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2016年10月17日 (月) | Edit |
長谷川豊氏の暴言については、すでにいろいろなところで指摘され尽くしていますし、本人も仕事を失うなどしてそれなりに社会的制裁を受けているようですが、かといって、この行為を長谷川氏の個人的な資質に限定する論調には疑問を感じるところです。

というのも、社会保障費が増大する中での財政的な措置については散々批判的だった方々までもが、長谷川氏の煽動的な物言いに反応して「弱者切り捨てだ」とか「財源問題に還元する緊縮主義者め」などと吹き上がっているのを拝見すると、「どの口でそれを言うか」といいたくもなるわけです。

以前から気になっていたことですが、拙ブログでも「経済学的に正しい」ことの無意味さを指摘してきたところではあるものの、最近になってこの言葉をしたり顔でおっしゃる方々にも、「経済学的に正しい」ことへ盲信されている方が散見されますね。ネオリベ、リベサヨを批判するその口で、「経済学的に正しい」ことを根拠として「消費税率引き上げを支持するなんて売国奴の財務省マインドめ!」という批判を飽きもせずに繰り返していますし、拙ブログでも、消費増税引き上げが「経済学的に正しくない」として実施できないために、それを財源とする再分配政策が貧弱なままであることを指摘すると、「再分配だけに財源問題を求める緊縮脳のデフレ派め」と罵倒されるところです。いやまあ「経済学的に正しい」という言葉を使うかどうかは別として、「経済学的に正しい」かどうかで二分するような議論を拝見していると、権丈先生のこの言葉の重みを改めて感じます。

そして口にするのも憚られることなのであるが、かつて世界を東西の真っ二つに分けて、今につづく人類同士のいがみ合いの思想的基盤を与えたのも、やはり経済学だったのである。

勿凝学問20 ノーベル経済学賞と学問としての経済学、そしてノーベルが思いを込めた平和賞(2004年10月26日脱稿)(Kenjoh Seminar Home Page)


話を長谷川氏の暴言に戻せば、社会保障関連の財政的な措置のための消費税率引き上げが「経済学的に正しくない」というのならば、財政的な措置をしなくてすむように医療費を削減するための「経済学的に正しい」処方箋は、治療に高額の医療費を要するような疾病に罹患した患者には治療しないことですので、消費税率引き上げに反対する方が長谷川氏の暴言を批判するのは筋が通らなさそうです。もしかすると医療費を削減するのではなく、国債の日銀引受で無税国家で社会保障拡充で「経済学的に正しい」ということかもしれませんが、まあ結局「経済学的に正しい」ことが正義であることには変わりないということなのでしょう。

長谷川氏の件は別としても、


なるほど、政府の緊縮志向を国民が理解しているから人々は政府支出に恒久性を信じないという理屈のようですが、政府支出の動向を逐一チェックして政府支出の恒久性を検証しながら自分の行動を決定するような「代表的個人」なる御仁は、この世の中にどれだけいるのでしょうかね。もちろん、代表的個人なんて経済学の理論を構築するうえでの仮定でしかないのですが、まさか「経済学の理論の通りにならない現実の方がおかしい」とまでは言わないにしても、「経済学的に正しい」ことに疑念を挟まない方々は、「経済学の理論の通りにやれば解決できる問題を、利権に絡め取られた政治家と既得権益に固執する財務省を筆頭とする官僚が間違った政策ばかりやるからうまくいかない」とおっしゃる傾向があるように見受けます。

まあ、「利権に絡め取られた政治家」とか「既得権益に固執する財務省を筆頭とする官僚」という「仮定」が正しいかどうかは疑問なしとしませんが、もしそれが「現実」だと考えるのであれば、その「現実」を「仮定」した理論を構築する方がよっぽど「現実的な」理論になるでしょうし、そもそもその「仮定」を所与のものとすることの妥当性にも考慮が必要でしょう。

そして、ここもクルーグマンは慎重に筆を運んでいますが、一般的な経済理論では賃金格差を是正することは需要と供給を歪ませて失敗するとしながらも、実際にはそうではなかったと強調しているわけです。

これは大変重要な指摘でして、一般的な経済理論に合わせるのではなく、その経済理論の前提となる制度や慣行を変えることによって望ましい結果をもたらすことの方が、一般的な経済理論に振り回される政策談義よりはるかに社会的に有意義だろうと思うところでして、「要は、失業しても死なずにすむ社会にすればいいってことですよ。そう考えるほうが、結果的により多くの命を救えるのではありませんか」というまっつぁんの言葉には改めて深く頷くところですね。

クルーグマンの変節(2014年11月24日 (月))


「消費税率引き上げは経済学的には緊縮財政である」というのも、消費税率引き上げによる税収増を政府支出に充てないことを「仮定」した議論(増収分を政府支出に充てるか公債費の償還に充てるかはファンジビリティの問題により財政上明確に区分することは不可能ですが)でして、その「仮定」について見方を変えてみることも必要ではないかと。


「緊縮財政」という言葉は、それを用いて議論する方によってさまざまな意味を持たされていますが、マクロ経済学的には「財政支出の削減」と「増税」はどちらも「緊縮財政」であるというのが「正しい」のでしょう。では「緊縮ではない財政」とは何かを考えると、「経済学的に正しい」という議論の「仮定」の貧弱さがよくわかります。まあおそらく最大公約数として「対前年度比で政府支出の額が増えること」が「緊縮ではない財政」を指すように思いますが、次のような項目はどのように整理されるのでしょうか。
  • その「政府支出」は名目か。またその支出先の所得効果はどのように評価するか。
  • その「政府支出」には特別会計、特に支払履歴に給付権が貼り付いた社会保険も含むか。
  • その「政府支出」は補正予算を含むか。
  • その「額が増える」場合には対GDP比率の上昇も含むか。
  • その「額が増える」場合には税収が減る場合を含むか。
  • その「額が増える」場合には、税収を超過した「政府支出」を含むか。
といった辺りは、特にどマクロな議論ではあまり意識されていないようですね。

でまあ、上記で並べたうちの最後の点を「政府支出の額が増える」場合に含むとすれば、毎年30兆円を超える国債を発行して政府支出の財源を確保している日本は、他のどの国よりも「緊縮ではない財政」であるということができます。平成28年度の一般会計(当初)でいえば、たったの58兆円程度の税収でもって、73兆円の政府支出だけでなく23兆円を超える公債費を計上して、34兆円を超える新規国債を発行しているわけですから、世界一の大盤振る舞いともいっても良さそうなものです。

いやもちろん、私もOECDの統計で30か国中下から10番目(2014年)の日本が「緊縮ではない財政」というつもりはありませんが、税収に対する政府支出でいえば、他の国に比べてかなり「無理」をしていることは明らかだろうと思います。そして、不況下にあって短期的に「無理」をして財政を支えるというならまだしも、「リフレ派の隠れ蓑も取っ払った増税忌避な方々は「国債の日銀引受でオールオッケー」という誠にシンプルなディシプリンで無税国家への道をひた走って」いる様子を拝見すると、この国の増税忌避の根強さを痛感します。それはおそらく、戦前から連綿と続く(政治家や役人の総体として)の政府不信企業を通じた所得保障裏打ちされていますので、そうした意識を変えることは難しいと思いますが、その「無理」が現在の再分配政策の行き詰まりをもたらし、将来の経済成長の果実を過去の債務償還に食い尽くされることがないことを祈るばかりです。
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コメント
この記事へのコメント
本エントリにmotidukinoyoruさんが連ツイされていらっしゃって、私も頑張って通読しましたので、コメントとして記録させていただきます。


(以下連ツイ)

望月夜 ‏@motidukinoyoru 10月29日
https://twitter.com/motidukinoyoru/status/792191297356304384

緊縮ではない財政 http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-705.html

「将来の経済成長の果実を過去の債務償還に食い尽くされる」

とのことなのだが、この表現はあらゆる所で散見されるにも関わらず、その具体的実務的形態が論じられたことがほとんどない。


望月夜 ‏@motidukinoyoru 10月29日
https://twitter.com/motidukinoyoru/status/792192164876779520

内生的貨幣供給という現行システムでは、負債発行というのは金融資産創造並びに通貨創造であり、債務返済というのは金融資産消滅並びに通貨消滅なのであるが、現代において負債の「過」発行が起きたとして、将来それが「経済成長によって償還される」というのは正直理解しかねるところ。


望月夜 ‏@motidukinoyoru 10月29日
https://twitter.com/motidukinoyoru/status/792193023123656704

