2016年02月20日 (土) | Edit |
最近民主主義という言葉がもてはやされているようでして、松尾先生も「民主主義」と題した新著を出されていましたので拝読しました。拙ブログは左派的と思われているようですが、日本的左派の主張には、特にその政策実現手段においてほとんど見るべきものはないと考えておりましてて、改めて松尾先生のご主張には肝心の部分で賛同できませんでしたので、以下その理由をメモしておきます。

本書を書いた経緯は「むずびにかえて」に書かれていますが、

 それで、別の出版企画を2冊抱えつつ、勤め先の労働組合役員の仕事の合間をぬいながら、一夏かけてこの本を書き上げました。安倍政権の弱点は福祉だとみて、少子高齢化する将来を見すえ、金融緩和マネーを介護や教育や子育て支援につぎ込んで雇用を拡大させる対抗景気対策を打ち出したわけです。
 この本では、安部さんのやっていない政策として、最低賃金をインフレ目標と同じ課それ以上で引き上げていくスケジュールを示すという景気拡大策を書きましたが、校正段階になって、安部さんは毎年3%の最低賃金引き上げを言い出しました。
 まるでこちらの手の内が全部読まれているかのような展開に、正直たじろいでいます。しかし、だからといってこれからの政策を提唱しないなら、負けは確実です。もっと大規模にやるぞということでしか、突破口はありません。
p.238-239

松尾匡 この経済政策が民主主義を救う 安倍政権に勝てる対案
※ 以下、太字強調は原文、太字下線強調は引用者による。

私も「アベノミクスを論じるのであれば、野党に責任を押しつけるのではなく与党としての所得再分配政策そのものを論じる必要があると思う」ところですので、「安倍政権の弱点は福祉」というのはまあその通りだと思います。ただし、福祉を含む社会保障の財源は安定していなければ十分にその機能を果たすことができませんので、現状において十分に機能していないのであればそれは政府の財源調達能力の貧弱さに起因するものであり、この点までは松尾先生の問題意識に全面的に賛同いたします。しかし、「もっと大規模にやるぞ」というバナナの叩き売りのような安直な物言いにはまったく共感できません。

実際、本書の第1章は安倍政権攻撃に終始していて辟易とさせられますし、結局政府の財源調達手段は中央政府による公債引受でしかなく、社会保障を拡充させるための安定的な財源確保とのその支出分野をどうするかなどの技術的な政策については一切触れられていません。まあそれは拝読する前から予想していたところですのでそんなものだろうと読み進めていくと、第4章でヨーロッパの左翼政党などの主張によって松尾先生の主張を補強されているのですが、私にはむしろ、松尾先生(とリフレ派と呼ばれる方々の一部)の主張との乖離が目につきました。

本書ではヨーロッパの様々な国や政党、労働組合の主張を引いていて、それはそれで勉強になるのですが、たとえばスペインのポデモスの主張はこのようなものだそうです。

 スペインの新興左翼政党「ポデモス」は、2014年に結成された直後、いきなり欧州議会選挙で同国第4党になり、2015年には地方選挙で大躍進しました。もちろん、反貧困・反緊縮の主張がウケているのです。
 そのポデモスの綱領では、欧州中央銀行の金融政策について、次のような主張を掲げています。
〈1・3 欧州中央銀行を諸国の経済発展のための民主的な機関に転換します。
 欧州中央銀行を議会による民主的なコントロールのもとにおくことで、それを政治的権威のもとに従わせるしくみをつくりだします。
 定款を修正し、中央現行の優先的な目的として、EU全体にまっとうな雇用を創出すること投機的アタックを防ぐこと国債を発行市場で無制限に直接買い入れることで諸国の公的資金調達を助けることを書き入れます。
 諸国の社会的な支出のための資金や、再分配メカニズムによってなおさら不利益をこうむった社会的・地域的な領域のための資金を優先的に支えます。そして必要があれば、欧州社会債をつくることによってこれらを支えます
 通常の商業銀行と投資銀行の監督ルールを区別し、後者の投機的活動を規制します。〉
 つまり、これまで当然視されてきた、中央銀行の独立(中央銀行が政府から独立していること)を否定し、政治に従わせるというのです。そして、雇用の創出や、政府の財政資金調達を助けることを、中央銀行の目的にするというのです。そのために中央銀行が国債を無制限に直接買い入れることを求めています。特に「社会的な支出」、つまり福祉や医療や教育などのための支出を、欧州中央銀行がつくったおカネで支えるべきだと主張しています。

