2015年08月23日 (日) | Edit |
前々回エントリからさらに関連しますが、海老原さんのニッチモ発行の『HRmics vol.22』をご恵投いただきました。いつもありがとうございます。と言う前に、実は『HRmics vol.21』もご恵投いただきながら取り上げ損ねておりまして、大変失礼いたしました。合わせて御礼申し上げます。

で、その特集なのですが、vol.21はいわゆるG型・L型大学に絡めた大学教育、vol.22は会社入社後の研修がそれぞれテーマとなっておりまして、言わずもがなですが一筋縄ではいかない議論が展開されています。G型・L型大学の話は最近hamachan先生のブログでも断続的に取り上げられていまして、この問題のややこしさに改めて頭が痛くなりますね。たとえば、vol.21の大学教育の特集での海老原さんの「むすび」では、

 まず、G型は(研究人ではなく産業人材育成については)その対象がかなり少ない。(略)とすると、上位大学といえども、その中の選抜組だけを対象にすることで初めてG型は実現できる。これは難しい改変が必要だが、あえてその難題に立ち向かってほしい、とは思う。
 一方、L型に対しては、エールではなく、批判が主となる。
(略)
 とどのつまり、普通のホワイトカラー、サービス、事務職に訓練の重要性が見いだせないのだ。
 L型職業訓練大学が不要だとすると、多くの一般大学はどう変わるべきか。
 答は、今の形のままで、ほんの少々襟を正すことだと思っている。
(略)
 あとは、企業が望む「忍耐、継続、論理構成、話す、聞く」の力を培うこと。でも、コロンブスの卵というか、これこそ、本来のアカデミズムの本道だろう。何よりも、アカデミズムこそ、こうした全人格形成に資するのだから。だとすると、今の学部編成のままで、講義やゼミの運営をよりハードにすればそれで十分。何もGL編成などを考える必要はない。

「むすび G型L型大学論争の前に 本誌編集長 海老原嗣生(HRmics vol.21)」p.28

とおっしゃていて、このご指摘そのものは肌感覚としてよく理解できるものの、それはつまり海老原さんが提唱されている「途中まで日本肯定型」によって入口での日本型雇用慣行のメリットは残すという、日本型雇用慣行の功罪を踏まえたギリギリの折衷案なのだろうと思います。入口での日本型雇用慣行が残っているなら、今の大学(特に人文系学部)を変える必要はないということになります。

しかし、今の大学を卒業した「白地の石板」に職務を書き込まなければならない企業側は、いっぱしの業務を任せられるように研修で人材育成しなければならず、そこでは全人格的な人材育成が行われることになることになるわけでして、本誌でも「ブレークスルー」型として、管理者養成のため駅前で一人で歌を歌うことを課すような「地獄を再現して人格を変容する」研修が紹介されています。これを一企業が新入社員にやらせたらあっという間に「ブラック企業」という評判が広がってしまいそうな案件ではありますが、幹部候補生はかくも全人格的なコミットメントが求められるわけでして、外部の研修機関が行う管理者養成の集合研修だから許容されているともいえます。それが「見返りのある滅私奉公」の一つの側面でもあるのでしょう。

理想的に言えば、これを外部の研修機関ではなく組織内で行うための最も効果的なやり方が、アイゼンハワーが師であるコナーから受けた徒弟制ともいえる育成方法となるはずですが、現在の業務上の効率性のみを追求した組織運営の中では、そのための時間も上司のリソースも極限まで削られてしまっています。もちろん本誌では、ブレークスルーの前段として、視点の転換、アセスメントとチームビルディング、視野の拡大、組織の風通しをよくするという研修の5つの要素が事例を交えて紹介されていて、その多くは組織内で行われるものではあるのですが、そもそもそれを適切に行うことができる従業員が組織内で育成されていないという大問題が横たわっています。つまり、徒弟制によって部下にスキルやノウハウを伝授できるような経験を持つ上司そのものが、極端に効率化された組織運営のために不在となって久しく、だからこそ現場に人材育成を任せるのではなく、人事担当が研修を戦略的に企画しなければならなくなっているのではないかと思います。

ちょうど少子高齢化に危機感を抱いた政府が、人口減少社会克服のために少子化対策に力を入れはじめたのと歩調を合わせるように、組織内での人材育成機能が低下しているからこそ、次世代の人材を育成するための「戦略的人事資源管理」が重要性を増しているのだと思います。しかしながらこの点については、大学が現在のままちょっと襟を正すことで「アカデミズムこそ、こうした全人格形成に資する」と評価する一方で、それだけでは組織運営に必要な人材は育成できないという現状認識とが、うまく接続されていないように思われます。vol.22での海老原さんのまとめは、

 戦略人事管理という側面から人事のできることを考えただけでこの広がりなのだ。その他にも、労働行政や雇用と社会のダイナミズムなど、人事が知っておかなければならない知識はたくさんあるだろう。
 あらためていおう。人事は深い。人事屋ではなく、人事のプロを目指そう。

「conclusion もっと本気で、戦略的人事資源管理(HRmics vol.22)」p.26

となっているところでして、個人的には海老原さんには珍しく踏み込みが足りないように感じました。いやまあ「人事は深い」からこそ安易な踏み込みを避けること自体は賢明な対応だろうと思うのですが、改めてややこしい問題だなと痛感しますね。

それとはまた別の記事ですが、hamachan先生が新連載(といっていいのか)でウェッブ夫妻の『産業民主制論』を取り上げられていて、これは待望の解説でした。日本語訳は当地のような地方の図書館には所蔵されておらず、こちらのサイトで原著が電子書籍化されているもののさすがにこの分量の英文を読む気力もなく諦めていたところでしたので、エッセンスが読めただけありがたいです。しかもhamachan先生によって、

 (略)むしろ、この間にイギリス労働社会がどれだけ変わったかということがイギリス研究の焦点でもあるのですが、にもかかわらず、極東のこの国から見れば、19世紀から20世紀を貫いて21世紀にいたるイギリスの変わらなさこそが目につくのです。
 それは、私が諸著で「メンバーシップ型」に対比して「ジョブ型」と呼んでいる欧米型雇用の原型であり、労働研究者であれば「ジョブ」(職務)が確立する以前の「トレード」(職業)の時代の雇用システムであると言うでしょう。その「トレード」の作る団体が「トレード・ユニオン」(正確に訳せば職業団体」)であり、本書はそのトレード・ユニオンの機能を詳細に分析した本なのであってみれば、日本的な(会社のメンバーであることがすべての前提となる)「社員組合」とはまったく異なるトレード・ユニオンの姿が浮き彫りになってくるのです。そういう観点から本書を紹介したものはあまり見当たらないので、ここではもっぱらその観点から見ていきたいと思います。

「原典回帰 第1回 シドニー&ベアトリス・ウェッブ著『産業民主制論』(HRmics vol.22)」p.32

というように現在の問題に即した内容となっていますので、現在の雇用・労働に関心のある方にはご高覧をお薦めします。
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