2007年03月02日 (金) | Edit |
前回お笑い部分について指摘した『つっこみ力』なんですが、毎度のことながらパオロさんのページで反論が掲載されております。こういう真摯な態度はさすがだなと思うのはもちろんですが、この反論で「ああそうか」と合点がいきました。実は『つっこみ力』の経済学批判の部分をちょいちょいと批判してみようと思っていた矢先だっただけに、下手なこと書かずに済んだなと。

大抵はトップページに最近の出来事的な感じで「御意見無用」というコーナーを月一ペースで書かかれることが多いんだけど、今回はなんとページを分けて丁寧に反論されています。それで明らかになったことというのは、やっぱりというのが残念なんだけど、「パオロさん、言ってることが破綻してるよ」ということ。こういうことを書くのは、あくまで俺がパオロさんの文才を評価していて、その方向性さえ間違わなければパオロさんの目指すものにも賛同しているからです。というわけでちょっと心苦しいのですが、改めて批判させていただきます。

まずは今回の経済学批判のメインイベント、インセンティブの悪口について、

でもね、私は、インセンティブ理論がそのあいまいさゆえに、なんにでも使える便利なレトリックに堕してしまった現状を指摘した上で、ムラムラ感と改名し、その使用をプラス面だけに限定すべきだ、という、とても建設的・現実的な提言をしてるんです。こんな前向きな悪口がありますか。しかもこれって、本来なら経済学者がやるべき仕事なのに、私がやってあげたんです。それすらわからないのなら、やはり経済学者は裸の王様です。


とおっしゃってはいますが、インセンティブ理論がなんにでも使える便利なレトリックに堕してしまっているのはおそらく経済学だけの責任ではなく、(俺も含め)経済学をちょっとかじった人がインセンティブという言葉を乱用したのが原因ではないかと思われます。これについてのパオロさんの著書の中での言い分は、

ところがここ5,6年に書かれた経済学の教科書や入門書は、判で押したように、インセンティブの重要性と有効性ばかりを強調します。これでは教科書ではなく、教典です。
インセンティブ理論がはたらいていない例を指摘されると、それはトレードオフだ、人は妥協することもあるのだ、と逃げをうち、インセンティブの有効性を守り抜こうとします。でも、これではいわゆるアドホック-その場しのぎの上塗り理論です。
p96


というものですが、そりゃインセンティブ理論には限界があるだろうし、そもそも経済学に限らず社会科学っていうのは一定の前提をおいた上で理論を構築するので、その前提が成り立たなければ理論が成り立つ余地はほとんどありません。そういった前提がない場合に成り立たないということを、殊更インセンティブに限っては「有効性を守り抜こう」としているとして、それが悪のように言うのは見せしめにしてもあまり筋のいいものではないと思われます。一応申し訳程度に、その直前で「じつは経済学者のなかにも、まともな感性を持ってる人はいます」と書いてますが、逆に「インセンティブマンセー!」なんていう経済学者もそれほどいない(参考文献にある清水・堀内『インセンティブの経済学』が主流ではないはず)のでは? 教科書や入門書というのは近年発展してきた理論を紹介しなければならないのでインセンティブ理論を取り扱うでしょうが、たとえばスティグリッツ『ミクロ経済学第3版』では、「五つの重要な考え方」としてトレードオフ、交換、情報、分配と並んで、

経済学でいうインセンティブとは、特定の選択を行うことが意志決定者にとって望ましくなるような便益(費用の減少を含む)のことを指す。
p7


と定義されています。つまり、その程度です。インセンティブだけですべてが説明されるとは書いてませんし、インセンティブの説明のほとんどは便益と費用の差である余剰とかの概念で言い換えできるような内容ではありませんでしたか? いずれにしろ、最近の経済学者がインセンティブばかりを強調しているというのはパオロさんの読み誤りの可能性が高く、それを明示しないまま経済学のツールの一つに過ぎないインセンティブ理論の限界をことさら強調して、経済学全体の悪口を言うというのはいかにもお行儀が悪いのではないかと。

と思っていたところ、

社会学や経済学を批判するにしても、私はつねに、大衆に理解できるように書いています。ところが残念なことに、学者からの私への反論は、いつも専門用語と学者文法にまみれたものばかりなんです。説明でなく、知識とお約束の押し売りばかりでウンザリです。

 おまえは経済学のイロハも知らないから、理解できないんだ、とおっしゃるかもしれませんが、世間には、その私より経済学を知らない人がたくさんいるんですよ。逆にいえば、この私すら説得できないような説明で、世間の人たちに納得してもらうことなど不可能です。


とおっしゃるではありませんか。大衆に理解できるように書くからには、その言説に接するであろう大衆がどのように理解するのかについて責任を持たなければなりません。その責任の持ち方とは、少なくとも理論を正しく理解し正しく伝えるということではないでしょうか。上記のとおり特定の理論ばかりやり玉に挙げて、あたかもほとんどの経済学者がその点を考慮していないかのような書き方をするパオロさんはこの部分をないがしろにしているようにしか見えないのです。

このほか、後半でデータとのつきあい方として、自殺率と景気の関係は見せかけであってほかに要因があるということをいうために、

さて、こういう場合、社会科学系の学者がどう判定するかというと、データをパソコンにぶっこんで、どちらのデータがより関係が深いかを計算するのです。でも、それによって求められるのは、どこまでいっても、データの関係性が深いか浅いか、それだけです。大人の人口伸び率のほうが関連が深いことが証明されたとしても、それで因果関係が証明されたわけでもないし、タバコと高度成長の関連を否定したことにもなりません。
p164


とおっしゃりますが、そういったことは統計学や計量経済学では十分に注意が払われている部分なわけで、単に数字が相関しているからといってそこに相関関係があるのか、因果関係があるのかというのを即座に断定する経済学者はいないでしょう。そんな論文があったらまっさきに経済学者が批判するはずです。「見せかけの相関」なんてのは統計学の初歩的な概念だし、計量ソフトだって線形代数で解いているだけだから、いくらデータを計算したところできちんとした制度的な裏付けや理論による説明がなければそんな計算結果には意味はありません。その意味で、パオロさんの後半の自殺増加についての指摘はとてもよくできた統計学あるいは計量経済学の論文です。おそらくパオロさんの批判する学者連中が期待するのはこういうパオロさんのデータを扱う力量に対してであって、わかりやすさを評価してほしいパオロさんはそれが不満なのではないでしょうか。

そんな中で、パオロさんの次の指摘は大変重要です。

おもしろくあるためには、わかりやすさも絶対必要です。文章のわかりやすさのひとつの目安は、高校3年生にもわかるかどうかです。なぜなら、彼らは来年、大学1年生になる人たちです。将来、世間を担う人たちです。だから彼らにわかるよう、専門用語や学者文法を排除した普通の日本語で説明できなければ、学問は世間に伝わりません。また、それができない人は、大学教授や講師をやる資格がありません。


わからせることができなければ、教育者として失格であることはおっしゃるとおりです。ただし、わからせるためには相手がわかりたいと欲し、自らわかるための努力をその相手がきちんと果たすことが要求されます。特に内容が高度になればこの傾向は顕著です。だからこそ大学などの高等教育機関があるのであって、何も努力せずに難しいことがわかるのならそもそもそんな教育など必要ないことになってしまいます。その努力を引き出すためのおもしろさなら有用でしょうが、その努力をサボる口実につっこみ力が堕してしまったとき、インセンティブと同じく「使えねえなあ、つっこみ力」といわれるかもしれません。
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2007/10/03(水) 06:41:56 | 経済学のことを知ろう