2015年04月24日 (金) | Edit |
前回エントリでは政府や自治体の側からの震災の記録を取り上げましたので、今回は住民の側からの震災の記録について取り上げたいと思います。

まず、被災地の新聞社の記者だった筆者による震災の記録ですが、こちらの本のスタンスは、第4章のこの記述に現れています。

 岩手県内のある市の職員から私は、
「市民一人ひとり、被災者一人ひとりの意見を聞いていたら、まとまる計画もまとまりません。だから行政が決めていくんです」
 そう、言われました。確かに、それも一理あるでしょう。しかし……、と思わざるを得ません。その職員に行政の復興事業に対する異論を含めた原稿を書いていることを話すと、こう言われました。
「木下さんは行政の敵に回ったんですね」
 もちろん、冗談半分だったのでしょう。仮に冗談半分だとしても、行政に携わる人が口にしてはいけない言葉です。震災の地に暮らす人たちが行政と異なる意見を述べるのは、1日も早い生活再建と地域の復興を願うからです。決して、敵に回ったわけではありません
 行政には住民と心を通わせながら、人々がそこに暮らし続けたいと思い、笑顔で暮らし続けることのできる震災地の復興と取り組んでほしいと心から願います。
p.219

東日本大震災 被災と復興と東日本大震災 被災と復興と
(2015/03/03)
木下 繁喜

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※ 以下、強調は引用者による。

拙ブログでも「役所の事業について深刻な利害を有する関係者からの利害表明は、それが誤解に基づくものであっても必要と考えております」ということを申しているところですが、実際にその事業に関係する方がご自身の利害を主張することは、民主制などと大げさなことをいうまでもなく「少なくとも職場内の日常生活の中で立場の異なる方々と連帯しながら、同時に立場の異なる方々と利害調整するというプロセスを各個人が直接経験する」というのが、被災した地域の方々が置かれている状況なのではないかと思います。

本書ではテーマごとに被災された方々の現状が報告され、それに対する解決策などが指摘されているのですが、一つひとつを個別に見ればなるほどと思うものの、全体を読み終えてみると、ではそれらを全部実現できるのかといえば少々無理があるだろうと思います。

 土地区画整理事業は減歩を伴うこともあり、過去や他地域の例をみても、平時でさえ地権者交渉が難しく、想定以上の歳月がかかるものです。大船渡市は2012年(平成24)年7月に開いた地権者説明会で、「事業完了までに最低9年はかかる」と説明しました。
 その説明会で地権者の一人が手を挙げ、発言しました。
「『区画整理に時間がかがっから、その間、みんな、待ってろや!』。そう言われても、どこで商売して待ってんのす! 10年も商売も何もしないで年寄りになって、どうやって、『そこにまた戻ってきて街を造れ』と言うのす。そこにまた、人が戻ると思いますか?」
 そう、素朴な疑問と不安を口にしました。そして、行政が進めようとする復興事業への不安感を露わにし、語気を強めて、次のように続けました。
「俺たちには民間の活力っていうのがあるんです。俺たちが一生懸命やっぺとするのに、俺たちの足を引っ張って、『土盛っから、待で!』『こんな立派な街造っから、待で!』って、何も助けない。土盛る金があったら、おらどさ、よごさい。そしたら黙ってでも建でっから。その予算で、おらどさ、家を建でさせでけらい。流れたらしょうがないがら。その覚悟のある人は建でっから。家を建でっぺとしたり、一生懸命復興しようとする人たちを、行政は、なして邪魔するの! 行政は、前さ立たなくていいから! なんで前に立とうとするの、偉そうに!」
 会場からは大きな拍手がわき起こりました。
pp.29-30

こうした区画整理事業の現実については、「高台造成などの公共事業に資金を使うより、個人の住宅の再建に資金を用いた方が良い。少しでも海の近くに住みたい人と車を使えない高齢者は旧市街地に住んで、海の近くである必要のない人は山に住めば良い。人口減少と高齢化で、三陸の山に土地はいくらでもある」などとのたまって現在は政府の枢要な職に就かれている方にも正座して読んでいただきたいところですが、まあ「最初にご質問頂いた、どういうものを買った方がいいのかという具体的なオペレーションについては、私は部外の学者でしたので、今日の時点ではあまりお話しない方がよいと思います」などと就任後の記者会見で言い放つような「学者」さんには、こうした現実なんてものは眼中にないのでしょうけれども、ではなぜ被災した地域について「人口減少と高齢化で、三陸の山に土地はいくらでもある」などと知ったかぶった物言いができるのでしょうかねえ。ねえねえ?

ちょっと話がそれましたが、土地区画整理事業というのは単に土地の権利関係を移転するだけではなく、安全性や利便性を向上させるためにより高規格の道路や公園などの共有地を新たに確保することも求められるわけで、そのために減歩という形で各戸から土地を供出していただく必要があります。かく言う私も地元の土地区画整理に当たって減歩された経験者でして、減歩された土地が行き止まりの区域で使い途がないということで買い戻しも一部しました。もちろん移転費用の全額が補償されるわけもなく、いまでも持ち出しのローンが残っている状態で、自分の土地を減らされてそれを買い戻すというのは役人としても割り切れないものがあります。では区画整理したことによって利便性とか安全性が向上したかといえば、確かに大きな道路ができて車は通りやすくなったものの、その分騒音が酷くて窓を開けると会話もやっとという状況で、個人的には悪化した面もありますが、その道路を通ることで時間短縮して仕事や生活の効率が上がった方は多数いるでしょうし、その道路沿いに飲食店とか大型のショッピングセンターもできていますので、地域全体で利便性が上がっていることは事実だろうとは思います。

本書でも被災した地域でのそうした矛盾が(期せずしてか)描かれてしまして、たとえば、

 震災地では山を切り崩し、学校の再建や災害公営住宅の建設、高台への集団移転の用地を確保しなければなりません。山を切り崩すと当然、切り土が生じます。その切り土をどこに捨てるか。どう活用するか。さらには切り土の最終処分が住むまでの仮置き場をどう確保するかなど、さまざまな問題が出てきます。
 であれば、嵩上げが必要な地域を切り土の処理用地にすればいいのです。山を削って出てきた切り土を捨てる形で、盛り土を行えばいいのです。そうした切り土処理と、処理に伴う整地が震災復興の事業の一つとして認められれば、嵩上げを行うのに土地区画整理事業を導入する必要がありません。そうすれば減歩や換地の問題も起きません。

木下『同』p.44

というのは、同じ気仙地区の陸前高田市で行われている「希望のかけ橋」を念頭に置いていると思われますが、それも土地区画整理事業の一環なんですよね。で、そうして嵩上げした土地に移転するかといえば、

 しかも、盛り土した地盤の軟弱さは誰もが知っています。大きな地震が起きるたびに盛り土した土地で液状化や亀裂などが生じて住宅が傾いたり、壊れるといった被害が各地で出ています。「いくら建設が可能と言われても、盛り土して造成された土地には怖くて家が建てられない」という声を大船渡町内でも耳にします。津波の記憶が生々しく残る中、「浸水した場所には家を建てたくない」という人たちもいます。

木下『同』p.50

という声もあるわけでして、総論としての事業の方法性には同意が得られたとしても、個々の事情に応じた各論では異論が出まくるのが公共事業の常ではあります。この引用部は、商店街の立地についての部分なので、盛り土した地域を単に住宅地とするというわけではありませんが、住居兼店舗となる小規模事業所が多い地方では、商店街に人が住めるかが大きな問題となります。私も区画整理で盛り土した土地に住んでいますので、気象庁の発表する当地の震度よりも地震の揺れを大きく感じたりしますので、盛り土に対する懸念は理解できますし、かといって区画整理しなければ新たな土地利用そのものができないのも現実です。

 震災直後から高台への集団移転の必要性を指摘する声が聞かれました。浸水した土地との等価交換で、街ごとそっくり高台に移転するのであれば多くの人が賛成します。しかし大船渡市では地形的にみて、それは困難です。高台移転は結局、切り崩した山の斜面などに小規模あるいは中規模の住宅団地を造るのがせいぜいなのです。
木下『同』p.56

 大船渡市では防集事業で21カ所の団地が整備されます。しかし、防集事業と一体的に整備される災害公営住宅はわずか2カ所です。平地の少ない市内にはあまり適地がなく、防集事業で整備する団地内に全ての災害公営住宅を建設することができなかったのです。その結果、災害公営住宅入居者の多くは住宅跡地を買い上げてもらえないという状況が生じることとなりました。
 市はこの問題の解決を国に要望し、協議を行ってきました。その結果、住宅跡地の買取対象が全ての災害公営住宅入居者に拡大されることになり、2014年3月に公表されました。おかげで災害公営住宅の入居者は第二種区域内でも住宅跡地を買ってもらえることになったのです。この点は市の努力を認め、評価したいと思います。しかし同じ第二種区域内の住宅跡地でも、自力で別な場所に家を再建した人は買い取り対象外です。当事者にすればなかなか納得のいかない話です。
木下『同』p.61

あえて単純化していえば、30のリソースしかない状態で4人から10の希望が出されると、一人当たり平均で2〜3割程度の希望を妥協してもらわなければ、30のリソースでは対応できません。一人当たりきっちり7.5の希望が実現であれば平等かもしれませんが、一人が5で他の一人が1を妥協すれば、5の妥協をした人にとっては「当事者にすれば納得のいかない話」になってしまうわけです。それどころか、相対的に恵まれているとはいえ1を妥協した方にとっても1は不満が残るわけですから、結局誰でも「当事者にすれば納得のいかない話」であることは変わりありません。私が「悪役に仕立て上げられながらその遺恨を背負い込むのも行政の大事な仕事」と考えるのは、この誰にでも残る不満のことを念頭に置いているからでもあります。

まあ、金融政策や財政政策という経済学的な議論で政策を論じている方々には、土地という実物の配分問題は金の力ではどうしようもないという点には思いがめぐらないでしょうし、これからも復興事業の予算が足りないとか、役所の仕事がマズイから問題が生じているとの批判が絶えることことはないと思います。こういう事例をみれば土地のような実物が金ではどうしようもない制約に直面することはある程度理解されそうではありますが、対人サービスによる現物給付という公共サービスがヒトという実物に制約されることに関してはなかなか理解されません。「「日本全体の「ものやサービスをつくりだす力」が衰えてしまうと、いくら老後のためにお金を貯めておいても安心できない」という部分を、「日本全体の「ものやサービスをつくりだす力」が衰えてしまうと、いくら復興予算をつけても実施できない」と言い換えてみれば、問題の所在は明らかだろう思います」が、特に経済学的な議論を好む方々にはなかなか見えてこない現実ではないかと思います。

実は、本書でも経済学的な市場主義に傾倒しているかのような記述が散見されます。

 災害公営住宅建設の遅れの要因として、建設資材の高騰や建設従事者の不足が指摘されています。しかし、それ以上に建設用地の確保が大きな壁となっていたようにも思います。震災後まもなく県内外の民間デベロッパーや住宅メーカーはあちこちで宅地を開発し、アパートやマンションを建てました。募集した先から分譲地は売れ、部屋は埋まっていきました。民間にできて、行政にはなぜ、できなかったのでしょうか。行政の提示する金額が低すぎ、地権者交渉が難航したのでは、という話をよく耳にしたものです。
木下『同』p.91

 策定に当たっては民間のシンクタンクやコンサルティング会社を参加させるべきです。昔から「餅は餅屋」と言います。街づくりの実績や人材、能力、ノウハウがある民間の力を活用しない手はありません。もちろん、計画には地元の行政や産業界の考え、何よりも住民の意見を反映させたものでなければなりません。ただ作るだけでなく、出来上がった計画は地域全体で共有しておくことが大切です。
木下『同』p.206

行政ができないから民間ならできるといささか単純に考えられているように思われますが、もちろん、民間のノウハウに任せた方が望ましい部分はそのとおりだとしても、果たして民間のシンクタンクやコンサルが「出来上がった計画は地域全体で共有しておくことが大切」だとして、「悪役に仕立て上げられながらその遺恨を背負い込む」ことができるかは大いに疑問が残るところです。

この本で述べられていることは、矛盾を抱えつつも、被災された地域で暮らす方々の本音をかなり率直に述べられていると思います。政府や自治体が取り組むべきは、大所高所からの「ぼくのかんがえたふっこうけいかく」だけではなく(その重要性は否定しませんが)、その地域の様々な利害関係の中で暮らす住民同士が、あちこちで巻き込まれる利害のぶつかり合いに正面から向き合うことであるはずです。

ということで長々取り上げてしまいましたが、長くなったついで(?)に本書の最終章では、筆者が阪神・淡路大震災で復興したものの人が減ってしまった神戸市に行き、地元の方と会った様子が記されています。

