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2013年08月11日 (日) | Edit |
別エントリのコメントで先取りして書いておりましたが、hahnela03さんが取り上げていらっしゃった本を読んでみました。確かにAmazonの内容紹介で「枝廣淳子氏(環境ジャーナリスト、幸せ経済社会研究所所長)絶賛!」とか「平川克美氏(株式会社リナックスカフェ代表取締役)推奨! 」とか書かれてますし、著者の一人であるデイヴィッド・K・バトカーはあのグリーンピースのエコノミストでもあったそうですので、ある種の心構えが必要な部分はありますが、おおよその内容はまっとうなものだと思います。まあ、環境とか幸福という「尺度」についてこれが絶対という基準がない中では、環境とか幸福を重視した経済政策の必要性は本書で指摘されるとおりだとしても、実際の政策としては結局その基準をめぐって深刻な対立が起きるだろうなというのが正直な感想です。

実は、私が本書で面白いと思ったのは、アメリカの労働者の実態として示される労働環境があまりにも日本と似かよっているところでした。employment at willなアメリカでは、解雇自由な代わりに、勤務時間が終われば仕事の途中でもさっさと帰ってしまうとか、残業するのは一部のエグゼンプションだけだとか、ジョブ型の雇用慣行が定着しているという印象があるのですが、どうやらそうでもないようです。

オランダが一歩先んじている

 ジョンは数年前、アムステルダム大学の教授から、教授があるアメリカ企業のオランダ支社のマネージャーと交わした会話のことを聞いた。そのマネージャーはオランダにやってきてまだ2年だった。
教授:オランダとアメリカで、人々の勤務時間や自由時間に対する考え方が違うことに気付かれましたか。
マネージャー:ええ。仕事を始めて2週間目にもう分かりましたよ。金曜日の夜8時ころでしたが、翌月曜日の重要な出荷の指令が入ったんです。私は早速アシスタントの家に電話をし、何人かの従業員に連絡を取って、週末の間に出荷の準備を整えるように言いました。
教授:ほう。それで彼女はなんと。
マネージャー:「申し訳ありませんが、私は週末には仕事をしません。それに勤務時間以外に、自宅に仕事の電話をしていただきたくありません」と言いました。
教授:あなたはなんと答えました?
マネージャー:「それは失礼。しかしここの新しい責任者は私だ。うちの社はグローバル経済の中で競争している。この重要な出荷は何としてもこなさなければならない。従業員はチームプレーヤーとして働いてもらいたい」すると彼女は、「わかりました。ただ、お伝えしておくことがあります。オランダの法律は、予定外の週末勤務に対して2倍の賃金を払うように定めています。今私はお金が入り用だし、特に他に用事もありませんから、仕事することは可能です。でも他の人たちに電話をしたら、みんなはスポーツの楽しみや家族の時間を邪魔されたと言って、私に対して腹を立てます。ご心配はいりませんよ。私たちは月曜に出勤して頑張って仕事をします。ちゃんと間に合いますから」。
教授:なるほど。それであなたはどうしました。
マネージャー:私はむしゃくしゃして「そんなら、もういい!」と言って電話を切りました。そして週末中不愉快でした。
教授:そして結局どうなったんです?
マネージャー:月曜日に出社した従業員たちが仕事をやり遂げました。彼らは働く時は本当によく働くんです。それで結局、何も問題はありませんでした。それからずっとそういう調子です。実を言えば、私もこのやり方が気に入ってきました。私自身も、充実した暮らし方ができるようになりましたから。
第6章


経済成長って、本当に必要なの?経済成長って、本当に必要なの?
(2013/05/10)
ジョン・デ・グラーフ、デイヴィッド・K・バトカー 他

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※ 以下、強調は引用者による。

グローバル経済を持ち出してチームプレーを根拠に休日出勤を指示するというのはアメリカに進出した日本企業にありそうなエピソードですが、休日出勤を指示したのがアメリカ企業の社員で、それを拒んだのがオランダ人労働者だったというのはちょっと意外でした。この本ではこのほかにも、アメリカ人の(エグゼンプションではない)普通の労働者が時間に追われていることが何度も指摘されています。その比較として北欧をはじめとするヨーロッパの労働時間やその規制がいかに有効かという例が挙げられるのですが、その中に日本が混じっているのが何とも違和感がありますね。

その北欧をはじめとするヨーロッパとの比較では、様々な税目についてアメリカに特徴的なとらえ方があげられています。その中で付加価値税(VAT)についても記述があるのですが、今の日本にも参考になる議論だと思います。

付加価値税(VAT)
ヨーロッパの税制では、付加価値税が重要な役割を果たす。これは売上税と似ていて、ヨーロッパの国内で何かを買うと、価格にはこの税金がすでに含まれている。たとえば、車を作るために使われる原材料や機械にかかる。車が製造者からディーラーの手に渡った時点で車そのものにかかる。それから最終的に消費者が買った時にもかかる。こういう税金から逃れることは非常に難しいので、確実に税金を徴収することができる。この税金は必需品に低く、ぜいたく品に高くかけられることもある。経済学者のトマス・フランクはこれを「累進消費税」と呼ぶ。われわれは必ずしもこの付加価値税の有用性に賛成してはいない。売上税同様に「逆累進的」であり、貧しい人たちにより重くかかるからというのがデーブの意見だ。ジョンはその点では同意見だが「消費を行う人全員が社会投資に貢献する」というプラスの目標にはかなっているように思う。というのは、この付加価値税が生み出す恩恵−−無料の診療、高等教育、公共交通費や住宅取得の補助など−−をもっとも受けるのは、それらを払えない貧しい人たちだからだ。

グラーフ、バトカー『同』第7章

税金を誰からどのくらいとるかということと同じくらい、その税金を誰のためにどれだけ使うかということが重要なわけでして、税金を取られるという側面だけに着目した議論の問題点を的確に突いていますね。別エントリで低学歴な世界について書きましたが、当地のような片田舎では低学歴な世界が再生産されているわけでして、低学歴な若者は低廉な労働力として消費される実態があります。誰に対して税金を使うかという点でもヨーロッパは参考になることが多いです。

キャパシティ(人が持つ能力)を開発する

 西欧諸国が行っている大規模な所得の再配分とは、単に「ウェルフェア(社会福祉)」を行うことではない。スティーブン・ヒルのいう「ワークフェア(勤労福祉)」に資金が使われている。これは、より能力の高い労働力を育てるもので、一般労働者に能力を発揮させる機会と保障を与えて、成功をつかめるようにするプログラムである。労働者の子どもたちの教育や成長を支援したり、労働者に芸術面の創造性を発揮させる機会を与えたりもする。これらはみな、将来の労働力への「投資」なのである
 富を適切に再配分することの「主な目的」は、アマルティア・センがいう、人々の「キャパシティ」を掘り起こして、誰もが本来の資質を存分に生かせるように機会を提供することである。たとえば、質のよい低コストの保育を提供することは、子どもたちによいスタートを切らせるだけでなく、母親たちが外に出て世の中に貢献できるようになる。

グラーフ、バトカー『同』第8章

この状況は、連邦制のアメリカ内部でもあるようで、共和党支持の「赤い州」と民主党支持の「青い州」での格差があるとのこと。

 元メイン州社会福祉省の長官で「ホームランド・インセキュリティ」の主筆者であるマイケル・R・プティはこう言っている。

「重大なことは、子どもが住む場所が、その子の生存や繁栄を消える一大要因になりかねないということだ。なぜそんなことが起こるのか、その理由は謎でも何でもない。『青い州』では税金がかなり高く設定されており、より多くの子どもやその家族に、健康管理、社会保障、教育などのプログラムを提供できる。一方『赤い州」では何世代にもわたって、反政府、反税金のイデオロギーが深く浸透している。そのために、子どもの健康や家族の安定といったニーズに反する方向に進んでいくことになる


「青い州」はまた、貧富の格差が最も小さい(この話題に関しては第7章で再び触れる)。ユタ州とダコタ州は赤い州だが、例外的に平等主義である。これらの州では、人々の寿命、教育レベル、暴力犯罪の少なさなど、主要な「生活の質」の指標でも高いランクを示していて、西欧の成功例に匹敵するか、時に上回るほどのレベルにある。

グラーフ、バトカー『同』第5章

ドラマの中の話ではありますが、共和党支持のニュースアンカーが、ティーパーティーが共和党を名乗ることを「政府に対する憎悪」という点で批判したりはするものの、やはり共和党支持の「赤い州」では「反政府、反税金のイデオロギーが深く浸透している。そのために、子どもの健康や家族の安定といったニーズに反する方向に進んでいく」という事態が進んでいるようです。

労働環境を見るとアメリカが日本の後追いをしているようにも見えますが、所得再分配の視点を欠いたアベノミクスがもてはやされる昨今の日本を見ていると、日本もアメリカ化しているように思うところもあります。著者の一人のグラーフが大学で講演したときの学生とのやりとりは、ネット界隈の一部のリフレ派と呼ばれる方々にも共通していそうなので、備忘録として引用しておきます。

…ジョンがジョージア工科大学で講演をした時に、一人の保守派の学生から異議を唱えられたのだが、その学生の短い言葉に、ランド(引用注:アメリカに移住したロシア作家で、その小説の主人公ジョン・ゴールトのような能力のある者に税が課せられるべきではないと主張している)の価値観が凝縮されているように思った。学生はこう言った。「つまり先生の意見は、生産的な人から金を取り上げて、非生産的な人間にやるということですか」言いかえれば学生は、ジョン・ゴールトから金を取り上げて、どこかのなまけ者にくれてやるのかと言いたいわけだ。
 こういう質問に対するわれわれの答は次のようなものだ。

 つまりこういうことかい。君の食べるものを農場で育てて収穫して、それを店まで運搬してくれる人たち、君の歩く歩道を掃除して、ゴミを集め、君が汚物の中で暮らさないようにしてくれる人たち、君が親になった時に子どもを教えてくれる人たち、君のいう「生産的なビジネス」を君がやっている間、子どもの世話をしてくれる人たち、君が運転する車やそのほかいろいろ、君が使う製品を作ってくれる人たち、つまり君が生活のすべてで世話になっている人たち。この人たちの実質賃金は、ジョン・ゴールトのような人間ばかりひいきする政策のおかげで、これまで一世代の間ほとんど上がらなかった。こういう人たちが、「ゴールトのおかげでなんとか生きている非生産的な人たち」だというのか。
(略)
 そういう「生産的な人間」に税金をかけて、君の考える「非生産的な人間」がほんの少し生活の安定を図れるようにすることが、君は納得できないという。そもそも前者を非生産的で、後者を生産的とすることには、何の正当な根拠もない。実際には逆だ。君は後者がたまたま市場でより多く金を稼ぐというだけの理由で、生産的と決めつけているにすぎない。われわれは、労働を通して人々の生活に役立っている人たちにもっと報いるのが、道徳的に正しい世の中であると信じている。したがって所得の平等性をより高めることが当然だと思う。実際、今の経済の所得配分は倫理に反するものだ。

(略)
この主張の問題点はまず、人は誰ひとり完全に自立して生きていけないというこだ。ウォーレン・バフェットも、自分がもしバングラディシュに生まれていたら、億万長者にはなっていなかっただろうと言っている。それに市場に逆らわないでさえいれば、何事もうまくいくなどという主張は完全に理論上のものであり、その正誤を実証することができない。1960年代から70年代にかけて急進派の連中が、ソビエトに対する批判を退けて、「ソビエトは本物の社会主義じゃない。本物の社会主義なら、あんな問題は起きないのだ」と言っていたのと同じだ。当時の保守派の評論家がそれに反論して、「われわれが真に判断できるのは現実の社会主義だけであり、その現実の社会主義は失敗だった」と言ったのは的を射ている。

グラーフ、バトカー『同』第7章

一部のリフレ派と呼ばれる方々が口では所得再分配の拡充が必要といいながら、市場の効率化とか規制緩和とかを強硬に主張するのは、おそらくこの学生と同じ価値観を有しているからではないかと思います。そして、アベノミクスがうまくいかなければ「アベノミクスは本物のリフレーション政策じゃない。本物のリフレーション政策なら、あんな問題は起きないのだ」と言いそうなところは、急進派と同じ価値観を有していそうですね。
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