2015年12月18日 (金) | Edit |
今日は家族の都合でお休みをいただきまして、ちょっと時間が空いたので気になったことをメモ的に(貯まっているネタがあって時系列が狂ってしまいますが)。

拙ブログでも財源論はしょっちゅうとりあげるネタでして、私としては財源の話をしているんではなくて、その財源によって雇用や生活保障を得る人の話をしているつもりですが、そうして人に紐付けされたものであろうがなんであろうが「財源」というのはなかなかに評判が悪いものですね。個人的に非国民通信さんは財源論以外ではかなり賛同できる方なのでサンプルとするのはやや心苦しいのですが、こういう言説を並べて違和感を感じないというのは日本的左派の皆さんにありがちなのではないかと思われます。

 介護人材の不足は結構な以前から叫ばれていますけれど、その薄給は昔から変わっていません。そこで改革派の政治家や財界人は移民の受け入れを検討せよと語るものですが、まぁ金を出さずに済ませようとするのが日本的なソリューションなのでしょう。そして昨今は保育士の不足が問題視されています。

カネの問題だという現実を受け入れよう(非国民通信 2015-12-13)

ふむふむなるほど、「カネを出さずに済ませようとする日本的ソリューション」では問題は解決しませんよね。で、その3日後にはこう指摘されます。

 とかく「財源」を騒ぎ立てる論者も目立つところですが、それもおかしな話です。減税ではなく増税を論じているのになぜ財源の話になるのか。一部の食品を増税の例外にしたところで税収が今より減るわけではありません。要は「(消費税増税分を当て込んでいた法人税減税の)財源が足りなくなる」というのが正しい理解のはずです。ならば話は簡単、アホな法人税減税をやめればおつりが来ます。それよりも、消費税増税によって抑制される国内消費、それに伴う経済活動の停滞と必然的な税収減を補う財源を考えた方が建設的でしょうね。そして言うまでもなく最良の判断は消費税増税をやめることですけれど――現与党以上に逆進課税に積極的なのが野党第一党という有様ですから、まぁ救いようがないのかもしれません。

カネの問題は命の問題につながっている(非国民通信 2015-12-16)

うーむ、公的サービスの供給者にとっては、前者で引用したエントリの「カネ」の財源こそが後者のエントリの「カネ」でありまして、ここでもやはり「カネを出さずに済ませようとする日本的ソリューション」では問題は解決しないように思います。まあ公的サービスの需要者としては、前者の「カネ」はどこかの富裕層が負担するものであって、後者の「カネ」はびた一文払うつもりはないとの意思表明でしょうし、それはそれで一つの意思表示として尊重すべきだろうとは思いますが、それでは現実的な生活保障に関するヒトの雇用は何ら解決しないわけでして、頭を抱えざるを得ません。

というのも、「デフレを脱却したら」「景気が回復したら」…こんなエクスキューズでもって、再分配政策としての公共サービスが担う生活保障の機能が、これまで20年にわたって貧弱なままに据え置かれている実態があるからです。いつもの繰り返しの議論ですが、かつては日本型雇用慣行の下での生活保障給や日本型フレクシキュリティ(男性正社員の収入により家庭が介護や保育などの生活サービスの現物給付を担う)がそれを代替していました。そのような役割分担を踏まえれば、バブル崩壊で景気が後退し、日本型雇用慣行が変容して生活保障の機能の縮小を余儀なくされた時点で、政府を通じた再分配政策、特に家庭で負担できなくなった生活サービスの現物給付が拡充されるべきでした。

ところが、貧弱な再分配政策による生活困窮の実態や、そのような事態に陥る人が増加することによる経済への悪影響は当時ほとんど注目されていませんでした。そして、もともと低負担だった日本の国民負担率は、バブル崩壊後の景気回復のかけ声に押されて90年代を通じて低下していきます。一方で少子高齢化による生活サービスの現物給付需要の自然増が重なり、その穴埋めとして国と地方の債務残高が激増していった(一部は小渕内閣時の財政拡張も寄与していますが)わけです。さらにいえば、医療従事者はバブルがはじける前から深刻な人手不足を超人的、というより廃人的な長時間の勤務実態で医療サービスの現物給付需要をカバーしています。

で、バブル崩壊後もアジア金融危機、ITバブルの崩壊、リーマンショック、ユーロ危機等々、日本の増税(まあこれまで「増税」といえるような税制改革はなかったんですが)とは関係なく世界的な景気後退が繰り返されている中で、「デフレを脱却したら」「景気が回復したら」といって財源が確保できないまま、日本型雇用慣行下で機能していた生活サービス、特に現役世代向けサービスを政府が現物供給することなく20年が経過しています。その一方で、税収による一般財源にしか財源を頼れない生活サービスは、景気後退のたびによくて現状維持、悪ければカットされる状況が続いています。もちろん、医療や年金などは国民皆保険制度があるので財源としては安定していますが、全体では貧弱な社会保障費の中で現金給付である年金の総額が相対的に大きいために、一部の論者からは世代間の不公平感を煽る格好のネタとされてしまっています。

財政政策の実現性(2014年12月10日 (水))

ついでながら、1年前のこのエントリで取り上げた「医療従事者はバブルがはじける前から深刻な人手不足を超人的、というより廃人的な長時間の勤務実態で医療サービスの現物給付需要をカバーしてい」るというのは、医療機関には官民問わず強力な労働組合が存在していまして(その労働組合は「医者とコメディカルのヒエラルキー」という労働者側の労労対立の産物でもあるわけですが)、その強力な組織力によってそれなりに高い賃金水準を確保しているという実態があります。その点で長時間・重労働の勤務実態があってもそれなりにサービスの供給体制は維持されているのですが、労働組合が見向きもされなくなった時期に就業者が拡大した介護労働では、低い賃金水準で長時間・重労働の勤務に従事しなければならないのですから、供給体制が維持できなくなるのもまた宜なるかな。まあそれも、労働組合が機能しない日本の集団的労使関係の、または「カネを出さずに済ませようとする日本的ソリューション」の帰結なのだろうと思います。
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