2015年10月07日 (水) | Edit |
前回前々回と、半年前に発行された震災関連本から目の前の課題と大きな問題の間の隙間についてメモ書きしたところですが、今回はちょっとさかのぼって、一年半前に発行された震災関連本からちょっと気になった記述をメモ書きです。

今回取り上げるのは、『震災裁判傍聴記』という阿蘇山大噴火的なタイトルですが、著者は弁護士を目指して司法試験に7回失敗したというジャーナリストでして、ネット版の「現代ビジネス」での記事が基になっています。なんといういか全体的に著者の主観が入りすぎていて素直に読めないところがありますが、冒頭で取り上げられている拙ブログでも取り上げた石巻での偽医者事件については、その著者の主観がうまく事件の背景を説明した形になっているようです。

 男は日本財団にも医師を名乗り、百万円のボランティア助成金を騙し取っていた。最初は電話で10万円の申請をしたが、日本財団の職員から「10万円で足りますか?」と尋ねられ、その場で勢いあまって100万円に増額申請したという。
 ただ、2011年6月に入った段階、震災発生から3か月以上過ぎてからの虚偽申請であり、初めから助成金が目当てで被災地へ入ったとは考えにくい。もし、助成金を騙し取るのが目的なら、100万円を受け取った後、さっさと福井へ帰っているはずだ。しかし、男は依然として石巻に居座り続け、石巻で100万円を使い切った。その供述によれば、「100万円のうち、45万円は炊き出しのガス代や移動のガソリン代、25万円はキャンピングカーの修理代、25万円は彼女に渡し、そのほかはパチンコやスナック、競艇で使った」のだそうだ。
 この男には、結婚詐欺などの前科がある。本件も「金銭目当ての犯行」と考えるのが自然なのだが、どうやら事情はそう単純ではない
(中略)
 男が患者に処方し、キャンピングカーに貯蔵していた種々の医薬品については、宮城県警の科捜研により、「いずれも本物。有効成分も十分に含まれている」と鑑定された。
 また、被災者らに具体的に実行・指示した医療行為については、宮城県医師会の回答によると「一般的な医師のやり方とは異なるが、不適切とまでは言えない」とのことだ。
 この男の「お医者さんごっこ」は、どうやら遊び半分の動機でもなさそうだ。決して付け焼き刃的ではない医療知識を身につけ、自分のエゴで被災者の身体を粗末にするために実行されたものではない。むしろ治癒を目指す彼なりの「職業倫理」があったようである。
 とはいえ、どこの馬の骨とも知れないニセ医者から、偉そうに治療方針を指示してほしいとは誰も思わない。お年寄りや傷病患者に対する手厚いケアを欲する被災地を、さらなる不安に陥れた罪は重い。
 そんな罪深きニセ医者に向けて、担当の弁護人が優しげに質問を投げかける。

——石巻に来る前から医者を名乗っていたんですか?
「はい。名乗ったことはあります」
——特別に知識があったわけではないでしょう。
医療の勉強には興味があって、福井でもずっとやってました。本とかインターネットを読んで。でも、医者になれるはずがないと思ってましたし、お金を取って医療行為をしたこともありません」

pp.34-36
9784594070045.jpg
震災裁判傍聴記~3.11で罪を犯したバカヤローたち~
長嶺超輝 著
発売日2014/03/04
ISBN 9784594070045 扶桑社新書

※ 以下、強調は引用者による。

まあ確かに事情は単純ではなさそうですが、日本財団から足りるかと尋ねられて「勢いで」100万円と言ったり、結婚詐欺の前科があったりと、被告人の「嘘をつくことに対するハードルの低さ」が気にかかります。ところが、そうして医師を詐称して行っていた医療行為にストレスを感じて、出身地である北海道へ逃げていきます。法廷で弁護人からその心境について聞かれると、

——自分を偽って、医師として活動してきたことが重荷になってきたと?
「(涙声で肩を震わせながら)……実際に被災地に滞在していて、被災地の現実ってこうなんだなと。震災から何か月も経って、テレビで、いろんなボランティアが『私はこういう活動をしてきました』と語っていたり、自衛隊の活躍などが報じられていますが、私のやってきたことは、そんなきれいなこと、決して美談ではなく、石巻の街で出会った人々に対して、人間として責務を果たしてきた。それだけです。給料をもらいながら活動している人とは違います……」
——どういうことですか?
「あまりオフィシャルに言っちゃいけないかもしれませんが、もし今回の震災で医師が早い段階で被災地に入っていれば、もっと救えた命があったのは確かです。医療を受けられないから亡くなった方もたくさんいました。もどかしかったです。『茶番だな』と、正直思いましたね。困っている人はたくさんいたんです

 今、目の前で話しているのは、詐欺師として裁かれている被告人である。その供述の中には、ニセ医者としての自己の犯行を正当化する目的も混じっているはずであり、まるまる信用するわけにはいかない。ただ、自己弁護を超えたところに、震災ボランティア活動の現実が時おり見え隠れしているように思えた

長嶺『同』pp.41-42

うーむ、こういうところに著者の主観を強く感じてしまうのですが、ここで被告人が述べているのはあくまで自己弁護としか思えませんので、それを「自己弁護を超えたところに、震災ボランティア活動の現実が時おり見え隠れしている」とまで言えるかは疑問です。ただし、「震災ボランティア活動」をしていた方々の中にこうした感覚があったのは私も感じるところでして、「困っている方を助けたい」という思いが純粋な動機となって行動しているうちはまだしも、「困っている方を助ける自分」というものを意識するようになると、「役所とか医者とか偉そうに、所詮古い公共なんぞに任せていてもろくなことしないから、俺の方がもっと役に立つ」という思いが昂じてしまい、場合によっては本件のように「多少法に触れても人助けをしているんだから許される」と感覚が麻痺してしまうこともあるのでしょう。

1年半前は、当地で大きな問題となったNPOの横領事件が刑事事件になった時期でしたので、ちょうどその時期に発行された本書にはその事件についての記述はないのですが、このニセ医師事件と同様に震災後に起きていたことの一面を物語る事件ではあると思います。

 この裁判を傍聴しながら、昔、心理学の本で読んだ「メサイア・コンプレックス」という概念を思い出した。
 メサイアとは救世主のことである。本当は自分自身が救われたいのに、やたらと他人を救済しようと試みる。そうして、他人を救う能力がある自分を特別な存在であると思い込むことで、自分自身を支えようとする心理が、メサイア・コンプレックスなのだという。その心理の持ち主は無意識のうちに、自分よりも立場が弱い対象を求め、何らかの働きかけをしようとする。たとえ、それがありがた迷惑であろうとも。
(中略)
 東日本大震災が発生し、人々の日常生活がこっぱみじんに破壊された被災地の凄惨な実情を知り、「自分に何かできることはないだろうか」と、日本中、世界中のそこかしこで、静かにメサイア・コンプレックスが燃え上がったに違いない。
 この男は、結婚詐欺師という汚れた過去を拭い去るため、震災直後から被災地に入り、とにかく懸命に身体を動かした。身銭も切った。
 しかし、彼のボランティア活動は、厳密な意味で無償ではなかった。炊き出しを振舞って「ありがとう」と感謝されるだけでは足りない。被災地において、人々から特別に尊敬を集める存在でありたい、という欲望の充足と引き替えだったのである。石巻に集結した、大勢いる有象無象のボランティア志願者の一人として矮小化されることが、この男にとっては耐えられなかった。
 前科・服役歴がある男が、被災地で特別な存在であろうと目指すとき、そのあまりにも大きな高低差を埋め合わせるためには、医師という格調高い肩書きが最もふさわしいとでも考えたのだろう。(略)彼にとって、被災地・石巻は、失われた自尊心を取り戻すため、即席の救世主を演じる大舞台だったのだ

長嶺『同』pp.47-48

著者の主観が強すぎる本書ですが、この部分については、震災後に被災された地域で何度も目にした光景の説明として深く頷いて読んだところです。震災という非常事態で「他の誰にも負けない力を発揮して誰かを救い、そのことによって救世主として崇め奉られたい」と思うのは、普段は何も特別なことをしていない普通の人だからこそなのでしょう。そして、自分がそういう行動をとるための理屈が「給料をもらいながら活動している人とは違います」という思いにすり替わっていくと、その行動に歯止めが利かなくなってしまうわけですね。

この被告人が行った医療行為は、本書によると寝たきりの方の床ずれに塗り薬を渡して処方を指導したという程度のようですが、少なくとも刑事訴訟上はそれらを構成要件として医師法違反、詐欺罪、無因公文書偽造/行使罪で懲役3年の実刑が言い渡されています。つまり、この被告人が被災された地域で行ったことは犯罪であると司法が判断したわけで、法治国家であるこの国の住民にはそのような事態に陥らないようする義務がある中では、そうならないよう本人自らが、それが難しいなら周囲の関係者がきちんと歯止めをかける必要があったはずです。ただし、周囲の方にとっては、目の前の患者が(少なくとも対処療法的には)救われるのであれば、本物の医師であろうとニセ医師であろうと構わないという事情があった可能性もありますので、結局は被告人本人が自ら歯止めをかけるべきところ、「嘘をつくことへのハードルの低さ」が仇になったといえそうです。

「給料をもらいながら」震災後の被災地支援業務などに携わってきた者としては、このような犯罪を未然に防ぐためにも、こうした方々が「給料をもらいながら活動している人とは違います」と思わないで済むようにすることが求められていると思うのですが、その具体的な中身が「そらをじゆうにとびたいな」というものであれば「できねえよ」としか答えられないのが現実でして、なかなか世の中は思いどおりにならないものです。

でまあ、この話を敷衍していくと、バブル崩壊後の景気低迷を「給料をもらいながら」仕事をしている政府とか日銀の失策によるものと決めつけて、「本とかインターネットを読んで」経済政策を論じる方々は私の見る範囲ではけっこうな数でいらっしゃいますね。その方々はまさに「困っている人を救いたい」という動機から、そうした議論を繰り広げているものと思いますが、そのまっとうな義憤の少なくない部分はメサイア・コンプレックスによって引き起こされたもののようにも思います。私を含めて、この被告人の「『茶番だな』と、正直思いましたね。困っている人はたくさんいたんです」という言葉に思い当たる方は少なくないと思うところでして、それが「風評被害」とか「歯止めのない個人攻撃」とか「目的のためには手段を選ばないという態度」とか、あるいは「お手軽に批判対象を公共の敵に仕立て上げようとする、せこいトリック」につながっていないか、常に歯止めをかけ続けるために自問し続けなければいけないということなのでしょう。
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