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2014年03月22日 (土) | Edit |
一応これで書きかけのエントリはなくなることになりますが、年度の最後まで残してしまうほど難しいテーマだと思いますし、かなり長文になりましたので、小分けにしてアップします。

昨年末のエントリで、

大山さんの前著『生活保護vsワーキングプア』でも繰り返し指摘されていたとおり、生活保護法第4条第1項で「補足性の原理」が規定されておりまして、その法律通りの運用が一部で「水際作戦」として問題視され、日弁連が行政の対応を違法だと主張していた経緯があります。その法律通りの運用を課長通知で変えるということは、現場が法律ではない課長通知を基に実務を行うということを意味するわけで、どちらが違法なのかは単純な問題ではありません。

現場のための中央 2013年12月30日 (月)

ということを書いたところ、管理人あてということで、

「行政手続法の理屈からいくと、「申請意思のある者から申請を受けた上で、処分(保護開始の可否)を為すために、その審査の過程で保護法第4条第1項の適用について論じる」のが本筋で、「申請意思のある者から申請を受ける前に、第4条第1項の適用について論じるのは、順序が間違っている」という論は成り立ちそうに思います。」


というコメントをいただいておりました。ここで指摘いただいた行政手続法の理屈というのは、藤田先生の入門書から引用すると、

 それからまた、行政手続法は、申請が出された場合、それについての行政庁の審査業務は、その申請が役所(事務所)に到着した時点で発生する、ということを明らかにするとともに、形式的な要件をみたしていない申請(いわゆる「不適法な申請」)に対しては、すみやかに、相当の期間を定めて申請人に対しその申請の補正をすることを命じるか、あるいは申請によって求められた許認可を拒否するか、いずれかの措置をしなければならない、というように定めました(同法7条)。なぜこんな規定が必要かというと、たとえばある許可(たとえばゴミ処理上などいわゆる「迷惑施設」の建設の許可などを考えてください)の申請が出てきたときに、行政庁の立場として、法律の規定に従えば根拠かを与えないわけにはゆかないのだけれど、たとえば環境問題とか、周辺住民の気持ちなどを考えると、できれば許可をしたくない、といったことがでてきます。こうしたときに、行政庁が、申請をひとたび受け取ってしまうと許可をしなければならなくなってしまうので、いろいろなりくつをつけて、申請をまだ受け取ってはいない、ということにしてしまう、ということが、従来よくありました(いわゆる「預かり」とか「返戻」といった措置がこれです)。これに対して行政手続法は、今後こんなことは許されないので、ともかくも申請が行政庁(事務所)に(事実上)届いたならば、行政庁は、正式の審査をして、正式の結論を出さなければいけないのだ、ということを定めたのです。
pp.83-84

行政法入門 第6版行政法入門 第6版
(2013/11/11)
藤田 宙靖

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※ 手元にある2005年の第4版からの引用です。以下、強調は引用者による。

とされていることですが、その意味では、「水際作戦」が形式的な要件を満たしているにも関わらず受け付けられないというのであれば、ご指摘のとおり違法な処理となります。ただし、形式的な要件を満たしているかどうかというのは、書式が定められていて、その各欄に何らかの記載があれば満たされるという単純なものではないところが難しいところでして、その点で日弁連や支援団体と行政側の見解が分かれているものと思われます。

はっきりいえば、行政法の入門書に書かれているような理屈を理解していない公務員がそうそういるはずがない(後述するように皆無とは言えないところが歯がゆいところですが)わけで、その見解が分かれる理由については大山『生活保護vsワーキングプア』をじっくりと読んでいただきたいのですが、法令の規定を現実の制度として運用することの難しさは、たとえばこのようにして担当者と申請する方の前に立ちはだかります。

申請へのハードルは高くなるばかり

 このように、福祉事務所の側に立てば、面接相談は「制度をよく説明し、理解をしてもらったうえで、申請を行ってもらうために必要なプロセス」であり、生活保護の適正な実施を行うために不可欠なものであることがご理解いただけるでしょう。これが、私やベテランケースワーカーが、「それほどひどくはないじゃないか」と考えた理由です。
 生活保護は最後の砦であり、安易に利用するものでは無い。できる努力をせずに、すぐに生活保護に頼ろうとする人には、厳しい対応をせざるをえない。市民の血税を扱い、全体の奉仕者である公務員という立場上、多くのケースワーカーはこのように考えています
 しかし、このような運用の姿勢を「法的に正しいかどうか」という視点で検討すれば、新たな意味合いが出てきます。先ほど事例としてあげた相談者が、「それでも私は生活保護を申請します」と言い、調査が行われたらどのような結果になるでしょうか。おそらく、ほとんどの方が、生活保護の利用を認められることになるでしょう。ここに、生活保護に関わる支援者や法律家から「二重基準である」と言われる生活保護行政の矛盾があります。
 第一章で取り上げた元風俗嬢の相談例を思い出してください。
 彼女と彼は二人で暮らしていました。この場合、相談窓口では「内縁の夫」とされ、二人世帯での生活保護の適否を判断されます。相談内容を見る限り、彼もワーキングプアで二人の生活を支えるだけの収入はなさそうです。彼女は働けないので、世帯収入は最低生活費以下であることは間違いないでしょう。すでに述べたように、日本弁護士連合会の基準からすれば、「十分に生活保護の対象になる世帯だ」といえるでしょう。そして、仮に生活保護の申請をすれば、彼と彼女は生活保護の利用ができる可能性は高いのです。法律上の条文解釈のみで考えれば、こちらがより制度の理念の沿った運用であるといえます。
 しかし、生活保護の現場では補足性の原理が強調され、「できることはやってもらう」という姿勢が非常に強くなっています。面接相談では「仕事ができるか」「親族から援助してもらえないか」が厳しく聞きとられることになるでしょう。そして、私には、一般社会のなかでもそうすることが「当然だ」という風潮があるように見えます。
 現行の運用では、生活保護を申請しようとする彼女、あるいは彼は、「現状ではこれ以上の収入を得ることは難しく、家族からの援助も求めることができない」という状況を説明し、担当者を納得させる必要があります。さらに、「若いからなんとかなるだろう」「生活保護は高齢者や障害者が利用するもの」という一般に広く認知されている常識や、「生活保護を受けている若者は怠け者だ」「不正受給をしているのは、若い人間が多い」という生活保護にまつわる漠然とした負のイメージは、彼女や彼の心理的抵抗感をさらに強め、申請へのハードルを高くしていきます
 彼女が生活保護の申請までこぎつけるのは、「実際には極めて難しい」といえるでしょう。
pp.104-106

生活保護VSワーキングプア (PHP新書)生活保護VSワーキングプア (PHP新書)
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大山 典宏

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この部分を読んで理解できる方がいらっしゃるか甚だ心許ないのですが、法の執行の現場というのは、事ほど左様に法律どおりに進まないのが現実です。というのも、日本国憲法に由来しながらも独特の解釈がされている公務員の「全体の奉仕者」という使命、徹底した財政民主主義と、その実定法として制定された生活保護法に規定される補足性の原理の解釈と運用は、そのいずれも法的には「正しく」「遵守すべき」ものではありながら、実務の現場では相対立する原理原則として立ち現れるからです。

こんなことを書いても「なんのこっちゃ?」という方が大部分だと思いますが、法の執行を担う行政の実務の現場に生活に窮した方が当事者として存在し、それらの相対立する原理原則の狭間で憲法と実定法、それに基づく各種細則の解釈と運用が日々行われているわけで、法的に正しいから申請が行われるという単純な話にはなりません。しかし、行政の実務がどうであれ、生活に窮した方がいるという現実は変わりませんし、それを支援する弁護士や支援団体からすれば、その方を救うのは法律しか拠り所がないわけです。かくして、実務の現場で苦悩する行政職員と、現実に生活に窮している方と、それを法律論で支援しようとする弁護士の思いが交わることはなく、お互いに不信感だけを募らせていくことになるのではないかと思います。

そして、その背景には、大山さんが「「若いからなんとかなるだろう」「生活保護は高齢者や障害者が利用するもの」という一般に広く認知されている常識や、「生活保護を受けている若者は怠け者だ」「不正受給をしているのは、若い人間が多い」という生活保護にまつわる漠然とした負のイメージ」と指摘されるように、福祉を許容しない日本社会の現状があります。人権モデルと適正化モデルは行政や役人が独自に作り上げたものではなく、日本社会が政治の場やマスコミ、教育など、普通の人が生活の中で醸成してきた日本社会の内部に存在する対立の一つの現れに過ぎません。だからこそ、「必要な予算を確保するためには、財務省が納得するような説明ができないといけない。財務省が求めるのは「その事業が、ほんとうに税金をかける価値があるのか」という点だ。説得力のある説明をするためには、費用対効果のような数字がいる」という言葉が、厚労省の官僚によって切実に語られるわけです。

これに対して、今野『生活保護』が、人権モデルの立場から「違法行政」だとして上記のような対応を糾弾されています。結論を先取りすると、今野本の主張は方向性として賛同できるものの、その事実認識にかなりのバイアスを感じるところでして、次のエントリに続きます。
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