2014年11月10日 (月) | Edit |
ほとんど月一更新となりつつありまして、本業とプライベートでいろいろあって時間がとれない状況が続いておりますが、ここ最近の消費増税をめぐる議論でクルーグマンの罪をひしひしと感じておりましたので、その辺をメモしておきます。いやもちろん、田舎の地方公務員がノーベル記念スウェーデン国立銀行賞を受賞した世界的経済学者に文句をつけるなぞ大それたことはしませんが、クルーグマンがあまりに日本的な都合のよい評価のされ方をしていて、そのせいで日本財政政策に関する議論が錯綜してしまっているように思います。

私の拙い理解ではありますが、クルーグマンはあくまで「アメリカ的リベラル」であって、「ソーシャル」な政策にはあまり関心がないという印象です。そもそも日本と同じく(というか日本が戦後民主主義の手本とした)アメリカにおいては「ソーシャル」な政策が乏しいわけで、アメリカン・ケインジアンであるクルーグマンに「ソーシャル」な政策への関心が薄いのも当然ではあります。ところが日本においては、クルーグマンの「弱者の味方」というイメージが先行してしまっていて、「クルーグマンがいうことは弱者の味方のためになることだから、クルーグマンの主張のとおりにすれば弱者が救われる」という信念が醸成されているように見受けます。そして、そこから派生した「クルーグマンの主張に逆らうようなことをいう輩は既得権益に凝り固まって弱者を切り捨てる売国奴だ」というレッテル貼りを、特に「再分配」とか「社会福祉」とか「社会保障」を重視すると自称する方が何のためらいもなく行われる原因となっているのではないかと思います。

確かにクルーグマンはアメリカの民主党を支持して、「リバタリアン」な淡水派経済学やアメリカの共和党を批判していますし、その意味では「ソーシャル」な思想の持ち主といえなくもないですが、アメリカにおいて自ら「リベラル」と称しているように、政府が担うべきリスク負担をかなり限定的に捉えています。たとえば、20年前の1994年に原著が発行された『経済政策を売り歩く人々』から引用しますと、

 はなばなしい経済成長の記録を残せなかったことの責任と同様に、所得格差拡大の責任もあるだろうが、その程度は小さい。レーガンの減税政策は、基本的には超高額所得家計に恩恵をもたらしたわけだが、健康保険以外のすべての社会的政策的支出を実質的に大幅に削減したことで、とりわけ貧しい人々を痛めつけることにもなった。とはいえ、所得格差の拡大の大部分は、税引き前所得において顕著なのであるから、意図的な政府の政策の結果であると避難することは難しいだろう。
p.213

 これら一連の話で最も重要な点は、興味深い仮説をいくら立てても、なぜ不平等が拡大したのかということは実際にははっきりとはわからない、ということである。これは、なすすべがない、という意味ではないが、リベラル派復活の話題に触れるときまで、この議論はしばらくこのままにしておこう。
p.218

 これまでの議論から、積極的金融政策をとることの意義は明白である。例えば、すでに述べたプロセス(引用注:すべての人の現金保有需要が高まって雇用と所得が下がり、不完全競争市場化で個々の企業が価格を下げない(下方硬直性)のために不況から自律的に回復できない状況)を経て不況に突入したとしよう。それに対しては簡単な解決策がある。つまり貨幣をより多く流通させ、お金を多く使わせることで所得も雇用も上昇させるだけでいいのである(普通はそれでいいのだが、時として、景気を回復させるために、予想以上の貨幣供給を必要とすることがある。これは連銀が発見したことでもあるが、気がついたときには時すでに遅く、ジョージ・ブッシュは不況のために再選していた)。
pp.306-307

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(2009/03/10)
ポール クルーグマン

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引用したはじめの段落での「所得格差は第1次分配によるもので政府の責任ではない」という主張はいかにも政府の役割を限定する「小さな政府」論者的でして、さらに2段落目の「不平等が拡大した理由はわからないが、リベラルの主張で対応可能」とほのめかしています。そして3段落目では、リベラル派の復活を「新しいケインズ学派」と位置づけて、「貨幣供給の増加だけで所得と雇用を上昇させることができる」という「金融政策万能論」のようなことをおっしゃっています。本書ではこの後、「QWERTY経済」としてクルーグマンの本来の専門である国際経済学と地域経済学の議論が展開されていて、どう読んでも「再分配」とか「社会保障」に関心があるとは思えません。

これは2年後の1996年に原著が発行された『良い経済学 悪い経済学』でも同じ、というか、そもそもこの本は国際経済学のことしか書かれておらず、「再分配」とか「社会保障」がクルーグマンの関心から外れていることが伺えます。

良い経済学 悪い経済学 (日経ビジネス人文庫)良い経済学 悪い経済学 (日経ビジネス人文庫)
(2000/11/07)
ポール クルーグマン

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ところが、1年後の1997年に第3版が発行(初版は1994年)された『クルーグマン教授の経済入門』では、以前も引用した部分ですが、財政赤字の問題を指摘して増税の必要性を容認するような記述があります。

 あるいは、もっとストレートな言い方をしてみようか。経済の未来について言えるどんなことよりも確実なのが、今から15年したら、政府の支払い義務はその課税ベースにくらべてすごく増えるってこと。計画のしっかりした締まり屋なら、その日のために貯金するだろう。財政黒字にして、今のうちに払える借金を返しといて、うまくすれば準備金を積み立てておくだろう。ところがぼくたちは、借金ばっかどんどん増やしてますます債務漬けになってる。まあどう考えても、信じられないほど無責任だよね。
p.151

 どれを見ても、おっかない見通しでしょ。危機はまだずっと先のことではある。でも、その危機までの時間は、アメリカが巨額の赤字を垂れ流しはじめた80年から現在までの時間よりは短くなってるんだぜ。
 赤字が総貯蓄を足りなくする原因になってるというのは、みんなが心配していることだ。はやいとこなんとかしないと国の返済能力も危うくなるぞ、というおそれも拡大してる。だったら、さっさと財政赤字を解消しなきゃ、というのはすでにだれもが同意してることだと思うでしょう。そして確かに、政治家のほとんどは、すぐにでも財政赤字を解消しましょうと口では言う。
 だったらなぜそれが実現しないんだろう。
p.152

 つまり現実問題として、支出を減らして赤字解消するには、主に中流層のためのプログラムに手をつけなきゃならないってことだ――特に社会保障、メディケア。
 じゃあ税金は? こっちの話はもっと簡単。貧乏人は金をほとんど持ってないので、税金を増やしても払えないのね。金持ちからはもっと税金をしぼり取れるけど、これにだって限界はある。政府が「累進」税率を上げすぎたら――というのはつまり、その人が稼いだ最後の1ドルからあまりにたくさん持っていったら――これは働く意欲や、貯金して投資しようという意欲をすごく下げちゃう。そして増税分の負担が高所得者世帯にいくようにするには、収入にしたがって税率を上げる、つまり累進税率を上げるしかない。
 実際、ロナルド・レーガンは、累進税率を下げることを重視して、金持ち世帯の税率をかなり下げた。93年にビル・クリントンは、レーガン減税の一部を戻し、金持ちの税率をだいぶ上げた。多くの経済学者は、この先3年の財政赤字低下の原因の一つがこの増税だったと評価している。
 でも、クリントン増税で、最高ランクの連中の累進税率は40%になった。増税を支持していた経済学者でも、これ以上上げたら悪影響が出ると心配してる。
 これがどういうことかといえば、これ以上の増税は、金持ち層だけを狙い撃ちするわけにはいかないってこと。まともな支出削減と同じで、増税も大部分が中流層にふりかかってくるしかない。
 要するに、財政赤字をなくす提案をまともにすれば、どうしたって有権者の多く、いやほとんどに、大幅な犠牲を強いるものになっちゃうってこと。不思議に思えるかもしれないけれど、これをちゃんと認めた政治家ってのはほとんどいない――そして、財政について正直にものを言った政治家は、ほとんど例外なしに怒れる大衆によって、落選させられちゃってるんだぜ。
pp.154-156

クルーグマン教授の経済入門 (日経ビジネス人文庫)クルーグマン教授の経済入門 (日経ビジネス人文庫)
(2003/11)
ポール クルーグマン

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なかなか持って回った言い方ですが、少なくともこの時点でクルーグマンは、財政赤字は総貯蓄を足りなくするという点で問題があるという認識を持っていたようです。ところが、財政赤字を削減するためには中所得者向けの再分配を縮小するか、中所得者向けの増税をするしかないと指摘する一方で、それを正直に主張した政治家は落選するとして有権者を揶揄しているようにも見えます。素直に読めば、「財政赤字の問題点がだれもが分かっていながら、政治家が財政赤字削減を主張すると落選させてしまう中所得者層のせいで財政赤字が進まない」と書いてあると思うのですが、もしかすると中所得者層を敵に回すような財政赤字削減は政治的に非現実的だから、ほかの方法(金融政策?)を考えるべきという趣旨かもしれません。なお、本書では、「11 日本」という節があるのですが、あくまでアメリカとの貿易についてのみ書かれていて、「再分配」や「社会保障」については一言も触れられていません。その上で、番外編で日本に対する処方箋が書かれています。

 流動性の罠はどんな状況で起こるだろう。一つの可能性は、PがP*にくらべて高い——つまり人々がデフレを期待するので、名目金利ゼロでも実質金利としては高すぎる場合だ。でももう一つの可能性として、価格が安定だと期待されていても、もしyfが将来に比べて高かったら——あるいは別の言い方をすると、人々の期待将来実質収入が、今日の容量を使い切るのに必要な収入量にくらべて低くても、罠は起きる。この場合は、みんなにいま支出をうながすには、マイナスの実質金利が必要となる。そして価格は下がる方向には動きにくい(下方硬直性)ので、これは不可能かもしれない。
p.393

 じゃあ、今の話を現実に落としてみよう。特に日本に。もちろん、日銀はベースマネーの変化が一時的かこの先も続くのかなんて発表しない。でも、民間のプレーヤーはその行動が一時的なものだと見ている、と考えていいかもしれない。みんな、中央銀行は長期的には価格の安定を目指すだろうと思ってるから。そして金融政策に効果がないのは、このせいなんだ! 日本が経済を動かせないのはまさに、中央銀行が責任ある行動をとると市場が見ていて、価格が上昇しだしたらマネーサプライを引き締めるだろうと思ってるからだ。
 だったら金融政策を有効にするには、中央銀行が信用できる形で無責任になることを約束することだ——説得力ある形で、インフレを起こさせちゃうと宣言して、経済が必要としてるマイナスの実質金利を実現することだ。
p.403
クルーグマン『クルーグマン教授の経済入門』

クルーグマンはもちろん、国際経済学の専門家であって、日本の雇用慣行にも日本の財政状況(経済状況ではありません)にも関心はあまりなさそうですし、その上で財政赤字の削減が政治的に非現実的だというのであれば、「中央銀行が信用できる形で無責任になることを約束」してマイナスの実質金利を実現するというのも政治的にかなり難しそうですね。実際、日銀副総裁になったリフレ派の巨頭の先生も、辞職するといったことを深く反省するなんておっしゃってるそうですし。

UPDATE 1-就任前の目標未達なら辞職発言、深く反省=岩田日銀副総裁(2014年 10月 28日 12:59 JST)

[東京 28日 ロイター] - 日銀の岩田規久男副総裁は28日午前、参議院財政金融委員会で、就任前に2年程度で2%の物価目標が実現できない場合は辞職すると発言したことについて、深く反省している、と語った。大久保勉委員(民主)の質問に対する答弁。

岩田副総裁は、昨春の就任前の国会における所信表明で、2年で2%の物価目標が達成できない場合は辞職する考えを表明したことに関し、「(達成できなければ)自動的に辞めると理解されてしまったことを、今は深く反省している」と語り、「まずは説明責任を果たすことが先決というのが真意だった」と説明した。

当時言及した日銀法改正に対する考えについても、2%の物価安定目標が政府と合意されている現在は「あえて改正する必要はない」との認識を示した。

そのうえで、2年程度で2%の物価目標の達成について、人間の行動に働きかけるのが金融政策とし、「電車の時刻表のように、きちんとはできない。不確実性が大きい」と指摘。2年程度での実現を目指して、最大の努力を行うという日銀の行動が大事だ、と語った。 (伊藤純夫)

この発言をめぐるサルベージはドラめもんさんのまとめをご覧いただければと思います。

というわけで、どうもクルーグマンには政治的な利害関係の調整が煩わしいという感覚があるようで、2006年に発行された『クルーグマン マクロ敬愛学」では、利害調整の面倒な財政政策より金融政策が望ましいと考えているとも取れる記述があります。

 金融政策への関心が復活したことは,財政政策が経済運営の重荷を背負わなくてすむようになったという点で,つまり経済運営が政治家の手を離れたという点で重要だった.財政政策は税率の変更や政府支出の修正を要するので,必然的に政治的な選択の対象となる.政府が減税によって経済を刺激しようとすれば,誰の税金を下げるべきかが問題になる.また政府支出によって経済を刺激しようとすれば,何にお金を使うかが問題になるのだ.
 金融政策は,財政政策とは対照的に,こうした選択に苦慮する必要はない.不況に対抗して中央銀行が利子率を引き下げる場合,すべての人々の利子率を同時に下げることになるのだ.だから政策の柱が財政政策から金融政策に切り替われば,マクロ経済運営は政治色を薄め,より技術的な性格のものになる.実際,第16章で学んだように,ほとんどの主要国経済で金融政策は政治的プロセスから切り離され,独立した中央銀行によって運営されている.
pp.493-494

クルーグマンマクロ経済学クルーグマンマクロ経済学
(2009/03/20)
ポール・クルーグマン

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この点は以前も指摘したことがありましたが、「リフレーション政策といった金融政策については、ある程度制度を無視しても純粋な理論上の議論が可能かもしれませんが、ゴリゴリの利害調整を経て市場の失敗や政府の失敗に頑健な制度を作って初めて機能するような「ミクロの経済政策」については、その需要側のみならず、それを供給する側についても財源を含めて考慮しなければなりませんし、それらを規定する制度の策定過程や執行の実務についても議論しなければなりません。そうした「各論」の制度や実務についての議論を置き去りにしてしまっては、いくらマクロの政策を語ったところで合成の誤謬など「ミクロの経済政策」に起因する問題を適切に議論することができなくな」るわけでして、クルーグマンにもその傾向がありそうです。

クルーグマンの日本理解が端的に表れているのが『世界大不況からの脱出』でして、「3 日本がはまった罠」という章でこういう記述があります。

 なぜ日本が成功したのかという議論を繰り返すことはここではしない。この議論には大きく分けて二つの主張があった。一つは、日本の成功は優秀なファンダメンタルズの成果だとするものだ。優れた基礎教育や高い貯蓄率のおかげだとされ、そして——いつものことなのだが——アマチュア社会学が動員された。もう一方の主張は、日本は欧米とは根本的に異なる経済システム、つまり欧米よりも優れた新しい資本主義を発展させたというものだ。そして日本に関する議論は、経済哲学や欧米流の経済思想一般の正当性についての、さらには自由市場の利点についての議論へと発展していった。
p.82

世界大不況からの脱出-なぜ恐慌型経済は広がったのか世界大不況からの脱出-なぜ恐慌型経済は広がったのか
(2009/03/19)
ポール・クルーグマン

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アマチュア社会学を揶揄しているところからすると、クルーグマンは二つ目に挙げたリビジョニスト的な日本理解を前提にしているように思われるところでして、その直後で最近一部で議論されているキーワードを用いてこう指摘します。

 こうした理解は、実際には間違いだらけだと指摘する懐疑的な人々もいた。とはいえ、日本の輸出攻勢が海外市場を食いつぶしているという批判に与せず、通産省は喧伝されるほど全知全能ではないと疑った人々でさえ、日本の経済システムに固有の特徴がその成功と密接に関係しているという考え方には同意していた。
 その特徴——つまり政府と企業の緊密な関係と、政府系の銀行から提携先の企業への低利融資——が「クローニー・キャピタリズム」と呼ばれ、それが経済の病の原因だと考えられるようになったのは、かなり後のことだ。

クルーグマン『世界大不況からの脱出』p.84

日本の政治環境を理解するためには、まずは「官僚内閣制」とか「省庁代表制」をきちんと押さえておく必要があるわけですが、クルーグマンはもちろん政治学者でも行政学者でもなく国際経済学者ですから、アメリカはともかく日本の統治機構についてはそれほど造詣が深いわけではなさそうです。いやまあもしかすると、「官僚内閣制」とか「省庁代表制」を経済学的なジャーゴンでいえば「クローニー・キャピタリズム」ということになるのかもしれませんが、キャピタリズムは統治機構ではないでしょうから、その言い換えによって肝心の政治過程がすっぽりと抜け落ちてしまうように思われます。クルーグマンの政治過程軽視の姿勢は、よく引用されるベビーシッター協働組合の事例にも現れています。

 言いかえれば、協働組合の役員は中央銀行の役割を果たしているのだ。経済が冷え込んだ際には金利を下げ、加熱したらそれを上げるのだ。しかし、日本の金利はほとんどゼロに等しいのに景気は上向かない。この例え話の有効性もこれが限界なのだろうか?
 さてここで、ベビーシッターの需要と供給にも季節があると想像してみよう。冬の間は寒くて暗いので、夫婦はあまり出かけたがらず、家にこもって他の夫婦の子供の世話をし、さわやかな夏の晩のためにクーポンを貯めておきたいと考えたとしよう。もしあまり季節が関係ないのなら、協働組合はベビーシッターの需要と供給のバランスを保つために、冬の間は低い金利を、夏の間は高い金利を課せばいい。

クルーグマン『世界大不況からの脱出』p.98

うーむ、アメリカではベビーシッターは市場で供給されるので違和感がないのかもしれませんが、保育に限らず教育や医療・福祉は家庭の機能の社会化という経路を通じた再分配政策と考えるべきでしょう。その再分配政策の需要と供給を中央銀行たる協働組合が金利だけで操作できるとしてしまったら、政府による再分配は不要ということになってしまいます。クーポンという「所得」が不足してクーポンを持たない場合、またはクーポンを持っていても供給が需要に追いつかない場合は協働組合を利用することができず、したがって市場でベビーシッターを調達するか自分で子守をするかという選択を迫られてしまいます。さらに、現実の「所得」が不足している場合は、どんなに必要があっても自ら子守をするという選択肢しかなくなるわけです。ベビーシッター協働組合の事例は政府が存在しないアナルコ・キャピタリズムが前提とも言えるわけでして、クルーグマンを神と崇める日本のリフレ派と呼ばれる一部の方々が日銀・政府に対して執拗に攻撃を繰り返すのはこの辺にも理由があるかもしれません。

「政府がムダだから社会保障政策を全廃してBIでいいだろJK」とか「子育て支援なんて金融政策で景気回復して税収が上がれば自然に財源がつくだろJK」とかいう主張に根拠を与えているのがクルーグマンのこうした言説であるならば、いくらクルーグマンといえども批判しなければならないだろうと考えるところです。

(付記)
私の拙い文章で誤解を招いてしまっているようですので、念のため付記しておきますが、私はクルーグマンの理論なり主張そのものを批判しているつもりはありません(つもりなので、批判しているようにしかみえないといわれてしまえば申し開きようありませんが)。私はクルーグマンが示す簡単なモデルとかベビーシッター協働組合の事例が都合良く理解されてしまう危険性を孕んでいるのに、クルーグマン自身がそのことに留保をつけることもなく世の中を説明できる風に主張してしまう点は批判されてしかるべきと考えております。
まあ誤解というより私の文章に対するご批判と受け止めた方がいいのでしょうけど、uncorrelatedさんのご指摘について補足させていただくと、

クルーグマンdis来ました

日本の政治過程や行政の実態に関する理解が浅い、再分配や社会保障に関心が薄いという批判ですが、マクロ経済学は大雑把な方向性を示すものなので、あまり妥当なものだと思います。再分配や社会保障は移転所得として捉え、とりあえず個人に異質性が無いとしてマクロ経済には中立と仮定する習慣は、クルーグマンに限ったものではありません。また、「所得格差は第1次分配によるもので政府の責任ではない」を批判しているのですが、税引き前賃金から格差是正しろと言う人は少数派だと思います。所得税や社会保障の給付と言う第二次分配があるわけですから。
また、流動性選好がもたらす経済停滞を示す比喩としてのベビーシッター協同組合の話に、政治過程への見識が欠如していると言うのは難癖でしょう。また、多くの著作をまとめて批評しているので、学生向けに世界中をオーバービューした上での一般論と、日本の個別事情に配慮した個別的な論がごっちゃになっている感じもします。クローニー・キャピタリズムの件に関しては、官僚の天下りが問題になった事なども、もう忘れているようです。
現場の行政の事情を汲み取ってくれない論者が多いので、そちらにもっと注目して欲しいと言う気持ちは分からなくも無いのですが、マクロ経済政策は良かれ悪しかれ大雑把な話なので話が噛み合わないですね。

前段は(タイポがあるようなので趣旨が違うかもしれませんが)賛同いただいているようですが、マクロ経済学の習慣が云々というのであれば、少なくとも「貨幣をより多く流通させ、お金を多く使わせることで所得も雇用も上昇させるだけでいい」とか「協働組合はベビーシッターの需要と供給のバランスを保つために、冬の間は低い金利を、夏の間は高い金利を課せばいい」などと安易にいうべきではありませんね。そうした簡単化した議論は、マクロ政策のみで景気が回復するのみでなく公共政策まで適切に供給されるようになるという誤解を生みかねないわけで、ミスリーディングな主張とのそしりは免れないものと思います。

で、後出しじゃんけんのようになってしまって、本エントリをアップするときに書いておけば良かったといまさら思っているところですが、クルーグマンの著作では『格差はつくられた』や『グローバル経済を動かす愚かな人々』では、アメリカとフランスを比較して、後者を「楽をしている人に負担を強いて、弱い立場にいる人を救済することによって働き過ぎずに余暇を楽しめる社会」としてクルーグマンも評価しています。これらの著書のようにクルーグマンが丁寧に再分配政策について論じているのであればそれほど批判する必要はないと思うのですが、『さっさと不況を終わらせろ』ではもっぱら公共事業やせいぜい教師を増やすことで雇用を創出するような処方箋しか示していません。実は本エントリは『さっさと不況を終わらせろ』での主張が再分配を軽視しているように読めるということから話を広げて、クルーグマンが安倍首相に消費増税延期をアドバイスしたという記事を取り上げようと思いながら、それより過去の著作からの引用で力尽きたものでして、我ながら中途半端な内容となっております。続き(といえるものになるかは措いといて)はそのうち書ければと思います。とりあえず上記のクルーグマンの主張と安倍首相へのアドバイスを読み比べてみていただければ。

クルーグマン教授が安倍首相と会談、消費増税反対を表明(2014年 11月 6日 17:04 JST)

[東京 6日 ロイター] - 安倍晋三首相は6日、来日中のポール・クルーグマン米プリンストン大教授と首相官邸で意見交換し、クルーグマン教授は消費税の再増税延期について、その必要などを説いた。首相経済ブレーンの浜田宏一、本田悦朗内閣官房参与が同席した。

