2013年10月21日 (月) | Edit |
激しく周回遅れですが、先日のhamachan先生のご指摘が深遠なものだったので備忘録として。
まあ、なんちゃって法学部生だったチホーコームインとしては、業務の中でそれなりに法律の考え方とかその適用や運用という実務をたたき込まれてきておりまして、普段は経済学チックなことを書いてはいるものの、経済学がご専門の方よりは法律の考え方の理解には比較優位をもっているつもりではあります。そのような分際ではありますが、経済学がご専門の方々の法律や制度に対する無理解、というより理解しようとする意欲のなさについてはつくづくあきれることが多いですね。

今年の4月から月2回のペースで、WEB労政時報の「HR Watcher」というコラムに、溝上さんらとともに連載していますが、今週アップされたのは「解雇規制論議に見る律令法思想と市民法思想」です。

http://www.rosei.jp/readers/hr/article.php?entry_no=118

その最後のところで、主として国家戦略特区WGの八田氏を念頭にこう述べましたが、これは一昨日の朝日の記事の松井氏やその尻馬に乗っている評論家諸氏にも同じように言えることであることは、賢明な読者の皆さんにはよくおわかりのことと思います。

 このように、権利濫用法理の意味が理解できない根源には、この経済学者の法理解の歪みがあるようにも思われる、そもそも、東洋的社会においては、法とはもっぱら律と令、つまり刑法と行政法を指すものであって、国家権力による人民への規制以外の何物でもなかった。それに対して西洋社会における法とはまず何よりも民法であり、大陸系のシビル・ローであれ、英米系のコモン・ローであれ、市民相互間の利害調整の道具として発展してきたものである。

 労働法も民法の特別法であり、使用者と労働者という市民相互間の関係を適切に規律するための国家規制も、究極的には労使間の利害調整をどうすることがもっとも適切かという点に帰着する。国家が一方的に人民に不都合な規制をかけているなどという、東洋専制主義世界と見まがうような法律観で労働法を語るとすれば、それはその論者の脳内の東洋専制主義を示しているに過ぎない。

 労使の利害の調整点を、どこにどのようにシフトさせるのがちょうどいいのか、そういうごく当たり前の発想でこの問題が議論されるようになることを切に願いたい。


実というと、こういう自生的秩序の認識は、あのハイエクが強調していたことなのですが、それがまったく理解できないたぐいの人がその解説書を書けるあたりにガラパゴス日本の所以があるのかも知れません。

まあ、OECDから相手にもされない評論家が、OECDはこう言っているぞ、と居丈高に説教してみせて、無知なマスコミ相手に通用してしまう日本でもあります。

解雇規制論議に見る律令法思想と市民法思想(2013年10月10日 (木))」(hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

というわけで、全文まるまる引用してしまったのですが、以前も「hamachan先生のおっしゃる法学者と経済学者のディシプリンの違いについての指摘は実感として納得することしきり」だったところでして、今回はその起源についても納得することしきりです。利害調整が仕事の公務員にとって、法律とは一方的に国家が規制するものではなくて、当事者間の利害が対立した時の紛争処理方法をあらかじめ定めたものであることは自明のことなのですが、そんな公務員の仕事を理解する気がないだけではなく、法律の役割すら理解してなかった可能性が高いということですね。

「法律の条文が専門的すぎて難解だ」とか「一般市民が判例なんていちいち覚えてられるか」とか「法学部卒の奴らが経済学部卒よりも出世するから経済学を軽んじている」とかいう経済学方面からの表層的な批判はよく聞くところですが、その批判の根っこの部分で法律そのものに対する無理解があるのであれば、「文系の法学部の奴らが経済学的に間違った政策を実施するのは、数学を使う経済学を理解できないからだ」とかいう批判こそが無理解の産物である可能性が高いですね。数覚なるものを駆使される数学科出身の経済学の先生同士の諍いもありましたが、まあこれも、文系・理系が入学段階から厳密に区分されて、経済学そのものを専攻する学部が多数存在する日本の特殊的現象なのかも知れません。

なお、私自身は日本の経済学者の法律に対する無理解に加えて、hamachan先生が座右の書として挙げられていたポランニー『大転換』の記述によれば、経済学での利害関係についての強迫観念が歴史の読み間違えにつながっているようにも思います。当時のエントリから引用すると、

自由主義者が規制として糾弾するさまざまな保護政策というのは、そもそもそうした自己調整的市場システムでは保護されないとしても保護しなければならないものが現に存在し、それを保護することを目的としているものであって、誰が対象者であっても必要とされる規制なわけです。上記でポラニーが指摘しているのは、それが自己調整的市場システムによる経済的利益を阻害していることを主張しようして、結局その証拠を示すことができないときは陰謀論に頼らざるをえないしまうという陥穽ですが、スティグリッツが「ポラニーが適切に論じているように、彼らの見解は歴史の読み違えを象徴している」と指摘する点は、21世紀の現在においても傾聴すべきものと思います。

