2013年08月15日 (木) | Edit |
お盆の時期に終戦記念日があることもあって、メディアではやたらと第二次世界大戦関連の番組や記事が増える時期でもあるのですが、先の大戦については現在でも軍部の独走とかそれに対する国民の支持があったとかいろいろな論争が続いているようです。その中で経済政策については、昭和恐慌の際に高橋是清が中心となって進めた時局匡救事業(wiki:時局匡救事業)とそれを(結果的に)ファイナンスした金融緩和によって、事業終了後も軍事費の増大に歯止めがかからなくなったという説もあるようです。

ということで、この機会にhamachan先生が「ちくま新書は玉石混淆ですが、これはもっとも読むに値する名著です」とおっしゃっていて、その当時目から鱗を落としながら読んだ坂野『昭和史の決定的瞬間』をパラパラと読み返してみました。戦争への道というのは、上記のような単純な勢力争いとか経済政策の帰結ではなかったわけで、戦争に反対すると思われがちな左派政党が、国防体制の整備と同時に国民の生活を重視する「広義国防論」によって昭和9年の「陸軍パンフレット」に賛同するというねじれから、二.二六事件で国民に広まった戦争への恐怖が、その直前(昭和11年2月20日)の総選挙で躍進した社会大衆党の「広義国防論」への支持を集めていきます。

 しかし、林鉄十郎内閣には、財界から二人の重要人物(結城豊太郎と池田成彬)が蔵相と日銀総裁に就任し、外相にはハト派として知られた佐藤尚武が就任した。さらに政友、民政両既成政党は、予想外に穏健な林内閣との対立を避け、予算案を丸ごと承認した。戦争とファッショの影が薄れると同時に、国内改革も忘れられたのである。
 そのような状況下では、「広義国防論」の与える印象が大きく変わってきた。人々はこのスローガンの中に、戦争とファシズムではなく、中下層民の政治的発言力の増大と生活擁護の方を感じ取り始めたのである。
p.157

昭和史の決定的瞬間 (ちくま新書)昭和史の決定的瞬間 (ちくま新書)
(2004/02/06)
坂野 潤治

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※ 以下、強調は引用者による。

この当時の生活の状況について、女性活動家の山川菊栄の一文が引用されます。

「「これ以上私たちから税を取るといった処で何が取れるでしょう。(略)……「家庭を守れ」とは女達に向かっていわれるお役人の忠告の随一である。けれども、大衆課税や高物価は、女たちの生命がけの防禦を苦もなく蹴散らして、片隅から家庭を破壊して行く。……肉が高ければコマ切れを買え、魚が高ければアラを食えと博士や栄養学者はいう。……こういうものが安いことは、中産以下の細君が誰よりも早く知り、誰よりも早く利用している。……需要者が激増した結果、近年はその値が上がって、比較的安くもなくなってきている。」
坂野『同』p.158

大衆課税と高物価を同列に論じているあたりで、一部のリフレ派と呼ばれる方々からは「経済学の教科書も理解していないヴォケが」という罵声が聞こえてきそうですが、まあ1930年代の生活の実感としては十分に理解できる記述です。

その林内閣はわずか4か月で退陣し、昭和12年4月に総選挙が行われることとなりますが、そのような生活を実感している中下層に支持を訴えた社会大衆党の選挙スローガンについて、坂野先生はこのように引用されます。

 山川菊栄の一文を念頭に置くと、社会大衆党が選挙運動中に公表した選挙スローガンの意味がよくわかってくる。それは次のようなものであった。

「選挙スローガン
一、まず国内改革の断行!
一、国民生活の安定!
一、広義国防か狭義国防か!
一、政民連合か社会大衆党か!
一、議会革新の一票は社会大衆党へ!
一、大衆増税絶対反対!
一、勤労議会政治の建設!
一、国民外交の確立!」(内務省警保局『社会運動の状況・昭和12年』)


「選挙スローガン」などは単に美辞麗句を羅列したものにすぎないと思われがちであるが、政治が大きな岐路にさしかかっているときには、各陣営とも意外に率直に自ら信ずる方向を国民に訴えるものである。そういう岐路においては、今日流行の「マニフェスト」はおのずから明示されるのである。すでにたびたび指摘してきたように、この時の日本の岐路は、「反ファシズム」か「改革」かにあり、「反ファシズム」の側には社会の上層が(財界と二大既成政党支持者)、「改革」の側には社会の中下層が支持を与えていた
 そして、大規模な軍拡を目指す陸軍内部にも、それを社会上層の「反ファッショ勢力」と結んで実現するか、ようやく議会にも勢力を増大しようとしていた社会の中下層の「改革」勢力と組んで行おうとするかの、二つの勢力があった。この二つの方向を理解すれば、ここに紹介した社会大衆党の選挙スローガンが、後者の途を率直に提示していたことがわかるであろう。
 社大党にとって第一に重要なのは対外政策ではなく「国内改革」であり、「国民生活の安定」だった。そしてそれを実現するためには、「反ファッショ」と軍拡を結びつけた「狭義国防」ではなく、「改革」と軍拡を組み合わせた「広義国防」路線が必要であり、それを政党界で実現するのは、既成の二大政党が結びついた「政民連合」ではなく、「改革」をめざす社会大衆党だったのである。
坂野『同』pp.159-160

いわゆる中下層の方の支持を得ようとする政党は、いつの時代も変わらず「増税反対」と「改革」を唱えるようですが、裏返していえば、中下層の方は自らの境遇に満足しない限り「増税反対」と「改革」に期待するものと考えるべきかもしれません。結局、社会大衆党は昭和12年4月の総選挙で議席数を20から36へと倍近く伸ばし、その躍進の要因について、特高警察が「国民の政策批判力の増進」を挙げたとのこと。「政策批判力」というのは今でいう「熟議」とかになりそうですが、まあ「熟議」の結末がどうなるかを示唆するものともいえそうです。

ただし、坂野先生はこれを後知恵で解釈することにも留保をつけています。

 特高警察がここまで評価した社大党の躍進は、素直に考えれば、敗戦直後の日本社会党の躍進の歴史的基盤(日本における社会民主主義の伝統)として、もっと注目を浴びてもよいものだったと思われる。しかし、そのわずか2ヶ月後に日中戦争が勃発したために、同党の「広義国防論」は「総力戦思想」の一翼と理解され、同党の躍進は「社会民主主義勢力」の躍進としてではなく、「国家社会主義」すなわち「ファシズム」の勢力増大とみなされてきた
 しかし、歴史を「結果」から後知恵的に解釈すると、国民的支持をある程度得るのに成功した勢力は、すべて戦争協力者として糾弾されかねない。反対に、左翼的言動に陶酔して国民的支持の獲得に失敗し、逮捕され投獄された人々のみが英雄視されることとなる。4月30日の総選挙で40万近い東京市民の支持を得た鈴木文治ではなく、わずか2万票しか得られなかった鈴木茂三郎の方が、同年12月に「人民戦線事件」で逮捕されたがゆえに、高い歴史的評価を受けてきたのである。
坂野『同』p.173

本来ソーシャルであった革新勢力が、そのソーシャルな政策の実現手段を「広義国防論」に求め、そのときセットにされた政策が戦争への道を開いていったというのは、現在の日本から見ても重要な示唆を与えるものではないかを思われます。ある政策にトッププライオリティを置くことを左右問わずに求め続け、そのトッププライオリティさえ実現されればその政策とセットになっている政策は問わないという主張については、私もちょうど一年前のこの時期に「リフレーション政策の目的に応じて、それとセットとなるミクロの経済政策が決まってくるわけで、目的が違っても「リフレーション政策支持という方法論の一致をもって共闘できる」という主張が無内容である」と書いたところでして、そのような主張とセットになっている政策には十分に注意しなければならないと考えております。

その意味で、hamachan先生が指摘されるこの点は、今進められているアベノミクスの行方とこの秋にも判断が下されるという消費増税の行方を見守る上でも重要なポイントだろうと思います。

戦前の日本が過剰にリベラルだったから、それに対するソーシャルな対抗運動が「革新派」として拡大していったからなんでね。まさに、ポランニーの云う「社会の自己防衛運動」。戦前の二大政党制の下では、本来そっちを取り込むべき立場にあった民政党は、確かに社会政策を重視し、労働組合法の制定に努力したりしたけれども、同時に古典派経済学の教義に忠実に従うあまりに金解禁を断行し、多くの労働者農民を不況の苦痛に曝すことを敢えて行うほどリベラルでありすぎたわけで。どっちにも期待できない労働者たちは国家主義運動に期待を寄せるしかなくなったわけで。

超リベサヨなブッシュ大統領(2007年8月24日 (金))」(hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

経済学の教義に忠実なあまり増税忌避という思考停止に陥ることは十分にあり得ることでしょう。そのとき「増税反対」と「改革」を主張する勢力が、「付加価値税が生み出す恩恵−−無料の診療、高等教育、公共交通費や住宅取得の補助など−−をもっとも受けるのは、それらを払えない貧しい人たち」の期待を取り込んでいく様子が見られるのかも知れません。
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