2014年01月21日 (火) | Edit |
ブログでエントリ起こすまででもないような細々としたネタはTwitterにでも書いた方がいいのかもしれませんが、ブログ名でROM専用に作ったTwitterアカウントには鍵をかけているので(そもそもtweetはゼロですし)、やっぱりブログに書いておきます。

・都知事選の争点?

拙ブログでは前々々回の都知事選で「マニフェスト」なる言葉の空虚さを取り上げていました(久しぶりに読み返してみると、ことごとくリンク切れになっていて候補者のひとりは鬼籍に入られていたりと、7年という時の流れを感じますなあ)が、今回はマニフェストの空虚さ云々よりもさらにひどい状況になっているように思うところです。民主主義を熟議でどうたらとかいってる場合ではありませんね。

そういえば文科省で「ネット熟議」を先導されていた方は、津波被害とか原発事故を「人災だ」といって犯人捜しをしているような方に去年の総選挙で敗北した方でした。事ほどさように民主主義というのは簡単に危うい方向に流れがちでコストのかかる厄介なものなのですが、「自分で決めたことに拘束される」というのが民主主義ですから、どんなに荒唐無稽な主張でも選挙の結果として受け入れるしかないというのが、先人たちが幾多の血を流しながら獲得した現実でもあります。

でまあ、なんでも今回の都知事選では「脱原発」が争点となっているそうで、良識的な方々からは「エネルギー政策は国が決定するもので都知事の権限ではない」とか「原発もない東京が脱原発なんて無責任だ」という誠にもっともな批判が巻き起こっているところですが、個人的には永松先生のこの見方に賛同しないでもありません。

念のため、私自身は現在の経済活動を維持するためには、「脱原発」を現時点で主張することは非現実的だろうという立場でして、脱原発が都知事選の争点になることには大いに疑問を感じてはいますが、永松先生が指摘されるように、最大の電力消費地である東京都において「脱原発が可能になる程度に経済政策を縮小する」という公約を掲げる候補がいてもおかしくはないだろうと思います。そして、その候補者を選んで経済縮小の道を歩む事態も、「自分で決定したことに拘束される」民主主義の帰結として可能性がないわけではありません。なお念のため、永松先生のキャッシュ・フォー・ワークの取組は大きな意味があったと思いますが、「利権陰謀論という結論を書きたくて」しょうがない一部のリフレ派の著書に「迫力を感じる」といってしまう永松先生の感覚には疑問を持っております。

最近飯田先生ばっかりネタにしてしまっていて心苦しいのですが、そうはいってもネタの宝庫なもので。。

飯田(泰):
それについては、ぼく個人の意見としては、とりあえず再稼働はしょうがないだろうと。その後、現存の耐用年数の過ぎた原発は徐々に、ゆっくりと縮小していくという論なんですが、それ以上に、再稼働についても、みなさん忘れている部分があると思うのは、国民の大多数が、もう再稼働させるなと思っているのであれば、それは止めるしかないんです

原発のリスクというのは、もちろん計量できる部分、経済的な被害のように計量できる部分もあるんですが、なんだかいや、という感情で、これはすごく大切なことだと思うんですよ。

国民のなんだかいやという感情が、どの程度なのかというのをしっかり調べるべきだと、世論調査でもいいし、国民投票は難しいですが、世論の大勢が、再稼働もいやですとなったらそれに対する経済的ダメージを引き受けるしかない、という意思決定なんですね

その意味で原発問題というのが、議論をする対象ではなくて、意思決定しなきゃならない局面になっている。その時に、僕自身は、何となく嫌だからというのは、一番重要な基礎になる考え方ではないかと思います。そこで、僕自身は、「再稼働してゆっくり撤退」。でもやるべきこととしては、とにかく、いやな人が多いのか少ないのかを調べて、その結果再稼働するのかしないのかを、さっさと決めるというのが大切だと思います