もし負債の過剰発行が生じたなら、それがもたらすのは「今この瞬間のインフレ」である。
ただし、補足すると、「現在の負債過剰発行を必ず将来の償還によって解消する」と約束した場合は、インフレは起こらない。これはアンコリさんが「日本でインフレが起こらない理由」として利用しているもの。


望月夜 ‏@motidukinoyoru 10月29日
https://twitter.com/motidukinoyoru/status/792193817155739648

重要なのは、「将来に負債を償還する≒通貨を減らす」という行為は、「将来に負債を償還すると決める」ことによって生じるのであって、何かしら構造的必然として償還しなければならないというわけではない。もし償還しなければならないとしたら、それは何かしらの「後付けルール」に基づくものである。


望月夜 ‏@motidukinoyoru 10月29日
https://twitter.com/motidukinoyoru/status/792194559010680832

ここで完全なる貨幣中立説を採用した場合、負債並びに通貨を過剰発行しようがしまいが、将来的に負債・通貨を償還しようがしまいが、生産量にはほとんど何の影響もないから、負債の将来償還が経済成長を食い潰すとかいうことも当然起きたりはしない。
将来償還の問題は別のところにある。


望月夜 ‏@motidukinoyoru 10月29日
https://twitter.com/motidukinoyoru/status/792196266285408259

himagimary氏の紹介記事がわかりやすい。http://d.hatena.ne.jp/himaginary/touch/20120111/debt_is_too_a_burden_on_our_children_unless_you_believe_in_ricardian_equivalence
ここでは、政府が意図的に債務を償還し、貯蓄手段を奪うことによって、前期に貯蓄していた元現役世代の貯蓄を奪い、元現役世代の消費水準を低下させることになる。こうした世代間不平等が問題だ。


望月夜 ‏@motidukinoyoru 10月29日
https://twitter.com/motidukinoyoru/status/792197184351416320

もう少しわかりやすく話すと、政府から貯蓄手段として政府負債(国債や通貨)を提供されている経済で、まず引退世代引退世代が政府負債を持っており、それを現役世代に支払って消費財を得る。現役世代は貯蓄のため政府負債をストックする動機があり、その分だけ引退世代が余剰消費財の恩恵に預かれる。


望月夜 ‏@motidukinoyoru 10月29日
https://twitter.com/motidukinoyoru/status/792197943893766145

理想としては、当該現役世代が引退した後、保有する政府負債を新現役世代に支払うことにより、将来時点で消費財を得て、渡された政府負債が新現役世代の貯蓄になり、、、というサイクルが続いていくことが望ましい。
しかしここで(何故か)政府が負債を回収すると問題が生じる。


望月夜 ‏@motidukinoyoru 10月29日
https://twitter.com/motidukinoyoru/status/792198534028111872

元現役世代は、将来消費を確保するために前期で消費を控えて政府負債を貯蓄していたのに、政府負債が取り上げられると、新現役世代への支払い手段を失い、将来消費が不可能になる。こうして、元現役世代は現在消費も将来消費も失う。

全体の生産・消費水準は現在、将来ともに不変であることに注意。


望月夜 ‏@motidukinoyoru 10月29日
https://twitter.com/motidukinoyoru/status/792205031818661888

現役世代(元現役世代)の消費が奪われ、現在の引退世代と将来の新現役世代に移転されてしまう、という不平等が問題の本質だ。(だから、将来の成長が潰されたりしない)

外野から理論構造を見て思うのは、「そもそも政府負債を償還(≒収奪)しなければよいのではないか」という素朴な疑問である。


望月夜 ‏@motidukinoyoru 10月29日
https://twitter.com/motidukinoyoru/status/792206128650129409

政府負債を償還しなければならないという理由は根本的に後付けである。それでも償還すべき妥当な理由は、将来的に金融資産が過剰になる場合だけだ。そのとき起こるのはインフレである。
大きすぎるインフレは確かに各種コストをもたらすので避けたいが、そもそもインフレが起こるという予測は妥当か?