同席者らによると、クルーグマン教授は米欧の経済情勢などについて見解を述べ、黒田東彦総裁による日銀の金融政策運営を支持すると語った。

また、日本については、デフレ脱却前の増税の危険性を明言した。首相は自分の意見をコメントせず、興味深く聞いていたという。

クルーグマン教授は、従来からデフレ脱却途上における昨年4月の消費税増税を強く批判し、ニューヨーク・タイムズ紙上などで持論を展開してきた。今回は国内大手証券のイベント出席などで来日。本田参与がこの日の会談を設定したという。

消費税再増税をめぐっては、政府内でも実施派と延期派の対立が目立っている。首相周辺の延期派は、再増税による日本の景気悪化が世界経済に悪影響を与えると。米国が懸念している点を強調してきており、きょうの会談におけるクルーグマン教授の発言は、延期派への援護射撃になったとみられる。

(竹本能文)


で、uncorrelatedさんのご指摘に戻ると、1次分配以降のご指摘は私からすれば難癖ですね。1次分配で大きな格差が生じているのに2次分配で格差が是正できるというのは、実務の面からいえばあまりに楽観的に過ぎると思います。所得の捕捉が簡単ではないから所得税とか相続税の効率性が確保できないわけでして、歳入庁なんて役所を作ったところで捕捉が難しいという現実は変わりません。労働者の1次分配を適正化する仕組みが労働組合を主要なアクターとする集団的労使関係であって、憲法で労働基本権として保障されているものではありますが、それが機能不全に陥っている(アメリカではさらに金融機関への規制緩和によって労働者個人の交渉力が強くなりすぎている点も考慮すべきかもしれません)ことは改めて繰り返すまでもないでしょう。1次分配と現物支給を中心とした再分配の関係を適切に制度化することが再分配政策の要諦であって、どちらか一方を野放図にしておきながら租税政策と給付で是正しようというのは実務的にも政治的にもコストが大きすぎると考えます。

という再分配政策の実務的・政治的コストを考えると、「流動性選好がもたらす経済停滞を示す比喩としてのベビーシッター協同組合」の話でもって、再分配としての公共財の供給という政府の重要な役割をあたかも金融政策のみでコントロールできると説明してしまっているのは、特に子守という家庭機能の社会化政策についての説明としてミスリーディングだろうと思います。

クローニー・キャピタリズムと天下りを関連づける議論もやや安直ですね。アメリカのようなロビー活動が公に行われず、北欧のようなコーポラティズムによる労使の政策決定もできない日本におけるステークホルダー民主主義は、官庁内閣制とか省庁代表制という政策過程の形成を必要としたわけで、その点を意識的に考慮しないとクローニー・キャピタリズムとステークホルダー民主主義を混同した議論にも通じてしまいます。まあ、天下りが問題になったことを私が忘れているかどうかよりも、ステークホルダー民主主義をこの国のほとんどの人が忘れ去ってしまっていることの方が大問題ではないかと思うところですが。
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コメント
この記事へのコメント
ミクロの再分配に興味ある人とマクロの景気回復に興味ある人はなぜ折り合いが悪いのだろうか。
いくらリフレ派の一部が不愉快でも恣意的な記事の切り抜きしてクルーグマンを批判して、しかもリベサヨに力を貸してるなんて言うのは悲しすぎる。少しは彼のコラムとか読んであげてください。
2014/11/11(火) 23:24:58 | URL | - #-[ 編集]
色々とおかしいところはあるけど、まず整理すると

・クルーグマンは過去と現在でかなり主張(経済観)が違う。特に山形氏訳の著作群は新古典派的な傾向が強いものになっている。
・リフレ派が「クルーグマンの言う通りにしろ」と言っているというのは誤り。彼らは自説に都合がいい部分だけを抜き出して「クルーグマン先生はこう言っている」を平気でやっている。リフレ派とクルーグマンをあまり同一視しないほうがよい。

この二点は注意しておくべき。リフレ派論客って、ものすごく権威主義で政治家っぽい。
2014/11/12(水) 17:59:08 | URL | - #-[ 編集]
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