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2016年03月12日 (土) | Edit |
日付が変わってしまいましたが、今年も年度末の慌ただしさの中で震災から5年が経過しました。1年前に「政府主催の追悼式典は来年くらいまででしょうか」と書いたところですが、今年はなんとか天皇陛下ご臨席で催行されました。5年が経過して改めて振り返ってみると、これも1年前に書いた通り「所詮は人間のやることである以上、おカネがあってもできることは物理的にも手続き的にも限られる」状況ではありましたが、被災された地域の皆さんが官民問わず地道に復興の取組を進めた結果として、新しい街が実際に動き出す段階にまでようやくこぎ着けたというところだと思います。

各方面からの批判や軋轢を抱えながら、それでも目の前の事態に対応しながら一つひとつ積み重ねてきたものが形になって動き出してきたのは、震災から約4か月後に「一面が流されてしまった被災地に行くたびに「ここがどうなれば『復興』したといえるのだろうか?」と思い悩んで」いた状況を思い起こすと、まさに隔世の感があります。関係各位のご尽力に改めて敬意を表します。

そしてその先にあるのが、良くも悪くも震災前の状態に戻った後で、震災前からある課題にどうやって対応するかという古くて新しい問題です。昨年のエントリで取り上げた書籍で指摘されているように、

都市部と地方の福祉状況の違い

 東日本大震災では、都市部と地方の違いがあり、地方が震災前から抱えている課題が震災により浮き彫りになった面が数多く見られました。
 阪神淡路大震災では、被災した多くの地域が神戸や西宮のように大都市であり、人口が多い地域です。福祉制度においては、障がい者運動の成果に加えてそれぞれに独自の予算で競い合い、他の地域よりも進んだ制度を作り出す傾向がありました。
 一方、今回の被災地域の沿岸部では、年々人口の流出が進み、十分な福祉基盤が整備されていない状況があります
 主な特徴として、東北沿岸部では障害者福祉を担う事業所が大きな社会福祉法人一つというところが多くあります。地域に多様なホームヘルパーやガイドヘルパーなどの利用者、福祉サービス事業所がないことで、さまざまなニーズに対応しにくい面があります
 全体として、知的障害者、精神障害者に関わるサービスのわりには身体障害者へのサービスが不足しているように思いました。

p.120
そのとき、被災障害者は… 取り残された人々の3.11そのとき、被災障害者は… 取り残された人々の3.11
(2015/02/24)
不明

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※ 以下、強調は引用者による。

今何かと話題の保育所も含め、個人の生活を保障する公共サービスの供給体制は地方へ行くほど貧弱になります。それは一面では、農業などの個人事業主が多く、勤め人でも近接した勤務地という利点を活かして家計内の家事労働で生活を保障するサービスを補っているという実態を反映したものではありますが、その負担が家計内の家事労働では賄いきれない状況になってしまうと、その時点で生活保障機能が失われ、それに従事するため離職せざるを得なくなるという状況にあることも意味します。

都市と地方の違いとして、上記のとおり地方では障害者への福祉サービスが貧困なのは、過疎化が進む地域で、通所や訪問が可能な範囲では障害のある方の絶対数が少ないため、規模の経済が働かずにサービス受容者に対するコストが割高になるからといえます。これに対し、都市部では核家族化で家事労働の担い手がいないとか勤務地が離れていて早朝や深夜には家族が不在になるとかで家事労働が供給できない場合、それを外部化しようとしても、そのコストを租税により社会的に負担するのではなく個人に応益負担を求めるため、利用者には割高になり、提供者には十分な収入が確保できず、公的サービスが先細る一方で市場で提供されるサービスが高騰し、待機児童の問題が顕在化することになるといえるでしょう。

こうした負担と給付のバランスというのは往々にして利害が対立するところでして、その利害対立そのものを悪として認識するのが昨今の政治批判の風潮のように思います。前回エントリで取り上げた待鳥先生の『代議制民主主義』ではこう説明されています。

 だが今日、日本を含めた世界各地で代議制民主主義への疑問が突きつけられている。その大きな根拠は、結局のところ、理論的に想定されている委任と責任の連鎖関係が実際には存在していない。あるいは機能していないという認識に求められよう。
 政治家は選挙のときに曖昧で裏付けのない政策を訴えるだけで、それが実現しなかったとしても何の責任もとらないどころか、そもそも実現する気があるのかすら疑わしい。訴えている政策が特定の支持者集団や地域にのみメリットをもたらすもので、巨額の財政赤字を生み出すなど社会全体にとってはマイナスになる場合も少なくない。有権者も、社会全体にとってマイナスの政策や、中長期的には維持不可能な政策を打ち出す政治家に、安易な支持を与えてしまっている。政治家と官僚の間にも、官僚は専門能力を隠れ蓑にして実際には自らが望む政策を立案しているだけ、政治家からの具体的な指示があってもサボタージュしている、あるいは一部の政治家と結託して狭小な自己利益のみを追求している、といった不信が存在している。そして政治家は、官僚のこのような行動を黙認しており、場合によっては自らもお相伴に与っているように見える。
p.242-243


『代議制民主主義「民意」と「政治家」を問い直す』待鳥聡史 著(中公新書)


自民党ガーとか財務省ガーとか声高におっしゃる方によくある論理ですね。まあ「巨額の財政赤字」というのを「増税や社会保険料の引き上げ」と言い換えても十分に通用しそうな点でも汎用性は高そうです。このような「代議制民主主義」への批判の内容を、待鳥先生は次のように説明されます。

 したがって問題は、自由主義的要素と民主主義適用その間にいかなるバランスが成り立つのが望ましいと考え、かつどのようにしてそのバランスを維持するか、というところにある。これが難問であることは改めていうまでもないだろう。今日、代議制民主主義に向けられている批判には、政治家が民意を反映した政策決定を行わないというものが目立つ。だが歴史的に見れば、有権者の多数派の意向を政治家が過剰に代弁してしまっているという「多数者の専制」に批判が向けられることもしばしばであった。また、少数の有権者が持つ既得権益が長期的には必要な政策を妨げているという批判も根強い。政治家が民意から乖離しているという批判は民主主義的要素を強めることを求め、「多数者の専制」や強すぎる既得権への懸念は自由主義的要素を強めるよう期待する
 これらの批判はいずれも、具体的な政策についての反対者の立場とも関連していることが多い。自分が有権者の多数派を構成していると思われる場合には、政治家の裁量や自律性は、不要に感じられる。逆に自分が少数派や弱者であって一部の政治家のみが同じ意見だと信じるとき、社会の多数派や強者の意のままになる政策決定には危惧を抱く。だが、個々の政策決定への反対と、代議制民主主義に対する原理的な再検討は、区別されねばならない。
待鳥『同』p.252-253

先に引用した部分での「巨額の財政赤字」でも「増税」でも通じるほど汎用性の高い批判というのは、自分が多数派だから政治家が一部の既得権益に配慮していると感じるか、自分が少数派だから強者の論理で「数の論理」に押し切られていると感じるのかによって、政策に対する批判が自由に使い分けできるということの証左でもありますね。自分が正しいと信じる政策が少数派(と信じる)なら、自由主義的要素を強調してあえて民意から乖離する必要があると唱え、自分が正しいと信じる政策が多数派(と信じる)なら、民主主義的要素を強調して選挙や世論調査の結果を振りかざせばいいわけですから、オールマイティで批判できるわけです。

でまあ、増税を批判する方々はこれらの批判をさらにミックスさせて、「増税は景気を交代させるから絶対悪だ」といいつつ、一方で「景気を回復させるために公債発行して財政支出すべき」といい、さらに他方で「女性の社会進出はこれまでの統計では不合理だからそれを支援するのはムダ」であって「ポリコレに凝り固まった政府を罵倒せよ」という批判を繰り広げていらっしゃる方も多いようです。拙ブログでは、そうした批判こそが「「経済成長で再分配拡充を」というのと同じように、「国債の中央銀行引き受けで再分配の拡充を」というのは、ワンショットの財源としては有効ですが、それが持続可能でないのであれば生活の向上はおろか社会全体の限界的消費性向の向上も見込めない(従って総需要拡大によるインフレも見込めない)ということになると懸念」しているところでして、その結果が、特に生活保障に関連する分野において、被災した地域では震災前の状態に戻るにつれて公共サービスの貧弱さが顕在化し、都市部では保育や介護などのサービスの不足などの問題が顕在化していると考えるべきではないかと思います。震災から5年が経過し、古くて新しい問題が顕在化している現在、単に「震災後」としてではなく、震災前と地続きとなっている日本全体の生活保障の問題が、政治のメインイシューとなる段階に入っているのではないでしょうか。
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