2013年09月01日 (日) | Edit |
これは今日中に書いておかなければならないので、簡単にメモ書き。

被災地が舞台となった「あまちゃん」は、始まって1か月くらいは「アキの職業選択やこれから描かれる震災も含めて、久しぶりに見逃せない朝ドラ」でしたが、ドラマも残り1か月となってアキは映画の主演デビューを果たすまでのアイドルとなってしまいました。そして明日からは、そのデビュー目前で発生した震災が描かれるとのことで、残り1か月のドラマの展開についてはいろいろな憶測が飛び交っているようです。

正直なところ、沿岸から離れた内陸部にいる私ですら震災について思い起こすのは精神的に辛いものがあります。思えばこれまでに「潮騒のメモリー」の歌詞とか大吉さんのディーゼル車に対する思い入れとか、いろいろな伏線が描かれていますので、これまで楽しませてくれたクドカンを信じて明日からの展開を直視していきたいと思います。

(追記)
先週一週間は残業続きもあって週末にまとめて見てみましたが、震災で被災された当事者ではなくその傍観者(言葉が適切ではないかもしれませんが)の視点で震災が表現されていて、震災後の状況はほとんど描かれていませんでした。そのことでホッとした一面もありますが、私も被災地に隣接する内陸部で何も状況が分からないまま、復旧や復興という言葉の意味もよくわからないまま過ごしていた震災後の気持ちを思いだして複雑な気分になりました。ネットではこちらのエントリが適切に指摘されていると思います。

そして、こういった一連の非日常を日常に戻そうとクールになっている登場人物の描写は、一瞬コケティッシュに見えて、その実、視聴者に生々しい記憶を再現させる。つまり、あのとき、あなたの精神状態はどうだったのか?という「問いかけ」だ。ひたすら自らを日常に引き戻そうとしてはいなかっただろうか?そして、そういった精神の混乱をまざまざと再現する演出がこの133話だ。つまり僕らはこの映像の中からメディア的に使い古されたホットな震災を見るのではなく、描かれた「日常の中の非日常」を見ることによって、かえって自分があの時どうしていたのか、どういう精神状態になったのかについて想いをめぐらさせられることになる。そう、今度は視聴者の方がクールになって情報を補填し始める。小野寺家族のネットでの安否確認、電話は繋がらずメールが繋がったという状況は、そういったあの時の精神状態に視聴者を引き戻す小ネタだ。ようするに、この演出は、「作品」とこれを見ている「視聴者」が共同作業であの日、あの時のことを再現するような(しかも視聴者それぞれがそれぞれの経験に基づいて)仕組みになっているのだ。

あまちゃん133話、クドカンの震災表現は秀逸(2013/9/3(火) 午後 1:27)」(勝手にメディア社会論

拙ブログの震災直後のエントリを見ても「生活水準」を取り戻すというようなことを何度も繰り返していました。もう少しで2年半が経過する被災地では、すでに「非日常が日常」となっていて、「日常を取り戻す」というのは、半年を過ぎたころには元に戻ることはできないことが分かっていての「あがき」だったのかもしれません。これから「元に戻らない」あまちゃんの姿を楽しみに見ていきたいと思います。
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