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2014年08月14日 (木) | Edit |
前回エントリで取り上げた本の第4章が「メガマーケット化する日本のうつ病」となっておりまして、その中でも仏教の影響が指摘されております。

 カーマイヤー(引用注:カナダのマギル大で比較文化社会精神医学を専門とするローレンス・カーマイヤー博士)が記しているように、日本には愁いに沈んだ様子(メランコリー)を理想化し尊ぶ文化があり、テレビ番組や映画や流行歌のなかでも、深い悲しみの感情は好ましいものとして描かれてきた。憂鬱や憂いや悲しみは、辛くとも故人の性格を作り上げる要素であるとされ、アメリカ人が病的だとする抑うつ感情は、道徳的意味を持つとともに、自己認識のきっかけとなるものとみなされてきた。この傾向は、束の間の幸福ではなく苦しみこそが人生をかけて背負うべき体験であるとする仏教思想に関係があると、彼をはじめとする研究者は考えた。
p.249

クレイジー・ライク・アメリカ: 心の病はいかに輸出されたかクレイジー・ライク・アメリカ: 心の病はいかに輸出されたか
(2013/07/04)
イーサン ウォッターズ

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ここに出てくるカーマイヤー博士は、大手製薬会社グラクソ・スミスクライン社(GSK社)が2000年に日本で開催した会議に招かれて、日本にうつ病の概念を伝える役回りを演じてしまいましたが、後にこれを後悔し、それ以降はGSK社を告発しています。そして、1990年代までは日本でうつ病は一部の真面目な人の精神疾患であって、その治療薬としてのアンフェタミンなどの気分を高揚させる薬の市場はなかったと指摘しています。

ところが、2000年の電通事件の最高裁判決を機に、過労によってうつ病に罹患することは誰にでも起こりうるという認識が広く一般に普及するようになったとのこと。

 上訴のたびに異なる解釈が出されたのは、集団の考え方が過渡期にある文化を如実に反映するものかもしれない。[1997年9月に]東京高裁は賠償金を減額し、日本の精神医学界で本流だった初期の意見を踏襲して、
「一郎(引用注:自殺した電通の従業員の大嶋一郎氏)にはうつ病親和性ないし病前性格があったところ、(中略)結果として、一郎の業務を増やし、その処理を遅らせ(以下略)」
と、判決文で述べた。先天的な病前性格とはつまり、「運命」を精神医学的に言いかえただけである。しかし、[2000年3月に]最高裁は東京高裁の判決を破棄し、個人の性格は——通常想定される範囲を外れるものでない限り——こうした場合に考慮されるべきではないとした。この判決により、誰もが十分なストレスにさらされれば、うつ病のために自殺する可能性があると示された。
 部分的には大嶋の自殺をめぐる議論のおかげもあって、この時ほど一般の意見が劇的に変わったことはなかっただろうという北中(引用注:カーマイヤー博士と同じ会議に出席した現慶大准教授の北中淳子氏)は、
「最初に訴訟について伝え聞いた人は、従業員の自殺で損害を被って訴えたのは家族ではなく、会社側ではないのか、と尋ねるのが常だった。原告の勝訴を報道で知った多くの日本人は、おそらく初めてうつ病というセイン心疾患が原因で自殺することもありえるという話を耳にしたのではないか」
と事件の弁護士の言葉を引用している。
 欧米人からすれば、日本人が大嶋の訴訟で初めてうつ病と自殺を関連づけたということが理解しがたかった。自殺行動の大半は精神疾患によるもので、なかでも一番多いのはうつ病だ、とほとんどのアメリカ人は決めてかかっていた。実際、1990年代に日本市場に注目していた欧米のSSRI(引用注:選択式セロトニン再取りこみ阻害剤として知られる抗うつ剤)メーカーは、近い将来に日本でうつ病が流行する論拠として、高い自殺率を引き合いに出すのが常だった。

ウォッターズ『同』pp.256-258

何とも堅い訳ですが、自殺して損害を被ったのが家族ではなく会社だというのが、当時の常識だったということでしょうか。うーむ、当時の世論の状況まではさすがに記憶が曖昧でにわかには信じがたいところもありますが、会社側が「せっかくメンバーシップを与えた従業員に勝手に死なれたら損害だ」というのは、確かに日本的な反応として十分ありえそうです。この当時の社会的な状況として本書では、バブル崩壊後の1993年に発行された鶴見済『完全自殺マニュアル』のベストセラー化や、前回エントリでも取り上げた1995年の阪神・淡路大震災でPTSDの概念が導入されたこと、さらに1996年にはアメリカでの心の病の治療などが日本よりはるかに進んでいるという内容のNHKスペシャル「脳内薬品が心を操る」が放送されたことなどによって、日本の離婚や自殺などの説明が求められるようになったと指摘します。

ここで、GSK社はメガマーケティングキャンペーンに打って出ます。そのキーワードは「心の風邪」でした。

 GSK社が直面していた大きな問題は、日本の精神科医やメンタルケアの専門家がdepressionをいまだに「うつ病」と訳しているために、多くの日本人にとって、未知の先天的な病を連想させるということだった。この言葉の意味するものを和らげようとして、マーケティング担当者は、きわめて効果的だとあとになってわかった、ある比喩を思いつき、うつ病を「心の病」と表現し、これを広告や販促資料のなかで繰り返し用いた。この言いまわしを誰が最初に使ったのかははっきりしないが、滝口健一郎(引用注:1996年のNHKスペシャルを製作したプロデューサー)によるゴールデンタイムの特番がもとになった可能性が高い。番組では、ほかの文化圏で風邪薬を飲む感覚でアメリカ人は抗うつ剤を飲む、と伝えていた。

ウォッターズ『同』p.265

「心の風邪」という言葉は、今となって気がついてみると誰でも気軽に使うようになっていますが、その出所はテレビ番組と製薬会社のキャンペーンだったわけですね。本書でも指摘しているように、風邪であれば深刻なものではなく誰でもかかる可能性のある病気で、風邪薬程度なら手軽に飲むことに抵抗がない、という認識を広めるには、「心の風邪」という言葉がとても効果的だったと思います。実際、以前の職場で抗うつ剤を服薬している方は一人や二人ではありませんでしたし。

ところが、このキャンペーンには矛盾がありました。「心の風邪だったらほっといても治るんじゃね?」という認識が広まってしまうと、薬を使ってまで治療しようとする人がいなくなってしまいます。このため、1997年以降に自殺者数が3万人を超えたことを利用して、うつ病は自殺に至る可能性があるので適切に治療しなければならないというパンフレットが配布されました。この状況について本書ではこう指摘します。

 総合してみると、GSK社がパキシル(引用注:抗うつ剤の商品名)のキャンペーン中に広めたメッセージは、必ずしもつじつまが合っていない。内因性うつ病に関するこれまでの考え方は、この病気の重症度を喚起したい場合のみ慎重に使われた。一方で、日本人がメランコリー親和型性格を好ましく思っていたことと、新しいうつ病の概念を進んで関連づけようとしたが、これは、うつ病がセロトニン分泌のバランスが崩れて起こる病気だというメッセージを同時に発信していることとは矛盾していた。また、過労がうつ病を引き起こす可能性があるというメッセージも、脳内の化学物質を変化させる薬を飲むことで、そうした社会的な苦しみに立ち向かうべきだという考え方とは相容れなかった。日本人の苦しみの原因が社会が要求するレベルの非現実的な高さにあるとしたら、個人が薬を飲まなければならない理由がどこにあるだろうか。しかし結局のところ、こうしたメッセージの首尾一貫性など、その効果に比べれば二の次だった。

ウォッターズ『同』pp.269-270

これもまた堅い訳出ですが、まあメッセージの首尾一貫性などキャンペーンの効果に比べたらどうでもよかったというのは、需要と供給のバランスで均衡が求められる市場原理を医療の世界に持ち込んではいけない典型といえそうですね。それよりも大事なことなのでもう一度強調して引用しますが「日本人の苦しみの原因が社会が要求するレベルの非現実的な高さにあるとしたら、個人が薬を飲まなければならない理由がどこにあるだろうか」というのは、けだし名言です。

ブラック企業やらブラックバイトやらブラック国家やらブラック全盛の昨今の日本型雇用慣行を見直す際には、この金言が重要な視点となるはずです。残業代がゼロになるとか女性の活用がどうとかいう前に、日本型雇用慣行が「社会が要求するレベルの非現実的な高さ」の原因となっていることをもう少し丁寧に議論すべきではないでしょうか。
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