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2016年11月29日 (火) | Edit |
再びコメントをいただきながらこちらからのコメントが遅くなりまして申し訳ございません。こちらからのコメントが長くなりましたので、新しいエントリにしました。まずは、望月夜さんからいただいたコメントですが、

>「因習の打破」という趣旨が不明ではあるものの、管見では「政府が債務と思っているのは因習のせいだから、会計上整理をすれば国債費を償還する必要はない」というのが一つの理解としてありそうです。


別に各債券の償還は随時行えばいいと思うのだが、借換(差し引きで見れば借り増しでもある)を並行して行えばいいという趣旨。
これは私がとやかく言うまでもなく、実際の政府財政実務で起こっていることだ。

これに対し、「いつかはそうやって積み増された政府債務についても完済していかなければならない」、あるいは、譲歩した見解としては「名目GDP比で見てある値以下にならなければならない」というもの(これらがいわゆる「因習」)があるのだが、いずれも「そうであるべき根本的理由」というものが薄弱である、と言いたいわけである。

もしインフレが問題だとすれば、指標にすべきはインフレあるいはインフレ予想のみにするべきであって、政府債務の完済であるとか、GDP比で見た低位安定だとかは目標たりえないわけだ。


あと、このブログの記述を見る限り、私の連ツイの趣旨、すなわち、「主流派経済学が過剰政府債務の問題を論ずるとき、どういうロジックに依って議論しているか」について本当にご理解いただけたのか、著しく不安になった次第をお伝えしておきたい。

2016/11/21(月) 08:50:29 | URL | 望月夜 #-[ 編集]


まあ確かに「「主流派経済学が過剰政府債務の問題を論ずるとき、どういうロジックに依って議論しているか」について本当にご理解いただけたのか、著しく不安」なのは私も同じ感想でして、主流派経済学における「過剰」な政府債務とはどの時点からを指すのか、あるいはそのストックの債務の基となるフローの新規国債はどの程度が適正か(それは税収との差し引きなのですが)を望月夜さんがどうお考えなのかはよく理解できておりません。また同時に、望月夜さんの「借換(差し引きで見れば借り増しでもある)」が「実際の政府財政実務で起こっている」というご指摘を拝見するに、財政の実務の現場でどのような処理をしているのかご存じなのかは著しく不安ではあります。

まあそれはともかく、国債が資産であることそのものは事実ですが、個人が資産保有の手段として国債を保有し、政府はそれを国債の原資として財源確保するということになると、それは政府支出を拡大するために個人の資産をできるだけ拡大しなければならないことを意味するものと思います。となると、個人が資産を拡大することを前提とする点において、その資産形成における格差を容認することになりますから、(結果として)「r>g」が格差の主因であるとしたピケティを批判するお立場なのだろうと思います。その格差は、政府と個人の間での資産による債権債務関係を基礎とした「再分配」でもって是正すればよいということなのでしょう。

言い換えると、政府が民間のストックと政府のストックを引き換えに発生(accrue)させることにより、政府支出を増加させるという経路を想定されている(というか現状でそうなっていると認識されている)ように思いますので、そのような想定の前提として民間のストックが潤沢に存在しなければならず、その結果として生じる民間のストックの保有具合による格差は容認されるということになろうかと。ピケティはそのような格差の解決策として、直接的な資産課税によって再分配を行うべきとしているのに対して、望月夜さんはむしろ貯蓄や投資による資産形成を前提とされる点では、まさに正反対の方向を向いていらっしゃると考えます。

したがって、現状の再分配を拡充するためには、各個人の(定義により投資と同値の)貯蓄を拡大しなければならないはずですが、それはとりもなおさず流動性選好が強くなっている状態であり、すなわち再分配を拡充するためにはデフレであることが必要ということになります。つまり、Savingが定義によりInvstigationと同値であり、Saving=Income-Consumptionである経済学の世界では、Savingを拡大することによってしか国債を財源とする再分配が実現できなくなります。

まあ確かにwankonyankorickさんは、

wankonyankoricky ‏@wankonyankorick 11月20日
MMTの、少なくと「第一世代」は、どうやら「デフレ派」とやらに該当するらしい。。。。。まあ、少なくともインフレは回避すべきといってるから、そうなのかな。。。。
https://twitter.com/wankonyankorick/status/800339637424132097

wankonyankoricky ‏@wankonyankorick 11月20日
土建についてだって、アメリカ(彼らの主たる舞台はアメリカだから)ではインフラの劣化がひどすぎるから、土建に肩入れしなきゃならない、そのための遊休労務者や遊休資源はある、という話で、それで景気を改善しようという話ではない。そんなんで景気を改善しようとしたら、完全雇用の前にインフレに
https://twitter.com/wankonyankorick/status/800340595659022336

wankonyankoricky ‏@wankonyankorick 11月20日
なっちゃって困る、と言ってんだから、まあ、分けるとすれば、デフレ派だわな。。。。
https://twitter.com/wankonyankorick/status/800340595659022336

wankonyankoricky ‏@wankonyankorick 11月20日
@wankonyankorick 個人的には、不況期の雇用確保のために土建予算がふやされることは全く抵抗ないが、それが景気刺激策といわれると、かなり抵抗ある。その意味で、「MMTはデフレ派」と決めつけられることは、「リフレ派」「日銀理論」「重税国家」「無税国家」
https://twitter.com/wankonyankorick/status/800344908171091970

wankonyankoricky ‏@wankonyankorick 11月20日
@wankonyankorick 「買弁理論」「極左」と言った決めつけよりは、多少は居心地良い。
https://twitter.com/wankonyankorick/status/800345419687432193



とおっしゃっていますので、MMTのような立場からすればいかに民間部門の貯蓄やその定義として同値の投資を増やすかが財源問題の解決策であって、その貯蓄や投資を増やすためにデフレになっても財源さえ確保できればよいのかもしれません。貯蓄や投資が増えると流動性選好が高まり、その結果として消費が抑制され、消費が抑制されると経済が縮小し…というデフレ・スパイラルが生じても、政府債務は償還する必要がないという立場からは特に関知しないということであれば、なかなかに理解が及ばない世界だなあという印象です。いやもしかすると、政府支出の財源が民間の国債による資産形成に支えられているために、流動性選好が高まって貯蓄や投資などの資産を有する層の消費が抑制されるというその世界は、どこかで経験している現実の世界なのかもしれませんけど。

まあ拙ブログでは、ストックを介するような迂遠な手法よりも、どちらかといえばピケティ寄りの考えに共感しますので、増税によって国民負担率を引き上げて、ストックを介さずにフローからフローへの再分配(その意味ではピケティのストックに対する資産課税はちょっと違和感がありますが)として現役世代の必要原則に応じた消費(医療、介護などの福祉や、保育や教育)を政府支出によって賄うことで拡充する方が効率的ではないかと考えていますが、まあ考え方の違いは如何ともし難いですね。

なお、ストックを介した財源調達では、国債という資産を有する層に対する(元本を除いたとしても)利払い費を政府支出で賄う必要がありますので、その分は再分配の目的である(資本保有具合による)格差の是正とは相容れないと思われます。ただし、その利払い費が再分配を実施するために資産を有する層に補償するためのコストであるとするなら、そのコストをかけなければ再分配の拡充が実現できないという民主主義の限界を示すものと理解しなければならないのかもしれません。つまり、再分配は民間の資産というストックを国債という政府のストックに置き換えて現金化しなければ実現されないものであり、その実施に当たっては、資産を保有する層がその資産から発生するゲインの支払いを政府に要求するために、再分配に要する財源だけではなく資産を保有する層への利払い費を政府支出で賄うという高コストな構造がこの国の現状なのでしょう。その高コストな構造を生み出しているのは、ほかでもない国民の政府不信なのですが、まあそれを選択するのも民主主義ですね。

財政の利払い費負担が増加することは,所得の再分配に関わる問題である。財政学における伝統的議論であるが,財政の利払い費は国債保有者に支払われ,一方利払い費増加により増税されるため,租税負担が増加する4)。この場合,租税負担の帰着により,所得の再分配が発生する。現在の日本で,国債保有者は民間銀行や日本銀行が中心であり,銀行が国債から金利収入を受け取っている。納税者から銀行への所得再分配の可能性が否定できない。

脚注
4) 1920年代のイギリスでは,国債保有者がレントナー(かの J.M. ケインズが金利生活者の利子安楽死として攻撃した)と呼ばれた個人富裕層であり,他方で増税が間接税であったため,社会的対立が生まれた。拙著,『現代イギリス財政論』,勁草書房,1999年,56ページ。

(PDF)代田純「超長期国債の借換発行増加と国債整理基金特別会計・日本銀行」(証券経済研究 第89号(2015 . 3))


まあこの代田論文の他の部分では、「しかも特別会計は,一般会計や財政投融資と異なり,国会で審議される必要もないため,一般に実像は見えにくい。」なんて書いていまして(詳しくは「特別会計のはなし」かこちらのPDFの5ページ目などを参照)制度への理解に一抹の不安がないではないですが、まあ政府支出としての国債の(元)利払いが支払われる先についても一考の余地はありそうです。

ということで、asdさんのコメント(2016/11/21(月) 19:18:26 | URL | asd)については、拙ブログをご覧になった方にご判断をお任せしたいと思います。
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コメント
この記事へのコメント
国債の純粋な発行積み増しが、個人資産の形成になることには同意だが、それがどのような形態を取るのかについて厳密に詰めておこう。

まず、基本的に国債は、金融機関によって購入され、運用資産として保有される。一方で政府は、調達したBMを支出し、支出先の個人・企業の銀行預金、及び当該銀行のBMを追加する。

こうして、銀行のB/Sでは、資産に国債、負債に銀行預金が載ることになる。

現実の経済で、購入手段として主に機能しているのは銀行預金の方なので、問題は、銀行預金がどのように国民に保有されるか、さかのぼれば、政府が誰に対して支出するか、に帰結することになる。


再分配が目的の場合、政府には二つの手段がある。一つは、資産家から銀行預金(マネーサプライ)を回収し、下層に再分配する方法。
もう一つは、下層に(信用創造によって)マネーサプライを直接与える方法。

どちらが望ましいかは、マネーサプライが市中で過剰であるか、そうではないかに依存する。
2016/11/30(水) 11:30:01 | URL | 望月夜 #-[ 編集]
> 望月夜さん

素早いご反応ありがとうございます。

> 現実の経済で、購入手段として主に機能しているのは銀行預金の方なので、問題は、銀行預金がどのように国民に保有されるか、さかのぼれば、政府が誰に対して支出するか、に帰結することになる。

「国債の国債の純粋な発行積み増しが、個人資産の形成になること」を厳密に詰めるとのことで、この部分がその説明という理解でよいのでしょうか。浅学非才な私からすると、個人資産があるから国債を購入することができると考えるのですが、もしかするとそれも誤りだということかもしれませんね。

そして、不勉強なもので初めて伺う見解なのですが、望月夜さんによると、

> 再分配が目的の場合、政府には二つの手段がある。一つは、資産家から銀行預金(マネーサプライ)を回収し、下層に再分配する方法。
> もう一つは、下層に(信用創造によって)マネーサプライを直接与える方法。

ということで、再分配そのものが税金ではなくマネーサプライで実現できるとのことですので、

> 社会保障というのは市場システムのサブシステムですので、一次配分の適正化が大前提ではあります(そのため集団的労使関係による人件費の配分交渉が重要になります)が、それに現物給付による再分配を加えて生活を保障するには、一旦政府に預けるという過程が必ず必要になります

「可処分所得と再分配所得(2016年02月21日 (日))」
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-674.html

という私の理解もまた誤りなのかもしれません。まあ、浅学非才な私にそう見えるだけで、望月夜さんは「具体的実務的形態」を良くご理解されているようですので、引き続きご教示いただけると幸いです。

ついでに、

> どちらが望ましいかは、マネーサプライが市中で過剰であるか、そうではないかに依存する。

とのことで、その適正な額については特に言及がないようですので、本エントリでの

> 「過剰」な政府債務とはどの時点からを指すのか、あるいはそのストックの債務の基となるフローの新規国債はどの程度が適正か

という私の疑問は永遠の謎になりそうですね。
2016/12/04(日) 23:08:12 | URL | マシナリ #-[ 編集]
>個人資産があるから国債を購入することができると考える

それはよくある誤解。
現実には、国債発行それ自体は金融資産形成になる。(銀行にとっては国債が資産となり、同時に信用創造された銀行預金が国民の資産になる)

よく「個人金融資産と国債発行残高の比較」という馬鹿げたことをしている人々が学者クラスですら存在したりするのだが、国債を発行すると個人の金融資産(主に銀行預金)は同額だけ増えてしまうので、この比較には意味がない。(厳密には、法人の資産にもなり得るが)

もちろんこれは、国債発行をいくらでもしても何一つ問題がないということを意味するわけではない。
単に、個人金融資産は、国債発行に対する限界値にも抑制機構にもなっていないということを意味するに過ぎない。


>現物給付による再分配を加えて生活を保障するには、一旦政府に預けるという過程が必ず必要

国定通貨の経済において、再分配が徴税を必要とするかどうかというと、「再分配それ自体に徴税が必要とは限らないが、国定通貨は徴税を必要としている」という回答になる。

これにはtax-driven moneyの理解が必要なので、それを一から説明しはじめているとかなり大変なことになってしまうから、一応参考資料を置いておく。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14136368694
http://ameblo.jp/nakedcds/entry-12143226284.html

参考資料添付だけでは不満ということであれば、一応解説する用意はある。

>適正な額については特に言及がない


前にも述べたかもしれないが、与えたマネーサプライが過剰かどうかは、本質的にはインフレが亢進するかどうかでしか測れないから、インフレ、あるいはインフレ予想に基づいて総需要政策は設定されるべきと考えている。(それ以外の指標の参照は、言ってしまえば邪魔であるか、有害である)
2016/12/06(火) 17:55:42 | URL | 望月夜 #-[ 編集]
> 望月夜さん

再び素早いご反応ありがとうございます。

望月夜さんのコメントを拝見するにつけ、

> 「経済学的な正しさ」というのは「ある考え方に基づいたときの推論」程度に考えるのが吉といえそうです

「折衷主義は、むしろ強み(2016年10月30日 (日))」
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-707.html


という思いを強くするところですね。
本エントリの冒頭で引用したコメントで「借換(差し引きで見れば借り増しでもある)を並行して行えばいい」とおっしゃられている点については、財務省資料を一読されることをお勧めしたくなりますが、

減債制度の仕組み
http://www.mof.go.jp/jgbs/reference/appendix/hakkou13.pdf


資料のタイトルにある通り借換債は減債の仕組みなんですけど、まあ望月夜さんにとっては「因習」だそうですから、財務省の資料を引用する私は因習にとらわれているだけなのでしょう。

> 単に、個人金融資産は、国債発行に対する限界値にも抑制機構にもなっていないということを意味するに過ぎない

なるほど、私は上限を問題にしたことはありませんが、望月夜さんにすればその点こそが問題なのですね。個人資産で再分配という政策が可能とのことですので、生活保護を受けているような世帯であっても個人資産で再分配できるとなれば、確かに金融政策は万能であって、現行の政府機能の大半は廃止して問題なさそうです。どの国で事例があるのかご教示いただけるとありがたいですね。政府が提供するのは外交と防衛くらいでしょうか。

「外遊したのは地域主権だから?(2010年05月20日 (木))」
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-396.html

なお、望月夜さんのコメントのリンク先のYahoo!知恵袋での回答者はwankonyankorickyさんのようにお見受けしますが、MMTなら銀行の取引で世の中をすべて説明できるようですので、再分配もすべて個人資産で可能という理屈になるのかもしれませんね。ちなみに、拙ブログを検索するようなお暇があれば、財政再建のために増税するべきと書いたことは一度もないことをご確認いただけると思います。

さて、長々とコメントを書きましたが、今回の望月夜さんのコメントで一番の収穫は、

> 与えたマネーサプライが過剰かどうかは、本質的にはインフレが亢進するかどうかでしか測れないから、インフレ、あるいはインフレ予想に基づいて総需要政策は設定されるべきと考えている。(それ以外の指標の参照は、言ってしまえば邪魔であるか、有害である)

という最後の部分です。医療費も介護費も学校教育費も保育所費用も公共事業費もそれなりにデータを用いて政策的に決定されているのですが、それがすべて有害であるならば、望月夜さんの想定される公共政策についての議論は共有できないと考えます。

私の精一杯の想像力を働かせると、国民の負託を受けた選良の皆さんが要求される事業はすべて予算をつけて、その財源は個人試算となる国債で賄い、公共サービスは個人資産で購入することとして公共が提供する公共サービスを廃止する世の中になるように思われますが、「過剰」とは何を意味するのか、私には皆目見当がつきません。まあ、私ごとき下っ端公務員と議論が共有できないとしても、望月夜さんがご存じの「具体的実務的形態」にはみじんも影響はないでしょうから、「著しく不安」になられませんようお願いします。
2016/12/11(日) 21:32:06 | URL | マシナリ #-[ 編集]
>減債制度

おそらく60年償還ルールの中の借換債のことだと思うのだが、これは「あるセットの国債を60年で償還する」という、特別何かの理由があるわけでもない財務省の自己ルールに基づいた運用に過ぎなくて、しかも実際観測されている通り、赤字国債はどんどん増発されて、全体で見れば借換どころか借り増しが進んでいるわけである。

この状況を看過して、減債制度の中の借換債の発行のみを「借換」として呼ぶのは、現実の財政に関する理解を著しく害するものになる。

付記するところとしては、別にバブル崩壊以前からして、基本的には国債発行は右肩上がりであったし、しかもそうであるべきだ、というところもある。(ここらへんの議論こそ、MMTが得意とするところ)


>生活保護を受けているような世帯であっても個人資産で再分配できるとなれば、確かに金融政策は万能であって、現行の政府機能の大半は廃止して問題なさそうです


純粋にこの文章の意味するところがわからないし、したがって、この文章をもとに進むそれ以降の論理が理解不能なものに仕上がっている。

まず「金融政策」と呼んでいるものが一体何なのかが不明で、私はずっと財政政策の話をしているので面食らうし、(金銭的)再分配が、財政政策(特に、国債発行による信用創造を併せつつ)によって行われているという話が、(政府の重要性を補強するもにはなっても)いかにして「政府機能の停止」という話に繋がるのか、全く論理が不明と言わざるを得ない。


>医療費も介護費も学校教育費も保育所費用も公共事業費もそれなりにデータを用いて政策的に決定されているのですが


話が根本的にずれていることにお気づきだろうか?

私は、きちんと記した通り、「与えたマネーサプライが過剰かどうか」のみに言及しているのに対し、machineryさんは「支出先をどう決定するか」の議論を急に始めているわけだ。

私は「支出先をどう決定するか」という議論については、当然それ相応の調査や研究が必要だと思うし、それを否定する旨を書いたことなど一度もないわけだ。その意味で私は、「財源をどう決定するか」(制入)の話ばかりをしていて、「支出先に何が望ましいか」(量出)の話は、まだしてないわけである。そこを混同してはいけない。

で、財源として「税のみ」を想定する財務省的な思考は根本的に誤りであって、「税と信用創造」の2軸にするべきだと論じ、どちらを利用するかは、マネーサプライひいては総需要の水準が十分かどうかで判断すべきだと論じてきたのである。


>公共サービスは個人資産で購入することとして公共が提供する公共サービスを廃止する世の中

こんなに短い文中で矛盾が発生していて、読む方として混乱するのだが、あなたは私があくまで「財源をどうするか」の話しかしていないのに、急に「公共政策はどうあるべきか」という全く別の議論を持ってきて、なおかつ藁人形を叩き始めるという行為を行っているに過ぎない。

公共政策はもちろん、単に金銭的再分配にはとどまらず、公共財の生産供給や市場への何らかの介入が積極的に志向されるべきであることは大いに認めるところである。(そして、そうした政策も、例にもれず財源が必要であり、財源として何が望ましいかが議論されるべきである)
2016/12/20(火) 02:51:45 | URL | 望月夜 #-[ 編集]
横から失礼します。

> 個人資産があるから国債を購入することができると考えるのですが、もしかするとそれも誤りだということかもしれませんね。

その通り、誤りですね。
失礼ですが、マシナリさんはお金がどうやってこの世に生まれるのか、まあ簡単に言えば信用創造ですが、その仕組みをご存じない、もしくは非常に理解が薄いのではないですか。そのせいだと思いますが、端から見ていてマシナリさんのご反論は全く話が噛み合っておりません。

貴方の好きなハジュンチャンも言ってますね。現実に根ざし、視野が広いことは重要であると。お金の仕組みとは否応無き現実です。そこから目を背けていたら「視野が非常に狭く、特定の方向に捻じ曲がっている専門バカ」になってしまいませんか。

大変失礼とは重々承知の上ですが、あえて書かせて頂きました。
2016/12/20(火) 19:11:50 | URL | asd #-[ 編集]
> 個人資産があるから国債を購入することができると考えるのですが、もしかするとそれも誤りだということかもしれませんね。

誤りです。ただ、この誤りは多くの人がしていることだし、文献も相当少ないです。ですから、知らなくても当然だと思います。

理屈としてはそれほど難しくないです。銀行が国債を買っても私たちの預金は減りません。その国債で得た資金で政府が公共事業なり、手当なりで支出すると、個人や企業の預金が減るどこか増加します。

クラウディングアウトの批判に答えるには、準備金の後積み制度とか、日銀当座預金の決済とかの知識も必要になってきますが、平たく言うとそういうことです。
2016/12/23(金) 15:42:35 | URL | 通りすがり #-[ 編集]
文献を一つ示します。

日本銀行金融研究所『わが国の金融制度』1986年8月


(引用開始)


p474~475


市中銀行(マネーサプライ供給機関)引受によって国債が発行され、その代り金によって民間非銀行部門に対して財・サービスの購入代金が支払われたとしよう。この場合、国債が発行される第一次段階においては、金融機関は国債保有増となると同時に国債払 込代金分だけ準備預金が減少する(銀行準備が国債引受前において均衡状態にあったとすると過少準備が発生)。


この段階では民間非銀行部門の現預金には何ら影響がないから、マネーサプライは動いていない。次に国債代り金が財・サービス購入のために支払われる第2段階においては、財・サービスを提供した民間非銀行部門はその代金を現金ないし銀行預金の形で保有し(すなわち、マネーサプライが増加)、一方銀行ではそうした民間非銀行部門の動きに応じて資産面での準備預金増加と負債面での預金増加が生じている。


結局、第1、第2段階を合わせてみれば、金融機関はその準備を国債引受前の状態まで回復し、一方マネーサプライが国債発行額と同額だけ増加してい る。つまり準備は不変でマネーサプライだけが増加している。これは若干の過小準備の発生である。


(引用終了)

ぜひご確認ください。
2016/12/24(土) 18:05:11 | URL | 通りすがり #-[ 編集]
> 望月夜さん

再度コメントいただきありがとうございます。

私のコメントの趣旨は、望月夜さんのご主張を「財政支出を国債発行という金融政策によって賄うべき」というものと推測したところからスタートしているところでして、その財源調達から実際の財政支出の支出先の決定までの距離が随分と遠いなあと感じつつ、望月夜さんのご主張からはその距離を繋ぐ部分の説明を読み取ることができなかったので、私の精一杯の想像力を働かせたものです。というのも、政治家やその意を受ける公務員としての仕事は、その距離をどう繋ぐか、言い方を変えれば、就業率が生産年齢人口の6割を超える現代社会の公共政策として、家庭機能を社会化するために必要な「政策」に見合う財源を調達するという一連の「財政政策」を立案し、執行するところにありまして、私の関心もそこにあるからです。望月夜さんがそれをどのように想定しているのかが私の乏しい読解力では読み取れず、やむなくこれまた私の乏しい想像力で想定してみたその姿が、望月夜さんのご主張と相入れるものではないために不快な思いをさせてしまったようですので、その点についてはお詫び申し上げます。誠に申し訳ございませんでした。

とはいいつつ、私としては前回コメントの通り望月夜さんとは議論が共有できないなあという印象ですので、今回のコメントもすれ違いになると思います。

> おそらく60年償還ルールの中の借換債のことだと思うのだが、これは「あるセットの国債を60年で償還する」という、特別何かの理由があるわけでもない財務省の自己ルールに基づいた運用に過ぎなくて、しかも実際観測されている通り、赤字国債はどんどん増発されて、全体で見れば借換どころか借り増しが進んでいるわけである。

赤字国債が増発されているのはその通りですが、それは政府支出と税収との「差」が埋められていないから発行されるものであって、政府支出なり税収がどの程度であればその「差」が適正なのかが、国債発行額の多寡を判断するための基準となると考えるところではあります。望月夜さんのご主張を私の乏しい読解力でトレースしてみれば、預貯金などの資産が死蔵されているのは無駄であり、それを政府が中央銀行を介して債権化することによって、再分配政策としての財源を賄いつつ、さらにその政府からの元利払いによって資産保有者もゲインを得ることができるので効率的であるということかもしれませんが、その「再分配」はどの層が享受できるのかを考えると、なかなかに利害の対立は根深そうに思います。まあこれも同じ話の繰り返しですので、議論が共有できないことは変わりないですね。

ちなみに、過去5年で償還財源繰入額等と償還額の合計は18兆円ほど増えておりますが、借換債は26・27年度に増えて28年度は22年度と同水準となっていますね。

最近7年間の国債整理基金の公債等、借入金償還財源の繰入額、償還額、年度末基金残高、借換額の推移
http://www.mof.go.jp/jgbs/reference/appendix/syoukan01.pdf


> 私があくまで「財源をどうするか」の話しかしていないのに、急に「公共政策はどうあるべきか」という全く別の議論を持ってきて、なおかつ藁人形を叩き始めるという行為を行っているに過ぎない。

ええと、拙ブログでは政府支出をどのような支出先に振り向けるかという再分配政策を中心に思うところを述べているものでして、本エントリは望月夜さんがその節ブログに対してtweetされたのを取り上げたところから始まったものですので、「公共政策はどうあるべきか」という「全く別の議論」を私が突然始めたというご指摘には私も困惑するところですが、まあお互いにお互いの土俵に乗らないために議論が共有できていないわけですから、それはそれとしてよろしいのではないかと思いますがいかがでしょうか。

なお、私の拙い説明よりも、マスグレイブの「私的財」の供給に関する議論を参照されることをお薦めします。
「いままでやられたことのない政策」の分析(2012年07月30日 (月))
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-524.html


> asdさん

ご教示ありがとうございます。
浅学非才な私が「視野が非常に狭く、特定の方向に捻じ曲がっている専門バカ」ではないかとは過分な評価に畏れ入りますが、信用創造は信用があるから創造されるものと認識しておりまして、では「信用」がない生活保護受給者(資産調査によって預貯金や固定資産などの資産を有しないことを条件として政府からの給付を受けている方)にどのようにして信用が創造されるのか、そこに政府が介在する際の実務的な手法(財源調達から給付・生活支援さらに就業支援までのサイクル)はどのようなものか、是非広い視野からご教示いただけるとありがたく思います。

思い起こしてみれば、低所得者向けローンを通じて低所得者層の「信用」が金融工学的に債権化され、低所得者層の「信用」をリスクヘッジするはずのCDFの信用不安がサブプライムローン危機を引き起こし、その後世界的なリーマン・ショックにつながっていったように記憶しておりますが、まあそういう現実の問題を脇におけば、「信用創造」によって貨幣が生み出されるという説明そのものについては私も特に異論はありません。

なお、拙ブログのプロフィール蘭に「不特定に使用されるHNでのコメントはご遠慮ください。」と明記しておりますので、その他のコメントはスルーいたします。あしからずご了承ください。
2016/12/27(火) 01:34:20 | URL | マシナリ #-[ 編集]
>預貯金などの資産が死蔵されているのは無駄であり、それを政府が中央銀行を介して債権化することによって、再分配政策としての財源を賄いつつ、さらにその政府からの元利払いによって資産保有者もゲインを得ることができるので効率的である


私がこれまで論じてきたことを全くトレースできていない。

私は預貯金が死蔵されており、無駄があるというようなことは一度も申し上げたことがない。
むしろ、ディスインフレ、デフレの現状では、基本的には預貯金は(少なくとも経済の大部分で)不足しており、追加供給が必要と考えている。

その意味で、国債発行は、預金の追加という機能のために必要だと論じてきたのである。

そうして創造される銀行預金が、誰に、あるいは何に向けられるかが問題なのである。

MMTの観点としては、そもそもそうした信用創造それ自体のみが唯一の政府の収入手段であり、租税とは、そうして発行された流動性を事後的に回収するものに過ぎず、本質的には財政収入ではないと理解されるのである。

また、私とあなたの論点が、公共政策の具体的内容になったことはない。私はあくまで、財政の構造理解について論戦を仕掛けたのであって、もし公共政策についての見解を引き出したかったのであれば、別途論点を提起すればよかっただけの話である。

その意味では、私もマシナリさんが論じたい本線にあまり付き合っていないということなので、そのことには一抹の罪悪感があるものの、財政構造理解もまた(政策を考える前提として)重要な論点であることから、私の行為をご容赦願いたいところである。



2016/12/27(火) 09:40:43 | URL | 望月夜 #6Bjer0kk[ 編集]
プロフ欄、気づきませんでした。コメントはスルーしていただいて結構ですが、文献はぜひ一度ご確認ください。失礼しました。
2016/12/27(火) 14:44:13 | URL | 通りすがり #-[ 編集]
> 望月夜さん

いつもながら早速のご反応ありがとうございます。
またも私の読み違いがあったようで大変失礼いたしました。

本エントリで引用したwankonyankorickyさんのtweetの中の、

> wankonyankoricky ‏@wankonyankorick 11月20日
> 土建についてだって、アメリカ(彼らの主たる舞台はアメリカだから)ではインフラの劣化がひどすぎるから、土建に肩入れしなきゃならない、そのための遊休労務者や遊休資源はある、という話で、それで景気を改善しようという話ではない。そんなんで景気を改善しようとしたら、完全雇用の前にインフレに
> https://twitter.com/wankonyankorick/status/800340595659022336

> wankonyankoricky ‏@wankonyankorick 11月20日
> なっちゃって困る、と言ってんだから、まあ、分けるとすれば、デフレ派だわな。。。。
> https://twitter.com/wankonyankorick/status/800340595659022336


という部分から、MMTでは「預貯金などの資産が死蔵されているのは無駄」と考えているのではないかと推測したものでして、望月夜さんとwankonyankorickyさんのご指摘を混同してしまった点につきましてはお詫び申し上げます。申し訳ございません。

> MMTの観点としては、そもそもそうした信用創造それ自体のみが唯一の政府の収入手段であり、租税とは、そうして発行された流動性を事後的に回収するものに過ぎず、本質的には財政収入ではないと理解されるのである。

大変わかりやすいご説明ありがとうございます。望月夜さんの信奉される経済理論について改めて理解することができました。その上で、望月夜さんのご主張についての感想は、本エントリで書いたような、

貯蓄や投資が増えると流動性選好が高まり、その結果として消費が抑制され、消費が抑制されると経済が縮小し…というデフレ・スパイラルが生じても、政府債務は償還する必要がないという立場からは特に関知しないということであれば、なかなかに理解が及ばない世界だなあという印象です。

とほぼ変わることはありませんでした(多少変わったとすれば、MMTを信奉される方の中もそれぞれ見解の違いがあるのだなと再認識したくらいでしょうか)。

ちょうど先日、シェイブテイルさんが中野剛士『富国と強兵』の一節を引用されてMMTと同じような(と思われる)考え方を賞賛されてますので、孫引きしますと、

>> 内生的貨幣供給理論
>> イングランド銀行の季刊誌(2014年春号)は「現代経済における貨幣:入門」に続いて、「現代経済における貨幣の創造」という解説を掲載し、その中で、貨幣供給に関する通俗的な誤りを二つ指摘している。*5
>>  一つは、銀行は、民間主体が貯蓄するために設けた銀行預金を原資として、貸出しを行っているという見方である。
>>  しかし、この見方は、銀行が行っている融資活動の実態に合っていない。 現実の銀行による貸出しは、預金を元手に行っているのではない。たとえば、銀行が、借り手のA社の銀行口座に1,000万円を振り込むのは、手元にある1,000万円の現金をA社に渡すのではなく、単に、A社の銀行口座に1,000万円と記帳するだけである。 つまり、この銀行は、何もないところから、新たに1,000万円という預金通貨をつくりだしているのである。
>>  銀行は、預金という貨幣を元手に貸出を行うのではない。その逆に、貸出しによって預金という貨幣が創造されるのである。貨幣が先で信用取引が後なのではなく、信用取引が先で貨幣が後なのである。このことを理解していたジョセフ・アイロス・シュンペーターは「実際的にも分析的にも、信用の貨幣理論(money theory of credit)よりも貨幣の信用理論(credit theory of money)の方が恐らく好ましいだろう」といったが、確かに的を射ている。
>> *5:Michel McLeay, Amar Randia and Ryland Thomas, 'Money Creation in the Modern Economiy' Quarterly Bulletin, 2014b, Q1, Bank of England, pp14-27
>> *6:「富国と強兵」p067
> 2016-12-24 書評 「富国と強兵」
> http://d.hatena.ne.jp/shavetail1/20161224

さらに同じ日に、参議院選挙佐賀県選挙区から立候補した民進党公認 中村てつじ氏も井上智洋『ヘリコプターマネー』に大変感激されているようです。

> 後世の歴史家が「21世紀の世界諸国の経済政策はこの本から始まった」と評するかもしれません。本書はそれほどのポテンシャルを持った著作です。
>
> 信用創造(=銀行による預金設定)には「銀行による貸し出し」(第1の経路)と「国債の新規発行+その分の政府支出」(第2の経路)があるのですが、私が現職の国会議員の時代に国会図書館に調査を依頼して調べてもらった結果、第2の経路について明確に述べた著作は存在していませんでした。(厳密に言えば、土屋貴裕氏「銀行の国債保有が預金を増やす」(大和総研資本市場調査部)(2012年3月15日)の論文1本だけです。http://www.dir.co.jp/research/report/capital-mkt/12031501capital-mkt.html
>
> つまり、本書は「国債の新規発行+その分の政府支出」が信用創造(第2の経路)を生み出すことを初めて書籍で述べ、今のデフレ傾向の原因は、信用創造が足りていないことにあると理論的に述べた初めての書籍になります(国会図書館の専門調査員に調べてもらった限りにおいてですが)。
> 2016-12-24 書評:井上智洋著「ヘリコプターマネー」
> http://d.hatena.ne.jp/NakamuraTetsuji/20161224#p1

とのことで、MMT(やそれに類する説)に対する支持が広がっているようですので、まあ私自身は『富国と強兵』も『ヘリコプターマネー』も未読ですし、今の仕事をリタイアして時間ができた頃にでも拝読してみようかなとは思うところです。

もちろん、日々仕事に追われる身としますと、直面する労働問題や再分配政策の執行の現場で必要な議論であれば、仕事や生活の合間の時間をとってでも理解を深めてみようとも思うのですが、その点のヒントになればと、望月夜さんに当初から「現代社会にあって従来の家族機能を社会化するために必要な公共政策の「具体的実務的形態」」についてのご見解を伺っているものの、それについてのご回答はいただいていない状態です。その点について、

> その意味では、私もマシナリさんが論じたい本線にあまり付き合っていないということなので、そのことには一抹の罪悪感があるものの、財政構造理解もまた(政策を考える前提として)重要な論点であることから、私の行為をご容赦願いたいところである。

と望月夜さんご自身も理解されているようですので、正直なところこれ以上望月夜さんの行為を容赦する必要性はあまり感じていません。ちなみに、おそらく井上智洋氏なら「AIでBIを」という方ですし、上記の本のタイトルもヘリマネなので、国債発行して全国民に一律現金給付すればオールオッケーという至極単純な議論を展開されるだろうと予想されるところですが、それはとりもなおさず公共サービスは市場を通じて購入しなければならない世界であって、政府が供給する公共サービスもその中に組み込まれることになりますから、私の「2016/12/27(火) 01:34:20 | URL | マシナリ 」のコメントで引用した

「いままでやられたことのない政策」の分析(2012年07月30日 (月))
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-524.html


で指摘したような懸念が顕在化するものと考えております。
2016/12/29(木) 09:51:13 | URL | マシナリ #-[ 編集]
 ご無沙汰しております。それにしても、マシナリさんの財政政策の再分配はコストが掛かるからインフレになる。という話がコストは無いという、インフレによる国債減が消滅する流れになっていったのは興味深いところです。井上智洋著「ヘリコプターマネー」 は、貨幣発行益(9,980円)、信用創造の禁止(金融取引の禁止)、ベーシックインカムの三本柱で構成されていますが、信用創造の禁止ということで、今回の議論の「預金の追加供給」も消滅するなどなかなか難しい内容だと思います。通貨発行益を参入するためにはネオリベが要求する「公会計の複式簿記化」は大前提ですし、それとてコストが掛かるはずですが、無い事になっている。
 ベーシックインカムとてコストが掛からないために、公的セクター解体で直接個人に配布するという、「小さな政府」になるのは何時もの通りです。

 レジェンド御大もいろいろと変節しているようですね。

http://www.sankei.com/economy/news/161229/ecn1612290008-n4.html

浜田「政府が財政赤字をつくることは、必ずしも悪くない。少なくともデフレ経済ではよいことかもしれない。最近は米国の学界で物価の財政決定理論というのが有力になっている。民間部門が不況やデフレに悩んでいるときには公債を発行してお金を見せるという意味での一種の「見せ金」をみんなに持たせることも有効ではないかという考えに、米国の経済学者は最近どんどん移ってきている」

 何はともあれ本年はお世話に成りました。
 来年もよろしくお願い申し上げます。
2016/12/29(木) 13:47:08 | URL | hahnela03 #TVNdHuFs[ 編集]
wankonyankorickyさんのツイート引用と「預貯金退蔵が無駄」というフレーズの間に何の関連性も見られないのだが、これは私の読解力の不足が原因なのだろうか。

rickyさんの当該ツイートの意味を理解しようとすると、まず彼が支持しているJGPという政策を理解しておかなくてはならない。

JGP(Job Guarantee Program)というのは、最低賃金程度の雇用を無尽蔵に政府が供給することで、労働力の退蔵を防ぎつつ民間への労働力供給も阻害しない、などを目的とする政策のことである。

JGPとインフラ投資は本質的に異なるところがあって、というのはJGPは景気回復による民間雇用需要増加に伴って(自動的に)縮小するのであるが、インフラ投資は(その必要性が高いのが本当ならば)縮小することは許容されず、もし強行するなら「インフレ税」が生ずることになる。rickyさんが言いたかったのは、概ねそういうところではないか。(預貯金の退蔵が云々、という要素は一切出てこない)


>「貯蓄や投資が増えると流動性選好が高まり、その結果として消費が抑制され、消費が抑制されると経済が縮小し…というデフレ・スパイラルが生じても、政府債務は償還する必要がないという立場からは特に関知しない


単純にこの文面の意味を理解できないのであるが、まず一行目の「貯蓄・投資の増加→流動性選好の高まり」からして、控えめに言って意味不明、率直に言えば支離滅裂である。
ケインジアンの枠組みで言うと、流動性選好とは、流動性に対する投機的所持需要の程度を指すのであり、流動性選好が高まれば金利(流動性を貸与する報酬)が上がり、弱まれば金利が下がるという構造を持っている。そうして決定する金利によって、投資量が決定するというのがケインジアンの枠組みであって、「貯蓄・投資が増えれば流動性選好が高まる」というのは、一体どういう考え方なのか全く理解することができない。

その部分をとりあえず取り除いたとしても、「貯蓄や投資が増えることで消費が抑制される」という言葉も、何を意味しているかは俄かにはわかり難い。

例えば、日本がはまった罠http://cruel.org/krugman/japtrapj.htmlでクルーグマンが語ったように、将来所得減少予想が現在消費抑制、将来消費(≒貯蓄)促進をもたらすというメカニズムを語ることは不可能ではないのだが、そのとき投資は過剰かというと、別に過剰ではない(むしろ、完全雇用水準に対して過少な状態である)から、その枠組みから理解することもできない。

また、「政府債務を償還する必要がないという立場からは、デフレ・スパイラルを関知しない」というのは全くでたらめというべきで、政府負債の償還は、直接的な総需要の抑制や、マネーサプライ償還(信用収縮)による間接的な総需要の抑制を通じて、基本的にデフレを強化してしまうのであって、その意味で財政派一般は基本的に「政府債務を安易に償還すると、デフレを促進してしまうからダメだ」と主張しているのである。このことについてはいかがか。


ちなみに、公共政策については、私は基本的には政府の役割を重視する立場にあり、誤解を恐れずに言いきれば「大きな政府」論者であることを強調しておきたい。
2016/12/29(木) 19:30:08 | URL | 望月夜 #3DzPDrAs[ 編集]
おそらく、マシナリさんは「政府が積極的な役割を講ずるには、その分の税収・増税が必要だ」という命題を前提にしているため、私のような「十分に大きな政府が望ましいが、少なくとも現時点において増税は望ましくない」という考え方の存在を、全く認めることができないということなのだと推測する。


しかし、政府が民間から経済資源を接収する方法が租税だけだという時代は、少し前に終わりを告げているのである。厳密に言うと、国家貨幣が生まれ、通貨が中央政府及びその系列(財務省と中央銀行)によって管理される制度(その極限は管理通貨制度)に徐々に移行していくにあたって、政府が民間から経済資源を徴発する方法として、徴税以外に通貨発行が追加されたのである。

このことについては、拙記事「金融・財政の基礎的理解」http://ameblo.jp/nakedcds/entry-12143226284.htmlに端的にまとめた。


実物面で見れば、政府の徴税(すなわち、民間からの経済資源徴発)は、政府が通貨を発行し、民間に渡して経済資源を購入した瞬間ですでに終了しているのである。
もちろん、政府が単に発行しただけの紙切れが、何の抵抗もなく民間に流通することはない。
そこで政府は、そうして発行した通貨・紙幣を、毎期少しずつ回収することにする。(金銭徴税)
そうすれば、民間全般にとって当該通貨への(最終)需要が確定し、そのことに基礎づけられて民間同士の高位の決済手段として国家貨幣が機能するようになる。

裏を返せば、租税は、民間における国家貨幣の最終需要を確定させるための措置に過ぎない。
そしてもちろん、通貨は民間内で流通するために作られたのであるから、全ての通貨を回収するわけにはいかない。
民間取引で需要される通貨が増えていくなら、むしろどんどん発行通貨-租税=純供給通貨は追加されなくてはならない=財政は恒常的に赤字でなければならない。


もちろん、通貨を発行しすぎることの問題(インフレ)はあるので、それを防ぐために事後的に租税(通貨回収)を増やすことは有効になるであろう。
しかし、その意味で現在の日本は、租税を増やすべき状況にある国とは到底言えないというのがMMT的な結論である。
2016/12/29(木) 19:44:24 | URL | 望月夜 #3DzPDrAs[ 編集]
> 望月夜さん

2016/12/29(木) 09:51:13 | URL | マシナリ
で書いた通り、「正直なところこれ以上望月夜さんの行為を容赦する必要性はあまり感じていません」ので、こちらからは特にコメントすることはないように思いますが、まあお互いがお互いの土俵に乗らずに自信の信奉する理論を強調することは現実問題にそれほど影響はないでしょうから、それはそれとしておけばよいのではないかと思います。

> wankonyankorickyさんのツイート引用と「預貯金退蔵が無駄」というフレーズの間に何の関連性も見られないのだが、これは私の読解力の不足が原因なのだろうか。

望月夜さんご自身の読解力に思いをはせる契機になれば、本エントリにもそれなりの役割があったかもしれないなあと多少の安堵感を感じました。

> JGP(Job Guarantee Program)というのは、最低賃金程度の雇用を無尽蔵に政府が供給することで、労働力の退蔵を防ぎつつ民間への労働力供給も阻害しない、などを目的とする政策のことである。

震災後のCFWについて拙ブログでも散々論じていますので、ご関心があれば検索してご笑覧ください。望月夜さんの読解力がそのエントリを理解するのに十分であることを祈るばかりですが。

> ケインジアンの枠組みで言うと、流動性選好とは、流動性に対する投機的所持需要の程度を指すのであり、流動性選好が高まれば金利(流動性を貸与する報酬)が上がり、弱まれば金利が下がるという構造を持っている。

松尾匡先生の主張はナイーブすぎて全体としてはあまり賛同できないのですが、ここの理論についてはきちんとした説明をされる方と認識しておりますので、松尾先生の

> しかし、流動性選好があれば、利子率の低下とともに貯蓄の一部を貨幣で持つ動きが生じて、十分な投資がおこってこず、総生産(所得)が低下して貯蓄が減ることで投資にあわせることになる。ケインズは、これを、総需要不足から非自発的失業が生じる原因とみなした。
> 流動性選好説
http://kisoken.org/webjiten/ryudouseisenkou.html

という説明には特に異論はありません。さて、「流動性選好が高まれば金利(流動性を貸与する報酬)が上がり、弱まれば金利が下がるという構造」がケインジアンの枠組みなのか、望月夜さんの読解力でぜひ読み解いていただければと思います。

> 将来所得減少予想が現在消費抑制、将来消費(≒貯蓄)促進をもたらすというメカニズムを語ることは不可能ではない

将来消費が貯蓄とニアリーイコールというのもケインズの理論からはかなり飛躍のある理解ではないかと思うところでして、貯蓄が将来消費されるのであればそれは時間的不整合の問題に還元されうるかもしれませんが、貯蓄がそれとして目的になってしまうことが不完全雇用の原因であるというのがケインズ理論のかなり重要なポイントとなっていると考えますので、ここも望月夜さんの読解力でぜひ読み解いていただければと思います。

> ケインズの『一般理論』では「人々が月を欲するために失業が発生する」と言われている。これは歴史的な時間の流れにおける不確実性の本質的な介在によって、価値保蔵手段としての貨幣に対する過大な需要[注釈 3]が発生し、これが不完全雇用をもたらすとするケインズの洞察を示すものとして知られている[注釈 4]。
> ケインズ経済学
> http://dictionnaire.sensagent.leparisien.fr/%E3%82%B1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BA%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%AD%A6/ja-ja/

