2013年12月30日 (月) | Edit |
12月はもっとエントリをアップできるかなと思っておりましたが、気がつけば明日で今年も終わってしまいます。ということで、これも以前書き留めておいたものですが、大山さんの『生活保護vs子どもの貧困』で行政の中央と現場の葛藤が描かれていたので備忘録です。

拙ブログでも震災前になりますが、「事件は会議室でも起きているんだ」というタイトルのエントリをアップしておりまして、

大規模かつ中長期的に取り組んでいかなければならない政策分野では、「事件の現場」で起きる事件と同様に、「会議室の現場」で起きる事件についても、それを防ぐ手立てを講じなければなりませんし、万が一事件が起きてしまった場合は適切に対処しなければなりません。そのためにも、「会議室の現場」の体制は強化される必要があります。

もし「会議室の現場」が「事件の現場」と乖離してしまって、適切な政策が決定されない問題があるなら、「事件の現場」が適切に機能しているからこその乖離でしょうから、この場合まずは政策を決定する「会議室の現場」、すなわち霞ヶ関や地方自治体の本庁を強化することが先決です。その上で、個々の「事件の現場」は情報を的確に「会議室の現場」に伝え、「会議室の現場」ではそれらを過不足なく収集し、全体の「事件の現場」と整合性のある政策決定ができる体制を整備しなければなりません。


ということを書いていたところです。震災後も「市町村が、県や国に対し「この点について助けて欲しい」と要望してもらわないと」という旧自治官僚の言葉に落胆したところでして、チホーブンケン教の教義の根強さを痛感したものです。

これとは対照的に、再分配政策は原則として全国一律の基準で運用する必要があります。生活保護の現場での「水際作戦」に対する批判に答える形で2008年に厚労省から自治体への通知が出されましたが、その通知の内容を巡る現場の反応と厚労省のやりとりから、中央と現場のつながりの重要性が読み取れます。

 生活保護法の成立以降、申請時の対応が通知のなかに盛り込まれたのは初めてのことです。
(略)
 ポイントになるのは、①保護申請の意思を確認すること、②申請意思があれば保護申請書を手渡すことの二点です。このルール追加は、現場に大きな衝撃を与えることになります。
 その衝撃の大きさを理解するためには、同時期に出た課長通知を見ていただくのが一番です。若干長くなりますが、引用させていただきます。

[面接相談時における保護の申請意思の確認]
問(第9の1)生活保護の面接相談においては、保護の申請意思はいかなる場合にも確認しなければならないのか。
答 相談者の申請意思は、例えば、多額の預貯金を保有していることが確認されるなど生活保護に該当しないことが明らかな場合や、相談者が要保護者の知人であるなど申請権を有していない場合等を除き確認すべきものである。なお、保護に該当しないことが明らかな場合であっても、申請権を有する者から申請の意思が表明された場合には申請書を交付すること。

[扶養義務者の状況や援助の可能性についての聴取]
問(第9の2)相談段階で扶養義務者の状況や援助の可能性について聴取することは申請権の侵害に当たるか。
答 扶養義務者の状況や援助の可能性について聴取すること自体は申請権の侵害に当たるものではないが、「扶養義務者と相談してからでないと申請を受け付けない」などの対応は申請権の侵害に当たるおそれがある。
 また、相談者に対して扶養が保護の要件であるかのごとく説明を行い、その結果、保護の申請を諦めるようなことがあれば、これも申請権の侵害に当たるおそれがあるので、留意されたい。


 私には、課長通知の問いかけが現場からの悲痛な問いかけに見えました。
 騒然とした会議室のなかで、現場職員が何十人も集まり、厚生労働省の職員を取り囲んでいる様子が目に浮かびました(もちろん、実際に殺気だった会議があったわけではありません)。現場の職員は増え続ける業務にいらだち、疲れています。現れた厚生労働省の担当者に対して、乱暴な口調で問いかけます。
「どんな場合にも、申請意思を確認したら大変なことになるぞ。ほんとうにそれでもいいと思っているのか」
「まず親族に相談するよう助言することも、違法にするつもりか」
 厚生労働省は、その問いかけに、静かに、「それは、してはいけません」と答える。
――これは大変なことになる、と背筋が寒くなりました。
pp.52-54
生活保護 VS 子どもの貧困 (PHP新書)生活保護 VS 子どもの貧困 (PHP新書)
(2013/11/16)
大山典宏

商品詳細を見る


本書では、いわゆる「水際作戦」を人権侵害ととらえる主張を「人権モデル」と呼び、「水際作戦」をより厳格化しようとする主張を「適正化モデル」と呼んでいるのですが、この2008年の通知は当時盛り上がっていた「人権モデル」に対応したものとなっています。しかし、大山さんの前著『生活保護vsワーキングプア』でも繰り返し指摘されていたとおり、生活保護法第4条第1項で「補足性の原理」が規定されておりまして、その法律通りの運用が一部で「水際作戦」として問題視され、日弁連が行政の対応を違法だと主張していた経緯があります。その法律通りの運用を課長通知で変えるということは、現場が法律ではない課長通知を基に実務を行うということを意味するわけで、どちらが違法なのかは単純な問題ではありません。その単純でない問題を自治体の現場に押しつけても地方分権になるわけではないのですが、三位一体の改革で地方に移譲された財源は生活保護費だったわけです。この辺は湯浅誠さんが以前から指摘されていたことでして、本書で大山さんが指摘されているように、適正化モデルと人権モデルの間で揺れ動く再分配制度の脆さをよく示しています。

そのような脆い再分配制度を所管する厚生労働省の担当部局はこんな状況です。

 生活困窮者支援を拡充する道筋は、目新しいものではありません。
 国民にとってわかりやすい成果を提示することで、短期的な評価を獲得する。その評価をもとに財源を確保し、体制の充実を図る。平行して、長期的な評価を得るための指標に開発を急ぎ、分析に耐えうる基礎データの蓄積を図っていく。
 地味で、泥臭く、目に見えにくいものです。黒子の作業といってもいいでしょう。
 しかし、こうした実施の工程表を細部までつくり込み、それを確実に実行していく作業こそが、制度の信頼性を高めるための王道です。
 工程表の作成は、どうしても理想像を追い求めがちです。利用者は不公平がないように幅広く、すべての地域で、全年齢に対応できるほうがいい。あれもこれもといっているうちに内容は肥大化し、現場の実態とはかけ離れたものになりがちです。
 しかも、社会に貧困が広がり、生活保護の利用者が急増するなかで、生活保護や生活困窮者に興味をもつ人は増えています。一人ひとりの要望や批判に耳を傾けるのにも、人的なリソースを割かなければならないのです。
 こうした膨大な調整コストを支払ってでも、すべての人の意見を100パーセント反映することは、現実的にありえません。どこかで「えいやっ」と方針を決め、動き出さなければならない。不満げな関係者に理解を求め、ともに汗をかく仲間を増やしていくためには、高いマネジメント能力が不可欠ですし、もちろん人手も必要です。
 この点で、最優先で体制を充実させなければならないのは、現場ではありません。
 押さえるべきは厚生労働省です。
 現在の厚生労働省では、新しい生活困窮者支援の体制づくりは地域福祉課が、生活保護制度の見直しは保護課がそれぞれ担当しています。
 国会からの問い合わせ、財務省への説明、関係省庁への根回し。こうした霞ヶ関内部の仕事に加え、自治体での取組の進捗状況を管理し、必要とあらばテコ入れをする役割を期待されています。支援団体や当事者から寄せられる苦情や批判、報道機関の取材対応などの外向きの仕事もそこに加わるのです。
 このほか、2013年8月に引き下げられた保護基準に対して多数の審査請求が提起されており、今後、訴訟へと発展していくことが確実視されています。これも、基本的には保護課が対応していかなければなりません。
 こうした諸々の業務の合間をぬうようにして、政策立案のバックボーンとなる各種の審議会を開催し、有識者の意見を聞き、報告書をまとめ、法律の制定に向けて動いていくのです。
 私が現場のケースワーカーをしていたときには、漠然と、「厚生労働省には生活保護の神様のような人が何十人もいて、分厚い政策集団が形成されているのだろう」と考えていました。現場に下りてくる通知や会議資料は相当なボリュームで、とても数人の作業でできるものとは思えなかったからです。
 事実は異なりました。
 厚生労働省の担当課は細分化されており、一つの担当部署の係員は二人か三人くらいしかいません。生活保護に関していえば、指導監督のような人手のいる部署を除き、法令や政策立案、自立支援といった業務を担当するのは、すべてを足しても十数名ほどの体制です。しかも、頻繁に人事異動があり、生活保護の仕事はまったくの初めてという人が、中核的なポジションに座ることも珍しくありません。

実務を担う政策集団への投資の重要性

厚生労働省の担当者一人ひとりを見れば、皆、誠実で、飲み込みが早く、高い事務処理能力をもっています。本書で紹介した資料の多くも、厚生官僚が生活保護制度や新しい生活困窮者支援のしくみを対外的に説明するために、昼夜を分かたず作業を続け、積み上げてきた努力の結晶です。
それでも、適正化モデルからは「ほんとうに生活保護の削減につながるのか」と疑問を投げかけられ、人権モデルからは「利用者の人権を守るつもりがあるのか」と突き上げられる。
大山『同』pp.232-235


これは以前dojinさんと障害者制度の改正議論について議論させていただいた際、

特に当地のように東日本大震災で大きな被害が発生した地域では、その復旧・復興事業が膨大な事務量になっていますが、かといって内陸部は通常通りの生活が営まれているわけで、単純に仕事が純増しています。にもかかわらず、マニフェストという空想の世界で作られたものに掲げられた人員削減は粛々と進められています。その限られた人的・金銭的・時間的リソースしかもたない公務員として、同じような境遇にある厚労省の官僚が利害調整に当たり、国家予算全体の中で共有されるリソースを獲得するために各関係方面に説明やら交渉を繰り返し、しかも「もう待てない」という声に応えようと半年で骨子案として案をまとめて結果を示したところで、その利害調整の過程を踏まえて「これだけの手勢でよくやった」などと褒め称えられることがあるはずもなく、「ゼロ回答ふざけんな」と目の前で散々批判されれば「これ以上できねえよ」といいたくもなるよなあ、と勝手に厚労省の中の人の気持ちを慮ってみたというところです。

2012/04/01(日) 01:02:45 | URL | マシナリ #-[ 編集]


と書いたことでもありますが、これだけの業務量を抱えて多方面とのタフな調整をこなすことを要求されながら、人件費削減のかけ声の下に人員削減が進められた霞ヶ関の典型的な姿でもあります。特に所得再分配分野の人員体制がその政策分野に対する世間的な評価に左右されるという意味では、日本の所得再分配政策の貧弱さを象徴する風景ですね。

このような風景を生み出した大きな勢力がチホーブンケン教の皆さんであることを考えると、旧自治省と厚労省のどちらが自治体における「現場の実情に沿った政策の実現」を考えているのかは一目瞭然ではないかと思います。
スポンサーサイト


コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック