2015年08月16日 (日) | Edit |
震災が起きてから2011年を含めて5回目のお盆になりましたが、マスコミでは戦後70年の節目ということで例年に増して戦争関連の報道や特集が多いようです。かく言う私も先日まで追い込まれていた担当業務のため、被災された地域の現状が全く分からない状況となっております。一応その担当業務は復興に関連する部分もありますが、以前と違ってそれがメインではなくなってきているという点に時間の経過を改めて感じるところです。

ということで、相変わらず私自身はごく普通の無宗教な日本人ですので、お墓参りをして親戚と会って近況報告などして過ごしたわけですが、そのときは震災のときのそれぞれの家族の思い出話(その場には直接被害を受けた親族がいませんでした)が話題になりました。親戚の中には戦争を実体験として知っているおじさんなどもいて、テレビの戦争関連番組を見ながら当時の思い出を話していたりもするわけで、戦争や大きな災害というのは、その世代の共通体験としてこうやって語り継がれていくのだろうと思ったところです。

その裏返しとしていえば、戦争や大きな災害の体験を共有しない世代にその体験が伝わるというのは、その世代がこの世からいなくなるに連れて一般的な家庭の中では次第に行われなくなるのだろうと思います。というようなことを考えていたところ、すず黄(yellowbell)さんの直近のエントリに共感することしきり。

それよりも、と言うとこれもばちあたりですがそれよりも、戦争時代こどもだった、そして終戦いいえ敗戦時代に青年だった人間たちが胸に抱いてきた、けして口には出さない出せない強烈な挫折感と劣等感、それを知る者がいなくなるという絶望です。
久々に酌み交わしながら、ふとテレビが流す敗戦時のフィルムを見て、玉音放送に額づく人々を見て、もういいじゃないかこんなこと、と目を伏せてチャンネルを変える父親を見ながら、彼の胸中にある「こんなこと」の具体的な意味を聞くことはおそらくこの一生のうちにはないんだろうな、と空になった酒を注ぐのです。

負けたら、何が残るか。
それが忘れられた社会が語る敗戦の空虚さ
に、ちょっと想像をめぐらすおセンチなお盆中日でありました。

http://h.hatena.ne.jp/yellowbell/81820371205138799

うちの親族には「もういいじゃないかこんなこと」というまでの挫折感はないのですが、ご多分に漏れず敗戦後の貧困を味わった劣等感は強烈に残っていると感じます。そこにはおそらく、あの敗戦を経験して60年安保闘争で盛り上がった当時の若者と、集団的自衛権をめぐって盛り上がっている現在の高齢者と同じく、その世代の共通体験があったのだろうと思います。その盛り上がりが自分のことと感じられる場合には、そこに新たな世代が加わっていくのかもしれませんが、そこには共通体験の欠如という大きな差異があります。

共通体験を持たない世代が前の世代が築き上げたものをどうやって引き継いでいくのか、敗戦の記憶をもたず東日本大震災の記憶を間接的に持っている私にも問われているのだなあなどと考えた次第です。
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