2016年01月11日 (月) | Edit |
実質的に本年最初のエントリとなりますが、去年から持ち越しのネタを順次片付けるのは諦めまして、まずはhamachan先生の新著の感想です。その前にhamachan先生と金子先生が本書をめぐる立ち位置のようなものについて論争(といっていいものかよくわかりませんが)されていて、学術的な面でど素人の私が傍から拝見した限りでは、『働く女子の運命』というタイトルがややミスリードだったのではないかという感想でした。というのも、hamachan先生のこれまでの著書のタイトルには「労働」とか「雇用」という文言が必ず入っていたので、明示的に労働問題とか雇用関係とか人事労務管理とか労使関係とかいうくくりで読み進めることができたと思うのですが、「働く女子」というタイトルではちょっと焦点がぼやけてしまったように思います。

実際本書の中身は、あとがきによると「徹頭徹尾日本型雇用という補助線を引いて、そこから論じた」とあるのですが、hamachan先生ご自身が「書いた私の本音としてはむしろ、井上さんの指摘されるとおり、「女性労働を補助線にして日本型雇用を論じた本」になっていたのも確か」と認めていらっしゃる通り、日本型雇用慣行の問題点を女性労働の視点から解説されたものという印象です。

これについては以前、拙ブログで海老原さんの『女子のキャリア』を取り上げた際も、「制度とか慣行を考えるときに不可欠な視点は、メインで見えているものはあくまで制度の束の一部であって、それを支える周辺的な制度や慣行によって成り立っているという自明の理(その意味では、メインとか周辺という区別は便宜的なものに過ぎません)」であって「一見女性が自身のキャリアを考えることを薦めておきながら、その実私のようなアラフォー男性はもちろんのこと、高齢者や若年者に対するエールかつ重要な問題提起にもなっている」と感じたところですが、hamachan先生の新著を拝読した後に改めて認識させられるのも同様に、女性労働の問題ではなく日本型雇用慣行そのものの問題点にほかなりません。まあ「徹頭徹尾日本型雇用という補助線」を引けば、それは日本型雇用の説明になるわけでして、hamachan先生が金子先生とやりとりされた最後のエントリで

女性労働問題として議論されていたことが実は男性問題なんだよ、ということを、一番くっきりとわかりやすく訴えるためには、やはりワーク・ライフ・バランスの話にするのが一番です。女性だけ育児休業や短時間勤務やってれば良いよと思っていると「悶える職場」になっちゃうよ、という話。そこは意識的に戦略的に、そういう話の流れに繋がるような筆の運びにしています。

「ほぼ大団円?(2015年12月30日 (水))」(hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳))
※ 以下、強調は引用者による。

とおっしゃるのはつまり、「働く女子」というタイトルとの合わせ技で日本型雇用の問題点をすんなり受け入れてもらうための手法だったのでしょう。

ということでメンバーシップ型の日本型雇用の中で女性労働がどのように位置づけられ、それがどのような歪みをもたらしているかが歴史的経緯を追って丁寧に解説されているのですが、実はちょっと私の理解が及ばないところがありまして、なんとなくモヤモヤしております。というのは、男女の人事労務管理上のすみ分けとして用いられる「基幹的業務と補助的業務」という区分が、正当化されるべきかそうでないかが今ひとつ飲み込めないのです。本書ではその辺の機微を判例の記述からあぶり出しているので、兼松事件(東京地判平15.11.5)を題材に整理してみたいと思います。

 被告においては、旧兼松、江商、合併後の被告を通じ、原告らの入社当時、商社機能、商社業務の効率的遂行の必要から、会社の業務を分担する社員層として、既に、「商社本来の基幹業務を推進し、かつ将来そのように期待されている社員層」と、「定型的・事務的補助業務を担当する社員層」、運転者や保安・賄い等「特定業務を担当する社員層」とが分化しており、この違いに基づき、採用、教育研修、転勤の有無、業務執行責任の有無等の各面において異なる取り扱い、処遇をしていた。…

 これに対し原告の女性達は、営業、運輸、総務のどの部門でも責任をもった職務を分担し、到底定型的・補助的業務とは言えないと反論しています。この点については、裁判官も「両者の境目は明らかではなく、またその一部は重なり合っていた」と判断し、