松尾『同』pp.138-139

なるほど、スペインの新興左翼政党は、雇用の創出と投機的アタックを防ぐことと並べて中央銀行が国債を直接買い入れることを主張しているようですが、その次の段落で「社会的な支出のための資金や、…社会的・地域的な領域のための資金を優先的に支えます」という資金との関係は不明確に思われます。また、松尾先生は「「社会的な支出」、つまり福祉や医療や教育などのための支出」と読み替えていますがその根拠はよくわかりませんし、「欧州社会債」を発行するのが政府かどうかはこの文章からは読み取れませんので、政府が発行する公債を直接買い入れるという前段の主張との関係がはっきりしないように思います。こうした政治的文書は前後の文脈はあまり重視せずに箇条書きで項目を並べたものが多いので、各項目間の関係は曖昧なんですよね。

ちなみに財務省がまとめたOECDの資料(2015年度版)では、日本で40.5%の国民負担率は、スペインでは46.3%となっていますね。
OECD諸国の国民負担率(対国民所得比)
その上の順位に位置するイギリスではどうでしょうか。

 そのコービンさんの唱える経済政策は、イギリスのマスコミから「コービノミクス」と呼ばれていますが、緊縮財政に反対し、エネルギー産業や鉄道の国有化、大学授業料の無料化、大規模な公的住宅供給等を唱えています。その財源として、富裕層のへの課税、課税逃れの捕捉、大企業免税・補助金の他に、イングランド銀行が「人民のための量的緩和」をすることを掲げています。
 すなわち、量的緩和でつくりだしたおカネで「国立投資銀行」をつくり、住宅やエネルギー、交通、革新的産業などのためのインフラ投資を行うというのです。

松尾『同』pp.142-143

こちらでははっきりと、量的緩和によって生み出される財源は公共的投資に振り向けられるべきと主張していますね。これはスティグリッツの「多年にわたって使用される道路,学校,また産業計画の資金を調達するために借入れを行うことは,まったく妥当なものである.完成しない(または開始さえされないような)計画の支払いのための借入れや,今年の役人の給与支払いの資金を調達するための借入れは,実質的な問題を引き起こすことになる」との指摘に沿ったものですので、だからこそ経済顧問に就任したのだろうと思われます。

次に、欧州左翼党の2013年の最終政治文書を見てみましょう。

〈他方でまた、われわれは民主的に運営されコントロールされる全欧的機関を創立することを提案する。それは、各国の公共支出や、きっちりとした社会的エコロジー的な基準のもとで雇用を増やす条件での企業の投資に対して、非常に低い利率で、ゼロ金利であっても、資金を融資するためのものである。これは、欧州中央銀行の資金的貢献(リスボン条約123・2条)と、トービン税の受け取りによってまかなわれる。このことは、欧州公共銀行の創設につながることになろう。(後略)〉

松尾『同』p.145

この欧州公共銀行は、政府の公共支出がどのようなものかはこの部分からは不明ですが、企業の投資と並列されている点からすると、公共的投資を想定していると考えるのが妥当ではないでしょうか。中央銀行はその資金の貸し手として想定されているのであって、公共サービスの財源を担うものとしては想定されていない(投資的な意味合いをもつ教育には融資してくれるかもしれませんが、本人が返済するのであれば日本的な貸付型の奨学金ですね)と思われるところでして、これもスティグリッツが指摘する公共的投資への公債負担に沿ったものと思われます。

続いて欧州左翼党や社会運動団体や労働組合が2015年1月の「第1回南欧フォーラム」で採択した「バルセロナ宣言」です。

〈早急に、大規模な雇用創出計画を立てることが必要である。欧州中央銀行によって支えられた、ヨーロッパあるいは各国の、ねらいすました公共投資によって、何百万人ものヨーロッパ人に、安全で安定してかつ尊厳のある雇用と、明るい人生の見通しを創出しなければならない。特に、無惨に虐げられ社会的排除へと追いやられてきた若者、女性、移民たちのために。〉

松尾『同』p.146

私にはこの宣言では「欧州中央銀行が「公共投資」のための資金調達の機能を担うべき」と主張しているようにしか読めないのですが、松尾先生はこう評されます。

 トロイカの緊縮財政で福祉も医療も教育も切り詰められたうえ、財政縮小のせいで不況で失業があふれ、ヨーロッパの多くの庶民は痛めつけられてきました。左翼たるもの、彼らの願いに応えて、福祉や医療や教育等々への政府支出を拡大し、財政拡大で景気も刺激して失業を解消することを唱えないわけにはいきません。
 でも財政赤字の中、どこにそんな財源があるのだ? 企業や金持ちに課税するのはいいが、そこまで巨額の財源をそれでまかなおうとしたら、企業が逃げ出してたり事業を縮小したりして、もっと不況になってしまうぞ。どうするのが——こう問われたときに、財源は「無からおカネをつくればいい」と平然と答えればいい。そのためには、中央銀行の独立を否定し、財政ファイナンスを公然と要求しないわけにはいかない、というわけです。

松尾『同』p.147

うーむ、「でも」の前後が対応してないように思われます。「左翼たるもの、彼らの願いに応えて、福祉や医療や教育等々への政府支出を拡大」しなければならないというのは、松尾先生の個人的な心情としては理解できないでもないものの、「だから欧州の左翼中央銀行の公債引受で社会保障を拡充すべきと主張している」というのはやや飛躍があるように感じます。上記のとおり、本書で掲げられているヨーロッパの左派政党や労働組合は、スペインのポデモスを除いて「医療や福祉や教育等々への財政出を拡大」するための財源として中央銀行の公債引受を主張していないのではないかと思われます。

松尾先生は財源調達のただ一点のみにおいて「無からおカネを作ればいい」と答えればいいとお考えなのかもしれませんが、それはまさにワンショットの財源であって、社会保障をさせる財源としては極めて不安定であるといわざるを得ません。この点は前回エントリのコメントに書いたことにも関連することでして、


社会保障は恒久的な安定財源があるからこそ再分配として機能します。ワンショットの税収上振れに一喜一憂しながら社会保障政策を実施するというのであれは、逆に税収が下振れすれば即座にその社会保障政策が実施されなくなることを意味します。そのような政策が再分配として生活の安定とか社会全体の限界消費性向の向上につながるのかは大いに疑問です(やらないよりはやったほうがいいでしょうけれども)。「経済成長で再分配拡充を」というのは経済学方面の方々には受けがいいのですが、それは「景気が低迷すれば再分配が縮小するのもやむを得ない」という抗弁を容認するロジックでもあり、それに再抗弁する用意がなければうかつに使うべきロジックではないと思います。

2016/02/06(土) 15:59:23 | URL | マシナリ

「経済成長で再分配拡充を」というのと同じように、「国債の中央銀行引き受けで再分配の拡充を」というのは、ワンショットの財源としては有効ですが、それが持続可能でないのであれば生活の向上はおろか社会全体の限界的消費性向の向上も見込めない(従って総需要拡大によるインフレも見込めない)ということになると懸念されます。

なお、スペインのポデモスを除いて、ヨーロッパの左翼政党や労働組合が中央銀行の財源を公共的投資や社会的な企業活動支援と位置づけているのは非常に示唆的ではないかと思うところです。OECD加盟国の比較では、EU加盟国(とアイスランド、ニュージーランド、イスラエル、カナダ)はいずれも日本より国民負担率が高い国でして、少なくとも医療や福祉、教育などのフローの公共サービスを賄うフローの財源は、世界に冠たる高齢化社会でありながら、日本的雇用慣行によりワークライフバランスが崩れて少子化が進んでいる日本よりも高い水準で確保されている国です。そうした諸条件を勘案することなく、経済学の理論でもって制度を説明できると考え、その理論を海外の著名な経済学者が支持していることをもって「だから日本の政策はかくあるべし」という言説には、残念ながら私は全く説得力を感じません。

いやもちろん、ヨーロッパの左翼政党や労働組合が、景気後退の局面にあっては政府が公債を発行して一時的に景気を下支えするべきと主張することは、経済学の理論からも実証面からも妥当な政策だとは思います。ただし、それで社会保障制度が維持できると考えるほどには、ヨーロッパの左翼政党や労働組合はナイーブではないのではないかとも思います。松尾先生が「再分配拡充のためにも景気回復を」と主張されることには私も異論はありませんが、ヨーロッパの左翼政党や労働組合と比較するとそのナイーブさが際立つように思うところです。

