2013年08月11日 (日) | Edit |
今日で震災から29か月が経過しました。先日も当地で大規模な水害が発生していて、東日本大震災だけが特別ではないという状況になっているように感じます。実際、国でも毎年一定程度の災害が発生する中で、震災にばかりリソースをつぎ込むわけにはいかなくなっているのでしょう。復興事業として予算をつけたものはさっさと終わらせて次の災害に対応しなければならないという事情も理解できます。しかし、震災直後に「できるだけ速やかに復旧・復興する」との名目でつけられた予算が、2年以上経過した現在でも同様に位置付けられるものかは、冷静に見直す必要があるかもしれません。

というのは、いよいよ復旧・復興事業が本格化するこの時期になって、津波被害対策の主要事業である防潮堤の建設に対して、住民から次々と反対の声があがっているからです。

(耕論)防潮堤から見える風景 大棒秀一さん、田中克さん(朝日新聞デジタル 2013年7月30日)

 まるで要塞(ようさい)のような巨大防潮堤の建設工事が、津波に襲われた東北沿岸の各地で始まっている。しかし、海とともに生きる人々には抵抗感も根強い。それでも進む巨大プロジェクトで何が得られ、何を失うのか。これでいいのか。

web版ではリードしか掲載されていませんので、紙面のほうから引用します。まずは、防潮堤の計画作りに参画しようとしてうまくいかなかったNPO「立ち上がるぞ! 宮古市田老」理事長・大棒秀一さんの発言です。

 震災から4カ月後、仮設住宅の集会所で街づくりのNPOを立ち上げました。防災学者や北海道奥尻町の元町長を呼んで勉強会をしたり、お盆には追悼行事を開いたり。何百人もの人が集まり、「さすがは田老」と言われました。市の田老地区復興まちづくり検討会にも代表2人が参加しました。
 でもうまくいかなかった。防潮堤の位置の変更や国道の移設などを提案したが、それは県や国の業務で、市が口を挟めることではないという。僕らも力不足でした。「防潮堤より高台移転だ」などと住民側で意見を統一して、ぶつけることができませんでした。議論するうちに、制度の難しさを知るばかりでした。そのうちに住民が自分の生活再建を優先させ、地域にほころびが広がっているというのが現状です。NPOも解散論まで出ました。こんなはずじゃなかった。

※ 以下、強調は引用者による。

一度決まってしまった事業の中止が難しいというのは古来行政に対する批判としてありましたが、その理由が今回の防潮堤設置の経緯から伺い知ることができます。事業中止を困難にしているのは、他ならないその当時の「民意」だからですね。震災直後の民主党政権は、「震災前の町を取り戻して二度と震災の被害を繰り返さない」という目的のため、再び津波が来ても防げる程度の防潮堤を作ることとかさ上げすることを最優先に掲げました。しかし、それが実際に設置される段階になって、海が見えなくなって観光にマイナスだとか、かえって海が見えないので避難が遅れるという批判がわき起こっているのが現状ではないかと思います。手続き上は、事業決定の時点では国の大方針が示されて、各地域ではそれに沿った事業計画が立てられることになります。それが、事後に事業を変更することを難しくしているのだろうと思います。

実際、震災前は世界最大と言われた田老地区の防潮堤は、地元の意向によって作られました。大棒さんによると、

 地域の山側には、小学校や中学校、市総合事務所(旧町役場)、周辺の家が一部浸水しながら残りました。これらを守るためにも防潮堤がいる、といいます。僕らは全面移転も主張しましたが、被害を受けていない施設の移転は、国の補助対象外なんだそうです。個々の計画には理屈があり、制度の谷間で行政マンが苦労していることも分かっているのですが、結果的に住民を勇気づける計画になっていない。残念です

 昭和津波の時、国や県が高台移転を勧めたのに、当時の田老村長は「漁師が高台に住めるか」と拒否。村費で防潮堤建設に着手した。その後、知事が折れて県工事になり、40年がかりで延長2・4キロの「万里の長城」ができました。国や県と戦って地域を再建したのです。逃げやすいよう住民が土地を出し合い、碁盤の目のように道路も整備してあります。

という形で、漁師の生活を優先するために国や県と戦って地元の意向を通したわけです。今回はそれが全く逆の形で進んでいるわけで、事業計画の難しさが如実に現れているといえましょう。

その一方で、気仙沼では防潮堤を作らないという判断に至った場所もあるとのことで、こちらはNPO法人「森は海の恋人」理事・田中克さんの発言です。

 「防潮堤はいらない」と決めた地区が、宮城県気仙沼市にあります。カキ漁師らの植林運動で知られるNPO法人「森は海の恋人」が拠点とする舞根(もうね)地区です。
 もともと防潮堤はなく、今回も津波で52軒のうち44軒が流されました。それでも、ここに残ると決めた36軒の皆さんが、高さ10メートル近い防潮堤なんて「いらない」と決めたのです。それは「海とともに生きていく」という宣言ともいえます。何より海が見えなくなる。景色が台無しになる。心地よい風も奪われてしまう。一致して近くの高台に移転することを決め、市も住民の意思を受け入れて、防潮堤計画は撤回されました。

こちらではもともと防潮堤がなかったことが「防潮堤はいらない」という地元の意思統一につながったものと思われます。そのような意思決定をした方からすると、田老地区の方が「制度の谷間で行政マンが苦労していることも分かっている」とおっしゃるのは生ぬるいと言わんばかりに、一方的に行政を批判します。

 県はトップダウンで、一律の計画を押しつけようとしています。予算を武器に「言うとおりつくれ」と脅す格好です。議論を尽くさず、合意も得られぬまま拙速に進めては、人と人、人と自然、自然と自然、すべてのつながりが断ち切られてしまいかねません。そうなってでも防潮堤で守る命とは、いったい何なのか。
 地域ごとに、地形も暮らしも条件は様々。それぞれに、ふさわしい防潮堤があるはずです。がれきを埋め立てた小山の上に、様々な樹木を植える「森の防潮堤」という選択肢もある。不要という判断もあるかもしれません。地元住民の意思を踏まえ、市町村自らが決める仕組みにすべきなのです。

地元の意思統一に成功して事業計画の変更を成し遂げた方からすれば、ほかの地域では国や県が一方的に計画を押しつけているというように感じるのも仕方ないかもしれません。しかし、当事者が語るように「僕らも力不足でした。「防潮堤より高台移転だ」などと住民側で意見を統一して、ぶつけることができませんでした」という側面もあるのが現実ではないかと思います。

いずれにしても、この事業についていちばん悩んでいるのが地元で被災し、これからもそこで暮らしていこうと考えている方々です。

多分多くの人が、次のような感情になっていると思います。

巨大防潮堤までの高さは必要ない。
でも今さらひっくりかえしたら、復興が遅れる。
意見を統一する事は出来ないのでは、
ひっくり返す事は出来ないのでは、

と。
 
 地元に住み、そこで懸命に生きる人間は、思ったほど多くの情報を探す余裕や、取り入れる余裕がありません。
 働き盛りの世代は特に。。。。
 声の出し方、届け方もわかりません。
 でも、この巨大防潮堤の件は絶対再考しなければいけないと思います。

防潮堤について思う事。。。(2013年07月20日)」(釜石復興支援応援サイト 管理人ブログ

役所の人間であっても自分の思うとおりに事業が進むわけではない(当然ですが)ですし、ましてや普段行政に関わっていない方にとっては、「住民の意思統一」なんてものは普段考えていなかったことではないかと思います。震災後に自分の生活を取り戻すだけではなく、地域のことも他人と意思統一しなければならないという大きな負担が、地元の方々に重くのしかかっているのが実態ではないでしょうか。

そういえば、朝日新聞の記事で発言されている大棒さんは地元の方ですが、気仙沼について語っている田中さんは地元の方ではありませんね。威勢のいい行政批判がどのような文脈で生まれるのかという事例としても、朝日新聞の記事は興味深いサンプルだと思います。
スポンサーサイト


コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック