2015年06月21日 (日) | Edit |
前回エントリで「政府を小さくしても自分の生活には影響がないし、むしろ政府支出にたかっている政治家とか官僚とか土建屋とか生活保護受給者とか粛正することができて気分がいいから政府にかけるお金は少なければ少ないほどいいし、その財源となる税金はいくらでも下げるべき」ということを書いたところですが、いやまあ「正義の敵はまた別の正義」とはよく言ったもので、「財源となる税金はいくらでも下げるべき」ということを堂々と主張する方が一方では緊縮財政を声高に批判するのも、上記のような思い込みのなせる技なのではないかと思います。

そういえば、一時期リフレ派と呼ばれる一部の方々が金科玉条のごとく拠り所にしていた「バーナンキの背理法」というのは、「国債を中央銀行が買い入れてもインフレにならなければ無税国家が可能になり、そんなわけないから、中央銀行が買い入れれば必ずインフレになる」という説明だったはずでして、リフレーション政策を主張する方々が「無税国家が可能なわけがない」といいつつ「増税も緊縮財政もまかりならん! 国債の日銀買い入れでデフレ脱却も緊縮財政阻止もできるから問題なし!」と主張される理由がよくわかりませんねえ。まあ、リフレ派と呼ばれる一部の方々の中でも知的に誠実であろうとされていたbewaadさんですらこうおっしゃってましたし。

しかし「うまい話があるはずない」ことが厳密に証明されているかといえばさにあらず。たとえば小島先生が想定されるモデルの下では一定の条件下で「うまい話」があり得るのかもしれません。「うまい話があるはずない」とは全称命題で、ひとつの反例、すなわちひとつでも「うまい話」が存在するなら否定されてしまいます。小島先生がひとつでもそうした可能性をお示しできるのか、小島先生のバーナンキの背理法批判の成否はこの一点にかかっているといえましょう。

(略)

すなわち、シニョレッジ財源の活用によってデフレから脱却できるならそれはそれでよし、脱却できなければ無税国家が実現できるのでそれはそれでよし、いずれにしたってシニョレッジ財源を活用すべきだよね(=ゲーム理論でいう支配戦略)だということです。これならば小島先生のモデルによって「インフレ率にまったく影響がない」均衡が示され「背理法」が否定されても「支配戦略」は否定されず、よってモデルの結論の如何を問わず小島先生におかれましてはリフレ政策にご賛同いただけるのではないかと。

#言い換えれば、「背理法」の妥当性に小島先生は(そのエントリタイトルが象徴するように)ご疑問を持たれているわけですが、「背理法」であることはリフレ政策にとって重要ではないんですよ、ということでもあります。

「バーナンキの背理法」の危機!?(BI@K accelerated: hatena annex, bewaad.com 2008-08-23)


岩本先生が以前「バーナンキの背理法」を批判されていましたが、その文脈とはまた別の意味で、そもそも「背理法」ではなかったというべきかもしれません。

ここでいつもの「再分配論」につなげてしまうのですが、再分配というのは読んで字のごとく「一次分配として個人が得た所得のうちから、一部を政府が徴収し、それを原資として必要な公共サービスを再び提供する」というプロセスを指すと考えるべきでして、配分(allocate)された資源の等価として個人へ分配された(distribute)所得を一旦政府に預けてから再度分配(redistribute)すると経済学では説明していたと記憶しております。まあ「必要な公共サービスを提供する」だけなら、わざわざ「再分配(redistribution)」などと言わずに「分配(distribution)」でもよさそうなものですが、あえて"re"をつけなくても「再分配」という訳出が与えられることもあるので、厳密に使い分ける意味はないかもしれません。とはいえ、「再分配」のプロセスの一部だけを取り出して「政府が財源を徴収することは認めないが、再分配の重要性は認めている」とかいうレトリックを封じるには、「再分配」と「分配」の使い分けは有効だろうと思います。「再分配」の目的は、単に所得を分配するだけではなく、その所得によって購入されるべき公共サービスによって生活を保障するところまでにあるのですから。

ちなみに必要な公共サービスというのを整理しておくと、上記の「再分配」のプロセスを分解していくと、一次配分は労働者であれば賃金、自営業者や資産家であれば売上や配当によって分配されます。その一次分配となった所得のうちから直接税(所得税、相続税など)や間接税(消費税、酒税、ガソリン税など)により政府の財源が調達されるわけですが、その財源を充てて提供される公共サービスというのは、福祉国家が機能しはじめる前は家庭内や市場でしか提供されなかった医療、教育、福祉、介護などの社会維持機能にほかなりません。つまり、労働力が資本家に搾取(!)される状態が深刻化して、労働者の所得の低さ故にこれらの社会維持機能を享受できない事態が深刻な問題となったという歴史的事実があり、それを克服して、現代の国家が資本主義の下で広く国民が労働者として生活できるようにするため、福祉国家として社会維持機能を提供する必要があったわけです。つまり、労働力を供給して賃金を得るために1日の3分の1以上の時間を仕事に割かれる現代の労働者が自らの生命を維持できるようにし、社会全体を維持していくためには、社会として政府を通じた二次分配によってそれらの機能を保障しなければならず、だから「社会保障」というわけですね。

日本の左派が絶望的に現状認識を誤っているのはこの点でして、税金を「社会維持機能としての公共サービスを提供するための財源」としてではなく、「政治家や官僚や既得権益の私服を肥やすもの」としか理解していないために、「税金は少なければ少ないほどよい」というドグマから逃れられなくなっています。これにドマクロな方々の「税金はビルトインスタビライザーとして景気を悪化させる」という理論と、基礎的ミクロな方々の「死過重を生じさせる課税は非効率だ」という理論が組み合わさると、この点においてリベラルの極北であるリベサヨの皆さんとネオリベの皆さんががっちりと手を組むことになります。という次第で、日本では左派だろうが右派だろうが関係なく、さらにはそうしたバイアスを持たない方々まで広く「税金は少なければ少ないほどよい」という理解にどっぷりと浸かっているわけですね。

でまあ、バーナンキの背理法の話に戻ると、Wikipediaによれば「無税国家」なんて言葉は使っていないようでして、さらにバーナンキの薫陶を受けたと宣う高橋氏によれば、バーナンキ自身も「普通の論法に個人名をつけるのはおかしい」とおっしゃっているとのことで、「リフレ派」と呼ばれる一部の方々の牽強付会ぶりには改めて惚れ惚れしますね。

いやもちろん、知的に誠実であろうとされていたbewaadさんは、先ほどのエントリの2年後にドラエモンさん=岡田靖さんへの手向けとして

3.昔からロゴフは、デフレの害を認識し日本におけるマイルドインフレ実現の必要性を説いているのですが、同時に彼は、日銀の独立性を擁護し日本の政府債務に警鐘を鳴らし続けています。最初の頃は、なぜロゴフがそのようなことを言っているのかwebmasterにはよくわからなかったのですが、2.と、さらにもう一本の補助線とをあわせ考えると、webmasterなりの解釈が成り立ちます。もう一本の補助線とは、最近どこかで見たのですが、イェレンが先進国でインフレの害を心配する必要性がなくなったのは、中央銀行の独立性が確立され、シニョレッジファイナンスの可能性がなくなったからだ、と言っていたこと。政府債務残高が大いに増嵩し政府にシニョレッジファイナンスを指向する動機が生まれている中で中央銀行の独立性が失われれば、止め処ないシニョレッジファイナンスがなされるのではとの期待が形成されるので、マイルドインフレどころではないインフレを引き起こすおそれがある、というのがロゴフの懸念ではないかとwebmasterは理解しています。

(略)

6.では、シニョレッジファイナンスを臭わせないためにはどうすればよいのでしょうか。ちょっと前にwebmasterが書いたように、インフレ実現時にはきちんと財政を引き締める(のでシニョレッジファイナンスに頼る必要はない)との政府のコミットメントが有効ではないでしょうか。また、ターゲットの設定についても、4.で書いた議論に照らせば、日銀法改正によるのではなく、あくまで日銀の自発的な設定によることが望ましいでしょう。そして、かつての量的緩和政策の理論的主柱となった植田先生がゼロ金利解除条件としてプラスのインフレ率を提唱していることに鑑みれば、リフレ政策的にも許容(満足とは言いません)できるターゲットを日銀が自発的に設定することは、とりわけそれがマクロ経済学者のコンセンサスといえるほどの普及を見せるなら、それなりの蓋然性であり得ることだとwebmasterは考えています。

最近考えるリフレ政策(BI@K accelerated: hatena annex, bewaad.com 2010-04-12)

というエントリを書かれているのですが、それが後の「呉越同舟の結末」へとつながっていった顛末を考えると、知的に誠実であろうとすると「リフレ派」と呼ばれる一部の方々、というか「りふれは」な方々の総攻撃を受けてしまう現象は古くから見られたというところでしょうか。まあ、今に始まったことではないのでそれはそれとして、これまでの異次元緩和の経過を見ると「シニョレッジファイナンスとみなされる状況にはないからインフレにならない」というべきか、そもそもマイルドインフレにすらなっていない現状では「無税国家サイコー!」というべきなのか、知的に誠実な方の解説を読んでみたい気がしますね。もちろん、上記のような社会維持機能としての社会保障がどのように維持されるのか、「無税国家サイコー」という方には特に説明をお願いしたいところですが。
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コメント
この記事へのコメント
> 労働力が資本家に搾取(!)される状態が深刻化して、労働者の所得の低さ故にこれらの社会維持機能を享受できない事態が深刻な問題となったという歴史的事実があり、それを克服して、現代の国家が資本主義の下で広く国民が労働者として生活できるようにするため、福祉国家として社会維持機能を提供する必要があったわけです。


これ、単なる思い込みによる偽の歴史であって別に福祉国家として国家が乗り出してくる前に「搾取」を限界までするのが資本家の利益にならなくなった、あるいは労働者とて有限で貴重性があるのでその提供する労働力もたとえば『賃金の鉄則』などに向かうことなく自然と上がっていったというのが現実でしょう。ちょうどつい最近、山形氏が訳されたエンゲルスの「自分が描写したものは一時的な現象だった」という言葉はまさにそれを表しています。
http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20150616/1434432416

もちろん、搾取されるわけではなくても、労働力を売ることが出来ない、たとえばそれが景気変動による失業なのかあるいは障害その他なのかは問わず、という人もいるので福祉に政府が乗り出していく必要があるのは事実です。しかし、それは一欠けらの資本家以外は全てそうなるであろう労働者全体を搾取から守るために政府が必要となるより、よほど限られた規模のことでしょう。
2015/06/22(月) 02:43:41 | URL | THB #40pSUC8M[ 編集]
> THBさん

山形さんによるエンゲルスの訳本はおっしゃる通りの内容なのですが、山形さんも分かっていながら分かっていない書き方をされるので紛らわしいですね。hamachan先生がなぜこう指摘されているのか調べてみることをお薦めします。

> で、いうまでもなく、産業革命の全体像を知るためには、光り輝く産業化の最先端の英雄たちの姿を描くだけでも駄目だし、こういう劣悪なプロレタリアートの姿をを描くだけでも駄目で、両方をちゃんとバランスよく目配りしながら見ていかなくてはいけない。米倉誠一郎の『経営革命の構造』だけで分かった気になってはいけないし、エンゲルスだけでも片翼。

「産業革命の光と影(2015年6月18日 (木) hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳))」
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-3ec9.html



ちなみに、拙ブログではポラニー『大転換』とその序文を寄稿しているスティグリッツを引用して、

> まあ、新古典派経済学者は規制緩和が大好きというのは、スミスやリカードなどその思想的源流となった古典派経済学の学説が形成される1800年代中期の時代背景によるものであって、そういう過渡的な思想を持つ経済学では現代社会を分析するツールとして不完全であるというポラニーの指摘(本書第10章)を踏まえてみれば、飯田先生のような現在の主流派である新古典派経済学者がワシントン・コンセンサスの信奉者となることはやむを得ないことなのかもしれません。

「歴史の読み違え(2012年05月04日 (金))」
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-514.html

というようなことを書いておりますし、現在は入手困難になってしまいましたが、佐々木輝男『佐々木輝雄職業教育論集 (第1巻)』では、『技術教育の成立一イギリスを中心に一』として、17世紀から19世紀にかけて工場制手工業に労働者が取り込まれていく過程において、家庭の維持機能の社会化を職業訓練の観点から分析されていて参考になります。佐々木先生の論集は厨先生も大絶賛されていましたので、リフレーション政策を支持される方にも受け入れやすいと思います。

ところで、THBさんがポラニーと同じく1800年代中期を描写したエンゲルスを引き合いに出して、本エントリを「単なる思い込みによる偽の歴史」と指摘された上で、

> しかし、それは一欠けらの資本家以外は全てそうなるであろう労働者全体を搾取から守るために政府が必要となるより、よほど限られた規模のことでしょう。

とおっしゃるのは、どのような歴史的事実にもとづいたご指摘なのか、ぜひご教示いただければと思います。
2015/06/23(火) 08:30:29 | URL | マシナリ #-[ 編集]
>日本では左派だろうが右派だろうが関係なく、さらにはそうしたバイアスを持たない方々まで広く「税金は少なければ少ないほどよい」という理解にどっぷりと浸かっているわけですね。

ご無沙汰しております。
「官から民へ」の掛け声が、ネオリベの「公共資産売却・PFI(民間委託)」やリベサヨの「新しい公共」は「税金を少なくできる」という勘違いからきているのは言うまでもありません。実質的にはどちらも「税金の長期的かつ持続的な安定供給」が絶対条件のビジネスモデルだからです。ですから「無税国家」など絶対に成立しません。官も民も双方が支出を拡大することこそが大事なのに、「消費税増税で家計所得が抜かれた」「税収が増えると財務省の闇の権力(歳出権)が拡大する」なとのおかしな話が跋扈して、鵜呑みにするのが多すぎます。
 家計所得から抜かれたものは家計等へ返ることがない再分配や歳入増による政府支出拡大(再分配)が闇の権力って何なんですか。頭がいかれているとしか思えません。

 リフレ派が税収上振れに小躍りして予算における税収弾性値が間違っているといっていますが、経済政策の結果の話でしかありません。普段の財務省の闇の権力ガーからすれば、財務省の権力増大に喜悦しつつ、マンデルフレミングガーの財政無効なら第二の矢による税収効果というのはどこいったんでしょうね。
2015/06/27(土) 14:13:44 | URL | hahnela03 #TVNdHuFs[ 編集]
hamachan 先生のブログでもかって「冷たい福祉国家」としてとりあげられていますが。

「冷たい福祉国家」の幻想
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-a1fa.html

「福祉国家は戦争国家」という言葉のとおり、福祉国家の起源そのものは世界大戦の国家総動員体制にあり、「労働力が資本家に搾取」というのは少し違うように思います。大戦前に貧困問題が社会問題としてあったため、大戦期の国家総動員体制が戦後も形を変えて継続した、それが福祉国家である、という見方はできるとは思いますが。

この意味で日本の左派の戦争に対する憎悪と、(間接的な)福祉国家への憎悪は同一の対象に向けられていると思います。また、日本の再軍備・自主防衛を目指す右派が福祉国家に比較的理解があるということにもなるのではないかと思います。

ま、ただで金をくれる人間はいないということですね。ただほど高いものはないともいう。

> 「増税も緊縮財政もまかりならん! 国債の日銀買い入れでデフレ脱却も緊縮財政阻止もできるから問題なし!」

財政破綻に関しても、日本政府と日本国民は「同一の家計」なのだから、財政が破綻することはない、と一方でいいつつ、「同一の家計」なのに増税して政府に所得が移転することには反対するという。いつものことながら「りふれは」は何をいっているのかわけがわかりませんね。

たしかに日本政府が好きなだけ自由に日本国民のお金を使えるなら、破綻はしないでしょうけど。消費税増税を巡る騒動をみれば現実はそうではないということはわかりますわな。

2015/06/28(日) 03:41:24 | URL | IG #-[ 編集]
> hahnela03さん

> 実質的にはどちらも「税金の長期的かつ持続的な安定供給」が絶対条件のビジネスモデルだからです。ですから「無税国家」など絶対に成立しません。

このことに尽きますね。国債が信用性を維持できるのは、経済力がある国家において、その政府が「徴税権」という強制力を持つからなんですが、その「徴税権」をシニョレッジファイナンスで代替できるという言説が経済学方面の方々には根強いので混乱しているのではないでしょうか。はてブで「シニョリッジは中銀の運用益」というコメントもいただきましたが、「政府と中央銀行は一体だからだれも損しない」とおっしゃる方が某中央銀行の要職についていらっしゃる現状では、そのような理解はあまり一般的ではないのではないかと思われます。

いやまあ、そういうとbewaadさんの「シニョレッジファイナンスとみなされる状況にはないからインフレにならない」という議論とは整合性が失われるのですが、個々の議論ではそれなりに理論的ではあるものの、全体でみるとあちこちに齟齬を来すのが一部のリフレ派と呼ばれる方々の議論の特徴ですから、まあそういうものなのでしょう。
2015/07/02(木) 08:30:56 | URL | マシナリ #-[ 編集]
> IGさん

> 「福祉国家は戦争国家」という言葉のとおり、福祉国家の起源そのものは世界大戦の国家総動員体制にあり、「労働力が資本家に搾取」というのは少し違うように思います。大戦前に貧困問題が社会問題としてあったため、大戦期の国家総動員体制が戦後も形を変えて継続した、それが福祉国家である、という見方はできるとは思いますが。

現代の福祉国家の制度的起源が国家総動員体制にあるというのはご指摘の通りだと思いますが、国家総動員体制なるものが戦時に(必要に迫られて無理矢理ではあるとしても)突然できあがったというよりは、これもご指摘の通り、大戦前に貧困問題が社会問題としてあったために、それが現実の制度として機能したという面もあるのではないかと。

というのも、私が本エントリで、

> 労働力が資本家に搾取(!)される状態が深刻化して、労働者の所得の低さ故にこれらの社会維持機能を享受できない事態が深刻な問題となったという歴史的事実

と書いたときに想定したのは、

2015/06/23(火) 08:30:29 | URL | マシナリ #-[ 編集]
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-650.html#comment1117


のコメントで引用したとおり、1800年代中期のイギリスのエリザベス救貧法の時代だったからです。この時代は、18世紀末から19世紀初頭にかけて大きな禍根を残したスピーナムランドの悲劇の反動から、「劣等処遇原則(救貧制度の対象者は賃金労働者よりも低い生活水準に押しとどめられる)」と「院外非救済原則(ワークハウス・スクール以外の救貧政策は認めない)」が徹底され、貧民救済はその水準、範囲とも大幅に狭められていて、それが一方では19世紀中期からの共産主義運動につながり、一方ではトレードユニオンによる産業民主主義からフェビアン協会へとつながったわけでして、その経緯を上記のように表現したつもりです。

ちなみに、後者のつながりの中でケインズの思想がはぐくまれたりもしたわけでして、ケインズ自身は福祉国家論として『一般理論』を著したわけではないとしても、このような経緯からすると、「ケインズ型福祉国家」という言い方がされるのにはそれなりの理由があるものと思います。

> この意味で日本の左派の戦争に対する憎悪と、(間接的な)福祉国家への憎悪は同一の対象に向けられていると思います。また、日本の再軍備・自主防衛を目指す右派が福祉国家に比較的理解があるということにもなるのではないかと思います。

この辺はよく分からないのですが、個人的には日本の左派の戦争に対する憎悪によって、国民を救済するような「暖かい国家」であっては困るというジレンマに陥っていると感じます。日本の左派にとって、(現政権による)国家は社会保障などに目もくれずに、戦争に邁進する戦前の「冷たい国家」でなければならず、一方で、そうした左派のレッテル貼りが、戦時体制に起源を持つ福祉国家による再分配まで結果的に否定してしまっているわけでして、本エントリで「日本の左派が絶望的に現状認識を誤っている」というのは、この点も念頭に置いているつもりではあります。
2015/07/06(月) 00:33:18 | URL | マシナリ #-[ 編集]
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