2014年01月19日 (日) | Edit |
拙ブログでも何度か取り上げている「地方公務員の任用は行政処分である」論について、hamachan先生が歴史的経緯から紐解いて説明されていますので、こちらでも引用させていただきます。

その前に若干言い訳がましいのですが、この問題のややこしいところは、自分でも気がつかないうちに「任用は労働契約ではない」論にすり替わってしまいがちなところにあります。実をいえば、HRmicsで連載させていただいている「公僕からの反論」でも、ここ2回連続の記事で「公務員の任用は労働契約ではなく行政処分である」と堂々と書いてしまっていますが、この書き方はかなりミスリーディングです。公務員の任用はまぎれもなく労働契約なのですが、行政法上は行政庁が特定個人の権利変動を行う「行政処分」に位置づけることができるという点で、「地方公務員の任用は行政処分である」というところまでは言えるでしょう。しかし、行政処分と労働契約が排他的な関係にあるとする必然性があるわけではなく、「労働契約ではなく行政処分である」は言い過ぎですね。

というわけで、私のような下っ端地方公務員だけではなくてキャリア官僚までが、「任用は労働契約ではなく行政処分である」と考えてしまっている状況について、hamachan先生がぶった斬りにされています。

2 公務員は現在でも労働契約である
 
 上で述べた「戦後制定された実定法」は、現在でもちゃんと六法全書の上に載っている。本誌二〇一〇年一〇月号に掲載した「地方公務員と労働法」で述べたように、一九四七年に制定された労働基準法は、その第一一二条で「この法律及びこの法律に基づいて発する命令は、国、都道府県、市町村その他これに準ずべきものについても適用あるものとする」と規定している。これは、民間労働者のための労働基準法を公務員にも適用するためにわざわざ設けた規定ではない。制定担当者は「本法は当然、国、都道府県その他の公共団体に適用がある訳であるが、反対解釈をされる惧れがあるので念のために本条の規定が設けられた。」と述べている。労働基準法制定時の国会答弁資料では「官吏関係は、労働関係と全面的に異なった身分関係であるとする意見もあるが、この法律の如く働く者としての基本的権利は、官吏たると非官吏たるとに関係なく適用せらるべきものであつて、官吏関係に特有な権力服従関係は、この法律で与へられた基本的権利に付加さるべきものと考へる」と述べていた。戦前のドイツ的官吏身分の思想を、明文で否定した法律である。
 集団的労使関係をめぐる後述の経緯で非現業国家公務員は労働基準法が全面適用除外となったが、非現業地方公務員には現在でも原則として労働基準法が適用されることは周知の通りである(いや、実は必ずしも周知されていないようだが。適用される労働基準法の規定の中には、「第二章 労働契約」も含まれる。第一四条(契約期間の上限)、第二〇条(解雇の予告)も適用されるし、解雇予告の例外たる「日々雇い入れられる者」等もまったくそのまま適用される。労働基準法は、非現業地方公務員が労働契約で就労し、解雇されることを当然の前提として規定しているのである。
 労働基準法のうち適用されない規定は、第二条の労働条件の労使対等決定原則など、集団的労使関係の特性から排除されているものであって、就労関係自体の法的性格論(公法私法二元論)から来るものではない。この点は、全面適用除外となっている国家公務員法でもまったく同じである。周知のごとく、二・一ストをはじめとする過激な官公労働運動に業を煮やしたマッカーサー司令官が、いわゆるマッカーサー書簡において、「雇傭若しくは任命により日本の政府機関若しくはその従属団体に地位を有する者は、何人といえども争議行為若しくは政府運営の能率を阻害する遅延戦術その他の紛争戦術に訴えてはならない。何人といえどもかかる地位を有しながら日本の公衆に対しかかる行動に訴えて、公共の信託を裏切る者は、雇傭せられているが為に有する全ての権利と特権を放棄する者である」と宣言した。これを受けて行われた国家公務員法改正で、(団体交渉権や争議権を否定するのみならず)勢い余って(一部に労使対等決定原則を定める)労働基準法まで全面適用除外にしてしまったのだが、それは少なくともアメリカ側当事者の意識としては、官吏は労働契約ではないからなどという(彼らには想像もつかない)発想ゆえでは全くなかったことは、そのマッカーサー書簡の中に「雇傭せられているが為に有する全ての権利」云々という表現が出てくることからも明らかであろう。
 なお、戦後六〇年以上経つうちに労働行政担当者までが(大先輩の意図に反して)公法私法二元論に疑いを持たなくなったようで、二〇〇七年制定の労働契約法は国家公務員及び地方公務員に適用されていない。通達では「国家公務員及び地方公務員は、任命権者との間に労働契約がないことから、法が適用されないことを確認的に規定したものである」などと述べているが、自らが所管する労働基準法の明文の規定に反する脳内法理によってそれと矛盾する実定法を作ってしまうほどにその病は重いように見える。ちなみに、労働基準法が適用除外されている家事使用人についてすら、労働契約であることに変わりはないからとして、労働契約法は適用されているのである。

