項であること
  • 実行可能な内容であること

職務命令に重大かつ明白な瑕疵がある場合は、無効であるから従う必要はない。ただし、当該命令が無効であるか否かは、客観的な認定によるべきものであり、部下が上司の職務命令について実質的な審査権を持つとまではいえないものと解される。また、当該職務命令を無効であると判断した職員は、その判断した結果について責任を負わなければならない。

「地方公務員(Wikipedia)」


ということになります。つまり、上司の職務上の命令に「重大かつ明白な瑕疵」がない限りそれに従わなければならず、それが無効であると判断した職員はその結果について責任を追う必要があると解釈されているわけです。

ということで、上司の職務上の命令に従う義務を負う公務員の世界は「忖度」にあふれているのが実態だろうと思うところでして、その「忖度」なるものが好ましいかどうかは、結局それぞれにとって好ましいかどうかによって評価が分かれるということではないかと思うところです。ものすごく卑近な例をとってみれば、例えば「コネ採用」がけしからんというのは、ほかにもっと優秀な人材を採用できたのに「コネ」があるというだけでロクでもない人材を採用するからというのがその理由となるでしょうけれども、では、「もっと優秀な人材」と「「コネ」があるというだけでロクでもない人材」をきちんと見分けることのできる人事担当者はどのくらいいるのでしょうかねえということです。

いやもちろん、学業と部活動を両立させながら優秀な成績を有して対人関係もそつなくこなすようなスーパー学生と、まともな勉強もしないで遊んでばかりで受け答えも満足にできないような学生を比較して、後者が有力者の子息だという「コネ」のみで採用されたならば、それは批判されてしかるべきでしょう。しかし、学業もそこそこ、部活動もそこそこ、対人関係も特にこれといって秀でたものがない学生の中に有力者の子息が紛れ込んでいる場合は、「コネ」採用とそうでない採用の差は限りなくゼロに近くなります。

つまり、当落ライン上の人材は「コネ」があろうがなかろうが採用の可否の判断は分かれるわけでして、最終的に「コネ」がある学生が採用されたとしても、その判断に「コネ」が影響したかどうかを客観的に判断することはほぼ不可能となります。そうなると、その人材に「コネ」があることを知っているという人が、「あいつが採用されたのは「コネ」があるからだ」と主張すると、それを客観的に否定する術はありません。あくまで結果を見れば、どちらが採用されてもおかしくないような僅差しかないわけですから、「コネ」を問題視する人からすればいくらでも攻撃材料があるということになります。

いま話題となっている事案と全く同じとはいいませんが、この採用の問題に関していえば、ポイントは「コネ」があるから採用が歪められたという点ではなく、特に日本型雇用慣行においては「空白の石板」たる人材を採用しなければならず、それは人事担当者の「一緒に働きたいか」という「官能的」な判断基準によるしかないという点にあるといえるでしょう。たとえばこういう状況を考えてみれば分かりやすいと思いますが、3人の面接官が100人を採用面接をし、その結果を悪い方から1〜5段階で評価したところ、Aさんは3人の面接官の評価がそれぞれ(4,3,2)、Bさんは(3,3,3)で、平均はいずれも3となりました。順番に並べてみると50人の採用予定のうちAさんとBさんはともに50番目で、どちらを採用するかを決めなければなりませんが、その判断は最終的に人事担当者かその上司の「この人の方が一緒に働きやすそうだ」という程度の直感に頼らざるを得ないというわけです。

「この人の方が一緒に働きやすそうだ」という判断は、他の人から見れば必ずしも納得できる判断ではないとしても、実務上はそうして何らかの決定をしなければなりません。そしてその採用決定の過程は、日本型雇用慣行における採用の考え方そのものに沿ったものです。すなわち、できるだけ「色」のついていない新卒を雇って、企業がその「色」をつけていくという日本型雇用慣行が堅牢であるうちは、上記のような「官能的」な採用決定の過程が変わることはありません。

というような採用決定の過程と、昨今話題となっている「忖度」に共通点があるとすれば、後者が「国家戦略特区」なる枠組みが先に決まっていて、その枠内に収まる限り、外部から見て曖昧な判断基準であっても正当な手続きとなってしまうという点にあるといえるかもしれません。日本型雇用慣行における採用ではコミュ力だの人間力だのが重視されるために、職務能力が軽視されて明確な基準たり得ないのと同じように、「国家戦略」とやらがそれありきとされるために、獣医師養成の必要性とか妥当性が軽視されて明確な基準たり得なくなっているのではないかと。そして日本型雇用慣行における採用のみを変えようと思っても、それを前提として職務能力とはかけ離れたアカデミズムに立てこもっている教育システムや、職能資格給制度による処遇が変わらなければ無理なように、「国家戦略」なるものがあってそれに沿った「特区」が存在する以上は、こうした手続き上の瑕疵が治癒されることはないだろうと思います。

まあ、日本型雇用慣行における採用にはそれなりに合理性があるわけでして、それは現に日本の経済成長にも寄与したわけですが、「国家戦略」とやらにおいては、規制改革とか既得権益の打破が絶対善とされて反論も許されず、偏った議論になりがちであって、既得権益の新たな付け替えにつながる可能性が高いという点を慎重に吟味したうえで議論を進める必要があるはずです。しかしそれをも包括して「国家戦略」という錦の御旗に包む仕組みさえ作ってしまえば、かなり好き勝手にできますよねえという感想でした。
(2017.6.20文意を明確にするため文言整理しました。)
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