2014年02月23日 (日) | Edit |
書きかけのエントリがたまっておりましたので手短に(といいながらいつも長くなるわけですが)。政治家が「日本の諸悪の元凶であるコームイン制度を改革しなければならない!」とことあるごとに叫んでいるのにはそれなりに理由がありまして、公務員の労働契約では触れていなかったその辺の議論を塙『自民党と公務員制度改革』からピックアップしておきます。

その前に、チホーコームインとして印象的な言葉が本書で取り上げられています。

 そもそもこの問題は、各省幹部の人事権が首相または官邸のリーダーシップの下にあるべきなのか、それとも各省大臣の独立性が尊重されるべきなのか、政府内で統一的な解釈がないことに端を発していた。明治憲法下の各省大臣は首相や内閣に対してではなく、天皇にのみ責を負っていた「単独輔弼制」であったことは周知の事実である。
 「同輩中の首席」と呼ばれた首相の権限の弱さが政党政治の崩壊や軍部の台頭の一因になったという反省を踏まえ、現在では首相の各大臣に対する任免権や指揮監督権は憲法により確固として保障されている。その一方、すでに指摘されていることではあるが、国家行政組織法はその第5条に「各省の長は、それぞれ各省大臣とし、内閣法にいう主任の大臣として、それぞれ行政事務を分担管理する」と明記しており、逆に各省による国務の「分担管理」の原則を謳っていた。
 町村が渡辺に繰り返し述べた「内閣人事庁不要論」は、各省の幹部官僚の人事はこの「分担管理」原則の範疇に入るという発想だった。ただ、現行憲法下では各省大臣は首相により任命されるものであり、その手足となる各省幹部についても首相(官邸)の関与を認めることはむしろ当然の論理に思える。だが、この議論の整理が福田内閣において共有されていなかったのは、前述の閣僚らによる意見交換会で明らかになった。
pp.36-37

 ちなみにこの時、懇談会の報告書で打ち出された改革案に関して霞が関で流行した言葉があった。霞が関の「県庁化」である。
 この流行語の発端は、内閣人事庁による一括採用構想だった。内閣官房行政改革推進本部が非公式に事務レベルで各省の幹部ヒアリングを行った際、この一括採用も批判の矢面に立った。
 ある省の官僚が言い放った。「これをやってしまうと、霞が関が県庁化する。県庁職員のレベルの低さは一括採用をやっているからでしょう。それでもいいんですか」。
 この「県庁化」という言葉は「共通のマニュアルでも出回っているのか」と行政改革推進本部のスタッフが勘違いするほど、霞が関の人事担当者が口にした言葉だった。
 そもそも、県庁職員のレベルは低いのか、仮に低いとしても、それが一括採用に起因しているかは、何の検証もない主張ではあった。当時、「県庁の星」という映画が上映されていたこともあり、公務員改革による「県庁化」という言葉は、官僚同士の飲み会の場や各省庁の人事担当者の会議の場では流行語のようになっていた。
p.42

自民党と公務員制度改革自民党と公務員制度改革
(2013/07/17)
塙 和也

商品詳細を見る

※ 以下、強調は引用者による。

念のため補足しておきますと、前半の引用部の「町村」というのは町村信孝官房長官(当時)で、「渡辺」というのは渡辺喜美内閣府特命担当大臣(規制改革)(当時)のことです。で、そもそもなんですが、「法律による行政の原理」は行政法の基本中の基本とされておりまして、「公務員の人事権」も当然のことながら法律に事細かく規定されています。しかも、採用、昇任、給与などの人事に関する事務が複雑怪奇に各機関に分担されていて、「戦後の鬼っ子」と呼ばれた人事院制度がその典型ですね。こうして複雑に分散した「公務員の人事権」が縦割りの弊害を生んでいるとして、常にやり玉に挙げあられるのが各省庁ごとの採用ということになるわけです。

その採用などの「任命」を行う根拠は、国家公務員の場合は国家公務員法55条1項に規定されていまして、「内閣、各大臣(内閣総理大臣及び各省大臣をいう。以下同じ。)」と外局の長が「任命権者」とされています(地方公務員の場合は地方公務員法6条1項の「地方公共団体の長、議会の議長、選挙管理委員会、代表監査委員、教育委員会、人事委員会及び公平委員会並びに警視総監、道府県警察本部長」などです)。この条文を素直に読むと、上記引用部にあるような「「内閣人事庁不要論」は、各省の幹部官僚の人事はこの「分担管理」原則の範疇に入るという発想」が出てくるわけでして、これを一括採用すれば万事解決するというのが、改革論者の方々のシンプルマインデッドな主張になるわけですね。

でまあ、中の人とすれば一括採用したところで縦割りの弊害が万事解決するはずはないと思うのは当然だろうと思うのですが、その理由としては、「利害調整の過程においてそのような膨大な当事者の利害をとりまとめて調整しつつ代替案を示すという作業」を遂行するために、各利害対立の当事者の立場に立って代替案を提案するべく、その分野の制度や事情に精通した専門家集団が必要となるという理屈で十分だったはずです。ただし、政権交代に至る前からすでに「「官僚内閣制」とか「省庁代表制」と呼ばれるような利害関係調整のシステムが霞ヶ関に組み込まれていて、官僚が好き勝手に決めているのではなく、各省庁の背後にある関係団体の力関係が調整されて政策決定ににじみ出ていく」仕組みが否定されるようになり、その流れが「一括採用」へのカイカクを推し進めているというのが実態でしょう。bewaadさんは9年も前にそのことを指摘されていましたね。

以上のような岡本課長の縦割りを弱めた後に彼が理想とする政策運営や、昨年の某主計官の騒動、最近の経済財政諮問会議の人間力の議論、官僚ではできることに限界があるとして政界に転身する人間の主張などを見るに、出身省庁にとらわれない国全体の見地というのは、単に確たる現実基盤を持たない空理空論に流れたものがその過半を占めているようにしかwebmasterには思えません。
■ [government]内閣強化への疑問(2005-06-21)」(archives of BI@K


それに対する中央官僚の抗弁が「霞が関の県庁化」というのはあまりに迫力に欠けますね。世は「チホーブンケン教」または「チーキシュケン教」が栄華を極めていますので、「チホーブンケンを強力に推進するために○○法案が不可欠です」と主張すればあっさりと法案が通るような現状で、「霞が関の県庁化」というのはむしろ歓迎されるのではないでしょうか。

本書では「県庁職員のレベルは低いのか、仮に低いとしても、それが一括採用に起因しているかは、何の検証もない主張」とされていますが、何をもってレベルが高い・低いというのかによって検証の仕方は変わってきます。県庁職員のようなチホーコームインは、さまざまなセクションを掛け持ちしたり異動することによって「広く薄く」専門性や経験を得ますが、その程度では上記のような利害当事者の立場に立った代替案を示すことはほぼ不可能でしょう。国レベルの利害調整に求められる専門性や経験は、とても県庁レベルの職員には期待すべくもないわけで、専門性も経験ないジェネラリストの官僚によって、「民意」なるものを振り回す政治家が掲げた荒唐無稽な素人考えの政策が推進されていくというのは悪い冗談にしか思えないのですが、まあそれを望むのが「民意」が「民意」たる理由なのかもしれません。

公務員なんかに任せているからそんなことになるんだという声も聞こえそうですが、公務員制度改革を担当する事務局で生じていたことは次のような事態でした。

 公務員事務局が発足してまもなく、興味深い文書が民間スタッフの間で出回った。大手電機メーカーから、2001年に公務員改革を担う内閣官房の担当室に企画官として派遣された民間職員が書き残した「公務員制度改革放浪記」という回顧録である。
 「放浪記」はこのメーカー出身の企画官が、経済産業省から派遣されていた上司に喫茶店に呼び出され、いきなり「この話は墓場まで持って行って欲しい」と語りかけられる場面から始まる。
 放浪記の内容をかいつまでみると、以下のようになる。
 公務員改革は内閣官房の担当室の所管であったものの、実際は内閣官房ではなく、経産省にいる経産官僚の「裏部隊」が素案を描き、当時の行革相だった元首相、橋本龍太郎に報告する仕組みになっていた。前述の上司が「墓場まで持って行けと言ったのはこの裏部隊の存在のことであった。
 このメーカー派遣の企画官は、経産省の裏部隊と、その跋扈を快く思わない他省庁出身の担当室の同僚らとの板挟みにあう。
 そして、その狭間で悩み、翻弄されながらもなんとか職務を遂行していく。
 しかし、公務員改革の方向性をめぐる経産省と人事院の対立が激しくなっていくと、企画官は徐々に情熱を失っていく。省庁間の縄張り争いを「戦争」と表現し、最後には「私には公務員の相応しい人事制度とはどのようなものなのかついに分からなかった。しかし、もう時間が尽きてしまった」という言葉で回顧録を締めくくる。
 「これからどんなことが起こるのか、背筋が凍るような思いがした」。回顧録を読んだある民間職員は振り返った。

スーパーキャリア

 放浪記と同様、民間職員たちが驚く「事件」が早速起こった。経済産業省が公務員事務局の頭越しで、「国家公務員制度改革の考え方について」というペーパーを作成、各省や関係議員に配布を始めたのである。ペーパーはA4用紙で計20枚にも上るれっきとした政策素案だった。
(略)
 経済産業省は公務員改革を担当する官庁ではない。今後の幹部候補育成課程や再就職寄生に関する企画立案は当然、そのためにわざわざ「10森」に新設した公務員事務局に課せられていると思っていた民間職員らが、このような突然の横槍に驚くのは当然であった。
 さらに、事務局内の幹部官僚の間ではすぐに内紛が起こった。事務局次長で前総務省事務次官の松田隆利と、経産省から派遣された審議官の古賀茂明の二人だ。松田は小泉政権時代に行政改革本部事務局長を務めた経歴の持ち主であり、古賀も渡辺にその実績と手腕を高く買われて、事務局に引っ張られた経緯があった。
 二人の対立は当時の複数の事務局職員の証言によれば、古賀がまとめた内閣人事局による幹部人事の草案を巡って、松田が批判したことに始まったという。ただ、実態は分からないし、それを明らかにすることが本書の目的でもない。
 重要な事実は、事務局の発足早々、本来作業の中核になるはずだった官僚出身の次長、審議官という事務局のナンバー2、3の間に重大な亀裂が走り、互いの連携が事実上なくなったことである。そして、なにより民間職員が「腰が抜ける思いをした」ことである。
塙『同』pp.97-99

まあ、改めて「農水省に根回しなしに農商工連携とか言い出すあたりに経産省特有のお行儀の悪さが全開で、だから経産省不要論が絶えないんだろうな」という思いを強くする記述なのですが、これを「縄張り争い」とか「縦割りの弊害」というのはちょっと的外れですね。

世の中の利害当事者の立場を代弁するのが国家公務員ではあるのですが、その国家公務員自身が利害当事者となる公務員制度改革について、公務員なら当事者だから何でも言えるということではありません。業界なら業界団体が、消費者なら消費者団体が、民間の労働なら労働団体(労働組合)がそれぞれの立場を取りまとめるという過程が必要なのと同様に、国家公務員という労働者の利害をとりまとめるのは国家公務員の労働組合であるべきでしょう。そこに割って入ったのが、法律によって設置された事務局でもなく労働組合でもない一省庁の「裏部隊」であったら、その政策提案なるものが何を目指しているのか不審に思うのは当然のことだろうと思います。そういうことを平然とやってのける経産省の作法の悪さには辟易とするところですが、まあ集団的労使関係の再構築が課題とすらされないようなこの国の状況では、むしろ「民間感覚のカイカク!」を気取る経産省のやり方の方が好意を持って受け止められるのでしょう。引用部で事務局の対立を生んだとされる古賀氏が、一時メディアでもてはやされていた状況がそれを物語っていると思います。

でまあ、本書で記述されているような状況を踏まえると、真に必要な改革を阻んでいるのは人事院をはじめとする複雑怪奇に入り組んだ公務員の人事制度であることは言を俟たないと思うのですが、この点においても重要なのは、この国の集団的労使関係の再構築と並行して公務員の労働基本権を回復させることにあるはずです。人事院の言い分の不自然さは本書で指摘されているとおりであるとして、そうであればこそ、人事院の設置根拠となっている公務員の労働基本権の制約を取っ払うことが人事院の息の根を止めるクリティカルな方法です。そこには手をつけずに「カイカク」ばかり叫んでいるから実現すべきことも実現できないのではないかと思うところです。
スポンサーサイト


コメント
この記事へのコメント
>世の中の利害当事者の立場を代弁するのが国家公務員ではある

↑利害当事者の立場を代弁するのは政治家です。公務員試験で当事者の信託を得ることはできないです。

そもそも公務員が特定利害関係者の代弁者であるなら政治的中立に反しており違法となります。
2014/03/13(木) 23:43:21 | URL | aaa #-[ 編集]
> aaaさん

本エントリでは確かにそのような批判をいただく記述となっておりまして、誤解を招いてしまったことをお詫びいたします。拙ブログでは、数年前のエントリになりますが、

> はてブにも同じようなコメントがありましたが、結局は「自分以外への資源配分はムダ」と考える住民同士の利害調整をどうするかに行き着くわけで、アメリカのようにロビイ活動がおおっぴらに行われたり、ヨーロッパ諸国のように労使団体が政策決定に関与する仕組みのない日本では、役所がその任を一手に引き受けざるを得ないんですよね。それを「官僚が自分の既得権益のために勝手にやってけしからん!」と批判してしまうと、ご自身の利害調整の代替機能を放棄することになりかねないんですが、なかなかそこは理解されないようです。
>
> もちろん、本来はそういった利害調整は政治家の役割のはずですが、経済全体のパイが縮小してしまうバブル崩壊などによりそれがうまくいかなくなったときは、「官僚が勝手に自分の権益のためにやったんだ」とバッシングして批判をかわすのがこの国の政治家の作法となっています。官僚叩きで政権の座に就いた今度の政権党がその味を知ってしまった以上、わざわざ彼らが七面倒くさい利害調整に乗り出すはずもなく、結局は役人に丸投げするのは目に見えています。

「利害調整は誰のもの?2009年09月23日 (水)」
http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-345.html

と、ご指摘のとおり、私も利害調整が本来政治家の役割であると考えております。ただし、理念的には政治家こそが利害調整に当たるべきですが、実務のボリュームから言えばそのスタッフが必要であって、その実務を担うのが官僚(公務員)の役割というのが実態でもあります。
2014/03/15(土) 18:06:39 | URL | マシナリ #-[ 編集]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック