2014年08月13日 (水) | Edit |
ここ数か月震災からの月命日について書く機会がありませんでしたが、先日震災から41か月が経過し、4回目のお盆になりました。

思い起こしてみれば、震災直後から続いていた緊急事態の状態が、震災から3か月後には遺体の見つからない方の死亡届を受理する措置が執られるようになり、初盆でやっと区切りをつけたというのが3年前の状況でした。私自身はごく普通の無宗教な日本人ですので、お盆もごく普通の過ごし方となりますが、お盆には実家や故郷で親戚に会うという風習が一般的に広く受け入れられ、雇用慣行でもお盆期間中は会社全体で夏季休暇を取ることが了解されている(といっても役所にお盆休みはありませんが)というのは、日本における仏教文化の根強さを感じます。日本では身近な人の死に際しては、地元の施設で荼毘に付し、荘厳な葬式で送り出してお墓に入れ、その死を受け入れていくのが一般的です。身近な人を忘れるでもなく思い続けるのでもなく、死後の節目ごとに供養し、身近な人がいない日常生活を過ごしていくというのが、日本人の一般的な生活といえるのではないでしょうか(もちろん、それだけでは克服できないような辛い思いを抱えた方もいらっしゃいますが、あくまで一般的な姿としてという趣旨です)。

その仏教の被災地での活動については、1年以上前になりますが、ETV特集でこんな番組がありました。

仏教に何ができるか~奈良・薬師寺 被災地を巡る僧侶たち~(NHK ETV特集2013年5月11日(土) 夜11時)

「なぜ自分だけが生き残ったのか。」「なぜ原発事故に翻弄されなければならないのか。」東日本大震災によって生じた、数々の言い知れぬ苦しみ。その苦しみを少しでも和らげたいと、奈良・薬師寺は去年3月から寺をあげて被災地を巡ることにした。
僧侶たちが携えたのは「般若心経」。仮設住宅の集会所などに出向いて仏の教えを説き、「写経」を勧める。苦しみを抱える人々に、これからの生き方を見つめ直してもらうのがねらいだ。
被災地へ足しげく通う中で、薬師寺の僧侶たちは壁にぶつかる。遺族の苦しみに触れ、これまで説いてきた仏の教えを突きつけることに戸惑いを覚えるようになった者。そして、被災地のすさまじい光景を目の当たりにしたとき、身勝手な自分に気づかされ、仏に仕える資格はあるのかと自己嫌悪に陥った者。それでも僧侶たちは、みずからの存在意義をかけて被災地に立ち続けた。
家族や家を失い、苦しみのただ中にある人々に対して、直接被災しなかった者たちが語りかけるべき言葉はあるのか。薬師寺僧侶たちの1年におよぶ模索を通じて考える。

番組では、身近な人の死と向き合っている被災地の方々との関わりのなかで、薬師寺の大谷徹奘僧侶は、般若心経の冒頭の「観自在」の意味から、外に向いている意識を自分に向けさせるために写経をすると説明しています。私も震災1年目に被災者のみならず、被災者を支援する側の役所の公務員にも「心のケア」が必要だと指摘していたところですが、震災から2年を経過した頃には、

しかし、被災地の多くの家では仏式の位牌を持ち、被災された方々は近隣のお寺にお墓を持つ檀家でもありました。そうした地域の事情を踏まえると、必ずしも「心のケア」だけでは足りないのではないかとの本書の指摘には頷くところが多いと感じます。

 今回は仏壇や位牌どころか、墓が津波に襲われてお骨が流されてしまったところも多かった。先日、テレビの番組で、家や墓地が流され、お骨もなくなってしまった高齢の女性が、生きる力を失ってお酒に頼るようになった姿が報じられていた。何もかもがむなしく感じられるという。この感覚は都市部の人に伝わるだろうか。ひとりきりで鍋に酒を注ぎ、温める女性の姿を見て、この人に必要なのは科学的知識を持ち訓練を積んだ心理カウンセラーではなく、仏教者だと痛感した。
pp.207-208

共に在りて 陸前高田・正徳寺、避難所となった我が家の140日共に在りて 陸前高田・正徳寺、避難所となった我が家の140日
(2012/03/09)
千葉 望

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という仏教の風習を意識するようになっています。いやもちろん、仏教そのものに何か特別な力があって、普遍的に人々の苦しみを取り除くことができるということではなく、特に古い生活習慣が残る地域では、故人を供養することが生活の一部となっていて、普通の生活を送る中で故人の死を受け入れていくようになっているのではないかと思うところです。

実は、震災後に被災地で活動するに当たって、当時内閣府が提唱していた「ゲートキーパー」のテキストを読んだことがあるのですが、正直なところ、通常業務に忙殺されている中で「誰でもゲートキーパー」などと気安くできるものではないと諦めたことがあります。当時はとにかくテキストに掲載されている悪い例を読んで、ゲートキーパーのファーストエイドの基本ステップとされる「りはあさる」を意識しながら、被災された方々と接するときにそうならないように注意するのがやっとという状況でした(ゲートキーパーの詳しい解説は内閣府のサイトをご覧ください。なお、私が読んだのは22年度作成の第1版ですが、震災後の23年度作成の第2版には避難所や仮設住宅などの被災地対応編が追加されています)。

ただ、そのときは通常業務に忙殺されていたという事情もありますが、ゲートキーパーのテキストの内容に若干の違和感を感じたのも事実です。いやもちろん、ゲートキーパーのテキストに書かれている内容は実際に被災された方々と接する際に役に立ちましたし、その内容をきちんと実践できれば大きな問題は生じないと思うのですが、通常業務の話をするときには、「りはあさる」を意識しすぎると腫れ物に触るようになってしまって話が進めにくくなるわけです。ファーストエイドが必要なほどに追い込まれている方以外にそれほど気を遣う必要はないとしても、それは外見からは分かりませんし、慎重に対応せざるを得ない中ではどうしても気を遣います。あくまでテキストだとしても、それを拠り所にしてしまうと目の前の方への対応があまりに型どおりになってしまって、却って不信感を抱かせてしまったことがあったかもしれません。

その理由は当時はよくわかりませんでしたが、先日権丈先生ご推奨の『クレイジー・ライク・アメリカ』を読んで目から鱗が落ちる思いでした。本書の「はじめに」でその理由が端的に書かれています。

 本書に登場する文化横断的な研究者や人類学者のおかげで、私は的私的な場面に遭遇することができた。彼らが精神疾患やメンタルヘルスに関する異文化理解を進めているときに、文化の特徴が目の前から忽然と消えてしまったのだ。筆者は彼らを植物学者の心理学版で、熱帯雨林を守ろうとブルドーザーの間近で必死に多様性の持つ意義を訴えているのだと考える。
 自然界と同様に、精神疾患に関する概念や治療法においても多様性が失われつつあることに懸念を抱かずにはいられない。メンタルヘルスの均質化は、絶滅しつつある動植物のおかれた厳しい状態と同じように、私たちの人間性を失わせる可能性がある。さらには、心の理解の多様性も、その価値が十分に認識されないままに消えてしまいかねない。植物学者は熱帯雨林にこそ、いつか現代の疾病を治癒する化学物質がひそんでいるかもしれないと示唆している。同じように、メンタルヘルスや精神疾患に関する多様な文化的理解のなかに、失ってはならない英知が存在しているかもしれない。この多様性を消すのであれば、命がけの覚悟がなくてはならないのだ。
pp.12-13

クレイジー・ライク・アメリカ: 心の病はいかに輸出されたかクレイジー・ライク・アメリカ: 心の病はいかに輸出されたか
(2013/07/04)
イーサン ウォッターズ

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震災で危機的な状況に遭遇してお経を唱えたり、位牌を置き去りにしたまま避難したことに罪悪感を感じている方には、同じ生活習慣を持つ者として理解を示さなければ信頼されることが難しくなります。日本に根付いている生活習慣を踏まえた上で、「りはあさる」によってファーストエイドを進めていくことが重要だろうと思います。

という文化的背景や生活習慣の多様性を踏まえてみると、本書の章立てを見るだけでも、「香港で大流行する拒食症」「スリランカを襲った津波とPTSD」「変わりゆくザンジバルの統合失調症」そして「メガマーケット化する日本のうつ病」と、精神疾患の多様性が欧米型の診断によって画一化され、マーケット化されていく様子の一端が伺えます。震災の関連では、第2章の2004年スマトラ沖地震の際のPTSDをめぐる騒動が示唆的です。

 トラウマのような反応は文化の影響を受けないという認識を、個々のカウンセラーも、彼らを支援する慈善組織のいずれもが持っていた。
(略)
 にもかかわらず、欧米人とスリランカ人のPTSD観には津波の直後から文化的な隔たりがあった。たとえば、スリランカのコロンボ大学の教授陣は、災害のわずか数日後に、注目すべきメモをメールで送信している。そのなかで、彼らは「被災地が『カウンセリングプロジェクト』の対象となる」ことを認めながらも、押し寄せたカウンセラーたちに、生存者の体験を「心の傷の問題」だけに絞りこみ、彼らを「心理学的な犠牲者」として単純化する見方をしないように訴えた。彼らは次に、欧米のトラウマ観が世界中どこでも通用するという確信を根本的に覆すような議論を始めた。
「スリランカ人はトラウマの原因となった出来事に何らかの意味があると考えます。被害者が住む社会や文化からもたらされたこの意味こそが、彼らが求める支援のあり方や回復の見こみを規定するのです」
 そして、トラウマに対する反応は脳内で自動的に起こる生理的反応ではなく、むしろ文化を伝える情報である、と続けた。観察者が統治の文化に精通していなければ、その反応が持つ特別な意味合いが誤解されたり見過ごされたりしてしまうという。支援組織が意義ある援助をしたければ、「被害者が苦痛を通して伝えようとしたもの」を深く理解する必要がある。

ウォッターズ『同』pp.92-93

本書は大学生の宿題かと思うほどに訳が堅いのが難点ですが、それはともかく「観察者が統治の文化に精通していなければ、その反応が持つ特別な意味合いが誤解されたり見過ごされたりしてしまう」という現地コロンボ大学の教授陣による指摘は、欧米型のトラウマ観とその治療法に「精通」している専門家にはなかなか理解されなかったようです。しかし、スリランカ人にとっての問題は社会的な関係性の中にありました。

 こうした社会的な問題は欧米のPTSD患者にもよくあることだが、フェルナンドの研究結果からは些細だが重要な違いが浮き彫りになった。欧米のPTSD観においては、トラウマが精神的なダメージを引き起こし、結果として社会的な問題が起きるとされている。たとえば欧米では、PTSDによってうつ病や不安症になったのが原因で、親としての役割を果たせなくなると考える。スリランカ人にとって、これは因果関係の問題ではないようだった。社会的責任を果たせなくなること——集団のなかで自分の立ち位置を見つけられなかったり、そこでうまくやれなくなったりすること——が苦しみを引き起こすのであって、自らの心の問題に起因するわけではないのだ。
「本研究の結果は、今回の対象地域では内的な葛藤が対人的な葛藤と切り離せないという理論を裏書きするものとなった」
と、このテーマに関する論文のなかでフェルナンドは記している。スリランカ人の語った症状はいずれも、社会性が個人の精神よりも重視されるという考え方で、ある程度まで説明がつくものばかりだった。もっと正確にいえば、スリランカでは、社会性と個人の精神とが混ざり合って、互いに切り離せない状態になっているのだ。
(略)
 悲劇的な出来事からどうやって立ちなおるかを考えたとき、個人の心よりも社会に重きをおくという事実は重要である。うつや不安や角の警戒心が主な症状であるとき(これらは対人関係に問題を引き起こしてしまう症状でもある)、社会的責任から離れて心の症状を克服するための時間をとるのが、欧米では一般的だ。病気休暇をとるなどしてストレスを避け、治療に専念するのだ。しかし、対人関係が主訴である場合、義務や社会的役割から離れると、実は問題が悪化してしまう。スリランカのような文化では、集団から離れて個人を治療する方法、特によそ者と一対一で受けるカウンセリングには問題が多いのである。

ウォッターズ『同』pp.111-113


スリランカの文化と日本の文化が同じではないとしても、個人に重きをおく欧米型のカウンセリングが今回の震災でどれだけ有効であったかは検証が必要ではないかと思います。冒頭で取り上げた番組でも、写経は自分の精神に意識を向けることだと説明していましたが、写経自体は数十人の集団で行っています。混じり合った社会性と個人の精神を解きほぐすというのが、特に日本の地方の生活習慣に合っているのかもしれません。

なお、今回の震災では、日本の言語の壁もあって海外の支援団体等が被災地の現地で勝手に活動するということはほとんどなかったようですが、PTSDの考え方が欧米以外の災害で初めて取り入れられたのが阪神・淡路大震災だったとのこと。

「PTSDの概念が持ちだされたのは、心理学的に進んだアメリカでは認められていても、日本では無視されてきた苦しみの実態を指し示すためだった」
と、阪神大震災による後遺症を調査した人類学者、ジョシュア・ブレスローは報告する。災害に対する日本人の反応に影響を及ぼそうという努力からは、他の国はメンタルヘルスにほとんど注目しておらず、アメリカのように知識を持っていないという、トラウマ学者に共通した確信が見てとれた。こうした活動は人道的支援として行われているはずなのに、むしろ大規模な教化活動を推し進めているかのようなのだ。

ウォッターズ『同』p.128

上記引用部でもちらっと出てきましたが、日本でもうつの改善にはとにかく仕事や社会から離れて自宅で休養することが重要だとされますが、この欧米型のカウンセリング方法の検証も必要ではないかと思います。まあ、この辺は全くの門外漢ですので頓珍漢なことを書いている場合はご容赦いただきたいのですが、身近な人を供養するこの時期に心のケアについて考えてみたところで、次のエントリに続きます。
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