 大正筋商店街振興組合の理事長、伊東正和さんを訪ねてみることにしました。2014(平成26)年5月22日付け朝日新聞「耕論 消えゆく自治体」で、伊東さんの話を読む機会がありました。
 その紙上で伊東さんは長田の現状を率直に語るとともに、「住民の手で復興後の姿を描き、自治体任せから脱却する。自治体は福祉や都市計画などの専門知識を活かして、住民の知恵を支えることに徹すべきです」と訴えていました。また、「宮城県沿岸部を訪ねた時、地元の商店主に『誰かに造ってもらう街ではいけない。被災者自らが考えてほしい』と呼びかけている」ともありました。伊東さんの話に共感し、ぜひお会いしたいと思っていたのです。
木下『同』pp.229-230

その伊東さんのお話がいろんな意味で考えさせられます。

 行政の方々の思惑とこちらのほうの思惑と、何らかの合意があったから、こんだけのもんが出来上がったのか。そうじゃなしに出来上がったのか。僕から言わせたら、なんでもメリット、デメリットがあってね。メリットの部分を多く出さはられると、住民って、困って弱ってますから藁にもすがる思いで、いい話に乗ります。「行政がそう言って誘導してくれるんやったら、早くやろうやないか」というふうになりますよ。
 でも、メリットの裏には必ずデメリットがあるんですよ。デメリットの部分を行政があんまり言わなかったから、こんだけ早くできてんのかも分からない。行政側はよく、「聞かなかったから、言わないんだ」っていう言い方をします。だから、東北の方々には常々言うてるんです。「メリットがあれば、必ずデメリットがあるということを、先に知っておきなさいよ」と。
pp.238-239

 行政がつくったもののままでズーッといったってダメですよ。行政の人間は上からの命令を聞いているだけですから。自分の仕事を守ろうとしているだけですからね。大きなものを造ると復興予算の大半が使えて、復興計画の何パーセント果たしましたよ、と数字の報告ができるんです。内容的にそれが本当に大切か言うたら、そうじゃないんですよ。でも担当の人間は上から「どないなっとんねん!」言われるから、数字を挙げようとするんです。(略)
 でもその中で、絶えず言い続けることって大事だと思います。自分が正しいと思うたら言い続ける。間違っていたら、そこでお互いに「すみません。僕の考え、まちごうてました。これから一緒にやりましょう」と謝ればいいんです。
 行政の方とケンカすんのは簡単やけど、絶対にしてはダメです。裁判したって誰の得にもならんし、気分ええことなんか何もない。夫婦の仲も、行政との関わりも一緒やと思います。
pp.240-241

 だから、僕は現地に直接行ってお話しして、街を見て、「こうした方がいいんちがいますか」とか、コンサルみたいな形で言うたんでは、一般論。一般論はあくまで一般論なんですよ。その街が生き残る道やないんですよ。
 長田の経験から僕が言うのは、「街っていうのは住民だけでは復興しないんですよ」、ということ。商業者が必要なんです。商業者が賑やかだったから、祭り事がずっと続いとるんです。日本国中、祭り事はそこの地場産業が盛んで、その方々がスポンサーになって続いとるんですよ。
p.242

 長田にはいろんな問題があって、裁判問題も起きてます。だけど僕は、「裁判したからって、どうするんや」って言うんですよ。勝ったかて、負けたかて、遺恨だけが残るんです。ここの商店街でも「裁判せずに頑張ろや!」いう人間と、「やっぱり裁判して突き詰めなあかんねん!」という人間といます。思うてることは一緒であっても、やり方が違うだけで睨みおうとるんです。
 僕は、違うと思う。だって裁判をしたとこで時間がかかるばっかりで、儲かるのは弁護士だけ。それも大事だけど、「どうやったらお客さんが来るか」を51対49の法則で、51以上で考えるべきです。
pp.243-244

伊東さんがこうした話を語れるようになるまでのご苦労が、言葉の端々に伺われます。ここに至るまでに20年近くの歳月があり、これからも平坦な道のりではないとは思いますが、住民と行政の間にこうした関係を築かれていることに、関係者の皆さんに敬意を表したいと思います。そして、その関係は脆いものだろうと思います。住民と行政が対立するのではなく、緊張感を持ちつつ良好な関係を構築していくというのは理想かもしれませんが、この思いに共感する方が増えるのを願うところです。
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