2013年08月11日 (日) | Edit |
書こうと思っているネタがいろいろたまっているのですが、potato_gnocchiさんのエントリがとても納得のいく内容だったので、反応してみます。

こういう世界で生きてきた身としては、上記エントリの

大学へ行ってまず俺が驚いたことは、友人達の家庭環境と文化レベルの高さ。
両親がサラリーマン家庭(そういう友達は地元ではほとんどいなかった)
家族兄弟の誰かが海外赴任とか海外住まいとか普通にいる(英語ならお姉ちゃんがペラペラだよ、とかすげぇ)
海外旅行経験者多すぎ(国内旅行すら修学旅行くらいだった俺には衝撃)
趣味が舞台鑑賞とか美術館めぐりとか(ギャンブルが趣味じゃないって凄い)
騙す人なんてほとんどいない、無条件に人を信用する人の多さ
お金を貸しても絶対返ってくる
「ありがとう」とか感謝の言葉が普通に飛び交う
http://anond.hatelabo.jp/20130809115823

は、本当に私も共有する驚きでした。これは、私の場合は、自分の家はそういう家だったけど、周りにそんなの探す方が無理、って思ってたので*2、東京の、うちの大学レベルでも結構こういう人ばっかりで、むしろ私が小学校や中学校の時に体験した「低学歴の世界」など知らない純度100%の人の多さに驚愕しました。うちの大学ですらそうだったのですが、東大に進学した同級生に聞いたらもっとでした。ちょっとびっくりするレベルで、「高学歴の世界」の中でもとびっきりでした。

なお、こちらのエントリの方と私がちょっと違うのは、この「低学歴の世界」の体験の有無、あるいは肌感覚的な理解について、「この溝は超えたことがあるものにしか実感できないんだろうなと思うし、実感しても人生にいいことはあまりない。」と書いていらっしゃるのですが、私はそうは思わないってことです。「高学歴の世界」しか知らない人は、「高学歴の世界」の人としか基本的には付き合えません。そして、就職する組織にもよりますが、労働集約型産業のやたらと数多い従業員とか、生命保険のおばさんセールスとか、あるいは地方議会の議員とかのような「低学歴の世界」とうまく付き合わないといけないお仕事というのは、結構たくさんあります。「高学歴の世界」の極地にあるような「官僚」のお仕事でも、地域住民との調整とか議員との調整はどうしてもついてくると聞きます。このときに「低学歴の世界」を知らない人が十分な仕事をできるでしょうか。それは難しいと思います

■[教育]地方都市で、低学歴と高学歴の世界が交わるとき(2013-08-09)」(常夏島日記
※ 以下、強調は引用者による。

私などは地方の大学でしたが、potato_gnocchiさんが「私が小学校や中学校の時に体験した「低学歴の世界」など知らない純度100%の人の多さに驚愕」したのと同じ経験をしています。私の地元は田園地帯でして、ご多分に漏れず小中学校の同級生にはサラリーマン家庭の子はせいぜい半分程度で、農家(デカい土地や家屋を持っている「豪農」から、兼業しなければ食っていけない零細農家までいろいろですが)とか小さな自営業とかの子どもが多い土地柄でした。私の両親とも中卒でいったん働きに出て、なんとか夜間高校を卒業した親父が地元の役所で職を得ることができたので、一応私はサラリーマン家庭で育ったことになります。とはいってもその程度の学力ですから、今で言えばまさにDQNな家庭生活の中で育ったため、高校や大学で高学歴な世界の住人と一緒になったときには、potato_gnocchiさんや引用されている増田の方と同じ驚きを感じたものです。

その小中学校での同級生や親族の振る舞いもpotato_gnocchiさんや引用されている増田の方といっしょで、授業中にチ○ポを出して走り回る同級生や、教科書のひらがなをいつまで経っても音読できない同級生が当たり前で、親族にもサラ金で首が回らなくなって夜逃げしたおじさんがいたり、野良猫の耳を切っていじめるのが好きないとこがいて、保育園や小学校低学年ではそんな同級生やいとこと遊ぶのが日常でした。ところが学年が上がっていくと、サラリーマン家庭の子どもと農家や自営業の子どもで何となくグループができてきて、私もいつのまにか低学歴でありながらサラリーマン家庭のグループに入って、親族とも何となく疎遠になっていきます。その一方で、同級生や親族の中でも農家や自営業の子どもたちは順調にグレていきました。

農家や自営業の子どもたちがグレる理由は単純で、低学歴の住人は学歴の必要のない農家や自営業を継ぐか自分で自営業をやるという選択肢しかなく、実際にその子どもたちも同じく学歴の必要のない仕事を選ぶため、家族全体が学校でいい成績を取る必要がないと考えて、むしろグレるくらいが威勢があっていいくらいの感覚だったからです。グレていった同級生はほぼ例外なく兄弟全員がグレてましたし、前科を持つ親もいました。中には、今でいえば発達障害のある同級生もいて、その親御さんもその傾向があって結局低学歴の住人にならざるを得ないというグループもありました。

もちろん地域全体が低学歴な世界ですから、サラリーマン家庭の子どもでもグレる奴はいて、結局同級生の半分以上はグレるか、そのシンパになっていく状況でした。そうなると、当然学校生活で役職につくような奴でもグレていくわけで、うちの小学校の児童会の歴代会長は、中学校に入ると暴走族の幹部になることが約束されていました。

中学校になると、男子はグレてなんぼですが、女子はさすがに直接グレるのは少数派です。しかし、女子自身がグレていなくても同級生の男子の半分以上がグレているかそのシンパという状況では、付き合う男子も必然的にグレている奴が多くなるわけで、特に力関係からグレている男子がかわいい女子から順番に食うことになります。というわけで、田舎でモテるのは多数派のグレている男子で、女子はかわいい順にグレている男子とセックスをしていき、私の同級生の女子はかわいい順番に高校で子どもを産んで退学していきました。女子の場合は、必ずしも本人がグレているかは関係ないところが不思議なところで、かわいくて成績も優秀な女子がグレた先輩にあっさり食われて、余裕で進学できただろう高校や大学に進学することなく子どもを産んでいく様に、何とも言えない不条理さを感じたものです。

サラリーマン家庭のグループに入り中学校までは勉強に不自由しなかった私は、グレている多数派とはお互いに幼なじみ程度の付き合いで距離を置きながら高校で地元の進学校に進んで、そこの高学歴な世界に上記のような衝撃を受けました。私自身は、その衝撃を克服するためになんとか高学歴の住人と話を合わせることに必死で、低学歴の住人の世界との繋がりは薄れていきました。大学に進学してからも高学歴の住人としての振る舞いをなんとか身につけようとしていたところで、結局たまたま受けた試験に受かって地方公務員になってしまいましたが、そこでまた低学歴の住人との付き合いが始まります。公務員の仕事が利害調整である以上、その利害調整の場には学歴や職業に関係なくさまざまな立場の方が関わります。potato_gnocchiさんが指摘される通り、「「高学歴の世界」の極地にあるような「官僚」のお仕事でも、地域住民との調整とか議員との調整はどうしてもついてくる」わけで、ましてや下っ端チホーコームインの仕事はDQNな方々との話し合いをいかに滞りなく進めるかというスキルが求めらるわけです。

別エントリでのコメントに書いておりますが、「私も「政策は、所詮、力が作るのであって正しさが作るのではない」という権丈先生の言葉を、仕事の上で身にしみて感じている者ですので、「正しいこと」をいえばそれが実現すると考えるほどにはナイーブではありません」というのも、こうした低学歴の世界の住人との付き合いを日常的にしているからかもしれません。マクロ経済政策としての財政政策や金融政策がどうのとか、防貧機能としての社会保険と救貧機能としての生活保障とか、集団的労使関係による労働条件の向上(!)なんてのは、そのままの言葉でいくら唱えたところで地域の住民の方々に理解されることはほぼありません。その現状を所与のものとして、かつその重要性を常に意識しながら、具体的な制度を住民にとって意味のあることとして提示し、必要な政策実施のための合意を取り付け、事務を執行するというのがチホーコームインの現場の仕事となるわけです。

ちなみに、そうした低学歴の世界でも高学歴の世界の知見を取り入れる方法がありまして、それが業界団体や地域のNPO等の市民団体からの意見を集約して意向を把握することです。業界団体であれば、その代表や幹部の中に実際に高学歴であるかに関わらず一定のクオリティの見識をお持ちの方が必ずいますし、NPO等の市民団体でも同様です。その点では地方の労働組合にはやや物足りなさはありますが、それでも労働組合の意向把握をしないよりはマシです。「民意」という得体の知れないものより、こうして利害関係に裏打ちされ一定のクオリティを持つ知見を集約することで、実際の制度設計やその運用がよりフィージビリティを獲得することができるようになります。

いずれにしても、特に低学歴の世界の住人が多数派であり、家族や学校の中でそれが再生産されている地方の田舎町では、政策の実施とか制度の運用は低学歴の世界の住人が理解できる範囲にとどまります。私がチホーブンケンに懐疑的なのも、こうした現実と毎日格闘しているからともいえます。地方自治体の首長や議会だけでなく、衆議院や参議院の小選挙区は地元での支持をどれだけ獲得できるかが票に直結するわけで、こんな状況で「民意ガー」とか「チーキシュケンガー」とかいったところで、望ましい政策実施のための制約が強められるだけになることは明らかだろうと思います。私自身、低学歴な世界に育っていますので、低学歴な世界の住人が低学歴な世界にいるままその考えを変えたり行動を変えることがほぼ絶望的に難しいことは実感しています。そのような状況であっても、望ましい政策は何か、それを実現するためにどのような制度が必要か、を考えていくことは、決して意味のないことではないだろうと考える次第です。

(追記)
hahnela03さんに詳しく取り上げていただきました。

 「溜め」とかを言う元内閣府参与については批判的な自分ではありますが『「あそび(車のハンドル)」が足りない』という感覚からマシナリさん達の現場における緩衝材「高卒採用の減少」が大きいのではないかと感じています。自治体のみならず外郭団体等の組織には「高卒・大卒等」の調整機能もありました。
(略)
 生活圏における様々なインフラの有無によってもたらされる、趣味・観光・スポーツ等の娯楽環境は「学歴」「収入(所得)」だけではない要因によって成立します。この話に納得しがたい部分を感じるのは何故なんでしょう。

津波被災の記録123(2013-08-15)」(hahnela03の日記


本エントリではちょっと誤解されそうな書き方となってしまいましたが、特に当地では低学歴の世界と高学歴の世界には特に溝はなくて、学歴の高低そのものが決定的な差異となるわけではないと考えております。徴表的な言葉として「低学歴」「高学歴」を使ったものの、本文で「代表や幹部の中に実際に高学歴であるかに関わらず一定のクオリティの見識をお持ちの方が必ずいます」と書いたとおり、組織の中で地位を得る方は、特にその組織の分野では卓越した知見と人脈をお持ちです(もちろん後述のような例外はあります)。そうした人員を擁する組織間の交渉で物事が決まっていくというのが世の中というものでしょう。

私もこの点を曖昧にしてしまいましたので、hahnela03さんが「納得しがたい部分を感じる」という感想をお持ちになったのではないかと思います。娯楽環境とか地域内のつきあいというのは、まさに「「学歴」「収入(所得)」だけではない要因によって成立」しているのであって、本エントリでは、むしろその要因が成立する過程を学歴というキーワードを使って考えてみたものとしてご覧いただければと思います。

ただ、hahnela03さんが指摘される「高卒採用の減少」というのは確かに影響がありそうです。組織の中ではどうしても大卒の方が役職が上になってしまうので、大卒が大卒というだけで発言力を持ってしまう傾向はあると思います。もちろん、大卒であっても、上記のような組織間の交渉において高卒の方の足下にも及ばないような無能な方も当然います。それが「組織の論理」とかいうものになっていく部分もあるでしょうし、そうした組織の意思決定が低学歴の世界の論理で動く地元の意向と乖離する原因となることもありそうです。どちらが望ましいのかは不明ですが。

そのような組織の意思決定に関する高学歴同士の対立という点では、hahnela03さんが引用されるeigakirai(旧HALTANさんでよろしいでしょうか)がご指摘のとおり、
という問題の方が、特にネット界隈では深刻かもしれません。
スポンサーサイト


コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック