2016年06月19日 (日) | Edit |
最近は人事ネタが続いていますが、先日のエントリで「日本型雇用慣行に関するこのような思い違いが前提となっているため、個々に見ればそれなりに有効そうな提言もあるものの、トータルではそんな虫のいい話はないよなあとしか思えない仕上がりになって」いる本を取り上げたところでして、では日本の人事は思い違いをしていないかというと、必ずしもそうとはいえないところが歯がゆいところです。いやもちろん、日本型雇用慣行の功罪をきちんと踏まえて実務に当たっている人事もいる、というか典型的な日本型雇用慣行となっている大企業では、その慣行を踏まえていかに日々の実務を円滑に進めるかに腐心しているのが実態です。そうした人事労務担当の皆さんが参考にしている、その名も「日本の人事部」というサイトで、拙ブログでも取り上げさせていただいた中澤二朗さんのインタビュー記事が掲載されていました。といいながら、「日本の人事部」は会員登録しなければ2ページ以降が読めませんが、読めるところだけでも十分に示唆的な言葉が並んでいまして、人事担当は中澤さんが目を見開かされたとおっしゃるこの言葉を肝に銘じるべきでしょう。

―― 著著の『働く。なぜ?』でも触れられていますが、中澤さんが“働くこと”に目覚められたきっかけは、「人生初めての上司」との出会いだったそうですね。

それに尽きます。大江暢博さんという方ですが、姫路で、しかも最初に彼と出会っていなかったら、私はまったく違う人生を歩んでいたように思います。いま振り返ると、よけいにその感を強くします。本にも書きましたが、あれは暮れなずむ仕事帰りのときでした。事務所を出たあとすぐ、夕もやに包まれた溶鉱炉の方角を見やりながら、大江さんは、こう私に問いかけました。「おい、中澤よ。みんな、あんなに頑張っているけれど、本当に幸せに近づいているのかなあ」と。“みんな”とは、他でもありません。4組3交代、昼夜兼行で働いている鉄鋼労働者のことです。あのひと言が、私の目を見開かせてくれました。?

あるべき未来像から「仕事」を考え、「働き方」を語る それが企業社会を支える人事パーソンの使命(前編)[ 1/3ページ ] 新日鉄住金ソリューションズ株式会社 人事部専門部長/高知大学 客員教授 中澤 二朗氏 2016/6/8(日本の人事部)
※ 以下、強調は引用者による。

「大企業は労働者を使い捨てしてけしからん」とか「非正規に置き換えて私腹を肥やしている」とか声高に主張される方の目には入らないでしょうけれども、大企業の人事労務担当は、ヒトの処遇という切れば血が出る現実と日々向き合いながら実務をこなしています

まあもちろん、中澤さんやその上司であった大江さんほどの覚悟と深い考察をもって実務に当たっている担当者ばかりではないでしょうけれども、特に日本型雇用慣行においては、少なくとも原理的には長期雇用を前提として全人格的に人事労務管理しなければなりません。よく言われるように「クビがかかっている」問題で軽率な判断や処遇をしてしまうと、直接的な訴訟リスクのみならず、社員のモチベーションの低下による業績の悪化という影響まで生じるリスクがあります。もちろん経営上は外部的なリスクも大きな影響がありますが、内部的には人事労務管理で対応を誤ると取り返しのつかない事態に陥るわけでして、人事担当にはそうしたリスクをマネジメントするためのノウハウが蓄積されており、その人事労務管理の実務の積み重ねが日本型雇用慣行を形作っているわけです。

その中澤さんも、日本型雇用慣行の例に漏れず人事労務担当以外の業務も経験しながらキャリアを積まれたとのことですが、その経験も踏まえて日本型雇用慣行についてこう指摘されます。

―― 若いうちに異動を重ね、失敗をも織り込みながら、多様な仕事経験を積ませることで知的成熟者を育成する。それを可能にしたのが、長期観察・長期育成・長期雇用の日本型雇用システムでした。しかし昨今、「日本型」への風当たりは強まるばかりです。

そうした風潮の一つに、「日本的雇用は年功序列で時代遅れ」という決めつけがあります。しかし、そうした主張は既に1970年代からありました。それ以降、この国が年功序列から脱皮しようと、過剰なほどに成果主義に傾斜していったことは、多くの方がご存じのはずです。