 ひとたびわれわれが、社会全体の利害でなくただ党派的な利害だけが影響力を発揮しうるという強迫観念から自由となり、またこの強迫観念と対をなしている、人間集団の利害は金銭的な所得に限定されるものであるという偏見から解放されるならば、保護主義的運動がもつ広さと包括性は謎でも何でもなくなる。金銭的な利害は当然のことながらもっぱらそれにかかわる人々によって代表されるが、それ以外の利害はもっと広範な人々に関係する。たとえばそれは、隣人、専門家、消費者、歩行者、通勤者、スポーツ愛好家、旅行者、園芸愛好者、患者、母親、あるいは恋人としての個人に、さまざまな経路を通じて影響を与える。そしてそれらの人々の声は、たとえば教会、市町村、結社、クラブ、労働組合、そしてもっとも一般的には幅広い支持原理に基づく政党のような、ほとんどあらゆるタイプの地域的・機能的組織によって代表されることになる。利害という概念をあまりに狭く解釈すれば、社会史および政治史の姿を歪めることにならざるをえず、利害というものに純粋に金銭的な定義を与えるとすれば、人間にとって死活の重要性をもつ社会的保護の必要性の存在する余地がなくなってしまう社会的保護は、一般に社会(コミュニティ)の全体的な利害を託された人々が担うことになる。近代の文脈においては、これは時の政府が担い手となることを意味する。市場によって脅かされたのは相異なる多様な住民階層の、経済的な利害ではなく、社会的な利害であったというまさしくこの理由から、さまざまな経済階層に属する人々が無意識のうちに、この危険に対処しようとする勢力に加わったのである。
p.280

[新訳]大転換[新訳]大転換
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カール・ポラニー

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※ 強調は引用者による

というポラニーが喝破しているように、「党派的な利害だけが影響力を発揮しうるという強迫観念」と「人間集団の利害は金銭的な所得に限定されるものであるという偏見」に囚われた経済学者が、法律の利害調整という役割に気がつくことはないのでしょう。実は、法律の勉強なんてのはそれほど専門的である必要はなくて(もちろん民法の公序良俗とか信義則のような基本原理はきちんと勉強する必要がありますが)、法律の制定に至った歴史的な経緯を踏まえれば、「国家が一方的に人民に不都合な規制をかけているなどという、東洋専制主義世界と見まがうような法律観」に囚われることはありません。つまりは、法律を専門的に勉強しないから法律を理解できないということではなく、社会の成り立ちについて少しでも関心があれば、とんちんかんな法律論を振りかざすような恥ずかしい事態に陥ることはないはずです。いやまあ、社会科学というのはそこがスタートだろうと思うのですが、特に経済学方面ではなかなかそういう議論は聞かれないところでして、今回の雇用特区なるものは、その実態をあぶり出した貴重な経験だったのではないかと思うところです。

ついでにいえば、「hamachan先生のおっしゃる法学者と経済学者のディシプリンの違いについての指摘は実感として納得することしきり」のエントリのリンク先で、hamachan先生に「このWEDGE大竹論文にもまさにその悪しき傾向が濃厚に見られています」と指摘されていた大竹先生も、この4月に改正された労働契約法についてとんちんかんな批判をされていますね。

大学には、新規の教員の多くを、5年から7年程度の任期付きで雇用し、適性があれば、無期労働契約に変更するというテニュアトラック制度を取っているところも多い。5年程度の研究教育実績でじっくり適性を判断するのである。しかし、改正労働契約法の下で、本人の就職活動の余裕を持たせるためには、3年程度で適性を判断する必要がある。若手研究者は短期的に成果が出る研究に集中するはずだ。日本の研究・教育のレベル低下を防ぐには、労働契約法の再改正が大至急必要だ。

研究レベルを低下させる労働契約法(2013年10月17日 (木))」(大竹文雄のブログ

ええと、今回の労働契約法の改正は、同一の使用者との間で、有期労働契約が通算で5年を超えて繰り返し更新された場合は、労働者の申込みにより無期労働契約に転換するものなので、今年の4月1日以降に5年の有期労働契約を締結していれば、5年後はまだ無期労働契約に転換しませんけど。5年の有期労働契約を1回以上更新していれば話は別ですが、詳しくは厚労省のパンフレット4ページの一番下の図をご覧ください。
労働契約法改正のあらまし【全体版】[10,193KB]

つまり、5年の有期労働契約を1回以上更新(または通算で5年以上にわたって更新)した場合に、労働者の申込みによって無期労働契約に転換するのであって、5年過ぎればいきなり無期労働契約なんて単純な法律ではありません。そもそも、hamachan先生も指摘されている通り、現行の労基法14条で一定の事業の完了に必要な期間を定めるものはその期間の有期労働契約を締結できるとしているわけで、「若手研究者は短期的に成果が出る研究に集中するはずだ」とおっしゃるのであれば、必要な期間を定めればいいだけのことでしょう。更新の結果として無期雇用契約へ転換した場合であっても、民法上の無期雇用契約は2週間前の予告があれば労使どちらからでも契約解除できるわけで、それこそが日本の実定法がジョブ型を前提としている証拠でもあります。それを実定法通りに運用できるようにしましょうという改正であることを理解せずに、「無期雇用契約は解雇ができない」という実定法ではない日本型雇用慣行にどっぷり浸かりながら批判するから、話がこじれていくわけで。

ただし、大竹先生が意図的に混同されているのか不明ですが、これを「5年程度の研究教育実績でじっくり適性を判断する」として、試用期間のような位置づけとするのは問題がありますね。テニュアトラック制度だろうがなんだろうが、長すぎる試用期間は通常の有期労働契約と同等に位置づけられるものであって、雇用期間途中での契約解除(解雇)は無期労働契約のそれよりも要件は厳しくなります。さらに、労働基準法施行規則の改正により、契約期間とともに「期間の定めのある労働契約を更新する場合の基準」も書面の交付によって明示しなければならない事項となりました。有期労働契約については、それをテニュアトラック制度と呼ぼうが呼ぶまいが、更新の基準についてあらかじめ書面で明示することが義務とされたわけです。基準が明確かどうかという問題はあるにしても、雇用される研究者にとっては予見可能性が高まったと評価すべきことなのではないでしょうかね。

この辺の混同も、法律についての無理解が原因なのかも知れません。ポランニーの言葉を借りれば「人間の意思と希望だけで形成された社会を想定することは幻想であった。ところがこれが、経済を契約的関係と、そして契約的関係を自由と同一視した市場的な社会観の結果であった」というところでしょうか。
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