(追記)
権丈先生のホームページに岡山大学の姜克實先生による『週間東洋経済』の記事がアップされていましたので,引用させていただきます。

 確かにアベノミクスは、金融緩和、公債発行による景気刺激の点で、石橋積極財政論と原理的、方法的に似通った点は認められる。一方、時代背景と経済環境が違うので同じ土俵では論評できない難点もある。
 湛山の経済学は恐慌対策(昭和恐慌)、混乱対策(敗戦初期)からスタートし、資金繰りがうまくいかず一時的に大量失業、生産縮小となった非正常な経済状況に対応する応急手当ての性質を持つ。現在のような正常状態化の慢性的デフレ現象と違い、政策の内容、方法も違う。
(略)
 次は目的の違いである。湛山の公債論には明確な目的があり、すべては生産活動を起こすために使う。無関係の部分を「非生産公債」と定義しその不可を主張する。戦時中では軍事費がその代表であり、現在ならば社会保障費、地方交付税の支出などがそれに当てはまると思われる。
 しかし、アベノミクスの借金をみるとその明確な政策志向が確認できない。現在、公債額は国家予算の4割程度を占めるが、歳出の配分をみると生産につながる公共事業と科学振興の部分はわずか12%にすぎず、大半は国債費(25%)、福祉、社会保障、地方交付税(50%)に消える。つまり生産を起こすための借金ではなく、借金を返すための借金(利払い)、生活維持のための借金、福祉や社会保障を約束するための借金なのである。このような用途で返せない借金を膨らませていくやり方は、生産を起こす湛山のリフレ論から見れば本末転倒ではないか
 よく湛山思想には時代を超える価値があるというが、それは湛山の哲学と思想をいうもので、経済政策の万能をいったものではない。湛山の時代には恐慌からの脱出、戦争の回避が課題であり、現代社会のような福祉、社会保障、公害などの問題がまだ現れていない。生きるか破滅かの時代からよりよく生きる時代に変わってきた今、安易な政策の転用ではなく思想の継承こそが必要なのではないだろうか。

(pdf)「湛山は本当に”リフレ派”だったのか」『週刊東洋経済』2015年1月31日

社会保障が「非生産公債」なのかとか国債は借金ではないとかいう批判もあるかもしれませんが、湛山の時代には想定されないような現在の状況に湛山の経済政策を安易に転用することの是非は慎重に議論すべきでしょう。まあ経済学方面の方に慎重な議論を求めても多くは期待できないだろうとは思いますが。
スポンサーサイト


コメント
この記事へのコメント
最後の東洋経済の記事のところで、私も、社会保障が非生産公債というところに引っかかりました。医療や社会保障こそ、これからの成長産業だと思っているので。
2016/02/22(月) 01:41:25 | URL | Ryo #-[ 編集]
> Ryoさん

> 医療や社会保障こそ、これからの成長産業だと思っているので。

それは程度問題ではないかと思います。社会保障に限らず、社会的な制度はある面では成長産業としての投資にもなりますし、ある面では生活維持のための消費にもなると考える必要があって、どちらの面が強いかはその規模や制度の設計によることになります。社会保障制度がそのサービスを利用する消費者の生活を安定させて生産活動を増加させ、そのサービス提供に従事する労働者の生活を維持させるという面では成長産業といえるでしょう。

したがって、その成長を持続させるためにはそうした成長に結びつけるだけのフロー財源の安定性が必要です。逆に景気回復に依存したり、一時的な景気回復のための借入によるような財源では先行きが不透明ですから、成長が持続するかどうかも不透明になります。私はそうした一時的な景気回復のための借入による財源までも否定するものでないものの、それが恒常的な財源と位置づけられるような議論(バーナンキの背理法による無税国家ですねhttp://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-650.html)をする方々には説得力を感じないことは本文に書いたとおりです。

松尾先生はAnarcho-capitalism(あるいはAnarcho-syndicalism http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-535.html)な思想をお持ちのように見受けましたので、本エントリでもそうした主張に流れそうな点を取り上げてみたものです。それが私の杞憂であればよいのですが。
2016/02/23(火) 08:30:58 | URL | マシナリ #-[ 編集]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック