2014年03月11日 (火) | Edit |
あっという間に今年もあの日がやってきて、報道でも震災が大きく取り上げられる1日が年度末の業務に追われながら慌ただしく過ぎました。風化が課題とか復興事業の遅れが問題だという話が繰り返されていますが、実を言えば1年前に書いたこと以上は改めて書くことがないというのが実感です。そちらで引用させていただいた山口先生のご指摘も、より一層風化が進んだ現在にこそ重要な意味を持っていると思います。もちろん、何も変わっていないということではなく、大きく姿を変えつつある被災地もある中で、今日が大きな節目であるとしても、それはこれから長く続く再建への取組の大事な通過点になってきているという意味です。これからも風化の問題と復興事業の遅れは飽くことなく糾弾され続けると思いますが、命を失った方や今被災地で生きている方々を思いながら、今自分にできることを着実に進めていきたいと思います。
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コメント
この記事へのコメント
ちょっと失礼します。
個別の記事にたいしてと言うより、ブログ全体の論調に疑問がありお尋ねしたいことがあります。

筆者様は東電への批判を不当なバッシングであるかのように、人災批判を批判しておられますが、公害その他の加害者・加害者の利害関係者を批判することは悪いことなのでしょうか? 加害企業批判=悪である場合、被害者や税金で被害弁償させられる納税者はどうすればよいのでしょうか?

私は院生のころ、薬害被害について研究していたことがあり、当時から加害者を擁護したり被害者バッシングを行う方々、あるいは加害者を税金で救済せよという方々に疑問を持っていましたが、その疑問をうまく表現できませんでした。

このブログを読んでみて何度か東電批判を批判されていて、それに対して憤りを感じましたが、いろいろ考えてるうちに当時言い表せなかった疑問が言葉になったので、著者様に聞きたいです。

加害者が擁護され優遇されるなら、被害者や真っ当に生きている第三者はどうすればいいのでしょうか?? 被害者や第三者は加害者/加害企業関係者の生活を慮って生きなければならないのでしょうか?
2014/03/14(金) 22:57:45 | URL | aaa #-[ 編集]
> aaaさん

私ごとき実務屋にはとうていお答えできない大変難しいご質問だと思います。なぜそのような難しい質問が私に寄せられるのか考えてみたのですが、

> 筆者様は東電への批判を不当なバッシングであるかのように、人災批判を批判しておられますが、公害その他の加害者・加害者の利害関係者を批判することは悪いことなのでしょうか? 加害企業批判=悪である場合、被害者や税金で被害弁償させられる納税者はどうすればよいのでしょうか?

ここにいくつかの論点が混在しているようです。私が東電批判を批判しているのは、それが東電の従業員を批判する限りにおいて的外れだと考えるからであって、東電批判そのものを不当なバッシングとして批判しているわけではありません。

> 社会の構成員がお互いに「既得権益」というレッテルを貼り合う状況というのは、結局のところ何が「既得権益」かというコンセンサスがないことが原因となっているために生じているとも考えられますが、より深刻な問題は「既得権益」というレッテルを貼った後の行動に抑制がきかなくなることではないかと思います。特に原発事故以降では、東京電力の電力を使いながら電気代を払わないことを公言してはばからないアーティストがいたり、原発事故の収束に尽力している東電社員の賃金を引き下げろと迫ったり、挙げ句の果てにはその子息を攻撃するよう扇動するなど、直接的に東電に関係する方を攻撃する言説もありました。東電に対するヘイトスピーチだけではなく、放射性物質に対する恐怖心を煽って被災地に対する偏見を助長する言説も後を絶ちません。

「既得権益へのヘイトスピーチと陰謀論 2011年12月19日 (月)」
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-489.html

また、東電が予算制約の範囲内であるにもかかわらず十分な地震・津波対策を怠っていたのであれば、東電という法人の意思決定は十分に批判されるべきとは思います。ただし、そのための予算制約をどの程度まで電気料金という形で負担するのか、東電利用者の意思が不明でありながら、その点を考慮しない批判については疑問を呈しているところです。

> 原発事故は想定外の津波によるもので不可抗力の部分はあるでしょうし、その後の対応にも後手後手となっている印象はありますが、東電がそのような対応をしているのは、利用者である東電管轄内の住民の支払う電気料金の範囲内であるということも事実でしょう。「想定外をなくすまで徹底して防災に取り組むべきだった」という批判もあるようですが、想定外をなくすまでの料金を払っていいという方は一体どのくらいいるのだろうかと疑問に思ってしまいます。

「それぞれの役割 2011年04月18日 (月)」
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-449.html


もちろん、最初に引用したエントリで「社員」としているのは正確には「従業員」ともいうべき労務提供者であって、hamachan先生がよりわかりやすく指摘されるように、東電の従業員は東電という法人とは別人格です。

> まあ、当該東京電力の「社員」と法制的には間違って呼ばれているところの労務提供者たち自身も、そういう発想をかなりの程度共有している面もあると思われますので、そもそもそこのところを突っ込むなどという野暮な人間はあまりほかにいないのかも知れませんが、こういう理屈はほかの社会では通用しませんぜ、ということくらいは認識しておいた方が、グローバル化とか言っている方々はよいのではないかと思われます。
>(略)
> まあ、日本社会はみんなそうは思っていないから、政治家もごく自然にこういう発想になるわけですが。まことに、社会規範としてのメンバーシップ思想は、立法府の選良も含めて全ての人々に共有されているという良き実例でありました。

「河野太郎氏のメンバーシップ型思想 (2012年5月 3日 (木))」
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-eba2.html


という点に問題意識を示しているつもりの私に対して、aaaさんが

> 加害者が擁護され優遇されるなら、被害者や真っ当に生きている第三者はどうすればいいのでしょうか?? 被害者や第三者は加害者/加害企業関係者の生活を慮って生きなければならないのでしょうか?

と疑問を投げかけられる真意を測りかねております。私は加害者が擁護され優遇されるべきとは申しておりませんし、被害者や第三者が加害者の生活を慮って生きなければならないとも申しておりません。ただし、加害企業関係者のうち、日本の法律で言う社員ではなく、労働契約によって労務を提供している従業員に責任を負わせるのは、用語の本来の意味において筋違いだろうとは考えております。
2014/03/15(土) 21:13:38 | URL | マシナリ #-[ 編集]
回答ありがとうございます。

公害加害企業や破綻企業にたいして税金が投入された場合、その従業員が減給という形で不利益を受けるのは、別に日本的メンバーシップでなくてもアメリカでも同じではないでしょうか。

リーマンショックで公的救済を受けた企業の従業員らが給料削減されなかったという情報にたいして多くの米国民が激怒しました。

メンバーシップであれ他の形態の雇用であれ、「ネジ一本締めていくら」という給料支払い方法ではなく、多かれ少なかれ企業の利益に連動しているものと思います(同じような仕事であっても企業の規模や財政状態によって給料は違います)

企業が税金投入という状況になれば給料を減らすことは(企業の成長や利益によって給料増額がある以上)当然であり、仮に企業が如何なる危機であり迷惑を掛けた状態であっても、従業員の給料が絶対に保障される・・・となればもはやそれは身分制度ではないでしょうか。

もし、企業の状態如何に関わらず、待遇変更をすべきでない・・・とすると、例えばJALが優良企業だった時に就職した従業員は、JALが税金で保護される劣悪企業になっても永久に高給、一方、ANAが二流企業であった時に就職した従業員は、ANAがJALを凌ぐ優良航空会社となったときも薄給である。ということになり、従業員は企業の業績や社会・消費者への貢献の如何によらず一切報われないことになってしまいます。これでは職務にたいする誇りも喜びも湧いてくるはずがないのです。

企業の業績如何によらず賃下げしないことは身分制度であり不公平の極みで、このような極端な保護のために正社員全般への不当なバッシングの根拠になることを危惧しています。
2014/03/16(日) 19:49:32 | URL | aaa #-[ 編集]
> aaaさん

> 公害加害企業や破綻企業にたいして税金が投入された場合、その従業員が減給という形で不利益を受けるのは、別に日本的メンバーシップでなくてもアメリカでも同じではないでしょうか。

税金が投入されるか否かは、経営状態が労働再建を含む債権の支払能力が著しく低下した状態で、かつ公的支援が必要な公共サービスを行う事業体であることなどの要件を満たす場合に、国会で法律を成立させることによって決定されます。したがって、国費によって救済される事業体があれば、当然その時点で労働債権を含む債権の支払能力が低下しているわけですから、正当な手続を経ることによって賃金が減額されることは当然あり得ることです。

労働法は民法の特別法ですので、労使の合意または合理的かつ客観的な理由があれば、賃金を減額できることになっています。賃金などの就業規則で定める労働条件について、労働者に不利益となるような変更をしようとする場合は、労働契約法9条などで就業規則の不利益変更法理として規定されています。その手続を経た賃金減額までが法律で禁止されているわけではありませんので、私もそのような主張をしているつもりはありません。

その上で繰り返しになりますが、社会的に大きな損失を発生させた東京電力株式会社と、その法人と労働契約を締結している労働者は別人格であって、使用者側の支払能力に応じて賃金が増減することは当然ですが、だからといって従業員が法人の責任を負ういわれはありません。法人が行う事業の意思決定に責任を有するのは、法律上の社員である株主であり、その意向によって任免される取締役などの役員です。アメリカの公費で救済されたメガバンクの役員報酬が莫大だという批判は、この理由に拠ります。

もちろん、そのような業務を担っていた従業員の賃金にも批判はありましたが、それはあくまで会社との労働契約によりその指揮命令の下に提供する労務の対価であって、労働契約に定める労務を提供した以上、その対価としての労働債権(賃金)が発生することになります。なお、リーマンショックの際に、その対価を算定する賃金体系そのものが成果主義に偏りすぎたために、銀行の従業員がジャンクな投機に走ってしまい、それがリーマンショックを招いたという指摘は、当時からラジャンが行っています。

> 問題は、莫大な利益を上げた金融業界では、それが行きすぎた成果主義的報酬体系に結びついていたことなのではないかと思います。
>
> 映画の中でインタビューに答えていたラジャンも、2005年の論文"Has Financial Development Made the World Riskier?"(注:pdfファイルですhttp://www.kansascityfed.org/publicat/sympos/2005/pdf/rajan2005.pdf)ではアメリカの投資銀行の報酬体系によって、マネージャーが敢えてリスクを受け入れるように仕向けられていたことを指摘しています。

「成果主義と報酬 2011年10月09日 (日)」
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-477.html

賃金決定は会社の業績に連動するというのは誰にも分かりやすい理屈なのですが、労働債権である賃金にはそれ相応の保護が及びますし、その決定方法を公権力が決定する仕組みは私的自治を否定するものですので、現行の民法では無理筋だろうと思います(その点で私は公務員の給与決定についても、財政民主主義の行き過ぎを批判しているところです)。

という次第でして、賃金の決定方法一つとってみても様々な手続や保護の中で私的自治を実現する仕組みが整備されているところですので、

> 企業の業績如何によらず賃下げしないことは身分制度であり不公平の極みで、このような極端な保護のために正社員全般への不当なバッシングの根拠になることを危惧しています。

という危惧については、身分制度とか正社員全般への不当なバッシングの根拠となる可能性はほぼ皆無でしょうから、杞憂に終わるものと考えます。
2014/03/17(月) 00:57:00 | URL | マシナリ #-[ 編集]
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