2014年04月16日 (水) | Edit |
ちょっと実生活の方で動きがあってこんなことを書いている暇はないのですが、備忘録的にいくつか書いておきます。

以前、欧米では経済学というのは社会科学の基礎的な学問分野であって、学部レベルの学生が経済学だけを履修する「経済学部」があるのは日本の大学の特徴だという話を聞いたことがあります。拙ブログでも経済学の議論に特化した方々というのは、「経済学的な正しさ」の他の学問分野に対する優位性を過剰に強調したがるのではないかという趣旨のことを書いたことがありまして、「経済学部」という学部が存在することがそのようなシンプルマインデッドな思考方法を身につけてしまう原因なのかもしれません。

でまあ、そうした基礎的な学問分野である経済学の世界では、ミクロ経済学を応用した経済学はその分野の名前を冠して「○○応用経済学」と呼ばれることが多いわけですが、どうもこの国では、その基礎的な学問分野の専門家の方が、経済学的見地としてだけではなく政策論として、社会政策的な分野に口を出す傾向があるように思います。私の関心分野である労働とか社会保障についても、ご多分に漏れず経済学を専門とされる方があれこれと口を出されているものの、労働にしても社会保障にしても、それを論じるためには制度とそれを規定する法律への理解が最低限必要です。さらに、その制度が法制化された歴史的経緯についての理解も不可欠なところでして、こうした理解を欠く口出しには見るべきところはほとんどないというべきでしょう。

ところが、そうした制度に利害調整の過程を落とし込むのが仕事のはずのキャリア官僚ですら、ご自身の専門外のことになるとそうした経済学者の口出しにいとも簡単に乗せられてしまいます。

 今のうちに社会保障制度を改善しておかないと大変なことになると思う。厚生労働官僚もしっかりしてほしい。次世代の若者に自信をあたえられるような制度設計をちゃんとしてほしい。

 自分はほかの経済学者の本も読んでみる。八代尚宏『社会保障を立て直す』小黒一正『アベノミックスでも消費税は25%を超える』とか。

鈴木亘『社会保障亡国論』を読んで、厚生労働省は情報をオープンにして、本当に社会保障は持続可能なのかを国民に開示すべき。(2014-04-12(04:13) 革新的国家公務員を目指してー自由と民主主義を信じ国益を考えるー)
※ 以下、強調は引用者による。

鈴木亘氏、八代尚宏先生、小黒一正氏ですか…orz。利権陰謀論で社会保障を語る経済学者と、新自由主義的な市場万能論で社会保障を語る経済学者と、世代間格差論で社会保障を語る経済学者の豪華揃い踏みですね(棒)。まあ八代尚宏先生は労働法に関しての現状認識はまだいくらかまっとうだと思うのですが、結論部分ではあらぬ方向に展開してしまうようにお見受けします。その他の方々はそもそもの法律や制度に対する理解が怪しい方々でして、「経済理論に基づいてリフレーション政策を主張することはある程度経済学に素養があれば可能としても、それを現実の立法府の中で実現するためには、少なくとも立法の制度を知る必要があ」るにも関わらず、「経済学的にだけ正しい議論」に終始する一部のリフレ派と呼ばれる方々とも通じますね。

で、上記の国交省のキャリア官僚氏が八代先生の著書を読んだ感想は、

 この八代先生の本を読んで、痛切に感じるのは、消費税の引き上げ3%とか5%とかは焼け石に水で、根本的に現在の世代の負担を増やし、現在支援を受けている高齢者などの支援を減らすという抜本的な対策が必要なのに、それについて、真剣担当官庁の厚生労働省が考えていないこと。

 これは同じ役人としてがっくりくる

 国民年金の保険料の未納率が半分近くになっていて、それを他の年金の基礎部分が合体して未納率を低く見せている話などは、本当にモラルの問題だと思う。保険料をきちんととれないのであれば、年金目的税にして、きちんと国税庁にとってもらった方がいい。

 まさか、社会保険庁、今は年金機構かもしれないが、その組織を守るためにそんなせこい戦略をとっているのではないだろうな。

 医療も介護も生活保護も、細かな制度設計の改善点については自分は自信がないが、持続可能な制度ではなく、このままでは次世代にツケを残すことは必然。これを、厚生労働省内の縦割りとか、既得権とかいってメスを入れないのは、本当になさけないと思う