その歴史的分水嶺は、1969年に旧日経連から刊行された『能力主義管理-その理論と実践-』という本でした。その冒頭では高らかに、「日本はこのままではダメだ。年功主義から脱皮し能力主義に変わらなければ未来はない」とうたっています。その結果、いまや大企業の9割近くが職務遂行能力をベースにした「職能資格制度」を取り入れています。新卒一括採用を入口とし、定年を出口とした年次別選抜管理がそれです。すなわち、すべてが「査定」です。日本的雇用は、単なる年功序列ではありません。日本は、世界に先駆けてブルーカラーにも「査定」を導入した国。職場の実態を踏まえ、歴史の経緯をたずねれば、そうした論調がいかに的外れかは明らかでしょう。

余談ですが、以前、野中郁次郎先生(一橋大学名誉教授)から、こう言われたことがあります。「中澤さん、あなたの先輩たちはもっと仕事していましたよ」と。これは、こたえましたね。そう言われれば確かにそうです。周りには、そういう先輩がたくさんいて、まさに時代と戦っているようでした。前回ご紹介した大江さんも、もちろんその一人です。

(略)

日本型雇用が採用から退職までを丸ごと包含したパッケージであれば、つまみ食いをすることは許されません。修正をする際は、部分最適ではなく全体最適を行う必要があります。つまり、あそこがいい、ここが悪いという批判ではなく、どうしたらいいのか、全体を見渡した上での代案が必ずいるということです。あらためて言うと、まずはあるべき未来像を描く。その未来像に照らして良いものであれば続け、悪いものであれば捨てる。逆に、いま良くないものでも、未来にとっていいものであれば敢然と使う。

あるべき未来像から「仕事」を考え、「働き方」を語る それが企業社会を支える人事パーソンの使命(後編)[ 1/3ページ ] 新日鉄住金ソリューションズ株式会社 人事部専門部長/高知大学 客員教授 中澤 二朗氏 2016/6/15(日本の人事部)

日本型雇用慣行としてのメンバーシップ型を支えるのが職能資格給であることは拙ブログでも何度もしてきしておりますし、それが実態として年功的に運用されている面はあるものの、少なくとも制度上は「職務遂行能力」を査定した結果として運用されているのであって、それを中澤さんは「すなわち、すべてが「査定」」と指摘されています。これも実務の現場で積み上げてきた人事担当者としての矜持が表れた言葉ですね。

その意味で、野中郁次郎先生の「あなたの先輩たちはもっと仕事していましたよ」という言葉は、中澤さんにとって「今の人事担当は先達の作り上げた制度の運用に汲々としていているばかりではないのか? きちんと査定しているのか?」という戒めに感じられたのでしょう。野中先生ご自身も富士電機製造株式会社で人事労務管理を担当されたご経験があるからこそ、こうした言葉をかけることができたのでしょうし、そこには日本型雇用慣行への深い理解がありますね。

この次のページは会員登録しなければ読めないのですが、社会保障と雇用・労働が主な関心分野である拙ブログにはちょっと耳の痛い指摘があります。興味のある方は会員登録してご覧いただければと思うのですが、かいつまんでいえば、個々の企業の人事労務管理はアプリケーションなので企業が自由にカスタマイズして構わないが、文化や風習などによって規定される社会保障などの制度はハードウェアであり、この部分の議論は壮大になるため、その中間の「OSにあたる日本統一の雇用インフラをメンバーシップ型からジョブ型に変えるか」の議論が求められているとします。

拙ブログでは仕事上の問題意識もあってハードウェアの部分の議論をしがちなのですが、現実の職場では、いかにOSに当たる雇用インフラを時代にあったものとするかという問題に向き合わなければならないと思います。それは何も人事担当の専売特許ではなく、働く一人一人の労働者が我がこととして考える必要があります。そのための社会インフラが集団的労使関係のアクターである使用者団体と労働組合なのであって、職場で話し合う場が団体交渉であるはずなのですが、昨今の使用者団体や労働組合の言動を拝見すると、これもまた難しい問題ですね。
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