望月夜 ‏@motidukinoyoru 10月29日
https://twitter.com/motidukinoyoru/status/792207292091338752

大体、「将来的な政府負債の償還をすべき理由として妥当なのは『インフレ回避』しかない」ということ自体、(ごく一部の財政学者らを除いて)ほとんど認識されていないのでは。

また、将来的に政府負債(や通貨)が過大になるという判断の根拠には人口動態変化があるが、これも怪しいものがある


望月夜 ‏@motidukinoyoru 10月29日
https://twitter.com/motidukinoyoru/status/792207921421520896

というのは、クルーグマンの指摘する通りhttp://cruel.org/krugman/japtrapj.html …、少子高齢化のような人口動態は、貯蓄手段過大というよりも、むしろ貯蓄手段過小(による不況)をもたらし得るからだ。彼の議論に則れば、少子高齢化が進む日本でむしろデフレ傾向が進むことは自然である。


望月夜 ‏@motidukinoyoru 10月29日
https://twitter.com/motidukinoyoru/status/792208211474427905

そうした貯蓄手段過小(による不況)に対するクルーグマンの提案も当然ながら、貯蓄手段(通貨)の恒久的な追加だ。(決して将来償還ではなく、むしろ逆である)


望月夜 ‏@motidukinoyoru 10月29日
https://twitter.com/motidukinoyoru/status/792209237908742144

一応補足として、クルーグマンが通貨の恒久的追加を提案する背景としては、通貨の経済に対する非中立性(ケインジアン的想定)の仮定があるということは述べておく。通貨が完全に経済中立的なら、当然クルーグマン式流動性の罠でも生産に影響はない。その「影響無力化の構造」は極めて奇妙で面白いが。


望月夜 ‏@motidukinoyoru 10月29日
https://twitter.com/motidukinoyoru/status/792230877430296576

わかりやすい例えとして、農家と演奏家を考えてみよう。農業生産が極めて非効率な状況なら、演奏家も農業に従事しなければ糊口を凌げまい。しかし、農業生産が効率化したら、演奏家は芸能を披露し、農家からおひねりをもらうことで生活できる。これは定義的には生産(付加価値)の増大となっている。


望月夜 ‏@motidukinoyoru 10月29日
https://twitter.com/motidukinoyoru/status/792231526234599424

もちろん、演奏家の演奏は物質的には何も産み出していないから、虚業であり、農家に寄生していると言ってみても全くの間違いとは言えない。しかし、農家がその演奏を楽しむ限りにおいて、一体何の問題があるのだろう? 演奏家が「虚業」によって生活を送ることの何が悪いというのだ。


望月夜 ‏@motidukinoyoru 10月29日
https://twitter.com/motidukinoyoru/status/792232546520092672

仮に衣(医)食住を基礎であると仮定して、それに(間接的にも)関わらない産業を仮に「虚業」とし、「虚業」が非物質的生産によって、衣食住のような物質的生産財をいくらか分配されるという関係にあったとしよう。
そのような寄生関係は、所謂精神的豊かさとか、文化的豊かさではないだろうか


望月夜 ‏@motidukinoyoru 10月29日
https://twitter.com/motidukinoyoru/status/792233185828478976

そしてそれは、経済生産拡大、経済成長として発現することになる。(GDPがそういった経済成長を十全に表現できる指標かどうかはさておくとして)

文化的精神的豊かさの生産者とて、霞を食って生きるわけにはいかないのだから、それらが経済というシステムの中で生産されるのは妥当であろう。


望月夜 ‏@motidukinoyoru 10月29日
https://twitter.com/motidukinoyoru/status/792234506577072128

NBAプレーヤーやプロボクサーの「経済生産」は、実のところ基本的には物質的な豊かさをもたらすものではないが、それでもなお社会経済は、彼らに贅沢の権利を与えている。そしてそれは「経済生産拡大」として描写される。
それ自体はおかしいことでもなんでもない。


望月夜 ‏@motidukinoyoru 10月29日
https://twitter.com/motidukinoyoru/status/792235005841768448

仮に通貨流通を促し、「経済成長」を達成するとき、少なからず先述のような虚業が生まれてくるだろう。それが生存に必要な基礎的な財(衣食住など)の需要を過度に逼迫するようなら当然問題だが、そうでないなら、虚業は隆盛すべきだし、そうした形で雇用は創出されるべきである。


望月夜 ‏@motidukinoyoru 10月29日
https://twitter.com/motidukinoyoru/status/792236121027518464

逆に、通貨流通の過小によって経済が縮小するとき、真っ先に淘汰されるのは「虚業」の範囲であろう。
「成果が未確定な基礎研究」もその範囲に入るかもしれない。
マクロ経済の不調が最初にもたらしがちなのは、そうした文化的豊かさの破綻である。大学などは特にその影響を強く受けている。


望月夜 ‏@motidukinoyoru 10月29日
https://twitter.com/motidukinoyoru/status/792236884835438592

生存用財の逼迫がない(むしろその逆に余裕がある)にも関わらず、「虚業」への分配を奪う(奪わざるを得なくなる)ような緊縮的な経済政策がもたらすのは、文化的精神的な豊かさから最も遠ざかり、最低限の衣食住に集中するような貧しい経済である。所謂「デフレの優等生」企業はまさにそうだった。


望月夜 ‏@motidukinoyoru 10月29日
https://twitter.com/motidukinoyoru/status/792237777064562689

生産拡大や経済成長を希求する考えは、物質的な豊かさを渇望する貧しさとは全く正反対で、むしろ文化的精神的な豊かさを実現する最も妥当な思想である。
「虚業」による経済成長こそ、大いに望むところなのである。(もちろん、物質的にも成長するに越したことはないのではあるが)


望月夜 ‏@motidukinoyoru 10月29日
https://twitter.com/motidukinoyoru/status/792243175821672448

前述では、虚業と生存用財生産の関係のみを記述したが、当然のことながら、虚業同士の交換もあり得るだろう。音楽を聞かせる代わりに劇を見せてもらう(ライブで得た収入で映画を見る)というような経済活動は十分あり得るし、現実に起こっていることだ。それも当然ながら経済生産であり成長である。


望月夜さんがリツイート
まりんらいなー ‏@malineliner 2014年6月15日
https://twitter.com/malineliner/status/478120723060240384

日本”だけ”で据え置きゲーム機がここまで衰退したのは、国内メーカーの開発力衰退も勿論だけど、それ以上に「家庭あるいは自室でモニターの前に座ることが出来る時間や環境」が日本で大幅に失われてしまった背景も少なからずあるんだよね。なぜか日本のゲーム系メディアはこのことに触れないけど。


望月夜さんがリツイート
おりた ‏@toronei 10月28日
https://twitter.com/toronei/status/791793934506659840

おりたさんがまりんらいなーをリツイートしました

テレビ、据え置きゲーム、プロ野球、お酒、この10年から20年ぐらいで国内市場が一気に縮小したと言われてるものたち、夕方や夜に大人が自由に使える時間がなくなったことに由来しているものばかりよな。

おりたさんが追加
まりんらいなー @malineliner
日本”だけ”で据え置きゲーム機がここまで衰退したのは、国内メーカーの開発力衰退も勿論だけど、それ以上に「家庭あるいは自室でモニターの前に座ることが出来る時間や環境」が日本で大幅に失われてしまった背景も少なからずあるんだよね。なぜか日本のゲーム系メディアはこのことに触れな…


望月夜 ‏@motidukinoyoru 10月29日
https://twitter.com/motidukinoyoru/status/792249870031523840

望月夜さんが望月夜をリツイートしました

>RT
まさに、さっきの連ツイhttps://twitter.com/motidukinoyoru/status/792230098233544704 …と関連してくる話。
不況は(物質的な財よりも)文化的な財の生産や消費を抑制していくという典型例。

ちなみに余暇の減少は、雇用縮小→所得低下を通じた(負の)所得効果と労働者の地位悪化の双方が絡む。

望月夜さんが追加
望月夜 @motidukinoyoru
脱成長という言葉が「物質的な豊かさからの解放」的な文脈で語られることには極めて強い違和感がある。
というのも、最近の経済生産のうち、物質的な豊かさと呼べるもののウェイトはどんどん小さくなり、娯楽やサービスのような、どちらかというと…


望月夜 ‏@motidukinoyoru 10月29日
https://twitter.com/motidukinoyoru/status/792250326543773696

雇用縮小による労働者の地位悪化が長時間労働をもたらすというのは当たり前の退屈な議論だから省略するとして、余暇の所得効果というのは「単位時間あたり所得が増える→ある程度の所得が得られたらあとは休みたくなるので余暇が増える」というもので、所得が減ったら当然逆のことが起こる。


望月夜 ‏@motidukinoyoru 10月29日
https://twitter.com/motidukinoyoru/status/792252579421966336

よくよく考えたら、頑張って連ツイしてもmachinery先生が通読してくれるわけではないので、徒労に終わる可能性が結構ある。

(連ツイここまで(と思われます))

なお、motidukinoyoruさんの連ツイの後半は本エントリの内容にない「虚業」の是非に及んでいますし、主張される内容についても、
「増税忌避によって小さな政府を目指す方向性へ着実に歩を進めているのがこの国の現状であるにもかかわらず、その財源を確保するためであろうが何だろうが増税だけはまかり成らんという強固な信念に支えられた方々」
「経済学的思考の成果(2016年06月21日 (火))」
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-692.html

のお一人なのだろうかという印象ですね。

ついでに、motidukinoyoruさんのブログエントリに対して「通りすがり」さんが質問されている内容は大変興味深いのでご参考まで。
「大学の経済学講義で見る「財政学」の罪
(批判的頭脳 2016-03-14 18:13:03)」
http://ameblo.jp/nakedcds/entry-12139151924.html
2016/11/06(日) 21:45:18 | URL | マシナリ #-[ 編集]
コメントを取り上げていただき光栄である。

一つ反論させていただきたい。

「増税忌避によって小さな政府を目指す方向性へ着実に歩を進めているのがこの国の現状」

というのは、私の中ではいまいちしっくりこない。

なぜなら、この国は着実に増税(消費増税はもちろんのこと、社会保険料の段階的な引き上げ)を実現し、なおかつ給付を絞る方向にすでに進んでいるからである。

大きな政府が実現するとして、それが増税というプロセスで確実に得られるとは思えない。

もし均衡財政を守らなければならないという何らかの必然がある場合は、確かに税の規模と政府の規模は不可避的に一致する必要がある。

しかし、現実にはそうではない。したがって、増税したから大きな政府が実現するわけではないし、実は減税しても小さな政府が実現するとは限らない。

後者の例としては、ブッシュ減税を挙げることが出来る。

http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20100502/paul_samuelson_on_deficit_myths

この記事の後半、バートレットのコメントを読んでいただきたいが、彼は「ブッシュ減税による政府の飢餓が、小さな政府を実現するはずだ」と信じていたにも関わらず、現実には共和党から『均衡財政の神話』が剥落し、莫大な財政赤字が出現するという形で裏切られた旨を表明している。
2016/11/10(木) 16:28:19 | URL | 望月夜 #-[ 編集]
> 望月夜さん

コメントありがとうございます。
「一つ反論させていただきたい」とのことですが、大変恐縮ながら、私の読解力ではどの辺が「反論」なのかよくわかりませんでした。

> もし均衡財政を守らなければならないという何らかの必然がある場合は、確かに税の規模と政府の規模は不可避的に一致する必要がある。
>
> しかし、現実にはそうではない。したがって、増税したから大きな政府が実現するわけではないし、実は減税しても小さな政府が実現するとは限らない。

「増税しても小さな政府が実現するとは限らない」ということですので、増税によって大きな政府が実現する可能性も否定されていないと理解してしまうのですが、となると結局、「適正な財政規模」なり「適切な財政支出先」はどのように決定されるのかという政策決定の問題に帰着することになるわけでして、それが望月夜さんのご指摘の趣旨であれば、私も特に異論はありません。

なお、上記で引用させていただいた部分の前段で指摘される通り、税の規模と政府の規模が不可避的に一致する必要がないからこそ、税収以上の政府支出を数十年にわたって継続している現状があって、それが「過小な」政府支出しかもたらしていないのであれば、それはとりもなおさず税収が「過小」であることの証左ではないかと思うところです。
2016/11/13(日) 09:39:57 | URL | マシナリ #-[ 編集]
>税の規模と政府の規模が不可避的に一致する必要がないからこそ、税収以上の政府支出を数十年にわたって継続している現状があって、それが「過小な」政府支出しかもたらしていないのであれば、それはとりもなおさず税収が「過小」であることの証左ではないか


これは、すでに論じた事項ではあるのだが、繰り返しで反論させていただくと、税の過少が政府規模の過少を招くとすれば、それは税の過少それ自体に基礎づけられているというより、均衡財政の神話(いつかはPB黒字化に向かわなければならないという根拠なき信仰)による政治的な迷妄に基礎づけられているわけであって、その場合、目指すべきは、税収の確保ではなく、因習の打破なのではないか、と私は理解している。
2016/11/17(木) 08:52:51 | URL | 望月夜 #-[ 編集]
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