 厚生労働官僚、しっかりしろ。

八代尚宏『社会保障を立て直す』を読んで、責任官庁の厚生労働省が次世代への負担を意識していないことが恐ろしい。(2014-04-12(05:21) 革新的国家公務員を目指してー自由と民主主義を信じ国益を考えるー)

だそうで、レベルは遠く及びませんが、私も同じ公務員としてがっくりきますね。制度設計の改善点について自信がないとおっしゃる割に、厚労省内の縦割りとか既得権に矮小化する議論に何の疑問も挟まずに乗っかるところが、「「行政の縦割りの弊害」とされているのは、単に建築住宅部局が住宅建設のことしか考えていないということではないかとも思うのですが、当事者にとっては、調整や協議は時間がかかってかえってマイナス」といってしまう国土交通省らしいというところでしょうか。

その鈴木亘氏については、hamachan先生も引用されているdongfang99さんのご指摘が的確だと思います。

 高橋洋一氏が典型的だが、経済に関する説明ではそれなりに説得的なのに、肝心なところで中二病としか言いようのない官僚への既得権批判や陰謀論になだれこんでしまう。社会保障の専門家である鈴木亘氏もそうだが、既得権批判を持ち込まなくても十分説得的な議論ができるはずなのに、もっとも肝心要の部分でそういう批判を繰り出して全ての議論を台無しにしまう

 既得権批判や陰謀論は、まともな学者と思われたいのであれば徹底して禁欲すべきなのだが、何でそうなってしまうのかと言えば、それが日本の読者に「受ける」ことを実感としてよく理解しているからだろう。節度のある学者であれば、そこにむしろ危険性を感じて一歩引くべきなのだが、一部の人は積極的に乗っかって自説の正当化に利用してしまうわけである。

 日本の「新自由主義者」が嫌いなのは、そこに日本人の中にあるドロドロとしたルサンチマンがこびりついており、当人もそれを積極的に利用しようとしている点にある。この意味で、フリードマンなど筋金入りの「新自由主義者」が必ずしも嫌いではないのは、そういうルサンチマンがほとんどない点にあると言える。

■日本の新自由主義は集団主義的(2010-05-23 dongfang99の日記)

まあ日本的な新自由主義に基づいて議論を展開される方については、その議論に巻き込まれないように読む側が注意すればいいのでしょうけれど、そのスキルが身についていると思われるキャリア官僚ですら、ご自身の専門外の分野については易々と陰謀論に乗っかってしまうところが難しいところです。

この点については、jura03さんのご指摘が参考になります。

そこで、なぜ人は陰謀論を信じるのかということだが、理由の一つとしては、合理的にロジカルに考えようとして、陰謀論にはまると言うことはありがちなことではないか

たとえ物理学の大家であっても、たとえば歴史や社会の問題について合理的に考えるというそのやり方を知らない場合、「ロジカルに」考え、ある現象の理由を探し求めた結果、陰謀論にはまるということは大いにありうることであり、そう考えないと筋が通らない。そして、歴史や社会の問題について合理的に考えるやり方を知らない科学の先生というのは、決して少なくないのである。

そして、当の本人はロジカルにものを考える訓練を経ているのだから、自分は論理的科学的思考ができていると信じ込んでしまっていると、自分が信じている陰謀論はロジカルなのであって、私が悲劇というのはここのことである。

(略)

つまり問題は、自分は論理的科学的思考ができるという安易な確信だ。あるいは、単にある特定の対象について論理的に考えることができているにすぎないものを、あるいはそういったことができるように訓練によって獲得した能力に依存しているにすぎないものを、一般的に通用する能力であると錯覚したうえで、他者を批判することができると信じているその態度だ。

なぜ人は陰謀論を信じるか:安易な俗論を排す(2014-04-12 今日の雑談)

国交省のようなミクロ官庁では、マクロ官庁が行うような各省協議の矢面に立つことはあまりないのかもしれませんが、同じキャリア官僚として法案作成過程を熟知しているという意識が、厚労省の縦割りとか既得権という安易な利権陰謀論に対するハードルをかえって下げてしまっている可能性もありそうです。実をいえば、私自身、周囲の公務員よりは比較優位を持つと思っている労働とか社会保障の分野について、思い込みで間違った認識を持っていることが少なくありません。上記のキャリア官僚氏を他山の石としたいと思います。