> 政府負債の償還は、直接的な総需要の抑制や、マネーサプライ償還(信用収縮)による間接的な総需要の抑制を通じて、基本的にデフレを強化してしまうのであって、その意味で財政派一般は基本的に「政府債務を安易に償還すると、デフレを促進してしまうからダメだ」と主張している

「財政派一般」というのはどのような主張をされている方々なのか不明ではありますが、拙ブログでも、政府債務の償還と政府支出の比較において政府支出が大きく上回れば総需要が抑制されると指摘しておりますので、特に異論はありません。

> ちなみに、拙ブログを検索するようなお暇があれば、財政再建のために増税するべきと書いたことは一度もないことをご確認いただけると思います。
> 2016/12/11(日) 21:32:06 | URL | マシナリ

ついでに、私が増税を支持するのは政府の安定的な生活保障機能を担保するための財源とするためのものであって、インフレになったり景気が悪くなったりして増減するような公共サービスが生活保障機能を有するとは到底思えません。

> 社会保障は恒久的な安定財源があるからこそ再分配として機能します。ワンショットの税収上振れに一喜一憂しながら社会保障政策を実施するというのであれは、逆に税収が下振れすれば即座にその社会保障政策が実施されなくなることを意味します。そのような政策が再分配として生活の安定とか社会全体の限界消費性向の向上につながるのかは大いに疑問です(やらないよりはやったほうがいいでしょうけれども)。
> 2016/02/06(土) 15:59:23 | URL | マシナリ
> http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-671.html#comment1144

まあ望月夜さんは私の考えるところなど関心はないようですので、こちらから示していても詮無いことでしょうから、これ以上の説明は不要ですね。

> おそらく、マシナリさんは「政府が積極的な役割を講ずるには、その分の税収・増税が必要だ」という命題を前提にしているため、私のような「十分に大きな政府が望ましいが、少なくとも現時点において増税は望ましくない」という考え方の存在を、全く認めることができないということなのだと推測する。

私がこれまで論じてきたことを全くトレースできていない。
おっと、これは望月夜さんの言葉をパクってしまいましたね。申し訳ございません。

繰り返しで恐縮ですが、
> 望月夜さんに当初から「現代社会にあって従来の家族機能を社会化するために必要な公共政策の「具体的実務的形態」」についてのご見解を伺っているものの、それについてのご回答はいただいていない状態です。
> 2016/12/29(木) 09:51:13 | URL | マシナリ

望月夜さんは「俺の理論を理解しない奴には何度でも同じことを繰り返して説明してやる」というような傲慢な方ではないとお見受けして、なんとか議論を理解できればとそれなりに関連エントリなどを参照しながら、議論が共有できないと思いつつコメントしてまいりましたが、まあ私の見る目がなかったということなのでしょうから、改めて「望月夜さんの行為を容赦する必要性」は全く感じません。続きはご自身のブログやTwitterで存分に展開していただき、賛同者の増加に邁進されることをご祈念申し上げます。
2016/12/30(金) 03:25:13 | URL | マシナリ #-[ 編集]
> hahnela03さん

レスが前後してしまい申し訳ございません。

> 通貨発行益を参入するためにはネオリベが要求する「公会計の複式簿記化」は大前提ですし、それとてコストが掛かるはずですが、無い事になっている。
>  ベーシックインカムとてコストが掛からないために、公的セクター解体で直接個人に配布するという、「小さな政府」になるのは何時もの通りです。

目の前のコストをかけまいとして新たなコストをかけてしまうというのはよくあることですが、制度の運用など目もくれない理論的な学者の方々にかかれば、新たなコストなんて考慮する必要もないのかもしれません。

話は変わりますが、hahnela03さんのブログの最近のエントリが震災後の自治体労働について深く切り込んでいらっしゃいましたので、取り上げようと思いつつ年を越してしまいそうです。改めて取り上げたいと思いますので、少々お時間をいただければと思います。よいお年をお迎えください。
2016/12/30(金) 03:31:11 | URL | マシナリ #-[ 編集]
>流動性選好

松尾先生の説明も、私の説明も、基本的にはケインズの金利に関する説明「金利とは、貨幣を貸し出すことに対する報酬である」から統一的に理解できる。

貨幣を差し出すことに対して報酬が発生するのは、流動性に選好があるからである。

『ある一定の流動性選好』があるとき、利子率が下がれば(差し出し報酬が下がったということなので)貨幣を投資に差し出す意欲は低下することになる。

また、『流動性選好が高まれば』ある通貨供給量に対する金利には上昇圧力がかかるだろう。(なぜならば、「金利は流動性を差し出すことによって発生する報酬」なのであり。「流動性選好が強まるほど、流動性提出において要求する報酬は大きくなる」からである)

「金利は、貨幣を差し出すことに対する報酬であり、その報酬の要求程度は、流動性選好の強さに依存する」

これが理解できれば、私の「流動性選好」の扱いが、松尾先生とも何も矛盾することはないことがわかるだろう。


>将来消費が貯蓄とニアリーイコールというのもケインズの理論からはかなり飛躍のある理解ではないかと思うところ


これには、PK系の私としては同意しなくもないポイントなのだが、そもそも、あなたの記述を無理やり理屈にしてみようと試みた結果なので、その責任転嫁をされても困るというのが正直なところである。

もし当該説明を受け入れないのなら、「貯蓄や投資が増えると流動性選好が高まり、その結果として消費が抑制され、消費が抑制されると経済が縮小し…というデフレ・スパイラル」がどういう枠組みのものか、本当に理解不能となってしまう。

お手数かけて申し訳ないが、どんなモデルに依拠しているのかいまいちわからないこの記述を、今一度論じなおしてみてはいただけないだろうか。(私側でいろいろと想像してみたものが、これまでのコメントなのだが、どうもマシナリさんの思うところとは違うようなので)


>ついでに、私が増税を支持するのは政府の安定的な生活保障機能を担保するための財源とするためのものであって、インフレになったり景気が悪くなったりして増減するような公共サービスが生活保障機能を有するとは到底思えません。


果たして私が、「景気の変動に対して公共サービスを増減すべきだ」と主張したことがあっただろうか?
決してそんなことはない。
私は、必要な公共サービスがあるとして(量出)、それに対する資源調達手段はマクロ経済状況に合わせるべきだ(制入)と繰り返し論じてきたのである。それは通貨発行の場合もあるし、租税の場合もある、というだけである。ここが致命的に噛み合っていないポイントなのではないかと。
2016/12/30(金) 13:49:08 | URL | 望月夜 #3DzPDrAs[ 編集]
加えて、

>政府債務の償還と政府支出の比較において政府支出が大きく上回れば総需要が抑制される

というのもよくわからない。
政府債務の(純粋な)償還は、その分だけ財政黒字の拡大(あるいは財政赤字の縮小)をもたらすのであり、総需要縮小的であることは言わずもがなとして
政府支出は、基本的に拡大すれば総需要を拡大し、縮小すれば総需要を縮小するだろう。

まずもって、政府負債償還と政府支出を比較するという行為それ自体の意味がいまいちつかめないし、債務償還<政府支出なら総需要が「減退」するというのも妙だ。(政府支出が単に大きいというだけなら、総需要は「拡大」するからだ)
2016/12/30(金) 13:58:30 | URL | 望月夜 #3DzPDrAs[ 編集]
したがって、現状の再分配を拡充するためには、各個人の(定義により投資と同値の)貯蓄を拡大しなければならないはずですが、それはとりもなおさず流動性選好が強くなっている状態であり、すなわち再分配を拡充するためにはデフレであることが必要ということになります。つまり、Savingが定義によりInvstigationと同値であり、Saving=Income-Consumptionである経済学の世界では、Savingを拡大することによってしか国債を財源とする再分配が実現できなくなります。





諸悪の根源は、当記事のこの記述だろうか。

どうも、貯蓄と投資、総需要に関する根強い混乱があるようなので、ここを整理しておこう。

話を簡単にするため、極めて単純なケインズモデルで話を進めていこう。

現実の総需要をY、生産が最大化する総需要(完全雇用時総需要)をY’としよう。

極めて単純なモデルとして、Y=C+Iとし、また限界消費性向をcとするとC=cYとなる。

ここではS=Y-C=(1-c)Y=Iである。

この関係は、貯蓄→投資の一方向の関係で成り立つものではない。
貯蓄↔投資の相互制約で成り立つ関係である。
人々は、貯蓄分しか投資できない一方で、投資分しか貯蓄できないという制約も抱えている。
投資→貯蓄の波及経路はどう用意されるか。
投資減→所得減→貯蓄減という経路で調整されるのである。(裏に、投資増→所得増→貯蓄増という経路もある)
こうした投資と貯蓄の(所得を介した)相互的関係の記述が、ケインズ一般理論の特筆すべき理論的貢献である。(himaginaryさんのこの記事を参考 http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20120818/keynesian_economics_and_theory_of_relativity

さて、投資→貯蓄の制約関係を理解すると、所謂『総需要不足』の構造が見えてくる。

完全雇用時総需要をY'としたことにより、そのときに実現する消費水準と貯蓄水準は(限界消費性向cにより)決定していることがわかる。

完全雇用時貯蓄S'=Y'-cY'=(1-c)Y'

しかし、ここで現実の投資IがS'>Iとなってしまったらどうなるだろう?

投資→貯蓄の制約関係に従い、投資減→所得減→貯蓄減の経路から、投資と貯蓄がバランスすることになる。このとき実現する所得がYであり、実現する貯蓄が(1-c)Yということになる。

マクロ経済学や不況論で「貯蓄過剰(投資不足)」というとき、実は実際の貯蓄が過剰になっているわけではない。完全雇用時貯蓄よりも、現実の投資が小さいということを指しているのである。(当然のことだが、現実の貯蓄は現実の投資と一致している)


現実貯蓄<完全雇用時貯蓄となっている経済では、何が有効だろうか?

一つ有効なのは、投資を増やすことである。投資が(完全雇用時貯蓄より)過少であることが問題なのだから、民間投資にせよ国債発行にせよ、投資することで完全雇用に近づける。(この際、投資と貯蓄((1-c)Y、所得Y、消費cYが全てパラレルに増えることになる)

他にも、貯蓄手段を(国債発行による信用創造などで)直接供給して、貯蓄需要を満たすという方法もある。
何らかの原因で銀行預金などの貯蓄手段への需要が過剰に高まっている状態なら、素直な解決策は、貯蓄手段を追加供給することだからだ。このことによって貯蓄需要が満たされると、それまで貯蓄されていた流動性が支出に回されるようになる。
2016/12/30(金) 14:26:05 | URL | 望月夜 #3DzPDrAs[ 編集]
> 望月夜さん

年末の貴重なお時間でコメントいただき恐縮ですが、拙ブログで望月夜さんのご議論をご披露される必要性はないと考えていることはこれまでの私のコメントで何度も繰り返しているところです。今回いただいたコメントも私からの議論を共有するための質問には一切お答えいただいていませんので、それぞれの議論のどちらに賛同するかは拙ブログをご笑覧いただいた方が各自判断されるほかないと考えております。今後ともいただいたコメントは一応表示しますが、私からは特にコメントいたしませんのでご了承ください。
2016/12/30(金) 17:12:12 | URL | マシナリ #-[ 編集]
私も、もともとあなたへの説得と言うよりは、このブログの読者の適切な理解のために議論をしてきたので、コメントを掲載していただけるだけで大変ありがたい。

ご厚意に甘えて、付け加え(というより再説)をする。


マシナリさんの論理の根本的な誤謬は、「ある分だけ投資が増えるとき、その分の貯蓄を確保するために消費が減らなければならない」という思い込みにあることがわかった。

これは、所謂「貸付資金説」と呼ばれているものに近い。
そして、よく知られているように、ケインズの一般理論は、この貸付資金説を根本的に論破したことに価値のある著作である。


貸付資金説の誤謬については、クルーグマンが「ケインズ氏と現代人」という論考http://econ101.jp/%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%80%8C%E3%82%B1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BA%E6%B0%8F%E3%81%A8%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E4%BA%BA%E3%80%8D/において、厳しく批判している。

これは既に論じたように、投資と貯蓄には、投資増→所得増→貯蓄増という経路があって、「投資を増やすには、その分だけ消費が減らなくてはならない」という命題は、根本的に成立しない(乃至、その命題は、前提として『所得が変動しない』という非現実的な代物を置いている)というものである。


クルーグマンの場合は、このことを以て、「国債発行が少しでも増えれば、すぐさま金利が上昇する」という誤謬を批判している。クルーグマンによると、そういった誤謬は、国債増発以前の所与の貯蓄が(消費を減らさない限りは)必ず一定である、という誤った仮定を置いたがゆえに得られる誤った結論なのである。
2016/12/31(土) 08:15:03 | URL | 望月夜 #3DzPDrAs[ 編集]
前回コメントで、

> 今後ともいただいたコメントは一応表示しますが、私からは特にコメントいたしませんのでご了承ください。
> 2016/12/30(金) 17:12:12 | URL | マシナリ


書いたものの、望月夜さんと私の議論が全く共有できない理由については記録しておいたほうがよさそうですね。

まずは繰り返しになりますが、

>> 望月夜さんのコメントを拝見するにつけ、
>
>> 「経済学的な正しさ」というのは「ある考え方に基づいたときの推論」程度に考えるのが吉といえそうです
>>
>> 「折衷主義は、むしろ強み(2016年10月30日 (日))」
>> http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-707.html


という思いを強くするのですが、そのエントリで引用したハジュン・チャン氏の言葉を借りれば、

> 万事を解析できるかのような理論に引き付けられるのは人情
> ハジュン・チャン著/酒井 泰介訳『ケンブリッジ式 経済学ユーザーズガイド』p.130
> http://store.toyokeizai.net/books/9784492314609/

ですから、MMTで国債発行の「具体的実務的形態」を解明した(まあ実務を多少なり知っていれば既知だと思うのですが)ことをもって、その理屈ですべての問題は解決できるということであれば、誠に慶賀すべきことなのでしょうけれども、私にはコメントでいくつか指摘している懸念が払拭できるとは到底思われないため、何度も望月夜さんにお伺いしているものの、一切見解を示していただいていない状態です。

また、私は望月夜さんが示されたエントリなどはできるだけ参照しながら、「全くトレースできていない」などとお叱りを受けながらも議論を共有しようとしておりますが、望月夜さんが私の示したエントリをご覧になった形跡はありませんし、再分配などの公共政策について思うところを述べている拙ブログにコメントされていながら、望月夜さんには私の公共政策についての懸念を共有しようとする意識はこれまでのところ感じられません。

というところがこれまでの繰り返しでして、このように議論の共有を難しくしている要因は2点ほどあると考えておりますが、長くなりますので改めてエントリにしておきました。
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-714.html
2016/12/31(土) 23:06:59 | URL | マシナリ #-[ 編集]
あいにく、私は広い視野など持ち合わせておりませんし、公務員の実務的な知識は当然のことながらマシナリさんが現実に根ざした広い視野をお持ちであるはずです。たまたま、マシナリさんがご存じないお金の仕組みについて私が知っていた、ただそれだけのことです。

信用創造そのものについてご認識があるとのことですので、是非更にご理解を深めて頂いて、「個人資産があるから国債を購入することができるという誤解」を解いて頂ければと思います。他の方がされてる指摘・解説もあまり敬遠なさらず目を通されることをおすすめします。それでここで何か反応をしなければならないというわけではありませんし。

失礼ながら、チャン氏の言葉を人にぶつけてる場合ではないと思いますよ。財源論においてマシナリ学派はお金の仕組みという現実に根ざしていないため、チャン氏から警告を受けてしまうような状況なのですから。
2017/01/06(金) 17:43:35 | URL | asd #-[ 編集]
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