2015年09月28日 (月) | Edit |
前回エントリで目の前の問題の一端をメモしておりましたが、今回は大きな問題について取り上げてみますと、『東北ショック・ドクトリン』では、題名のとおりナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』をモチーフにして、震災後に進められた大きな話が目の前の問題と乖離していく様子が描かれています(私自身『ショックドクトリン』はしばらく積ん読になっていますが、先にこちらを読んでしまいました)。冒頭で、被災された方を対象としたゲノム解析プロジェクトである「東北メディカル・メガバンク構想」が取り上げられます。

 東北メディカル・メガバンクが批判されている核の部分は、倫理の問題だ。

 「人間を対象とした医学研究の倫理指針『ヘルシンキ宣言』には、「不利な立場またはぜい弱な人々と地域社会を対象とする研究について」の慎重さを求める項目があります。被災地はそれに該当すると考えられます」と、前出の水戸部は指摘する。

 一方、ヘルシンキ宣言に対する機構側の見解は、「不利な立場またはぜい弱な人々と地域も、科学研究の対象となり、その恩恵を受ける権利がある」というもの。

 これに対し、機構から倫理問題の連続セミナーでの講師の一人として招かれたこともある、国立循環器病研究センターの医学倫理研究室長/バイオバンク個人情報管理室長、松井健志はこう語る。

 「ここには潜在的な不公正の三層構造があると考えられます。問題はそれらの不公正に対し、適切な手当がなされているかです」

(略)

 「問題は三層目の、被災地域に特有の状況的不公正に応えられているかという点。現状ではこれには問題があります。被災地の方々にまず必要なのは、震災で孤立化した人たちの間で新たに発症したり悪化したりした疾患への治療とそのための医療システムの再建であって、今までの長期コホートが考えてきたような一般的な病気予防や健康指導ではない。被災地では、研究や健康相談の場所を作る以前に、まずはきちんと元の医療水準にまで引き上げることが、何より求められているのです
pp.9-10
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東北ショック・ドクトリン

古川 美


■体裁=四六判・並製・カバー・214頁

■定価(本体 1,700円 + 税)

■2015年3月5日

■ISBN978-4-00-061027-8 C0036

大きな災害が発生した直後,人々が茫然自失している間に進められる急激な新自由主義的改革=ショック・ドクトリン.3.11後の東北もまた例外ではない.水産業特区,空港民営化,遺伝子検査,大型小売業の進出……,地をはう取材を積み重ね,被災地の現実を報告する本格ルポ.

※ 以下、強調は引用者による。

個人的には、ここで取り上げられている東北メディカル・メガバンク構想とヘルシンキ宣言の関係はよくわからないところもあるのですが、引用部で強調した点は目の前の問題に対処する中で感じることではあります。いつもの再分配論ともつながりますが、生活を保障するために必要な財源が不足している現状で、特定の分野での規制緩和やプロジェクトで成長戦略とかに予算をつけられても目の前の問題は解決しないわけでして、歯がゆい思いを感じます。

一旦整理しておきますと、再分配で必要となるのは対人サービスによるフローの生活保障ですので、単年度(せいぜい5年程度の複数年度)の予算で完結する事業にフロー財源が割かれるほど、フローの生活保障に回る財源が不足してしまいます。もちろん、ストックであるインフラ整備に国債などのストック財源を充てることは合理的ですが、スティグリッツが指摘する通りフローの生活保障を日銀引受の国債で賄うのは持続可能性が乏しいわけで、OECD諸国の中でもトップクラスに国民負担率の低いこの国で、フロー財源を「創造的復興」などに充てられてしまえれば目の前の生活保障が後回しになるのは当然のことですね。本書では宮城県知事の姿勢も批判されていまして、

 29日と30日、両方の会に出席した、独立行政法人・放射線医学総合研究所の主任研究員、栗原千絵子は、その感想を語る。

 「29日のシンポジウムでは、いかに東北メディカル・メガバンク構想が素晴らしいプロジェクトかということがプレゼンされ、30日の会で聞いたような、ネガティブな側面は一切語られませんでした。翌日、水戸部先生達のお話を聞いて考えてしまいました。宮城県知事が「被災者はヘルシンキ宣言における弱者に当たらない」と公開質問状で回答されたのは非常な驚きです

 栗原は生命倫理を専門とし、長年、ヘルシンキ宣言について研究を続けてきた。2013年10月にブラジルで改訂されたばかりの最新版について、国際的議論の背景にも詳しい。

 「かつての17条、改訂版では19条と20条に当たりますが、弱者を対象とする研究に関しては大変に関心をもってきました。メガバンクの話を聞いたときは、まさにその条文に関わると思ったのですが、反対声明を出している人たちが既にヘルシンキ宣言の引用をして、内容も正確に捉えていたので、感心しました。ところがこの研究計画の倫理性に関わる問題を、サポートする立場の宮城県側がわかっていない。県知事がコミュニティの人々を医学研究におけるリスクから保護するために必要な国際的な原則を理解していないのは問題です」

古川『同』pp42-43

こうした傾向は、特に資源の効率的分配に比較優位を有する地方自治体に強いところでして、フロー財源を「創造的復興」に充てて目の前の生活保障を後回しにするのは、それが「硬直的経費」となって自由に使える財源が目減りしてしまうことに対する恐怖感が強いからといえるでしょう。まあそこにつけいる隙があるからこそ地方には改革バカがはびこりやすいわけで、震災によってその隙がさらに広がった状態になっていることは否定できないと思います。なお本書では、こうした宮城県の「創造的復興」に対比させて岩手県を評価するのですが、どちらも「創造的復興」を標榜しているのは共通しておりまして、個人的には地方自治体である両者に本質的な違いはないと感じますね。むしろ、本書のp.68で岡田知弘京大教授が福田徳三を評価する中で「後藤新平は復興の基本をハード事業に置いたが、福田は地域のフィールド調査を続ける中で、それが第一に必要なことではないと気づきました」と批判されているその後藤新平は岩手県出身でして、震災後は岩手県知事ご自身が「参考にした」と明言しています。

達増 私が震災後に考えたのも、まさに「前よりも安全かつ豊かで、安心な県にしなければならない」ということでした。安全・安心・豊かという理念に即して「安全の確保」「くらしの再建」「なりわいの再生」という復興に向けた三原則を設け、それぞれが関わる10の分野で、計画の柱を立てました。参考にしたのは1923年、関東大震災からの復興を手掛けた後藤新平さん(満鉄初代総裁、東京市市長、台湾総督府民政長官、逓信大臣、内務大臣、外務大臣などを歴任)の政策です。

佐藤 くしくも後藤さん、岩手県のご出身(現・奥州市水沢区)ですね。まさに偉大な先達。

達増 はい。関東大震災後の「帝都復興計画」は、東京を震災前より美しく壮大な都市にする、というものでした。東京市政調査会というシンクタンクを創設していた後藤新平は、科学・技術的な必然性に基づいた復興計画を立てました。彼のことを「大風呂敷」と呼ぶ声もあったけれども、夢想家ではなく、優れたリアリストです。まずは後藤新平さんに倣い、岩手大学や東北大学、東京大学の先生など各分野の専門家に集まっていただき、専門委員会を設けました

 さらに科学・技術的な必然性の上に経済・社会的な必要性をまとめるために、復興委員会を発足しました。岩手県内の農協や漁協、医師会、商工会議所連合会や工業クラブの会長など各団体の代表者に意見を伺いました。そこから体系的、網羅的な復興計画を策定したのです。

岩手県知事 達増拓也×佐藤健志 「超復興の実務と理想」を語る〔1〕2014年03月11日 公開《『Voice』2014年4月号より》

農協などの地元の団体の意見を伺ったという点ではたしかにトップダウンだけではないといえそうですが、その考え方は「創造的復興」そのものではないかと思うところです。まあそれはさておき、東北メディカル・メガバンクの倫理的問題もさることながら、本書で取り上げられているイオンの出店も難しい問題です。

 どうやら大型店誘致は、商圏人口を奪われないための自衛という側面もあるようだ。取材中、「釜石にイオンが来ないと他所に行ってしまい、さらに街が衰退すると市から聞かされた」「直接、デベロッパーから「おたくがイヤなら隣の街に行くだけ」と言われた」と、何人かの地元商業関係者からも聞いた。

古川『同』p.144

その地元商店は難しい選択を迫られています。

 向かいの棟の桑畑書店も、震災前は質、量ともに地域一番と評判の本屋だった。
 創業は1935年。現在の店主、桑畑眞一は三代目だ。震災前は只越地区に売り場面積70坪の二階建て店舗を構えていた。その建物は骨組みをさらしたまま、いまも元の場所にある。被災総額は一億円以上だ。
 「震災から3年間、ずっと元の場所で再建しようと頑張ってきたけれど、先月ようやくそれは無理だと納得しました。いまは、この先をどうしようかと考えているところです」
 30年以上年中無休で働き、やっと経常収支で黒字が定着してきたところだった。震災後は瓦礫の中から水浸しの顧客台帳の一部を見つけ、それとスタッフの記憶を頼りに、自転車で500人の顧客を訪ねて回った。5名いた従業員も古い順に3人再雇用した。
 「みんな長い間うちに愛着をもって勤めてくれましたから。だからいま、私の給料は手取り3万円です。でも税金は免除されているし、仮設住宅だから、生活には困らないけどね。私もイオンのテナント説明会にはいきましたが、とても出店は無理です。うちは外商が主だけれど、あそこでは外商ができない。それにイオンに出すとなるとテナント料以外にも、棚や本を入れるだけで一億円近くかかりますからね」

古川『同』p.151

ここで取り上げられている桑畑さんは、『復興なんて、してません』のインタビューに対してさらに当時の生々しい状況を話されています。

 店のほうは、本の配達が多かったから、なんとか外商だけは復活させないと、と思った。

 最初にやったのは、従業員のしつぎょうほけんのてつづき。店がなくなって仕事ができないから。配達はオレひとりでやればいいかなと思って。3月中に、配達のために9坪の事務所を釜石駅の近くに借りて。配達のデータがねぐなったけど、4月11日から店のなかを掘り起こしてなんとか台帳とかは少し見つけて、復刻作業をした。従業員4人みんな来てくれました。でも、バックアップしていたデータは金庫ごとなくなった。レジも流された。40~50万円あったかもしれないね。

 クルマもなかったし、電話も繋がらなかったので、1軒1軒、自転車と歩きで配達先のお客さんのところに行ったんです。どっちかというと、個人のおたくより、製鉄所とか病院とか合同庁舎とか市役所とか、職場で取っている人が多かった。ひとり一人、何を取っていたか聞いて。みんな記憶で。

 亡くなった人も多かったんだけど、もう本はいらないという人も多かったね。職場で取っている人たちは、自分の家が流されたら、もういらないわけだ。

渋井ほか『復興なんて、してません』p.115

桑畑書店が再開してからは復興本の需要が大きいとのことで、地元の方が自分で読むためだけではなく、支援してくれた方々へ送る方も多いそうです。ただし、地元のニーズの変化は、必ずしも追い風になっているわけではないようです。

 やっぱりベストセラーを置いてこそ本屋だと思っている。置きたいしね。多少返品率が高くなっても、回さないと。どんどん棚が変わっているように見せないと。震災関係だって、やっぱり8割は変わってますね。どんどん新しいのが出ているから。

 以前は、新日鐡の従業員がたくさんいたので専門書も売れていた。前はだけどね。そういうのは一切なくなった。農業書はぜんぜんダメ。どっちかというと水産関係や漁業関係。成山堂書店とか海文堂は常備していたんですよ。2棚あったから300冊以上。これも売れなくなっていたけどね。どこもシビアになっているから。乗組員も減ってきているしね。3万トンクラスの船なら50人、60人乗っていたのが、半分以下になっていた。そのうえ、日本人じゃなく外国人の船員になっていたから。新しい店をつくっても、策を考えないと。

渋井ほか『復興なんて、してません』p.122-123

「復興」という言葉の意味を改めて考えてしまいますが、とりわけ「創造的復興」なるものが目の前の課題に対処できるものなのかは、「復興」後の形が見えてきたいまだからこそ、十分に検証する必要があるのではないかと思います。
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