ついでに、「自分は論理的科学的思考ができるという安易な確信」に陥っていると思われる方の例をもう一つだけ挙げておきます。「文系は「データ」の意味がわかっていない」というエントリを書いた方が、その数日後にこんなエントリを書いていらっしゃいます。

確かに上記のデータだけ見れば、1976年は8~10時間働く労働者が一番多かったのが、2006年では10時間以上働く労働者が一番多くなっている。だがちょっとまってほしい。同じページに「(1)週当たり労働時間」が載っている。男性の部分を抜粋する。
(略)
週当たりの労働時間は増加していないのに、1日当たりの労働時間が増加しているのは、ようするに週休2日制のためだろう。むかしは土曜日出勤だったのが、休むようになり、代わりに1日の労働時間が増えた。週休2日制が導入され始めたのがちょうど1980年代。

   *   *   *

なんかtwitterでは冒頭のグラフだけ見て、「むかしのサラリーマンよりも現代のサラリーマンの方が働いている」とか言ってる人たちがいるけれど、そういう単純な問題ではないだろう。

休日が21日増えているので年間の労働時間は減っている。p.4に「1970年以降の労働時間の推移」のグラフがあるが、1970年は約2250時間だったのが、2010年には約1750時間になっている。年間で見れば2割労働時間は減っているわけだ。

昭和の頃より現在の方が労働時間が多い?(2014/04/08 22:46:00 疑似科学ニュース )

とされていますが、統計上の労働時間について留意すべき点として、

いずれの統計を利用する場合でも留意すべきなのは,1 人当たりの平均労働時間を算出する際に,労働時間の長い正規雇用者と短い非正規雇用者が加重平均されている点である。日本の労働市場では非正規雇用者比率の上昇が著しいため,正規雇用者の労働時間に変化がなくても,非正規雇用者と平均した 1 人当たり労働時間は減少する傾向が強い。実際,『社会生活基本調査』を利用し,就業形態や年齢などの構成比変化を固定して平均的な労働時間を推計した場合,長期的にみて労働時間に大きな変化はみられないという研究結果も報告されている(Kuroda 2010)。つまり,マクロでみた平均労働時間の変化には,構成比変化の影響が含まれている点は留意すべきといえる。

労働時間(山本勲(慶應義塾大学准教授)日本労働研究雑誌2013年4月号(No.633) )注:pdfファイルです

とされているとおり、統計上日本の総労働時間が減少した原因の一つとして、短時間労働に従事する非正規労働者の割合が増加したことも大きく影響しています。黒田先生の論文で指摘されているのは、非正規労働者の増加によって総労働時間では減少しているのにも関わらず、就業形態などで調整すると、フルタイム男性雇用者(その大半はいわゆる正社員やフルタイムパートと思われます)の中では、10時間以上働く割合が倍増している状況があるということです。

つまり、非正規労働者の割合が増加して労働者全体の総労働時間そのものは減少する一方(ただし、非正規労働者の基幹化に伴うフルタイム化が進んで減少には歯止めがかかってしますが)で、(男性)正社員には長時間労働が課せられていて、しかもその中にはサービス残業も含まれていることによって、使用者側は支払賃金を節約しながら労働時間を増やすことができているわけです。その長時間労働を課せられた(男性)正社員や一部の非正規労働者が心身を病んで、メンタル不調とか過労死につながり、それが社会問題としてようやく認識されつつある中で、減少している総労働時間を取り上げて「年間で見れば2割労働時間は減っているわけだ」などとお気楽なことを言っている場合ではないんですね。まあ、私も理系の方のデータの理解には足元にも及ばない分際ではありますが、文系なりのデータの理解とか分析方法というものもありまして、そういえばそもそも文系と理系に分かれているという時点で、日本の大学そのものがシンプルマインデッドなのかもしれません。

