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2014年11月24日 (月) | Edit |
ここ数回のエントリでクルーグマンが自らを「リベラル」と称するのはあくまでもアメリカ的な文脈においてだということを書いておりまして、前々々回のエントリの冒頭部分で「確かにクルーグマンはアメリカの民主党を支持して、「リバタリアン」な淡水派経済学やアメリカの共和党を批判していますし、その意味では「ソーシャル」な思想の持ち主といえなくもないですが、アメリカにおいて自ら「リベラル」と称しているように、政府が担うべきリスク負担をかなり限定的に捉えてい」ると書いたところですが、クルーグマン自身もその辺りのねじれ具合を認識していますので、『格差はつくられた』を題材にその辺りのいきさつを確認してみましょう。

といっても、本書はサブプライムローンが問題となり始め、オバマ現大統領が民主党の大統領候補になる前の2007年に書かれたもので、その後オバマ大統領が「オバマケア」として実現した国民皆医療保険の必要性を説く内容がメインでして、そのねじれ具合について言及されるのはやっと最後の章になってからです。

第13章 リベラル派の良心

 21世紀初頭のアメリカの逆説ともいえるものは、自らをリベラル派と呼ぶ者たちは、非常に重要な意味において、保守派であり、一方で自らを保守派だと呼ぶ者たちは、ほとんどの場合極端な急進派であるということだ。リベラル派は私が育ったような中産階級の復活を願っているのに対し、自らを保守派だと呼んでいる者たちは、アメリカを1世紀前のあの「金ぴか時代」に逆戻りさせたいのである。リベラル派は社会保障制度やメディケアのような長年続いてきた制度を擁護しているのに対し、保守派は、それらの制度を民営化、ないしは弱体化させたいのである。リベラル派は民主主義の原則と法律を尊重したいのに対し、保守派は大統領に独裁的な権限を与え、人々を起訴することもなく投獄して拷問するブッシュ政権に喝采を送ってきた。
 この逆説を理解する鍵は、本書で私が記述してきた歴史にあるといえる。いささか時期尚早であったものの、1952年の時点ですでに、アドレイ・スティーヴンソンは次のように発言している。

時代の不思議な錬金術は、民主党をアメリカの真の保守派政党——アメリカにおける最良のものと、そしてその基礎の上に築かれた強固で安定したすべてのものを守る政党——に変えてしまった。それに対し共和党は、急進的な政党であるかのように振る舞うようになった。われわれの社会の枠組みの中にしっかりと組み込まれた制度を解体しようとする、無謀で敵意に満ちた政党に。


 彼が言わんとしたのが、民主党は社会保障制度や、失業保険や、強固な労働運動——すなわち中産階級を生み出し支えてきたニューディールの制度——を守る政党となり、一方で共和党はそれらの制度を解体しようとしているということである。
pp.232-233

格差はつくられた―保守派がアメリカを支配し続けるための呆れた戦略格差はつくられた―保守派がアメリカを支配し続けるための呆れた戦略
(2008/06)
ポール クルーグマン

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※以下、強調は引用者による。

まあこと共和党に対する批判となると、クルーグマンの特徴でもある「クルーグマン信者たちにも無批判に伝播してしまっている独特の独善的な物言い」が炸裂していますが、それはともかくここで注目すべきは、クルーグマン自身が「アメリカで「リベラル派」というのは「保守派」を意味する」と述べていることですね。もちろん、本書で格差問題の本質とされている人種問題などを背景として、アメリカ人に違和感なく自説を受け入れてもらうためのレトリックとしてそう述べているのでしょうけれども、クルーグマンは自説がヨーロッパ的な「ソーシャル」であるとアメリカ人に認識されることを慎重に避けているように見受けます。そのレトリックを説明するために、自ら矛盾を認めながらも、「リベラル派」を一歩進めて「進歩派」となることで社会の変革を進めようとクルーグマンは説きます。

進歩派の政治課題

 リベラル派になるとは、ある意味で保守派になることである——それは大きくいって、中産階級社会への回帰を求めることを意味する。しかし、進歩派であると言うことは、明らかに前進を求めることを意味する。これは矛盾しているように聞こえるかもしれないが、そうではない。リベラル派の目標を前進させるためには、新しい政策が必要なのだ。(中略)
 国民皆医療保険については、より容易に同様のことを指摘できる。1935年の社会保障法は、退職手当や連邦政府の失業保険を実現させたが、社会保障庁のオフィシャルな庁史によると、そのより大きな目的は、「工業化社会における経済的不安の深刻な問題に応える」ことであった。高騰し続ける医療保険費から家庭を守ることは、その目的に合致している。事実、ルーズヴェルト大統領は医療保険をその法律に含めようと検討していたのだが、政治的な理由で放棄している。国民皆保険を実現させることは、ルーズヴェルト大統領の偉業を完成させることに繋がるのである。(中略)
 進歩派の政治課題を進めるには社会政策の大きな変更が必要だが、それは急進的なものではない。その目標は、避けられるリスクをカバーする社会保険の拡大——ここ数十年でますます重要になっている——を含む、ニューディール政策を完成させることである。経済面から見ても、これは十分に達成可能な課題である。国民を経済的なリスクや個人的な災難から保護するものであるが、他の先進諸国と比べて特別手厚い保護を与えようとしているわけではないのだ。
pp.239-241

大いなるリスク移転」に対する批判という点ではクルーグマンの主張はクイギンとほぼ同じなのですが、それを自らの言葉ではなく社会保障庁の庁史という政府の公式文書から引用する辺りに、クルーグマンが「ソーシャル」となることを潔しとしない姿勢が現れている…というのは詮索が過ぎるでしょうか。

ところが本書では、そうした慎重な物言いとは裏腹にかなりソーシャルな政策を前面に押し出していて、これまでのエントリで取り上げたような主張がなかったかのように、あっさりと掌を返してしまっています。たとえば、『グローバル経済を動かす愚かな人々』で再分配政策が散々に批判されていたフランスについては、こう評価します。

 そこでアメリカにおける格差を是正する一つの方法は、これをさらに推し進めることである。つまり、アメリカのアフターマーケット政策を拡充し、改善することだ。その政策とは、市場での収入の格差を所与の条件として受け入れるが、その影響を減らそうとするものである。それがどのように機能するのか、アメリカよりも格差を是正しようとはるかに努力している国の事例を示したいと思う。その国とは、フランスである
 もし、人生で困難に直面している最中か、ないしは人生そのものが困難であったなら、アメリカ人であるよりもフランス人であることのほうが、絶対に有利である。フランスでもし職を失い、これまでよりも給与が安い職に就かなくてはならなくても、医療保険を失うことを心配する必要はない。なぜなら、政府がそれを支給してくれるからである。もし、長期失業したとしても、政府が職と住居を与えてくれる。もし、子供の養育費のために経済的にピンチに立たされたなら、政府から手当が支給され、保育サービスも提供される。楽な生活は約束されないが、家族、ことに子供たちは本当に厳しい貧困を経験しないよう守られているのである。
 反面、もし人生が非常にうまくいっているのであるなら、フランス人であることは負担が大きい。所得税はアメリカよりも幾分高く、支払給与税はさらに高い。形式上雇用主が負担しているが、実際は賃金から天引きされている学派、アメリカよりもかなり多いのである。また、生活費も高い。政府による売上税の一種である、フランスの付加価値税が高いからである。これらの負担は高額所得者にとって、政府による医療保険や他の手当などの恩恵によって相殺されるものではない。そのためフランス人でその給与(雇用主が負担する支払給与税も含めて)が中流の上か、それよりも上の人は、アメリカ人で同等の給与を得ている人よりも、その購買力は相当低くならざるを得ないだろう。
 換言するなら、フランスはアフターマーケット政策が手広く整備されていて、苦しんでいる人々を楽にすることで格差を是正し、そのことによって幾分、楽をしている人々に苦労をかけているというわけである。この点に関して、フランスは欧米の非英語圏では典型であり、他の英語圏の国々もアメリカよりはアフターマーケットの格差を是正しようとしている。
pp.213-214
クルーグマン『格差はつくられた』

何とも奥歯にものが挟まったような物言いではありますが、本書の約10年前の1998年の著書ではフランスを批判していたものの、クルーグマンの攻撃対象であるブッシュ政権を批判するためには、ヨーロッパの「ソーシャル」な政策の重要性を認めざるを得なかったというところでしょう。で、私が今回の消費税率引き上げ延期についてクルーグマンの罪を感じたのがこの部分の掌返しでした。

…要するに、ブッシュ減税の割り戻しや国民皆保険を設立した後の次のステップは、アメリカで累進課税を復活させ、それで得た税収を低・中間層世帯を援助する手当や給付金に使うよう広く努力することである。
 しかし、現実的にはこれだけでは他の先進諸国と比肩できるような社会保障を拠出するには不充分である。どちらかというと限定的なカナダの水準にも達しないだろう。高額所得者の税金を引き上げるだけでなく、他の先進諸国は社会保障費と付加価値税、ないしは全国的な売上税を上げることで中産階級の税金をも引き上げている。社会保障税と付加価値税は、累進型税ではないが、格差是正の効果は間接的であるものの、広範囲に行きわたる。それは手当や給付金などの財源となり、それらは低所得者の収入を考慮すると、非常に価値の高いものである
 強固なセイフティーネットをつくるためにいくぶん高い税金を払わなければならないと一般国民を説得することは、反増税や反政府のプロパガンダが数十年続いてきたことを考えると、政治課題として容易なことではないはずだ。医療保険以外にも、アメリカにGDPの2、3パーセントを社会保障関連に費やして欲しいが、それはリベラル派が政府主導で国民の生活を向上させ、より安定したものにしたというしっかりとした実績を残すまで待たなければならないだろう。医療保険改革はそれ自体重要であるが、他にも重要な波及効果があるのは、まさにこの点においてである。それはつまり、進歩派の広範な重要政治課題を推し進めるのに役立つということだ。だからこそ「保守派ムーブメント」は、医療保険改革の成功を是が非でも食い止めようとしているのである。
pp.223-224
クルーグマン『格差はつくられた』

「社会保障税と付加価値税」というのは、社会保障に限定した日本流付加価値税の消費税のことではないかと思ってしまいますが、「手当や給付金の財源となり」とその使途を現金給付に限定するところが「ソーシャルでないリベラル」の限界かもしれません。でまあ、「しっかりとした実績を残すまで待たなければならない」というのはあまりに呑気な態度ですね。日本的リベラルなサヨクの方々やら抜本的改革好きな方々が口をそろえて「政府のムダがなくなるまで増税は認めない」というのと同じように、まさにクルーグマンが指摘するような政治的困難さの中で実施できずに実績を残せないから問題なのであって、どうも自己撞着に陥ってしまってるのではないかと思います。

いやもちろん、クルーグマンは国際経済学者であって、本書で述べられているようなアメリカの歴史や制度には精通しているものの、日本の歴史や制度とかソーシャルな制度が実現しがたい政治的状況についてまで同レベルの知見を求めるのは筋違いというものでしょう。実際に『恐慌の罠』に示されている日本理解はかなり怪しいわけでして、であればこそ、日本の(クルーグマンの言葉を借りるなら)中産階級社会への回帰に必要不可欠な消費税率引き上げについて、一国の首相に延期をアドバイスするなどという軽率なことは厳に慎んでいただきたかったなと思うところです。

というのも、クルーグマンの認識として、アメリカでも日本と同じように戦時の統制下で労働者の待遇改善が進み、その流れが戦後も続いたことが「中産階級社会」の繁栄をもたらしたとしているからでして、そのような歴史理解があるのであれば、日本型雇用慣行に支えられた日本の制度についてクルーグマンが理解することもそれほど難しいことではないかもしれません。

戦時下の賃金統制

 平時において、アメリカのような市場経済の国は賃金体系に何らかの影響を与えることはできるとしても、それを直接決定することはできない。とはいえ、1940年代のおよそ4年間、戦時下の特殊事情によりアメリカ経済の一端は、多かれ少なかれ政府の指導下にあった。政府はその影響力を行使して、所得格差を大きく是正しようとしたのである。
 その政策のひとつが、全米戦争労働委員会(NWLB)の設立である。同委員会は第一次世界大戦後に一旦解散したが、ルーズヴェルト大統領はそれを真珠湾攻撃の一ヵ月以内に復活させ、以前よりも強い権限を与えた。当時、戦争のためインフレ圧力が増していたため、政府は多くの主要商品に対し価格統制を実施した。これらの統制は、戦争特需による労働力不足が賃金の大幅上昇を招いた場合実施できないため、多くの主要国家産業の賃金は連邦政府の統制下に置かれることとなった。それらの賃金の上昇は、すべて同委員会によって承認されなければならず、政府は労働争議の仲裁をするだけではなく、実際民間セクターの賃金も左右するに至った。
 驚くなかれ、同委員会はルーズヴェルト政権の政策に従い、高い賃金ではなく低賃金労働者の賃金を上げる傾向が強かった。平均賃金を上げるべきだとするルーズヴェルト大統領の指示により、雇用主は事前の許可なしに一時間当たり40セント(今日の一時間当たり約5ドルに相当する)に賃金を上げることが許された。または地方の同委員会のオフィスの許可を得て、一時間当たり50セントに上げることができた。それに対し、それ以上の賃上げは、ワシントンによって許可されなければならなかったので、このシステムはもともと高い賃金の労働者よりも低賃金労働者の賃金を上げる傾向があった。また、同委員会は職業別の賃金幅をつくり、雇用主はそれに従い賃金をその幅の最低線にまで引き上げることが許されていた。このことも高い賃金を得ている者にではなく、低賃金労働者に有利に働いた。そして同委員会は、工場内における賃金格差をなくす賃上げも許可していたため、賃金の底上げにも寄与した。
 経済歴史家であるゴールディンとマーゴが指摘するように、同委員会が「用いた賃上げのための基準は、産業間、そして産業内の賃金格差を縮小させた」のである。つまり、政府は多くの労働者の賃金を多かれ少なかれ直接的に決定できた短い期間を利用して、アメリカをより平等な社会にしたのである。
 そして驚くべきことに、そのような変化は定着したのである。

格差是正と戦後の急成長

 もし今日、民主党が再度「大圧縮」政策の実施を議会で唱えたとしたら、どうなるだろうか。つまり、富裕層に対する増税、組合の権限拡大への支持、賃金格差を大きく是正するために賃金統制期間の実施などである。そのような政策の影響について、世間一般の通念はどう反応するだろうか。
 第一に少なくとも、長期的に見てこれらの政策が格差是正に効果があるのかという懐疑的な見方が出てくるはずだ。一般的な経済理論によると、需要と供給の法則に反する試みは通常、失敗するという。政府が戦時下のような権限を用いてより平等な賃金体系の実施を命じても、賃金統制が終わりしだい以前のような格差に逆戻りするだろうという。
 第二に、そのような過激な格差是正策は、労働意欲を減退させ経済を駄目にしかねないと、極右派からだけでなく、広く一般からも反対されるだろう。高い法人税は企業投資を大幅に減少させる。個人の所得に対する高い所得税は、企業家精神と個人の労働意欲を減退させる。強い労働組合は、度を超した賃上げを要求し、失業を増大させ、生産性の向上を阻害する。要するに「大圧縮」時代に起こったアメリカの政策変化は、多くの西ヨーロッパ諸国の低い雇用と、(それよりも程度は低いだろうが)低い成長率の原因となっている「ヨーロッパ病」として広く批判されている政策よりもさらに極端なものではないかということだ。
 これらの悲観的な意見は、今日「大圧縮」政策を再度実施したらなら、現実のものとなるかもしれない。だが、実際のところ、そのような収入の劇的な格差是正政策が引き起こすかもしれない悪しき結果は、第二次大戦後まったく見られなかったのが事実である。その逆で、「大圧縮」政策は、30年以上の長期にわたって収入の格差を縮小するのに成功している。そして格差が縮小した時代は、アメリカがそれ以降繰り返すことができていない、歴史に前例のないほどの繁栄の時代でもあった。
pp.42-46
クルーグマン『格差はつくられた』

前半部分を読むと、戦時下の賃金統制によって労働者の生活給が確保され、戦後の労働組合がそれを堅持する中で生活給を保障する日本型雇用慣行が形成されていった日本との同じようなことがアメリカでも起きていたわけでして、クルーグマンはそれが格差の「大圧縮」を進めて50年代の繁栄の時代をもたらしたとしています。そして、ここもクルーグマンは慎重に筆を運んでいますが、一般的な経済理論では賃金格差を是正することは需要と供給を歪ませて失敗するとしながらも、実際にはそうではなかったと強調しているわけです。

これは大変重要な指摘でして、一般的な経済理論に合わせるのではなく、その経済理論の前提となる制度や慣行を変えることによって望ましい結果をもたらすことの方が、一般的な経済理論に振り回される政策談義よりはるかに社会的に有意義だろうと思うところでして、「要は、失業しても死なずにすむ社会にすればいいってことですよ。そう考えるほうが、結果的により多くの命を救えるのではありませんか」というまっつぁんの言葉には改めて深く頷くところですね。

もちろん、クルーグマンはリベラルでありながらも労働組合の重要性を繰り返し強調しておりまして、「拙ブログで述べていることはクルーグマンの主張に沿ったものだと考えている」者としては、クルーグマンの「ソーシャル」な政策についての理解は熟読玩味に値すると思います。

 経営トップの給与が際限なく上がっているのは、狭い意味での経済的な要因によるというよりも、社会・政治的な要因によるだろう。それは、経営者としての才能に対する需要が高まったからではなく、CEOの巨額な給与に対する怒りにも似た反発——株主、労働者、政治家、または一般大衆からの激しい反発——が消え去ったからである。それにはいくつかの要因があり、報道機関は以前、巨額を受け取っているCEOを批判していたが、いまではその代わりにビジネスの天才だと褒めたたえるようになった。50年代と60年代、大企業は知名度が高く、カリスマ性のある経営者が必要であるとは考えていなかった。CEOがビジネス雑誌の表紙を飾ることは稀だったし、チームプレーヤーとしての仕事を大切にしていたため、経営責任者は社内から昇進させていた。それに対し80年代以降、CEOが会社の顔になり、また会社がCEOをつくるようになった。いわばCEOは一種の著名人ないし有名人となり、ロックスターのような存在になったのだ。
 政治家も以前、巨額を稼いでいた経営者を一般の人々とともに糾弾していたものの、経営者トップが政治献金を行うと、彼らを褒めるようになった。以前、労働組合は経営者トップの巨額のボーナスに抗議していたが、何年にもわたって組合潰しにあい、労働組合は骨抜きにされてしまった。そしてもう一点、最高税率は70年代初頭、70パーセントだったのが、現在は35パーセントまで下がっている。経営者トップにしてみれば、その地位を利用しない手はない。トップはその巨額のほとんどを懐に収めることができるのである、その結果は最高位所得の肥大化であり、所得格差のさらなる拡大である。
pp.103-104

 最低賃金の引き上げに対し、矛盾しているがよく耳にするありふれた反対意見が二つある。一方は、最低賃金の上昇は失業を増大させ、雇用を減少させてしまうという議論である。他方は、最低賃金を上げることは、賃金の上昇にはたいした効果がない、まいしはまったくないという議論である。だが、これまでのデータは、最低賃金の上昇は賃金に対し少なからず積極的な効果があることを示している。(中略)
 だが、最低賃金はほとんどの場合、低賃金労働者にしか関係しない。広範囲に労働市場の格差を是正しようとするなら、その上に位置する労働者の収入をどうにかしなければならない。そのための最も重要な方策は、30年間におよぶ労働組合に対する政府の締めつけ政策を終わらせることである
p.227

 新たな政治環境は、労働組合運動を再活性化することができるだろうし、またそれは進歩派の重要な政策目標とならなくてはならない。特定の法律、たとえば「被雇用者自由選択法」は、雇用主が労働者に組合に加入させないようにすることを阻止する法律だが、それだけでは不充分である。すでに法律化されている労働法を実施することも重要である。現行の法律の下でさえ、アメリカの組合活動を大いに弱体化に追い込んだ多くの、もしくはそのほとんどの反労働組合活動は違法である。だが、雇用主は、うまく言い逃れられるだろうと判断したのであり、その判断は正しかったと言わざるを得ない。
p.228

クルーグマン『格差はつくられた』

アメリカでの「組合潰し」の実態とかそもそもそのようなことがあったのかということはよくわかりませんが、「本来の企業所有者(プリンシパル)である株主からすれば、エージェントである経営者が企業内部の配分を失敗したように見えるのでしょうけど、それは企業内の利益配分システムとしての集団的労使関係の領域において、株主に対抗するステイクホルダーである労働組合が本来の機能を果た」すべきと考えている私からしても、アメリカ企業の現状は抑制が効かない状態に陥っているように見えますし、そのことに危機感を覚えているクルーグマンの主張にはほぼ全面的に同意します。まあ日本の場合は、アメリカと違って複数の組合に交渉権を認めることによって「企業内の身分保障が正規雇用にのみ及ぶものである以上、必然的に労働組合は正規雇用の利益しか代表できなくなって」いる現状ですので、使用者による組合潰しというより誰の利益を代表しているのか分からない状態のために適切に機能していないというべきでしょう(国鉄に対する「国家的不当労働行為」というのもありましたが、それも誰の利益を代表しているか分からなくなっていた組合への支持が先細りの状態にあったから可能だったのだろうと思います)。

さて、クルーグマンは日本での「インフレターゲット政策」の実施を主張してきましたが、それはかなり怪しい日本理解に基づくものでした。アメリカ国内の問題については自らを「リベラル派」と称してソーシャルな政策を主張する一方で、フランスや日本には厳格な解雇規制とか世代間格差とかを煽りながら批判を繰り返していたのもまたクルーグマンです。クルーグマンはあくまでアメリカ的なリベラルであって、アメリカ国内では相対的にソーシャルな政策にも理解を示すものの、他国が実施しているソーシャルな政策については批判的だというダブスタが目につくように思います。

特に、フランスの再分配政策に対する掌返し(といってもだいぶ奥歯にものが挟まっているようですが)や、付加価値税による社会保障の拡充を日本では全否定してしまう掌返しは、クルーグマンを「金融政策」の神と崇める方々に、所得再分配政策や社会保障政策に対する誤解を与えてしまう原因となっていると思います。まあ、そもそも「金融政策のみで一致できる」と主張していたのは日本のリフレ派と呼ばれる一部の方々ですから、そのこと自体はクルーグマンの責任を問うことはできないとしても、クルーグマンもかなり露骨に変節したりダブスタを許容したりしているところでして、改めてクルーグマンの主張は注意深く聞かなければならないのではないかと思うところです。
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