 したがって、被告は、社員につき、被告主張のようにまず職種の違いがあることを前提としてではなく、男女の性による違いを前提に男女をコース別に採用し、その上でそのコースに従い、男性社員については主に処理の困難度の高い業務を担当させ、勤務地も限定しないものとし、他方、女性社員については、主に処理の困難度の低い業務に従事させ、勤務地を限定することとしたものと認めるのが相当である。

と認定しています。
 ここには、「職種」という言葉をその本来の意味で、つまりジョブ型社会と共通の具体的な仕事内容の類型という意味で理解している原告や裁判官と、実際に従事する作業はともかく、会社人生の中で期待される役割との関係でとらえる会社側との用語法のずれが露呈しています。
pp.180-183
image
働く女子の運命
濱口桂一郎
定価:本体780円+税
発売日:2015年12月18日

兼松事件の判決文の全文はこちらで読めますが、
平成7(ワ)18760  損害賠償等請求 平成15年11月5日  東京地方裁判所
これによると、被告となった会社では、従来からA体系とB体系の賃金体系をそれぞれ男子社員と女子社員に(事実上)割り当てていたところ、昭和60年の均等法施行に合わせ、労働組合との協定に基づいて、職掌制度と職能資格制度からなる職掌別人事制度を導入しますが、その内容が従来からの男女別の賃金体系と変わらず、女性については職務に応じた賃金となっていないというのが原告の主張です。で、まずこの「職掌別」というのが総合職(本件では一般職)と一般職(本件では事務職)を分離するものとなっていますので、本件では総合職と一般職の違いが「職掌」ということになります。これについて裁判官の判断は、

 被告は,取引機能を中心に,多様な機能をもつ総合商社である((2)ア)。総合商社は,業者と業者との取引に介在し,両者をつなぐことによって利益を上げることを基本とする企業であるから,総合商社においては,業者と業者をつなぐ契約を成立させること,すなわち成約業務が中心的業務であるということができる。そして,成約業務においては,上記(2)エ(イ)b,(ウ)b,(エ)a,(オ)b,(カ)bのように,交渉力,語学力,商品知識等が要求されるものであるから,一般的にみて,処理の困難度の高い業務であるということができる
 被告は,営業部門においては,この成約業務を一般職社員に担当させ事務職社員については成約後の取引完了に至るまでの契約履行に関する様々な業務に従事させている((2)エ)。
(略)
 被告は,これをとらえて,一般職には基幹業務を,事務職には定型的・補助的業務を担当させていたと主張する。しかしながら,原告らが担当した業務の中においても,上記(2)エで認定した原告らの業務の例(例えば,原告Aについては,通関業務,300万円以上の商品代金の納入確認業務等,原告Bについては,支払期日の繰り延べ,倉庫会社への出庫指示等,原告Cについては,兼松食品や兼松香港との取引担当等,原告Dについては,統括室勤務における業務等,原告Eについては,契約書の作成等,原告Fについては,在庫と売掛金が合わない問題の調査等)にみられるとおり,貿易実務や経理実務についての知識・経験が必要とされるものが相当あるのであって,原告らが単なる定型的・補助的業務ばかりに従事していたとは到底いえないし,事務職が担当した成約後の履行に関する業務も,取引を円滑に完了させ,被告の信用につなげるという意味では重要な業務であるといえること,一般職が担当していた業務を事務職に担当させたことがあること((2)エ(ウ)a,b),逆に,新人とはいえ,事務職の仕事を一般職に担当させたことがあること((2)エ(イ)b)などからすれば,被告の行う業務について,被告主張のように基幹的業務と定型的・補助的業務とを明確かつ截然と区別することは困難であり,被告においては,処理の困難度の高いものから低いものまで,その程度が異なるものが様々あるという程度で,両者の差異は相対的なものというべきである。

(pdf)平成7(ワ)18760  損害賠償等請求 平成15年11月5日  東京地方裁判所pp.35-356

としていて、よくあるメンバーシップ型の日本型雇用における仕事の分担として、裁判所の判断はまあその通りだろうとは思います。しかし、この部分では一貫して「業務」という言葉を使ってそれぞれの仕事の分担を説明していて、原告・被告の主張や事実認定の部分で出てきた「職種」とか「職務」とかという言葉がそれぞれどのような関係になっているのかは判然としません。とりあえず、本件の事実認定では、「総合職(本件の一般職)=基幹的業務」「一般職(本件の事務職)=定型的・補助的業務」という関係が定義されているものの、「職種」とか「職務」は特に定義がないんですね。

まあこの事実自体が、職務もひっくるめて無限定に仕事を割り振る日本型雇用慣行の帰結だと思うのですが、では基幹的業務と補助的業務で定義された「職掌」の区別は正当化されるのだろうかというのがピンとこないのです。いやもちろん、職能資格制度が依って立つところの「能力」によって、基幹的業務と補助的業務に男女をそれぞれ割り当てることは理論的にも実証的にも正当化されるものではないですし、それは上記の裁判例でも言及されている通りだと思います。ただし、そもそも基幹的業務と補助的業務に分けることそのこと自体は、「職務」の分担としてありえるようにも思えるのです。

本件判断の定義に従えば、基幹的業務と補助的業務は「処理の困難度の高低」によって区分されるので、処理の困難な業務を遂行できる「能力」をもつ労働者がそれぞれその業務を分担するというのは、それなりに筋が通っています。となると、その「能力」をどのように判定するかが問題になるわけでして、これに対して日本の労使がひねり出した解決策が、経験年数を「能力による資格」として明確化した職能資格制度だったともいえるでしょう。この職能資格制度が会社に対する正社員の凝集性をもたらし、その正社員が献身的に「業務」を推進したことによって日本の経済成長がもたらされた面は否定できないでしょうし、その記憶が残っているうちは、職能資格制度はこれからも日本型雇用慣行の制度的中核としてこれからも堅持されるものと思われます。

しかし、その理論的根拠となった小池先生の知的熟練論の綻びとともに、職能資格制度の弊害として正規・非正規の二極化や女性の社会進出の低調さが認識されている現状では、回りまわって結局、「職掌別」の人事労務管理は社会制度として持続的ではないといわざるを得ません。まあもちろんジレンマはここにあるわけでして、日本型雇用慣行の中核としてこれからも堅持されるであろう職能資格制度が、社会全体の制度としてみれば持続可能ではないわけですから、あちらを立てればこちらが立たなくなります。特に非正規労働者の貧困化などが深刻な状況にある現状では、(職能資格制度によって維持される)メンバーシップ型の日本型雇用に早急に手をつけるべきでであるにも関わらず、個々の会社の賃金制度には社会として介入する余地が少ないため、有効な手段がありません。これをいつものフレーズでいえば、個々の会社の人事労務管理に端を発する社会的問題に社会が介入できないのは、集団的労使関係が機能しないためソーシャルな機能を持たない日本の特殊事情もあるのでしょう。

ということで、(職掌別人事制度の中核となる職能資格制度によって維持される)メンバーシップ型の日本型雇用の今後を考える上で、補助線として女性労働問題の歴史的経緯を追いながら、その問題点をよりビビッドに理解するための教材として、本書が広く読まれることを期待するところです。

(2016.1.11追記)
hamachan先生に早速捕捉されまして、自分で読み返してみてやや言葉足らずだった点があると思いましたので補足です。
本文で「基幹的業務と補助的業務は「処理の困難度の高低」によって区分されるので、処理の困難な業務を遂行できる「能力」をもつ労働者がそれぞれその業務を分担するというのは、それなりに筋が通っています」などと書きましたが、有り体にいえばそれこそが上司と部下の関係ですね。組織としての意思決定を司る上司がいれば、その人が処理の困難度の高い業務を担い、それに付随する補助的業務を部下が担うというのはおそらく洋の東西を問わず普遍的にみられる組織形態だろうと思います(いわゆるbureaucracyです)し、その点では「正当化され」うるといえるかと。

日本型雇用がややこしいのは、この「上司と部下」の関係がそのまま管理者と被管理者たる平社員とほぼ重なってしまうため、基幹的業務と補助的業務の分担が性別によって固定化されてしまうと、それがそのまま処遇を固定化してしまう点にあるということではないかと思います。この問題を解決するためにジョブ型の働き方が必要だと思うのですが、私がピンときていないのは、「ジョブごとに別れていながら処理の困難度に応じて上司と部下が分担して業務に当たる」というのが具体的にどのような働き方になるのか、日本型の働き方しか経験がないため想像できないということなのだろうと思います。
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