(追記)
「ついでに」と引用した先のブログで追記があったようです。が、

 | しかし、週休二日制の普及により、週の中での時間配分はこの数十年で大きく変化⇒平日に労働時間がしわ寄せ。

と分析しているから、俺もそれを踏襲しているまでのこと。それを俺があたかも黒田祥子の主張を曲解しているかのような事を言われるのは心外ですな。

…うーむ、私がnebula3さんのブログについて指摘させていただいたのは、本エントリの最後のパラグラフで「その長時間労働を課せられた(男性)正社員や一部の非正規労働者が心身を病んで、メンタル不調とか過労死につながり、それが社会問題としてようやく認識されつつある中で、減少している総労働時間を取り上げて「年間で見れば2割労働時間は減っているわけだ」などとお気楽なことを言っている場合ではない」ということでして、黒田先生の主張を曲解しているとは書いていないつもりなんですが、私の拙い文章で「いやはや、困ったものだ」と感じたのであればお詫び申し上げます。

そのような拙い文章で追記するのも気が引けるところですが、nebula3さんが

週休1日で1日の労働時間は8時間なのと、週休2日だが1日の労働時間が増えるのと、どちらが幸せかは一概にいえないだろう。また正規労働者の方が労働時間が長い傾向があるとしても賃金や安定性において正規労働者の方が有利なのだから、それが不幸せと決まったものでもないだろう。いつの時代も高い相対的に給料をもらっている人間は相対的に労働時間も長い傾向があるだろう。

とされる点について、余計なことを書いておきますと、労働基準法では1日の労働時間は8時間まで、週の労働時間は40時間まで(小規模の業種では週44時間の例外がありますが)とされておりまして、これに違反すると6か月以下の懲役または30万円以下の罰金が課されます。ただし、過半数の従業員代表や労組と労使協定(いわゆる36協定)を締結すると免罰効果が発生し、協定に定められた時間まで(実際には特別条項などで青天井の超勤をさせても免罰効果が発生しますが)時間外勤務をさせることができるようになります。

というのが日本という国で効力を持つ現行法規の規定でして、その労基法の前身であった工場法制定時は1日12時間だったものが、ようやく1947年の労基法制定時に1919年のILO第1号条約に準じて1日8時間週48時間と規定されたという歴史的経緯があります。労働時間を規制する目的は、放っておくと労働者が「働く幸せ」を感じていくらでも働いてしまうから…、ではもちろんなくて、産業革命以降に長時間労働が常態化して多くの国民が心身を病んでしまい、それが社会問題化したために、第1次大戦後に欧米諸国が主導して設立したILOによって労働者の安全衛生を確保することにありました。このため欧米では時間外労働は即違法となる国が多いわけでして、36協定を締結して超過勤務手当さえ払えば青天井で超勤させられる日本は例外中の例外なんですね。

しかも、日本型雇用慣行では超勤手当すら払われないことが常態化していて、世はそのうまいとこ取りでブラック企業花盛りなわけです。という歴史的経緯とそれによって形成された制度と慣行の実態を踏まえてみたときに、「正規労働者の方が労働時間が長い傾向があるとしても賃金や安定性において正規労働者の方が有利なのだから、それが不幸せと決まったものでもない」というのはどのような制度として実現されるべきものなのか、私も大変興味があるところです。戦後アメリカの制度を取り入れた日本では、たとえばホワイトカラーエグゼンプションがその答えともなり得るのでしょう。ただし、日本型雇用慣行が成立している現状ではその有効性が限られたものになる可能性もあります。

なお、本エントリの前半で利権陰謀論に乗っかる官僚氏を批判したことや労働時間のデータ解釈について、nebula3さんから「「とにかく労働者はかわいそう」でなければならないというような、感情論なんじゃ?エントリの前半部分についても、どうも感情ですべてを片付けようとしているように見受けられる」とのご指摘もありまして、私は論理的な思考によって利権陰謀論を批判しているつもりですし、経営法曹会議にシンパシーを抱いて「労働者がかわいそう」的な日本労働弁護団は批判している立場でしたので虚を突かれた思いです。そのように取られる可能性を全く意識しておりませんでしたので、今後の参考とさせていただきます。貴重なご指摘ありがとうございました。

(再追記)
再び追記があったようです。

なんかさらに追記されてるのだが、この人はいろんなものをごっちゃにするんだよね…。俺はこのエントリでこれまでの労働時間の変化について事実を論じてるわけだ(少なくとも俺としてはそのつもりだ)。それに対してこの人は、現行の労働基準法がどうとか、戦前からの経緯を語り、「今後どうあるべきか?」を主張している。

これは大変失礼いたしました。私は不用意にも、nebula3さんが「昭和の頃より現在の方が労働時間が多い?」というタイトルのエントリの末尾で「年間で見れば2割労働時間は減っているわけだ」とおっしゃっていて、その追記では「週休1日で1日の労働時間は8時間なのと、週休2日だが1日の労働時間が増えるのと、どちらが幸せかは一概にいえないだろう」として「「とにかく労働者はかわいそう」でなければならないというような、感情論なんじゃ?」とおっしゃっていたので、それを「昭和の頃より総労働時間は減っていて、それで週休2日で1日の労働時間が増えていたとしても労働者にとっては幸せである可能性があり、「労働者がかわいそう」なんて感情論なんか述べるべきではない」と誤読してしまったうえ、そこからnebula3さんが「データによって1日当たりの労働時間が増えているという事実が示されていても、労働者の総労働時間は減っているという事実が示されているのだから、労働時間が増えたことによって生じた問題を考慮する必要はない」と主張されているものと思い込んでしまい、本エントリの追記に制度や歴史的経緯など余計なことを書いてしまいました。私の不明を恥じるとともに、私の誤読によっていろんなものをごっちゃにしてnebula3さんに不快な思いをさせてしまったことを改めてお詫び申し上げます。

ということで、本エントリで私は「労働にしても社会保障にしても、それを論じるためには制度とそれを規定する法律への理解が最低限必要です。さらに、その制度が法制化された歴史的経緯についての理解も不可欠なところでして、こうした理解を欠く口出しには見るべきところはほとんどないというべきでしょう」と述べているところでして、nebula3さんのエントリについて「減少している総労働時間を取り上げて「年間で見れば2割労働時間は減っているわけだ」などとお気楽なことを言っている場合ではない」という点については、nebula3さんが「俺はなにもこのエントリで「労働環境は現状のままでいい」なんて言ってないわけだし。どうあるべきかは別な話ということ」とおっしゃる通り、nebula3さんがデータで示された「事実」について論じていることとは全く別個の政策的問題ですね。いみじくもnebula3さんが「説得すべきは俺ではなく社会全体なのだから」とおっしゃる通り、拙ブログではnebula3さん以外の方に向けて議論させていただきますので、nebula3さんも努々政策的な議論には口を出されることのないようお願いいたします。

なお、労働時間の増加と過労死の増加の相関については、毎年厚労省が公表している「脳・心臓疾患と精神障害の労災補償状況」で確認できますので、こちらに置いてきますね。

平成24年度「脳・心臓疾患と精神障害の労災補償状況」まとめ ~精神障害の労災認定件数が475件(前年度比150件増)と過去最多~

厚生労働省は21日、平成24年度の「脳・心臓疾患と精神障害の労災補償状況」を取りまとめましたので、公表します。
厚生労働省では、過重な仕事が原因で発症した脳・心臓疾患(※1)や、仕事による強いストレスなどが原因で発病した精神障害の状況について、平成14年から、労災請求件数や、「業務上疾病」と認定し労災保険給付を決定した支給決定件数(※2)などを年1回、取りまとめています。

(※1) くも膜下出血などの「脳血管疾患」や、心筋梗塞などの「心臓疾患」は、過重な仕事が原因で発症する場合があり、これにより死亡した場合は「過労死」とも呼ばれています。
(※2) 支給決定件数は、平成24年度中に「業務上」と認定した件数で、平成24年度以前に請求があったものを含みます。

こちらの添付資料に、労働時間との関係では「表1-6脳・心臓疾患の時間外労働時間数(1か月平均)別支給決定件数」と「表2-6精神障害の時間外労働時間数(1か月平均)別支給決定件数」のデータが掲載されています。まあそもそも実態上の残業が少ない短時間労働者の割合が高い非正規の場合は、労災適用事業所でありながら労災の手続きをしていないケースも多いという実態がありますので、その点を割り引いて考える必要がありますが、それぞれ主なデータを抜き書きしてみると次のようになります(H22年度のデータは「平成23年度「脳・心臓疾患と精神障害の労災補償状況」まとめ」を出所とします)。
脳・心臓疾患の時間外労働時間数(1か月平均)別支給決定件数
時間外労働H22H23H24
~45000
45~60110
60~80182020
小計(a)192120
割合(a/c)6.7%6.8%5.9%
80~10092105116
100~120845869
120~140314650
140~160131616
160~202131
その他264336
小計(b)266289318
割合(b/c)93.3%93.2%94.1%
合計(c)285310338

精神障害の時間外労働時間数(1か月平均)別支給決定件数
時間外労働H22H23H24
~20566397
20~40131925
40~60181529
60~80111526
小計(a)98112177
割合(a/c)31.8%34.5%37.3%
80~100272932
100~120433866
120~140252846
140~16012824
160~202146
その他838984
小計(b)210213298
割合(b/c)68.2%65.5%62.7%
合計(c)308325475
この表では、バブル崩壊以後の不況の中で、いわゆる「過労死」や「過労自殺」が問題化したため、「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準について(平成13年12月12日付け 基発第1063号)」(PDF:469KB)が定められ、その中で「発症1か月前におおむね100時間又は発症前2か月ないし6か月にわたって1か月当たりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合は、業務と発症との関連性が強いと評価できること」としておりますので、80時間以下とそれ以上の時間外労働の割合を追記しています。また、精神障害については、「心理的負荷による精神障害の認定基準について(平成23年12月26日付基発1226第1号)」(PDF:521KB)において、「項目16の平均的な心理的負荷の強度は「II」であるが、発病日から起算した直前の2か月間に1月当たりおおむね120時間以上の時間外労働を行い、その業務内容が通常その程度の労働時間を要するものであった場合等には、心理的負荷の総合評価を「強」とする」とされておりますが、脳・心臓疾患と合わせるため、こちらも80時間で区切っています。

少なくともこの表からは、週当たりでも年間当たりでも労働時間は減少傾向にあるにもかかわらず、脳・心臓疾患および精神障害の労災保障の支給決定件数は増加傾向にあることが示されています。また、脳・心臓疾患は長時間労働と支給決定数の相関は明確だろうと思うのですが、精神障害については長時間労働以外の要因も大きい(いわゆるパワハラとか)ため、長時間労働と支給決定数の相関は弱そうです(脳・心臓疾患よりも精神障害のほうが「その他」の分類が多いですし)。とはいえ、長時間労働が精神障害に悪影響を与えることはいうまでもないことでしょうから、このデータに示された事実によって政策的議論が進められる必要があると考えるところです。

(再々追記)
どなたからもツッコミがなかったので、再追記のデータについて補足しておきます。
再追記で示したデータは労災の支給決定件数でして、当然のことながら、労災の認定基準に適合した申請について支給が決定されるという手続きになります。つまり、平成13年の「脳・心疾患の認定基準」と平成23年の「精神障害の認定基準」に適合した件数が再追記のデータとなりますので、たとえば「2か月ないし6か月にわたって1か月当たりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合」の支給決定件数は、それ以下の時間外労働の場合よりも多くなるわけです。ということで、上記のデータはその認定基準に適合した件数と解釈することも可能ですので、80時間のところで区切っているのはその運用をご確認いただくために加工したという理由もあります。

でまあ、1970年代のオイルショック以降に日本型雇用慣行が確立し、「空白の石板」でメンバーシップを得て、それと引き換えに強大な人事権のものとで「見返りのある滅私奉公」に邁進してきた男性正社員が、長時間労働や過剰なノルマで過労死に追い込まれてしまうという問題が社会問題化し、遺族の裁判などを通じて積み上げられた客観的因果関係に基づいて、労災の認定基準を地道に作り上げてきたという経緯があるわけです。脳・心疾患の認定基準が定められたのはせいぜい10年ちょっと前ですし、精神障害の認定基準はほんの3年前(平成11年に判断指針が示されていましたが)です。したがって、私が平成22年度までしか遡っていないのは、データを調べるのが面倒なのもありますが、それ以前の労災の支給決定件数と比較しても、現在の認定基準に適合する件数との適切な比較にはならないという理由によります。

データの比較というのはこうした慣行や制度の変遷を踏まえて議論すべきというツッコミがあるかと期待していたのですが、とりあえず自己レスしておきました。
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コメント
この記事へのコメント
複雑な森の中にいるとき、神が人間い与えてくれるものが「森の簡単な地図とコンパス」か「半径10メートルで歩きやすい場所を教えてくれるもの」のどちら片方だとして、どちらが森からの脱出に役立つか?という問題に似ている。なお、両方が手に入るというの人の身であることを忘れた謙虚さに欠ける発想である。

簡単な地図に従えば、沼地や草地などの悪路を示されることがあり、そのまま進もうとすれば大ケガをする。しかし、進んでみて悪路がひどければ道を変えることが出来る。そして地図とコンパスがあれば徐々に出口に近づけるだろう。

一方で、周りの安全な場所を示されればずっと草地などを歩く摩擦を最小限に抑えられる。しかし、それで出口に近づくかは運である。

神に地図をもらわなくても地理を見知った場所では身の回りの歩きやすい場所を教えてもらうことを重視し、地理を知っていない場所では地図とコンパスを重視するキャリア官僚は非常に合理的な行動をとっている。彼にあらゆる場所の地理に元から明るくあるべきといっても無茶振りである。
2014/04/17(木) 00:58:24 | URL | トマト #40pSUC8M[ 編集]
複雑な森の中にいるとき、神が人間い与えてくれるものが「森の簡単な地図とコンパス」か「半径10メートルで歩きやすい場所を教えてくれるもの」のどちら片方だとして、どちらが森からの脱出に役立つか?という問題に似ている。なお、両方が手に入るというのは人の身であることを忘れた謙虚さに欠ける発想である。

簡単な地図に従えば、沼地や草地などの悪路を示されることがあり、そのまま進もうとすれば大ケガをする。しかし、進んでみて悪路がひどければ道を変えることが出来る。そして地図とコンパスがあれば徐々に出口に近づけるだろう。

一方で、周りの安全な場所を示されればずっと草地などを歩く摩擦を最小限に抑えられる。しかし、それで出口に近づくかは運である。

神に地図をもらわなくても地理を見知った場所では身の回りの歩きやすい場所を教えてもらうことを重視し、地理を知っていない場所では地図とコンパスを重視するキャリア官僚は非常に合理的な行動をとっている。彼にあらゆる場所の地理に元から明るくあるべきといっても無茶振りである。
2014/04/17(木) 00:59:47 | URL | トマト #40pSUC8M[ 編集]
> トマトさん

おっしゃるとおり、国交省のキャリア官僚に社会保障について専門的な知識を持てというのは無茶振りですね。私もそのような無茶振りをするつもりはありませんが、件のキャリア官僚氏が専門外の制度について「細かな制度設計の改善点については自分は自信がない」とおっしゃる一方で、「厚生労働省内の縦割りとか、既得権とかいってメスを入れない」と無批判に信じてしまうのは軽率だろうとは思います。

なお、制度やその歴史的経緯は神が与えるものではなく人間自らが(地形や天候などの影響を受けつつ)作り上げたものですので、「(人間の五感と思考をフルに活用して)半径10メートルで歩きやすい場所を教えてくれるもの」によって「(限られた範囲でしかないとしても)森の詳細な地図とコンパス」を使って歩くしかないのではないかと思うところです。

ところで、余談ながら「地図とコンパス」と聞いて厨先生のwiredの連載を思い出してしまいました。
2014/04/19(土) 19:07:42 | URL | マシナリ #-[ 編集]
nebula3さんは秀逸な記事も多く聡明な方だと思うのですが、どうかなと思うこともたまにあります。都構想を無批判に受け入れる記事を見たときは驚いた覚えがあります。世代間格差論に批判的な記事を書かれていたときは非常に分かりやすく理知的だったのに。都にしただけで年4000億円の財源が出てくるとか、市役所が悪いとか陰謀論、改革病そのものです。維新は公約で積立方式を掲げていましたが、思いつきでしか考えてないとしか思えない。考えてみれば、維新のバックにも陰謀論脳の高橋洋一、鈴木亘がいましたね。原田泰も都構想に賛同していたし。同類項なのでしょう。

jura03さんの記事のごとく、ある分野で専門で論理的でも、専門外だと陰謀論に傾く、いやある分野で論理的だからこそ専門外で陰謀論に傾くというのは、絶えず自戒しておかなければと感じます。
2014/04/20(日) 00:21:50 | URL | vgobpa #/pdu0RA.[ 編集]
> vgobpaさん

> nebula3さんは秀逸な記事も多く聡明な方だと思うのですが、どうかなと思うこともたまにあります。都構想を無批判に受け入れる記事を見たときは驚いた覚えがあります。世代間格差論に批判的な記事を書かれていたときは非常に分かりやすく理知的だったのに。

