2013年07月29日 (月) | Edit |
拙ブログでは、公務員の仕事は利害調整であるとしているわけですが、その実態に迫った学術研究はこれまであまりありませんでした。ということで、発売直後に買っておきながら長らく積ん読になっていた牧原先生の『行政改革と調整のシステム』をやっと読了しました。牧原先生の著作は、サントリー学芸賞を受賞した『内閣政治と「大蔵省支配」』以来でしたが、相変わらず密度の濃い議論がびっしりと詰まっていて、読み進めるのに骨が折れました。それだけ読み応えのある著作でもあるのですが、その密度の濃さは、「はじめに」で述べられる次のような言葉にも表れています。

 なお、資料に即して分析する本書は、政治学者からは一見瑣末に見える「調整」の政策事例を多数とりあげる。それは、「調整」が個別の合意の蓄積だからであり、「官邸主導」・「総合調整」と呼ばれる高度な政治判断に近い事例も、こうした瑣末な合意の上に成立するという側面を看過すべきではないからである。そしてまた、「行政の現実」を知っていると自認した橋本(引用注:橋本龍太郎)は、細かい行政実務を相当程度熟知していたと言われており、それは橋本に限らず、「調整」の制度設計にかかわった井上馨、陸奥宗光、原敬、浜口雄幸、松井春生、岸信介、中曾根康弘、後藤田正晴らの政治家・官僚も同様であった。彼らの活動した領域を分析の対象とするには、こうした瑣末な事例にも踏み込まねばならない。しばしば政治学者が軽視する行政の問題は、歴史上の政治指導者にとって決して瑣末ではないからである
p.15

行政改革と調整のシステム (行政学叢書)行政改革と調整のシステム (行政学叢書)
(2009/09)
牧原 出

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※ 以下、強調は引用者による。

思わず強調だらけにしてしまいましたが、政治学者の言うことは話半分以下で聞くことにしている私にとっても頷くことしきりの名文です。そして、これらの瑣末な「調整」を軽視するのは政治学者に限らず、前回エントリでも指摘しましたが、「実務の過程についての政府公表資料は無視するかあら探しするだけ」なライフハック的な思考の型を持つ経済学者も同様ですね。しかし、本書では、「ドクトリン」という概念を用いて、政府の諮問機関の報告書のもつ重要性が明らかにされます。

 このような「ドクトリン」を制度的文脈から位置付け直すならば、まず諮問機関報告書と学術論稿とが区別され、前者は「ドクトリン」を、後者は「理論」を扱うと考えることができる。これに法律を核とする制度形態をとる「政策」を加えるならば、「理論」・「ドクトリン」・「制度」という三種類の論理構成の区別は、学術論稿・諮問機関報告書・(法)制度の三つの素材の区別に対応している。従来は、学術論稿=理論が(法)制度=政策に転嫁するととらえられていたが、ダンサイアとフッドはこれを諮問機関報告書によって媒介しようとしたのである。言いかえれば、行政学の「理論」は、大学の研究室で純粋培養されるのではなく、諮問機関という場で生成されることが多いということになる。
牧原『同』p.24

牧原先生は、この「ドクトリン」の概念による行政学の特徴を次のように説明します。

 つまり、第一に制度論の伝統の上に立って、独任性と区別された合議体の特質が抽出される。第二に行政改革を諮問された合議体としての諮問機関は、社会科学にもとづいた実態調査を多角的に行う。第三に政策過程の中に置かれた諮問機関は何らかの形で報告書を提出する。第四にその報告内容が審議や報告書の公開を通じて、また関係者が論稿を公表することによって、学会又は世論と結びついて新たな「ドクトリン」へと転化していく。これらの一部は、事例研究などで検証され、「理論」としての論理的一貫性を整えていく。「行政学」とは、こうした「理論」とその周囲に存在する「ドクトリン」を包括する言説である。行政組織、諮問機関、シンクタンク、大学といった諸制度をゆるやかに連結する言説が、論者により濃淡を帯びつつ体系化が図られてきたのである。
牧原『同』p.74-75

ここから本書では、日本の行政組織についての制度の変遷の中から、「調整」の手続がどのように「調整」されてきたのかを細かに追っていきます。その中でも「総合調整」の契機となったのが、やはり戦時体制の強化だったとのこと。

 このように、省に総務局が設置され、そこで省の所掌する事務について「総合調整」を行うという規定の形式は、1942年に「内外地行政」の一元化による大東亜省の設置に伴う省組織の刷新の際に、総務局が物資動員計画関係の他の省に共通して設置されるようになったときに、共通の規定様式となった。そして、太平洋戦争の敗戦とともに、総務局を各局が廃止し、その業務を大臣官房が継承したときに、大臣官房が省内事務の「総合調整」を行うという規定へと受け継がれたのである。
 この形式は、総理府外局の調整官庁の事務や、総理府そのものの大臣官房にも規定された。これによって、省内の「総合調整」のみならず、省を超えた政府機構全体についても「総合調整」という」事務が組織法令上用いられるようになっていく。さらに1957年の内閣法、総理府設置法の改正で、内閣官房が政府機構全体の「総合調整」の組織となることが確認された後も、調整官庁の事務として「総合調整」は規定され続けた。こうして、現在いわれるように、「総合調整」とは政府全体の調整を指すものととらえられるようになったのである。
牧原『同』p.176
※ 年号は漢数字からアラビア数字に変えています。以下同じ。

官房系の部署に「総合調整」の事務が規定されるようになったのが物資動員計画関係の部署から始まり、戦後それが全ての省庁に規定されただけではなく、政府全体についても内閣官房が「総合調整」に当たることとされ、それが現在まで組織として残っているわけです。

地方自治体も、特に都道府県は戦後20年程度は国からの元「官吏」が幹部を占めていましたから、その都道府県内の市町村も含めて同じような組織形態となっています。他の組織(庁内はもちろん、他の自治体のこともあります)との調整に当たるときは、自分の「カウンターパート」を的確に把握しなければ仕事が進みません。そうしないと、窓口と思っていた部署が隣の係で、たまたま受けた職員が好意で橋渡し役になってしまって、伝達が遅いとか伝わり方がおかしいということになって、結局「調整」そのものがうまくいかなったりします。まあ、そこまで単純な話ではないですが、的確なカウンターパートを持つということは「調整」の大原則ですね。

そして、本書では省間調整の例として、建設省や農水省等の複数の省庁間で水利権をめぐって1960年から1961年に行われた「協議」において、「覚書」が締結されるに至るまでの調整過程を日付を区切りながら細かく取り上げます。どこの組織でも同じだと思いますが、関係する部署が増えれば増えるほど協議事項が複雑化し、日程が細かく区切られ、日々協議内容が変化していき、最終的な合意内容が何の変哲もない確認事項だけになるということがよくあります。差し迫った問題を解決しなければならないという現実の前には、両者にとって申し分ない精緻な合意を得ようとしても手間ばかりかかって間に合わないため、とりあえずの方向性を示して大きな問題が起きない限りはそのまま運用していくわけです。

そして本件では、「覚書」締結後20年以上にわたってその運用が滞ってしまう実態が生じてしまいます。「覚書」の内容が実務的に煩雑であったり、それがなくても実質的な支障がない場合は、何の変哲もない確認事項ですら実施されないことがあるわけです。それが問題の先送りだという指摘はごもっともですが、では困難な問題であってもとにかく意思決定を優先し、問題を先送りしないで「根本的な改革」をしようとする方々がどのような結末を迎えたかは、先週の参議院選挙を見れば一目瞭然だろうとは思います。

冒頭の引用部にある通り、歴代の首相や指導的立場にある政治家はこうした事務レベルの実務をできるだけ把握しようとし、官僚もその意思決定を支えてきました。本書の「おわりに」では、こうした政治家の姿勢が否定され、「官邸主導」やら「政治主導」がもてはやされる現状について、やや皮肉を込めてこう指摘されています。

 したがって、政治家には情報を掌握した上での判断こそが求められるのであり、「官邸主導」とは、その範囲での官邸の影響力の発揮なのである。政治的任命職は官僚のよきパートナーとして、この過程に参画し、政治家を補佐する。そこで必要なのは、まずは政策の専門知識と、これを一般の国民にわかりやすく解説する言語能力である。対して「調整」の技術とは、制度を知悉した官僚の執務知識にならざるを得ない。現代社会における「政治指導」とは、このような役割分担の中ではじめて機能するものなのである。
 ところが、政治学者からはしばしば、上意下達の「政治指導」が「調整」の障害を突破しうることが強調されてきた。特に、イギリスの議院内閣制を導入することによって、日本でも「総合調整」がより容易になるであろうという見通しが、1990年代の政治改革の中で繰り返し主張されてきた。これは、本書の結論とは、強調の力点が異なる上に、見方によっては正反対の主張に映るだろう。
(略)
 そして、本書のように「行政」の「ドクトリン」を抽出し、その歴史的形成過程を追跡することによって、「政治」の「ドクトリン」の限界が明らかになる。つまり、「政治指導」は、あくまでも「調整」を先取りしていなければ有効に作動しない。その限りで、上意下達の指導ではなく、下意上達すなわち官僚との協力関係が暗黙の内に含まれているのである。ところが、既存の「政治」の「ドクトリン」は、あたかも官僚の協力関係を否定するような身振りを示すことで、マスメディアの支持を得てきた。つまり、説得力を備えてきたのである。だが、その種の説得力は、今後の日本政治が政権交代のある政党システムへと変容する際には有効とは言い難い。長期的に見て、官僚との協力関係なしには、政権担当能力を説得的には示せないからである。官僚との協力がいかなる意味で「政治指導」と両立するのかを解き明かし、それを強靱な「ドクトリン」へと変換することによって、野党が選挙で勝利して政権入りするという政権交代の局面にふさわしい「政治」の「ドクトリン」を構築できる。そのときに、本書のような「行政」の「ドクトリン」への分析方向は、一助になるだろう。
牧原『同』pp.269-270

奥付によると、本書の初版の発行日が2009年9月28日とのことなので、その1か月前に実現した政権交代より前には、本書は校了していたものと思われます。まさにその当時の野党が、「あたかも官僚の協力関係を否定するような身振りを示すことで、マスメディアの支持を得て」政権交代を果たしたわけでして、牧原先生の慧眼には恐れ入ります。結局、政権交代に味を占めた方々がどのような結末を迎えたかは、先週の参議院選挙を見れば一目瞭(ry
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