2007年08月28日 (火) | Edit |
いやあまあ、地方重視って言うからにはある程度予想はできたんですが、よりによって総務大臣に増田氏とはねえ。「民間からの登用」なんてことになってますが、この人根っからの官僚ですよ。さらにいえば政治家の二世だし、「民間」っていうよりは「古き良き」時代の遺物といった方がいいかも。

増田の父親の盛は自民党の参議院議員を三期務めた元農林官僚だった。水産庁漁政部長や農林省の振興局長を歴任し、参議院議員になってからは閣僚経験こそなかったが第二次大平内閣の時に農水政務次官に就任している。県内各地の農家をリュックを背負いながら泊まり歩き、農民と膝を交えて語り合ったという増田盛は農民から厚い信頼を受けていた。しかし、四選を目指した八六年の選挙では政治的な思惑が交錯し、自民党からの公認を受けられなかった。

 このとき自民党の公認候補となったのは「県議会から国政へ」を合い言葉に送り出された元県議会議長の高橋清隆だったが、増田盛も党を除名されながら立候補した。増田を応援した県議は地元・胆沢郡選出の一人しかいなかった。増田が無所属ながら二二万票を超える票を集めて農村部での堅い支持基盤を見せつけたが、高橋には六万票ほど足りずに惜敗した。ちなみに、この選挙で増田を見捨てた県議の多くがその後、新生党そして新進党へ移り、知事選ではその息子の寛也を担いだのだから皮肉と言うほかない。
(チホウ政治じゃーなる「03権力奪取ありき 02予算を握って締めつける」)


県知事に擁立されたときにもこんな話が。

こうして、初村滝一郎と増田盛の二人は、同じ業界の仲間として利権を授受しながら、親密になっていった。と同時に、それぞれの息子である初村謙一郎と増田寛也もまた、親密にならざるを得ない運命にあった。その増田寛也が95年4月に出馬した岩手県知事選に、オレンジ共済事件の資金が使われたという疑惑が報道されたが、こうした過去から推測すれば、否定するほうが無理である。増田寛也は、新進党から出馬して知事に当選したのである。
 長崎と岩手は、地理的には遠い。しかし岩手県には、北上川開発の土建で増田一族と組み、岩手県内の土建業を牛耳ってきた小沢佐重喜という男がいた。弁護士だった小沢は、東京市議・府議から衆議院議員となり、たちまち運輸大臣、逓信大臣、郵政大臣となり、ついに建設大臣の職についてから、岩手開発鉄道の社長に就任した。そして、日本最大手に数えられる鹿島建設で相談役となったのである。
 その息子は、小沢一郎と命名された。
(「広瀬隆著『私物国家 日本の黒幕の系図』」)



記事の信憑性はともかく、出自からすれば過去のしがらみがあったからこそ、それを逆手にとって改革を進めた面は否定できないんではないかと思う次第。三重県の北川前知事も似たような境遇だし(道理で二人は仲がいいんだなあ)。

これまで都道府県を代表する圧力団体として全国知事会から無理難題を主張していた増田氏が、圧力団体を受けて立つ立場に立ってどうするかは見ものです。と思っていたら、岩手県庁の幹部からナイスなコメントが。

 岩手県庁ではこの日、職員から「地方分権の特命相かと思ったが、まさか総務相とは」と驚きの声が上がった。幹部職員は「地方財政を理解している人の入閣はありがたい。これで交付税が増えれば言うことなし」と手放しの喜びよう。
読売新聞『舛添厚労相「批判はする」、増田総務相「地方問題に総力」



栄転したかつての上司におこぼれをねだるうだつの上がらない部下という図式に、この国の縮図を見ました。

といいつつ、増田氏の言動を見ていると、自分で考えるというより他の人がやってて良さそうなことしかしないらしいので、なんといっても官僚ですし、実は増田氏は総務省的には結構扱い易いのかもしれません。早めに白旗あげた方が後々のダメージを抑えることができるかもしれませんよ、増田さん。
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