まさにおっしゃるとおりでして、あるイシューに関して的確な認識を有しているからと言って、すべてのイシューに的確な認識を有しているわけではないということは、改めて指摘するまでもないことだろうと思います。しかし、その当たり前のことを指摘したことをもって、それ自体が「感情的だ」と反論されてしまうようです。この辺は私の文章が拙いために、余計な反発を受けてしまう可能性を考慮しなければならないのかもしれません。

なお、私は必ずしも大阪府のような狭小かつ人口が多い自治体については、便益のスピルオーバーへのフリーライドなどの問題に対処する必要はあると考えておりますので、それを都構想と呼ぶか否かは別として、行政区域の区割りの見直しは粛々と進めるべきではないかと考えております。
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-600.html#comment1052
2014/04/23(水) 00:30:19 | URL | マシナリ #-[ 編集]
マシナリさんは都構想への言及に対して控えめなようですが、どうみても現在までのところ、説得力ある説明がなされているとはいえません。府市統合で年4000億円の財源が出てくるというのは明白に「嘘」「誇張」の類いです。

専門外のことに安易に口出しすると陰謀論なりうるからこそ、あまり都構想に言及されないのかもしれませんが、その周辺の話題をとりあげていただけるとありがたいです。

マシナリさんのいう「行政区割りの見直し」は、少なくとも「都構想」とは異なるのでは。ただ、一つ言えるのは、たとえば合区ひとつとっても数十年単位をかけてなされるものであって、わずか数年で行政区域や制度を変更するものではないということです。特に都構想の場合はいったん都になると元に戻すのが事実上不可能なのですから。
2014/04/23(水) 01:34:29 | URL | vgobpa #-[ 編集]
社会保障負担者を無視した議論は独善的だ
世代間格差は実際にあるのだから「世代間格差は無い」という論は有り得ないと思います。厚労省側も世代間格差が無いとは言っておらず、「世代間格差を問題にするな」という意味不明な議論に陥っています

しかし厚労省側が社会保障肥大化を擁護するならば、「世代間格差が無問題」である理由を公衆の前に提示すべきです。

世代間扶養だから世代間格差があってよいというのはトートロジーです。世代間格差(とそれによる重税・高額保険料)が経済的・道徳的に「善」である理由を官の側は証明すべき。

あと、基礎年金を消費税方式にしない理由は無いと思います。
・定額人頭税から消費税への逆進性緩和
・払ってない奴は生活保護を受けるという不公平の解消
・厚生年金からの財源搾取の停止

↑これを消費税財源で解決できるのに、なお保険料制度にこだわる理由が示されていないですね

とっくに権丈らは年金の自助努力制度を強調しながら、払った額と受け取り額の乖離はいくらあっても良いというなど、審議会の論は破綻しています。
2014/05/03(土) 21:35:14 | URL | 山本たかし #-[ 編集]
https://twitter.com/norionakatsuji/status/464981638561013761

誰も100%の万全策なんて出せないのが現実なら、現場の意見のすり合わせでこんな漁業みたいなことがあちこちで起きるより、現場を知らない人が理論だけで大まかな道筋決めて後は右往左往しているだけの方がまだなんぼかマシなり。漁業でも現場の制度的実情をすり合わせるより、共有地の悲劇でぶったぎってくれてたらここまで悲惨なことにはならなかった。北欧漁業に遅れはとったままにしても。
2014/05/10(土) 17:31:10 | URL | gin #RwH1dyjc[ 編集]
> ginさん

ご紹介いただいたtweetでは、元ツイは漁業を専門的に研究されている方のようですが、それにRTしている方はいずれも専門外の方ですね。私はどちらのご指摘が的確なのかはよくわかりませんが、利害当事者が身内の利益だけを慮ってしまう傾向は、農林水産業を含む産業政策として実行される政策についてはたしかに憂慮すべき問題だろうと思います。そうした懸念もあるので、私は産業政策に過大な期待をするよりは、購買力としての所得を行き渡らせるための灌漑事業としての社会保障((c)権丈先生)を拡充する方が、政府の仕事としては重要だろうと考えるところです。
2014/05/12(月) 08:34:10 | URL | マシナリ #-[ 編集]
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