「震災を超克せよ!」復興、原発…4時間討論(全文文字起こし)第3回(2012/03/08) - みなと横浜みなみ区3丁目
※ 以下、強調は引用者による。

というわけで、民主主義の学校である地方自治体の首長選挙の結果によって、最大の電力消費地である東京都のトップがどのような意思決定を行うことになるのか、いまからたいへん楽しみですね(棒)

やっぱり・・・

リフレ派と呼ばれる方々も、いざリフレーション政策(らしきもの)が実施されてから案の定離散状態になっているようですが、傍から見ていると彼らをつなぎ止めていたのはリフレーション政策への支持ではなくて増税忌避ではないかと思うことしきりでして、そのものずばりのエントリを見てしまいましたのでメモ。
2014-01-17 日本が無税国家になっては悪いのか
本文は引用しませんので興味のある方はリンク先をご覧いただきたいのですが、まあせめて「減税することで名目GDPが増加して税収が増えるから増税反対」というならまだいわんとすることは伝わるのですが、無税国家ですかそうですか。無税国家でどうやって再分配するのか大変興味があるところですが、そもそも本気でそんなこと考えてないからこその無税国家礼賛でしょうから聞くだけ野暮なのでしょう。不肖私のようなリフレーション政策支持で再分配重視という方も含まれている(もちろん私のトッププライオリティは所得の再分配です)とは思うのですが、「リフレ派」という称号さえ得ればどんな主張とセットでも許されるという風潮を作ってきた一部のリフレ派と呼ばれる方々には、リンク先の主張についても見解を伺いたいところですね。あ、リフレ派は派閥じゃないから他人の主張は関知しないんでしたか。

・裁量がないのが官僚的?

上記エントリの方のTwitterを拝見したら、こんなtweetがRTされてました。

リフレ派の方々は官僚の裁量的政策を厳しく批判されていたと思うのですが、非裁量的マニュアルに「官僚的なものの非道を学ぶ」ところがあるとは存じませんでした。

 「コミットメント」とは、さまざまなショックへの政策対応を過去に約束した通りに行うことを意味し、他方で政策当事者が状況に応じてその時点時点で適切だと思う政策を採用することを「裁量」という。

 コミットメントの問題はいわゆる「時間非整合性」の問題でもある。(略)しかしこの約束が守られないことを民間が予想したらいま書いたようにその政策の帰結は思わしいものではなくなる。

 そのため中銀は「裁量」を禁じて、低インフレ政策に「コミット」することを公表するのである。そのことが予想インフレ率を低位に導くことで、失業をそれほど悪化させずに、インフレを改善することが可能にもなっていくのである。したがって「裁量」に比較して「コミットメント」は経済厚生をより改善する仕組みだと考えられる。

■[経済]チャールズ・プロッサーのコミットメントと裁量についての講演(2007-04-16) - Economics Lovers Live ReF

受験生がどんな行動を取ってくるか、あるいは受験当日にどんな事態が発生するかというのは、当然ながら事前にすべてを把握することはできません。その対応が現場の裁量に任されていたらおそらく全国の受験生は大混乱に陥ると思うのですが、「「裁量」に比較して「コミットメント」は経済厚生をより改善する仕組み」というのは、金融政策にだけ適合して試験には合わない理論なのでしょう。それにしても、「センター試験のマニュアルのしんどさ」=「現場だけが責任を負う構造」というのもなかなか理解しがたい論理展開ではありますが、なんとか理解しようと記憶をたどってみると・・この方は陰謀論的リフレ論者だったということに落ち着きそうです。まあ、この先生はご自身の言葉を自ら否定される方でもありますので改めて考えるまでもないのかもしれませんが、上記エントリの方も陰謀論には親和性が高そうでして、あ、リフレ派は派閥じゃないから他人の主(ry

ところで、

maturi
リフレ派をDisらないと死んじゃう病 2014/01/04

そんなつもりはないんですけど、どうしてもあの界隈がネタにしやすいのかもしれませんねえ。。
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