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2016年02月28日 (日) | Edit |
すでに一部では批判されているのではないかと思うのですが、先週のNHKの朝のニュースで18歳選挙権特集が組まれていて、これは経済学方面の方々の過敏な反応が予想されますのでメモしておきます。

授業は、岡さんたちが考えた架空の2人の候補者の演説から始まります。
この日のテーマは、消費税増税か減税か。

架空の候補者(増税派)
「増税した上で社会保障サービスの向上を目指します。
また、多額の借金の返済にもあてていきます。」

架空の候補者(減税派)
「減税することで皆さまの負担を減らします。
増税されると、低所得者の方々の負担がより一層かかってしまいます。」

生徒たちは訴えを聞いて、どちらかに投票します。
授業のメインは、投票後の話し合いです。
岡さんは、国の借金返済について問いかけました。

山梨学院大学 岡勇太さん
「ひとつ考えてほしいのは、『1年間で2兆円返せます』と言っていた。
1,000兆円の借金を2兆円、毎年返済しますというのは、何年単純計算でかかると思う?」

高校生
「確かに思った、2兆円しかって…。」

岡さんは、候補者が訴える政策のメリットとデメリットを考えてほしいと伝えました。

2016年2月16日(火) シリーズ“18歳選挙権” 同世代が伝える“政治”とは

メリットとデメリットという言い方になるのはやむを得ないと思うのですが、メリットが増税派の「借金の返済にもあてていきます」という部分にフォーカスした形になっていて、経済学方面の方々からは「政府の借金は国内債であって借金じゃない」とか「増税による景気への悪影響こそデメリットだ」という懇切丁寧な反論がありそうです。

でまあ、この特集の主役である18歳(はもちろん、議論を誘導している大学生)というと現在世代の社会保障費のために積み上げられた公債を返還するための公債費を負担する世代でして、そのことを我がこととして考えることは決して間違ったことではないと思うのですが、経済学的な思考方法をお持ちの方々にとっては許されざるべき議論の誘導なのでしょう。さらにいえば、世代間対立を煽る方々と経済学方面の方々が重なることもよくある話ではありますが、たとえば年金の受給と負担が世代間で不公平であるため負担ばかり強いられているという「現在の現役世代」の方は、「将来の現役世代」の有権者の負担となる公債費(の元となる財源)で社会保障費などのフローの公共サービスの恩恵を享受している現実を踏まえ、「将来の現役世代」からの世代間対立攻撃を自ら率先して受けるお覚悟があるとお見受けします。いやまあいつもながら見事なブーメランですね。

と思っていたら、先にこっちが話題になったようです。
http://soradamari.tumblr.com/post/139966117752/highlandvalley-%E9%9B%AA%E4%B9%8B%E4%B8%9E%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%AFtwitter%E3%82%92%E4%BD%BF%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99
記事の写真がそのままアップされていて、発言している高校生の氏名(実名かはわかりませんが)が見えるので直接引用はしませんが、引用された方ご自身は「面白い」というだけでどのような評価かよくわからないものの、それに対するコメントにいろいろな考え方が透けて見えて面白いですね。
  • 新聞も未だに国の「借金」なんて書いてるんで、女子高生(本当にそうかどうか疑わしいが)ならこういうトンチンカンな疑問持ってもしょうがないでしょうな。借りてるのは政府、貸してるのは国民。どちらかと言えば女子高生は債権者側。
  • 色々突っ込みどころだらけだけど特に「総理大臣で1000兆円を自由に使えたら」にひっかかったなあ。総理大臣は自由に予算を使えると高校になっても思ってるのはどうかと思う。
  • この子が借金してほしいとは頼んでないけど、親世代が政府にアレやれコレやれって頼んだ結果の政府の借金だからね
  • 15歳にもなってこの認識だとちょっと痛い子だし勉強してないんだなあって。
    そもそも政府には通貨発行権があるから民間人の感覚で考えられないって何で周囲の大人が教えないんだろう。

ということで、いろんな観点から論じることができるのが政府債務というものであることがよくわかるコメントになっていますが、どうやら私が上記で想像したようなお覚悟をお持ちの方はあまり多くなさそうです。

でまあ、この様々な観点からのコメントそれ自体が政府債務が多様な機能を持つことを示しているわけでして、まさに群盲象を撫でる(Wikipedia:群盲象を評す)状況にあります。せっかくなので、私もその一人になってみますと、日本国憲法では83条で「国の財産を処理する権限は、国会の議決に基づいて、これを行使しなければならない」という財政民主主義が規定され、84条で「あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする」という租税法定主義が規定されています。そのほか85条で「国費を支出し、又は国が債務を負担するには、国会の議決に基くことを必要とする」、86条では「内閣は、毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない」と規定し、87条では予備費についても規定があります。ということで憲法上の規定からすると、国費の支出や予算の議決は国会の議決を必要とするので、総理大臣が自由に使うものではないという二つ目のコメントは正しい指摘と言えましょう。まあ高校の政治・経済で憲法は習うと思いますので、高校生の発言として「痛い」とまでいえるかはわかりませんが、もう少し勉強が必要とはいえそうです。

このように財政民主主義と租税法定主義が規定されているという状況をよくみてみますと、国家の財源確保手段たる租税については、「代表なくして課税なし」という政治思想や財産権への国家の恣意的な介入を防ぐ見地からも国会の議決を要する法律によって規定されるのに対し、86条で予算についての国会の議決があれば、支出については85条で「国会の議決に基づくことを要する」のみで、個別の事業の実施やそれに伴う一個一個の物品購入まで、個別に国会の議決を得る必要はありません。この状況を見て、ある方は「支出にだけ大きな裁量が認められているから国が無駄遣いしてけしからん」というかもしれませんし、ある方は「総理大臣になれば自由に予算を使える」と考えるかもしれません(後者の立場から女子高生の発言を「このレトリックにはあまりこだわらない方がいいと思います」と擁護してくれる大人がいるかもしれません)。

確かに、財源確保は法律でがっちり規定する代わりに、支出(を要する事業の執行)については内閣(とその補佐機関である役所や公務員)にその実務をまかせているわけでして、一見自由に支出しているように見えるかもしれませんが、その執行の現場にいるものとしては、歳入制約に縛られて歳出を編成することが難しいというのが実態と言えます(もちろん投資的経費についての公債発行は財政法で認められています)。つまり、いくら行政需要が大きくなって支出の増加が見込まれても、法律が変わらなければ財源を確保することができず、したがって(支出の増加を伴う)行政需要に対応できないのが現実です。87条には予備費の規定もありますが、その予備費にも財源が必要ですので、結局行政需要の増加に対応するための財源が租税によって確保できなければ、租税以外での財源を確保しなければなりません。となると、公債発行により財源調達することになるわけでして、上記の三つ目のコメントの「親世代が政府にアレやれコレやれって頼んだ結果の政府の借金」というのは、その理由として正しい指摘と言えるでしょう。

さて、公債発行で財源調達する場合、自国内の国民(とか投資機関)が貯蓄等の投資と公債を比較して公債を選択する余地があるうちは国内債でそれを賄うことができますので、上記の一つ目のコメントはこの考え方に基づいたものと思われます(四つ目のコメントについては…他人のふんどしで恐縮ですがドラめもんさんのこちらの解説をどうぞ)。しかし、事業執行の現場にいるものとしてはそれはあまりに一面的な評価と感じるところでして、公債を発行するとその元利払いのための公債費を歳出予算に計上しなければなりません。債務残高が増えれば元利払いは当然増えますが、歳入は租税法律主義で相変わらず制約されていますので、元利払いのための借入(借換)をしても、歳出予算に占める公債費比率は租税による歳入確保ができなければどんどん上昇していきます。ということは、その公債により確保した財源がたとえば「現在の現役世代」を支援する社会保障費に充てられ、それによって「将来の現役世代」に還元されるとしても、「将来の現役世代」はそのための経費とされた公債費も引き続き負担しなければならないということになります。

言い方を変えてみましょう。「現在の現役世代」の時代に景気が低迷して経済成長が鈍化したために、それを財政支出によって「短期的」に補うため公債発行により財源調達した場合、その財源が経済成長や景気回復によって「短期的」に償還されるのであれば何も問題はありません。しかし、それが「短期的」に償還されず、「長期的」に行政需要が見込まれる社会保障費などのフローの公共サービスの財源として恒常化され、その元利払いのための公債費が増嵩していくと、租税法律主義に基づく租税政策に変化がない場合、「現在の現役世代」の経済成長はもちろん、「将来の現役世代」の経済成長の結果としての税収増もその公債費の財源として消えていくことになります。「現在の現役世代」はそれも「短期的」な景気回復のためだと割り切ることができるかもしれませんが、「将来の現役世代」がそのツケのために自らの経済成長の恩恵にあずかれないのであれば、声をあげてしかるべきでしょう。「将来の現役世代」がいくら頑張っても、過去の行政需要の財源となった公債費が歳出の大きな割合を占めてしまっているため、それにクラウディングアウトされて自分たちの行政需要に充てることができないわけですから。

経済学方面の方々はよく「国家の借金と家計の借金は違う」とおっしゃいますが、この点でも大きく異なるわけでして、親が借金を返済できなくなってもその親が自己破産してしまえば子供に引き継がれませんし、相続もある程度コントロールできますが、国の借金は世代間で負担を先送りするとその次の世代がそれを逃れる術がありません。また、歳入については租税法定主義により国会で議決する法律で厳格な手続きが定められてGDPに対する規模が固定されている一方で、歳出についてもその根拠となる予算と法律について国会の議決を要し、特に社会保障制度については法定することによって制度的安定性を確保しなければなりません。

久しぶりにボーナスが上がったからといって「よーしパパ来月から田舎の両親に5万円仕送りするぞ」といっても、ご両親は「あんたホントに大丈夫なのかい?」と不安がって貯蓄するでしょうし、「よーしパパこれから毎月保育園児のいる姉の保育料を肩代わりするぞ」といっても、お姉さんは「人のことより自分のことを心配しなさい」といって逆に心配されるでしょうし、何よりご家族が「いつまた給料が減るか分からないのに、いくら世話になったからといって親とか姉さんに金を払い続けるなんてできるわけない」と言われるのが関の山でしょうけれども、最終手段としてパパが勝手に決めて勝手に支出しても家庭内の問題ですみます。しかし、国(や地方自治体)でそれはできない相談でして、公債については「国と家計は違う」と声高に主張する方が、一方では「政府が判断して財政出動すれば景気回復するのにそれをしない政府は云々」とあたかも国と家計の支出を同列に論じるのも、この国の大人の作法なのかもしれません。

(付記)
ちょうど御大のところでも権丈先生の新著を取り上げていたようですが、

 そもそも、少子化に備えて、貯蓄を増強することには矛盾がある。少子化で人手を減らしてしまうと、いくらお金があっても、サービスを増やせなくなる。供給力が伴わなければ、人件費が高騰し、せっかくの貯蓄も価格の上昇で実質的に失われる。このように、お金だけでなく、実体で経済を眺めるのが、権丈教授も強調するアウトプット・セントラルの考え方である。東日本大震災では、巨額の予算を用意して、復興事業を進めようとしたが、人手不足で執行不能に陥った。将来、同様のことが起こり得る。

 さて、今回の権丈教授の御著書では、終始、うなずきながら、あるいは、ニヤリとしながら、読ませていただいたが、一点だけ、意見を異にするところがある。それは、「財政赤字は世代間の不公平になる」という下りである。アウトプット・セントラルの考え方を敷衍すれば、年金積立金の増強が虚しいなら、公的債務の削減もまた同じと言い得る。一般政府で括れば、それらは一つのものである
(略)
 アウトプット・セントラルの考え方を使えば、「世代間の不公平」とは言っても、将来、生産されるものを、今、消費しているわけでないことは、すぐに分かる。それは、タイムマシンでもなければ無理だ。本当に将来を損なう行為は、少子化で人口を減らしたり、労働力を使い切らないままムダにしている「設備投資の乏しさ」であって、財政赤字や政府消費の多寡ではない。巨額の公的債務は、緩やかなインフレの中で徐々に解消するほかない。愚かなのは、財政赤字の抑制を最優先にして、緊縮財政で投資不足を起こすことである。

 考えてみてほしい。公的債務は少ないが、人口減で弱体化した社会と、公的債務の始末に難渋しつつも、生産力は保持している社会と、どちらが良いか。将来において、前者は解決不能だが、後者には、まだ希望がある。「政策は、所詮、力が作るのであって、正しさではない」としても、「正しさ」さえ、出来上がっていないように思う。

「ちょっと気になる社会保障と経済政策(2016年02月28日)」(経済を良くするって、どうすれば)
※ 強調は引用者による。

うーむ、現物給付を中心にするという「アウトプット・セントラル」の考え方は、権丈先生の新著ではニコラス・バー教授の言葉として引用されているのですが、それを敷衍すると年金積立金と公的債務は一般政府で一つに括れるからどちらの増減も問題ないというのは、私のような浅学の実務屋にはなかなか理解が難しいご高説です。いやまあ、「少子化で人手を減らしてしまうと、いくらお金があっても、サービスを増やせなくなる」というのは太田啓之さんの『年金50問50答』でも的確に指摘されていることですので、それはそのとおりだと思うのですが、その帰結が「公的債務は少ないが、人口減で弱体化した社会と、公的債務の始末に難渋しつつも、生産力は保持している社会と、どちらが良いか」という究極の二者択一になるというのは、何がどうしてそうなるのかちょっと理解できません。

そういえば、太陽の寿命は約100億年とされていますが、「最終的に太陽は現在の200倍から800倍にまで巨大化し[51]、膨張した外層は現在の地球軌道近くにまで達すると考えられる」(Wikipedia:太陽)とのことで、地球から見て遠くにあるからいつまでも大丈夫と思っていたら、いつの間にか膨張した太陽の表面が目の前に迫っていたなんてことになるのかもしれません。まあ、そんな先の自然現象に気をもむ必要はないでしょうけれども、公債費が国や地方自治体の財政を硬直化させていくという予想も杞憂に終わればいいですね!(棒)
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