非正規公務員問題の原点@『地方公務員月報』12月号(2014年1月 6日 (月)) - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)
※ 以下、強調は引用者による。

まあ、「労働基準法を超える労働条件を認めることはコンプライアンスに反するので、オンブズマンに申し開きが立たない」という上司に囲まれている者としては、この労働行政担当者の思いがひしひしと伝わってきます。全体の奉仕者たる公僕が、労働基準法などという岩盤規制に守られるなんてことが許されるはずはないというのがこの国の民意でしょうからね。

しかし、公僕だから滅私奉公して当然というのは表の理屈で、日本という国自体が滅私奉公を前提とした雇用慣行を構築してきたのは周知の事実ですね。公僕だからといって人ごとだと思っていると、それは民間の雇用慣行にも「役所がやってんだからうちの会社はもっと徹底しないと競争に負けるぞ」とかいいながら取り入れられていく(実際は、親方日の丸の役人だけ身分保障があるのはけしからんという労働者側の要求もあったでしょうけど)わけでして、「他人の職業や待遇について「経営者目線」で批判することは回り回って労働者であるご自身に跳ね返ってくる」という現象は、もうすでに起きていたというべきかもしれません。

ただし、戦前と違ったのは、戦前型システムにおいて公務部門労働力の多数を占めていた私法上の契約による雇員・傭人という枠組が、戦後型システムにおいては全面的に否定されてしまっていたという点であった。戦前の高等官に相当する六級職試験(後の上級試験)、戦前の判任官に相当する五級職試験(後の中級試験)に加え、戦前の雇員に相当する四級職試験(後の初級試験)という身分的枠組が次第に形成されていく中で、公法私法の区別なく全員が公務員というアングロサクソン型システムは、全員が(公法上の)官吏という世界のどこにも存在しないシステムに転化していったのである。

(略)

 以上の話の流れは、ある程度まで民間労働者に適用される労働法と並行している。もちろん、戦前システムで官吏と対比された雇員・傭人が属する民法の雇傭契約も、それに付加する形で終戦直後労働基準法等で規定された労働契約も、ジョブ型雇用を前提とした法制度である。すなわち、労働者の採用とは、職務の欠員補充の方法であって、職務への採用であり、労働者に特定の職務を与えることであって、労働者にある身分を与えることではない・・・という大前提で構築されている。
 ところが、現実の日本社会で慣習的に発展してきた雇用システムにおいては、雇用契約に職務の定めはなく、使用者の命令に従っていかなる職務をも無限定に遂行する義務を負う代わりに、その職務がなくなっても解雇が正当化されず、企業内に配転可能性がある限り雇用を維持することが規範となる。筆者はかかる雇用のあり方をメンバーシップ型と呼んできたが、その源流をたどると、戦前の官吏の無定量の忠誠義務に至るのかも知れない。いずれにしても、実定法の前提と異なる慣習法が社会の全面を覆うようになる中で、紛争処理を迫られた裁判所は現実社会のルールに沿った形で判例法理を確立してきた。それが、整理解雇法理、就業規則の不利益変更法理、配転法理など、日本独特の労働法理である。かかる世界においては、採用とは労働者に「正社員」という身分を与える行為に転化する

「同」

こうしてみると、公務員の雇用関係が法律上行政処分だと言い張ってきた公法私法二元論的な理屈が、民間の雇用慣行にも影響を与えたのは事実でしょう。それによって高度成長期にいいとこ取りできた「メンバーシップ」型の日本型雇用慣行が形成されたものの、オイルショックや円高不況を通じてそれが「岩盤規制」となる素地にもなっていったのだろうと思います。そういえば、公務員の労働基本権は法律で制約されていますが、民間でも労働組合の組織率は下落していく一方でして、民間の労働者の皆さんは自ら労働基本権を放棄されているようにも見受けます。本来の労働組合の表向きの担い手であるはずの社会民主主義的な考え方が根付くことのないこの国では、日本的左派的思想をお持ちの方が「メンバーシップ型」への強い郷愁をもって「会社は安易に首を切らず正規雇用を増やせ!」とか主張するのみならず反政府的な政治闘争に明け暮れて、それに愛想を尽かした普通の労働者が自ら労働組合の組織率を低下させていくという悪循環は、公務員の労働基本権の制約がある限り顧みられることはなさそうですね。そのような観点から、hamachan先生が上記論考の中で「ジョブ型公務員」を提案されている意味を考える必要があるように思います。
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